[191] いいのがれしないで直視して! 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/11(Mon) 19:25
ツリーが錯綜してきましたので、何をあらぬ方向としているか
という問題の交通整理をしてみましょう。実は猛獣文士氏は
非常にクリチカルな問題にうっかり筆をすべらせていまして
これを粉飾して、意味ない罵倒のしあいに解消しようとして
この論を持ちだしているのですが、それも、この交通整理において
明らかにできるとおもいます。

まず、猛獣文士さんのラストの「あらぬ方向」発言は#183からでした。

|以後、議論はあらぬ方向にいきますので、割愛します。
|- 以下は関連一覧ツリーです -
|★ - 懲りない点、注目する点 - 大阪の人 00/12/08(Fri) 17:40 No.168
|* Re: 懲りない点、注目する点 - 猛獣文士 00/12/09(Sat) 16:07 No.173
|* Re^2: 懲りない点、注目する点 - 大阪の人 00/12/09(Sat) 19:15 No.178
|* Re^3: 懲りない点、注目する点 - 猛獣文士 00/12/09(Sat) 20:00 No.179
|* 裏口開いてたら弁当なぜ - 大阪の人 00/12/09(Sat) 22:01 No.182
|* Re: 裏口開いてたら弁当なぜ - 猛獣文士 00/12/09(Sat) 23:04 No.183
|* 華僑政策の誤りの日本の訂正はい... - 大阪の人 00/12/08(Fri) 17:41 No.169
|* Re: 華僑政策の誤りの日本の訂正... - 猛獣文士 00/12/09(Sat) 17:33 No.176

最初、当方が#168で
|この華僑青年の団体の「袂のわかちかた」は、こうした野坂氏の
|「わかちかた」とはいささか違うようです
と述べ、その本質的な暴力主義を指摘しているのですが

これに猛獣さんが#173にて
まずは、妙な暴力に関する独特の論を展開され、続いて
|仮に、ある国を支配している権力が
と、「仮の話」をされます。この議論が173では不明瞭だったのですが
後にパレスチナの闘争の事であることを本人がいいたてはじめます。

ちなみに当方は猛獣さんの議論を機先を制して#169で
|とにかく猛獣文士さんは自己の言葉で堂々と暴力主義と自分との
|関係を分けられました。これは良いことです。この建前をあらゆる
|立場、見地に土台として据えることをお奨めします。
と述べ、また、#178で
|ほう。現行犯なら一般人でも逮捕できますよ。急迫不正な攻撃とどう
|対処するかということです。
という話をし、返す刀で次のように述べています。
|むしろ、文革中は、紅衛兵やら造反団に、臨時の革命的暴力権として
|その裁判権やら罰の執行権力まで濫用させているのが中国本土のありの
|ままの姿です。これとリンクしこれの持ち込みが寮生らの行動でした。
|赤軍派の「ソウカツ」も”強制”ばかりじゃなく裁判権まで行使して
|います。砂間氏らも空港で、ある種の”裁判”されまして、罰の執行
|として暴行されました。”裁判”なので”判決”が残っています。
|http://members.tripod.co.uk/jcia/bunsho-jpn/ajcp010.htm
|華僑会の声明や寮自治会の声明も、どことなく判決ですよね。
|
|3月1日の日中友好協会の声明は、むしろ抗議はありますが、どこを
|読んでも判決らしくありません。
と書いています。

これに#176で猛獣さんは反論しつつも、次第に「仮の話」をはじめます。
|たとえば、イスラエル市民に対するパレスチナ解放機構の暴力について、
|どう思いますか。
そしてこれを唯一の論拠として、時間も空間も飛び越えて
|暴力主義というのは、暴力を使用する必要がないのに、暴力を使用し
|て他者の立場をねじ伏せようとすることと解釈しています。
などと独特の論を展開しはじめます。
|たとえば、日本の侵略を
|うけたときの中国人が、武力を用いて日本軍に抵抗するのは間違いな
|く正しいと思います。
おいおい。こんな話を持ちだして1967年の事件をどうするつもり?
|私は、議会制民主主義に依拠した権力が、いつでも正しいとは思い
|ません。
あっちゃー(^^;)(^^;)
|たとえば、阿片戦争で当時の清国を攻撃したイギリスには、
|立派な議会制民主主義がありました。
お話はどんどん昔の時代、戦争の放棄という日本国憲法にもかかれた
公理が建前としては通じる時代じゃなくて、帝国主義のぶんどり合戦
の時代の事になってしまいました。この差が理解できない猛獣さんの
ようです。
|当時、ベトナム戦争でベトナムを侵略していたアメリカにも、現在
|と同じ議会制民主主義制度がありました。
アメリカにいって、アメリカの国民の意志とは別に、アメリカ政府を
あなたが打倒するって事でしょうか?
|いずれの侵略でも、
だから時間とシチュエーションを超越して「いずれの」とくくっては
ダメだってば(^^;)(^^;)
|議会制民主主義がないほうがいいとは言いませんが、これをもって
|政権の執行する政策の正しさの根拠にすることはできません。
ちなみに、そんなことは誰も言っていません。(゜〇゜;)

ここから、猛獣文士さんの苦しい言い訳が始ります
|> 主に東南アジア各国内の華僑の世界革命にむけた反政府活動への
|> 動員という文革時華僑政策は、68年頃には、即中止されていくの
|> ですが、こと日本に於ては、1970年に及んでこれだということは
|> ものすごく特殊にこの暴力主義的活動、世界革命の反政府活動と
|> いう方針は温存されているということを驚きをもって確認でき
|> ました。
|>
|確認するのは主観的な作業ですから、なんとも言いませんが、論理
|の飛躍としか思えません。

どうでしょうか、皆さま(^o^)/。当方は1966年67年当時の中国党政府
の「黒い手」政策、革命の輸出政策に関して言及しているのです。
これと関係して華僑寮生らがそれまでの平和な生活を投げ出して愛国
に燃えて動員されたんではないのかと問題提起しているのです。
論理の飛躍でしょうか。具体的な解明ないままに逃げ、以後#183では
|以後、議論はあらぬ方向にいきますので、割愛します。
|以後、議論はあらぬ方向にいきますので、割愛します。
というばかりで、引用さえまともにしなくなります\(^◇^)/。

パレスチナ問題はあらぬ方向ですから割愛してもいいんじゃない?
でも毛沢東式の暴力革命唯一論からの世界革命路線だけは、あなたは
クリアしておいた方がいいと思うよ(^o^)/

ヒントとしては、やはり98年の両党合意です。もう一度全文を
お読みください。

[161] 「愛国」と大フォントは比例しない 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/06(Wed) 16:07
猛獣文士さん、お忙しい中ご苦労様です。

純技術的な点ですが、今回の「日中青年学生共闘会議」の
「結成宣言」文書のHTLM属性を改善してください。【字が大きすぎ】
です(^^;)(^^;)。

元々、どでかいフォントだったのかも知れません(^^;)が
また、当方のように、エディタに移してから読む者にはどちら
にせよ関係ないのですが、読者の立場としてはフォントの大きさ
というのは無視できない閲覧性の便があります。

とりわけ、BBSの文のこのようなごまつぶ状のフォント(^^;)と
比するならば、極端すぎます。どうせテキストファイルなんです
から、あまりに技巧に凝りますと単に読みにくさになります。

また、所詮SGMLではないので、大項目、見出し、本文という区別とは
フォントの大きさは直接の関連性はないのかも知れませんが、項目
の表題なのか、本文なのかさえ不分明なのはデメリットでしょう。

”一発芸”としては、大変ウケました。当方IEで読んで、イスから
こけそうになりました。ザブトン2枚進呈します\(^◇^)/。

[180] Re: 「愛国」と大フォントは比例しない 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/12/09(Sat) 20:22
> 猛獣文士さん、お忙しい中ご苦労様です。
>
> 純技術的な点ですが、今回の「日中青年学生共闘会議」の
> 「結成宣言」文書のHTLM属性を改善してください。【字が大きすぎ】
> です(^^;)(^^;)。
>
> 元々、どでかいフォントだったのかも知れません(^^;)が
> また、当方のように、エディタに移してから読む者にはどちら
> にせよ関係ないのですが、読者の立場としてはフォントの大きさ
> というのは無視できない閲覧性の便があります。
>
> とりわけ、BBSの文のこのようなごまつぶ状のフォント(^^;)と
> 比するならば、極端すぎます。どうせテキストファイルなんです
> から、あまりに技巧に凝りますと単に読みにくさになります。
>
> また、所詮SGMLではないので、大項目、見出し、本文という区別とは
> フォントの大きさは直接の関連性はないのかも知れませんが、項目
> の表題なのか、本文なのかさえ不分明なのはデメリットでしょう。
>
> ”一発芸”としては、大変ウケました。当方IEで読んで、イスから
> こけそうになりました。ザブトン2枚進呈します\(^◇^)/。

私はネスケ党なので、それにあわせて作成しています。ネットスケープでは、IEよりもm
フォントが小さく表示されます。

字が大きすぎると思ったら、IEの設定で、フォントを小さくしてお読みになることをお勧め
します。

ちなみに、このBBSのCGIは、フリーソフトを使用していますので、設定は私の好みによる
ものではありません。

ところで、このBBSはなかなか良くできていて、語句の検索をすることもできます。一度
お試しください。

[175] 家頁の趣旨から 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/09(Sat) 17:21
|したがって、私はこの事件について一方の当事者から事情の説明を受け、
|事件の事実関係の認識はもちろんのこと、政策的な意味での理解につい
|てもその当事者の側の見解を正しいものと思いました。この理解は、そ
|れ以後、事件発生後30年以上を経過した今日まで、変っていません。と
|ころが最近、この事件のもう一方の当事者が、私の理解とはまったく正
|反対の見解を、理論的、政策的な意味でだけでなく、単純な事件の事実
|関係についても継続して主張し続けていることをしり、大変、興味を持
|ちました。私がくみしていたほうの当事者は、元来、日本におけるマイ
|ノリティーであり、その主張を30年間にわたって広範に宣伝し続けてき
|てはいません。したがって、現在では、この事件について、片方の側の
|見解だけが継続してさまざまな出版物上で繰り返し主張されている状態
|になっています。

ふと、思ったんだけど、猛獣文士さんをはじめとした寮生の主張は
日本社会党の正式方針として認定され、全面バックアップされている
のですよね。とすると、今の社民党の様子からは往時の隆盛は伺い知
る事もできません(^^;)が、日本共産党vs日本社会党という構図になり
ますよね。とすると、100議席以上の国会議席をもつ野党第一党の党と
当時野党第4党ぐらいの党との間の構図でありまして、とてもマイノ
リティーな御意見ということはできません。

日本最強の宗教団体である創価学会も70年代から親中国になりました。
特に1980年の社公合意以後は日米安保条約を認める立場という共通の枠
組みから、「皇国史観が私のバックボーン」等と公然と主張する知事等
の支援する”オール与党体制”の側の反共を理由にした「敵の敵は味方」
論による親中国人士がでてくることが特記されます。これまた「カヤの
外」に置かれたのは日本共産党の側でして、けして親中国派はマイノリ
ティな少数派ではありません。

また、日本に於てマイノリティというかエスニックな集団であるという
事と同時に、1972年以後は国交回復したわけで、平和友好条約も締結さ
れたわけで、67年当時よりも、むしろ70年代、80年代とますます精強に
生気あふれる活動されてもいいのではないでしょうか。中国から移入
する人口もぐっと増加しました。

貿易だった、日中貿促を解散させちゃったり、差別的な取り扱いをする
のも自在な中国党政府の国家権力であります。結局相手があっての事で
したから、実利があがる(正統)側につく事以外に生きるすべのない
零細企業は廃業するか、(正統)に組み込まれたのでした。
また、むきだしの資本主義の世界有数の日本の大資本の意図もあり、貿易
額が伸びるに従って、LT、MT貿易ごろとは比べものにならない規模
で”実利からの日中友好”は進んだのではないでしょうか。

従って、当方の思うに、それは「元来、日本におけるマイノリティー」
であるが故に「その主張を30年間にわたって広範に宣伝し続けてきては
い」ないのではなくて、それが政治主導による世論誘導であり、主張の
裏にあった自らの政治的意図が、この当時の「文革」外交が、まさに
破綻し、中国国内では”10年の災害”として、絶対的に否定されるに
至った経過から、政治主導として主張を続けるプッシュが消え、そのた
めに宣伝や主張が立ち消えてしまったのではないでしょうか。この文革
の路線による対日干渉作戦という独自の異常な方針がドンと横たわって
いたのが、雲散霧消に消えてしまった。事実経過なんて、頼まれない
ならどうでもいい、という宣伝屋が金を貰ってラッパを吹いていた、と。

そして国内の文革批判でさえ、1981年ごろにようやく中国共産党自身の
一定の決定がでたぐらいで、その終結は結局毛沢東氏の死去後数年かか
ったということ。対日干渉チームというのは、国内主権者からの明確な
被害告発がないので批判にも曝されず、また外交エスタブリッシュメン
トというのは官僚機構の中でもとりわけ専門性を求められる部署である
ことや、結局反共包囲網としての対日干渉作戦が日本支配層に反共の意
図から受け入れられ、反共同盟の接着剤としてむしろ期待さえされてい
た中で貿易や政府間交流にはこれといって支障にならなかった。それゆ
えにプラグマチックな大国主義から見ればその党間関係の原則をやぶっ
た明確な誤りの克服が著しく遅れて、結局98年に両党合意という形になる。
そうした実利をともなう頑強な抵抗がセクショナリズムとしてあったの
ではないかということです。

日本共産党は、別に66年67年の事件でソ連に何か認めて貰ったわけ
でもないし、やられ損です。それでも社会党が崩壊し、ソ連が崩壊し
オール与党の共産党を除く政治もヒビが入り、一貫して「一つの中国」
「軍事費へらせ」「安保条約反対」「ガイドラインに台湾を含めるな」
というイシューを掲げつづけてきた事が、存在意義の相対的増加に
なった。そして中国共産党として、対日干渉チームの人士も引退して
世代が交代し、改めて関係回復の努力を開始し、その成果として両党
合意に至ったということではないでしょうか。”革命外交”への大衆
動員の根拠なんて、いちいち否定するのは都合が悪いが、持ちだすな
なんてとんでもない、というのが今の中国共産党の立場でしょうね。

|出版物のみでこの事件を知った後の世代の人たちは、その一方の主
|張を通してこの事件を理解するのであるから、それに近い認識をす
|ることでしょう。私自身、30年以上も前に起きたこの小さな事件に
|ついて、どちらが正しかったのかということをむきになって争う意
|欲はなくなっています。しかし、私がかつて信じていたことが、基
|本的に反証となる事実が発生しないまま、単に年月が経過した故に
|誤りになったというのは、どうにも不合理極まりない話です。ある
|いは、単に反対側の当事者がその当時からの主張を継続して宣伝し
|てきたことのゆえに、その主張が正しいものになったと考えること
|もできません。

単に年月が経過した故に誤りになったわけではありません。本家の
震源地たる中国共産党が、一時異常な状態に陥り、その国内の災害
と同じく革命の輸出という冒険主義に陥り、党間関係の原則を踏み
にじり、まさしくほんの一時狂った時期に猛獣文士さんは社会参加
のホヤホヤの世界観をその狂った宣伝にどっぷり浸けて育ったので
ありました。そして猛獣文士さんの事はおかまいなしに、自分の中
では誤りを克服して、頭越しに日本共産党との関係修復も終え、そ
の後にあなたは結論だけ、しかも日本人の論敵から知らされたので
した。心中幾許かお察しするに余りある事ですが、これが経過です。

[165] 暴力主義を清算すべきです 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/06(Wed) 20:18
|暴力と言う言葉を、恣意的に使用していると、議論がかみ合いません。
|したがって、およそ社会科学を学んだものであれば、だれでも否定で
|きない程度の暴力の定義を提案したに過ぎません。それをもって、だれ
|それが暴力主義であるされてしまっては、話が続きません。以前にも、
|マルクス主義またはマルクスレーニン主義における暴力革命論について、
|私の乏しい認識を語ったところ、「空論だ」ということでした。
|議論を続けるためには、大阪の人さんが考えている暴力という
|概念の内容を私が知る必要があります。大阪の人さんは暴力と
|言う用語をどのような意味で使用しているのでしょうか?

暴力という概念の定義をしなくても暴力はふるえます。
逆に暴力という概念の定義がどのようであっても、その被害に遭います。
相手がいる場合ですから、その暴力の定義なる議論をしはじめて
双方が違う語、違う概念であると議論が噛みあわない、というのは
論法の上では成り立ちうる御意見ですが、現実には間違っています。
なぜなら、「それは大阪の人と猛獣文士さんとの意見の違いです」等と
言い逃れする為に使えるからです。意見の違いではありません。

また、いるのかどうかは存じませんが(笑)オーディエンスな方の
それぞれの価値観もあることでしょう。価値観を披歴しあいますと
その価値観の比べ物という別の楽しみもありますが、本論とはそれて
しまいます。現実にあった67年春からの事件その前後のいきさつ
それを見ていく中で「誰が主導した暴力事件なのか」だけが本題の
はずです。そして、これまでの議論の中で、暴力の定義の相違では
なく、猛獣文士さんが、実はご自分の暴力主義をまだ持ち続けている
のでは?という疑義を当方が抱きました。

まだあなたは暴力主義的な活動それ自体が良いのか悪いのか、という
問いに答えていない。定義なんぞに逃げている。暴力主義的活動は
良くない、間違っている、自分もしないし、息子にもさせたくない
そして自分も自分の周囲の者もその暴力主義活動の犠牲にさせない
これだけの単純な事を前提として認め、宣言することがどうして
こんなに、未だに言えないのでしょうか。当方があなたの論の
基本に暴力主義が未だ清算できてない、とするのはここです。

とにかく暴力主義は捨てて下さい。そして暴力反対という万人に
わかる文脈でこれを見てください。誰が「議会きちがい」等と暴力
主義革命絶対論の立場から攻撃しているでしょうか。「毛沢東主席
の指導された正しい人民戦争理論を用いないのは修正主義」等と
攻撃しているのは誰でしょうか。【暴力否定】という原則をたてて
そこから全体を俯瞰しますと、誰が暴力主義に基づいて暴力事件を
主導したかということも、おのずから見えてくる気がします。

再度申しますが「正当防衛論」なる論は別にありません。取り立てて
これを日本共産党の理論なりとしているのは華僑支援の日本人の盲従
分子です。ここでは法律に基づいて整然と活動するということだけが
かかれています。市民社会の下では会社企業であろうと、ガードマン
を傭う事でこれを実現しています。何か特別な革命の為にどうこうと
いうような”選民思想”から自らに特権的な権利を主張しているのでは
ありません。

ひるがえって「鉄砲から政権が生まれる」論はどうでしょうか。
「人民戦争の勝利万歳」を日本に持ち込んだらどうでしょうか。
持久戦? 遊撃戦? これらは中国人には聖なる独立戦争の時代の
事であり、国内政治的にはどうこうということではないのでしょうが
日本に持ち込まれますと、大変です。権力を奪取するためにゲリラ戦
で戦え、これ以外の路線や戦術はすべて誤りである、とする論ですよね。
革命的暴力何が悪い、これこそが正しい道だ、ということですよね。

この立場から樺美智子氏を日本民族の英雄等と美化したり、暴力学生
を賛美したりしていますよね。日中愛好協会(正統)を見ればここより
ずっとそのあたりのことが判ります。まさしく”選民思想”ではありま
せんか。”不敗の毛沢東思想に武装した”と居丈高に構える前提にこの
「革命的暴力何が悪い論」があります。華僑のこの世界革命路線への利用
という特殊な中国党の方針はすぐに訂正されたそうですが、猛獣文士さん
の若い心にはくっきり刻印されたようです。その後諸党派と絶縁した
とのことですがそれをも振りきって、猛獣文士さんは反共学生らの諸党派
と暴力主義から付きあいしていたのでしょうか。

ちなみに”絶縁宣言”という文書もあればだして下さい<(_ _)>。

[167] Re: 暴力主義を清算すべきです 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/12/07(Thu) 16:21
忙しいので詳しい話はできません。暴力の定義も怪しいままに、暴力主義と言う
レッテルを貼っていただき、感心していますが、とりあえず、私は暴力主義「なるもの」
の信奉者ではないと思います。

> ちなみに”絶縁宣言”という文書もあればだして下さい<(_ _)>。

こちらに、1970年7月7日の盧溝橋事件の記念集会における華僑青年闘争委員会の発言
の要旨があります。革共同中核派の機関紙前進に掲載されていたものです。

http://genko.system.to/jrcl/chkk/f0491a2.html

[174] 「随伴者」はありなのか 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/09(Sat) 17:20
一応、ダメ押しで強調して置きますが、当方の以下のような問いに対し

|まだあなたは暴力主義的な活動それ自体が良いのか悪いのか、という
|問いに答えていない。定義なんぞに逃げている。暴力主義的活動は
|良くない、間違っている、自分もしないし、息子にもさせたくない
|そして自分も自分の周囲の者もその暴力主義活動の犠牲にさせない
|これだけの単純な事を前提として認め、宣言することがどうして
|こんなに、未だに言えないのでしょうか。当方があなたの論の
|基本に暴力主義が未だ清算できてない、とするのはここです。

次のようにお答えになりました。

|忙しいので詳しい話はできません。暴力の定義も怪しいままに、暴力
|主義と言うレッテルを貼っていただき、感心していますが、とりあえず、
|私は暴力主義「なるもの」の信奉者ではないと思います。

私はこれは一定の進歩であると評価しました。しかし「自らは信奉者で
ない」ということをお認めになったわけですが「暴力主義的活動をする
者の随伴者」であることは良いのかどうなのか。例えば暴力主義的活動
をこの日本に於て公然と掲げている人士との関係をずるずると続けるの
かどうか、とか「暴力主義活動を自分は実践しはしなかったが、全体
として暴力主義は一概に悪とはいえない」というようなニュアンスに
対して決別した表現には取れません。そのあたりは曖昧にしたままで
当面、あなた個人は暴力主義の信奉者ではないと宣言され、自己の行為
としての暴力を否定された。また目的によって手段を合理化するなかで
の暴力主義活動に自分や自己の周囲の者をさらすのは嫌だというご判断
だということですね。

では、あらためて質問します。後楽の寮生たちは暴力主義を正当化し
た路線をとらなかったのでしょうか。むしろ「なにが悪い」と居直
る宣言がでいていますよね。もうそろそろ本部事務所は円満退室しよ
うという1970年に至ってでた袂別宣言というのも、他の暴力主義的活
動をする人士と華僑青年らとの間で暴力主義を難じての決別ではなく、
むしろより”正しい目標”に向けての暴力主義の一層の発揮を勇まし
く宣言しているようにさえ読めます。

一方あなたはまだウェブ化していない日中友好協会の大会方針には暴
力主義はありません。それどころか分裂前の路線を踏襲しているのは
(正統)ではなく日中友好協会側だと見えました。

(正統)は新路線であることを当時誇示さえしている。この”新路線”
が中国の当時の混乱の直輸入としての世界革命路線の政治方針なので
はないでしょうか。そして32氏声明の核心は毛沢東氏の発した文革
や紅衛兵運動を認め、その”10年の災害”を日本に乱暴に持ち込む事
を是とした方針だったということ。そして(正統)は2000年に発行し
た「50年史」において自らの過去のこの歴史を隠ぺいするばかりで
文革に付いていった事の評価はまだなされていないということです。

こうして、寮生ら日中青年学生(これはML派含む)と(正統)とが
結託して66年秋ごろから日中友好協会本部事務所襲撃という暴力路
線を準備し、共催したのではないでしょうか。

あのイカサマな32氏声明に基づく準備のいい「分裂」劇の直後に
同じく準備のいい中日友好協会側の(正統)への一方的なお墨付き
の電報が届く経過と、2月末から3月2日を頂点とする暴力事件の
経過でも、用意よろしい中国党政府はただちに北京放送や人民日報
等が直後から応援しはじめ、中日友好協会は昨秋と同じくただちに
慰問する電報を発してこの暴力行為を一方的に判断し寮生や日本人
反共オールスターズを褒め称える経過。このパターンをどうお考え
になりますか。当方は裏で一貫して糸を引いていたのがこの中国共
産党の対日干渉チームであったと思います。客観的にはこの中国党
が寮生らを、負傷者やもしかしたら死者まででたかも知れない大事
件にそそのかし、手を回し、制止する努力を意図してサボったので
はないでしょうか。中国党のこの時の動きを、猛獣文士さんは正し
い行為、なすべき事を果たした行為だと思いますか。

それから、「日中青学共闘」や光岡氏の論に顕著なんですが、最初
紅衛兵を賛美していないかのような記述が、竜頭蛇尾と申しますか
”闘いの中で”紅衛兵になったとされます。紅衛兵になるべきファ
クターを本人が持っていてなったのではないのか。そしてなりたか
った紅衛兵ではないのか。それを本部襲撃事件を逆さまに描き出し、
何か日本共産党に暴力をふるわれたせいというような相手にもたれ
掛かった理由とも言えぬ理由で自分が暴力主義者になった自らの思
想的な立場や暴力主義を相手のせいにしている宣言に感じます。
これは一面で本場の紅衛兵のような勇ましさに欠けます。もう一面
でどこか暴力主義的闘争をしているんだけれども、それに後ろめた
く感じていて、その言い訳をしているように読めます。紅衛兵がい
いのなら、もっと単純にスカっと紅衛兵になりきればいいのに。

[171] 資料をまじめに公平に集めて 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/09(Sat) 14:51
猛獣文士さんに日本中国友好協会発行のパンフレットのウェブ化を
督励する立場からそのパンフレットの目次を公開します。このよう
な資料に目を通さずに、何か資料の入手の困難をいいたてるのはお
かしいと思うからです。日本中国友好協会の事務所に行って「売っ
て下さい」と一言いえば直ちに入手できうる状態にあるにもかかわ
らず、いつまで経ってもそれを大儀がるのは何故でしょうか。

『「文化大革命」および干渉問題と日中友好運動Questions and Answers』
はじめに
Q1
日本中国友好協会は何をめざして結成されたのでしょうか。
Q2
「文革」が起きる前はどういう日中友好運動をすすめてきたのですか。
Q3
中国の「文革」とは何だったのでしょうか。この「文革」は対外的には
諸外国にどんな影響があったのでしょうか。
Q4
「文革」のとき協会が分裂して二つの協会が出来ましたがその経緯はど
ういうことでしょうか。二つの協会はどう違うのでしょうか。
Q5
協会本部襲撃事件(善隣学生会館事件)とはどういう事件なのですか。
「暴力をふるったのは会館に住んでいた華僑学生だ」という説と、「協
会側が華僑学生に暴力をふるった」という説がありますが、本当はどち
らでしょうか。暴力事件に対し、警察、マスコミ、あるいは司法関係者
はどういう態度をとったのでしょうか。
Q6
中国の大国主義的干渉ということが言われていますが、どういうことで
しょうか。協会を含めて日本の民主団体の内部に起った問題で、中国側
からの直接の干渉はなかったのではありませんか? 協会はどういう対
応をしたのでしょうか。
Q7
「文革」収拾後、中国は「文革」の事をどのように国民に説明し内外政
策をどのように改めたのでしょうか。干渉事件から30年経ちましたが
問題は解決したのでしょうか。また解決の展望はあるのでしょうか。
Q8
今年は「日中国交回復25周年」ですが、日中両国の関係はよくなった
のでしょうか。国交回復後、協会はどのような活動をしていますか。
Q9
現在、日本と中国の間では多様な交流が盛んに行われています。それな
のに協会はなぜ積極的に中国との交流にとりくまないのですか。中国国
民との有意義な交流を、協会の一環として進めるべきではありませんか。
Q10
協会は日中友好運動の展望と、これからの活動の重点についてどう考え
ているのでしょうか。
資料
(1)日本中国友好協会代表団と中国日本友好協会代表団との共同声明
(2)団結と統一の決議 -全国理事会声明
(3)真の友好を破壊する暴挙は断じて許せぬ

1997年4月1日発行 定価300円 日本中国友好協会
東京都千代田区西神田 2-4-1 東方学会ビル
Tel 03(3234)4700 Fax 03(3234)4703
振替 00110-1-21176
発行 株式会社 日本機関紙印刷所

[172] 資料をまじめに公平に集めて2 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/09(Sat) 14:52
猛獣文士さんに日本中国友好協会発行の書籍のウェブ化を
督励する立場からその書籍の目次を公開します。このよう
な資料に目を通さずに、何か資料の入手の困難をいいたてるのはお
かしいと思うからです。日本中国友好協会の事務所に行って「売っ
て下さい」と一言いえば直ちに入手できうる状態にあるにもかかわ
らず、いつまで経ってもそれを大儀がるのは何故でしょうか。

『日中友好運動の半世紀 そのあゆみと写真』
はじめに
日本中国友好協会会長 伊藤敬一
第一章 日本中国友好協会の結成
1協会結成の準備
2結成と宣言
3友好運動の原則
第二章 日中国交回復、平和と交流を求めて
1朝鮮戦争が日中両国民にもたらしたもの
2中国敵視・中国封じ込め政策の下で
3日中民間貿易促進運動
4在華邦人の帰国促進運動
5中国人強制連行殉難者の慰霊と遺骨送還運動
6長崎国旗事件
7日米安保条約改定反対闘争と日中両国民の連帯
8日中国交回復要求三千万署名運動
第三章 中国の「文化大革命」と日中友好運動の試練
1「文化大革命」と大国主義干渉
2日中友好運動への干渉と「分裂組織」の結成
3日本の民主・革新運動の自主性守った誇るべき闘い
第四章 日中国交回復と日中友好運動
1日中国交回復を実現させた力とさまたげた者
2日中行動声明と日中平和友好条約
第五章 日本国民とともに進める友好運動
1日中不再戦の運動
2太極拳の普及活動
3中国語講座
4きりえ
5中国映画
6出版
7さまざまな文化活動
8在日中国人の増加
9阪神大震災救援活動
第六章 日中友好を阻む日米新ガイドライン
1憲法に背き、日本を「戦争をする国に」
2自衛隊・民間あげて米軍を支援
3「周辺」、「事態」は無限定
4「周辺地域」は「台湾」ふくむ
5たたかいと展望
第七章 二十一世紀に向けての日中友好運動の課題と展望
1新しい情勢の変化
2日中友好協会と中国側との関係正常化について
3日中友好運動の課題
4二十一世紀に向けての日中友好運動の展望
日本中国友好協会の歴代の会長と就任挨拶
 内山完造(理事長)
 松本治一郎
 笠原千鶴
 柳田謙十郎
 重沢俊郎
 和田一夫
 副島種典
 山口正之
日中友好協会本部事務所の変遷
日中友好運動50年略史
資料
1日本中国友好協会結成宣言
2団結と統一の決議 -全国理事会声明
(参考)日本と中国友好協会と中国日本友好協会代表団との共同声明
3日本政府と中華人民共和国政府の共同声明
4日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約
5日中友好代表団の中国訪問について
日本中国友好協会全国大会開催地一覧
あとがき

2000年10月1日発行 定価3900円(税別) 日本中国友好協会
東京都千代田区西神田 2-4-1 東方学会ビル
Tel 03(3234)4700 Fax 03(3234)4703
振替 00110-1-21176
発行 株式会社 けやき出版 ISBN4-87751-120-2 C0021

[166] 「盲従」という語 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/07(Thu) 14:50
猛獣文士さん、こんにちわ

今回借りてきた本は『「文化大革命」簡史』1998年中央公論社刊
(中国共産党党史出版社刊1996年 席宣・金春明著)というもので
この席・金両氏はバリバリの中国共産党の人で、このあたりの資料
はまあ文革に関する決定版だと見てよいと思います。

このP52に「個人崇拝を推進した三つの力」という項目があり
1つには大衆が小農で、自ら欲したという事
3つには党内のごく一部の野心家がいた事があげられ
2つ目に上げられているのが、「盲従」のすすめがあったということ
だそうです。これは新発見です。以下見てみましょう。

|2つ目には、指導における個人崇拝の黙認、称賛、さらには提唱に
|よって必然的に極めて大きな影響力が生まれたことである。195
|8年3月、成都会議において毛沢東は二種類の個人崇拝があると述
|べた。一種は正しい個人崇拝であり、マルクス、エンゲルス、レー
|ニン、スターリンという正しい人物を崇拝することである、という
|ことである、なぜなら真理は彼らの手にあるからである。もう一種
|は正しくない個人崇拝であり、分析を加えない、盲従的な崇拝であ
|る、というものである。毛沢東のこの発言は正しいようで実は正し
|くない。急所の部分で、真理の崇拝と個人崇拝という二つの根本か
|ら異なることを混同させているのである。しかしこの発言は、中国
|共産党内に既に芽生え、成長していた個人崇拝に認可を与える効果
|を持つことになった。その成都会議で、当時上海市党委員会第一書
|記の*慶施(*木へんに可)はすぐさま風を読んで、「毛主席を信
|じるならば盲信になるまで信じ、毛主席に服従するならば盲従にな
|るまで服従する」ことを提唱した。こういったマルクス主義の原理
|に絶対的に違反する発言が。しかるべき論駁もおこなわれないどこ
|ろか、歓迎すらされたのである。この会議に参加した幾人かの指導
|者などは、それを会議内容として一部の党員に伝達した。二ヶ月後
|の同年五月に開かれた八期五中全会、この盲従を提唱した指導者は
|中央政治局委員に補選されることになった。

こ、これは知らなかったナァ(゜〇゜;)。
単なる悪罵のたぐいで、頭に「反党」とつく決まりがあるとばかり
思っていたけど。【少なくとも中国共産党内では、盲従という語は
こうして特殊な術語として機能していた】ようです。

この本は必見です。

[153] 暴力主義を清算しない人へ 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/05(Tue) 11:32
あんまり滑稽なので、今一度突っ込み入れます(^o^)/

|暴力の定義自体も問題ですが、ここでは、人間、
|人間の集団、または人間や人間の集団が作り出した機関、機構、組織な
|どが、他の人間や人間の集団などに対し、物理的に損害を与えたり、物
|理的な損害を威嚇手段として、自己の意志に基づかない行為を強制した
|り、自己の意志を抑圧すること、あるいは一定の規範から外れた意志に
|基づく行為を抑圧することであるとします。このような暴力と言う現象
|は、一般的には好ましくないことですが、また、あらゆる意味の人間社
|会において普遍的に存在しているものです。したがって、暴力と言う現
|象を、他の社会的な実体と切り離して、これが良いか悪いかを論じるこ
|とは、政治的には意味はありません。どのようなときに、どのような機
|関などが、どのような部分を対象にして、暴力を使用するかというのは、
|すべて政治的な判断であり、その判断が結果的に正しかったかどうかを、
|のちに検証する必要があるのでしょう。善隣学生会館において、日本共
|産党が使用した暴力は、民主的でも進歩的でも合法的でもない暴力です。

まず、毛沢東主義の評価です。
66年2、3月の訪中時に日本党と中国党とがコミュニケを作成後破棄
しました。この経過は事実ですよね。この中で、「反ソ」「反修正主義」
を入れるか名指し批判だけは避けた表現にするか、という対立でした。
【第一の観点】ベトナム党はもろ手を上げて日本党の提唱を賛成しまし
た。同じく朝鮮党も賛成しました。彼等は日本党に”盲従”する必要が
ありません。こうして、意見の対立というのは、中国の特殊な立場の
あつかましい押し付けとして開始された事が見て取れると思います。た
とえば両党の意見の違いは脇に置くということならば、そのコミュニケ
は成立したわけです。違いを脇に置くことをしない、ということは、一方
の意見を【押し付け】するということですよね。こうして毛沢東主義の
特徴の一つとして、自国の方針を外国の党や政治に【押し付ける】という
特徴がありました。

同じく毛沢東主義の評価です。
もうすでに中国国内では「文革」に関しては歴史的決議が下りました。
それは「10年におよぶ災害」という事です。国内を無政府状態にして
しまいました。その手法の中で、党の民主集中制を壊し、社会主義の
担い手たちを【無意味なデマで一方的に罪に陥れ】【残酷な暴行によ
って負傷させ、殺害しました】このなかには当時の国家主席たる劉少
奇氏も含まれます。彼らは名誉回復しました。回復した、ということは
【いつわりの罪状】だったということです。ここから毛沢東主義の特質
として【ウソもオッケー】ということが言えると思います。文革後、
必死で国内政治や経済を建て直して頑張っている中国の方々が口々に
指摘するのは「人治から法治へ」ということでした。つまり【その場そ
の場で伸びたり縮んだりする融通無碍なあいまいさ】を含まずにきちん
と自己も他人も律する法でなければならないということでしょうね。
そしてこの伸びたり縮んだりする融通無碍さというのは、暴力に対する
評価としてもあらわれます。つまり「暴力の定義自体も問題ですが、こ
こでは、人間、人間の集団、または人間や人間の集団が作り出した機関、
機構、組織などが、他の人間や人間の集団などに対し、物理的に損害を
与えたり、物理的な損害を威嚇手段として、自己の意志に基づかない行
為を強制したり、自己の意志を抑圧すること、あるいは一定の規範から
外れた意志に基づく行為を抑圧することであるとします。このような暴
力と言う現象は、一般的には好ましくないことですが、また、あらゆる
意味の人間社会において普遍的に存在しているものです。したがって、
暴力と言う現象を、他の社会的な実体と切り離して、これが良いか悪い
かを論じることは、政治的には意味はありません。どのようなときに、
どのような機関などが、どのような部分を対象にして、暴力を使用する
かというのは、すべて政治的な判断であり、その判断が結果的に正しか
ったかどうかを、のちに検証する必要があるのでしょう。」等とはけし
て【言ってはならない】ということです。

さて、こうして前年の決裂から始りました対日干渉作戦です。その中で
最大の山場、公然とした日本共産党攻撃のための口実、錦の御旗が欲し
い中国党側は、67年2月ごろ各種労働組合を攻撃しました。最初は無
法な解雇通告などで、その後あからさまな暴力も振るいました。しかし
これは中国人経営者が単に不法だとか、一般の労働争議と変らない、何
としても反中国という大書できるスローガンが必要です。ここで利用す
るのに恰好な条件がありました。善隣学生会館内に64年から各種のい
きさつで招聘されてきていた日中友好協会の本部事務所です。前年に既
に「分裂」させていますから、(正統)はあると体裁がつきます。残さ
れた者は「日共の修正主義者の手下」だという事にすればよい(陰謀)
こうして、善隣学生会館内では、別にどうという波風もたってない中で
波風を主動的に立てるキャンペーンが66年秋から開始されていました。
このキャンペーンは、不当な干渉であり、世間知らずな寮生の行きすぎ
ではありましたが67年になるまでは、それは暴力的な活動には未だ至
らず、”困ったちゃん”でありました。中国の対日干渉チームはこの
世間知らずの寮生らを温存していましたが、2月に入り、敢えて犠牲の
羊として世間に「日共が悪」とキャンペーンするために暴力行為を開始
させました。くすぶっていた反目に「ゴーサイン」をほのめかすのは
簡単でした。

[154] Re: 暴力主義を清算しない人へ 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/05(Tue) 11:33
|暴力の定義自体も問題ですが、ここでは、人間、
|人間の集団、または人間や人間の集団が作り出した機関、機構、組織な
|どが、他の人間や人間の集団などに対し、物理的に損害を与えたり、物
|理的な損害を威嚇手段として、自己の意志に基づかない行為を強制した
|り、自己の意志を抑圧すること、あるいは一定の規範から外れた意志に
|基づく行為を抑圧することであるとします。このような暴力と言う現象
|は、一般的には好ましくないことですが、また、あらゆる意味の人間社
|会において普遍的に存在しているものです。したがって、暴力と言う現
|象を、他の社会的な実体と切り離して、これが良いか悪いかを論じるこ
|とは、政治的には意味はありません。どのようなときに、どのような機
|関などが、どのような部分を対象にして、暴力を使用するかというのは、
|すべて政治的な判断であり、その判断が結果的に正しかったかどうかを、
|のちに検証する必要があるのでしょう。

引き続き、この盲従文士さんの告白(主語がないけどね)を元に事件の
あらましを調べてみましょう。

こうして事件は引き起こされました。丁度、日中友好協会は組織始って
以来という分裂の困難に直面して、それを団結で克服するべく大会を開催
して、その大会も成功し、決定された諸文書や人事を日中友好新聞に公表
しようという矢先でした。これが公表されると困ります。誰が困ると言っ
って対日干渉チームが困ります。また(正統)が困ります。(正統)は
実際は中央の日中友好協会の中では多数派であったのですが、地方の組織
を把握して、その組織を固めて活動するのにギクシャクしています。何故
と言って彼等は50年以来の伝統的な方針からはずれて「新たな情勢にみあ
った新たな方針だ、これに従え、再登録せよ」と迫ったからです。この
新たな情勢というのが1)ありもしない「日共の路線転換」2)中国の文
革の路線と紅衛兵運動の”正しさ”でありまして、およそ情報も不足して
いるし、急な話だし、後に判る事ですがこれこそ中国全土を塗炭の苦しみ
に追いやった”十年の災害”そのものでありまして、日本の会員各位に
これを飲ませる事はそうそうできなかったわけでした。(後に会員組織と
して(正統)側が多数になっていきますが、これは貿易の窓口を彼等干渉
チームの息のかかった側だけに限定し、”踏み絵”として日中友好協会の
脱退や毛沢東主義を認めるかどうかを押し付けられ、背に腹換えられない
業者の会員が余儀なくされた経過でありました)。
さて、この67年2月の16大会の方針の主眼は何でしょうか。ここには
従来通り「25氏声明」に基づく日中国交回復3千万署名運動」を中心に
ごくごくあたりまえの従来通りの運動方針が述べられています。こうした
形でしか、会員の相互の納得を得ながら、平和裡に活動する方針というの
はありえません。こうして、広く中国との友好をと訴える日本の市民運動
らしい方針を日中友好協会は堅持し、団結を確認できました。
一方中国党の側の文革の方針は、中国で共産党一党独裁の政治支配の下で
党内闘争を党の外部の民衆を巻き込んで乱暴にやられたわけですが、どう
考えても共産党政権ではない日本でこれを持ち込む事はできません。日本
に於てはそれは中国国内での威勢のいい「暴力革命唯一論」に帰着します。
中国国内では、ちなみにこれは”人民解放軍に従おう”とか”昔の解放闘
争の時期のように働こう”のような(空文句ですが)スローガンなのです。
しかし共産党が政権をとってない国に持ち込まれますと、大変です。条件
を考えずに持ち込まれた最悪の方針と言えます。これは、例えて言います
と、日本と韓国中国などの同文同種の文化の下ではえてして起る深刻な意
味のとりちがえに似ています。

こうして「人間、人間の集団、または人間や人間の集団が作り出した機
関、機構、組織などが、他の人間や人間の集団などに対し、物理的に損
害を与えたり、物理的な損害を威嚇手段として、自己の意志に基づかな
い行為を強制したり、自己の意志を抑圧すること、あるいは一定の規範
から外れた意志に基づく行為を抑圧すること」を押し付けてでも、この
日中友好協会やら日本共産党と激突して、それを「悪者」としなければ
立つ瀬がなくなったのが(正統)であり、中国党の対日干渉チームでし
た。

[155] Re^2: 暴力の定義の基本です 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/12/06(Wed) 09:46
大阪の人さん、

たくさん書き込んでくれて、ありがとうございます。暴力と言う言葉を、恣意的に使用している
と、議論がかみ合いません。したがって、およそ社会科学を学んだものであれば、だれでも否定
できない程度の暴力の定義を提案したに過ぎません。それをもって、だれそれが暴力主義である
されてしまっては、話が続きません。以前にも、マルクス主義またはマルクスレーニン主義に
おける暴力革命論について、私の乏しい認識を語ったところ、「空論だ」ということでした。

議論を続けるためには、大阪の人さんが考えている暴力という概念の内容を私が知る必要があり
ます。大阪の人さんは暴力と言う用語をどのような意味で使用しているのでしょうか?

[162] 「定義」なんて誰もきいていません。 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/06(Wed) 17:11
数々のすり替え
当方は、元もと、次のように申しました。

||私は、最初に専門的な武装部隊を投入して暴力を行使したのは、
||日本共産党側だと思います。
|
|再度、この”日本共産党が暴力論”を検討してみましょう。
|歴史的経過から見ても、北京放送等の数々の残されている発言から
|見ても、中国共産党は、日本共産党に、むしろ暴力路線を押し付け
|していました。選挙の報道で日本共産党を”議会きちがい”とまで
|なじっている。議会闘争では革命は招来できない。武力闘争によって
|革命をしなければならない、とする中国共産党の路線、それは林彪氏
|の「人民戦争の勝利万歳」でもあきらかです。66年67年当時、毛林
|などと並び称せられて居まして、林彪氏の路線は毛沢東氏の路線でも
|あり中国共産党の路線でありました。
|
|この点から言って、「革命的暴力何が悪い」という路線がまさに
|寮生や(正統)や(左派)やML派にありました。自らの暴力闘争
|路線に従えば、”相手側の暴力”を暴力だとなじるのは逆ねじです。
|相手側の暴力を指摘するには、寮生らが、暴力闘争に無関係であった
|ということを証明せねばならないばかりでなく、暴力の主軸であった
|部隊を匿ったり、武器を隠匿していたり、暴力主義的団体と共に集会
|を開いたり、武器作成に手間や資金を拠出してない事が必要です。
|まさしく(正統)や(左派)やML派は暴力集団でした。彼等と
|行動を共にした寮生らは暴力集団と指摘されて当然ですね。
|
|前から猛獣文士さんに疑問に思っていたのは、文革の暴力に対して
|猛獣文士さん御自身はどういう態度を取っていたのか、ということ
|です。それは第一に、あなたがどう振る舞ったのかということ。
|それから「暴力であっても革命的暴力なら構わない」という立場
|なのか、そうではないのか、ということ。この2点をまず明らかに
|してからでないと、あなたがこれを”日共の暴力”と指摘するのに
|その土台を失っていると言わなければなりません。
|
|正当防衛論を始めとして日本共産党の路線の中では、これらの2点
|の問題は非常にクリーンになっています。第一の点ですが、文革の
|暴力は国民に災害をもたらすだけで日本の進歩と革新の運動にとり
|害悪でしかない、という事。第二の点も、「革命の為に暴力を振るう」
|などということはないのであって、暴力は暴力であり、それは野蛮な
|事であって、ブルジョア法の暴力反対の精神は社会主義に至る今後の
|日本の法律体系として尊重し、人間による人間に対する暴力そのもの
|を除去するために活動するということ、目的の為に手段を選ばずと
|いう手法をとらない事。これです。

これに対し、猛獣文士さんは答えたつもりなのでしょうか。まだです。
そして

|私には大阪の人さんの質問(?)はばかげているようにしか思えませんの
|で、実際、回答する気にもならないのですが、一応、粗末な私のホーム
|ページにたびたび足をはこんでくださるお客様なので、ない頭を絞って
|回答したいと思います。暴力の定義自体も問題ですが、ここでは、人間、
|人間の集団、または人間や人間の集団が作り出した機関、機構、組織な
|どが、他の人間や人間の集団などに対し、物理的に損害を与えたり、物
|理的な損害を威嚇手段として、自己の意志に基づかない行為を強制した
|り、自己の意志を抑圧すること、あるいは一定の規範から外れた意志に
|基づく行為を抑圧することであるとします。このような暴力と言う現象
|は、一般的には好ましくないことですが、また、あらゆる意味の人間社
|会において普遍的に存在しているものです。したがって、暴力と言う現
|象を、他の社会的な実体と切り離して、これが良いか悪いかを論じるこ
|とは、政治的には意味はありません。どのようなときに、どのような機
|関などが、どのような部分を対象にして、暴力を使用するかというのは、
|すべて政治的な判断であり、その判断が結果的に正しかったかどうかを、
|のちに検証する必要があるのでしょう。善隣学生会館において、日本共
|産党が使用した暴力は、民主的でも進歩的でも合法的でもない暴力です。

とだけ述べられました。ここには猛獣文士さんの自己に振り返った反省
やら暴力主義に関する自らの立場の表明がありません。これを【不誠実】
な返答の典型だと当方は言わせて貰います。あなたは具体的に何をした
のか? 何もしなかったのか。そしてそれらの暴力を正しいことだとでも
いうのか。いわないのか。知人の負傷という事一点をとって、何か暴力
事件だと一方的に述べ立てるだけなのか、事件の背景をまともに検討する
努力を払う意志をまだ持っているのか。(つづく)

[163] 続「定義」なんて誰もきいていません。 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/06(Wed) 17:12
こうして、「暴力主義に関してあなたはどのような立場を取るのか」
という当方の問いに、猛獣文士さんは、言外に暴力主義を認めて
「それは政治的な判断」「一般には好ましくない事ですが、(略)
普遍的に存在」と述べて、自然現象であるかの如くに無批判、かつ
傍観者的に扱っています。そして、自らの暴力主義を清算しないまま
で次にこのようにのべます。

|暴力と言う言葉を、恣意的に使用していると、議論がかみ合いません。
|したがって、およそ社会科学を学んだものであれば、だれでも否定で
|きない程度の暴力の定義を提案したに過ぎません。それをもって、だれ
|それが暴力主義であるされてしまっては、話が続きません。以前にも、
|マルクス主義またはマルクスレーニン主義における暴力革命論について、
|私の乏しい認識を語ったところ、「空論だ」ということでした。
|議論を続けるためには、大阪の人さんが考えている暴力という
|概念の内容を私が知る必要があります。大阪の人さんは暴力と
|言う用語をどのような意味で使用しているのでしょうか?

暴力という言葉を恣意的には今のところ誰も使っていません。
あなたの暴力主義を問い質しているのです。まだ未清算なまま
で居られるのが透けて見えていますから。それを暴力の定義の
件にすりかえる! たいした議論です。やはり空論ですが。

そもそも、御自身の知人に寮生がいて、その方が負傷された
ということが猛獣文士さんの出発点でしょうが。それはその人
にしたら大変な事だし、気の毒な事だと当方は思います。
ただ、その人が負傷させた相手もいるであろうと言うことが
当方には残された資料から歴然とわかりますので、これを
「一方的な暴力」だとか「民主的でも進歩的でも合法的でもない
暴力」だとかいう議論には賛成できません。

「どちらが主動的に暴力を用意し、実行したか」という論で
当方は寮生と反共オールスターズの混成軍だと見ています。
それは前年秋からの一連の経過を主導したのが中国党の指導下
の対日干渉チームの仕業であると今の時点で見て取れるからです。
また、67年1月末以降、後楽事件直前まで頻発した労働争議
に対する暴力介入事件の経過とそっくりの軌跡をたどるからです。
また、直前に決めた日中友好協会の大会方針や、日本共産党の
中央決定の中で暴力主義を主導するという項目がないことです。
直前ばかりでなく、直近の後の大会方針にもありません。逆に
(正統)や、今回猛獣文士さんの掲載された日中青年学生共闘
結成宣言なる文書では(たとえば)「この斗いは,中国における
プロレタリア文化大革命とそれを発動させている毛沢東思想の,
日本における実践的継承の出発点である。」「日共による善隣学
館襲撃は,単なる暴カ団的テロ行為ではなく,国際共産主義運動
の総路線における彼らの裏切りと,修正主義,反革命陣営への参
加を決定づけるものである」「マルクス,レーニン主義,毛沢東
思想による日本青年学生実践部隊の最 初の共同行動,統―戦線
を生み出した」「毛沢東思想を「活学活用」し広汎な日本人民に
服務することを学んだ」と掲げています。日本に毛沢東主義を
持ち込む事をあからさまに宣言していますね。これっておかしい
じゃありませんか。前の光岡氏の文書もそうでしたが、一方的
な被害者寮生華僑だなりとしながら、この事件を期に、今度は
日本に於て毛沢東主義を実践するのが許されるという方向に
奇妙にねじ曲がって方針が合理化されてゆく。こういう方向に
大衆運動を是非とも急進的に変更したかった側が、密かに主導し
それを最大限に利用し、以後まっしぐらに暴力主義的闘争にすす
む事に経過として現象します。この全経過から当方の立論は
なっています。

「暴力とは?」、などという空論ではありません。
話をすり替えずに、当方の論を具体的に反ばくして下さい。

[164] Re: 続「定義」なんて誰もきいていません。 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/12/06(Wed) 17:51
大阪の人さんは議論の筋を、都合のよいようにどんどん変えていく。
暴力という用語の定義について、聞いているのは私です。

日本共産党の議論と言うのは、いつもこのようなものですか?

[159] 「政治外交」の結果を直視しましょう 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/06(Wed) 15:38
|中国が、安保条約をことさら反対しなくなったのもしかたないんじゃない
|でしょうか。何十年待っても、日本人には、この体制を変える気持ちはな
|いように見えたのでしょう。日本共産党の掛け声だけを聞いて、政治外交
|をやっていたら、本当に国を滅ぼすことになる。

時々、正直におもしろいことを猛獣文士さんは述べられる。
何十年待っても、日本人には、この体制を(中国の望むように)変える
気持ちがない(ようだと見て取って)それなら(中国の望むように)変え
るために(社会主義の原理や国家間のあるべき原則は脇において)どんな
反共の人士とでも手を組む、どんな軍事費値上げや民主主義圧殺がその相手
の国民にふりかかろうとお構いなし、自国の利益に適うかどうか、どのネコ
がネズミを良く取るか、という立場から政策を組んでいたのが当時の中国
党と政府のありかただと猛獣文士さんはおっしゃるのですね。

これは、残念な事ですがまさにこのとおりに事態が進展しました。

|日本共産党の掛け声だけを聞いて、政治外交
|をやっていたら、本当に国を滅ぼすことになる。

日本共産党のいいなりになる必要はないでしょう。しかし党間関係の自ら
律する原則を自ら踏み破ったりしてはいけないと中国党は当時の行為を
振り返り、真剣な総括と是正の措置をとったと言われています。猛獣文士
さんもなにがしかの是正の措置や真剣な総括をしたほうがいいのかもね。

それと”政治外交”をしていたのは、新中国政府建国以来最悪の文革期の
中国外交でした。そのせいで、外交官は一部を残してほぼ全滅に召喚され
てしまい、外国との国交と言えばポルポト政権か、ルーマニアやアルバ
ニアぐらいに追い込まれたのが中国でした。その後、中国は掌をかえす
ように米国を平和の使者のように扱うようになります。北爆のさ中にそれ
をするのも中国の自国利益優先の政策の賜物ですね。起点において文革
で掲げられたベトナム擁護、反帝国主義などのお題目は、それがお題目
だけでありまして、自国の、もっと言えば党内の【自分の】地位や権力
のための権謀術策、権力争いであったとされています。

[158] 「選民思想」という語の意味 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/06(Wed) 15:36
|共産党だけが、民主主義をあがなうために血を流したという選民思想でしょうか。

「選民思想」、民族主義的オカルトに支えられた特殊な排外思想を
さす言葉ですね。こういう言葉をその根拠もなく吐くのはいかがな
ものか。それと、別の項で指摘しておきましたが、これって日本の
反共の人士の中でポピュラーな丸山真男氏の論の蒸し返しです。
あなたが丸山氏の論を読んでなくても、あまりに有名ですからその
エピゴーネンに影響されています。一度本家の丸山真男氏の本から
お読みになって見るのもいいかも知れませんが。

[157] 改憲勢力との握手か? 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/06(Wed) 15:36
|> 民主主義を建前として日本国憲法に書き込ませたのは米国の
|> 「おしつけ」なりと、その改定を「自主憲法制定」などと
|> 推し進めるのは日本の当事者としては、中国蔑視の右翼反動
|> の人士たちでありまして、憲法の建前を「暮らしに活かす」
|> 「職場に活かす」ために不撓不屈に戦う人士を嘲笑するばかり
|> の傍観者には何も論評する資格がありません(きっぱり)。
|
|日本国憲法の原文は、アメリカ人が起草したということは明らかです。
|このことをもって、押し付けであると
|解釈するのは、また一つの判断でしょう。

これは何? だから9条をなくして改憲するのがいいって?
日本がガイドラインに基づいて海外派兵するのがいいって?

[156] 朝鮮戦争やベトナム戦争の事 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/06(Wed) 15:34
イチャモンの類いかとは思いますが、以下の項にも
コメントさせて貰いましょう。

|日本の経済的な繁栄は、日本の企業や政府がアメリカの朝鮮戦争や
|ベトナム戦争に協力して、利益をあげたことの結果
|得られたという側面も忘れないで下さい。

日中戦争は直接日本帝国主義が行った侵略です。台湾の植民地化と
占領後の日本化と収奪も侵略行為です。それは中国一国に留まらず
アジアの各国にわたっての侵略でした。この過程で朝鮮半島にも
ベトナムにも被害を与えました。日本帝国主義は国内での劣悪な労働
条件を利用することと共に、これら植民地の略奪から本源的蓄積を行い
ました。「野麦峠」のような労働者が日本にも沢山いたのですよ。

何が「忘れないでください」でしょうか。これらは皆忘れることは
できませんし、政府として謝罪したり未解決の国家間交渉は解決せねば
なりません。しかし「忘れないで下さい」と言われる盲従文士さんの
発言はそのような真面目な議論ではありません。すっかり日本化して
しまった盲従文士さんは、この場合、たとえば丸山真男氏の言を借りる
日本の潮流の「日本共産党は口では確かに帝国主義戦争に反対と言ったが
結局戦争や侵略を阻止しえなかった、故に日本共産党も侵略の片棒を担ぐ
侵略者だ」などという”お話”をしているわけです。この丸山氏の意見で
は「日本共産党の中にも天皇制の影響、小天皇がいる」というような
”お話”が付け加わります。要するに「一億総ザンゲ」の左側からの
蒸し返し、学問的体裁をとった国内での民主主義と反戦、抵抗勢力の
たたかいに対する、傍観者の歴史観であると共産党は述べています。
猛獣文士さんの立場もまさにこの傍観者史観の告白であります。

1945年に終結した上記日本帝国主義のアジア侵略以外に、たしかに
朝鮮戦争は特需と言われる景気浮揚をもたらしました。しかしこれは
ドッジラインと言われるアメリカ衛星国家づくりの政策と、高いドル
に支えられた不均衡貿易に日本経済が利を得ただけです。とりわけ
戦前からのファンダメンタルが(就学率の高さ等)底力となって効き
ました。日本人が学校教育を重視していて、比較的勤勉だったからです。
そして日本が朝鮮戦争に加担するのに抵抗する日本人民の戦いは戦中に
まして激しく行われました。「50年問題」などのソ連・中国からの干渉
という重大な困難の下ではありましたが、朝鮮半島の平和のために
活動した人士の英雄的な活動は日本全国に大きく歴史に残っています。
盲従文士さんがこれを認知しようとしまいと、歴史の証人は沢山います。
この点でも「忘れないで下さい」というのは、一面的に日本人民が戦争
に対してうまうまと成り金になったとばかり見る歪んだ史観であると
言わせて貰います。

ベトナム戦時についてはどうでしょうか。口先ではベトナム擁護を唱え
ながら、国際反帝戦線の提唱に対して「反ソが入ってないのは軟弱」等と
特殊な立場から論難を加え、自国利益優先から統一戦線を拒否したばかり
でなく、日本に於てベトナム擁護の活動をしていた日本共産党や当時の
日中友好協会に対してむき出しの攻撃を加えたのが中国共産党やその
対日干渉チームの影響下にあった盲従文士さん御自身でした。日中友好
協会の本部事務所に置いてあったベトナム産品の売り物の万年筆を彼等
盲従分子らは襲撃した際に足げに踏みにじったという記事も日中友好新
聞にありました。
1971年には、北爆の続くなか、キッシンジャーを秘密裏に北京に迎え入れ
1972年にはニクソンを平和の使者ででもあるかの如くに迎え入れました。
ニクソンが「あの反米スローガンは?」と聞くと毛沢東氏らは「あれは10
年も前の事、だれも本気ではありません」と笑ったたらしいですな。同じ
頃にブレジネフ氏も高級アメ車を贈呈されて御満悦だったとか。こうして
2大社会主義国間の亀裂と無原則をうまくアメリカに利用され、また自ら
すりよっていったのがほかならぬ毛沢東氏やト小兵氏らでした。
ベトナム党紙ニャンザンに党間関係を一定配慮しつつも憤怒を込めた論評
がでていまして、日本共産党の論文にそれが転載されています。これらの
事を「忘れないで下さい」。

また、「ベトナムを忘れないで下さい」ならば、どうしてベトナムに”懲罰”
などといって侵略する中国なのでしょうか。ポルポト政権は、飢餓輸出して
文革で荒れ果てた中国の食料不足を補ったそうです。衛星国家に飢餓輸出さ
せて国内政治の失敗を糊塗するのは社会植民地主義ではないのか。むしろ
そういう当時の中国共産党の対日干渉チームの影響下にあった猛獣文士
さんには「カンボジアのポルポト政権の事を忘れないでください」と言わ
せて貰います。日本帝国主義のサルまねじゃないか!さしずめ猛獣文士
さんは外国にあって「ニッポンバンザイ、ニッポン必勝」とステロタイプ
にいい続けるしかできなかった「勝ち組」日系人士と同列です。故国の事
ならなんでも美化しちゃうのがその特徴です。

結局猛獣文士さんのこれらの言は、何一つ真面目な論とは言えません。
とりわけ自国の解放闘争を困難に屈せずにたたかっている日本の国民の
たたかいを外部から干渉する立場を清算せずにそれを言うのは、噴飯もの
です。反共の人士の雑多な反共の立場からの片言隻句を集めて、それを
組み合わせて日本共産党攻撃をしようとしても、あなたのよって立つ土台
が残念ながらそれとするどく対立しているのです。

[152] 査問と暴力主義未反省 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/04(Mon) 16:27
|私は、善隣学生会館事件の事実関係を中心に、この事件の意味を考
|えたいのです。それについての私の立場や考え方は当ホームページ
|の「趣旨」や「自己紹介」の欄にすでに明らかにしています。まず
|そこの記事を読んでいただきたい。
|それ以外のことについて、大阪の人さんに査問されるいわれはありません。

猛獣文士さんの、どこまで本気かタワケているのか不明な論を全面的
に取り上げるのもいささか気苦労ではありますが、黙過しがたい点
がまだあるので取り上げます。

|私は、善隣学生会館事件の事実関係を中心に、この事件の意味を考
|えたいのです。

・東京地裁の訴訟の内容はどのように解明されているのでしょうか。
 ないとか、探せない、とか不可能性を言い立てるばかりで誠実に
 調べる気がないと思います。
・「日中友好新聞縮刷版」や「Q%Aパンフ」や「半世紀」などの
 日中友好協会側の生の資料はどうして参照しないのでしょうか。

|それ以外のことについて、大阪の人さんに査問されるいわれはありません。

「タイトル:自己の事は棚上げですか」でも述べましたが、自己の側
の実行行為に関して一切口を閉ざして、一方的に「暴力」だなどと
いうのは許せないばかりでなく、大人げなさに落胆してしまいます。

何が「査問」ですか。時間と空間を飛び越えて、とにかく日本共産党
を中傷できる材料なら何にでも飛びつくというのはその理論的な他愛
のなさ加減といい、毛沢東主義への無反省といい、中国人のツラ汚し
です。あなたのような立場にどんな事実を指摘されても固執している
人がいては、現代の中国共産党の中央の人も大変だろうと思います。
それから、猛獣文士さん御自身の今後の発言活動全般に渡って、この
「自身の暴力主義の清算をクリアできてない」事が尾を引く事になる
と指摘しておきます。

その上で、敢えて時間と空間を飛び越えた猛獣文士さんに返答させて
貰いますが、あらためて

理想の党運営 >日本共産党の現実の党運営 >文革、紅衛兵、旧ソ連

です。「査問」の著者川上氏や、「日本共産党の研究」の著者立花氏で
は日本共産党と文革やソ連や赤軍派がニアリイコールになったりイコール
になるだけで、あなたの願望のように日本共産党が暴力主義だとか
日本共産党が悪だとかいう論は、彼等の論点からすれば、少なくとも
猛獣文士さんが擁護しようとしてる文革期の対日干渉やら紅衛兵やらを
免罪するものではない、ということです。彼等も噴飯物で怒ると思い
ますね。あなたのような毛沢東主義の未清算な人に下手に引用されちゃあ。

[142] 2つの点をクリアにしてもらいたい 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/02(Sat) 17:16
|私としては、赤旗紙の2月21日に「正当防衛論」が発表され、ヘルメット
|や棍棒などを持ち込んで、華僑学生らを暴行し、その後の赤旗紙で、「あ
|れは正当防衛だった」と再三にわたって繰り返した。このような経過で全
|体を理解しています。これは状況証拠でしかりませんが、話の筋はよく見
|えると思います。その日(1967年3月2日)、暴行をうけ、重傷をおった華
|僑青年の中には、私にも面識のある人もいます。

|私は、最初に専門的な武装部隊を投入して暴力を行使したのは、日本共産
|党側だと思います。

再度、この”日本共産党が暴力論”を検討してみましょう。
歴史的経過から見ても、北京放送等の数々の残されている発言から
見ても、中国共産党は、日本共産党に、むしろ暴力路線を押し付け
していました。選挙の報道で日本共産党を”議会きちがい”とまで
なじっている。議会闘争では革命は招来できない。武力闘争によって
革命をしなければならない、とする中国共産党の路線、それは林彪氏
の「人民戦争の勝利万歳」でもあきらかです。66年67年当時、毛林
などと並び称せられて居まして、林彪氏の路線は毛沢東氏の路線でも
あり中国共産党の路線でありました。

この点から言って、「革命的暴力何が悪い」という路線がまさに
寮生や(正統)や(左派)やML派にありました。自らの暴力闘争
路線に従えば、”相手側の暴力”を暴力だとなじるのは逆ねじです。
相手側の暴力を指摘するには、寮生らが、暴力闘争に無関係であった
ということを証明せねばならないばかりでなく、暴力の主軸であった
部隊を匿ったり、武器を隠匿していたり、暴力主義的団体と共に集会
を開いたり、武器作成に手間や資金を拠出してない事が必要です。
まさしく(正統)や(左派)やML派は暴力集団でした。彼等と
行動を共にした寮生らは暴力集団と指摘されて当然ですね。

前から猛獣文士さんに疑問に思っていたのは、文革の暴力に対して
猛獣文士さん御自身はどういう態度を取っていたのか、ということ
です。それは第一に、あなたがどう振る舞ったのかということ。
それから「暴力であっても革命的暴力なら構わない」という立場
なのか、そうではないのか、ということ。この2点をまず明らかに
してからでないと、あなたがこれを”日共の暴力”と指摘するのに
その土台を失っていると言わなければなりません。

正当防衛論を始めとして日本共産党の路線の中では、これらの2点
の問題は非常にクリーンになっています。第一の点ですが、文革の
暴力は国民に災害をもたらすだけで日本の進歩と革新の運動にとり
害悪でしかない、という事。第二の点も、「革命の為に暴力を振るう」
などということはないのであって、暴力は暴力であり、それは野蛮な
事であって、ブルジョア法の暴力反対の精神は社会主義に至る今後の
日本の法律体系として尊重し、人間による人間に対する暴力そのもの
を除去するために活動するということ、目的の為に手段を選ばずと
いう手法をとらない事。これです。

猛獣文士さんはしきりに”日共の暴力”と言われます。文革の理論
から言えば、それは”良いこと”なのではないですか? (逆説)
相手が猛獣文士さんの知人だから悪い、というのは理論ではありま
せん。正当防衛論というのはブルジョア法に合致しています。むし
ろ寮生らこそが正当防衛論をもっと主張するべきでしたが、そもそ
もブルジョア法体系の下で、自己の安全を確保する気がないのであ
れば、その庇護の下にあることを前提とした一般の日本人民に対し
て、「安んじて勉学を保障」とアピールする35氏声明が偽善と
欺瞞でありまして、人民戦争万歳論に基づいて負けない武装をして
大学も学問も解体したりほうり投げて、コマンドとして身を投じ
日本を武力革命するんだということをもっと公然と主張すべきでし
た。(逆説)これは【逆説で述べているのですよ】(強調)。

再度おうかがいします。猛獣文士さんの中では上記2点はどのような
御認識なのか。また今現在の御認識の他に、67年当時の御認識、寮生
らの認識ぐあいなどもお聞きしたいものです。

[146] Re: 2つの点をクリアにしてもらいたい 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/12/03(Sun) 12:44
> 再度、この”日本共産党が暴力論”を検討してみましょう。
> 歴史的経過から見ても、北京放送等の数々の残されている発言から
> 見ても、中国共産党は、日本共産党に、むしろ暴力路線を押し付け
> していました。選挙の報道で日本共産党を”議会きちがい”とまで
> なじっている。議会闘争では革命は招来できない。武力闘争によって
> 革命をしなければならない、とする中国共産党の路線、それは林彪氏
> の「人民戦争の勝利万歳」でもあきらかです。66年67年当時、毛林
> などと並び称せられて居まして、林彪氏の路線は毛沢東氏の路線でも
> あり中国共産党の路線でありました。
>
> この点から言って、「革命的暴力何が悪い」という路線がまさに
> 寮生や(正統)や(左派)やML派にありました。自らの暴力闘争
> 路線に従えば、”相手側の暴力”を暴力だとなじるのは逆ねじです。
> 相手側の暴力を指摘するには、寮生らが、暴力闘争に無関係であった
> ということを証明せねばならないばかりでなく、暴力の主軸であった
> 部隊を匿ったり、武器を隠匿していたり、暴力主義的団体と共に集会
> を開いたり、武器作成に手間や資金を拠出してない事が必要です。

1.大阪の人さんは、本当に日本共産党に関係のある人なのですか?

2.日本共産党には70年余の歴史があると言うことですが、大阪の人さんは70年の間、一貫した一つの
 政党としての日本共産党を前提にして、色々な書き込みをしているのですか?それとも、宮本顕治氏
 やその追随者とも思える不破氏などの特定の指導者が支配するようになった以降の、特定の共産党だけ
 を共産党の歴史であり政策であると考えているのですか。

3.また、本来、共産党が世界的に誕生するもとになったマルクス、エンゲルス、レーニンなどの思想を、
 どの程度理解され、あるいは尊重されているのでしょうか。

とりあえず、この点をクリアにしていただけませんか?

> まさしく(正統)や(左派)やML派は暴力集団でした。彼等と
> 行動を共にした寮生らは暴力集団と指摘されて当然ですね。

私は、暴力集団というのは、日本共産党や民青の暴力組織であったと思っていたし、今でもそう思っています。

ML派や左派と行動をともにして、暴力集団と指摘されて当然とは思いません。

ここで、また質問したいのですが、大阪の人さんは川上徹氏の「査問」という著書をお読みになりましたか?
これもクリアにして欲しいです。

>
> 前から猛獣文士さんに疑問に思っていたのは、文革の暴力に対して
> 猛獣文士さん御自身はどういう態度を取っていたのか、ということ
> です。それは第一に、あなたがどう振る舞ったのかということ。
> それから「暴力であっても革命的暴力なら構わない」という立場
> なのか、そうではないのか、ということ。この2点をまず明らかに
> してからでないと、あなたがこれを”日共の暴力”と指摘するのに
> その土台を失っていると言わなければなりません。
>

私は、善隣学生会館事件の事実関係を中心に、この事件の意味を考えたいのです。それについての私の立場や考え方は
当ホームページの「趣旨」や「自己紹介」の欄にすでに明らかにしています。まずそこの記事を読んでいただきたい。

それ以外のことについて、大阪の人さんに査問されるいわれはありません。

> 正当防衛論を始めとして日本共産党の路線の中では、これらの2点
> の問題は非常にクリーンになっています。第一の点ですが、文革の
> 暴力は国民に災害をもたらすだけで日本の進歩と革新の運動にとり
> 害悪でしかない、という事。第二の点も、「革命の為に暴力を振るう」
> などということはないのであって、暴力は暴力であり、それは野蛮な
> 事であって、ブルジョア法の暴力反対の精神は社会主義に至る今後の
> 日本の法律体系として尊重し、人間による人間に対する暴力そのもの
> を除去するために活動するということ、目的の為に手段を選ばずと
> いう手法をとらない事。これです。
>

青柳氏の「正当防衛論」の論文は、単なる刑法の講義ではありません。それについては、寺尾氏が効果的に反論してい
ます。寺尾氏の考え方が、私の考え方にほぼ一致します。大阪の人さんは当ホームページを読んでくれているのでしょう
か?以下の記事を読み比べてみれば、大体誰でも理解できる話だと思っています。

2月19日の赤旗主張欄の論説
  ↓
http://www.246.ne.jp/~konan/zenrin/akahata1967Feb19.htm

青柳氏の論文
  ↓
http://www.246.ne.jp/~konan/zenrin/akahata1967Feb21.htm

寺尾氏の分析
  ↓
http://www.konansoft.com/zenrin/html/teraoch1sec3.htm#parag8

また、光岡氏の論文でも反論をしていますので、長くなりますが、引用します。これも読んでいただきたい。

| 3.暴力による襲撃是認の理論的根拠「正当防衛論」
|
|  また、日共指導部は下部党員たちに、自らはヘルメットと棍棒で武装しながら、素手の華僑学生を襲撃すると
| いう勇気と理論的根拠をいわゆる「正当防衛論」であたえた。『赤旗』2月19日社説「反党盲従分子の暴力に
| たいする断固たる反撃は、正当防衛権の当然の行使である」と、青柳盛雄(日共中央委法規対策部長)の「反党
| 盲従分子には正当防衛を」と|いう2論文がそれである。とくに青柳論文は、過剰正当防衛でも刑は軽いか免除
| されるなどとのべ※、日共党員たちが暴力行為にふみきるよう合法的にはげましている点が注目にあたいする。
|
|  「防衛ノ程度ヲ超エタル行為ハ情状ニ因リ其刑ヲ減軽又ハ免除スルコトヲ得
|
| これはいわゆる『過剰防衛』の問題である。すなわち、相手が参ってしまっているのに追い討ちをかけたり、
| こらしめの目的で防衛の必要以上の打撃を加えたりする場合である過剰防衛は一応罰せられることになって
| いるが刑は軽くされるか免除される。(略)過剰になりはしないかなどと心配して、適切な反撃をひかえる
| のでは、正当防衛の権利を行使するというかまえでない。」
|
|  なお青柳は、反党盲従分子―善隣会館の場合は華僑学生とおきかえてよい―は「なんらの権力ももっていな
| いし、権威ももたない連中だから、われわれが断固としてこれに対処するならば、敗退しさることはあきらか」
| であると、権力者に対しては弱く、権力をもたないものにたいしては強くなるといういかにも修正主義者らしい
| 発言をしている。
|
| ※日共機関紙『赤旗』は投書欄で井上清に対する反論という形で「第1に過剰防衛は罪が軽いと助言する法律家
| が民主勢力のなかにいるでしょうか」と書かせて同紙に掲載された青柳論文を否定している。支離滅裂もきわま
| れりというべきであろう(大阪、成本忠彦3月30日号)


> 猛獣文士さんはしきりに”日共の暴力”と言われます。文革の理論
> から言えば、それは”良いこと”なのではないですか? (逆説)
> 相手が猛獣文士さんの知人だから悪い、というのは理論ではありま
> せん。正当防衛論というのはブルジョア法に合致しています。むし
> ろ寮生らこそが正当防衛論をもっと主張するべきでしたが、そもそ
> もブルジョア法体系の下で、自己の安全を確保する気がないのであ
> れば、その庇護の下にあることを前提とした一般の日本人民に対し
> て、「安んじて勉学を保障」とアピールする35氏声明が偽善と
> 欺瞞でありまして、人民戦争万歳論に基づいて負けない武装をして
> 大学も学問も解体したりほうり投げて、コマンドとして身を投じ
> 日本を武力革命するんだということをもっと公然と主張すべきでし
> た。(逆説)これは【逆説で述べているのですよ】(強調)。

私には大阪の人さんの質問(?)はばかげているようにしか思えませんので、実際、回答する気にもならないのですが、
一応、粗末な私のホームページにたびたび足をはこんでくださるお客様なので、ない頭を絞って回答したいと思います。
暴力の定義自体も問題ですが、ここでは、人間、人間の集団、または人間や人間の集団が作り出した機関、機構、組織
などが、他の人間や人間の集団などに対し、物理的に損害を与えたり、物理的な損害を威嚇手段として、自己の意志に
基づかない行為を強制したり、自己の意志を抑圧すること、あるいは一定の規範から外れた意志に基づく行為を抑圧
することであるとします。

このような暴力と言う現象は、一般的には好ましくないことですが、また、あらゆる意味の人間社会において普遍的に
存在しているものです。したがって、暴力と言う現象を、他の社会的な実体と切り離して、これが良いか悪いかを論じる
ことは、政治的には意味はありません。

どのようなときに、どのような機関などが、どのような部分を対象にして、暴力を使用するかというのは、すべて政治
的な判断であり、その判断が結果的に正しかったかどうかを、のちに検証する必要があるのでしょう。

善隣学生会館において、日本共産党が使用した暴力は、民主的でも進歩的でも合法的でもない暴力です。

>
> 再度おうかがいします。猛獣文士さんの中では上記2点はどのような
> 御認識なのか。また今現在の御認識の他に、67年当時の御認識、寮生
> らの認識ぐあいなどもお聞きしたいものです。

再度、お答えします。

私は、善隣学生会館事件の事実関係を中心の、この事件の意味を考えたいのです。それについての私の立場や考え方は
当ホームページの「趣旨」や「自己紹介」の欄にすでに明らかにしています。まずそこの記事を読んでいただきたい。

それ以外のことについて、大阪の人さんに査問されるいわれはありません。

[151] 自己の事は棚上げですか 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/04(Mon) 15:54
|暴力の定義自体も問題ですが、ここでは、人間、
|人間の集団、または人間や人間の集団が作り出した機関、機構、組織な
|どが、他の人間や人間の集団などに対し、物理的に損害を与えたり、物
|理的な損害を威嚇手段として、自己の意志に基づかない行為を強制した
|り、自己の意志を抑圧すること、あるいは一定の規範から外れた意志に
|基づく行為を抑圧することであるとします。このような暴力と言う現象
|は、一般的には好ましくないことですが、また、あらゆる意味の人間社
|会において普遍的に存在しているものです。したがって、暴力と言う現
|象を、他の社会的な実体と切り離して、これが良いか悪いかを論じるこ
|とは、政治的には意味はありません。どのようなときに、どのような機
|関などが、どのような部分を対象にして、暴力を使用するかというのは、
|すべて政治的な判断であり、その判断が結果的に正しかったかどうかを、
|のちに検証する必要があるのでしょう。善隣学生会館において、日本共
|産党が使用した暴力は、民主的でも進歩的でも合法的でもない暴力です。

あやうく、見逃す所でした(^^;)(^^;)
この論には猛獣文士さん御自身の67年当時の実行行為やら実行してない
行為やらの正直な言明がありません。猛獣文士さんは何をしたのでしょ
うか。何もせず集会に参加しただけであり、石を投げるだとか車のタイ
ヤの空気抜くだとかは自分には無関係なばかりでなく、当時の寮生らの
運動を傷つける、ためにする中傷、事実無根のデマだというのでしょう
か。猛獣文士さんは壁新聞に何も書かず、張りださなかったのでしょう
か。葬儀の邪魔をしたりしなかったのでしょうか。
地裁の強制執行で、はずされた横幕をその日のうちに張りなおして
掲示するなんてのも、公序良俗に著しく反していますね。

もっと具体的に、暴力行為の是非、御自身が運動と称してそれらに
加わっていたかどうか。それらの寮生と反共オールスターズの面々
の全実行行為(66年秋から70年の本部事務所移転まで続く)を社
会通念や自らに置き換えて(猛獣文士さんがされていいかどうか)
全面的に「正しい行為」と言えるのでしょうか。この寮生らの行為
に関する是非の判断が欠落しています。意図的ですねえ。

当方は、反共オールスターズと共闘共謀した寮生の人士がオール
スターズの面々と同時に負傷されたのは、ある面当然だと思います。
寮生であるが故に全員が身の危険があったわけではない。3、4階
に普通に暮らしていた家族の人もいたし、外に移り、野蛮な紅衛兵
ごっこを止めればそれはそれで安全だったと思います。ただ、中に
いたら、仲間内で、「戦わないのは修正主義だ!」とか何とか言わ
れて、身内にテロされた危険もあり、これが毛沢東主義の怖い所だ
と思うわけで、相互監視の下で逃げ場がある意味なかったのかも知
れないとは感じました。赤軍派の「ソウカツ」もこれですから。

それにしても、この事件、負傷したのは反共オールスターズの人士
日中友好協会の人士、応援の日本共産党の人士、寮生といて、寮生
が一番数が少ないにもかかわらず【寮生への暴行】とする図になる
のはおかしいですね。

それから学生としては、善隣学生会館にあった中国語学校の生徒さ
んたちが、語学校の室内を「反修」の支援のオールスターズに占拠
されて、イスや机も武器材料に勝手に壊されて、「安んじて学問」
をと自治会で声明しているとありました。この学生の人たちの人
権はどうなるんでしょう。文革は学問や学校を否定しました。そ
の破壊の後遺症はながくその世代全体の人生に刻印されてしまい
ました。痛ましいことです。

[150] Re^2: 2つの点をクリアにしてもらいたい 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/04(Mon) 15:16
|青柳氏の「正当防衛論」の論文は、単なる刑法の講義ではありません。
|それについては、寺尾氏が効果的に反論しています。寺尾氏の考え方が、
|私の考え方にほぼ一致します。大阪の人さんは当ホームページを読ん
|でくれているのでしょうか?以下の記事を読み比べてみれば、大体誰
|でも理解できる話だと思っています。

自分の言葉で解明できないのでしょうか。あなたの頭の中は現実の経過
ではなくて寺尾氏の本の記述が中心に回っているのでしょうか。
それから、中国人猛獣文士氏が中国の文献や解明を用いずに日本人の
反共の人士(思想家なんて美化しすぎ)の文献に依拠する所なんてみっと
もないね。

|2月19日の赤旗主張欄の論説
|  ↓
|青柳氏の論文
|  ↓
|寺尾氏の分析
|  ↓
|また、光岡氏の論文でも反論をしていますので、長くなりますが、引用します。
|これも読んでいただきたい。

よんでみましたが、ルポ風のお話ばかりで、青柳氏や主張欄の解明
を反ばくするような理論的解明は何も見つけられませんでした。(^^;)
あなた自身の頭でどのように解明しているのでしょうか。あなたは
17歳の頃の頭でそのままこの箇所は止まってしまっているのでは?

そもそも組み立ての中に論文が欠落するのが不思議です。組織が動く
にはそれなりの前提となる理論が伴います。その動機、その目標、そ
の理想とする状態、行動には終結があるはずですが何をもって終結と
しているのでしょうか。(正統)の日中友好運動史(80年改版)とか
「50年史」とかでは、猛獣文士さんよりは多少は「日本共産党の路線
転換」というお話がまだでてきますが、その論文のどこが路線転換な
のかという立ち入った言及はいっさい見たことがありません。それが
どこが間違いなのか、本来立つべき正しい日本共産党の路線は何なの
か、そういう解明がない中で、てんで得手勝手に「この論が反中国」
「この解明が反中国」と悪口を言うばかりです。
「50年」のこの言及は、2000年春の時点ですが、未だに腰砕けです。
おまけに98年の両党合意も無視したまま(^_-)。

猛獣文士さんの論としては「主張→青柳→寺尾」なんですね?
全然辻褄があってないように思うんだけど。あとでダマシ船みたいに
「私はそんなことは言わなかった」とは言わないでね。

光岡氏はやはり真実を語る人士だと猛獣文士さんはいうのですね。例の
脅迫監禁事件にかかわる光岡氏とこの光岡氏とは別人格なのでしょうか。

端的に言って寺尾氏や光岡氏、三好氏らの論をそのまま認めれば
やはり前に申しましたが、後楽の事件だけでは足りません。
全国的に反中国人のテロが頻発するというような書き方です。
そして反中国な最悪の団体が日本共産党であるとする書き方です。
ああ、このデマのデマたる所以ですわ。

あなたは御自分の有利な資料ばかりを掲載している。66/2/4論文とか
67/10/10論文などは掲載していない。掲載する資料に日中友好協会の
公式発表がない(赤旗にでていた3/1付け声明だけ)。今でも縮刷版
やQ&Aパンフや「半世紀」やらがでているのに、それを入手・掲載
していない。これを事実を検証する真面目な態度だと言えるのでしょうか。

素手の華僑学生をというのは絶対ウソです。寺尾氏がこの一句だけでも
いい加減なデマ書きだと断言してもいい。それから、どうして華僑学生
ばかりが被害者だというのでしょうか。常に寺尾氏、光岡氏、三好氏ら
の論では寮生の学生が被害者で、素手で、無辜の民だとされていますね。

ある事がらを白を黒といいくるめる際の手法として「100%なかった式」
というのが一番人心をまどわせる効果があるといいます。

それから「反党盲従分子―善隣会館の場合は華僑学生とおきかえてよい」
とこの光岡氏は述べていますが、これをどうして述べていいのでしょう。
前にも申しましたが、反党盲従分子というのは、党規に反して党内に分
派を形成し、再三の党側からの党規に基づく指導にも服さずに、自ら党
をわってでたもの、という特定の用語です。光岡氏は華僑学生が反党だ
と日本共産党が言い換えしているというわけです。華僑はじめおよそ外
国人は反党分子にはなりえません。同じ語句のそして理論的な背景もふ
くめた誤りですが、光岡氏は共産党に属しているわけではないにもかか
わらず「修正主義者」という語を共産党員に対しなけつけています。
「若い眼でみた文化大革命」の著者の”青年”たちも、自ら共産党員で
もないのに「反修」だなどと言っています。「修正主義」というのは党
間の論争の中でのみ用いられるべき用語です。俗に言えば「破戒」とい
う語は僧として授戒したイマシメをやぶっちゃったという事でありまし
て僧同士で「それは破戒だよ」という議論はなされますが、僧でない
普通の人が「破戒坊主」というのは論理的におかしいのです。これと関
係が似ています。

[148] 1つの点でもクリアにしてもらいたい 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/03(Sun) 18:13
猛獣文士さん、お久しぶりです。年末の繁忙期とのこと。御商売が
ご繁昌なのは大変よろこばしい。

> 再度、この”日本共産党が暴力論”を検討してみましょう。
> 歴史的経過から見ても、北京放送等の数々の残されている発言から
> 見ても、中国共産党は、日本共産党に、むしろ暴力路線を押し付け
> していました。

猛獣文士さん、この項目の答えはありませんね。どうしてなのですか。
寮生らが中国共産党の干渉路線に基づいて攻撃を主動的にしかけたか
どうかに関する根本的な問いと関連あると思いますが。どうしてここを
きちんとお調べになってクリーンにしないのですか【お伺いします】。

|> この点から言って、「革命的暴力何が悪い」という路線がまさに
|> 寮生や(正統)や(左派)やML派にありました。自らの暴力闘争
|> 路線に従えば、”相手側の暴力”を暴力だとなじるのは逆ねじです。
|
|1.大阪の人さんは、本当に日本共産党に関係のある人なのですか?
|2.日本共産党には70年余の歴史があると言うことですが、大阪の人さ
|んは70年の間、一貫した一つの政党としての日本共産党を前提にして、
|色々な書き込みをしているのですか?それとも、宮本顕治氏やその追随
|者とも思える不破氏などの特定の指導者が支配するようになった以降の、
|特定の共産党だけを共産党の歴史であり政策であると考えているのですか。
|3.また、本来、共産党が世界的に誕生するもとになったマルクス、エ
|ンゲルス、レーニンなどの思想を、どの程度理解され、あるいは尊重さ
|れているのでしょうか。
|とりあえず、この点をクリアにしていただけませんか?

猛獣文士さん、質問に質問で返す場合は、その逆質問が相手の質問の項目
に対して深く答えつつなされた場合には、非常に印象的でパンチあるもの
になりえます。しかしながら、猛獣文士さんの逆質問はこの当方の質問に
対して何の答えにもなってないばかりでなく、自己の”暴力への態度”を
曖昧にするカモフラージュで、しかもかなり稚拙なそれでしかありません。
・暴力主義的闘争という事を一般に否定する立場から述べているのか
・単に中国人同士だから、身内が負傷したからという立場だけなのか
あなたの中でもまだ練れていないのではないですか。

|私は、暴力集団というのは、日本共産党や民青の暴力組織であったと
|思っていたし、今でもそう思っています。ML派や左派と行動をともに
|して、暴力集団と指摘されて当然とは思いません。ここで、また質問
|したいのですが、大阪の人さんは川上徹氏の「査問」という著書をお
|読みになりましたか?これもクリアにして欲しいです。

暴力組織であることを中国共産党は日本共産党に求めていました。この
事実経過をふまえて言うならば、(逆説ですが)猛獣文士さんの御指摘
は無意味です。暴力主義的に荒々しいなら、荒々しいほど中国共産党の
毛沢東氏らの目がねに適った事でしょうね(反語)。そうではなくて
「議会きちがい」だと、言わば闘争を放棄したなどという側からの攻撃
でありました。猛獣文士さんは、この当方の論を覆すような中国共産党
の論を探してきて提示すべきだと思います。言い返しばかりじゃダメ。

ちなみに川上氏の本は立ち読みでちゃーんと読んでいます。金を払って
買うほどの価値は見いだせませんでしたね。赤旗の配達の部署に回され
た事をまるでラーゲリに収容されたソ連反体制派の良心の囚人ででもあ
るかのごとくに表現している箇所なんて、傑作でありまして、この男が
今後何かを発表し、何かの政治活動をするという際に、是非とも保存し
ておいて、その政治活動に巻き込まれて”新聞くばり”させられている
手下の人士にむしろ見せてやる価値はありますが、ね(^_-)。

それから、当方が日本共産党に関連あるかどうかは、この際関係ありま
せんね。オープンソースに公開されている諸文献から拾って、あなたの
熱意のこもったウェブにおつきあいしているのです。でも反共の熱だけ
が残っていて、寮生の真実に迫る気力や迫力が抜けてきているように
印象を受けているのは当方の最近の思い過ごしでしょうか。そうでない
事を切に願います<(_ _)>。
「一貫した路線であると信じているのか」との御指摘ですが、生まれる
前の事まで知りません。でも文革は当方も存じています。中国共産党と
比べて日本共産党の路線は大揺れにそんなに揺れているとは思わない
だけです。
「マルクスエンゲルス、レーニンの思想をどれほど理解」\(^◇^)/。
ワハハ立花隆氏の著書で日本共産党を研究されている猛獣文士さんにそ
れをいわれちゃ困るね。

ちなみに、他人に成り代わって代弁するわけにはまいりませんが、立花氏
は日本共産党を攻撃していますが、それは「中国、ソ連の手下としての
陰険で暴力主義的な団体」なりとする論でありまして、よもや立花氏が
文革とその影響下にあった日本人紅衛兵の当時の行動を賛成するとか擁護
するとかしているとは思えません。そのあたり興味がありますね。教えて
下さい。

同じ事ですが川上氏は「査問」の中で長い時間問い詰められて、心身ともに
疲労し、ほとほと日本共産党が嫌になったという事を書いています。しか
し劉少奇氏がされたような、砂間氏らがされたような、直接の暴力を加え
られて負傷したという項目は見つけられませんでしたね。川上氏がどの程度
まで現在真面目に社会の事を考えているのかは存じませんが、意識が正常
であるならば、「中国党の文化大革命をどう思う」と聞いてみたいものです。
おそらく日本共産党憎しがつのっているし、心身とも疲労しているみたい
ですから「日本党のやりかたと同じだ」ぐらいは言うかもしれませんが
それ以上に中国党の当時のやりかたや寮生らの蛮行を褒め称え、日共が悪い
などとは言わないでしょう【クリアにしましたよ。今度はあなたの番だ】。

|私は、善隣学生会館事件の事実関係を中心に、この事件の意味を考えたい
|のです。それについての私の立場や考え方は当ホームページの「趣旨」や
|「自己紹介」の欄にすでに明らかにしています。まずそこの記事を読んで
|いただきたい。

あなたの自己紹介は67年春までで止まっています。「見に行った」事は
わかりますが、そこで何に参加したか、石やコンクリ片は投げたのか
葬儀の案内の看板を掛け替えて妨害したりしたのかどうか。タイヤの
空気を抜いたりしたかどうかです。もう刑事事件的には時効ですから
いいじゃないですか。それぐらい。身の潔白を少なくとも前提としなけれ
ば一方的なカンパニアなりと見られてしまいますよ。

ちなみに、「日本と中国」紙の中で、戦時中の日本軍が中国人を殺害する
シーンの写真と3月2日のシーンの写真とを3枚ぐらい並べて大きく報じ
ている紙面をみてあんぐりと驚いてしまいました。こうしたチャチな構図
で関連づけをしようとするのは、当時はいいんでしょうが、歴史を経ると
惨めなもんですな。

|中国共産党がどのように評価しているのか、私にはお答えできません。
|それを調べると言う意味では、私のスタートラインは大阪の人さんと
|変わりません。

これはどういう事なんだ? 意味不明。前半は回答不能である旨ですね。
後半は「今は知らないが、調べる気はある」ようによめますが・・・

[149] 暴力絶対主義の告白? 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/04(Mon) 15:15
|暴力の定義自体も問題ですが、ここでは、人間、
|人間の集団、または人間や人間の集団が作り出した機関、機構、組織な
|どが、他の人間や人間の集団などに対し、物理的に損害を与えたり、物
|理的な損害を威嚇手段として、自己の意志に基づかない行為を強制した
|り、自己の意志を抑圧すること、あるいは一定の規範から外れた意志に
|基づく行為を抑圧することであるとします。このような暴力と言う現象
|は、一般的には好ましくないことですが、また、あらゆる意味の人間社
|会において普遍的に存在しているものです。したがって、暴力と言う現
|象を、他の社会的な実体と切り離して、これが良いか悪いかを論じるこ
|とは、政治的には意味はありません。どのようなときに、どのような機
|関などが、どのような部分を対象にして、暴力を使用するかというのは、
|すべて政治的な判断であり、その判断が結果的に正しかったかどうかを、
|のちに検証する必要があるのでしょう。善隣学生会館において、日本共
|産党が使用した暴力は、民主的でも進歩的でも合法的でもない暴力です。

御苦労さまです。猛獣文士さんはいろいろ注釈やら限定をつけて、とう
とう暴力を正当化されました。一般に言ってどうなのですか。「好まし
くない事です【が】」ときましたね。

|したがって、暴力と言う現象を、他の社会的な実体と切り離して、こ
|れが良いか悪いかを論じることは、政治的には意味はありません。

あちゃー。「良いとか悪いとか論じる事は意味がない」んですか。
とすると誰が良いとか悪いとか論じる立場に立てるのでしょうか。

|どのようなときに、どのような機
|関などが、どのような部分を対象にして、暴力を使用するかというのは、
|すべて政治的な判断であり、その判断が結果的に正しかったかどうかを、
|のちに検証する必要があるのでしょう。善隣学生会館において、日本共
|産党が使用した暴力は、民主的でも進歩的でも合法的でもない暴力です。

「すべて政治的判断」(゜〇゜;)そしたら誰かが許して暮れたらどんなに
ひどい暴力を振るうのも許されると。

|その判断が結果的に正しかったかどうかを、
|のちに検証する必要があるのでしょう。

後に検証される必要は確かにあります。でも後に検証されるだけで
なくて振るう前にも検証するべき事でありますし、自分に相手を置き
換えてそれでも正しい事と言えるかどうかも重要ですね。「後に検証
する」だけで果たしていいのでしょうか。そして実行行為の前に「良
いとか悪いとか論じる事は意味がない」のに後から論じて、どうする
つもりなのでしょうか。もう支離滅裂。「政治的に論じて意味がない」
ということは、政治的に猛獣文士さんが日本共産党を悪と指弾される
事も意味をなさないのではないでしょうか。

|善隣学生会館において、日本共
|産党が使用した暴力は、民主的でも進歩的でも合法的でもない暴力です。

善隣学生会館の中に、日中友好協会の本部事務所がありました。
この事務所の中にいた人に扉をゴンゴンつき破ろうとして脅し
たり、事務所とトイレや外部との通行を妨害した行為はあった
のでしょうか、なかったのでしょうか。この具体的な行為に関
して、地裁の命令が下っているのは何故でしょうか。
地裁の命令も調べもしないで、何を言っているやら。

[143] 堂々とした議論を期待 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/03(Sun) 09:42
|> |2.話し合いをしたら、双方納得できるような状態になったか、
|> |難しかったかもしれません。できなかった可能性のほうが大きいと思います。
|>
|> 猛獣文士さんは一度も肯定も否定もされていませんが、中国党の
|> 干渉としての作戦の一環とは思いませんか。もしかしたら
|> その具体的な理由を指摘される事の方が当方には説得力があります。
|>
|毛沢東の4つの敵論の講話の証明が提示されていません。
|中国共産党が、日本共産党との路線上の相違から、対立関係になり圧力を
|かけたというのは、のちの関係者が語っているのでそのとおりでしょう。
|しかし、大阪の人さん、あるいは日本共産党の主張は、中国共産党が日本
|共産党を攻撃する、非常に卑劣で感情的な理不尽な陰謀があったという
|ものです。そのようなことを公然と主張して、説得したければ、それを
|立証する根拠を示す必要があります。そのような根拠は、現在のところ、
|見ていません。

再びこの項目に関して議論に載せます。
猛獣文士さんの議論はすりかえです。当方はここで「干渉作戦とは
思いませんか。そしてもしそれを否定するならば、否定する具体的
な理由を挙げて下さい。」と聞き、それには猛獣文士さんは一向に
まともな理由を述べていません。そして逆ねじに日本共産党側がそ
れを証明せよと挙証責任を相手に預けています。中国共産党側が
みずから「日本党攻撃はしない」とする資料を探してきて、ここに
反証とするのが猛獣文士さんのとるべき誠実な態度のはずでした。

「4つの敵」論は、当時の主観的には日本一の毛沢東主義者であっ
た新島氏の訳書で1966年7月の時点であることが確認されました。
私はこんな片言隻句でどうとか言うつもりはありません。それより
中国共産党自身が日本共産党に反論して、堂々と日本共産党の路線
を批判し、自らがしかけた謀略だとする日本党の批判にまともに4
つに組み止めた議論をしているか、そうでないかということが読み
たいと申しています。口先で応答するだけでは底が知れます。もう
御年配の、御自分で事業もなさっている社会的にも信頼された方で
あろうと当方は猛獣文士さんの事を想定しています。議論をこうし
た堂々とした筋に仕切り直して頂きたい。

[147] Re: 堂々とした議論を期待 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/12/03(Sun) 13:11
> 「4つの敵」論は、当時の主観的には日本一の毛沢東主義者であっ
> た新島氏の訳書で1966年7月の時点であることが確認されました。

まず、私が欲していた情報のソース(らしきもの)を検索していただいた努力について、謝意を表します。
残念ながら、この間、非常に多忙になり、当文献を入手できていません。なるべく早く入手して、私なりの
判断をしたいと思いますが、その期限についてお約束はできません。

> 私はこんな片言隻句でどうとか言うつもりはありません。それより
> 中国共産党自身が日本共産党に反論して、堂々と日本共産党の路線
> を批判し、自らがしかけた謀略だとする日本党の批判にまともに4
> つに組み止めた議論をしているか、そうでないかということが読み
> たいと申しています。口先で応答するだけでは底が知れます。もう
> 御年配の、御自分で事業もなさっている社会的にも信頼された方で
> あろうと当方は猛獣文士さんの事を想定しています。議論をこうし
> た堂々とした筋に仕切り直して頂きたい。

中国共産党がどのように評価しているのか、私にはお答えできません。それを調べると言う意味では、
私のスタートラインは大阪の人さんと変わりません。ただ、事実に対する評価は異なるかもしれません。

[144] 「日中友好新聞」から 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/03(Sun) 09:43
|> 新事務所を建設しよう
|> と独自に考えていた友好協会の資金の持ち逃げをしていた(正統)
|> と口裏を合わせて、まさに持ち逃げさせた後にそれを主張するのは
|> いかがなものでしょうか。猛獣文士さん、あなたはどう思いますか。
|> 1千万ですか。東京都内でももう少し貯まれば古い小型ビルを買う
|> ぐらいはできますね。当時は25氏声明を基にした日中国交正常化
|> 1千万署名運動というのがはじまったばかりだとのこと。結局この
|> 運動も130万ほど署名があつまっただけで、友好協会が分裂した
|> り本部事務所を襲撃したり、大局からモノを見ない中国党の干渉の
|> 特殊な意図により、頓挫してしまいました。あの32氏声明なんて、
|> 結局何の役にも立たない分裂のためだけの声明だったということで
|> すね。言葉が美しいだけにますます空しい。本当に3000万人も
|> の人に中国との友好をと呼びかけるムーブメントが成功していたら
|> 今につらなる日本の自民党などの繰り返される妄言やらなにやらが
|> 国是として否定される日本になったかも知れない。
|>
|そのことの真偽は、分かりません。しかし、たとえば、そのような
|事情を、1967年に寮生に対して説明したのでしょうか。中国人は日
|中友好運動には関係ないから、説明しなかったのでしょうか。
|説明すれば、納得した寮生もいたかもしれません。

どのような事情であったかについて、以下、当方の調べてまいりまし
た「日中友好新聞」縮刷版の記事にて検討してみましょう。この新聞
はその気になりさえすれば、寮生たちも入手できるものでありました。
こうして、相手側の新聞さえ読んでいれば、1)「3千万署名」に邁
進する日中友好協会の姿などはありありとわかると思います。また
2)分裂して出ていった側の三好一氏の論文を掲載しています。それも
単に批判のために掲載しているのではなくて、日中友好協会が用意し
ていた大会の討議資料の一環として、内容の吟味を会員に委ねた形で
供しています。こういう態度の懐深さがいいなと思いました。3)前
に「日本と中国」紙がシレっと題字を盗み取って復刊していることを
指摘しましたが、その復刊第一号が困る事なくでている事を見まして
「日中友好新聞」はどのように受け止めているかに興味があったので
すが、今回びっくりしたのは、11月1日号は半タブロイド(A3)の
裏表一枚だけの新聞でした。ちなみに日中友好新聞縮刷版は66年の
1月の「日本と中国」から67年までの合本です。比べてみますと
(正統)側の縮刷版と違い、この継承性と整合性は抜群です。また
4)「日中友好新聞」としては、本部が襲撃された時期というのは
大会直後で、清新な気持ちで日中友好の方針を決定し、それを機関紙
に発表しようという矢先にこの攻撃をされて、大会成功に関しての
報告が無残に先おくりにされている事です。それから5)全国の
日中友好協会各支部は、別に分裂組織(正統)に対して、あるいは
華僑の人士に対して敵意をあおる活動をしていたのではなくてこの
秋口には主に「日中国交回復3千万署名」と「ベトナム侵略反対」の
活動に力を入れていたということです。それとハイキングやら花見
やらぎょうざを食べる会やら、結構楽しい会も各支部が開いている
ということです。

25氏声明に基づく3千万日中国交回復署名運動はまさしくこのよう
に困難にも負けずに取り組まれています。「32氏声明」でも「再び〜」
とまるで「25氏」声明の続きでもあるかのような体裁を取らざるを得
なかった、否定しようのない、日中友好運動の本道、大道にたって活動
していた協会に対して「反中国」だとか「ニセ日中」だとかいうのが、
これほど現実を見ない観念的なレッテルはりだということもこれはあぶ
りだす証拠です。何が「情勢が変った」でしょうか。(正統)の側の
単に中国政府・党に引きずられた姿と比べてみましょう。

それから、このHPの主題から申して、両者の報道を比べるというので
あるならば、ここに上げた3月13日号、5月1日号などをきちんと
掲載すべきです。また協会16大会の路線も掲載すべきです。
(続く)

[145] 「日中友好新聞」記事項目抜粋 投稿者:大阪の人 投稿日:00/12/03(Sun) 09:44
以下、行頭の丸カッコでくくった数字は、「日中友好新聞」の発行日時です。
当方の目に付いた項目だけ。

(11/1)・A3半タブロイド、論文だけ
(11/21)・「3千万署名のとりくみ活発」11/9に「ベトナム侵略反対と日中
国交回復」の署名行動をした。
・仙台支部署名行動
(11/28)・川崎なつ氏死去
(12/5)
・三好一誌「わが協会の基本的性格と相互交流の任務について」掲載
・群馬の各支部が街頭署名
・福岡の支部3千万署名第五次統一行動
(12/12)
・日中国交回復即時実現・ベトナム侵略反対中央決起集会青山で11/28開催
・堺支部日中国交署名とベトナム募金11/21
・大会は2月下旬に開催と発表
(12/19)(省略)
(67/1/1)・京都兵庫国交署名京都12/10、学生12/9、兵庫12/3
・広島映画会
(1/16)・全国大会成功へ(日程決まる)
・中国豊作 核実験
・和歌山3千万署名
(1/23)・大会の意義と任務、活動報告(案)、運動方針(案)
(1/30)・橋本信一氏の手記「共同声明調印は誤り」
・福岡支部3千万署名1/17
(2/6)・小郡支部署名を定例化
(2/13)・日中国交回復の「よびかけ」3周年をむかえて
・津支部新年ぎょうざの会
(2/20)・大会の成功を 大会あんない
・宇部支部3千万署名高校生もする1/21
・後楽のカントクテイで「新春囲碁大会」2/5
(2/27)・「後楽寮自治会」の妨害
(3/6)・七七にむけ署名活動大阪府連大会
・京都ひとこと運動
・宇部支部本年2度目の署名2/17、18
・愛知スキーまつり
(3/13)・中国留日学生脱走分子協会本部を襲い暴行
・16大会宣言
(3/13)(同日付けの別紙面の号がある大会宣言は掲載がない)
(3/27)・第16回大会歴史的な前進の基礎つくる
・大会意義と任務
・活動方針
・運動方針
(4/3)・会館へ通算4度目の要請書手渡す
  (・事務所への出入り通行の自由
   ・名誉棄損の壁新聞の撤去
   ・毛沢東肖像画と番兵のひきあげ)
・3/18夜10時半すぎ70人あまりで暴行
・3/20全学連代表にじゃま
・3/21日中学院自治会が(寮生の入れたトロたちの)不法占拠に抗議
・広島支部日中国交回復3千万署名2/20
(4/10)・笠原会長死去
・華僑学生、脱走分子らの協会本部への襲撃事件の経過
(4/17)
・「器物損壊」口実に不当逮捕→釈放させる
・4/4午前11時2階に行くところを暴行
(4/24)・兵庫県上京団に暴行13人負傷4/9
(5/1)・地裁が華僑学生の横幕撤去
    →華僑学生がまたも横幕(その日のうちに)
(5/1号外)・見よこの暴力行為を!
(5/8)・4/23暴行
・4/24暴行
・4/26かれら(正統や寮生ら)同士でとっくみあいケンカ目撃
・華僑学生3人退寮
・尼崎東支部七七記念行事取り組む
(5/15)・メーデー万歳
・米機中国領を爆撃侵犯
・神戸ぎょうざ会
(5/22)・群馬つつじまつり
・和歌山ハイキングで会員拡大
・さっぽろきりがみ研究会かかさぬ班会
・5/7駐車中の宣伝カーの看板はずして壊す
・後楽寮退寮者あいつぐ
 (「紅衛兵ごっこ」で落第者父母が心配して辞めさせる例も)
(5/29)
・華僑学生やトロツキスト連日暴力ふるう5/16、17
 窓にコンクリの固まり投げつけ
 車のタイヤ1輪のぞいて全部空気ぬく
・中野支部ぎょうざ会
・仙台支部しおひがり

[141] 大阪府に関する事 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/28(Tue) 17:19
|私としては、赤旗紙の2月21日に「正当防衛論」が発表され、ヘルメット
|や棍棒などを持ち込んで、華僑学生らを暴行し、その後の赤旗紙で、「あ
|れは正当防衛だった」と再三にわたって繰り返した。このような経過で全
|体を理解しています。これは状況証拠でしかりませんが、話の筋はよく見
|えると思います。その日(1967年3月2日)、暴行をうけ、重傷をおった華
|僑青年の中には、私にも面識のある人もいます。その人たちにインタビュー
|することは、南京大虐殺の被害者にインタビューすることに比べれば、ま
|だ時間的な余裕があるでしょう。
|
|そこまでやるには、私の生活を変えて、この調査に専念する必要があるか
|もしれません。

そうそう。猛獣文士さんが、もっと手軽にできる作業がありました。
日中友好協会の事務所に行って話を聞く、という前からの提案です。
猛獣文士さんはこの課題に対して、一切口を閉ざし、日中友好新聞
の縮刷版には一切アクセスせず、日中友好協会発行のパンフ等は
一切掲載しておられません。それがないとか、地下活動にもぐって
いて入手や接触が困難とかいうのであれば、そこまでする必要はな
いかも知れませんが、このHPの主題であり、一方の当事者である
人士を全然取材しておられない。資料もない。ちなみに当方は日中
友好協会に過去に加入していた事もないし、知りあいは居ません。

赤旗縮刷版も重要な資料です。それは中国共産党と日本共産党とが
「ある種の社会的戦争」だったからです。しかし猛獣文士さんはこ
のもう一方の当事者中国共産党の側の発言や資料にもまったくアク
セスしておられない。これはハナから寮生らが独自に闘争をしてい
たとする筋書きの大枠に囚われているからです。重要論文集の中で
は北京放送の内容等も批判に必要な範囲で原文を紹介しています。
北京放送、北京週報、人民日報等の社説、当時の華僑界で配付され
た機関紙等の合法出版物などは猛獣文士さんは「ない」というばか
りでアクセスする気もなさげです。

ただ、善隣学生会館の事件から様相がかなり変って来る、という事
は不破氏も指摘する所です。何が変ってくるのか、というと日本党
側や日中友好協会側ではなくて、(正統)側の方針です。「革命的
暴力何が悪い」というようなニュアンスが次第に表にでてくるよう
に読めるのは私の裏読みすぎでしょうか。例の光岡氏らの(正統)
本部襲撃監禁脅迫の事件なんて、彼等が常日頃日中友好協会に対し
て襲撃したり監禁したり脅迫恫喝しているから、ついそれを身内で
気に入らないのにも適用しちゃったのではないでしょうか。これは
傍証ですが、非常に有効な傍証です。どうして三里塚の”闘争”に
日中友好協会(正統)が”日中友好”の旗をかついで参加する必要
があったのでしょう? 「50年」の記述を見れば、それも未だに
自己批判してないようです。

まずは「Q&Aパンフ」や「半世紀」を買い求めに日中友好協会に
訪ねてみる事から始めましょう。お金もって本を買いにいく客と
いうだけなら何も怖がる事はないでしょう。それこそ98年合意が
ありますから、「敵にあらず」と扱って暮れると思いますが。

・「日本と中国」縮刷版の中で、ずっと歴史を下って大阪府知事
 だった岸さかえ氏がでているのを見つけました。驚きです。当方
 は大阪でこの「皇国史観が私のバックボーン」の知事と正面か
 ら戦う選挙戦を何度か経験しました。こうした反動人士を「む
 ろん革新」と美化して持ち上げる日中不再戦の団体って一体何? 
 石原氏は戦中には子供でして、戦中戦後の飢えも知らずに暮ら
 したということですが岸氏は自覚的極右の青年でして、極右の
 思想団体にも加入して積極的に活動していますし、戦後それを
 自己批判したということはお目にかかった事がありません。内
 務省官僚から自治省官僚、大阪府副知事時代は黒田革新府知事
 の足をひっぱる(今の田中知事の名刺やぶりのような)官僚で
 した。三里塚には反対で介入した(正統)が関西空港のゴーサ
 インをだした当事者を持ち上げるのも滑稽です。岸氏の著書と
 しては「いのちなりけり」とう本があります。どういう人士が
 この(正統)に結集していたか。恥ずべき下劣な品性をトクと
 この岸氏の著書で参照されるのもいいかも。宮崎世民氏らは、
 反共であるならどのような人士もオッケーだったようですな。

[139] オールスターズの動機はある 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/28(Tue) 15:15
|大阪の人さんに聞きたいのですが、中国の文化大革命における紅衛兵らの
|極端な行為、ポルポト派の無謀な政策と常軌を逸した虐殺行為、このよう
|な行為について、批判することと、善隣学生会館の事件の事実関係の認識
|とは別のものです。大阪の人さんの書き込みから、上の内容(文革、ポル
|ポト批判)や、政治路線としての中国共産党の誤りへの批判を取り除くと、
|華僑青年側が襲撃したという断定の繰り返ししか残らないのです。果たし
|て、暴力的な襲撃で、事務所を移転させることが可能でしょうか?

移転させ得ないにしても激突を「一方的な中国人マイノリティに対する
日本共産党の暴行」なりと宣伝すれば、少なくとも日本共産党に対して
平和的な日本社会のルール作りや自民党の横暴の監視役という平和的な
任務を期待する国民の層にはマイナスイメージを植える事に成功します。
日本共産党側は、国民の支持が頼りですから、まったくメリットがない。
本部を暴力で奪われる、という日中友好協会の人士への、しかも生存を
脅かされる監禁状態だという報ですから、何が何でも暴力集団を排除す
る支援にやむなく出動ということでしょう。

中国共産党は日本で選挙を戦う必要がない。寮生やら職業的な反共人士
に激突をやらせていると、日本社会党の方は、選挙戦で、いわばキャラ
がカブっていますから、必然的に株が上がると見ています。

寮生に迷惑を及ぼす日中友好協会本部勤務員や役員であるとする根拠
は未だにまともに指摘されていません、しかし迷惑な存在であると仮定
して、それなら寮生は中国共産党に訴えるべきでした。中国共産党は
その旨を日本共産党に通知して、交渉すべきでした。そのような話は
中国共産党のルート、たとえば廖承志事務所からは申し入れされたと
いう痕跡もありません。「華僑学生vs日本共産党」だというのならば
どうして寮生らは日本共産党に訴えないのか。「反中国でていけ」と
いう壁新聞を掲げる行為は嫌がらせ、敵対行為ではないのか。いや、
むしろ、現実に事務員さん諸氏が迷惑な存在だったのではなくて寮生
らの側がその思想から相手(事務員さんら)を気にくわない【敵】だ
と選別し、「敵(米帝)の協力者(ソ修)の下僕(日本党)の配下
(日中友好協会)なり」と見ていたと思うんですが。【最初にでてい
けと掲げたのは寮生で、共存をと主張したのは日中友好協会側です】。

これは寮生らの「抗議声明」にも出てきます。もしも暴力を非難する
のであれば、暴力の非難だけをすればよい。日中友好協会の側の声明
は相手の思想を理由にしていません。たとえば「日本の首都において、
伝統あるわが日中友好協会本部にたいして、このような暴挙がおこな
われたということは、国際的儀礼からしてもあり得べからざることで
ある。かれらのこのような行為が計画的な暴行であることは、すでに
二十五日の夜、会館内に「人民の敵」「反中国分子の犬の頭をたたき割
れ」などというビラをはりめぐらしていたことからも明らかであり、
ここ二、三ヶ月来、日中貿易促進会の労働組合や亜細亜通信社の労働
組合に加えられた暴力的な民主団体破壊の一環であることは明白である。」
と述べています。ここには相手の背景をうんぬんする断定はどこにも
ありません。猛獣文士さんも「広いスペースで、強い口調で、多くが
語られています。」とは述べておられますが、この内容で”理論好き”
な日本党の側の論評が”背景”やら”下僕”やら”敵”やら”妖怪”
などという語を慎んでいる点も注目すべきでしたね。

逆に、紅衛兵的手法、つまりつるし上げやら暴力的衝突による「批判」
という”革命的”な行動をまさに直輸入して寮生らが行っていたとい
う事が、壁新聞一つとってみても今なら一目瞭然です。”陽謀”なら
オッケーという毛沢東氏みずからの言明もあります。武闘じゃなくて
文闘なりと寺尾氏は主張しました。まさしく文革流の”文闘”なるも
のこそは暴力的なつるしあげであり、「革命は客をもてなすのではな
くて」という毛沢東氏の「一言一句」たがわずに実行され、本人の認
識は<革命的行動><愛国的行動><毛沢東氏への絶対的忠誠からの
行動><党と政府から是認された行動>だったのではないでしょうか。

それから中国共産党の誤りへの批判を除いてこの論はなりたちません。
あなたも中国共産党の指導ルートがあり、そこから指示を仰いでいた
事はあるだろうと認めておられたではないですか。通常ならば「日本
党さん、なんとかしてくれないか、後楽の日中の本部を移転して」と
口添えぐらいできたはずです。党間関係を踏みにじって攻撃をしかけ
てきた側ですから、そんな事は言えるものではない、という事もある
かも知れませんが。そして、華僑内に「日本党は悪者」なりとする論
を広めるにしても、寮生らには「まて、暴力的対決はするな」と一言
通達すれば壁新聞など張られずに、疎遠でも共存できたでしょうね。
これらは逐一中国党の指導ルートに報告されたとするよりも、指導
ルートに乗って降ろされてきた方針だったとする方が自然です。秘密
に通達されているのですが、外部から、歴史的に、巨視的にみて今な
らばそれがあったと言えると思うのです。

それから暴力的対決になって、日本社会党やら、社会党の傘下の労組
やら、社会主義学生同盟ML派やら、(正統)やら(左派)やらが
直ちに結集していますよね。これらの人士は何故そこに居るのですか。
動員かけて、日本共産党やら民青の人士が結集するのは、ある意味で
一枚岩ですからわかりますが、寮生側はオールスターズ混成軍ではな
いですか。これがたちまちに日本共産党の動員と拮抗して対置する数
だけ結集しているというのは用意が良すぎませんか。(正統)が現場
を仕切ったとするのがこの寮生側勢力の配置を説明する唯一の解です。

[140] Re: オールスターズの動機はある 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/28(Tue) 15:17
|私としては、赤旗紙の2月21日に「正当防衛論」が発表され、ヘルメット
|や棍棒などを持ち込んで、華僑学生らを暴行し、その後の赤旗紙で、「あ
|れは正当防衛だった」と再三にわたって繰り返した。このような経過で全
|体を理解しています。これは状況証拠でしかりませんが、話の筋はよく見
|えると思います。

あのね。「正当防衛論」をどのように深読みしても正当防衛せよという
だけの事で、ラッキョの革むきです。前にも申しましたが、これを全面
的な暴力主義的闘争の号令だとするならば、どうして後楽の1施設だけ
に留める必要がありますか。日本全国の党の指導は均一になされます。
「(どこで来るかはわからないが)攻撃されたらひるむな、どうせ国民
に根のない外国頼みの連中だからひとひねりしてやれ」という事で
しょう。後楽への作戦だけなら、赤旗に載せる必要もない。一撃すると
いうのならば、(純軍事的には)秘密に通達するのがよいでしょうね。

ヘルメットの件は、特に指摘したいのですが、前々から攻撃計画を練って
いたとするならば、前々から持ち込まれているべきでした。後から
「弁当と称して」持ち込まれたと摘発(これはとりもなおさず門前を
封鎖して弁当さえいれさせない【とおせんぼ】状態を暗に暴露します)
したわけです。とおせんぼされてトイレにも自由にいけない→命の
危険があると判断してヘルメットを【とおせんぼされて後に】入れた
のです。身の危険→ヘルメットこれが証拠です。棒とか石とかは武器
となりえますがヘルメットは狭義には武器ではありません。防具です。

|暴行をうけ、重傷をおった華
|僑青年の中には、私にも面識のある人もいます。

猛獣文士さんの知人さんには負傷されて、大変だったでしょうとお察しし
ますが、猛獣文士さんの知人であることと、急迫不正な暴徒であったか
なかったかということとは何の関連性がありません。

|一方、日中友好協会(日共系)側の人たちについては、事件当時の協会の
|関係者の数人の名前が明らかになっていますが実際にヘルメットをかぶっ
|て、華僑学生らを「正当防衛権」のもとで排除した人たちの実行部隊の名
|前はあがっていません。しかし、このころ、民青には、暴力部隊があり、
|善隣学生会館事件や東大闘争では、彼らが先頭を切って党派闘争を行なっ
|たと、後に日本共産党を離党した人たちが証言する本を書いています。

”暴力部隊”というのは、宮崎氏の金看板ですから、本人としての
広告的な表現でもあると思います。「突破者」は当方も読みました
が、宮崎氏らが中央の指導から外れて、独自に、別の党派の友人に
侠気(!)から加勢したとか、個人的に大立ち回りした部分もあり
ました。そしてきちっと党の指導の下で出撃したという箇所はだい
たい既に別の反対する党派の学生が暴れれている所に排除に行く
という任務ばかりです。暴力部隊の成果として、相手を負傷させる
事や相手にダメージを与える事のために主動的に行動する、という
任務は宮崎氏にもついぞ与えられていません。そんな部隊はそれこそ
50年問題に決着を付けて以降はありません。

それから、主動的にゲバルトを起こす、というときには、1弁護士の
コラムのような”主張”では全党を指揮系統まで含めて変えることは
できません。中央委員会総会レベルでも無理、どう見ても党大会か
全国協議会かで決定しなければ規律ある党運営の下ではそれはできま
せん。毛沢東氏も、自分の意のままになる手下を中国共産党の指導
ルートの中で作るのには正規の党の大会等を経なければならない、し
かし彼の言うところの”実権派”(つまりは普通の党員)がそれを飲
む事は目処が立たない、だから党の外に紅衛兵を作って造反させると
いうようなルートから党を動かしました。路線を変更するには正規に
は大変なエネルギーがいるのです。

それから主動的にゲバルトを起こすとしたら、その【敵】はそんな
数十人の寮生だとかになることはありません。「日本共産党は弱い
学生をイジメている暴力主義団体なり」という宣伝戦に恰好な犠牲
の羊が寮生と言えます。この宣伝戦で得をするのは誰でしょうか。

|私は、最初に専門的な武装部隊を投入して暴力を行使したのは、
|日本共産党側だと思います。

そんなことをしたら江沢民氏らは党間関係を正常化しようとは
思わなかったでしょうね。中国党側の非と認めても、今となっては
何の傷もつかない江沢民体制は、事実を認めて平気なのです。もしも
この一点だけでも日本共産党側に非があれば、あの合意のような文言
には絶対しないはずです。もしもそうなら、あの線での合意は中国国
民への背信と無原則な野合、ということになるはずです。

|しかし、その後、日中青学共闘の結成宣言などを見ると、裁判闘争とは
|別に、人民戦争方式で共産党側と対峙し、闘っていくというようなこと
|を書いていますので、日中友好協会が事務所を移転するまでの間に、暴
|行事件があったことは考えられます。ただし、その詳細は、私がこれま
|でに見たいかなる資料でも明らかになっていません。

・まずはその日中青学共闘結成宣言をだして下さい。
・それから、98年の両党合意の中国語正文をどうにか入手できませんか。
一般に流布してないのか、猛獣文士さんがうっかり見過ごされただけ
なのか、スペシャルにインタレストをもってアクセスしようとしても
それが何かの力で阻まれて(「毛沢東万歳」のように)国禁扱いなのか
非常に関心があります。2000年にでた「50年」に記述がないのも、前は
(正統)だからかと笑って見ていたのですが、ちょっと訝しい。
・「宮崎世民回想録」を府立中央図書館で見つけました。
・日中友好新聞縮刷版も同図書館で見つけました。

[130] なぞの「日本と中国」の題字について 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/23(Thu) 00:31
ひとつ、前から不思議だと思った事がありました。
それは(正統)の機関紙の題字「日本と中国」についてです。

本日、大阪市立中央図書館にて、「日本と中国」縮刷版を確認しました。
さすがに猛獣文士さんが「ごまつぶのような」と言われたとおりの字
ですねえ(^^;)(^^;)。

とりあえず、問題となるのは、縮刷版No3(1966-70)です。
なにげに読んでいましたら、66年の夏ごろに一度、「日中友好新聞」
という題字になっていました。そして日中友好新聞の頃は、善隣学生
会館内の本部が発行元になっていました。つまり「日本と中国」紙は
一度「日中友好新聞」に改題されているのです。「日本と中国」紙
の”第一期最終号”にあたる号では、なにか理由があって改題すると
いうようなあっさりした告知があって、次の号からは「日中友好新聞」
となっています。発行元は同じ後楽の会館内です。そしてこの改題版
の最終号では52氏声明などが特集されています。

そして、突然66年11月になって、また「日本と中国」に題字が戻って
います。これは何故なんでしょうか。発行所は、ちゃーんと、(正統)
の新事務所になっています。驚くほかありません。

思うに、これも、「日本と中国」という、長年親しまれた題字の下に
発行されてきた機関紙を、その本家の信頼を奪い取るための策略では
ないかということです。まず第一段の策略として、まだ分裂方針を
秘密に持っていた黒田氏や三好氏、宮崎氏らが共謀して「題字変更」
を組織討議にかける。あれこれもっともらしい理由をつけて変更を
(元々多数なんですから多数決で通りますわな)通す。これで日中
友好協会の機関紙の題字は一応「日中友好新聞」になります。
そして、32氏声明なども、ちゃんとした機関討議にかけずに突然もち
込み、なだれ込むように訪中団を編成し、中国に行ってしまう。
中国側は、かねてから用意してある52氏声明や共同声明で応じ「お
墨つき」を与える。帰国後、「これが目に入らぬか」とばかりに
32氏声明、52氏声明、共同声明を既定事実として事後承認を迫る。
(この影で、当然”部屋探し”も、”資金持ち逃げ”も”新規の機関紙
の印刷所や編集方針”も”記者会見の会場”もこっそり決めておく)
当然反発がでます。そしたら「一緒にやれない」と退席する。
退席して、その足で記者会見をして発表する。数日間をおかずに
中日友好協会側から電報が届けれられる「あなたがたが正統です」と。
そして新たな機関紙は一号も途切れる事なく、発行されます。その
題字も、古くから知られていた「日本と中国」の文字。

(正統)は少しも困ることがありませんね。ホンにすいすいと意図どおり
に事態が進展していきます。組織ひきまわしというのはこういうものか?
妨害されたのなら困難に直面するだろうが? ひと月ぐらいは手書きに
なるとかそういう、全然困難そうじゃないよね。

ちなみに、日中友好協会の側は「日中友好新聞」という題で、そのまま
編集発行しています。泥臭い方針ですが、オーソドックスと言えます。
題字改題の方針は(すでにモメはじめてはいたでしょうが)一応組織的
に合意できてる”方針”ですから、それを守る、というやり方ですな。

これは謀略ではないかな。
毛沢東氏は、自らの陰謀を”陰謀”と呼ばれるのを嫌って、「これは陽謀」
などとタワケた発言をしていますが謀略や策略が好きだったようです。
まさに毛沢東派の人士はこの毛沢東氏の好む方針だったのか。

その後、「待ってました」とばかりに寮生らは「ニセ日中」「でていけ」と
の壁新聞を掲示しはじめます。華僑の皆さんの中では「やつらは毛議長だとか
いいやがった」とか「チャンコロといいやがった」だとか口コミが始まり
ます。北京放送は応援して夜ごとに「一部の人士は」といいたてる。

ちなみに、多数居たのですから、即大会ぐらいは開催してもいいはずです
が(正統)は善隣学生会館の本部への直接攻撃事件の画策に奔走しています。
そして日中友好協会が、残された組織だけでも、ちゃんと大会を開いたら
それに悪罵を投げつけます。「日本と中国」紙には、本部襲撃事件の後で
(3月20日)おずおずと次期大会の方針案の素案のようなものがではじめます。
「日中友好運動の基本方向について(案)」
しかし、この題はおかしいですよね。基本方向は既に50年の主旨で決めて
あります。そんなにコロコロ変更すべきものではない。でも32氏声明やら
中日友好協会との合意を方針の中心に据える、という事から見ると新方針
を出さざるを得ないのかも。ざっと読みますと、「当面の重点」の第一に
「プロレタリア文化大革命を正しく知り、知らせる」が来ています。
(第二が「新旧妨害勢力とのたたかい」3が「会員のエネルギーの発動
と作風の改善)

これこれ。当面の重点だか何だか知らないけど「25氏声明に基づく日中国交
樹立の3000万署名」はどうなっちゃったのか? いちおう「32氏声明」
だって「再び」と「25氏」をふまえた方針の体裁だったって言うのに。

そして「プロレタリア文化大革命を正しく知り、知らせる」というのは
その”災害”(82年の中国共産党の決定参照)の実情を知らせる活動
ではなくて(^^;)それを”日本に持ち込み””日本も文革流に革命する”
という事なのではないのかな?これこそ覇権主義、これこそ毛沢東主義
の乱暴な持ち込み、これこそ内乱の教唆だったのではないか?

その後、「運動方針第一次草案」というのが67年5月29日にでています。
第一次草案は3月20日のじゃないの? 早くも内部で分裂の火種か?

[131] Re: なぞの「日本と中国」の題字につい 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/11/23(Thu) 16:15
> ひとつ、前から不思議だと思った事がありました。
> それは(正統)の機関紙の題字「日本と中国」についてです。
>
> とりあえず、問題となるのは、縮刷版No3(1966-70)です。
> なにげに読んでいましたら、66年の夏ごろに一度、「日中友好新聞」
> という題字になっていました。そして日中友好新聞の頃は、善隣学生
> 会館内の本部が発行元になっていました。つまり「日本と中国」紙は
> 一度「日中友好新聞」に改題されているのです。「日本と中国」紙
> の”第一期最終号”にあたる号では、なにか理由があって改題すると
> いうようなあっさりした告知があって、次の号からは「日中友好新聞」
> となっています。発行元は同じ後楽の会館内です。そしてこの改題版
> の最終号では52氏声明などが特集されています。
>
> そして、突然66年11月になって、また「日本と中国」に題字が戻って
> います。これは何故なんでしょうか。発行所は、ちゃーんと、(正統)
> の新事務所になっています。驚くほかありません。

私も、「日本と中国」と「日中友好新聞」とあって、どう考えても日本と中国の方が
センスのいい名前だと思ってました(日共はセンスないなと)。1966年夏ごろに分裂
前の日中友好協会で機関紙名を変更して、分裂後、正統本部が日本と中国という名前
で、機関紙を出すようになった。確かに、面白いですね。もし、名称変更になんらか
の必要性があったのならば、分裂後も日中友好新聞という名前で機関紙名の張り合い
をしてもいいのに、昔の名前に戻したのが怪しい、ということでしょうか。

これと、32氏の声明から日中友好協会分裂までの手際のよさをからめて、かなり前
から、計画的に分裂を策動していたとするのも、一つの面白い説だと思います。まだ、
4つの敵論の講話の文献を入手していませんが、日中友好協会の分裂と中国共産党との
具体的な関わりについて考察するのも、興味深いかもしれません。

正統本部は、結成の日に中国から祝電を受け取っているので、分裂時に中国がどちらを
支持するかは、明白でした。1966年夏には、日本共産党のいわゆる反中国的な政策が外
部の目にも顕著になっていたことも事実です。

http://www.konansoft.com/zenrin/html/mainichi66aug20.htm

このころに、正統の人たちは、もう駄目かなと思っていたかもしれません。誰が考えた
かは別にして、分裂のことが頭をよぎり始めたとして、この時期は早すぎる時期ではな
いでしょう。

> (この影で、当然”部屋探し”も、”資金持ち逃げ”も”新規の機関紙
> の印刷所や編集方針”も”記者会見の会場”もこっそり決めておく)

部屋探しや印刷所の手配など、どれくらい時間がかかるのでしょうか。ま、予期せぬ
分裂で落胆して、そろそろとはじめた場合と、前から覚悟して、手配していた場合で
は、違いますが。

> ちなみに、日中友好協会の側は「日中友好新聞」という題で、そのまま
> 編集発行しています。泥臭い方針ですが、オーソドックスと言えます。
> 題字改題の方針は(すでにモメはじめてはいたでしょうが)一応組織的
> に合意できてる”方針”ですから、それを守る、というやり方ですな。

日本共産党側の日中友好協会は、手続き的な意味での組織の継続性と正統性を主張して
いるということでしょうか。

> これは謀略ではないかな。
> 毛沢東氏は、自らの陰謀を”陰謀”と呼ばれるのを嫌って、「これは陽謀」
> などとタワケた発言をしていますが謀略や策略が好きだったようです。
> まさに毛沢東派の人士はこの毛沢東氏の好む方針だったのか。

まず、毛沢東個人の性格についてですが、陰謀の一つや二つできないで、中国の主席
なんか勤まらないような気もします。国民革命(第一次国共合作)、長征、抗日戦争
(第二次国共合作)、国共内戦の後、政権を掌握してからも、朝鮮戦争、中ソ対立、
ベトナム戦争という時代を、常に滅亡の瀬戸際にいて、闘っていたわけですから。

1960年代の中国は、「アメリカ帝国主義は張子の虎である」とか、「原子爆弾は強力な
武器であるが、戦争の勝敗を決定するのは武器ではなく、人間である」などと言う言葉
を繰りかえしていましたが、つまりは、「アメリカは強力すぎる相手」で、「核攻撃さ
れる可能性のある」中で、闘わなければならないことを熟知した上で、中華人民共和国
と中国共産党の生存を守ろうとしてたということです。

中ソ対立も、日本共産党から見れば、理論闘争かもしれませんが、中国から見ればソ連は
戦争の可能性を無視して対立できる相手ではなかったと思います。ソ連は、自国の利益を
護るため、属国を武力で攻撃した例には事欠きません。1960年代に中国共産党がうけていた
圧迫と危機感は、日本共産党が想像するよりも、ずっと危険なものであったと思います。

しかし、日中友好協会の分裂については、どうなのでしょう。陰謀と糾弾できるもの
か、それとも仕方がなかったのか。なんともいえません。

> その後、「待ってました」とばかりに寮生らは「ニセ日中」「でていけ」と
> の壁新聞を掲示しはじめます。華僑の皆さんの中では「やつらは毛議長だとか
> いいやがった」とか「チャンコロといいやがった」だとか口コミが始まり
> ます。北京放送は応援して夜ごとに「一部の人士は」といいたてる。

毛「議長」の話は、そのようなものではないでしょう。チャンコロの話は、善隣学生
会館事件のときに会館を包囲した共産党系の人びと(5〜600人)の中に、このよう
な言葉を使った人がいたというのは事実と思います。井上清氏の挨拶では、

http://www.konansoft.com/zenrin/html/inouekiyoshi.htm

| アジア通信の反中国分子が、労働争議と称してアジア通信社におしかける、彼らも
| しばしば「チャンコロ」ということを口にするということを聞いておりました

といっていますので、前からこんな言い方をしていた人がいたのでしょう。冷静に考え
れば、どうということもない言い方ですが、共産党の人間がこんなこといってはいけな
いという話です。

> そして「プロレタリア文化大革命を正しく知り、知らせる」というのは
> その”災害”(82年の中国共産党の決定参照)の実情を知らせる活動
> ではなくて(^^;)それを”日本に持ち込み””日本も文革流に革命する”
> という事なのではないのかな?これこそ覇権主義、これこそ毛沢東主義
> の乱暴な持ち込み、これこそ内乱の教唆だったのではないか?
>

プロレタリア文化大革命の評価についてですが、もしあのときに、中国でプロレタリア
文化大革命がなかったら、中国は今よりも発展していたかどうか、という風に考えると、
そうともいえないと思えます。当時、日本でも外国でも社会主義とはソ連型の計画経済
を指していたので、穏健な中国共産党の指導者ならば、ある程度、国内の政治経済が落
ち着いてきたら、ソ連型の計画経済制度を整えようとすることになったはずです。しか
し、その後の経験でソ連型計画経済は最終的には正しく経済を運営できないことが、歴
史的に証明されました。とすれば、ソ連の方法に対する対案を模索しておかなければ、
中国は結局は経済の崩壊と「民主化」という名を借りた政治の崩壊に突入することに
なったでしょう。

日本では、日本共産党が無力(?)だったせいか、革命が起こらず、政治的、軍事的に
はアメリカに従属しながら、「民主主義」的な制度の下、経済的な繁栄を獲得しました。
日本共産党は、この繁栄に追随して、資本主義をポジティブに評価しなおそうととして
いるようです。日本共産党はソ連型社会主義の欠陥の問題を自分のものとして悩む必要
はなかったし、これからもそのような悩みを感じることはないでしょう。

[132] Re^2: なぞの「日本と中国」の題字につい 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/24(Fri) 23:34
|確かに、面白いですね。もし、名称変更になんらかの必要性があった
|のならば、分裂後も日中友好新聞という名前で機関紙名の張り合いを
|してもいいのに、昔の名前に戻したのが怪しい、ということでしょうか。

そうです。なんか、シレっと当然のようなのが。以前から機関紙の
継承性については疑いがあったのですが、今回縮刷版の現物を見て
あらためてそう確信しました。名前なんて結局名前でしかないわけ
ではありますが、ネームバリューというのはウェブ上のネームで
商売が成り立つぐらいですから無視できないでしょうね。

|これと、32氏の声明から日中友好協会分裂までの手際のよさをから
|めて、かなり前から、計画的に分裂を策動していたとするのも、一つ
|の面白い説だと思います。

かなり以前、ということではありません。66年夏の改名ですから3月
ほどしか「日中友好新聞」の題字は使われていないということに着目
しました。おかしいでしょ。名前の募集があるでなし。そもそもどう
して「日中友好新聞」に決まったのかも不思議なひきまわしです。
通常、そういうのは、同名の先例があり、抗議されたとか、よほどの
事態でなければ、まずは「名前募集します」ぐらいはしてもいいはず。
また会員読者の声として「前の名前がなつかしい」とか「こんな名前
がいい」というような、ある種賑やかな議論がされていいでしょうね。
それがブチっと告知一回で改名しています。

|まだ、4つの敵論の講話の文献を入手していませんが、

新島版ですか? それとも中国語原典を求めておられる? 今までの
当方の資料で、見つからなかったものはなかったでしょう。新島版なら
三一ですからすぐに見つかりますよ。

猛獣文士さんの手法で、ひとつ注文があります。当方は今まで納得する
ような新発見はまだ当方一つも見たことがないんです。たとえば

|毛「議長」の話は、そのようなものではないでしょう。チャンコロの
|話は、善隣学生会館事件のときに会館を包囲した共産党系の人びと
|(5〜600人)の中に、このような言葉を使った人がいたというの
|は事実と思います。井上清氏の挨拶では、

井上氏の本の参照では、ちっとも信用なりません(きっぱり)。
相手側の、決定的な証拠を示さないと、相手を信用させる事はできません。
当方は「赤旗」紙の報道なら、ほとんど既知のものであり、一般紙のもの
で(たとえば毎日の)憶測記事以上のものをみた試しがありません。
これが証拠だ、というものがでてきてないわけです。写真ですか?
三好氏らの写真班が、相手側写真班を妨害する部隊まで編成していたとする
ならば、写真の偽造だってアングルによる編集だって可能なはずです。
前に、多少「ああいう」「こういう」といいつのり合った事がありました
が決定的な証拠というのは、その時の証拠としては、双方が認めあったもの
はほとんどない、ということです。66年3月時点での証拠として、双方の
声明文、報道文、(まだ出てきていませんが)地裁の略式命令や負傷者の
病院側の診断書ぐらいじゃないかな。これだけ年月が経過して出せるもの
としたら。

負傷者は【双方】にでました。針小棒大に【華僑学生を負傷させた】など
と大々的に報じているのは、「日本と中国」紙です。20数名の負傷者の
内訳が、当方は大半が日本人の”反共オールスターズ”だと思います。
負傷者だけでなく、暴行に加わった総員の比率もそうです。
9人にして、うち6人を華僑学生とすれば多数のようですが、20数人
の中で6人だと少数です。そもそも華僑学生の生の声として、何かの資料
がでているわけでもないのです。今手元に青年出版社の「若い眼でみた
文化大革命」という本があります。67年4月から5月まで、前年の青年
大交流に訪中した”青年”が数十人善隣学生会館に宿泊して、訪中団の足
止めの期間(法務がビザを渋った)「反修行動」に参加したとあります。
これらの人士はようするに社青同の声かけに乗ったメンバーでして、職業
的な反共人士ということではありませんが、不手際な(そもそもビザ発給
のメドぐらい立ててから人を集めるべきですな)せいでひと月ほども後楽
にいて職を失った者もいたということですから、アマチュア反共動員だっ
たのがプロな反共人士へのステップアップの過程だったのかも知れません。

|といっていますので、前からこんな言い方をしていた人がいたのでしょう。
|冷静に考えれば、どうということもない言い方ですが、共産党の人間がこ
|んなこといってはいけないという話です。

前にも、「プチ反中国は以前も、今後もあるが主たる問題ではない」という
話をしました。当方が何を指摘しているかというと、それが口コミでデマと
して流れている、ということです。感情の問題ではありません。誰が流した
口コミかということです。そういう情報操作は、今では創価学会なんかが常
とう手段にしています。前の猛獣文士さんの御意見では、そのような「チャ
ンコロ」的な発言をする行儀悪い分子が日本共産党や民青の中にいて、それ
が過激で粗暴で暴力を振るった、反中国だったので寮生らを怒らせたという
ニュアンスであったと思います。この証拠が井上氏やら寺尾氏、三好氏らの
側の証言ではアテにならない、ということを申しています。とりわけ3月2
日前後の事でなく、その前、66年秋から、67年2月末までの期間に反中国な
様子がどのように発生していたのか、具体的な肉付けが、全然見えてきません。

まあ、「やつらは反中国である」という認識が真であったとしても、平時なら
党間関係でカタをつけるべく、それこそ中国共産党の指導を受けていたわけ
ですから報告すればよかったわけですが。むしろ中国党ルートから指令され
て口コミを流し、「でていけ」キャンペーンをしていたと見る方が自然です。
やはり張香山氏のいうように、「中国側は日共に圧力をかけた。」という事
の具体的な中身ですな。

たとえば2月の大会で、その名も「日中友好協会」という団体の中で改めて
中国との友好と反戦非戦を誓い合った直後の時期に、どうして反中国になる
というのでしょう。当時の彼らの意識は「文革の異常な持ち込みに反対する」
という以上のものではないと思います。日貿促などで甘栗や漆を入れて貰う
零細業者の人士の利益をも代表していたわけで、猛獣文士さんが思っている
ほど学生運動チックな純粋培養単細胞なヒトはいないということです。

ちなみに4月から居着いた”青年”の日本紅衛兵の皆さんは、おどろくほど
の純粋培養ぶりが上記の本にるる述べられています。

|#「若い眼でみた文化大革命」 67年10月30日 青年出版社 P21
|車中には幾人かの西洋人、中国人と、僕達。彼等「中国人」は(引用者注
|原文が中国人に「中国人」とカッコをつけているのに注目)女はサングラス
|をかけ、色とりどりのミニ旗袍をまとい、若い男は、ほっそりとかっこよく
|ズボンをはいている。年をとっいるのは、昔の大金持ちそっくりに、でっぷ
|りとして、ふんぞりかえっている。通路には子供をせおいながら、大きなか
|ごをかかえて、タバコ、チューインガムから懐中電灯、はてはかさまでも売
|り歩く婦人がうろうろする。彼等を見ていると、この人たちと同じ中国人が
|現在中国で、「人びとの魂にふれる革命」を、ほんとうにおしすすめている
|のだろうかと疑いたくなる。

荷担ぎ行商するオバチャンを軽べつする権利がこのガキにあると思いますか?
とりわけこの本は文革の中国に渡って、あこがれ?の紅衛兵らの革命的な?
人柄にふれて、すっかりカブれて帰ってきてから著した本なわけで、それで
このような思い上がった態度であるということは、元から【救いのない奴】
なのか【紅衛兵に接して余計にダメな奴になった】かどちらでしょうね。

[138] Re^3: なぞの「日本と中国」の題字につい 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/11/26(Sun) 14:13
> 猛獣文士さんの手法で、ひとつ注文があります。当方は今まで納得する
> ような新発見はまだ当方一つも見たことがないんです。たとえば
> 井上氏の本の参照では、ちっとも信用なりません(きっぱり)。
> 相手側の、決定的な証拠を示さないと、相手を信用させる事はできません。
> 当方は「赤旗」紙の報道なら、ほとんど既知のものであり、一般紙のもの
> で(たとえば毎日の)憶測記事以上のものをみた試しがありません。
> これが証拠だ、というものがでてきてないわけです。写真ですか?
> 三好氏らの写真班が、相手側写真班を妨害する部隊まで編成していたとする
> ならば、写真の偽造だってアングルによる編集だって可能なはずです。
> 前に、多少「ああいう」「こういう」といいつのり合った事がありました
> が決定的な証拠というのは、その時の証拠としては、双方が認めあったもの
> はほとんどない、ということです。66年3月時点での証拠として、双方の
> 声明文、報道文、(まだ出てきていませんが)地裁の略式命令や負傷者の
> 病院側の診断書ぐらいじゃないかな。これだけ年月が経過して出せるもの
> としたら。
>

大阪の人さんに聞きたいのですが、中国の文化大革命における紅衛兵らの極端な行為、ポルポト派の無謀な政策と
常軌を逸した虐殺行為、このような行為について、批判することと、善隣学生会館の事件の事実関係の認識とは
別のものです。大阪の人さんの書き込みから、上の内容(文革、ポルポト批判)や、政治路線としての中国共産党
の誤りへの批判を取り除くと、華僑青年側が襲撃したという断定の繰り返ししか残らないのです。果たして、暴力
的な襲撃で、事務所を移転させることが可能でしょうか?

私としては、赤旗紙の2月21日に「正当防衛論」が発表され、ヘルメットや棍棒などを持ち込んで、華僑学生らを
暴行し、その後の赤旗紙で、「あれは正当防衛だった」と再三にわたって繰り返した。このような経過で全体を
理解しています。これは状況証拠でしかりませんが、話の筋はよく見えると思います。

その日(1967年3月2日)、暴行をうけ、重傷をおった華僑青年の中には、私にも面識のある人もいます。その人たちに
インタビューすることは、南京大虐殺の被害者にインタビューすることに比べれば、まだ時間的な余裕があるでしょう。
そこまでやるには、私の生活を変えて、この調査に専念する必要があるかもしれません。

一方、日中友好協会(日共系)側の人たちについては、事件当時の協会の関係者の数人の名前が明らかになっていますが
実際にヘルメットをかぶって、華僑学生らを「正当防衛権」のもとで排除した人たちの実行部隊の名前はあがっていま
せん。しかし、このころ、民青には、暴力部隊があり、善隣学生会館事件や東大闘争では、彼らが先頭を切って党派闘争
を行なったと、後に日本共産党を離党した人たちが証言する本を書いています。

私は、最初に専門的な武装部隊を投入して暴力を行使したのは、日本共産党側だと思います。

しかし、その後、日中青学共闘の結成宣言などを見ると、裁判闘争とは別に、人民戦争方式で共産党側と対峙し、闘って
いくというようなことを書いていますので、日中友好協会が事務所を移転するまでの間に、暴行事件があったことは考え
られます。ただし、その詳細は、私がこれまでに見たいかなる資料でも明らかになっていません。

[134] 社会党とか、いろいろ 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/26(Sun) 01:13
|日本では、日本共産党が無力(?)だったせいか、革命が起こ
|らず、政治的、軍事的にはアメリカに従属しながら、「民主主
|義」的な制度の下、経済的な繁栄を獲得しました。日本共産党
|は、この繁栄に追随して、資本主義をポジティブに評価しなお
|そうととしているようです。日本共産党はソ連型社会主義の欠
|陥の問題を自分のものとして悩む必要はなかったし、これから
|もそのような悩みを感じることはないでしょう。

御要望に応じて、逐条的に文言を検討してみましょうか(^o^)/

|日本では、日本共産党が無力だったせいか、革命が起らず

主観的願望とか、自己の力量だけで革命を招来すると考える
のは何と呼べばいいでしょうか。「左翼小児病」でしょうか。
資本主義の全般的な危機が到来した、としたのは実はスター
リンのテーゼでありました。これが劉少奇テーゼにもなり
日本の党への「50年問題」にも至ります。戦後の話ですから
残念な事に、この話は「日本共産党の研究」にはでてきません。
(ヒント:不破氏の本をなめるように探してみましょう)

|政治的、軍事的にはアメリカに従属しながら、「民主主
|義」的な制度の下、経済的な繁栄を獲得しました。

民主主義を建前として日本国憲法に書き込ませたのは米国の
「おしつけ」なりと、その改定を「自主憲法制定」などと
推し進めるのは日本の当事者としては、中国蔑視の右翼反動
の人士たちでありまして、憲法の建前を「暮らしに活かす」
「職場に活かす」ために不撓不屈に戦う人士を嘲笑するばかり
の傍観者には何も論評する資格がありません(きっぱり)。
ましてや民主主義をあがなうために血を流した歴史の先達に
対しての冒涜は、今後の歴史に対しても盲目にならざるを得
ません。それから日本共産党は経済的に繁栄(^^;)したわけでは
ありませんで、部落解放同盟やら社会党一党支持の右派労組
の労働貴族は経済的繁栄にお相伴していたわけであります。

そごうの労組委員長がクビになりましたね。そういう御用組合
がよく社会党一党支持やらソ連追従やら、中国美化をしていた
わけであります。労働者に無益な”反修動員”に労働者をかり
たてるなんて黒田氏もよくやるわ。寮生の安全と将来ばかりで
なく息のかかった日本人の労組青年部や解放同盟青年部の青年
の将来までも芽を摘んでしまう人非人だと黒田、穂積両氏には
今更ですが改めて”満身の怒りを込めて”言い渡したいですね。
同じころ、社会党の別の派の人士は、やはり相似形で、今度は
ソ連への招待旅行に自派の子飼いの青年を招待したりもしてい
ますよ。こうして自派への青年獲得の競争招待合戦をしている
わけです。

そもそも自民党との連合政権を組んだのはトンちゃんをいただく
当時の社会党、今の社民党の人士でありまして、この社会党に
日米安保条約肯定を認めさせたのは、歴史的には1980年の「社公
合意」とこの社公両方の仲立ちとなり、隠然と安保ビンの蓋論を
影響与え続けてきた、当時の中国共産党ト小平氏らでした。

今では「趙階g氏 外国軍駐留、いいとは思わぬ 」などと主張さ
れていまして、おおよそこの線が中国共産党の路線であります。
(なんで中国人の猛獣文士さんに中国共産党の正統な路線を
この日本人の私が講釈しないといけないんだろう、御自分で
もう少し努力してくださいよ、お願いしますよ<(_ _)>。)

それから、経済的な繁栄というのは、日本人民が働いて稼いだ
財産でありまして、よく日本の紅衛兵かぶれ人士がいい服着て
いる人を敵視していたりしますが、真面目に働いた人が、放蕩
しなければ、それなりの収入により、それなりの暮らしが確保
できる、サクセスに対するインセンティブは当然でしょう。
それとも、日本が社会主義になったら、いきなり猛獣文士さん
のような零細企業の経営者まで、三角帽子をかぶせて大民主の
手法で「敵だ!」とつるしあげしなければならないのでしょうか。
むしろ、働いた分が正当に貰えない、働かせられすぎて過労死
してしまう。なんぼ働いても、資本主義のルールがないために
いじめられてしまうと日本の多くの人は考えているようです。
社会主義の未来ばかりでなく、そこに至る将来のいかなる段階
においても国民の労働の成果を取り上げない、むしろ守り、増
やすというのが、どのような思想であれ、党派であれ、その基
礎に必要ですよね。八路軍だってその権威はこの方針からもた
らされました。(続く)

[137] Re: 社会党とか、いろいろ 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/11/26(Sun) 13:29
> 主観的願望とか、自己の力量だけで革命を招来すると考える
> のは何と呼べばいいでしょうか。「左翼小児病」でしょうか。
> 資本主義の全般的な危機が到来した、としたのは実はスター
> リンのテーゼでありました。これが劉少奇テーゼにもなり
> 日本の党への「50年問題」にも至ります。戦後の話ですから
> 残念な事に、この話は「日本共産党の研究」にはでてきません。
> (ヒント:不破氏の本をなめるように探してみましょう)
>

日本共産党は無力ではないが、情勢が熟していなかったから、革命にならなかった。
ということでしょうか。革命にならなかった理由は問題ではありません。「無力だっ
たからか?」というのは単なる皮肉です。

> 民主主義を建前として日本国憲法に書き込ませたのは米国の
> 「おしつけ」なりと、その改定を「自主憲法制定」などと
> 推し進めるのは日本の当事者としては、中国蔑視の右翼反動
> の人士たちでありまして、憲法の建前を「暮らしに活かす」
> 「職場に活かす」ために不撓不屈に戦う人士を嘲笑するばかり
> の傍観者には何も論評する資格がありません(きっぱり)。

日本国憲法の原文は、アメリカ人が起草したということは明らかです。このことをもって、押し付けであると
解釈するのは、また一つの判断でしょう。

> ましてや民主主義をあがなうために血を流した歴史の先達に
> 対しての冒涜は、今後の歴史に対しても盲目にならざるを得
> ません。それから日本共産党は経済的に繁栄(^^;)したわけでは
> ありませんで、部落解放同盟やら社会党一党支持の右派労組
> の労働貴族は経済的繁栄にお相伴していたわけであります。

共産党だけが、民主主義をあがなうために血を流したという選民思想でしょうか。

>
> そごうの労組委員長がクビになりましたね。そういう御用組合
> がよく社会党一党支持やらソ連追従やら、中国美化をしていた
> わけであります。労働者に無益な”反修動員”に労働者をかり
> たてるなんて黒田氏もよくやるわ。寮生の安全と将来ばかりで
> なく息のかかった日本人の労組青年部や解放同盟青年部の青年
> の将来までも芽を摘んでしまう人非人だと黒田、穂積両氏には
> 今更ですが改めて”満身の怒りを込めて”言い渡したいですね。
> 同じころ、社会党の別の派の人士は、やはり相似形で、今度は
> ソ連への招待旅行に自派の子飼いの青年を招待したりもしてい
> ますよ。こうして自派への青年獲得の競争招待合戦をしている
> わけです。
>

あまりに込み入った話なので、よくわかりません。黒田、穂積両氏
がどうしたんですか?部落解放同盟がなんだというのですか?。
社会党がどうだとうのですか。そごうの労組?話がまとまっていない
のでは?

> そもそも自民党との連合政権を組んだのはトンちゃんをいただく
> 当時の社会党、今の社民党の人士でありまして、この社会党に
> 日米安保条約肯定を認めさせたのは、歴史的には1980年の「社公
> 合意」とこの社公両方の仲立ちとなり、隠然と安保ビンの蓋論を
> 影響与え続けてきた、当時の中国共産党ト小平氏らでした。
>

トンちゃんは村山富一氏でしょうか。
中国が、安保条約をことさら反対しなくなったのもしかたないんじゃないでしょうか。
何十年待っても、日本人には、この体制を変える気持ちはないように見えたのでしょう。
日本共産党の掛け声だけを聞いて、政治外交をやっていたら、本当に国を滅ぼすことになる。

> 今では「趙階g氏 外国軍駐留、いいとは思わぬ 」などと主張さ
> れていまして、おおよそこの線が中国共産党の路線であります。
> (なんで中国人の猛獣文士さんに中国共産党の正統な路線を
> この日本人の私が講釈しないといけないんだろう、御自分で
> もう少し努力してくださいよ、お願いしますよ<(_ _)>。)
>

日本人のことは、日本人が決めればいい。自分は、外国軍の進駐はいいとは思わない。というニュアンスの発言です。
日本人が、アメリカの保護下で与えられる擬似民主主義的、経済的な繁栄を好むならば、それを否定する気もないと
いう意味が言葉の裏にあるように思いますが、これは深読みですか?

> それから、経済的な繁栄というのは、日本人民が働いて稼いだ
> 財産でありまして、よく日本の紅衛兵かぶれ人士がいい服着て
> いる人を敵視していたりしますが、真面目に働いた人が、放蕩
> しなければ、それなりの収入により、それなりの暮らしが確保
> できる、サクセスに対するインセンティブは当然でしょう。

日本の経済的な繁栄は、日本の企業や政府がアメリカの朝鮮戦争やベトナム戦争に協力して、利益をあげたことの結果
得られたという側面も忘れないで下さい。

> それとも、日本が社会主義になったら、いきなり猛獣文士さん
> のような零細企業の経営者まで、三角帽子をかぶせて大民主の
> 手法で「敵だ!」とつるしあげしなければならないのでしょうか。

社会主義とは何かという定義の問題でしょう。

> むしろ、働いた分が正当に貰えない、働かせられすぎて過労死
> してしまう。なんぼ働いても、資本主義のルールがないために
> いじめられてしまうと日本の多くの人は考えているようです。
> 社会主義の未来ばかりでなく、そこに至る将来のいかなる段階
> においても国民の労働の成果を取り上げない、むしろ守り、増
> やすというのが、どのような思想であれ、党派であれ、その基
> 礎に必要ですよね。八路軍だってその権威はこの方針からもた
> らされました。(続く)

私も働いていますが、私がどのくらい生産に寄与しているか、分かりませんね。長時間働く人が、生産にそれだけ多く
寄与するというわけでもないようです。自分はこれだけ貢献したから、これだけの分け前をよこせという貢献度が、
客観的な数値で計測できれば、簡単だとおもいますが。しかし、逆に、これは怖いかもしれない。

[135] Re: 社会党とか、いろいろ 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/26(Sun) 01:14

|日本共産党は、この繁栄に追随して、資本主義をポジティブ
|に評価しなおそうととしているようです。

「しなおそうとしている」ってのは、いつからか、昔の考えを
自ら否定して「し直している」ように受け取れます。そんな事
はありません。立党の精神がそもそもこれなんです。

マルクスやエンゲルスの著作を少しでも読みこなしていれば
こういう漫罵はでてこないと思うんだけど。ポルポト氏の主張
のように、都市住民を追い払い、貨幣を無理に廃止し、夫婦を
引き裂き、兵営型の社会を築くのが共産党だと、猛獣文士氏は
思っているのでしょうか。ポルポト氏にシンパシーを感じるの
も文革大賛成派の猛獣文士さんにはしょうがない事なのかも知
れませんが、一人で島を買って、御自分だけで実現して下さい。
”地獄の黙示録”のカーツ氏(主人公の敵)みたいにね(^_-)。

|日本共産党はソ連型社会主義の欠陥の問題を自分のものとして
|悩む必要はなかったし、これからもそのような悩みを感じるこ
|とはないでしょう。

ソ連型の社会主義に関して、日本が社会主義を探求しはじめる
頃に、まだひきずって居たら悲劇的です。レガシーフリーで
あるわけで、これは結構な事です。

あと、文革で、中国を中国たらしめていた文化財やら文化的な
事物を焼き払い、棄損し、バカにし、知識人を惨殺しました。
中国を中国らしくしている文物を壊したらソ連的な社会になら
ないとしても、祖国の喪失です。
京劇の役者さんとかを迫害なんて、よくもしたもんだ(・・;)

さて、「若い眼でみた文化大革命」の続きです
日本では、「反修活動」に邁進していた日本製紅衛兵の人士が
中国副主席陳毅氏に会見してもらい、感動しています。(P37~)

日本青年の課題-
「なぜわれわれはこのように熱烈な歓迎をどこでも受けるのか」
という質問に対して
「日本と中国の青年はお互いに世界の運命に関心を持っています。
そしていっしょに帝国主義、修正主義、各国反動派に反対していま
す。共通の認識をもてば、共同行動がとれるのです。日本の問題は、
皆さんに頼ります。けっして誰もひきまわすことはできません。
日本における米帝国主義の占領について言えば、米帝は日本に武装
させ、中国侵略をさせようとしています。日本独占資本の一部は米
国と結託しています。こうした時代、中日青年の友好増進は、世界
のために大きな意義をもちます。皆さんは常に中日友好を強調して
います。皆さんがほんとうの日本の主人公になり、アジア人同士を
戦わせるという陰謀を粉砕すべきです」

陳毅氏は、興味深い事を指摘しています。青年たちに対して主に
「4つの敵」論からではなく、実質「2つの敵」論から語ってい
ますね。また日本の問題は日本の自主的民主的な探求だとの旨も
述べています。ちなみに日本のこれを聞いている人士は社青同の
路線の人士でして、「1つの敵」すなわち日本の反動派とのたた
かいは掲げていますが、米帝との戦いは掲げていません。「2つ
の敵」論というのは、実は日本共産党の路線であります。こうし
て陳毅副主席は、日本型紅衛兵に「2つの敵とのたたかい」を
強調しています。ただ受け止める理論的キャパシティが彼等日本
紅衛兵側になかったので、ただ聞いて、右から左に書き留めるだ
けでして自己のものとできていない恨みがあるんですが\(^◇^)/。

社会党の路線は、「即社会主義」です。残念な事ですが、彼等の
路線の筋からいいますと、平和共存は不可能です。これは空論だ
ったので、結局もちませんで、中国からの誘いもあり、安保条約
を認めてしまい、ここから自衛隊容認やら自社さ連立にむかって
いったのでした。

[133] 亜細亜通信の事実確認など 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/24(Fri) 23:35
| アジア通信の反中国分子が、労働争議と称してアジア通信社におしかける、彼らも
| しばしば「チャンコロ」ということを口にするということを聞いておりました

ひとつ言いたい。亜細亜通信の労組に襲撃をかけたのは毛沢東派の人士です。
解雇され、労働争議から労働委員会か裁判所かにいきまして、解雇の和解金
も最後には出させています。”労働争議と称して”というのは、労働者の
労働3権に謳われた権利を蹂躙する反労働者的な井上氏の態度の証明でも
あります。押しかける、という語は、あなたが何を見てそう証拠だててい
るか、もっと確かな証拠をもってから語るべき事柄でしょうね。井上氏
は嘘を言っているのです。歴史に耐える文献ではありません。

で、この項の本題。

|> そして「プロレタリア文化大革命を正しく知り、知らせる」というのは
|> その”災害”(82年の中国共産党の決定参照)の実情を知らせる活動
|> ではなくて(^^;)それを”日本に持ち込み””日本も文革流に革命する”
|> という事なのではないのかな?これこそ覇権主義、これこそ毛沢東主義
|> の乱暴な持ち込み、これこそ内乱の教唆だったのではないか?
|>
|プロレタリア文化大革命の評価についてですが、もしあのときに、中国
|でプロレタリア文化大革命がなかったら、中国は今よりも発展していた
|かどうか、という風に考えると、そうともいえないと思えます。当時、
|日本でも外国でも社会主義とはソ連型の計画経済を指していたので、穏
|健な中国共産党の指導者ならば、ある程度、国内の政治経済が落ち着い
|てきたら、ソ連型の計画経済制度を整えようとすることになったはずで
|す。しかし、その後の経験でソ連型計画経済は最終的には正しく経済を
|運営できないことが、歴史的に証明されました。とすれば、ソ連の方法
|に対する対案を模索しておかなければ、中国は結局は経済の崩壊と「民
|主化」という名を借りた政治の崩壊に突入することになったでしょう。

おお、驚きました。中国の国内問題評価には当方は全然踏み込んでいま
せんが、猛獣文士さんの御意見はおそらく82年の【中国党の歴史決議】に
反すると思います。朱首相さん(何年も文革で迫害された)の前で猛獣文
士さんはこれをいう度胸がありますか? ”災害”というのは中国国民の
血肉からでた正直な声であると同時に中国共産党の決定でもありまして
当方のごとき日本人の外部からの感想ではありません。それから端的に

・なぜ彭真氏、劉少奇氏、陶鋳氏、などが迫害されたか
・実権派というのはソ連派だったのか
・弾圧の手法がむしろソ連式である
・なぜ国外に手を伸ばしたか
・なぜ文革時にむしろソ連以外の諸外国と鎖国状態に陥ったか
・日本共産党を攻撃したり日中友好協会を分裂させる必要がどこにあったか
・どうして隠れもない「ソ連派」日本社会党と組んだか
・ベトナム擁護といいつつ、しまいにどうしてベトナムに戦争しかけたか
・ベトナムは文革しなかったけど、今は中国と似たりよったりだが(^^;)

などに上記猛獣文士さんの御意見は全然答えるものになっていません。
「ワイルドスワン」とか「チェン村」とかはお読みになりましたか?
それから「文革博物館」だったかな、大部の写真集が大阪府立中央図書館
には置いてありました。著者の妻は文革で惨殺されたとか。

|日本では、日本共産党が無力(?)だったせいか、革命が起こらず、政
|治的、軍事的にはアメリカに従属しながら、「民主主義」的な制度の下、
|経済的な繁栄を獲得しました。日本共産党は、この繁栄に追随して、資
|本主義をポジティブに評価しなおそうととしているようです。日本共産
|党はソ連型社会主義の欠陥の問題を自分のものとして悩む必要はなかっ
|たし、これからもそのような悩みを感じることはないでしょう。

よそ事で、よく日本の勢力は困らせられるのですよ。ソ連がアフガンにヘ
リでチェコに戦車で侵略したときも苦労しました。無論中国の文革でも日
本赤軍の浅間山荘でも、”同根”だと言われて必死で理論的にも戦いまし
た。北朝鮮があのような体制で何かと発言する度にも必死で日本なりの社
会進歩の道筋との違いをるる説明しなければなりませんでした。89年の天
安門事件は最近では最大の事件でした。政権党である中国党の悩み、とい
うことですが、猛獣文士さんのその御意見は現下の自民党の人士、とりわ
け森政権を必死で支えている勢力がいいそうな御意見です。「野党は気楽
でいいよね、オレたちは日本を背負ってたっているんだ。政権党なら清濁
併せ呑む事が必要だ、何が悪だ、今日の日本があるのはオレたち自民党の
おかげ、日米安保体制のおかげじゃないか」ってね。これは一般的に政権
党が野党に投げる”居直り論”の典型であります(あなたが森政権擁護論
だというのではありませんよ(^^;)。政権党擁護論の典型だという事)。

[136] Re: ちゃんころという蔑称 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/11/26(Sun) 12:50
私は、ちゃんころという言葉の由来には大変興味を持っています。かつて、日本人が中国大陸で大変横暴に振る舞い、
軍隊の武力を背景にして、かって気ままに中国人を殺害したり、レープしたり、人体実験の材料にしたというような
恐ろしい話を聞いてからは、この問題が重くなってしまい、気軽に話す事ができなくなりました。一体、この言葉は
何時頃、発生したものでしょうか。夏目漱石の坊ちゃんに、次のような場面があります。

| なに構うもんですか、送別会なら、送別会らしくするがいゝです、あの様(ザマ)を御覧なさい。気狂(キチガイ)会です。
| さあ行きましょうと、進まないのを無理に勧めて、座敷を出かゝる所(トコロ)へ、野だが箒を振り振り進行して来て、
| や御主人が先へ帰るとはひどい。日清談判だ。帰せないと箒を横にして行く手を塞(フサ)いだ。おれはさっきから
| 肝癪(カンシャク)が起って居る所(トコロ)だから、日清談判なら貴様はちゃんちゃんだろうと、いきなり拳骨(ゲンコツ)で、
| 野だの頭をぽかりと喰(クラ)わしてやった。

これは、赤シャツの謀略でマドンナの許婚だったうらなりが熊本の方の学校に転勤させられるときの送別会で、馬鹿騒ぎに
呆れた坊ちゃんと山嵐がうらなりを誘って先に帰ろうとしているときに、「日清談判」だとかいって絡んできた野だいこ
(なぜか、いつも「野だ」と表記されます)を、坊ちゃんが殴りつけた場面です。ここで、「日清談判なら貴様はちゃん
ちゃんだろう」いう言葉の、「ちゃんちゃん」というのは、まさに「ちゃんころ」の先祖的な言葉でしょうか。

[129] なぜ路線を問題にするか 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/21(Tue) 04:38
|(87)投稿時間:00/10/12(Thu) 15:21
|投稿者名:猛獣文士
|Eメール:sfwu@konansoft.com
|URL :
|タイトル:Re^3: 人数、壁新聞、大民主
|
|・ニセの日中友好協会さっさと出てゆけ
|これは、主張そのまんまです。これがなかったら、
|そもそも大字報を張る必要もない。

ほら。そもそも壁新聞を寮生が張る必要があったか
なかったかの肝心な点が路線問題ですね。

[128] 廖承志氏の正当な評価をするために 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/21(Tue) 04:37
猛獣文士さん、こんにちわ

|「反党分子」安藤彦太郎さんのことですが、他の人々は知りませんが、
|私は、今まで日本共産党の党員であったことも、シンパであったことも
|ありません。したがって、反党分子という言葉は、私にとっては何の価
|値的な判断材料にもなりません。むしろ、このような耳障りな言葉を目
|にしたときは、それを使用する人の良識を疑いたくなります。私は、
|1960年代に安藤彦太郎氏の講演を聞いたことがあります。それ以来、好
|感をもっています。また、氏は現在、財団法人日中友好会館(旧善隣学
|生会館)の理事をされているということです。日中友好運動の伝統は、
|こういうところで、まだ続いているのかなと思っています。

センテンスを読み落とす所でした(^^;)(^^;)。「反党分子安藤」の箇所
に目くじらをたてて殊更に文句を言われても困ります。

萩原氏の本の中で、どのように記述されているか、何を述べているか
よくご覧になって下さい<(_ _)>。

廖承志氏のある意味で正当な評価としては54年訪日時の平和5原則の
路線に基づく提唱、59年の発言などが、中国共産党の正統な路線の
党間関係の原則に則した解明であったし、その部分を本でもっと出
すべきであったということです。

ところが、安藤氏の編になる(これは中国語の原典から
既に干渉の時期のメンバーが噛んでいて、安藤氏だけの責任じゃないか
も知れない)本の中で、安藤氏ら対日干渉の手先の人士や対日干渉チーム
の意向や、その後の立場を失った彼らの意図がからんで、1)廖承志氏の
これらの功績が隠されている事。また逆に、2)文革時の干渉チームの
日本責任者としてかなり高い地位にいた廖承志氏の発した様々な日本共
産党側の確認している干渉発言も隠されている事。この1、2の問題を
指摘しているのです。安藤氏を免罪するには中国語原典の「文集」から
どこが削除されているのか、を比較検討せねばなりません。

猛獣分子さんはこの「廖承志文集」を御読みですか? この中で文革関連
で出てくる発言は、故松本氏への追悼文だけです。追悼文に「妨害する
人士が」うんぬんという悪罵を差し挟むのもどうかと思います。そして
これっぽっちか?という肩透かしを感じました。

ただ、それでも、中国共産党の正しい党間関係原則や国家間関係原則に
則って外交部署で活躍されていた廖承志氏の、正しい路線の下での発言
にかすかにニュアンスとして合致するものは、一つだけ見つけました。

|(上)P277〜「華僑の愛国大団結を促進しよう」(抄)
|「祖国には在外華僑の後ろ盾となる力も条件もあるが、祖国の国策は
|世界平和の断固たる擁護であって、他国を侵略する意図はけっして
|もっていない。」1952年5月12日

これは日本にきての日本華僑への発言ではありません。こうして在日
華僑中国公民への発言の平和5原則の線での発言は除かれています。
1)の功績の部分ばかりでなく、2)の否定的側面もこの松本氏への
追悼文以外は何もありませんが、具体的には

|66年5月30日AA労働者会議日本準備会婦人代表団に対して
|「戦争が起こらない保証はない。日本がインドネシアみたいにならない
|とはいえない」「佐藤が日本人民になにをしようとしているのか、こう
|したなかで、ただデモや座り込みだけではたして良いのだろうか」

|66年7月29日学生の訪中参観団にたいして廖承志主催の招待宴で
|「われわれは前むきでなければならない。口では前むきを唱えながら
|うしろむきの者がいる。佐藤栄作である。われわれは日中友好をはばむ
|者は断固反対する。そして現在特に気をつけなければならないのは、
|第二の佐藤があらわれているということである。これはいろいろの形態
|をとってあらわれてくる。われわれはこの第二の佐藤にも反対する」

|66年8月23日教育事情視察訪中団にたいしてレセプションの席上
|「みなさんは佐藤内閣の弾圧のみならず、一部の労働組合、政党の反対
|を押しきって中国にこられた」「日本の一部の人たちは、中国が日本人
|民に武装蜂起をおしつけるのでけしからんと言っている。日本人民に武
|装蜂起をすすめるのは、米中戦争で中国を応援して貰うためではない。
|日本人民にとって武装蜂起の戦術が唯一の正しい戦術であると私たちは
|確信しているからだ」「国会にたくさん議員を送りだして、どれだけの
|力があるというのだろうか。私は1931年の末まで、ドイツの共産党員だ
|った。ドイツの共産党員だった時に『なぜ武装蜂起しないのか』とドイ
|ツ共産党の幹部に注意したら、『ドイツ共産党は現在、党員を60万人も
|もっている。これは資本主義第一党である。国会議員も沢山もっていて、
|選挙をすれば600万を下らないでいる。だから平和的な革命ができるのだ』
|と言っていた。しかしナチスによって一週間でたたき潰された。これは
|大いに学ぶ必要がある」

|66年10月5日日中友好協会代表団に「日中友好促進の大衆集会」で
|「最近、一部の人たちは、口先では中日友好を唱えながら、行動の上では
|米帝国主義、ソ連現代修正主義、、日本反動派とぐるになって、中日友好
|にやっきになって反対している。これらの人びとは、実際には、中日友好
|に反対する隊列に参加している」

|66年10月3日中国滞在の日本人に対して
|中日友好協会創立3周年記念レセプション
|「中日友好を破壊する分子を足げにし、けとばしてしまえ」
|(ちなみにこのレセプションに招待された中国派に寝返った日本人が
|レセプションの帰り道に「けとばしてしまえと言っているから、やって
|しまえ」と中国人の見ている前で日本の党の路線を守る党員に対して
|集団暴行をはたらいた)

(「今日の毛沢東路線と日本共産党」日本共産党出版局 『資料 毛沢東
一派のわが党と日本の民主運動に対する干渉と攻撃の事実』67年8月27日
より。)

どうでしょうか。当方が安藤氏を編者とするこの「文集」が廖承志氏の
功績も、悪行も、全然文革時の事はなかったかのように目をふさいで
編集されているとするのはおかしい事でしょうか?

[124] 向きが違う気がするんだが 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/19(Sun) 02:32
|善隣学生会館事件に関する資料で、国会図書館で入手できそうなものは、ま
|だなにがあるのか考えています

あなたは一番肝心な、日中友好協会の東京の人たちにまだ会見して
おられません。敵視する根拠も薄弱だった事はすでに白日の下に
明らかです。協会発行の「Q&A」パンフや「半世紀」の記述ぐらい
は参照しても公平さを欠くことはないでしょう。ここにも、あなたの
「日本共産党」vs「寮生」という誤った図式の悪影響があります。
単なるカイライとしてしか思っておられないのでしょうが、違います。
それはまじめに日中友好運動をされている人への侮辱です。

|伊藤律氏の回想録です。

少なくとも頁を改めて、別建てにすべきです。それと回想録は完結した
一冊の本でして、これを頁にするというのは、広がりが見えてきませんね。
当方はおつきあいする関心はないので、どうぞ御勝手に。

「北京特派員」か何かの題の新書で、伊藤律ではなく白鳥事件の関係者
との会見を試みた人がいました。この人の会見は失敗に終わるのですが
別の誰かが、中国側の文革当時の対日作戦の関係者の趙安博氏との会見
をしたとありました。98年2月16日前後の共同電だそうです。この趙安博
氏は口が悪い中国干渉当事者のチャンピオンでしたから、さぞや口悪く
何か発言しているのだと思います。共同というのは共同通信というニュース
配信の専門会社で、主要紙も多少は使いますが、独自ソースを持たない
地方新聞などがもらって新聞記事にしているはずです。

|正統の六七年大会方針は、何か関係があるのでしょうか。

おおありです。「にせ日中」という悪罵の根拠となったのが「真の日中
が(正統)である」とする論からであろうと思います。寮生の論だての
一番のキモじゃないですか。彼らが50年の主旨からどれだけそれたか
守っていたか、というのを見るのにこれが一番重要な指標です。同じく
日中友好協会の2月大会方針や68年に開催されたという次の(直近の)
大会方針も見たいですね。これで「どちらが偽か」という事が
その全容が浮かび上がります。そしてこの点を明らかにせずに
公平なホームページだと称するのはもう難しい気がします。
あなたの仮説の土台のシナリオが何ら具体的根拠づけされないままです。

|両党合意の華僑への紹介ですが、私はずっと華僑報を購読してい
|ますが、特別な解説をよんだ覚えはありません。華僑総会
|というのは、それほどしっかりした組織でもないんです。

いつぞや日中友好協会が朝鮮総連のようなものだと書かれた件など
それで日中友好協会を何か頼りに考えておられたのでしょうか。
ところで2000年7月には日中友好協会代表が華僑総会と中国大使館
を表敬訪問しているとあります。よもや表敬訪問のニュースも握り
潰され、報じずにいるということはないはずですが。それから
あなたがそもそも華僑総会の中で末席なのでしょうか。かなりの
発言力もお持ちではないかと当方は勝手に思っています。首脳の人
とお知り合いならば、せめて98年合意ぐらいは華僑内で普及して
あげるべきだと考えます。不正常な時期に対日観を歪めているの
ですからね。

それから一言。今問題になっている外国人の参政権というのも国政に
関するものではなく地方参政権です。猛獣文士さんの熱意は何か
方向が間違っていやしませんか。たとえば勘違いでも、敵意でも
日本の国政の中で日本共産党がどのような位置を占めているかと
いう問題は日本人の問題です。そして自民党や公明党は日本の政党
ですが、日本労働党は残念な事に隠れもない中国製の干渉の産物
です。中国人の猛獣文士さんにしたら日本労働党にシンパシーが
浮かぶのも仕方のない事かも知れませんが、ここで日本労働党など
に対して何か”公党”扱いして美化する行為は、あなたがたとい
中国共産党のエージェントでなくても干渉行為です。そして彼ら
が暴力革命唯一論を捨ててない事から見ますと、日本人から見て
あなたが中国共産党とどのように無関係か関係あるかは存じません
が外国からの暴力的な内乱の扇動、教唆が続いていると見なければ
なりません。オウム教のシンパのようなものです。いつぞやあなた
は「日本の国家主権は尊重する」と述べられました。守って下さい。
日本人が中国本土で内乱を教唆するのを中国人はけして黙過しない
でしょう。同じ事です。

あなたがたは中国がどのように民主的に発展するか、平和に発展
するか、ということにもっと関心をもたれるのがよい。それから
「3国人」発言だとか「プチ反中国」じゃなくて確信犯の本物の
反中国、反アジアな反動勢力ともっと正面から論陣をはって活動
する必要がありますね。誤った観念の除去というのは50年の主旨
でもありました。その点では過去のいきさつを越えて、もっと
積極的に日中友好協会に訴えかけていくのもよろしいでしょう。
どちらの日中友好協会が反中国とたたかう活動にまじめに取り組む
かということも、食わず嫌いせずに観察するのがよいと思います。
「一滴の力水」でどれだけ水上氏がさらっと過去を清算して、大同
について不破氏と話あっているかは一つの参考になると思います。

(「文芸」別冊という水上氏の作品鑑賞ガイドのような本がでて
います。でもなぜか「一滴の力水」が著作に入ってない(^^;)何故
なんでしょうね。日本の反共主義の壁はまだ厚い)

[127] Re: 向きが違う気がするんだが 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/11/20(Mon) 00:08
> あなたは一番肝心な、日中友好協会の東京の人たちにまだ会見して
> おられません。敵視する根拠も薄弱だった事はすでに白日の下に
> 明らかです。協会発行の「Q&A」パンフや「半世紀」の記述ぐらい
> は参照しても公平さを欠くことはないでしょう。ここにも、あなたの
> 「日本共産党」vs「寮生」という誤った図式の悪影響があります。
> 単なるカイライとしてしか思っておられないのでしょうが、違います。
> それはまじめに日中友好運動をされている人への侮辱です。
>

私が興味があるのは、33年前の善隣学生会館事件です。その当時の日中友好協会の会員の人にならば、インタビュー
したいとは思います。大阪の人さんは紹介してくれますか。しかし、たとえば、まったく若い世代の会員で、その当時
のことなど知らない人が出てきて、一般的な日中友好の話をされても、私の目的とはまったく離れてしまいます。それ
とも、日中友好協会には、そんな若い世代の人はいないのですか?

> 少なくとも頁を改めて、別建てにすべきです。それと回想録は完結した
> 一冊の本でして、これを頁にするというのは、広がりが見えてきませんね。
> 当方はおつきあいする関心はないので、どうぞ御勝手に。
>

伊藤律氏の回想録では、北京機関の様子などが書かれています。かつて、日中共産党が関係が良好だったときというのは
本当に、非常に生臭い意味で、密接な関係があった様子がわかります。当時の状況を今の常識で考えると、大きな勘違い
をすることになると思います。私が面白いと思うのは、その点です。

> いつぞや日中友好協会が朝鮮総連のようなものだと書かれた件など
> それで日中友好協会を何か頼りに考えておられたのでしょうか。

そんなこといってません。

> ところで2000年7月には日中友好協会代表が華僑総会と中国大使館
> を表敬訪問しているとあります。よもや表敬訪問のニュースも握り
> 潰され、報じずにいるということはないはずですが。それから
> あなたがそもそも華僑総会の中で末席なのでしょうか。かなりの
> 発言力もお持ちではないかと当方は勝手に思っています。首脳の人
> とお知り合いならば、せめて98年合意ぐらいは華僑内で普及して
> あげるべきだと考えます。不正常な時期に対日観を歪めているの
> ですからね。
>

どう考えているのか、今度、本当に華僑総会にいって聞いてみたいものです。もし、善隣学生会館の遺恨は互いに水に
流したと、華僑総会で考えているのならば、私も、この件についての制約が一つ外れるというものです。中華書店の陳
社長は、西村さんや橋爪さんに名指しで非難されていましたが、今も社長なのでしょうか。ずっと、ご無沙汰している
ので、本当に分かりません。

> ですが、日本労働党は残念な事に隠れもない中国製の干渉の産物
> です。中国人の猛獣文士さんにしたら日本労働党にシンパシーが
> 浮かぶのも仕方のない事かも知れませんが、ここで日本労働党など
> に対して何か”公党”扱いして美化する行為は、あなたがたとい
> 中国共産党のエージェントでなくても干渉行為です。

労働党のことになるとムキニなるのですね。どうしても、分派は許せないのでしょうか。

> そして彼ら
> が暴力革命唯一論を捨ててない事から見ますと、日本人から見て
> あなたが中国共産党とどのように無関係か関係あるかは存じません
> が外国からの暴力的な内乱の扇動、教唆が続いていると見なければ
> なりません。

この党が暴力革命唯一論かどうか、疑問です。現に、色々な選挙に立候補しているようです。ホームページを見ましたが
政策は、尖閣列島が日本領であるといったりしていて、私から見れば失望させられるくらいです。もちろん、暴力革命を
放棄しているとは思いませんが、日本共産党も、つい最近まで、「敵の出方」によって、対応するといったような、暴力
的手段を保留した政策をとっていたのではありませんか?

私自身は、色々な政党を観察しているだけで、政治に関与しているのではありません。したがって、干渉にはあたりま
せん。がんばってもらいたいという感想自体は、政治活動とは別のものです。

> オウム教のシンパのようなものです。いつぞやあなた
> は「日本の国家主権は尊重する」と述べられました。守って下さい。
> 日本人が中国本土で内乱を教唆するのを中国人はけして黙過しない
> でしょう。同じ事です。
>

オウムと労働党を同一視するなんて、暴論ですよ。

> あなたがたは中国がどのように民主的に発展するか、平和に発展
> するか、ということにもっと関心をもたれるのがよい。それから
> 「3国人」発言だとか「プチ反中国」じゃなくて確信犯の本物の
> 反中国、反アジアな反動勢力ともっと正面から論陣をはって活動
> する必要がありますね。誤った観念の除去というのは50年の主旨
> でもありました。その点では過去のいきさつを越えて、もっと
> 積極的に日中友好協会に訴えかけていくのもよろしいでしょう。
> どちらの日中友好協会が反中国とたたかう活動にまじめに取り組む
> かということも、食わず嫌いせずに観察するのがよいと思います。
> 「一滴の力水」でどれだけ水上氏がさらっと過去を清算して、大同
> について不破氏と話あっているかは一つの参考になると思います。
>

今までは、4つの敵の一つでしたが、今後は、共産党とも志を同じにして共通の目的を追求できる場所があれば、喜ば
しいですね。たとえば、南京大虐殺を歴史から抹殺しようとする最近のさまざまな動きについて、反論するような
場合などです。

[123] 「万歳」その他の文献的参考 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/19(Sun) 02:31
|大阪の人さん、お久しぶりです。日本共産党中央の「さざなみ通信」に対する
|禁止令(善意で書き込んでも、結局は反党的な行為になるといったとか)のあ
|おりを食って、大阪の人さんもトロや猛獣のホームページからは退散したのか
|と思っていましたが、まだ健在のようで、喜ばしいかぎりです。

おお、「さざなみ」ですか。あれは見る分には面白いですが、おちょくられ
ているのを判らずに書き込みに力を入れても、あまり実のあがらない頁だと
思っています。暇な時に読みに行くぐらいかな。「党員討論欄」なんて場所
はオワライです。

|新島淳良先生には、かつてお世話になりました。私の高校の文化祭に講演に
|きていただいたこともあります。その後、どうしているのでしょうか。

「文革礼賛者たちの節操」では、新島氏は、そのご、「彷徨」という
本をだしているそうです。中国の文革に幻滅して、ヤマギシ会に加入
し、その後ヤマギシ会も脱退して、ある女性と不倫か何かをして、と
いうお話がその「彷徨」という名のごとく連綿と続くのだそうです。
とにかく宮森氏の本は絶版は惜しい名著です。

|上記の資料は国会図書館でなければ、見ることはできないでしょう。
|古本屋を一軒一軒回って歩く時間がないのが残念です。

「最高指示」は大阪市立中央図書館ばかりでなく大阪府立図書館でも
ありました。6、70年代の大阪には毛沢東派の人が多かったようです。
府立図書館では、「毛沢東思想万歳」の邦訳もありました。いずれも
三一書房です。ただし皆閉架式の中なので、それと名指しして検索
しないと埋もれているばかりですが。

「万歳」は東京大学近代中国史研究会訳だそうです。この版の底本に
は「日本共産党が敵」の語句はないそうですが「甲にはある」と記載
がありました。甲乙丙テイの4種がある、というのが前書きに述べら
れていまして、この4種のわかりやすい分類は問題と研究出版株式会社
刊の「問題と研究」という雑誌?の1974年4月刊の3巻7号に*学文と
いうひとが詳しく書いているのだそうです。*サンズイへんに王

また、この東大版「万歳」では講話の題名が「中央の各首長に対する
講話」となっていました。日付は7月21日で、P346〜ほぼ同じ内容です。

おまけに、東大版の底本のバージョンなので、「日共が敵」の記述は
おそらく見当たらないんじゃないか?とは思いますが、この「毛沢東
思想万歳」の中国語版の写真復刻版の本が1969年に現代評論社から
刊行されたそうです。

「教育革命」の方が「万歳」よりかっちりしたテキストのようです。
中国の新島氏と同じ考えの人が、各種の異本をてんでに発行していて
何が本物かということが「万歳」ではアヤフヤです。「教育革命」な
ら発行元も特定されます。ただしこうしたテンデに発行されるされ方
自体が毛沢東氏の望んだ文革的手法だろうと思いますので、テキスト
の厳密な校注よりも雰囲気を酌むには「万歳」でしょうか。

|私としては、大体の概要が掴めましたので、それなりに整理
|されたと思っています。

「寮生」VS「日本共産党」という図式は間違っています。
あらためて「中国共産党」vs「日本共産党」とすべきです。
善隣学生会館内の事件は、その1エピソードとして位置づけ
なければ意味が通じません。そして「人民戦争方式」で寮生
が自然発生的に蜂起した、などという構図をもう少し大人の
達観をもって今再び読み直して貰いたいものです。

|> なおかつ行儀悪いのを取り入れるのには、とりわけ熱心だったの
|> ですな。
|>
|青年というのは、大人がいいと思うことだけをするわけではない
|というのは、永遠の真理ですかね。

でも、毛沢東氏の「指示」の下に動いていたから、別に通達されれば
ただちに改めたのでしょうな。

|> それを日本の学生の暴力ざたのために使うからよこせ、というのはこれは
|> 長崎国旗事件にも比する中国に対する許しがたい敵対行動ですよね(^_-)。
|> そういう人士の御意見を何か真実の文書とするのでしょうか? それとも
|> 科野ビルの(正統)本部の幹部の皆さんが、光岡氏の「金よこせ」の根拠
|> となったような、日中友好とは名ばかりの”友好貿易”でたんまり儲けた
|> 実権派だったのでしょうか?猛獣文士さんは、どちらだと思いますか?
|>
|日本の学生の暴力ざたとは日大全共闘のことでしょうか。彼等は東大のあか
|つき部隊よりはずっと正しい人たちだと思います。これは私の意見ですが。
|ところで、あかつき部隊はどこから金をもらっていたのでしょうか。宮崎学
|氏は知っているでしょうか。あるいは、川上徹氏は。

何か言い返そうとヤッキになっても無駄です。日本の誰が何かをしようと
それに外国の息がかかっているかどうか、その資金が還流しているかどうか
ということは決定的に重要な問題です。逆に日中友好のため、と称して
集められた金が日本の国内の別の何かに流用されているのが重大事件だろ
うと当方は指摘しているのです。猛獣文士さんはこういう本質的な問題に
はいつも目を背けておられますね。中国国内に日本の何かの勢力ができて
中国国内の政治に干渉したらあなたはこんなにノホホンと受け入れますか。
たとえば台湾の親日感情がどうのと言って、帝国主義で中国から台湾を強奪
したとうの本人の日本人が台湾の”独立派”と結託することを中国の人は
どう思うのでしょうか?これはノドに刺さった骨です。あなたが党員である
かどうかではありません。

|「金よこせ」は、どうなんでしょうか。現在、金を自分で稼いで、そのあり
|がたみを知っている境遇から考えると、あまり好ましくはないですね。

ここだけですか? 話は全く別ですが、この箇所の御指摘は同意します。

[126] Re: 「万歳」その他の文献的参考 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/11/19(Sun) 16:53
> 「文革礼賛者たちの節操」では、新島氏は、そのご、「彷徨」という
> 本をだしているそうです。中国の文革に幻滅して、ヤマギシ会に加入
> し、その後ヤマギシ会も脱退して、ある女性と不倫か何かをして、と
> いうお話がその「彷徨」という名のごとく連綿と続くのだそうです。
> とにかく宮森氏の本は絶版は惜しい名著です。
>

新島氏が山岸会に入ったのは知っています。氏が、どこかの雑誌に書いていました。その前に、
南京大虐殺についての言動で、糾弾されたというような噂もありました。山岸会をやめて、
なにか読書会のようなものを主催していたのを知ったのは、つい最近のような気もしますが、
もう15年も前のことです。その後の消息は知りません。


> 「寮生」VS「日本共産党」という図式は間違っています。
> あらためて「中国共産党」vs「日本共産党」とすべきです。
> 善隣学生会館内の事件は、その1エピソードとして位置づけ
> なければ意味が通じません。そして「人民戦争方式」で寮生
> が自然発生的に蜂起した、などという構図をもう少し大人の
> 達観をもって今再び読み直して貰いたいものです。
>

このような具体的な事件を政党間の対立構図の中で解釈してしまうと、事件の血肉がなくなって
形骸だけが残るような気がしますが。

[125] 長年の友誼に関して 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/19(Sun) 04:23
|「反党分子」安藤彦太郎さんのことですが、他の人々は知りませんが、私は、
|今まで日本共産党の党員であったことも、シンパであったこともありません。
|したがって、反党分子という言葉は、私にとっては何の価値的な判断材料に
|もなりません。むしろ、このような耳障りな言葉を目にしたときは、それを
|使用する人の良識を疑いたくなります。私は、1960年代に安藤彦太郎氏の講
|演を聞いたことがあります。それ以来、好感をもっています。

猛獣文士さんの好悪の感情に対しては何も言うことはありません。
しかし新島氏といい安藤氏といい、この30数年の間の在日華僑
の皆さんに対するこれらの人士の浸透ぶりというのは、驚きです。

北京空港事件というのを御存知でしょうか。あれで負傷させられて
北朝鮮に急遽立ちよって治療の後に帰国した砂間氏という人がいま
す。この人は戦時中に困難な非合法活動の中で、とりわけ困難な
機関紙発行の部署にいて、「中国に一兵も送るな」という社説を
かかげて発行したりしていた人だそうです。あなたがたが「反中
国」だとののしり、直接暴力を加えていた相手はこのような人士
でありました。

あと、(正統)の中心であった(左派)の代表者の福田正義氏です
が、宮森氏の「節操」によりますと、1976年12月に「日本共産党
(左派)中央委員会臨時指導部」(隈岡一派)の名義で『古くか
らの投降派、福田正義の階級的裏切りの罪状』というパンフが出
されたそうです(P87)。その中で隈岡氏らが指摘しているのは
福田氏は戦前に1)山本利平氏らとプロレタリア文学運動をして
いたが、2)天皇制警察の弾圧が厳しくなると逃げるようにして
「満州」に渡り、3)1941年、日本軍の御用新聞「満州日日新聞」
の幹部記者となり4)1943年には『後藤新平』という侵略主義者
後藤氏を持ち上げるパンフレットを執筆している、との事です。
この5)2,3,4の事実を隠して福田氏は戦後日本共産党に潜
入し、(左派)でも親中国、親毛沢東の代表づらをしていたのだ
そうです。砂間氏とは対照的ですね。それとも隈岡氏が虚偽の
パンフを出したのか?

これらの事は、皆どうでもいい事でしょうか。単に日本共産党
の内部の問題で、中国人の猛獣文士さんには無関係でしょうか。

日本社会党というのも、西尾末広氏らが戦前に「御国のために
血を流せ!」と叫んでいた【帝国主義戦争に自国の利害から賛成
する】社会民主主義政党の末裔でありました。「共産党」という
名は、【帝国主義戦争に対してどのような立場を取るか】という
決定的な分岐点で社会民主主義から決別した名であります。これ
またあなたがた日本の帝国主義侵略に蹂躙された祖国中国の皆さ
んがたにとっては忘れることのできない名であります。党員か
どうかは無関係でしょう。「ワイマル体制」の読者である猛獣文
士さんは、一度そのあたりの社会民主主義と共産党の分裂のいき
さつを正統な文献でお調べになるのもよいし、西尾氏らに代表さ
れる日本の社会民主主義者らの戦争と侵略への傾倒ぶりを調べて
みるのもよいでしょうね。

あと、67年当時、中国共産党の第一の敵はアメリカ帝国主義で
第二の敵はそれに追従するソ連の現代修正主義だとされていました。
このソ連の修正主義を日本に持ち込むのには、隠れもない日本
社会党の人士が最大の功労者であります。後に4つの敵のうちで
日本共産党以外の全ての勢力と毛沢東氏やト小平氏らは握手する
のですが、日本共産党を敵とした最大の理由づけであった現代
修正主義ソ連との日本社会党の密着ぶりも研究に値しますね。

何が何でも日本共産党だけは敵対だというのはこうした矛盾にぶつ
かります。

|また、氏は現在、財団法人日中友好会館(旧善隣学生会館)の理
|事をされているということです。日中友好運動の伝統は、こうい
|うところで、まだ続いているのかなと思っています。

どういう風に安藤氏が政府の弾圧の下でも勇敢に困難に屈せずに
活動したのか、したことないのかは当方存知ません。身内の争い
で中国政府の覚えめでたく功名争いに成功したというだけであり
まして、それ以上でもそれ以下でもありますまい。「反党分子」
というのは、日本共産党から除名されたということでありまして
あの戦争の時に帝国主義的侵略に対して反対した唯一の党への反
対をしたということです。劉少奇氏らの被ったような【ヌレギヌ】
ではありません。

[110] ツリーが長いので新規 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/18(Wed) 00:58
|つまり、日中友好協会のかたがたは、華僑学生がお行儀が悪く、ニセ
|日中だなどと失礼なことを言うから、話しても無駄だと思ったという
|ことでしょう。だから、腹を割って話し合おうとはしなかったという
|こと、ほとんど論証されています。

モノは言いようです。「相手はこれは組織だってやっているに違いない」
そうしますと「話をするのは意味がないだけでなく、そうした接触をする
事自体が危険」、と組織として対応するのでは?それと、猛獣文士さんの
おっしゃる自由意志というのは、「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」
でしたっけ、自由意志としてコマンドになっている者の自由とは、組織の
(最高指導者の)指導に忠実に作戦を実行する事という話もあります。
つまり本人の最高の自由意志として、断固毛首席の指令にしたがったまで
と。

|「毛議長」の話は、私の記憶ですが、別にそのこと自体をどうこう言って
|いるのでなく、華僑の青年と日中関係の機関の人が、非常に密接に作業す
|ることがあったということを言っているのですが、同じことを何回いえば
|いいのでしょうか。
|これは、外電を翻訳するときの話だと覚えています。また、その翻訳をそ
|のまま使ったかどうかは不明です。その話を聞いた人に、もう一度インタ
|ビューしてみれば、分かるかもしれません。また、その人も忘れているか
|も知れませんね。

なるほど、せんじつめればそうした密接に作業する間柄としてホンのさ
さいな気持ちのぶつかり合いもある、という単なる一般論ですか。誤解。

|毛沢東が、善隣学生会館のことなんか考えているとも思いませんが。
|もっと、忙しかったんじゃないですか。ところで、毛主席です。首席
|ではありません。廖承志事務所の孫平化さんは、首席代表です。とこ
|ろで、華僑学生が、なんで、毛沢東に刃向かって壁新聞を出すのでし
|ょうか。よく意味がわかりませんが。

「首席」は誤変換です。すみません<(_ _)>。
主席は代表者っぽいですが、首席だと単なる一番という感じに
なっちゃいますね。

|華僑の人たちは、みな独自に判断していたんですよ。その当時、台湾派
|の運動もいまより活発だったし、選択肢は沢山あったのですよ。政治的
|な運動にかかわらないで、お金儲けだけしているほうがいいという人も
|います。中国共産党を支持するように、強制する人は誰もいません。自
|分で、中国の歴史を勉強し、大陸の政権を選んだんじゃないでしょうか。
|指導をうけたというのは、後のことで、またロボットになったというこ
|とでもありません。

それにしても「敵」とか「味方」というのを主席の党にお伺いもたてず
に勝手に決めたと推量するのは、逆に怖い気がします。そしたら人民解
放軍って現場の将官の判断でいつでも攻撃する相手を決めて、てんでに
攻撃する戦法になっていたのでしょうか。「敵」という規定は、大変重
要な決定です。「敵」になっちゃいますと、ガラスを割ってもいい、殴
ってもいい、罵倒してもいい、丸太でゴンゴンしてもいい、という事に
なります。また、いくら独自に決定していても、それに対して中国共産
党からの抑制と制止がないのは、若者を影でそそのかして、その気にさ
せて、影で知らんぷりしている嫌な組織者を想像しちゃいますね。どち
らかというと、本場の紅衛兵もそんな風にそそのかされた部隊がほとん
どだったのかな。

|わたしは、ずいぶん、毛沢東の悪口雑言を言っていましたけど、殴られ
|はしませんでしたね。

それは何より。

|こういう情報というのは、どこからともなく漏れるものです。紅衛兵は、
|中国の公的機関でもないし、そのような壁新聞の内容について、中国共
|産党に矛先を向けるのは間違いです。

高校生がケンカしたとかそういうレベルのものではありません。日本の
党内ではほとんど漏れることもなく一定期間保持されていました。党間
の取り決めに則って「なかった事にしよう」と毛沢東氏が提案された事
がこうして党外の若造の手になる壁新聞などに殴り書きされている。こ
れは党として作戦計画に基づいての事以外には考えられません。まあ党
の民主集中制が崩れた末の文革ですから、党の路線というより「一派の
路線」ということですけれども。そして「中国共産党に矛先を向けるの
は間違いです。」これはおかしい。中国党は98年に(以下略)。自分で
原則にあいいれないやり方を総括して是正されたということですから、
それは中国共産党が党の原則を踏み外したとみて間違いないはず。

|前段からの推論がこの段落でしょうが、論理的な推論としては、非常に
|薄弱な展開だと思います。

北京の紅衛兵はこう述べています。
|「毛主席に反対するものはだれでも打倒する、われわれは東京まで
|鉄拳をのばしてお前たちの犬の頭を殴ってやる」(2月10日)

「毛主席に反対するものは(略)なぐってやる」ホラ当方の指摘どおり。
そしてこの「殴ってやる」は善隣学生会館内の友好協会本部にも、国貿
促の組合事務所にも、亜細亜通信の事務員にも、頻発しています。別に
寮生が全部したわけではありませんね。しかし具体的に暴力行為がこの
言葉どおりに実行されました。赤旗「主張」(2/19)や青柳氏の「ひと
ひねり」正当防衛権の議論(2/21)は皆この「東京の犬の頭をなぐって
やる」に対して正当防衛権を法的に解明し、恐れることなく凶暴な暴力
にも立ち向かうという意味であります。1月ごろから彭真氏でしたっけ、
劉少奇氏でしたっけ、三角帽子をかぶらされ、罵倒する文字の書かれた
看板を自分の頚にかけさせられ、髪の毛を後ろからつかまれ、両腕をね
じり上げられ(後に無実とわかる)打倒された中国党幹部の異常な姿を
拝見している者にとっては、そういう論だては是非とも必要だったで
しょうね。

何千何万もの、あとで無実と名誉回復される人が、「人民の敵」だとし
て打倒されてしまいました。後で無実だとされるのは、やはり一方的な
決めつけが横行したのでしょうね。それにいちいち毛主席が指図したと
いうのは適切ではないでしょうね。ただそうして無辜の民を一方的に決
めつけて、時には即決裁判権まで与え、暴行で負傷させる、財産(それ
は中国全体の宝であったりもした)を焼却する、これを容認し、先頭に
たって推進したのが毛主席でした。国内では名誉回復されましたが、そ
の後、中国共産党は、98年まで、それを干渉行為だと明白な反省をしな
かった言わば日本共産党に対しては名誉回復もせず、ずるずると「日本
の真の革命党は日本労働党だとか日本労働者党」だとか持ち上げながら、
彼ら日本共産党を脱走した者を撹乱勢力として温存し、資金を提供しつ
づけました。この際に労働党の誰それが資金状況を中国党に無心するの
に報告している文書が発見されます。自党のメンバーに対しては伏せ字
で非公開な資金状況も中国党の対日干渉作戦のセクションには正直に数
字を報告しているようです。さもしい奴らですな。
(1985年11月18日赤旗評論特集版掲載、1980年5月の日本労働党と
中国共産党との会談記録)

[114] Re: ツリーが長いので新規 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/18(Wed) 17:15
> |つまり、日中友好協会のかたがたは、華僑学生がお行儀が悪く、ニセ
> |日中だなどと失礼なことを言うから、話しても無駄だと思ったという
> |ことでしょう。だから、腹を割って話し合おうとはしなかったという
> |こと、ほとんど論証されています。
>
> モノは言いようです。「相手はこれは組織だってやっているに違いない」
> そうしますと「話をするのは意味がないだけでなく、そうした接触をする
> 事自体が危険」、と組織として対応するのでは?それと、猛獣文士さんの
> おっしゃる自由意志というのは、「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」
> でしたっけ、自由意志としてコマンドになっている者の自由とは、組織の
> (最高指導者の)指導に忠実に作戦を実行する事という話もあります。
> つまり本人の最高の自由意志として、断固毛首席の指令にしたがったまで
> と。
>


当時の華僑青年の状態はこんなものですね(光岡玄「善隣学生会館流血事件の意味するもの」より)

|V 事件前の華僑学生の状況について
|
| ところで、日本共産党指導部が「前近代的無法者」“紅衛兵”の東京における“代理人”と目した善隣学生会館の
|華僑学生は一体どんな人たちで構成されていたのであろうか。そのまえに善隣学生会館の華僑学生を理解するうえで
|在日華僑青年のおかれた教育状況にふれておくのも無駄ではないだろう。現在(1967年当時−編集者)、在日華僑
|の数は約4万8000名、そのうち青年学生が1万5000名をしめているといわれる。
|
| 青年総数のうち約80%が日本の学校教育をうけており、残り20%が半々のわりあいで中華人民共和国系と台湾
|当局系の民族教育をうけていると云われている。したがって母国語すら話せない青年も少なくないし、思想状況も複雑
|である。在日70万人の朝鮮人とことなって大学にいたるまでの一貫した民族教育はまだなされていない。ただわが国
|における屈折した生活環境と祖国の発展ぶりを反映して、強固な愛国心の持主が多いことが特徴的である。
|
| これが在日華僑青年の一般状況であるが、さて善隣学生会館についていうと、流血事件前後は新学年の入れかえ時期
|にあたっており、約50余名の寮生の多くは、地方の親元を離れて東京の大学に入るために上京してきた男女の高校
|卒業生であった。かれらの多くは「日中友好協会」の反中国活動にその祖国愛から憤激しつつも、当面のエネルギーを、
|親元の期待にこたえて、入試の難関をこえ大学に入ることに注いでいたのである。
|
| 筆者自身もこれら華僑学生と話しあったことがあるが、かれらが祖国でおきている文化大革命について、基本文献
|すら目を通していない人が多いことに一驚させられた。また日本の地方という特殊環境に育ったかれらが、祖国で
|おこっている事象について理解を深める機会をうるのは、大学の学生生活に入って以後だろうことをつくづくと感じさせ
|られたのである。
|
| こうした状況のもとにある善隣学生会館の華僑学生たちが1ヵ月半もまえから、つまり入試準備にもっとも忙しかった
|1月半ばから計画的襲撃を準備していたなどと伝えるのは、善隣学生会館の華僑学生の実態についての全くの無知か作為
|によるものとしか思われない。『赤旗』紙のばあいは明らかに後者であろう。
|
| このような、華僑学生を中国本土の紅衛兵にも劣らない毛沢東思想の活学活用―強固な実践者に急激にきたえあげた
|ものはほかでもない日共党員たちの2月末から3月初めにかけて流血を招いた集団暴力行為だったのである。
|
|もちろん、善隣学生会館の中国留学生後楽寮自治会は、1966年11月末に「本館は中日友好と文化交流を目的として
|おり、中日友好を妨害するものが、この会館にいることは道理に反する」との声明を大字報(壁新聞)で明らかにして
|いた。さらに1967年に入り「日中友好協会」の反中国活動が激化するにともない、「本会館を反中国の目的に使う
|な」「日中友好の旗を掲げて日中友好に反対する破壊分子は会館から出てゆけ」という趣旨の壁新聞を数回にわたって
|はりだしていた。しかし、これらの行為はいずれも華僑学生の気持ちを率直にあらわした証拠にはなるが、「襲撃の計画
|的準備」の証拠にはただちにはなりえないものである。2月末から3月初めにかけておきた流血事件は、日本共産党修正
|主義指導部の方こそがかえって華僑青年学生にたいする集団暴力を計画的に準備していたことを証明したのである。



> それにしても「敵」とか「味方」というのを主席の党にお伺いもたてず
> に勝手に決めたと推量するのは、逆に怖い気がします。そしたら人民解
> 放軍って現場の将官の判断でいつでも攻撃する相手を決めて、てんでに
> 攻撃する戦法になっていたのでしょうか。
>

壁新聞で、ニセ日中、修正主義、反中国とか言う言葉はありましたが、敵とか味方とか言う話は
なかったのでは。

> こ
> れは党として作戦計画に基づいての事以外には考えられません。まあ党
> の民主集中制が崩れた末の文革ですから、党の路線というより「一派の
> 路線」ということですけれども。

話はそれますが、民主集中制というのは評判が悪いようですね。

> この際に労働党の誰それが資金状況を中国党に無心するの
> に報告している文書が発見されます。自党のメンバーに対しては伏せ字
> で非公開な資金状況も中国党の対日干渉作戦のセクションには正直に数
> 字を報告しているようです。さもしい奴らですな。
> (1985年11月18日赤旗評論特集版掲載、1980年5月の日本労働党と
> 中国共産党との会談記録)

私は労働党にはがんばってもらいたいと思います。また、日本共産党は前衛をやめたということであり、日中共産党
の関係も兄弟党の関係ではなく、中国の政権党と日本の一革新政党との関係ということですから、中国共産党が日本
労働党と関係を持つことにとやかくいう筋合いはないと思います。

[120] せめて劉少奇氏に学ぼう 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/17(Fri) 05:09
ところで

|私は労働党にはがんばってもらいたいと思います。また、日本共産党は前衛
|をやめたということであり、日中共産党の関係も兄弟党の関係ではなく、中
|国の政権党と日本の一革新政党との関係ということですから、中国共産党が
|日本労働党と関係を持つことにとやかくいう筋合いはないと思います。

猛獣文士さんは、「日本共産党は前衛をやめた」というのは、一体
どのような意味内容として言及しておられるのでしょうか。
つまりいつからそのような御認識に至ったのか、ということです。
67年ですか、98年ですか、それとも2000年秋になってからですか。
ここには一つの矛盾があります。もしも2000年秋になってからその
ように感じたというのであれば、これまで30数年間は猛獣文士さん
は日本の前衛党に攻撃をする立場であったということになります。
日本共産党が前衛であるならば、その影響下にあった日中友好協会
も反中国ではありえず、その事務所を暴力をもって襲いかかった寮生
らはプロレタリア国際主義の原則から指弾されるべき犯罪者でもある
ということですよね(^_-)。

ところで、規約改正の項で日本共産党は自己規定としての”前衛党”
という規定をはずしました。これは「前衛があるのなら後衛もあるの
だろう」という、ソ連や中国の”社会主義”の現実を見た市民からの
当然の批判に答えたものです。そうです。前衛と言うときには後衛の
ようなものを想定しちゃいます。また、党の規約や内部の決定を外の
社会、政府や国全体におし及ぼすようなソ連ゆかりの弊風がありまし
た。これこそ文革だったり林彪氏を毛沢東氏の後継者と党規約で決定
しちゃうような事の謂でありました。

民主集中制というのも、納得済みの党内では必要なものではあります
が、誰も納得して生まれてきたわけではない国民全体に押し及ぼして
はいけません。これまた文革時の中国はそれに近いものがあったので
はないでしょうか。また逆に紅衛兵なる党員でない者を党大会に呼び
入れた事も民主集中制の崩れでありましたし、議論するのでなくて
つるし上げにして、暴力を加えるのも民主集中制に反します。中国の
党の民主集中制とはどのようなものかは知りませんが、党規に関して
の第一人者は、なんと打倒されちゃった劉少奇氏で、彼の論文集には
民主集中制を論じたものがあるはずです。中身は薄いまま、熱意だけ
は愛国的な猛獣文士さんには、是非とも本物の共産党員の劉少奇氏の
著作から読み直しして教訓を汲み取ってみることをお奨めします。

ちなみに”兄弟党”というのも、兄と弟とがあって、兄が親(ソ連)
に成り代わって弟を指導する、というようなニュアンスがあるという
事から最近は使われてないわけです。また、中国共産党の路線が真に
社会主義と言えるのかどうか、それを”白紙”から観察する、という
フリーハンドのためにも、寧ろ”兄弟党”という規定にはしなかった
という経緯がありました。また”兄弟げんか”だとしたら、どんな
蛮行でも正当化する、ということでも困りますしね。たとえばソ連と
アフガニスタンの一部勢力とは”兄弟”でありまして、ある日
突然ソ連はそれを口実に攻めてきて紛争が発生しました。おおこわ。

日本労働党は中国共産党の”兄弟党”として今存在しているのでしょうか?
戴部長さんに聞いてみたいものです。いまの日本労働党は、江沢民氏
はいうに及ばず、戴部長さんとだって口も聞いて貰えないんじゃないかな?
日本に根がないから、中国から支援がないと選挙に出られない。先の
総選挙でも比例選挙があったけど、見なかったよねえ。もう先がない。
むしろ財界や政府自民党勢力に「中国との橋渡しのNGOです」なんて
取り入って、日本人の浄財が中国の貧しい人や子どもを救うために拠出
されるのを、上澄みをかすめとるぐらいがセキの山じゃないかな。可哀想
なのは、ほんに困っているのに、その金が届かない中国の人々(;_;)と
浄財として中国で活かされると信じてチャリティの応じた日本人です。

「とやかく」言うかどうかは、日本人にはフリーハンドで自由があります。
「いう筋合いはない」というのは乱暴な大国主義で拒否します(きっぱり)。

中国党の党間関係を律する原則というのは、そんなに伸びたり縮んだり
相手によって形を変えるアヤフヤなものでしょうか。もっと毅然と
綸言汗のごとしで一度決めたら剛直に守って暮れると思うんだけど。
こないだTVで見た朱首相のご様子を当方はそう見たのですが。

話は変りますが、35氏声明(1967年3月)に名前を連ねていた水上勉
氏は2000年になって不破哲三氏と共著で本を書いていました。
「一滴の力水」光文社刊
なんでも89年の天安門事件当時、北京に訪中団の代表できていて
ホテルの窓から現場を目撃したんだそうで、命からがら帰国して
家に帰り着いて2時間ほどで心臓発作を起こし死にかけた、その後
療養中に不破氏が同じ心臓発作の後に元気だというのを知り水上氏
が「会いたい」と電話して、90年代初頭からのつきあいなのだと。
それで”心友”だというような話です。本の末尾の方で不破氏が
中国党とのいきさつと合意の事をさらっと説明しますと、水上氏は
「よかったですね」と同じくさらっと応じています。

[117] Re^2: ツリーが長いので新規 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/17(Fri) 03:44
|私は労働党にはがんばってもらいたいと思います。また、日本共産党は前衛
|をやめたということであり、日中共産党の関係も兄弟党の関係ではなく、中
|国の政権党と日本の一革新政党との関係ということですから、中国共産党が
|日本労働党と関係を持つことにとやかくいう筋合いはないと思います。

そんな感覚ですか。やはり時が静止しちゃってますな。
中国共産党中央常務委員会の決定かどうか、少し調べてみたら。
この懲りない精神構造は、思うに、日本の反動派のそれと相似形です。
前に、ジャングルで一人で戦争をする日本兵という形容をしましたが
それは取り消します。”ジャングルで”というのは、頑固で狭量では
ありますが、原則に忠実でありつづけるという意味でありまして
果てしなく、現状に妥協しつつ、他は妥協しつつも日本共産党憎し
だけを頑張っている人はまた別の規定が必要ですね。

猛獣文士さんがいう「日本の前衛党」というのは、結局
中国の林彪-毛沢東のクーデターの路線、そしてフィリピン
「新人民軍」や、ポルポト派の路線という事でしょうかね。
戴部長さんがおおわらわでアジア諸外国に、「中国は貴国に
干渉しない」と対外関係を改善しようとしている、まさに
そのときに、ゴンベが種まきゃ式に潰してまわるわけだ。

|話はそれますが、民主集中制のいうのは評判が悪いようですね。

理想 > 民主集中制 > 文革・日本労働党・ポルポト派
何があってもポルポト派や文革の時の中国になるのは嫌です。

|壁新聞で、ニセ日中、修正主義、反中国とか言う言葉はありまし
|たが、敵とか味方とか言う話はなかったのでは。

詭弁です。敵かどうかという規定なしに「ニセ」などと突然
呼び辱めるわけがないじゃない。常識で判断しましょう。
当時の寮生の人は、けして「毛主席の意に反して」壁新聞を
貼りだしたとは思ってないはずです。「毛議長と書かれた」
として怒ったのでしょ?そして周恩来氏や廖承志氏が50年代
に何度も言明した華僑の役割を、まったく踏みにじって
自らを日本共産党や日中友好協会より上の、いわば裁判官の
役割にして、国際間の儀礼も、同居人の常識もなく”戦士”
たちは頑張ったわけです。毛沢東氏への忠誠のためにね。

ちなみに、反党分子安藤彦太郎氏の編になる「廖承志文集」では、
1954年の紅十字代表団副団長としての来日時の廖氏の華僑団体へ
のあいさつとか(「北朝鮮に消えた友と私の物語」萩原遼著 文芸
春秋社98年)59年の挨拶とか(「裏面史」)そういう華僑の非政治
化路線がすっかり抜かれているのには驚きました。
やはり66年以降の廖承志氏なりその下の日本チームの路線ではその
従来路線が否定され、日本労働党などの支援に猛獣文士さんが動く
のを許すようになってゆく非公然闘争の路線が影にあって、その整
合性のために隠す必要があったのかなと、想像しちゃいました。

こんな困った人士の困った歴史的に形成された悪影響に対処して
現在の中国共産党の路線を徹底するのは、大変ですな。戴部長さん
や朱秘書長さんの苦節。よそ事ながらおさっしします(;_;)。

光岡氏の本も逐条的にみてみましょうか。

| ところで、日本共産党指導部が「前近代的無法者」“紅衛兵”の東京に
|おける“代理人”と目した善隣学生会館の華僑学生は一体どんな人たちで
|構成されていたのであろうか。

光岡氏は、紅衛兵の事を全体として”評価”していたのでは
なかったかな? そして自ら造反団というグループを作って
(正統)の中でも造反していて、結局科野ビルでも武闘を
して監禁脅迫したんでしたね。そうした本人が紅衛兵なのに
「“紅衛兵”の東京における“代理人”と目した」ってこの
センテンスでは、通常の読者は、寮生らと紅衛兵との違いを
強調しているように読めますが。寮生らが、当時聞いたら
”僕らは本物の紅衛兵だぞ!」って怒るんじゃないかな。

|そのまえに(中略)寮生の多くは、地方の親元を離れて東京
|の大学に入るために上京してきた男女の高校卒業生であった。

だいたいわかりました。だけど高校卒業生というのは、それが
無辜の民であることを証明しません。本場中国では小学生が学校の
先生をどつきまわして毛沢東に褒められています。

| こうした状況のもとにある善隣学生会館の華僑学生たちが1ヵ月半もま
|えから、つまり入試準備にもっとも忙しかった1月半ばから計画的襲撃を
|準備していたなどと伝えるのは、善隣学生会館の華僑学生の実態について
|の全くの無知か作為によるものとしか思われない。『赤旗』紙のばあいは
|明らかに後者であろう。

準備は、それこそ66年秋から準備していたでしょうね。それも大人の
光岡氏らも加勢してるんだから、何をか況んやです。

[118] Re^3: ツリーが長いので新規 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/17(Fri) 03:45

| このような、華僑学生を中国本土の紅衛兵にも劣らない毛沢東思想の活
|学活用―強固な実践者に急激にきたえあげたものはほかでもない日共党員
|たちの2月末から3月初めにかけて流血を招いた集団暴力行為だったので
|ある。

あ、(゜〇゜;)やはり光岡氏は、”紅衛兵”を肯定的に扱っているのね。
何か通常の民間人とは違う、鍛えられたコマンドだと軍事的に評価して
いるわけね。”人民戦争の勝利万歳”というわけだ。高校をでてきて
何の政治教育も受けず、共産主義も何も知らない、純朴な青少年が
紅衛兵の東京における代理人だというのは間違いだけれど、3月2日
以降は本物のコマンドになって、なんだってやっちゃうゾ。筋金入り
のコマンド、一人前の暴力革命唯一論の戦士になったと。それで他人の
お葬式の案内の掲示板をいたずらしてお葬式を妨害したり(「日中友好
運動裏面史」より)人が中にいる事務所の扉を鐘突き棒のような丸太で
ゴンゴン突き壊そうとしたりするようになったのか。

ちなみに、本場中国の”紅衛兵”も元祖は中高生でした。「無知な生徒
たちを毛沢東はうまく利用し」というような記述は、本場中国の、紅衛
兵に懲りたみなさんには、いわば常識でして、憎しみと軽べつを込めて
繰り返して指摘されている所です。前にも触れましたが、教師の家を襲
い、教師を寒空に上着も着せずにひざまずかせて待たせ、勝手に上がり
込み、英語の本があると「アメリカのスパイ」の証拠として教師を木の
板で殴る。そういう蛮行はやはり一定理性の芽が育った大人よりも、ガ
キの方が育成しやすいと。

|   もちろん(略)「本館は中日友好と文化交流を目的としており、
|中日友好を妨害するものが、この会館にいることは道理に反する」との
|声明を大字報(壁新聞)で明らかにしていた。

毛沢東主席の息のかかった指導をうけてね(^_-)。高校でたばかりのガキ
が「道理に反するからでていけ」とのたまうわけです。60年代の雰囲気
をよくあらわしていますな。

|さらに1967年に入り「日中友好協会」
|の反中国活動が激化するにともない、「本会館を反中国の目的に使うな」
|「日中友好の旗を掲げて日中友好に反対する破壊分子は会館から出てゆけ」
|という趣旨の壁新聞を数回にわたってはりだしていた。しかし、これらの
|行為はいずれも華僑学生の気持ちを率直にあらわした証拠にはなるが、
|「襲撃の計画的準備」の証拠にはただちにはなりえないものである。2月
|末から3月初めにかけておきた流血事件は、日本共産党修正主義指導部の
|方こそがかえって華僑青年学生にたいする集団暴力を計画的に準備してい
|たことを証明したのである。

「ただちにはなりえない」なるほど、刑事的に訴追されるならば、そのよう
に弁護もできますが、刑事事件の法廷でなければ、もっと灰色でも道義的に
「それは寮生側だろ」と世間はよく見ると見ます。光岡氏が苦しい言い訳。

これしきのいいわけで、扉を丸太で突くとか、バリケードで入り口やトイレ
への通行を封鎖するとか、窓ガラスを瓶や棒で割るとか、女性を暴行すると
か、お葬式の妨害するとか(涙)、仮処分もでるような蛮行を全部免罪でき
るのでしょうかね。それと、前に猛獣文士さんは、(正統)に新事務所建設
資金を持ち逃げされたという話や、共に25氏声明に基づく国交回復3千万
署名を進めましょうとか対話すれば、寮生たちは手を引いて、誤解が解けて
衝突に至らなかったという、美しいお話をしてくれました。この光岡氏の言
うコマンドたる寮生の姿とのえらい違いに注目。光岡氏の文を読むかぎりは
そういう猛獣文士さんの寮生への”美化”は全部崩れます。

・(乱暴な)紅衛兵と寮生とは違う
・まだ(勇敢な)紅衛兵ではなかったが、立派な紅衛兵になった

ざっと見ると光岡氏の論では、後者だということですよね。
読んでいて、ふと気がついたのですが
百歩譲って、善隣学生会館での日中友好協会や日本共産党が悪いと
して、なんだか、それ以後の彼ら寮生がどんなに暴力を振るう本物
紅衛兵になって、誰をどのように乱暴しようと、この光岡氏の論で
はそれこそ日本共産党のせいだとまで言わんばかりの、論調ですな。

それって反社会的な紅衛兵の蛮行を肯定しているのでしょうか。

それとも、「日本共産党と戦うのに余儀なくされた(よくない事)」
としているのでしょうか。このあたり、根本的に【暴力】に対する
認識に疑いがありますが、猛獣文士さんはどう思いますか。
日本の国法や公序良俗に関して、適法性とか、市民的道徳として
何が望ましい状態としているのか、とか、そういう議論がなくて
片方の暴力を責め、もう片方寮生の今後の暴力を肯定するか
それとも「華僑学生を中国本土の紅衛兵にも劣らない毛沢東思想の活
学活用―強固な実践者に急激にきたえあげたものはほかでもない日共」
と罪を相手になすりつけつつ、合理化するのか。そこらあたりの
光岡氏の御意見が聞いてみたいものですな。

「真の革命党」たる日本労働党ファンの猛獣文士さんならばどちら
だと思います?

[119] 萩原燎氏の朝鮮関係の本参照 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/17(Fri) 03:47
「北朝鮮に消えた友と私の物語」萩原遼 文芸春秋社 1998年11月

P308〜”8 帰国運動の暗流”の章
それまでの記述は、いわば、長い長い前振りでありまして、このページ
から本題が始ります。これは、どのように戦後の在日朝鮮人が日本
共産党の指導から北朝鮮の指導に移り、北朝鮮の後ろ盾のもとで
ハンドクス氏がどのように朝鮮総連の指導者になったかという話です。
その話の中で、非常に重要なターニングポイントに中国の周恩来氏
のインド中国の1954年の有名な平和五原則の線での方針があり、それ
を紅十字社の代表団の副団長として訪日した廖承志氏が日本の華僑に
むけてのスピーチという形で日本の運動(日本共産党や在日朝鮮人
の運動をも含む)に国際的な指導として通達してきた、という話が
でてきます。

P340〜
1954年十月三十日〜十一月十二日までの中国紅十字会の李徳全女子を
団長とする訪日代表団、副団長に廖承志氏、在日華僑との懇談の席で
の”あいさつ”。同年6月の周恩来・ネール「平和五原則」を基に。
1955年3月3日、14項目の決定 日本共産党中央民族対策部会議。
(朴慶植編 「朝鮮問題資料叢書」第15巻からの引用)

ちなみに、安藤氏の訳になる「廖承志文集」徳間書店刊には
こうした重要な政治的役割を演じた廖承志氏の発言が一切載ってな
い。日本共産党内で反党活動をし、除名された中国共産党の手先の
安藤氏らの編集意図として、元々の華僑への中国共産党の指導が
どのように日本の政治に関与しない方針であったか、それを後に
廖承志氏がどのように自己の発言を手のひらを返して暴力革命唯一
論の路線から、華僑人士にけしかけ、中国共産党の路線が変更され
たか、ということを隠ぺいする意図があったものと思う。

しかし、こうした廖承志氏の発言は、萩原氏の解明を待つまでもな
く安藤氏のコテ先の手管で隠ぺいできるものではない。なぜなら朝
鮮韓国両国民に於てもこれは民族の運命をかなり左右する重大問題
であったから、こうした発言は、朝鮮人の民族問題として、こうし
て韓国側の資料にも、在日朝鮮人・韓国人の運動の資料にも掲載さ
れざるをえないからである。いわば日本共産党にいいなりになる必
要のない第三者である朝鮮問題の側の研究者の解明でこれが出てく
るのは、いわば事の重大さから見れば、必然である。

第一に、平和五原則の中で謳われていた通り、「内政不干渉」の
原則をたてて、それで華僑も在日朝鮮人も非政治化したのである。

第二に、「文革」の国際的な波及の過程で、そうした平和五原則的
な中国共産党の「党間関係を律する原則」があいまいにされ、目先
の政府・党の利益のために在外華僑が利用されたということである。

第三に、「文革」は国内的には”災害”と明確に批判されたのだが
対外的には、ながく曖昧なまま放置されてきたのである。

第四に、今の指導部は、できればそれを改めようという意志を
98年以来基本的に持っているらしい、ということである。

さて、「文革」の時期の対外関係の混乱、「平和五原則」以来の
中国共産党の本来の平和的な対外関係からの逸脱である暴力革命
唯一論の路線、この路線に基づく中国公民である華僑の”抵抗権”
を「正統」とするのか、それとも「平和五原則」の路線からの内
政不干渉の路線を「正統」とするのか。

この原則からの逸脱が日中友好協会を「偽日中」だとか「反中国」
だとか寮生らが(形式的には寮生が自主的に判断したとされるが、
実際は中国共産党からの指導ルートにのってやってきた方針の鵜
呑だが)一方的に論断し、攻撃を開始した原点であると見ること
ができる。

[122] Re: 萩原燎氏の朝鮮関係の本参照 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/11/18(Sat) 19:13
大阪の人さん、長い書き込み有難う御座いました。

いろいろな質問をまとめてするので、最初の質問に答えようと考えている間に、次の質問が出てきてしまい、対話には
なりにくい書き方ですが。

まとめてお答えすることにします。論点がずれていたら、ごめんなさいというところでしょうか。

第一に、日本共産党が前衛をやめたという話ですが、何時やめたのか、私はよく知りません。しかし、最近の規約やら
綱領やらの改訂で、前衛であるという文言を削除したということですから、これは前衛をやめたことに間違いはないで
すよね。私は、日本共産党が前衛をやめたことについて、批判したり非難したりする気持ちはありません。

そこで、前衛でない日本共産党と、小規模な政党の日本労働党との関係ですが、中国共産党と日本共産党が、世界共産党
やら、インターナショナルやらの支部として、それこそ兄弟党として存在するのであるならば、世界共産党の支部が日本
に二つも三つもあってはまずいのだから、前衛党は一つしかないといって、他のマルクスレーニン主義政党を排除するの
は論理的に一貫しています。しかし、現在の日本共産党は、自己規定からいっても、日本の議会制民主主義を前提とする
一個の革新政党であるようです。多数の党が存在することを前提とする議会制民主主義の原則から言って、いろいろな
主義主張を持っている人たちが、いろいろな政党を作って、政治に参加することは、当然のことですよね。労働党の行動
や主張を批判するのは自由ですが、この党が存在することを否定することはできないでしょう。

また、中国共産党は中国の政権党として、自民党とも公明党とも社民党とも正常な関係をもっていると思います。日本
労働党は規模は小さいですが、一応、公的な政党として、日本の政治に自分なりの立場で参加していこうとしているの
ですから、中国共産党がこの党と関係をもとうと、もつまいと、そのようなことは日本共産党が中国共産党に指図する
ようなことではないということです。なお、私自身が、現在、日本労働党となんらかの関係をもっているということで
はありません。

「反党分子」安藤彦太郎さんのことですが、他の人々は知りませんが、私は、今まで日本共産党の党員であったことも、
シンパであったこともありません。したがって、反党分子という言葉は、私にとっては何の価値的な判断材料にもなり
ません。むしろ、このような耳障りな言葉を目にしたときは、それを使用する人の良識を疑いたくなります。

私は、1960年代に安藤彦太郎氏の講演を聞いたことがあります。それ以来、好感をもっています。また、氏は現在、
財団法人日中友好会館(旧善隣学生会館)の理事をされているということです。日中友好運動の伝統は、こういうところ
で、まだ続いているのかなと思っています。

[111] Re: ツリーが長いので新規 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/18(Wed) 00:59
|それは、そのときになってみなければ分かりませんが、たとえ
|ば、お金を持ち逃げしたとかいうような、ことを聞けば、感じ
|方(おまえらはうそつきだとか言う)は変わったんじゃないで
|しょうか。ところで、持ち逃げの真偽については、私は知りません。
|たとえば、宮本顕治氏の手記の最後に書いてあるように、「そ
|れぞれの国の人びとが、最善と思う道を探求しているが、歴史
|の検証はゆっくり待とう。」などと言う態度で、自分らの立場
|を説明すれば、最終的に会館を退去するにしても、後の感情は
|ずいぶん違ったものだったんじゃないでしょうかね。党の関係
|はどうしようもなくても、個人的には仲良くしようとか。しか
|し、とにかく、そのような努力はしなかったんじゃないですか。

これは過去に向かって現在の認識をあてはめて、理想論から説教
する手法です。お説はもっともですが、理想論な分だけ割引です。
宮本氏は毛沢東氏と会談した際には、あのようなソ連とも朝鮮と
もあいまみえたことのない、前代未聞の攻撃にさらされようとは
思いもしなかったはずです。だって日中両党の共闘なんて当然の
暗黙の前提でしたからね。また党の中央の人の会談後の意見と
友好協会の現場の事務局員さんの実感はまた違うでしょうね。い
きなり一方的に「ニセ日中でていけ」と突然張りだされる。それ
に先だって党からパラパラと脱走する者がでて、協会の組織の分
裂は画策され、あげく調べて見ると金はもぬけの空という経過。
剣呑に対応する寮生らに、笑顔で説得と対話をしろと。

中国共産党は、国内では、大々的に98年の両党合意を発表してい
ます(と不破氏の本が述べているだけで、当方は当時の中国国内
でどうか詳しくありません)が、在日華僑の皆さんにはどのよう
にこれを普及し、解説しその実践面への適用としての方針をうち
だしているのでしょうか。
それとも、やはりあれは、「下僕グループの陰謀」だったか(^^;)。
反証をとって、お調べになる事から始めるのもいいかも。

|その情報を、是非教えてください。

3度目ぐらいですが(^^;)
本の題名:『教育革命』
発行年月日:1967年8月11日
論文の題名:「中央の責任者への講話」
論文の発せられた日時:1966年7月21日

「日本共産党の70年」の記述では
|毛沢東は、この権力闘争の過程で、「文化大革命」の主敵に
|「アメリカ帝国主義、ソ連修正主義」、「日本反動派」と並
|んで日本共産党をあげた(「中央の責任者への講話」六六年
|7月)。これは後に「4つの敵」論として定式化されたが、
|このことは、毛一派の覇権主義的な野望にとって、自主独立
|の立場にたつ日本共産党が最初から最大の「敵」の一つとし
|て位置づけられていた事をしめすものであった。

また、同書の少し先の段落で
|日本共産党の道理と節度をまもった態度にもかかわらず、毛
|沢東一派の干渉は、第十大会後もいよいよ無法に拡大された。
|1967年1月には、北京の紅衛兵の壁新聞が前年の日中両党会
|談で毛沢東の修正案を拒否した日本共産党を名指しで直接攻
|撃するに至った。党は「赤旗」論文「紅衛兵の不当な非難に
|答える」(1月24日)で必要な反撃を加えた。さらに2月に
|は「宮本顕治らばかどもよ。お前たちは犬の耳をよく立てて
|聞け。毛主席に反対する者はだれでも打倒する。われわれは
|東京まで鉄拳をのばしてお前たちの犬の頭をなぐってやる」
|と宮本書記長を口ぎたなくののしった新聞がだされるにい
|たった。この予告のとおり、2月28日から、3月2日にか
|けて、日中友好協会から脱走した盲従分子と、一部の華僑学
|生が、東京の善隣学生会館内の日中友好協会本部を襲撃する
|事件がおこり、干渉は直接の暴力をもって民主運動を破壊し
|ようとする段階にまでおよんだ。党と自覚的民主勢力は、こ
|れと断固としてたたかったが、北京放送や「人民日報」は、
|事件の真実をゆがめつつ日本共産党を公然と「修正主義」よ
|ばわりして攻撃した。さらに、干渉者たちは、党から除名さ
|れた裏切り者の西沢隆二たちを北京に賓客として招待し、公
|然とその反党活動をはげますと共に、日本共産党をアメリカ
|帝国主義や佐藤内閣、ソ連と同列において、「中日両国人民
|共同の敵」にかぞえあげる、いわゆる「4つの敵」論をとな
|えて日本人民に日本共産党に反対する闘争を公然とよびかけ
|た。
とあります。とすると66年7月の「中央の責任者への講話」は
「4つの敵」の定義づけの基本線の確立とし、公然とした
「4つの敵」論の世間への公表はこの西沢らへの指示命令と
して定式化されたという事になるかな。

いずれにせよ、4月5月ごろから、党破壊の活動は開始され
ていたのでありまして、この記録のとおり66年7月から開始
ではないのはまた当然です。

ちなみに破棄されちゃった幻の日中コミュニケは「日中両党
会談始末記」小島優編(新日本文庫)にあります。不破氏の
人物評としては、毛沢東氏の言を真正面から受け入れ、それ
に忠実に一生懸命日本党を説得にあたったのが、最初に打倒
されてしまった劉少奇氏や彭真氏。文革小組に抜擢されたの
は、まるで打倒されるために呼び寄せられただけのような訪
中代表団を歓迎した陶鋳氏。彼らこそは中国の社会主義を担
っていた主柱だったと後で名誉回復されますが、悲しいです
よね。

そうそう、宮崎学氏の「突破者」という本で、彼はゲバルト部隊に
所属したと述べていますが、その彼が学生のたたかいなんて50年代
の党分裂の当時とか、中国分派の党攻撃に比べれば大したことはな
い、というような話を書いていました。表にでてないだけで、もち
ろん寮生のように、中国公民が出てくるのではありませんが、中国
党の仕掛けた日本人同士の裏の闘争は、もしかしたら善隣学生会館
よりも凄惨で残虐な闘争だったかも知れません。そういう「身内争
い」の最も陰惨な局面を論文として表に出すことなく処理している
はずです。これは双方とも。としますと、やはり「華僑学生vs日本
共産党」という図式はやはり犠牲の羊としていかにも弱く少数の学
生を大人が暴力振るうという「絵」がいいからと、突出した宣伝材
料だったのでしょうね。事実はそれすら「反共オールスターズ」の
連合軍と寮生の合作でしたが。

ところで、「1966年7月21日」というのは、行方をくらませて
いた毛沢東氏が突然どこかの川にあらわれて、自ら泳いでみせ
るパフォーマンスをした日ではないでしょうか? 泳いでみせ
て、元気なのをアッピールして、その後北京にとってかえして
何かの号令を発したという別の本の記述があります。

[112] Re^2: ツリーが長いので新規 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/18(Wed) 15:29
> |その情報を、是非教えてください。
>
> 3度目ぐらいですが(^^;)
> 本の題名:『教育革命』
> 発行年月日:1967年8月11日
> 論文の題名:「中央の責任者への講話」
> 論文の発せられた日時:1966年7月21日
>

国会図書館の検索で、

http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/search.cgi?MODE_M=1&SEARCH=1

この情報からだと、それらしい書物が引っかからないのですが。
日本の書籍でしょうか、それとも中国ものでしょうか。
出版社等、もう少し詳細が分かったらお知らせください。

> そうそう、宮崎学氏の「突破者」という本で、彼はゲバルト部隊に
> 所属したと述べていますが、その彼が学生のたたかいなんて50年代
> の党分裂の当時とか、中国分派の党攻撃に比べれば大したことはな
> い、というような話を書いていました。

党攻撃というような言葉は使っていないのではないですか。「毛派」との内ゲバは凄惨だったといっている
のでは。

> 表にでてないだけで、もち
> ろん寮生のように、中国公民が出てくるのではありませんが、中国
> 党の仕掛けた日本人同士の裏の闘争は、もしかしたら善隣学生会館
> よりも凄惨で残虐な闘争だったかも知れません。そういう「身内争
> い」の最も陰惨な局面を論文として表に出すことなく処理している
> はずです。これは双方とも。

善隣会館事件の前にもそういうことがあったのですかね。宮崎学氏にもインタビューしたいですが、ウレッコ
みたいだから、どうでしょうか。ついでに川上徹氏にもインタビューするべきだという話もあります。かれも、
著書「査問」の中で、一行だけ善隣学生会館事件に触れていますね。「神田の善隣学生会館」などと地名を
間違えていますが。

ところで、日本共産党もそうとうエグイことをしているのですね。

> としますと、やはり「華僑学生vs日本
> 共産党」という図式はやはり犠牲の羊としていかにも弱く少数の学
> 生を大人が暴力振るうという「絵」がいいからと、突出した宣伝材
> 料だったのでしょうね。事実はそれすら「反共オールスターズ」の
> 連合軍と寮生の合作でしたが。
>

図式とかではなく、実際に暴力をふるったのではないでしょうか。NI子さんの手記を見ると「緊急動員がうまくいくか
心配だった」などといっています。また、正当防衛論の論文も出て、盲従分子などがトラブルを起こした場合には、
ゲバルト部隊を動員するというような内部的な取り決めがあったようにもおもえますが。

> ところで、「1966年7月21日」というのは、行方をくらませて
> いた毛沢東氏が突然どこかの川にあらわれて、自ら泳いでみせ
> るパフォーマンスをした日ではないでしょうか? 泳いでみせ
> て、元気なのをアッピールして、その後北京にとってかえして
> 何かの号令を発したという別の本の記述があります。

7月16日、揚子江で泳いだ。川の水が汚くて、主治医が反対したそうです。

一九六六年五月、毛沢東は半年ぶりに公式の場に姿を現し、上海でアルバニア党・政府代表団と会見、同年七月十六日
には、五千人の人々の前で揚子江を泳いで見せた。「毛主席健在」をアピールしたのである。 (宮本顕治の手記の
週刊朝日の注)

[88] 「35氏声明」について 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/12(Thu) 23:57
|文化界35氏の声明
|(本文)
|1967年3月13日
|安藤更正(早大教授)、一円一億(関西学院大教授)、
|伊藤武雄(中国研究所長)、井上清(京都大教授)、
|岩田直二(関西芸術座代表)、内田吐夢(映画監督)、
|大河内隆弘(宗教家)、大谷瑩潤(宗教家)、
|加藤土師萌(陶芸家・人間国宝)、金子二郎(大阪外大学長)、
|北川桃雄(美術評論家)、木村伊兵衛(写真家)、
|坂本徳松(愛知大教授)、白石凡(評論家)、
|杉村春子(俳優)、杉村勇造(考古学者)、
|杉本健吉(画家)、千田是也(俳優)、滝沢修(俳優)、
|拓殖秀臣(法政大教授)、武田泰淳(作家)、
|塚本善隆(京都国立博物館長)、中川一政(画家)、
|中島健蔵(評論家)、西川景文(宗教家)、
|花柳徳兵衛(日本舞踊家)、東山栄子(俳優)、
|船山信一(立命館大教授)、豊道春海(書道家・芸術院会員)、
|増田渉(大阪市立大教授)、松岡洋子(評論家)、
|水上勉(作家)、向井潤吉(画家)、
|依田義賢(脚本作家)、蝋山芳郎(評論家)

橋爪氏の「体験的日中友好裏面史」(P59〜)
5文化会への波紋 「謀略に利用された文化人」の章(抄)
|〜こんなときに、「日共修正主義者が華僑学生を襲撃した」と
|した謀略的な「三十五氏文化人声明」なるものが発表された。
|
|事件発生から二週間目の一九六七年(昭和42)三月十三日、こ
|の記者会見には伊東武雄、白石凡、大河内隆弘、坂本徳松、柘
|植秀臣らが出席している。三十五氏のなかには、事情をよく知
|らないままに名前を出された人も多い。
|
|三十五氏の一人の東山さんが、
|
|「私が知らないのに、名前を載せられた」
|とし、
|
|「声明趣旨そのものにも賛成できない」
|と抗議の意思表明したため、「声明」事態に疑問を投げかける
|人たちが増えた。

とありまして、どうやら少なくとも「三十五氏」は公式には
「三十四氏」と呼ぶ方が正解のようだし、人数の集め方が前年
の「32氏声明」に引き続き杜撰というほかありませんね。
東山さんというのは東山栄子氏の事でしょうか。

また、ここで
三十五人の「声明」に反論する「善隣学生会館襲撃事件」について
吉原次郎(赤旗1967年3月15日)の中で、既に

|  (二)
| 「紅衛兵」のやり方をまねる在日華僑学生や反党対外盲従分子の
|一連の日本共産党攻撃や日中友好協会にたいする攻撃の特色の一つ
|は、日本の党と民主団体に打撃をあたえるためには、どんな恥知ら
|ずなことも平気でやるということです。
|
| 二月二十四日に、同会館内の会議室で日中友好協会が催した映画
|界がひらかれたとき、在日華僑学生たちは、同会館の玄関から映画
|会場にかけて、日中友好協会を「犬の頭」「修正主義者」「反中国分子」
|などと口ぎたなくののしった三、四十枚の壁新聞をはりだしたり、
|会場を案内する矢印を反対につけたポスターをはったりし、正面玄
|関にたむろして「反中国分子のやる映画をみるな」「修正主義者のや
|る映画界に参加するな」とわめきたてました。しかもかれらは「中国
|人はいるべからず、日中友好協会」という日中友好協会の名をかた
|ったもっとも悪質な挑発文書まではりだしたのです。

と述べています。例の「中国人入るべからず」の件は「矢印を逆さ
に張る」などの謀略ともからみ、「犬の頭」などという暴言にも関
係し、「見せない」ということばかりでなく「修正主義者」という
レッテル張りも加えている事に注目すべきですね。猛獣文士さんの
ご覧になった壁新聞はどのような文言が書かれていたのか? まず
は猛獣文士さん自らそれがどんな文言であったか、メモなどあれば
それを公表するべきなのではないかな。

「三十五氏声明」ではきれい事として
| 相手は合法的に日本に在住する中国人の子弟である学生であります。
|安んじて学業に励むことができるように、あらゆる力を尽くしてこそ、
|日中友好の実をあげることができるはずでありましょう

と述べていますね。これは暴力やめて平和に共存という路線のように
読み取れます。こうでなければ世間に通用しないので当然ですね。で
も謀略ですから、寮生自体はこんな”修正主義的”な文言ではなくて
「「日本共産党」指導下にある暴力団を会館から排除するまで断固と
して闘う。中日両国人民の戦闘的友誼万歳!不敗の毛沢東思想万歳!」
と正反対の猛々しい文言がならんでいます。本音はまさにこの寮生の
声明が正解でして、それは時を置かず謀略のウラオモテが実証されます。
知らずに署名に加わった人は別としても特に中島健蔵氏なんかはこの
間の事情を知り尽くしていた会館理事長であったということですから
マッチポンプ的な共犯者の役割と言えます。

その他、当方が思うに「合法的に日本に在住する」ということは単に
「不法入国でない」という意味ではなくて、やはり日本の国法や公序
良俗を守り、ゲストとしての分と学生の本文を守って日々学問にいそ
しむ学生にこそ相応しい規定ですね。たしかにそのような学生には安
んじて学業に励む環境を確保するにあらゆる力を尽くして遇するのが
日本人にとっても本質的に重要な事だと。ここは同意。しかしながら、
やはりそうではない人。分をわきまえないばかりでなく、人に直接的
に急迫不正の暴力を加えてくるヤカラに対しては、相手が誰であれ
その暴力に相応しく対処する必要があります。これは67年3月の時
点での当座の事ではなくて、今も妥当するし、将来に渡り、またどの
国、どの国民に於てもそれが妥当する普遍的な、いわば当然の国際的
な道理であるだろうと思います。

[90] Re: 「35氏声明」について 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/13(Fri) 18:05
>
> とありまして、どうやら少なくとも「三十五氏」は公式には
> 「三十四氏」と呼ぶ方が正解のようだし、人数の集め方が前年
> の「32氏声明」に引き続き杜撰というほかありませんね。
> 東山さんというのは東山栄子氏の事でしょうか。
>

「日本と中国」で、水上勉氏にインタビューしている記事では、

赤旗の記者がしつこく電話をかけて、声明に署名したことについていろいろ詰問し、余りに無礼なので電話を切った。
胃の手術をする予定であったが、赤旗の記者のために入院が早まった。
署名をしたことは正しかったと確認できた。

といっています。

> と述べています。例の「中国人入るべからず」の件は「矢印を逆さ
> に張る」などの謀略ともからみ、「犬の頭」などという暴言にも関
> 係し、「見せない」ということばかりでなく「修正主義者」という
> レッテル張りも加えている事に注目すべきですね。猛獣文士さんの
> ご覧になった壁新聞はどのような文言が書かれていたのか? まず
> は猛獣文士さん自らそれがどんな文言であったか、メモなどあれば
> それを公表するべきなのではないかな。
>

2月24日に善隣会館内で日中友好協会が中国映画会を開き、「農奴」という映画を上映した。ちなみにこの映画は、チベット
の農奴が封建支配階級(ダライラマ?)の圧制に対して立ち上がって、最後に「毛主席万歳」と叫んだところで終わる映画だと
思いますが、違うかもしれません。

当日、後楽寮自治会がこの映画会の開催に反対するビラを配布し、また、矢印を逆にした会場への地図を張り、玄関付近
にたむろして、嫌がらせをしたというのは、3月2日赤旗の記事です。

「中国人はいるべからず」のニセビラについても同日の赤旗で言及しています。

この「ニセビラ」については、「日中不戦の思想」の第1章、第2節で、寮生が映画を見ようと入場しようとしたところ、
日中友好協会の人間が侮辱的な態度で「中国人は入れない」「中国人は正統本部にいけ」というような態度で再三対応した
ために、このようなビラを貼ったとしています。

この寺尾の説が正しければ、ニセビラ事件は、ナチス張りの陰謀というほどのものではないと思います。実際に、流血事件
の直後は別にして、中国人組織も、日中正統本部も、日本共産党を批判するにあたり、修正主義とか議会主義とか、闘わ
ない前衛であるとかいうような批判はしますが、人種主義だとか、そのような批判を行なってはいないはずです。

映画会の開催に寮自治会が反対していたのに、なぜ、映画会に中国人寮生が入場しようとしたのか。これについては、
さまざまなケースが考えられます。

1.映画会を暴力で妨害するために、会場に大挙して押しかけた。
2.なんらかの理由で、寮生が通常どおり映画会に参加しようとした。たとえば、寮自治会の意見は知っているが、
  それはそれとして、とりあえず相手側の意見も聞いてみたいと思う寮生がいたとか。
3.敵の開催している映画会であるが、情報収集のために、とりあえず参加しようとした。

日中不戦の思想では、2のケースのような書き方をしています。わたしのところには、それ以外の資料はありません。
橋爪氏の「日中裏面史」は来週入手予定ですが、そこには別の見かたが書いてあるのでしょうか。


> と述べていますね。これは暴力やめて平和に共存という路線のように
> 読み取れます。こうでなければ世間に通用しないので当然ですね。で
> も謀略ですから、寮生自体はこんな”修正主義的”な文言ではなくて
> 「「日本共産党」指導下にある暴力団を会館から排除するまで断固と
> して闘う。中日両国人民の戦闘的友誼万歳!不敗の毛沢東思想万歳!」
> と正反対の猛々しい文言がならんでいます。本音はまさにこの寮生の
> 声明が正解でして、それは時を置かず謀略のウラオモテが実証されます。

寮自治会の声明は3月2日、日共が寮生を殴打したり、大量動員して会館を包囲したりしているときに出されたものです。
文言が強烈なのは当然です。
ちなみに、わけもわからず大量動員された民青や共産党の人びとは、寮生に対して「中国人は日本から出て行け」とか
「ちゃんころ」とかいうような侮辱的なことを言ったそうです。
このようなことが事実であるとすれば、どうおもいますか。

> しかしながら、
> やはりそうではない人。分をわきまえないばかりでなく、人に直接的
> に急迫不正の暴力を加えてくるヤカラに対しては、相手が誰であれ
> その暴力に相応しく対処する必要があります。これは67年3月の時
> 点での当座の事ではなくて、今も妥当するし、将来に渡り、またどの
> 国、どの国民に於てもそれが妥当する普遍的な、いわば当然の国際的
> な道理であるだろうと思います。

一般的な道理でいうのならば、そのような暴力行為に対して、暴力的に対処できるものは警察権力であり、正当防衛権を
当てにして動員された武装部隊ではありません。流血事件の現場には、警察官がいたわけです。民青などの暴行は、
警察官の指示にしたがって、華僑学生(と支援の日本人)が下がったときに、行なわれたとされています。

[91] Re^2:張物の思い出 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/13(Fri) 20:58
> > 猛獣文士さんの
> > ご覧になった壁新聞はどのような文言が書かれていたのか? まず
> > は猛獣文士さん自らそれがどんな文言であったか、メモなどあれば
> > それを公表するべきなのではないかな。
> >
>

壁新聞は見なかったけど、張り物のこと思い出しました。もうろくして死ぬ前に、記録に残しておこう。

これは、重要な歴史の証言かもしれない。

1.宮本顕治氏の似顔絵。

寮生+支援の日本人側が宮本顕治氏のでかい似顔絵を描いて、会館の玄関の奥に張ったのを覚えてます。
その絵を見て、愉快そうな、得意そうな顔をした人たちが、いましたね。

私の感想は、「あの人は誰?Who is ミヤケン?」てなところかな。

2.黒枠事件

日中友好協会側(ニセともいう)が、注意書きのようなものを張り出しました。ミヤケン似顔絵の後か?
内容は、会館の中に変なものをはらないようにしましょうとか、静かにしましょうとか、みんなの会館です、
とか、そんな口調だったような気がしますが、注意書きのようなものでした。

我がほうの周りの人たちはえらく怒って、はがせはがせと叫んでいた。黒い枠の中に書いてあったから、

「クロワクはがせ」

というような合唱をしていた。

やっぱり、寮生側の方がガキだったのかな。

[109] Re^3:張物の思い出 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/17(Tue) 20:55
|1.宮本顕治氏の似顔絵。
|2.黒枠事件

なるほど。具体的なイメージが当方にも多少浮かびます。

橋爪氏の「日中友好裏面史」の中では
|(6日)暴徒数名、事務所裏入口に押し寄せ、丸太棒でガラスを
|たたき割り、侵入はかる。これを阻止。紅衛兵が作った反修路に
|よる検問に抗議。1、2階の一般商社が会館に対し壁新聞撤去、
|営業妨害させるなと申し入れ。紅衛兵ら商社に対し「協力しない
|と追い出す」と脅す。
|(8日)協会事務所裏口に華僑学生押し寄せ丸太で乱打。ガラス
|破損。夜、来訪の協会員三人、会館にしわが道路で覆面の華僑学
|生らしき者数名に襲われ、会館内に連れ込まれ暴行受け、一人頭
|部裂傷5センチ、一人足に打撲傷。
|(13日)東京地裁は華僑学生と会館に対して「日中友好協会が
|2階の添うこと会議室及び地下倉庫への通行と使用を実力やバリ
|ケードで妨害してはならない」と仮処分命令だす。1、2階にあ
|る倉庫、事務所は暴徒に荒らされ無残な姿だ。
|(14日)午前一時15分ごろ、協会事務所裏口とビラを数人が
|棍棒で乱打。投石あり。午前8時45分、裏口華僑学生が乱打、
|椅子を2階から投げ落とし、警官がかけつけたら、2階から水か
|ける。午前10時15分、裏口扉乱打。
|(17日)言欄ロビーに日本共産党書記長の大きな似顔絵と悪口
|書いた看板だす。会館へ撤去要求有り守島理事長「理事会として
|大変と一致。華僑総会副会長に連絡した。一日待ってくれと言っ
|た」とと語っていた。
|(18日)こんどは華僑学生は毛沢東の肖像を新しく取り換え。
|夜、地下ホールで外部勢力ふくむ百余人の集会。外出のため通り
|かかった事務職の西村郁子さんと柳瀬事務局員を華僑学生ら取り
|囲み、日中学院の教室に連行して腹部、顔面、尾てい骨など殴る
|など2時間も暴行働く。引き続き彼らは、玄関ロビーで気勢。協
|会事務局に「出ていけー」と押しかけてくる。暴徒の中に(正統
|本部)の三好事務局長、島田政雄常任理事、華僑総会の陳**副
|会長あり。
|(19日)毎朝7時、毛沢東語録の集団朗読あり。通りかかった
|協会支援の人暴行うけ、3人負傷。
|(22日)「反修路」前たむろの5〜6名、用便中の協会の大内
|田事務局員ら3人に襲いかかり暴行。
|(27日)それまで常駐していた機動隊は、協会員に向かって
|「今度来るときは皆つかまえるからな」と言って引き上げる。な
|んという警察だ。被害者に暴言を吐くとは。
|(28日)地下の協会倉庫に事務用品を取りに行こうとした事務
|局員、反修路で妨害され暴行うける。2人負傷。「反修路」前に
|は動員された日中貿易商社員が赤い腕章をつけて昼夜、数人が座
|りこむ。
|(29日)午後3時、協会員の名前をかたったニセ文書をロビー
|に張りだした。内容は、3月28日に華僑学生の壁新聞を破った
|のを日中友好協会事務局員が認めたとしたニセ物、謀略文書であ
|る。協会はこれを「デマ文書」であることを暴露した告知書を張
|る。華僑ら、やにわに三十人が協会の告知書を引き破り、協会に
|押しかけ、「命の保証はしないぞ」と叫んで協会入口にやってく
|る。これを阻止する協会事務局員に暴力。午後十時ごろ、陳中華
|書店社長と学生ら七十余人、またまた「命の保証はないぞ」と押
|しかけて来る。2時間にわたり侵入阻止のためにがんばる。その
|後十数回の波状攻撃あり。この日は日中学院教室、中華書店など
|に外部勢力結集。連日、結集あり。なお午後4時50分、協会裏
|側に彼ら数回にわたりビンを投げ込む。連日の襲撃が繰り返され
|た。

とあります。「3月28日に」は「2月」の誤記か。例の自己批
判書は橋爪氏は「ニセ」と主張していますね。女性の西村さんも
暴行されています。華僑の女性は暴行されているのでしょうか。

黒枠は判りませんが、宮本似顔絵は17日のようですな。

[115] Re^4:裏面史がやっと届いた 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/20(Fri) 10:37
> |(17日)言欄ロビーに日本共産党書記長の大きな似顔絵と悪口
> |書いた看板だす。会館へ撤去要求有り守島理事長「理事会として
> |大変と一致。華僑総会副会長に連絡した。一日待ってくれと言っ
> |た」とと語っていた。

17日だったのか。そうすると、私は学校を休んで支援していたのだろうか。偉い。

>
> とあります。「3月28日に」は「2月」の誤記か。例の自己批
> 判書は橋爪氏は「ニセ」と主張していますね。

写真が出ていますので、お確かめください。

http://www.konansoft.com/zenrin/html/teraoch1sec2.htm#parag3

> 女性の西村さんも暴行されています。

これが本当ならば、いけないことですね。そういえば、日中友好協会側に、非難の集中していた女性というのが
いたような気がします。私は、会ったことはありませんでしたが。多分、西村さんだったのでしょう。

> 華僑の女性は暴行されているのでしょうか。
>

華僑の女性は、いろいろ、セクハラ的(?)なことを言われたという記録はあります(光岡玄「善隣学生会館流血事件
の意味するもの」より)。

|青柳論文が機関紙『赤旗』に発表されていご善隣学生会館に出入する日共党員や民青同盟員の数が急激に増え、華僑学生
|にたいする挑戦的態度もにわかにたかまった。大字報(壁新聞)がひんぱんに破られたり、「日中友好協会」が会館内で
|開いた映画会に入場しようとした華僑学生が「君たち中国人の来るところではない」と襟首をつかまれて追いだされたり
|した(2月24日)。同会館の玄関を出入する華僑学生は、かれらからきくにたえない悪罵をあびせられ、華僑女子学生
|などは一人歩きができないような状況に追いつめられた。

ご存知でしょうが、青柳論文の発表は1967年2月21日付け赤旗紙です。

http://www.246.ne.jp/~konan/zenrin/akahata1967Feb21.htm

> 黒枠は判りませんが、宮本似顔絵は17日のようですな。

黒枠は似顔絵の後だと思います。日付が特定できないのは残念。

一昨日、橋爪利次「体験的[日中友好]裏面史」がようやく届きました。

[116] Re^5:裏面史がやっと届いた 投稿者:大阪の人 投稿日:00/11/17(Fri) 02:47
その後、いかがお過ごしでしょうか。

例の66年7月21日の毛沢東氏の発言の掲載された本らしきものを
突き止めました\(^◇^)/。

『毛沢東最高指示』 新島淳良編 1970年1月31日 三一書房刊
P88〜 「中央の責任者に対する講話」 1966年7月21日(日本語)
850円 全352頁 20センチ

ちなみにこの原典として、やはり
『毛沢東思想万歳』36〜37頁 1967年 北京 編者不明
『教育革命』16期 1967年8月11日 北京市教育革命連絡委員会
週2回刊 北京
があげられており
-「両者のあいだには字句の異動がある」
と編者の新島氏は述べています。

編年体で書かれておりまして、前回勘違いしておりました例の
毛沢東氏が泳いだ時の話が直前にでていました。
それから、パラパラとめくって読んでみたのですが、何だか
「犬の頭をなぐる」式の書き方は文革の初期の流行だったようで
それを毛沢東氏みずから「もうやめろ」「もっと品よく」という
指示を出しています\(^◇^)/。寮生らは中国の流行には敏感で
なおかつ行儀悪いのを取り入れるのには、とりわけ熱心だったの
ですな。

それからこの新島氏は、この本を出版するのに、何だか中国から
も身内の日本国内の毛沢東派の人士からも、攻撃されちゃったのだ
そうです。何でも国外に持ちだしを禁じられていた毛沢東氏の発言
まで邦訳してだした故とか、そんな事らしいのですが、詳しくは
わかりませんが、ここから一つの問題点を見つけることができます。

毛沢東氏の発言は「一言一句が真理で、理解して実行し、理解でき
なくても実行する」とか「世界革命の百科全書」だとか「現代のレーニン」
だとか言って、これを実行するかどうか、毛沢東氏に従うかどうかを
革命的か反革命的か、味方か敵かの一番重要な基準として(たとえば
1966年6月7日解放軍報社説「毛沢東思想は、われわれの革命事業の望
遠鏡であり顕微鏡である」参照)日本にも現実に押し付けていたわけ
ですが、そのわりに、中国民衆に対しては公開していた文言を、海外
では禁ずるというような方針だったのか、ということです。もしも
”真理”であるのならば、誰が禁じようとも海を越え、時代を越えて、
人々の心に届いてゆくものでありまして、そこの点でこの編者の新島
氏は、ある種単純にそう信じ込んで邦訳出版したわけですが、内輪で
何があったのでしょうか。そして猛獣文士さんには、結局ダイレクト
に届く事はなく、あわれ日本共産党幹部の文献から間接的に”発見”
され、論敵の日本人から教えて貰うという真理の伝わり方。たしかに
数奇な運命ですが伝搬には違いありますまい。

|(光岡玄「善隣学生会館流血事件の意味するもの」より)。

光岡氏というと、例の(正統)の科野ビルに押し入って、(正統)幹部
たちを18時間監禁脅迫し、日本人暴力学生の為に金をせびった人ですね。
(正統)の本部の資金は、日中友好協会から持ち逃げした資金かどうか
は置くとして(^^;)、まがりなりにも日中友好の為に使うべき金ですよね。
それを日本の学生の暴力ざたのために使うからよこせ、というのはこれは
長崎国旗事件にも比する中国に対する許しがたい敵対行動ですよね(^_-)。
そういう人士の御意見を何か真実の文書とするのでしょうか? それとも
科野ビルの(正統)本部の幹部の皆さんが、光岡氏の「金よこせ」の根拠
となったような、日中友好とは名ばかりの”友好貿易”でたんまり儲けた
実権派だったのでしょうか?猛獣文士さんは、どちらだと思いますか?

|一昨日、橋爪利次「体験的[日中友好]裏面史」がようやく届きました。

それは何より。

ところで、当方の要望であった件は、結局自分で見つけるしかなかった
わけですが、そちらの方では何か調べものはし続けているのでしょうか。
たとえば(正統)の67年大会方針文書、それから98年の両党合意の日本
在留華僑内に向けての中国側からの紹介のされかた等です。
当方に対してムキになって反論はするけれど、調べものの方はおろそか
なんじゃない?

[121] Re^6:裏面史がやっと届いた 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/11/18(Sat) 18:20
> その後、いかがお過ごしでしょうか。
>
> 例の66年7月21日の毛沢東氏の発言の掲載された本らしきものを
> 突き止めました\(^◇^)/。
>
> 『毛沢東最高指示』 新島淳良編 1970年1月31日 三一書房刊
> P88〜 「中央の責任者に対する講話」 1966年7月21日(日本語)
> 850円 全352頁 20センチ
>
> ちなみにこの原典として、やはり
> 『毛沢東思想万歳』36〜37頁 1967年 北京 編者不明
> 『教育革命』16期 1967年8月11日 北京市教育革命連絡委員会
> 週2回刊 北京
> があげられており
> -「両者のあいだには字句の異動がある」
> と編者の新島氏は述べています。
>

大阪の人さん、お久しぶりです。日本共産党中央の「さざなみ通信」に対する禁止令(善意で書き込んでも、結局は
反党的な行為になるといったとか)のあおりを食って、大阪の人さんもトロや猛獣のホームページからは退散したのか
と思っていましたが、まだ健在のようで、喜ばしいかぎりです。

新島淳良先生には、かつてお世話になりました。私の高校の文化祭に講演にきていただいたこともあります。その後、
どうしているのでしょうか。

上記の資料は国会図書館でなければ、見ることはできないでしょう。古本屋を一軒一軒回って歩く時間がないのが残念
です。

とにかく、なるべく早く、見てみたいですね。

最近は、南京大虐殺の調べ物などをしていて、善隣事件のことは少し、お留守になっています。私としては、大体の概要
が掴めましたので、それなりに整理されたと思っています。

> 編年体で書かれておりまして、前回勘違いしておりました例の
> 毛沢東氏が泳いだ時の話が直前にでていました。

前に、主治医が反対したというのは、もっと前の遊泳のときだったようです。1966年のときは、一度経験しているので、
反対はしなかったそうです(毛沢東の私生活)。

> 寮生らは中国の流行には敏感で
> なおかつ行儀悪いのを取り入れるのには、とりわけ熱心だったの
> ですな。
>

青年というのは、大人がいいと思うことだけをするわけではないというのは、永遠の真理ですかね。

> そこの点でこの編者の新島
> 氏は、ある種単純にそう信じ込んで邦訳出版したわけですが、内輪で
> 何があったのでしょうか。そして猛獣文士さんには、結局ダイレクト
> に届く事はなく、あわれ日本共産党幹部の文献から間接的に”発見”
> され、論敵の日本人から教えて貰うという真理の伝わり方。たしかに
> 数奇な運命ですが伝搬には違いありますまい。
>

どのような国家にも団体にも機密というものはあるのだから、学者たるものあまり単純なのも考えものですね。


> (正統)の本部の資金は、日中友好協会から持ち逃げした資金かどうか
> は置くとして(^^;)、まがりなりにも日中友好の為に使うべき金ですよね。
> それを日本の学生の暴力ざたのために使うからよこせ、というのはこれは
> 長崎国旗事件にも比する中国に対する許しがたい敵対行動ですよね(^_-)。
> そういう人士の御意見を何か真実の文書とするのでしょうか? それとも
> 科野ビルの(正統)本部の幹部の皆さんが、光岡氏の「金よこせ」の根拠
> となったような、日中友好とは名ばかりの”友好貿易”でたんまり儲けた
> 実権派だったのでしょうか?猛獣文士さんは、どちらだと思いますか?
>

日本の学生の暴力ざたとは日大全共闘のことでしょうか。彼等は東大のあかつき部隊よりはずっと正しい人たちだと
思います。これは私の意見ですが。ところで、あかつき部隊はどこから金をもらっていたのでしょうか。宮崎学氏は
知っているでしょうか。あるいは、川上徹氏は。

「金よこせ」は、どうなんでしょうか。現在、金を自分で稼いで、そのありがたみを知っている境遇から考える
と、あまり好ましくはないですね。

> |一昨日、橋爪利次「体験的[日中友好]裏面史」がようやく届きました。
>
> それは何より。
>
> ところで、当方の要望であった件は、結局自分で見つけるしかなかった
> わけですが、そちらの方では何か調べものはし続けているのでしょうか。
> たとえば(正統)の67年大会方針文書、それから98年の両党合意の日本
> 在留華僑内に向けての中国側からの紹介のされかた等です。
> 当方に対してムキになって反論はするけれど、調べものの方はおろそか
> なんじゃない?

善隣学生会館事件に関する資料で、国会図書館で入手できそうなものは、まだなにがあるのか考えていますが、たとえば、
一般紙の記事なども参考にはなると思います。日経新聞には例のヘルメット姿の民青・共産党員たちが華僑学生達を襲って
いる写真も掲載されています。他の新聞にも、それなりの記事が載っています。
しかし、その記事だけを目的に、国会図書館にまでいくのも、時間がもったいないと思って、検討中です。

面白いと思っているのは、伊藤律氏の回想録です。善隣学生会館事件には直接の関係はありませんが、文化大革命の
時代の中国を、日本共産党から委託された中国での囚人という妙な立場から、回想しています。

正統の六七年大会方針は、何か関係があるのでしょうか。

両党合意の華僑への紹介ですが、私はずっと華僑報を購読していますが、特別な解説をよんだ覚えはありません。華僑総会
というのは、それほどしっかりした組織でもないんです。

[59] 日中共産党の路線の食い違いはいつから 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/02(Mon) 18:16
1966年2月から3月にかけて、日本共産党の宮本顕治氏らが訪中し、
毛沢東主席らと会談、議題は

ベトナム支援の統一戦線について

共同声明を出さずに帰国。

その後、日中共産党の関係が悪化。


上記の意見の相違を示す資料。

1.1965年11月11日付け「人民日報」「紅旗」両編集部の共同論文「ソ連共産党新指導部のい
  わゆる『共同行動』を反ばくする」

2.1966年2月4日「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を
強化するために」(同日の赤旗紙?)

2.は重要論文集に掲載されているのしょうか?

その後、毛沢東が「自分と違うものは敵だ」として、日本共産党を「4つの敵」の一つに規定した
という。その時期は、1966年7月21日の「講話」といわれる(善隣学生会館事件の7ヶ月前)。
つまり、毛沢東が陰謀をめぐらして、日本共産党攻撃を仕掛けた。その一環が「善隣学生会館事件」で、
後楽寮生はその道具に利用された。という説。

しかし、実際にこのような表現が中共側で公然と使用されたのは、1967年の「善隣学生会館事件」
の後である。

真相は、現在のところ、確認できない。

1967年2月、赤旗紙で「正当防衛論」が主張される。このような議論が出るには、それまでに、相当の
トラブルがあったはずですが。(日本共産党のいう「干渉」)

66年3月から67年3月までの間、何があったのか?その辺の資料はありませんか?

大阪の人さんへ

[97] Re: 日中共産党の路線の食い違いはいつから 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/15(Sun) 13:29
疑問の原点に立ち返ってみましょう。特にこのホームページでは善隣学
生会館の一階の日中友好協会本部事務所襲撃の攻防をあとづける文書・
資料を蒐集して、これを原典として読者の閲覧に供するというのが趣旨
だと思います。

|その後、毛沢東が「自分と違うものは敵だ」として、日本共産党を「4つ
|の敵」の一つに規定したという。その時期は、1966年7月21日の「講話」と
|いわれる(善隣学生会館事件の7ヶ月前)。つまり、毛沢東が陰謀をめぐら
|して、日本共産党攻撃を仕掛けた。その一環が「善隣学生会館事件」で、
|後楽寮生はその道具に利用された。という説。しかし、実際にこのような
|表現が中共側で公然と使用されたのは、1967年の「善隣学生会館事件」の
|後である。真相は、現在のところ、確認できない。1967年2月、赤旗紙で
|「正当防衛論」が主張される。このような議論が出るには、それまでに、
|相当のトラブルがあったはずですが。(日本共産党のいう「干渉」)66年3
|月から67年3月までの間、何があったのか?その辺の資料はありませんか?

この猛獣文士さんの概括の線で検討するべき項目として、今残されている
未解明な部分は、

・中国共産党が突然変異で「日本共産党を4つの敵と規定した」のか
・日本共産党が会談前後に突然変異で「反中国になった」のか

という事ではないかと思います。とにかくそれまでは日本中国友好協会では
反日本共産党とかそういう事ではなく、自民党も社会党も日本共産党も居て
今でいう無党派な人もいた大衆団体でありました。

猛獣文士さんの資料には、この間の中国党側の資料が未だ少ないです。
もっと必要だと思います。寮生が自主的に日中友好協会を「反中国」だ
などと「発見」したとはとても思えません。むしろ寮生らが「反中国」
だと発見したというのならその資料を出して指摘するべきです。猛獣
文士さん自身の「人から聞いた」とするエピソードではいくつか挙げて
おられますが、それを跡付ける「毛議長」なる文言、それへの抗議等
が証拠立てられていない。いずれにしろ「反中国」の証拠が挙げられて
いません。

中国党の側の異変としては、これはやはり「文革」が挙げられます。
いつぞや毛沢東党首席の中国共産党を代表しての日本共産党党大会へ
のメッセージを当方でBBSに掲載しました。あの文言にはどこにも
「日本共産党が反中国」と呼べる証拠はなく、もっとも親中国だとす
る挨拶と読んでいいと思います。

不破氏の「3つの覇権主義」の中で指摘していたのが1965年の11月11日
の「人民日報」「紅旗」共同社説でありました。これが従来の中国党の
路線を覆す異常な路線、「反米反ソ統一戦線路線」への傾斜だとしてい
ます。ところで、この11月11日社説の前振りとして、65年5月に羅瑞卿
中国人民解放軍総参謀長の「ドイツ・ファシストに対する勝利を記念し、
アメリカ帝国主義に反対する戦いを最後まで進めよう」という論文が
中国ででているそうです。それに対して林彪中国党軍事委員会第一副主
席兼国防部長の論文「人民戦争の勝利万歳」というのがでていて、言わ
ばこの林彪氏の「万歳」を追認するかたちででてきた11月「社説」では
ないかというのが岩波新書「中国近現代史」の小島氏丸山氏の説です。

別に日本共産党と人民解放軍の軍人さんとの関連があったわけではない
のですが、中国党・軍・政府内ではこうしてソ連をどのように評価する
のかという対立が存在していたという事です。これは中公文庫「中国
-歴史・社会・国際関係」という本で中嶋氏も指摘しています。この中
嶋氏の本で注目されるのは、中国党の対ソ認識に関してそれがむしろ党
内対立のあらわれだという見方を示され、何度も繰り返して強調してい
る事。中嶋氏によれば対ソ認識のゆれは常に中国党の「自律的」な、党
内対立の口実との事です。事実65年12月の中国党政治局常務委員会拡大
会議で、毛沢東氏が林彪氏の主張に従って羅瑞卿氏を攻撃し(岩波「中
国現代史」参照この時の毛沢東氏の主張も読んでみたいものだ)66年3月
(ちょうど両党協議の頃!)羅瑞卿氏は結局、林彪麾下の部隊に急襲さ
れまして「敵」だとされ逮捕されてしまいます。66年3月というと、
「文革」としては最も早い時期の弾圧ではないかと思います。「文革」
を66年5月の毛沢東氏の宣言からとするとか、65年11月10日の「新編歴
史劇『海瑞の免官』を評す」の発表からとするとか、起点をどこにとる
かはさまざまなようですが、それにしてもだいたい66年春というのは中
国党にとってそのような重大な時期だったようです。そして歴史のその
後の経過としては「文革」見直しの後に羅瑞卿氏は敵ではなかったとし
て名誉回復されているはずです。「敵」ではない党機関や軍や政府、地
方行政機関の長などを突然一方的に「敵」として機関紙や壁新聞で突然
糾弾し民衆や紅衛兵を暴徒にかりたて、つるしあげをして迫害するとい
うのが「文革」のパターンでして、その意味では林彪麾下の正規軍に襲
わせているのは「文革」パターンとは言えないのですが、いくら何でも
軍の高官を民間人や紅衛兵では相手にならなかったのでしょうね。そし
てこれらの「敵」の告発パターンは人民の敵というより政敵を追い落と
す権力構造のパターンでもあります。言わば陰謀です。

[102] Re^2: 日中共産党の路線の食い違いはいつから 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/15(Sun) 19:27
> 疑問の原点に立ち返ってみましょう。特にこのホームページでは善隣学
> 生会館の一階の日中友好協会本部事務所襲撃の攻防をあとづける文書・
> 資料を蒐集して、これを原典として読者の閲覧に供するというのが趣旨
> だと思います。
>
> |その後、毛沢東が「自分と違うものは敵だ」として、日本共産党を「4つ
> |の敵」の一つに規定したという。その時期は、1966年7月21日の「講話」と
> |いわれる(善隣学生会館事件の7ヶ月前)。つまり、毛沢東が陰謀をめぐら
> |して、日本共産党攻撃を仕掛けた。その一環が「善隣学生会館事件」で、
> |後楽寮生はその道具に利用された。という説。しかし、実際にこのような
> |表現が中共側で公然と使用されたのは、1967年の「善隣学生会館事件」の
> |後である。真相は、現在のところ、確認できない。1967年2月、赤旗紙で
> |「正当防衛論」が主張される。このような議論が出るには、それまでに、
> |相当のトラブルがあったはずですが。(日本共産党のいう「干渉」)66年3
> |月から67年3月までの間、何があったのか?その辺の資料はありませんか?
>


まず、同じ事件について、その評価のみならず、具体的な事実経過について、どうして相反する真相が
二つあるのかという疑問です。

それについて、大阪の人さんの指摘で、マクロ的に事件を見れば、この事件は中国共産党の毛沢東の
やや異常な日本共産党に対する攻撃の一環の事件であり、華僑学生はその毛沢東への狂信的な崇拝
(そこまではいってない?)のなかで、いわばマインドコントロールされて、日中友好協会に凶暴に
襲い掛かったのだというのが、大阪の人さんの説ですよね。

日本共産党の多くの公式文書では、そのことを論証する一つの根拠として、毛沢東が1966年7月21日の段階で
「4つの敵論」を講話したといっています。これを文献的に立証したいというのが、今までの流れ。この作業は
まだ、決着がついていません。

あとは、具体的な事実経過で、双方の記述を対照して、

1.双方の主張で一致している部分。
2.双方の主張で、同一の現象についての記述があるがその評価等が異なる場合。
3.片方が主張しているが、もう片方は主張も反論もしていない部分。

に分けたらいかがでしょうか。

1.としては、
・寮生が壁新聞をはったこと
・壁新聞が破れたこと
・壁新聞が破れたことについて、寮生が協会事務所に押しかけたこと。このとき、小山慎平事務局員が対応に出たこと。
・寮生がニセビラを張ったこと。

などがあります。

2.としては、
・小山慎平事務局員が対応に出たときに寮生が暴行を行なったかどうか
・MK事務局員が寮生のP君を殴ったかどうか。
・2月28日から3月1日にかけて、監禁があったのか。

3.としては、
・丸太でドスンドスン
・ニセビラの前に映画会で、普通に入場しようとした寮生を、中国人だからという理由で、追い払ったのかどうか。

などがあると思います。これは、今思いついたものなので、事件はこれだけではないので、この個々の事件について
すぐに反論しないで下さい。問題は、このように、記録にある事柄を、一つ一つ整理し、照合し、矛盾があればそれを
追求し、事実と思われるものを導いたらどうかということです。

[106] Re^3: 日中共産党の路線の食い違いはいつから 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/17(Tue) 12:46
1.双方の主張で一致している部分。
第一に98年の合意でしょう。

|日本共産党の多くの公式文書では、そのことを論証する一つの根拠と
|して、毛沢東が1966年7月21日の段階で「4つの敵論」を講話したと
|いっています。これを文献的に立証したいというのが、今までの流れ。
|この作業はまだ、決着がついていません。

この作業はまだこのホームページで当方も猛獣文士さんもその本を
入手してないだけでありまして、決着は決着として両党トップの間
ではある意味解決ずみです。

|この個々の事件についてすぐに反論しないで下さい。問題は、このよ
|うに、記録にある事柄を、一つ一つ整理し、照合し、矛盾があればそ
|れを追求し、事実と思われるものを導いたらどうかということです。

わかりました。個々の事実を積み上げる作業はそれとして重要です。

3の範囲に、枝葉の項目ですが「毛議長」も加えてもいいかも。
どんな日本共産党や日中友好協会の公式な文書にそんな風な文言を
書き込んでいるのか、見てみたいもんです。

[113] Re^4: 日中共産党の路線の食い違いはいつから 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/18(Wed) 15:31
> 1.双方の主張で一致している部分。
> 第一に98年の合意でしょう。
>

この合意は、善隣学生会館事件を直接取り扱っていないので、あくまでも傍証です。その他の資料。

[60] Re: 日中共産党の路線の食い違いはいつから 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/04(Wed) 14:00
|1.1965年11月11日付け「人民日報」「紅旗」両編集部の共同論文
|「ソ連共産党新指導部のいわゆる『共同行動』を反ばくする」

北京周報65年46号にこの論文があると佐々木陸海氏の文庫本に
ありました。オリジナルの「人民日報」よりこちらの方が中国党
公認の日本語訳で載せているのかも知れません。

|1966年7月21日の「講話」

『教育革命』67年8月11日付けにこの談話があったと同じく
佐々木氏の本にあります。この二重カッコが何の意味か、
また本なのか雑誌なのか不明ですが。たとえば佐々木氏は
『紅旗』は二重カッコにしまして「人民日報」は通常のカ
ッコでくくります。ただし佐々木氏のこの本の全体が中国
党に逃れようのない事実を突きつける、という事で貫かれ
ていまして、その意味で「そうした議論の余地を少なくす
るためにも、以下の立論に於ては中国共産党指導部が編集
発行に最終的に責任を負っている『北京周報』(1987年か
ら『北京週報』と解題、日本語訳)を多く引用する」とあ
り、『教育革命』というのも、議論の余地のない中国党の
側の発行のものではないかと思います。

|2.は重要論文集に掲載されているのしょうか?

はい。【3】に。3はソ連の修正主義的なあやまり、主に
アメリカ美化とのたたかいに向けられています。たとえば
「ソ連共産党指導者の根拠のない非難に答える」
「ソ連共産党指導部とその指導下にある期間や団体の、我が
国の民主運動およびわが党に対する干渉と破壊活動について」
「現代修正主義者の戦争と平和の理論と、これに対する歴史の審判」
「現代修正主義者とたたかい、アメリカ帝国主義に反対する国際的な
闘争を強めよう」
「モスクワ放送の佐藤内閣美化を批判する」
「ふたたび、ソ連共産党指導部とその指導下にある機関や団体の日本共産
党及び我が国の民主運動に対する干渉と破壊活動について」

などの論文があるなかにくだんの論文が入っています。これを
よみますと、どんなにソ連が日本共産党に干渉してきたか、ここに
どれだけ力を入れて戦っていたかが具体的にわかります。
で、こうした日本共産党を突然「ソ修の手先」などと後にいいだした
わけで、その毛沢東の言い分の荒唐無稽だとする主張の伏線とし
てもこれらを丹念に参照される価値があると思います。そもそも
この重要論文集のこの前の1〜2は全部ソ連の干渉への抗議の
書簡や修正主義の解明の論文、ケネディ政権が何を意図しどのような
戦略で社会主義国攻撃をするかの具体的解明などばかりでした。

|1967年2月、赤旗紙で「正当防衛論」が主張される。このような議論
|が出るには、それまでに、相当のトラブルがあったはずですが。(日
|本共産党のいう「干渉」)66年3月から67年3月までの間、何があった
|のか?その辺の資料はありませんか?

事実として列挙するのには
赤旗67年8月23日「資料・毛沢東一派のわが党と日本の民主運動にたい
する干渉と攻撃の事実」というのがあります。「今日の毛沢東路線と
日本共産党」という本にも転載されているそうです。

トラブルというと、何と言っても山口県その他で同時多発に党員が
反党の者が出始めます。これが66年。「重要論文集6」には

「大会決定を全党的に学習し、アメリカ帝国主義に反対する国際統一
戦線の強化と国際共産主義運動の真の団結のために奮闘しよう」
「ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化
について」
「志田一派の反党撹乱活動を粉砕するために」
「国際友好運動の正しい発展のために」
「東西貿易促進運動の正しい発展のために」
「真の国際友好とはなにか、だれがこれを阻害しているか」
「外国に在住している日本共産党員はわが党の路線を堅くまもり
党員としての誇りと自覚を堅持しよう」
「八十一か国共産党・労働党代表者会議の声明6周年を記念して」
「紅衛兵の不当な非難に答える」

などの論文が、一定の国際統一戦線という路線に基づく配慮で
いわば「奥歯にものをはさんだ」状態で、中国党への抗議や
党内への警戒心の喚起として次々だされています。党内の善意
の疑問をもつ者に説得的になぜ国際統一戦線を組んでソ連とも
中国とも仲良くベトナム支援せねばならないか、それこそ大会
決定を読みすすめる事と重ねて解明しています。日本党の主張は
「ソ連と手を組んで中国を攻撃」とか「ソ連と共にベトナム支援
をするのに中国は非協力な邪魔者」ではなくて「中国は無論の事
ソ連とも力を合わせて国際的にベトナムを守ろう」という事に
つきます。一方、この時中国党はまだ公式には「敵として日本共
産党を打倒する」という意図は隠して行動しています。『教育革
命』の日付も、なぜか67年8月とあります。そういう本音の部分は
秘した秘密作戦として友党であったものを攻撃している。そらま
あホウ真や劉少奇も打倒する毛沢東ですから何でもありでしょう
けれども。

「前衛」増刊「政治経済総覧」84年版に原典のある「中国文革礼賛者
たちの節操」P78の系統ツリーを見ますと、
○56年9月に脱走した志田は65年9月に「解放戦線」を結成、吉田四郎
 上田等らも加わったとあります。(行動派などがここ)
○66年10月西沢隆二らが反党活動で除名になります。大塚有章が合流
 します。(毛沢東思想なんたら、というのがここ)
○66年9月に福田正義、隅岡隆春らが除名に。このツリーが一番大きい。
 大型の分裂だったようです。(革命左派)京浜安保共闘というのも
 ここからでてきていますから、例の赤軍派もこのツリー、ML派と
 いわれる者も党とは元々関係ないのですが、ここにからみます。
 猛獣文士さんがシンパシーをよせる日本労働党もここですね。

これらの者は、ふと思い立って、いきなり反党行動して、いきなり
現行犯で処分ということではありませんから、4月5月から影でいろ
いろ工作していたのが、判明して除名とか、脱走後に判明したのでしょう。
98年に不破氏は、中連部の人に「これは社会的戦争でした」と述べてい
ます。中国側はなから謀略ですから表ざたにせずに、日本側も意図は
違えど名指し批判はせずに、67年1月の「紅衛兵の壁新聞」を迎えます。

67年1月24日「紅衛兵の不当な非難に答える」の内容も、それがどうして
このような論文名になったかもご覧下さい。

|しかし、実際にこのような表現が中共側で公然と使用されたのは、
|1967年の「善隣学生会館事件」の後である。

廖承志が教育視察訪中団に対して歓迎宴で暴力革命唯一論を場所柄
も相手もわきまえずに突然ぶったのは66年4月の事でした。ある意
味でこの廖承志氏の発言から干渉は干渉としての具体性をもってい
たと言え、この一点だけでも外交上の重大問題です。
反党盲従日本人は66年夏から、北京の紅衛兵は1月から、また前回
も述べましたが、北京放送が日本共産党を「議会亡者」とみなし日
本の選挙結果や選挙そのものを嘲笑するような論評をだしたのが67
年2月の事、事件の直前です。中国党の側が公然と乗りだしたのは、
北京空港事件の前後である67年夏からという順番です。
ちなみに廖承志氏は50年代に「華僑はその国の状況にあわせて政治
に口出しせずに暮らすように」という方針を発表したりしていた
中国の対外方針、対日方針の日本向けの外交ルートのスターだった
はずで、橋爪氏などは、あの廖承志氏が?とそれを聞いて驚いたと
の述懐を本に書いています。

[81] 人数、壁新聞、大民主 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/10(Tue) 13:19
|寮生は約30名です。計算を間違っていませんか。

負傷者の名前や人数から軍勢の総数を割り出す試算を
しています。8名じゃなく9名が実名ででていましたね。
そうですか寮生は約30名ですか。その中に
どうして日本人が3人も混ざっているのでしょうか。
当方は最終的に3月2日あたりは100名ぐらいには
なっていたという事を想定しています。反共オール
スターズの陣容です。
・寮生(約30人)
・社会主義学生同盟ML派
・(正統)に潜り込んだ「福田一派」「西沢一派」
           「安斎一派」「大塚一派」
・日本社会党の「文革派」の面々

たとえば30名のうちで6人負傷したとしますと負傷率が正比例
すれば2割となります。ところで負傷者は20数名とあります。
このうち残りが全部日本人の反共オールスターズだとすれば
15名ほどが日本人となります。そして2割の負傷率をかけれ
ば60〜80名ほどは加勢した日本人が寮生側にいる事になります。
合計で100名ほど、だいたい計算があいますね。

|法律上の違法行為かどうかという話と思ったので、
|上記の書き込みをしたのですが、道義上の話なのですか?

1)おそらく、詰めて考えれば、法規の上でも威力業務妨害等
の疑いもあります。2)しかし、道義上の問題もあります。そ
れは国際儀礼として、あるいは同居する隣人に対する通常のや
り方として完全な逸脱です。「犬の頭をなぐってやる(日本共
産党を犬だと呼び辱め、なおかつ暴力を正当化している)」だ
とか「ニセ日中」だとか。そもそも友好協会がニセかどうかを
判断する基準を寮生、学生がどうして握る事ができるのか。判
断してそれを「大民主」の方法で日本で日本の国法より優先し
て寮生紅衛兵が行使していいのかどうか。思い上がりの頂点で
すね。もし仮に本物のニセ日中であっても寮生らが追いだしを
主張し、壁新聞に張りだすのは僭越です。それこそ政府なり中
国共産党のすべきことでしょう。3)そして法規の問題や道義
の問題もさることながら、攻撃の意志と憎悪、敵意をこのよう
に掲げた事が攻撃をしかけた側の証拠ではないかという主張で
す。4)またそうした異常な主張を掲示し、毎日その通りすが
りに「ニセ日中」の事務所前を通ると、それこそ書いた本人が
興奮し、感情がムラムラと理性を抑え自分でエスカレーション
して「なぐってやる」となるだろうという面もあります。

|この丸太でゴンゴンやったというのは、何日のことでしょうか。

当方はよくわからないんですが。当方が特定することでは
ありますまい。28日以前ではないでしょう。2日以後には
それを没収し友好協会が事務所への暴力の証拠として潰された
扉と共に展覧会して展示していたそうです。これは中国では
扉をノックしたというだけのことになるのかな?

[83] Re: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/10(Tue) 16:53
> たとえば30名のうちで6人負傷したとしますと負傷率が正比例
> すれば2割となります。ところで負傷者は20数名とあります。
> このうち残りが全部日本人の反共オールスターズだとすれば
> 15名ほどが日本人となります。そして2割の負傷率をかけれ
> ば60〜80名ほどは加勢した日本人が寮生側にいる事になります。
> 合計で100名ほど、だいたい計算があいますね。
>

前に、社学同ML派がきていたと発言しましたので、その点について、補足の説明をしておきます。
事件当時、小生は高校1年生でした(年が完全にばれますが)。私は、この事件を知って、すぐに
会館を訪れたのですが、学校を休んだ記憶がない。つまり、私がこの会館の「闘争」に参加したのは、
高校の春休みの間、3月20日くらいから4月のはじめくらいだったと思われます。春休みになるまで、
手紙を親が隠していたらしい。ま、あまり頼りになる戦士ではなかった。私がML派を見たのはこの
ときですから、3月2日に彼らが来ていたかどうかは、知りません。不正確な情報を私のあいまいな
書き込みで助長することがあれば、不本意なので、あまりこのようなプライベートなことは書き
たくないのですが、これを書きます。

> 1)おそらく、詰めて考えれば、法規の上でも威力業務妨害等
> の疑いもあります。

私としては、そのせんじつめた話が知りたいのです。法規の上で、壁新聞をはることが、「威力業務妨害」なる
違反行為になるのでしょうか。その点、もう少し詳しく教えていただければ、うれしいのですが。

> 2)しかし、道義上の問題もあります。そ
> れは国際儀礼として、あるいは同居する隣人に対する通常のや
> り方として完全な逸脱です。「犬の頭をなぐってやる(日本共
> 産党を犬だと呼び辱め、なおかつ暴力を正当化している)」だ
> とか「ニセ日中」だとか。

「犬の頭をなぐってやる」というのは、寮生自治会の壁新聞ではなく、紅衛兵が北京で貼ったものではないでしょうか。
これについては、原文で読んで、その意図を知りたいとは思います。翻訳者は誰でしょうか。

> そもそも友好協会がニセかどうかを
> 判断する基準を寮生、学生がどうして握る事ができるのか。判
> 断してそれを「大民主」の方法で日本で日本の国法より優先し
> て寮生紅衛兵が行使していいのかどうか。

そのようなことを言うと、現在、起きている現象、事象に対して、主体的に評価できる人間は誰もいなくなります。
完全な真理を理解している人間や人間の集団はいないのだから、その時点で最善と思うことをするのではないですか。
当然、誤りを犯すこともある。寮生の行為が誤りだったといっているわけではありませんよ。

> 思い上がりの頂点で
> すね。もし仮に本物のニセ日中であっても寮生らが追いだしを
> 主張し、壁新聞に張りだすのは僭越です。それこそ政府なり中
> 国共産党のすべきことでしょう。3)そして法規の問題や道義
> の問題もさることながら、攻撃の意志と憎悪、敵意をこのよう
> に掲げた事が攻撃をしかけた側の証拠ではないかという主張で
> す。4)またそうした異常な主張を掲示し、毎日その通りすが
> りに「ニセ日中」の事務所前を通ると、それこそ書いた本人が
> 興奮し、感情がムラムラと理性を抑え自分でエスカレーション
> して「なぐってやる」となるだろうという面もあります。
>

法規の問題をさしおいて、道義の問題もさしおいて、結局、かれらの感情がけしからんという。こうなると、
「日本共産党」に対してなんらかの批判的な問題意識をもっている人は、あるいは、日本共産党にとって、
目障りな人はなんでも理屈をつけて、反共だのなんたらキストだのといって攻撃、排除できることになり
ます。これは、困った議論です。ファシズムとまでは言いませんが。

> 当方はよくわからないんですが。当方が特定することでは
> ありますまい。28日以前ではないでしょう。2日以後には
> それを没収し友好協会が事務所への暴力の証拠として潰された
> 扉と共に展覧会して展示していたそうです。これは中国では
> 扉をノックしたというだけのことになるのかな?

2月28日以前にこのような事件が起ったと考えることは不可能です。現在、私が集めている文献を信頼すればの話ですが。
この文献には、赤旗も含まれています。

[85] Re^2: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/12(Thu) 06:01
|前に、社学同ML派がきていたと発言しましたので、その点について、

「撹乱者への断固とした回答」「極左日和見主義者の中傷と挑発」等
ですでに善隣学生会館に社会主義学生同盟ML派がいたという話が
でていまして、猛獣文士さんには言わば確認にお聞きしたまでです。
そうですか春休みにはいたと。元から「直後に行ったが激突現場は
みてない」というようなお話でしたね。

|> 1)おそらく、詰めて考えれば、法規の上でも威力業務妨害等
|> の疑いもあります。
|
|私としては、そのせんじつめた話が知りたいのです。

当方は法律には詳しくないのですが、自分の事務所を借りている
ビルでこのような事態になれば、自分なら法律事務所にきっと
相談にいくことでしょう。猛獣文士さんならどうされますか。
ビルの管理者が承認しちゃったら、それで仕方がない、自由だと
あきらめますか?法律に違反している事かどうかは法廷で決まり
ます。でも、かなり公序良俗に反する振舞いに思えますが。そも
そも公序良俗なんて打破して、ブルジョア民主主義の手続きも無
視して乱暴につるし上げたり腕をねじりあげたりするのが大民主
とか革命的民主とか言われてしきりに文革中は称揚されていたと
いいますね。

|「犬の頭をなぐってやる」というのは、寮生自治会の壁新聞ではなく、
|紅衛兵が北京で貼ったものではないでしょうか。
|これについては、原文で読んで、その意図を知りたいとは思います。
|翻訳者は誰でしょうか。

「すでに、昨年の十一月から善隣学生会館の三、四階に住む一部の在
日華僑学生は、不法にも、会館玄関に、くり返し、「紅衛兵」のサル
まねをした「大字報」(壁新聞)をはり出し、「ニセの日中友好協会、
さっさと出てゆけ」とか「日中両国人民の共同文化財産を返せ」とか、
「修正主義の犬の頭をたたきわれ」とか、ありとあらゆる口ぎたない
罵倒をおこなったばかりでなく、日中友好協会本部の正当な権利を無
視して、協会本部と協会所有の財産を、「犬の頭をたたきわる」よう
な暴力的手段までつかって、奪取しようとする野望を持っていること
を、あきらかにしていた。
在日華僑の発行している中国語新聞「大地報」1月18日号は、この華
僑学生の行動を詳細に報道し、これを称賛していた。
さらにまた、これに呼応するように、今年1月下旬には、日中友好協
会からの脱走分子のなかに、これまた「紅衛兵」のサルまねをした
「造反団」なるものが組織され、その機関紙「造反団ニュース」第1
号には「武器を敵にわたすな、善隣学生会館放棄について」と題して
「在日華僑青年は、同会館をとりもどすために立ち上がっている」
「大胆に奪還闘争の先頭に立て」と脱走派幹部をつきあげ、扇動して
いた。」1967年3月15日「在日華僑学生らの襲撃事件について北京
放送などのわが党と日中友好運動にたいする攻撃に反論する(抄)」
(重要論文集5)

うむー。
「大地報」というのはそちらにありますか?当方ではこれはよくわか
らないんですが。できれば67年3月15日号を邦訳して頂けませんか。
それから猛獣文士さんご自身が壁新聞の実物をご覧になっていると思
うのですが、そちらの展覧会ではこういう下品な言葉はすっかり影を
潜めてもっと殊勝な文言にすり替わっていたのでしょうか。

|> そもそも友好協会がニセかどうかを
|> 判断する基準を寮生、学生がどうして握る事ができるのか。判
|> 断してそれを「大民主」の方法で日本で日本の国法より優先し
|> て寮生紅衛兵が行使していいのかどうか。
|
|そのようなことを言うと、現在、起きている現象、事象に対して、主体
|的に評価できる人間は誰もいなくなります。完全な真理を理解している
|人間や人間の集団はいないのだから、その時点で最善と思うことをする
|のではないですか。当然、誤りを犯すこともある。寮生の行為が誤り
|だったといっているわけではありませんよ。

本国で、主権者国民として、意見を実現する政治行動する場合と
留学生として滞在する外国での政治行動とは、自ずから違います。
現在起きている事象について省察を加え、自身の見解や認識を持つ
自由はあるでしょう。また、適切な場所で適切な国際儀礼に則り
それを発表する事も許されると思います。自分のノートに記すのも
帰国後にそれを国内で発表するのもいいのじゃないかな。それにし
ても国費留学生のいわば中国最高のエスタブリッシュメントの卵の
方々ですよね。「犬の頭」ってそんな。こんな人は外交の職には就
けないし、商人になってもその態度で儲からないだろうし、教職を
奉じるには人格が不適切で、人の管理をさせたら下が迷惑しますね。

私が親で、息子が異国でそのような振舞いをしましたら、むしろ逆に
息子の頭をコツンとやって、ホスト国の皆さんに私がお詫びして、急
いで連れて帰りますね。

それから、寮生というのがどうして日中友好協会の運動論を論じるの
かが当方にはやはりさっぱり理解できませんね。日中友好協会の運動
の筋道が違っているという判断から「ニセ日中」という命題がでてく
るのだと思いますが、それは日本国内の日本人による活動のはずです。
その判断の基準を一方的に押し付けて、それに適わないと判断した
ら「お前たちはニセ日中だ」「だから出ていけ」というわけです。日
中関係の運動が何かやりたいとか、改善したいとか、提案があるのな
らば学業を修めて後自国に帰って自ら中日友好協会の中で活動すると
か、いくらでもする道はあるでしょうに。

紅衛兵というのは、貧農からでたのではなくて、どちらかというと党
幹部の子弟で、生活も恵まれた特権層、七光りで威張れる、苦労知らず
の革命純粋培養世代の未熟で愚かな学生が最初だったと指摘する本が
多いです。日本で言えば幼稚園から慶應、学習院に通って育った怖い
もの知らずのマセた嫌なガキだったでしょうな。もちろん嫌なガキだか
らと顔付で暴行されたわけではありません。その粗暴な思想に相応した
現実の暴力行為に現実の生命の危険を察知した側が正当防衛で抵抗した
ら坊ちゃん方もその乱暴さに照応して負傷したというだけです。これは
急迫不正ですから外国人も日本人もありません。

|法規の問題をさしおいて、道義の問題もさしおいて、結局、かれらの感
|情がけしからんという。

違います。
むしろ感情や思想がけしからんと「ニセ日中」だとかいい募っていた
のは寮生の側ではないかな。それを「犬」だとか悪し様に表現して紙
に書いて張りだしているし。なによりの証拠です。

感情が敵意であり、既に攻撃の意志を示している、その何よりの証拠だと
申しているわけです。それは何を文字に記すのも自由ですよ。たとえば
暴力シーンの小説を記すからといって、その小説家が普段から必ず暴力
に訴えるというように結びつけるのは間違いでしょう、しかし仮定の話
ではありません。実際に暴力的な激突に至っている。下手人を探すのに、
どちらが真実かと聞かれればそれは「なぐってやる」と公言する者が疑
われますわな。

|こうなると、「日本共産党」に対してなんらか
|の批判的な問題意識をもっている人は、あるいは、日本共産党にとって、
|目障りな人はなんでも理屈をつけて、反共だのなんたらキストだのと
|いって攻撃、排除できることになります。これは、困った議論です。
|ファシズムとまでは言いませんが。

御安心ください。現実の暴力的衝突の後に、その下手人がウソをつく
場合にその突き止める手段として事実を挙げているだけでしょうから。
上記の論文がでたのは3月2日より半月後、嫌というほど反共オール
スターズの嘘号外を社会党や総評も加勢して撒かれて、それに対応して
の事でした。猛獣文士さんは寮生の華僑学生だけをクローズアップし
てお考えのようですが、日本共産党は毛沢東のように空想ではなく、
現実に階級闘争の渦中で自民党やら、反共党派やら、わけのわからん
本物暴力団やら、粗暴で排他的なセクトやら、公安やらと闘争してい
るわけで、その場面も「闘争」とえば武力行使一辺倒な中国とは違い
非常に高度でその対応は「悪人」と決めつけた者に三角帽子を被らせ
つるし上げるよりもはるかに困難な道ですが、そういう資本主義の
高度に発展した国での闘争というのは、そんな暴力主義で解決つかな
いんです。何かというと攻撃される、排除される、って文革派の猛獣
文士さんは自ら省みてすぐに暴力と直結した攻撃があるように警戒な
さるのは仕方ないですが、できうるならば御自分と同等のレベルとお
考えにならないで頂きたいものですな。

|> 当方はよくわからないんですが。当方が特定することでは
|> ありますまい。28日以前ではないでしょう。2日以後には
|> それを没収し友好協会が事務所への暴力の証拠として潰された
|> 扉と共に展覧会して展示していたそうです。これは中国では
|> 扉をノックしたというだけのことになるのかな?
|
|2月28日以前にこのような事件が起ったと考えることは不可能です。
|現在、私が集めている文献を信頼すればの話ですが。
|この文献には、赤旗も含まれています。

この段、何か当方と猛獣文士さんの見解に相違がありますか?
同じことを言っていると見てよろしいね。

[87] Re^3: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/12(Thu) 15:21
> 当方は法律には詳しくないのですが、自分の事務所を借りている
> ビルでこのような事態になれば、自分なら法律事務所にきっと
> 相談にいくことでしょう。猛獣文士さんならどうされますか。
> ビルの管理者が承認しちゃったら、それで仕方がない、自由だと
> あきらめますか?法律に違反している事かどうかは法廷で決まり
> ます。でも、かなり公序良俗に反する振舞いに思えますが。そも
> そも公序良俗なんて打破して、ブルジョア民主主義の手続きも無
> 視して乱暴につるし上げたり腕をねじりあげたりするのが大民主
> とか革命的民主とか言われてしきりに文革中は称揚されていたと
> いいますね。
>

ある行為が法律に違反しているかどうかは、最終的には判決が確定することによって決まるのは、もちろんです。
しかし、そのようにすべて法廷の判断を最終的に仰がなければ、何も決まらないというのは、詭弁でしょう。
たとえば、ある人が殺人を犯した場合、その人は判決が確定するまでは、犯罪者ではないということと、殺人という
行為が法を犯しているという判断とは別のものです。

大阪の人さんの上記の書き込みについては、ある特定の見解を主張する壁新聞を、その会館内に張るという行為は、
少なくとも、明白な違法行為ではないと認めたものと判断させてもらいます。

公序良俗に反するかどうかという判断は非常に範囲の広い、あいまいな、主観の混入しやすい判断であり、そこまで
話をひろげてしまえば、あとは水掛け論になるだけでしょう。

ところで、事務所のあるビルでそのようなトラブルが起きた場合にどうするかということですが、GHQが「特殊な外国
財産」であると決定し、中国人学生寮として使用するほかに、日中友好のために使用することになっているという善隣
学生会館の性格を一応おいておくとして、法律事務所に相談に行くのかな。日本の弁護士は、相談料は高額で、具体的
なトラブルにはあまり役に立たないというのが私の感想ですが。裁判になっても、判決が出るまでに気の遠くなるよう
な時間と費用がかかり、たとえば、普通の営利企業だったら、一応、裁判を起こすとしても、事務所自体はさっさと
引っ越すのではないかな。そうしないで、裁判ばかりやっていたら、営業不振になって倒産することは保証できます。
共産党のように、自前の気鋭弁護士を持っていて、「正当防衛論」などという非常に突っ込んだ法解釈を気張ってひねり
出してくれるような場合は、そうではないのでしょうか。

一番いいのは、これからも同じビルに同居していくであろう中国人学生と、納得の行くまで話し合うことではないですか。

> 「すでに、昨年の十一月から善隣学生会館の三、四階に住む一部の在
> 日華僑学生は、不法にも、会館玄関に、くり返し、「紅衛兵」のサル
> まねをした「大字報」(壁新聞)をはり出し、「ニセの日中友好協会、
> さっさと出てゆけ」とか「日中両国人民の共同文化財産を返せ」とか、
> 「修正主義の犬の頭をたたきわれ」とか、ありとあらゆる口ぎたない
> 罵倒をおこなったばかりでなく、日中友好協会本部の正当な権利を無
> 視して、協会本部と協会所有の財産を、「犬の頭をたたきわる」よう
> な暴力的手段までつかって、奪取しようとする野望を持っていること
> を、あきらかにしていた。

・ニセの日中友好協会さっさと出てゆけ
これは、主張そのまんまです。これがなかったら、そもそも大字報を張る必要もない。

・日中両国人民の共同文化財産を返せ
これは、善隣学生会館が旧満州国の拠出で建設された満州国留学生会館の後身で、中国の財産であるという事情を
反映した主張ですね。

・修正主義の犬の頭をたたきわれ
これは北京の大字報のまねですかね。

このような主張をしたということと、暴力的手段までつかって、奪取しようとする野望を持っていることとが、果た
して明白に結びつくものでしょうか。世の中にはかなりはげしいアジびらもあるし、興奮したときには、ずいぶんきつい
ことをいう人もいます。その片言をとらえて、色々なことを言えば、私も殺人罪や内乱罪で起訴されるかもしれませんね。
とすれば、怖い社会だ。

> うむー。
> 「大地報」というのはそちらにありますか?当方ではこれはよくわか
> らないんですが。できれば67年3月15日号を邦訳して頂けませんか。
> それから猛獣文士さんご自身が壁新聞の実物をご覧になっていると思
> うのですが、そちらの展覧会ではこういう下品な言葉はすっかり影を
> 潜めてもっと殊勝な文言にすり替わっていたのでしょうか。
>

東京華僑総会には、当時の資料が残っているかもしれませんね。しかし、当時の知り合いで、東京華僑総会の理事に
なった人もいたような気もするけれども、何十年も会っていないし、それほど親しい間柄でもなかったし、大体、
どんな組織でも、30年前の新聞や資料を突然請求されたら、屋敷中引っ掻き回さなければ、見つからないだろうし、
入手は不可能ではなくとも容易でもないというところでしょうか。

> 本国で、主権者国民として、意見を実現する政治行動する場合と
> 留学生として滞在する外国での政治行動とは、自ずから違います。
> 現在起きている事象について省察を加え、自身の見解や認識を持つ
> 自由はあるでしょう。また、適切な場所で適切な国際儀礼に則り
> それを発表する事も許されると思います。自分のノートに記すのも
> 帰国後にそれを国内で発表するのもいいのじゃないかな。それにし
> ても国費留学生のいわば中国最高のエスタブリッシュメントの卵の
> 方々ですよね。「犬の頭」ってそんな。こんな人は外交の職には就
> けないし、商人になってもその態度で儲からないだろうし、教職を
> 奉じるには人格が不適切で、人の管理をさせたら下が迷惑しますね。
>

大阪の人さんは基本的な誤解をしているようですね。当時は、日本と中国には国交はなく、中国のことは、新聞やマスコミ
も含めて、「中共」とよんでいた時代ですよ。日本政府の反中国政策というものは厳然と存在していた時代です。国費留学
生が日本にいるはずがないんじゃないですか。66年の日中青年大交流でも、日中友好協会のごたごたに乗じて、政府は
訪中の許可を出さなかったということです。

では、なぜそのころ中国人がいたのかといえば、戦前から日本にいた華僑(横浜中華街なんかに多いですよね)やその
子弟、あるいは、戦前日本の植民地だった台湾の人が日本にいて、戦後、ある時点で突然日本国籍がなくなった人とか
ですよね。こういうのをあわせて、華僑といっていたわけです。もちろん、ごく少数、当時の中国から日本に来ていた
人もいたとは思います。中国の代表機関みたいなものは、あったわけです。大阪の人さんの嫌いな廖承志事務所とかで
すね。

ほとんどの寮生は、日本国内に生活基盤を置く華僑の子弟だったわけです。学校を卒業してから、中国に帰る人はあまり
いなかったでしょう。

> 私が親で、息子が異国でそのような振舞いをしましたら、むしろ逆に
> 息子の頭をコツンとやって、ホスト国の皆さんに私がお詫びして、急
> いで連れて帰りますね。
>

その当時の日本は、中国に対してそんなに紳士的な国でもなかったと思いますが。戦後、20年たったら、侵略したことも
わすれていたようですよ。

> それから、寮生というのがどうして日中友好協会の運動論を論じるの
> かが当方にはやはりさっぱり理解できませんね。日中友好協会の運動
> の筋道が違っているという判断から「ニセ日中」という命題がでてく
> るのだと思いますが、それは日本国内の日本人による活動のはずです。
> その判断の基準を一方的に押し付けて、それに適わないと判断した
> ら「お前たちはニセ日中だ」「だから出ていけ」というわけです。日
> 中関係の運動が何かやりたいとか、改善したいとか、提案があるのな
> らば学業を修めて後自国に帰って自ら中日友好協会の中で活動すると
> か、いくらでもする道はあるでしょうに。
>

当時の寮生自治会がなぜ日中友好運動を非常に重要視したか、華僑というのは中国と居住国の両国の掛け橋のような
存在で、当然、大きな利害関係があるなどともいえますが、もっと、簡単な理由のように思えます。日中友好協会
を含め、日中関係の機関と、華僑の機関は、以前から関係が深く、構成員もある程度重複していたのではないかと
推測できます。

たとえば、私は事件直後に、寮自治会の割とえらい人に、事件の概要を色々説明してもらったのですが、余り多くは
覚えていませんが、「かれらがどんな悪いことをしたのか」という問いに対し、共産党系の職員が中国からの外電の
ニュースを翻訳するときに(あるいは、中国の文献かもしれないが多分外電だったはず)、「毛主席」ということばを、
「毛議長」と訳したという話を聞きました。

「毛主席」は「毛主席」と言う訳語が決まっているでしょう。確かに意味的には議長という意味には違いないが、
すでに訳語が決まっているこんな言葉を、なぜわざわざ「議長」などとするのか。こんなの嫌がらせでしかない、

というのです。多分、この奥には、その共産党系の職員の毛沢東に対する隠れた嘲笑を感じたという意味があるので
しょうが。しかし、私が言いたいのは、このような細かいところで気分を害するほど、華僑青年と共産党系の職員
の作業は緊密な状態だったということです。

たとえば、現在、日本と国交のない朝鮮民主主義人民共和国について、いろいろニュースになると、日本のマスコミも
朝鮮総連を尋ねたりしますよね。このようなことを類推すれば、当時の事情が大阪の人さんにも、少しは、実感でき
るのではないでしょうか。

> 紅衛兵というのは、貧農からでたのではなくて、どちらかというと党
> 幹部の子弟で、生活も恵まれた特権層、七光りで威張れる、苦労知らず
> の革命純粋培養世代の未熟で愚かな学生が最初だったと指摘する本が
> 多いです。日本で言えば幼稚園から慶應、学習院に通って育った怖い
> もの知らずのマセた嫌なガキだったでしょうな。もちろん嫌なガキだか
> らと顔付で暴行されたわけではありません。その粗暴な思想に相応した
> 現実の暴力行為に現実の生命の危険を察知した側が正当防衛で抵抗した
> ら坊ちゃん方もその乱暴さに照応して負傷したというだけです。これは
> 急迫不正ですから外国人も日本人もありません。
>

上で説明したように、このようなお話は、大阪の人さんの想像をたくましくした、物語でしかありません。


> 違います。
> むしろ感情や思想がけしからんと「ニセ日中」だとかいい募っていた
> のは寮生の側ではないかな。それを「犬」だとか悪し様に表現して紙
> に書いて張りだしているし。なによりの証拠です。
>
> 感情が敵意であり、既に攻撃の意志を示している、その何よりの証拠だと
> 申しているわけです。それは何を文字に記すのも自由ですよ。たとえば
> 暴力シーンの小説を記すからといって、その小説家が普段から必ず暴力
> に訴えるというように結びつけるのは間違いでしょう、しかし仮定の話
> ではありません。実際に暴力的な激突に至っている。下手人を探すのに、
> どちらが真実かと聞かれればそれは「なぐってやる」と公言する者が疑
> われますわな。
>

このあっけらかんとした論理の飛躍には、感心してしまいます。今までの議論は、どういう議論だったのでしょうか。
華僑学生が襲撃したというのは本当なのか、どうかという議論だったはずです。私は、華僑学生が日中友好協会を
一方的に襲撃したという見解に、一度たりとも同意したことはありません。したがって、大阪の人さんが、華僑学生が
壁新聞を張ったうんぬんという議論は、その行為自体が法規などに違反している「悪い」行為であるという主張であるので
なければ、華僑学生が日中友好協会事務所を襲撃したことを証明する根拠として話しているはずです。ところが、
大阪の人さんはこの未定にしておくべき襲撃したかどうかという問題を、どういう根拠によるものか、明白なもので
あるというふうに言い換えて、壁新聞の内容がその下手人探しの証拠であるといっています。いままで、何度もこの
ような議論上のルール違反を、大阪の人さんは犯しています。

もし、被害者と加害者の関係が明白で、下手人を探すのならば壁新聞の話など持ち出すまでもないことです。

この論理のすり替えは意図的なものなのでしょうか。それとも、大阪の人さんには、これを論理のすり替えと理解する
能力がないのでしょうか。

> この段、何か当方と猛獣文士さんの見解に相違がありますか?
> 同じことを言っていると見てよろしいね。

同じでしたね。これは私の読み違いでした。

[89] Re^4: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/13(Fri) 02:04
【一つの同意】
|その当時の日本は、中国に対してそんなに紳士的な国でもなかったと思
|いますが。戦後、20年たったら、侵略したこともわすれていたようですよ。

日本の反動派が、と言ってもらいたい所です。前に指摘しました毛沢東
首席の日本共産党の党大会へのメッセージ参照。また廖承志氏のスピー
チ等では必ずこのように、少なくとも66年春までは表現していました。
しかし残念な事におっしゃる事は【ほぼ】、本当です。
(参照:廖承志文集(上下)徳間書店、安藤彦太郎訳、1993年6月30日)

【次の同意】
|一番いいのは、これからも同じビルに同居していくであろう中国人学
|生と、納得の行くまで話し合うことではないですか。

別におもしろがって指摘するわけではありませんが、これはなかなか
理想的な結論です。そしてその当時の寮生らにそんなに紳士的なブレー
キをかけ、冷静に話を聞く耳のある人士がいたならば、こんなに大き
な事件にならずに済んだ気がしますね。ただ、社会党や反党分子はそ
んな冷静になられたら困るという党派的利害に燃えていますから、非
現実な状況であったことに関してはそれも考慮して尚更非現実的な理
想論です。なにゆえあのような反党分子を育成し、導き入れたのか?
猛獣文士さんのご意見のように華僑学生が主体になって素朴に始めた
事ならば、こんなに組織的背景はでてこない事でしょう。しかし、張
香山氏がいい、後に両党合意に盛り込まれた通り、残念な事に中国共
産党が首謀者でありまして、何も「毛議長」と訳したかどうかにかか
わりなく、この闘争の筋書きはでき上がっていたのだし、激突するべ
く資金も加勢も後から後から送り込まれ、北京放送も廖承志事務所の
中国党の幹部も応援しているなかで引き起こされた謀略でした。

【発見】
|> 本国で、主権者国民として、意見を実現する政治行動する場合と
|> 留学生として滞在する外国での政治行動とは、自ずから違います。
|> 現在起きている事象について省察を加え、自身の見解や認識を持つ
|> 自由はあるでしょう。また、適切な場所で適切な国際儀礼に則り
|> それを発表する事も許されると思います。自分のノートに記すのも
|> 帰国後にそれを国内で発表するのもいいのじゃないかな。それにし
|> ても国費留学生のいわば中国最高のエスタブリッシュメントの卵の
|> 方々ですよね。「犬の頭」ってそんな。こんな人は外交の職には就
|> けないし、商人になってもその態度で儲からないだろうし、教職を
|> 奉じるには人格が不適切で、人の管理をさせたら下が迷惑しますね。
|>
|大阪の人さんは基本的な誤解をしているようですね。当時は、日本と中国
|には国交はなく、中国のことは、新聞やマスコミも含めて、「中共」とよ
|んでいた時代ですよ。日本政府の反中国政策というものは厳然と存在して
|いた時代です。国費留学生が日本にいるはずがないんじゃないですか。6
|6年の日中青年大交流でも、日中友好協会のごたごたに乗じて、政府は訪
|中の許可を出さなかったということです。
|では、なぜそのころ中国人がいたのかといえば、戦前から日本にいた華僑
|(横浜中華街なんかに多いですよね)やその子弟、あるいは、戦前日本の
|植民地だった台湾の人が日本にいて、戦後、ある時点で突然日本国籍がな
|くなった人とかですよね。こういうのをあわせて、華僑といっていたわけ
|です。もちろん、ごく少数、当時の中国から日本に来ていた人もいたとは
|思います。中国の代表機関みたいなものは、あったわけです。大阪の人さ
|んの嫌いな廖承志事務所とかですね。
|ほとんどの寮生は、日本国内に生活基盤を置く華僑の子弟だったわけです。
|学校を卒業してから、中国に帰る人はあまりいなかったでしょう。

ほう。当方の知らない事を一つ教えて頂きました。たしかに国交は未だ
ありませんね。そのために留学生というのは、所謂意味での留学生は
ほとんど居なかったと。これは知りませんでした。それでは30人居たと
いう華僑学生に言葉どおりの「留学生」は何人居たのでしょうか。猛獣
文士さんの説明でもゼロであるようには書かれていませんが。30人ほど
の人数を束ねて、本国じこみの紅衛兵もどきに意思統一するには最低で
2人ぐらいは本国からの留学生がいないと話がまとまらない気がします。
ま、直輸入の紅衛兵じゃなくても、放送や論文をよく学習するなかで
いわば通信教育で育成することも可能でしょうが、本場仕込みと言える
ものにはならないようにも思えます。

【異論】
|しかし、私が言いたいのは、このような細かいところで気分を害するほ
|ど、華僑青年と共産党系の職員の作業は緊密な状態だったということで
|す。たとえば、現在、日本と国交のない朝鮮民主主義人民共和国につい
|て、いろいろニュースになると、日本のマスコミも朝鮮総連を尋ねたり
|しますよね。このようなことを類推すれば、当時の事情が大阪の人さん
|にも、少しは、実感できるのではないでしょうか。

朝鮮総連には日本人はいないと思います。朝鮮系の本は、今も在住する
人の数が多いことと、ある種のブームもありましてかなりの数の本が今
もでていると思います。たしか50年代のいつぞやかに中国共産党が提
唱して、華僑や在日韓国朝鮮人の活動家は日本共産党からでて民族的な
団体を結成したということです。その時に言わば日本共産党が”丸投げ”
でスパっと活動家を金日成麾下の朝鮮労働党に渡したせいで、彼らはい
いように金日成に使われ、国に呼び寄せられて、迫害されたというよう
な話を載せる本を読んだことがあります。つまり橋爪氏の「体験的日中
友好裏面史」P17にも触れられていますが、

|在外華僑にたいする従来の中国の方針は、
|「居住国の週間を尊重し、政治活動に参加させない」
|という態度であった。
|一九五九年(昭和34)の全国人民代表大会で、周恩来がこの方針をあ
|きらかにしてから、日中友好協会の役員をしていた華僑代表はことご
|とく退いた。
|ところが、「正統本部」が旗揚げした翌月、不干渉の原則を破って、
|華僑学生たちが、協会誹謗の壁新聞を張りだした。

華僑のあり方については具体的にはなにか廖承志氏の50年代の発言
でいくつもあったはずです。でも廖承志氏の発言で朝鮮人が従うはず
はないので、原典の発言はこの周恩来氏の発言に遡れるはずです。

それと、日本共産党は朝鮮労働党とかなり論争しています。またその
論争は今も続いているんです。また朝鮮労働党の金親子を崇拝する
”思想”なるものを掲げた”思想団体”は日本にあります。しかした
とえば「日朝協会」という日本人の団体の運営に、朝鮮人が妨害を加
えるとか、内ゲバを正当化して攻撃するなどという手段を選ばない干
渉は朝鮮は行っていません。また「査問」という本で川上氏が誤解さ
れちゃって査問されたとコボしていますが、結局朝鮮党からの干渉で
日本共産党内に分派組織は一度も作られませんでした。ここには2つ
の認識の相違があります。当方の認識では

・中国党と日本党との関係は親密だったが、すでに、円満に相互に合
 意して党組織としても大衆組織としても日本の運動からは華僑や在
 日朝鮮韓国人は加わっていなかったし、華僑は自主的にまとまって
 いて、日中友好協会に継続的に何か文書の翻訳などで頼みごと等を
 する必要も関係もなかった。
・朝鮮総連には日本共産党は関与したことがなく、日本人もいない。

そしてむしろこの認識から、朝鮮総連と日本共産党との関係のごとく
に【元から無関係なら実力行使で衝突しはしない】ということが言え、
【なのに寮生が(正統)とグルになっているのはそれだけで影にいる
中国共産党の約束破りがあり、これこそ寮生の自主的判断とかでなく
党と政府をあげた内政干渉の結果である証拠】となるわけです。存在
自体がそもそも干渉の結果を示している何よりの証拠だと。

他にも触れたい論点はありますが、まずはここまで。
これまでも猛獣文士さんのご発言に、また収録文書に中国共産党の
華僑政策に関する認識を示す資料がないのは、もしかしたら、この
干渉の時期の、いわば「内部問題不干渉」の原則の具体的な現れと
して通達徹底されていたはずの政治不介入のスジが崩され、その後
あいまいなままであるのかという推測もできます。

[92] Re^5: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/13(Fri) 21:41
【華僑学生が話の分からない連中だったら】

1.日中友好協会は華僑学生と腹を割って話し合いをしようとしたか

していないようです。

2.話し合いをしたら、双方納得できるような状態になったか、

難しかったかもしれません。できなかった可能性のほうが大きいと思います。

3.話し合いがつかなければどうするべきだったのか

同一の会館に意見の大きく異なる人たちがいたら、トラブルが起きます。その人たちと仲良くやっていくことができ
ないといっても、そのビルにいようとするのならば、仲良くやっていくしかないのです。さもなくば、自分が出て行く
か、相手を追い出すかです。
善隣学生会館の歴史的性格を考えれば、中国人学生を追い出すことはできません。とすれば、仲良くできないならば
自分らが出て行くしかないのは、明白です。自衛しながら、居座ろうとしたことは、間違いだったと思います。


【中国からの留学生はいたか?】
留学生という形で、中国からきていた人はいなかったと思います。日本には、台湾からの留学生は沢山いました。
ただ、寮自治会は、何らかの形で中国の指導をうけた人びとが運営していたと思います。中国からきていた人も
いたと思います。どのような形態で日本にきていたのかは、私は詳しくありません。不法な形できていたものでは
ないと思います。


【日中友好運動は、在日中国人に関係のない運動か?】
日米安保条約に反対していたわけではありません。日中友好運動というのは、在日中国人にとって、大いに関係のある
ことです。純粋な日本の国内的な政治とはちがいます。また、日本国内の政治であっても、外国人登録法や出入国管理法、
外国人学校法などで、理不尽なことを外国人に押し付けてくることがあります。このようなものには、外国人であろうと、
反対することになります。それを否定するとしたら、ファシズムといってもいいです。

>
> 朝鮮総連には日本人はいないと思います。

朝鮮総連の例で、当時の雰囲気をなんとなく理解してもらいたいと思ったのですが、予想した中の最悪の返答でした。
このような比喩は、通じないようです。翻訳での「毛議長」のはなしは事実です。それがどのようなシチュエーション
であったかは詳しくしりません

日中友好運動というか、中国関係の事業で、華僑がかなりの役割を占め、それなりの貢献をしていたことは事実です。
それまでの運動には、北京放送、人民中国、北京週報、中国画報、などの紹介、中国からの演劇団、曲技団などの
公演の推進、日中の人的交流の推進、中国からのニュースの紹介などがあったはずです。そのいずれもについても、
日本共産党の人たちは消極的あるいは「妨害」的になったということです。とすれば、対立が発生するのは当然です。
華僑だから、そのような対立について、自分の見解を述べてはならないなどというのならば、それこそ排外主義と
いうものです。

[98] Re^6: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/15(Sun) 13:31
|1.日中友好協会は華僑学生と腹を割って話し合いをしようとしたか
|していないようです。

これはいつの時点の事でしょうか。またどのように証拠だてての事
でしょうか。

|2.話し合いをしたら、双方納得できるような状態になったか、
|難しかったかもしれません。できなかった可能性のほうが大きいと思います。

猛獣文士さんは一度も肯定も否定もされていませんが、中国党の
干渉としての作戦の一環とは思いませんか。そしてもしそれを否定
するならば、否定する具体的な理由を挙げて下さい。もしかしたら
その具体的な理由を指摘される事の方が当方には説得力があります。

|3.話し合いがつかなければどうするべきだったのか
|同一の会館に意見の大きく異なる人たちがいたら、トラブルが起きます。
|その人たちと仲良くやっていくことができ
|ないといっても、そのビルにいようとするのならば、仲良くやっていくし
|かないのです。さもなくば、自分が出て行く
|か、相手を追い出すかです。

なかよくやってないのは友好協会側であるとする証拠は何ですか。
一緒に卓球をしたりした仲なのにという例の手記もありますが。
むしろ中国党のそそのかしの下、挑発行動を繰り返し、「ニセ」だ
などと相手を侮辱したり矢印の紙を逆さに張るなど妨害したり
「中国人はいるべからず」等という偽文書も張りだしたり、異常
な具体的な行動は証拠として挙げられているのは全部寮生側の仕業
ではありませんか。

相手に自分側のつごうで、いきなりそういう非友好的な態度にでて
それが気に入らないならでてゆけ、でてゆくことが平和的解決だと
するのは強盗の論理というものです。そもそも香港の割譲のように
戦争の結果ではなくて、日中友好運動の団体だということで友好的
に一度は迎え入れた友好協会ではないですか。分裂したから一方が
「ニセ」になった等とどうして自動的にそれを規定するのでしょうか。
この「ニセになった」とする寮生らの「意見」は(正統)側の意見
や(正統)をそそのかしていた中国党の意見のそのまんまじゃない
ですか。具体的な敵対行為、非友好的な行為というのがなくてもそ
のような挑発行動をとる。これはどこが安んじて学業に励むまじめ
な学生でしょうか。

|善隣学生会館の歴史的性格を考えれば、中国人学生を追い出すこと
|はできません。とすれば、仲良くできないならば
|自分らが出て行くしかないのは、明白です。自衛しながら、居座ろ
|うとしたことは、間違いだったと思います。

でてゆかなかった事が間違い、だから相手に負傷者がでるのは当然
そして急迫不正の暴力を加え、監禁し、丸太でゴンゴンと扉を突き
壊すのも中国の流儀だと。あなたはこれを本当に普遍的な権利、ど
こでも誰にでも同じ状況なら受け入れるべき真理だと本気で主張さ
れるのですね? 先に弁護士はどうとかとも言われていました。法
による解決も軽視して、それはダメ、ただ無理でも追い出すだけだ
と。そんな事をしていたら、日本でも中国でも大変な事になりませ
んかね。

ところで、別に襲いかからなくても退出して新事務所を建設しよう
と独自に考えていた友好協会の資金の持ち逃げをしていた(正統)
と口裏を合わせて、まさに持ち逃げさせた後にそれを主張するのは
いかがなものでしょうか。猛獣文士さん、あなたはどう思いますか。
1千万ですか。東京都内でももう少し貯まれば古い小型ビルを買う
ぐらいはできますね。当時は25氏声明を基にした日中国交正常化
1千万署名運動というのがはじまったばかりだとのこと。結局この
運動も130万ほど署名があつまっただけで、友好協会が分裂した
り本部事務所を襲撃したり、大局からモノを見ない中国党の干渉の
特殊な意図により、頓挫してしまいました。あの32氏声明なんて、
結局何の役にも立たない分裂のためだけの声明だったということで
すね。言葉が美しいだけにますます空しい。本当に3000万人も
の人に中国との友好をと呼びかけるムーブメントが成功していたら
今につらなる日本の自民党などの繰り返される妄言やらなにやらが
国是として否定される日本になったかも知れない。

|留学生という形で、中国からきていた人はいなかったと思います。
|日本には、台湾からの留学生は沢山いました。ただ、寮自治会は、
|何らかの形で中国の指導をうけた人びとが運営していたと思います。
|中国からきていた人もいたと思います。どのような形態で日本にき
|ていたのかは、私は詳しくありません。

ほう。中国の指導とはどのような事でしょうか。それは毛沢東主席
の中国共産党の指導ということでしょうか。

|【日中友好運動は、在日中国人に関係のない運動か?】
|日米安保条約に反対していたわけではありません。日中友好運動と
|いうのは、在日中国人にとって、大いに関係のあることです。純粋
|な日本の国内的な政治とはちがいます。また、日本国内の政治であ
|っても、外国人登録法や出入国管理法、外国人学校法などで、理不
|尽なことを外国人に押し付けてくることがあります。このようなも
|のには、外国人であろうと、反対することになります。それを否定
|するとしたら、ファシズムといってもいいです。

猛獣文士さんの主張は例の1950年の主旨の文書のどこに述べられ
位置づけられていますか。

| われわれは左に掲げる綱領のもとに、全力をあげて本協会の目的
|の達成に努力することを誓う。
| 一、本協会は、日本国民の誤った中国観を深く反省し、これが
|是正に努力する。
| 二、本協会は、日中両国人民の相互理解と協力をうちたてるため、
|両国文化の交流に努力する。
| 三、本協会は、日中両国の経済建設と人民生活の向上に資するた
|め、日中貿易の促進に努力する。
| 四、本協会は、日中両国人民の友好提携により、相互の安全と
|平和をはかり、もって世界平和に貢献する。

どこにもないじゃありませんか。

まず、「日中友好運動」というのが、その担い手が華僑であれば
それは「日中」ではなくて「中中友好」ではないか、という疑問が
あります。前回申しましたように日朝友好運動も日本人の課題で
ありまして、朝鮮人たちは朝鮮総連とか韓国人たちは韓国居留民団
とかそういう民族団体を結成しています。華僑総会などが中国人
ではまさにそれにあたるのではないでしょうか。

日米安保の話がどうしてここに唐突にでてくるのかは存じません
が、分裂した(正統)は三里塚なんかによく出没したそうです。
そういう活動がどこが華僑の皆さんの暮らしに関係あるのでしょう
か。

それから、外国人登録法や出入国管理法、外国学校法など、実際に
日本の政府はしばしば外国人に理不尽な事を押し付けてくることが
たしかにあります。しかしそれも日本の国政の問題でありまして国
家主権の下で、日本国民が判断し、国際道義にたってどうか、友好
する外国の人を日本人が考えてどうかという運動でしょう。すると
外国人の意見を入れてということではそういう国家主権の内発的な
内在的な批判や発展ができません。いわば外圧、外国の意図に従う
形でしか日本の前途を決めてはいけない、あるいは日本人にはそん
な能力はない、と日本在住華僑の猛獣文士さんは日本人に言われる
のか。

それから「それを否定するとしたら、ファシズムといってもいい」
とまで断定されました。本当にそれはファシズムとあなたは言うの
でしょうか。国家主権の主張は、日本のように国の独立のためのた
たかいがない国よりも、むしろ中国だとか、被植民地だった国が独
立した国の方が浸透していると思ったんだけど。その点でも猛獣文
士さんは当方に言わせるとまさに日本人的と一面言える気がします。

つまり、日本人の手になる「日中友好運動」と中国人や韓国人や
それぞれ在住外国人の手になる民族団体(思想信条は問わないで
とにかく居住している人の最大公約数な意見の集約場所)と別々
のそれぞれが必要なのだというのが当方の意見です。結局中国党
は猛獣文士さんのこの御意見のように、民族自決権とか国家主権
とかをなんら最近では中国公民に浸透させる努力を摂ってないと
いうことなのかな。


|朝鮮総連の例で、当時の雰囲気をなんとなく理解してもらいたいと
|思ったのですが、予想した中の最悪の返答でした。

朝鮮総連を例に挙げられたのは、猛獣文士さんがいかに国家主権と
か民族自決権とかを理解されないまま、日中友好運動が日本人の中
で必要かということを理解されないまま、観念的に理解して居られ
たかをよく表していて、なかなか的確なたとえでしたよ(^_-)。

たとえば、ガンジー氏の「糸車」を想起してください。インドで独
立運動をする際に彼は糸車を持ちだして、自ら糸を紡いでみせて国
民にそれを広めました。別にガンジー氏の独立闘争のように日本に
おいて独立闘争をするわけではありませんが、日本の日中友好運動
というのは日本の内発的な内在的な平和を希求する心とか中国との
友好をすすめたいという心を耕す運動であるはずです。あなたは前
に「きりえ教室と名を変えろ」などと言われた。これはガンジーの
運動を「糸まき遊びと名を変えろ」と罵倒するようなものです。
その国にはその国の国民がおり、その国民にはその国民なりの内部
から改善しよう、進歩しようという努力があります。その努力の中
でさまざまな友好運動の模索があるということです。それが灯籠な
がしだとか、きりえだとか、そのような文化活動として、まだまだ
力は小さいですが芽がでている。そういう芽、日本人の中での真の
日中友好運動という動きの芽を、たとえば3000万署名運動など
を芽で摘み取ったのが中国党の干渉でした。これは百年千年という
友誼の歴史を積み上げていくという観点から見れば、まさに万死に
値する大罪でありました。この”あやまり”を日中両党声明の中で
は中国共産党側は、さらっと「党間関係の四原則、とくに内部問題
相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことについて真剣
な総括と是正をおこなった。」と述べたわけです。さらっと述べて
いるので、この罪の大きさが理解できないのも無理からぬ事かなと
も思いますが、ようはそういうことです。猛獣文士さんも寮生たち
もこの中国共産党の、クーデターで乗っ取られた機能の不正常な時
期の方針に基づいて、おどらされ、主観的には愛国主義であったが
客観的には最も大切な友人を傷つけたのでした。

[101] Re^7: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/15(Sun) 15:58
> |1.日中友好協会は華僑学生と腹を割って話し合いをしようとしたか
> |していないようです。
>
> これはいつの時点の事でしょうか。またどのように証拠だてての事
> でしょうか。
>

赤旗など日本共産党系の資料と、日中不戦の思想などを読んで、総合してそう理解しました。
この件についての具体的な論争は、「南京大虐殺があったかどうか」の論争ぐらいになるかもしれません
から、ここで、全部を証明することはできません。

逆に、友好協会側で、華僑青年と腹を割って話し合い、関係を改善しようとしたという記録があったら
紹介してください。


> |2.話し合いをしたら、双方納得できるような状態になったか、
> |難しかったかもしれません。できなかった可能性のほうが大きいと思います。
>
> 猛獣文士さんは一度も肯定も否定もされていませんが、中国党の
> 干渉としての作戦の一環とは思いませんか。そしてもしそれを否定
> するならば、否定する具体的な理由を挙げて下さい。もしかしたら
> その具体的な理由を指摘される事の方が当方には説得力があります。
>

毛沢東の4つの敵論の講話の証明が提示されていません。

中国共産党が、日本共産党との路線上の相違から、対立関係になり圧力をかけたというのは、のちの関係者が
語っているのでそのとおりでしょう。

しかし、大阪の人さん、あるいは日本共産党の主張は、中国共産党が日本共産党を攻撃する、非常に卑劣で感情的な理不尽な陰謀があったという
ものです。

そのようなことを公然と主張して、説得したければ、それを立証する根拠を示す必要があります。
そのような根拠は、現在のところ、見ていません。

> |3.話し合いがつかなければどうするべきだったのか
> |同一の会館に意見の大きく異なる人たちがいたら、トラブルが起きます。
> |その人たちと仲良くやっていくことができ
> |ないといっても、そのビルにいようとするのならば、仲良くやっていくし
> |かないのです。さもなくば、自分が出て行く
> |か、相手を追い出すかです。
>
> なかよくやってないのは友好協会側であるとする証拠は何ですか。

仲良くやっていけないというのと、どちらが悪いという話は、別の問題です。
悪いもの同士で仲がいい場合もあります。
変なたとえですが、夫婦が離婚する場合でも、どちらが悪いわけではないが、いっしょにやれないから
別れるということもあります。

> むしろ中国党のそそのかしの下、挑発行動を繰り返し、「ニセ」だ
> などと相手を侮辱したり矢印の紙を逆さに張るなど妨害したり
> 「中国人はいるべからず」等という偽文書も張りだしたり、異常
> な具体的な行動は証拠として挙げられているのは全部寮生側の仕業
> ではありませんか。

この辺の書き込みは、何回も同じことを繰り返しています。別のところで、私が書いているので、それを
参考にして下さい。

http://www.konansoft.com/cgibin/zenrin_wforum.cgi?no=90&reno=88&oya=88&mode=msgview&page=0

> |善隣学生会館の歴史的性格を考えれば、中国人学生を追い出すこと
> |はできません。とすれば、仲良くできないならば
> |自分らが出て行くしかないのは、明白です。自衛しながら、居座ろ
> |うとしたことは、間違いだったと思います。
>
> でてゆかなかった事が間違い、だから相手に負傷者がでるのは当然
> そして急迫不正の暴力を加え、監禁し、丸太でゴンゴンと扉を突き
> 壊すのも中国の流儀だと。

丸太でゴンゴンのことは、何時のことか、全体の事件の流れを見て、組み立ててみようと思っています。

> あなたはこれを本当に普遍的な権利、ど
> こでも誰にでも同じ状況なら受け入れるべき真理だと本気で主張さ
> れるのですね?

検討中のことなので、今はお答えできません。

> 先に弁護士はどうとかとも言われていました。法
> による解決も軽視して、それはダメ、ただ無理でも追い出すだけだ
> と。そんな事をしていたら、日本でも中国でも大変な事になりませ
> んかね。
>

大阪の人さんと私の間では、寮生が壁新聞を張ったということ以外には、事件の経過の認識で
ほとんど共通の認識がないことを前提にして下さい。私のほうで、了解していない事実を前提にして
どんどん進んでいっても、話はかみ合いません。

> 新事務所を建設しよう
> と独自に考えていた友好協会の資金の持ち逃げをしていた(正統)
> と口裏を合わせて、まさに持ち逃げさせた後にそれを主張するのは
> いかがなものでしょうか。猛獣文士さん、あなたはどう思いますか。
> 1千万ですか。東京都内でももう少し貯まれば古い小型ビルを買う
> ぐらいはできますね。当時は25氏声明を基にした日中国交正常化
> 1千万署名運動というのがはじまったばかりだとのこと。結局この
> 運動も130万ほど署名があつまっただけで、友好協会が分裂した
> り本部事務所を襲撃したり、大局からモノを見ない中国党の干渉の
> 特殊な意図により、頓挫してしまいました。あの32氏声明なんて、
> 結局何の役にも立たない分裂のためだけの声明だったということで
> すね。言葉が美しいだけにますます空しい。本当に3000万人も
> の人に中国との友好をと呼びかけるムーブメントが成功していたら
> 今につらなる日本の自民党などの繰り返される妄言やらなにやらが
> 国是として否定される日本になったかも知れない。
>

そのことの真偽は、分かりません。しかし、たとえば、そのような事情を、1967年に寮生に対して説明したので
しょうか。中国人は日中友好運動には関係ないから、説明しなかったのでしょうか。
説明すれば、納得した寮生もいたかもしれません。

> |留学生という形で、中国からきていた人はいなかったと思います。
> |日本には、台湾からの留学生は沢山いました。ただ、寮自治会は、
> |何らかの形で中国の指導をうけた人びとが運営していたと思います。
> |中国からきていた人もいたと思います。どのような形態で日本にき
> |ていたのかは、私は詳しくありません。
>
> ほう。中国の指導とはどのような事でしょうか。それは毛沢東主席
> の中国共産党の指導ということでしょうか。
>

当然でしょう。中国共産党は中国の政権党です。

> |【日中友好運動は、在日中国人に関係のない運動か?】
> |日米安保条約に反対していたわけではありません。日中友好運動と
> |いうのは、在日中国人にとって、大いに関係のあることです。純粋
> |な日本の国内的な政治とはちがいます。また、日本国内の政治であ
> |っても、外国人登録法や出入国管理法、外国人学校法などで、理不
> |尽なことを外国人に押し付けてくることがあります。このようなも
> |のには、外国人であろうと、反対することになります。それを否定
> |するとしたら、ファシズムといってもいいです。
>
> 猛獣文士さんの主張は例の1950年の主旨の文書のどこに述べられ
> 位置づけられていますか。
>
> | われわれは左に掲げる綱領のもとに、全力をあげて本協会の目的
> |の達成に努力することを誓う。
> | 一、本協会は、日本国民の誤った中国観を深く反省し、これが
> |是正に努力する。
> | 二、本協会は、日中両国人民の相互理解と協力をうちたてるため、
> |両国文化の交流に努力する。
> | 三、本協会は、日中両国の経済建設と人民生活の向上に資するた
> |め、日中貿易の促進に努力する。
> | 四、本協会は、日中両国人民の友好提携により、相互の安全と
> |平和をはかり、もって世界平和に貢献する。
>
> どこにもないじゃありませんか。
>
> まず、「日中友好運動」というのが、その担い手が華僑であれば
> それは「日中」ではなくて「中中友好」ではないか、という疑問が
> あります。前回申しましたように日朝友好運動も日本人の課題で
> ありまして、朝鮮人たちは朝鮮総連とか韓国人たちは韓国居留民団
> とかそういう民族団体を結成しています。華僑総会などが中国人
> ではまさにそれにあたるのではないでしょうか。
>

日中友好運動の担い手が華僑だと誰が言ったのですか。日中関係の機関と、華僑機関が
密接に関連していて、人的な構成もある程度重なっていたといったのです。重なっていた
というのは、華僑機関が行なう事業と、日中関係の日本人の機関が行なう事業が作業の上で同じものになったり、
共同作業になったりすることがあるということです。そのような共同作業を行なっていた日中友好協会で、
共産党系の人が、突然いままでの活動形態を否定したから、混乱が生じたということです。

大阪の人さんが、中国共産党の干渉があったからだというのは何度も読んでいるので、真偽の程は
別にして、見解として尊重しています。

しかし、そのようなことを当時の華僑機関の人が理解しているはずもないのだから、突然の変化に
驚いたはずだといっているのです。協会を批判する主張はそのようなところから出たのではないですか。

「華僑は日中友好運動には関係ないから、口をはさむな」

これでは、寮生も納得できないだろうな。

>
> それから、外国人登録法や出入国管理法、外国学校法など、実際に
> 日本の政府はしばしば外国人に理不尽な事を押し付けてくることが
> たしかにあります。しかしそれも日本の国政の問題でありまして国
> 家主権の下で、日本国民が判断し、国際道義にたってどうか、友好
> する外国の人を日本人が考えてどうかという運動でしょう。すると
> 外国人の意見を入れてということではそういう国家主権の内発的な
> 内在的な批判や発展ができません。いわば外圧、外国の意図に従う
> 形でしか日本の前途を決めてはいけない、あるいは日本人にはそん
> な能力はない、と日本在住華僑の猛獣文士さんは日本人に言われる
> のか。
>

別に外圧に従うかどうかは、日本人が決めることでしょう。しかし、理不尽な話に抵抗する権利はあるという話です。
日本に生活の基盤を置く外国人は、日本での国政に大きく自分の生活を左右されるのだから、それに対して切実な
主張を持ち、従えない場合には、それなりの運動もするということです。
そのような権利を、国籍ゆえに否定するとしたら、日本における人権という概念は、どのようなものなので
しょうか。人権は国権の下にあるのかな。

> それから「それを否定するとしたら、ファシズムといってもいい」
> とまで断定されました。本当にそれはファシズムとあなたは言うの
> でしょうか。

たとえば、ナチが合法的に国会で、ユダヤ人が生活するに必要な最低限の権利を剥奪したような例があります。
ある特定の制約をつけて、社会のある集団の人権を否定するということは、結局は人権そのものを否定すると
いうことだと思いませんか。

> 国家主権の主張は、日本のように国の独立のためのた
> たかいがない国よりも、むしろ中国だとか、被植民地だった国が独
> 立した国の方が浸透していると思ったんだけど。その点でも猛獣文
> 士さんは当方に言わせるとまさに日本人的と一面言える気がします。
>

日本の国家主権を否定したことはありません。

[104] Re^8: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/17(Tue) 12:45
|赤旗など日本共産党系の資料と、日中不戦の思想などを読んで、総合して
|そう理解しました。この件についての具体的な論争は、「南京大虐殺が
|あったかどうか」の論争ぐらいになるかもしれませんから、ここで、全部
|を証明することはできません。
|逆に、友好協会側で、華僑青年と腹を割って話し合い、関係を改善しよう
|としたという記録があったら紹介してください。

これは話が逆ねじです。寮生らが壁新聞を掲示し、その中で「ニセ日中」
などと一方的に彼らの(中国共産党からの指示の鵜呑ですが)主張で相手
を「敵」と規定しているのです。猛獣文士さんの御意見では、66年秋ごろ
からの友好協会の変質という、まだあなたの論理立てた論証すらできない
筋書きにのみ由来しているだけです。

|毛沢東の4つの敵論の講話の証明が提示されていません。

証明されています。本の題名、その本の発行年月日、論文の題名
論文の日付、全部あきらかです。あなたがそれにアクセスできて
いないというだけです。それはあなた自身が自明の論理だとした
「4つの敵」という御自分の理論に対して、いかに根拠薄弱に盲
従していたかを証明するだけです。

|中国共産党が、日本共産党との路線上の相違から、対立関係になり圧力を
|かけたというのは、のちの関係者が語っているのでそのとおりでしょう。

路線は違いました。しかし、「反中国」どころか、中国との共闘を前提
として「反米反ソ戦線」なる特殊な規定にもとづく「ソ連への名指し」
をするかしないかだけの意見の対立です。路線上の相違から対立関係と
いうのはこの部分に対する恣意的な歪曲です。何度書けば御理解頂ける
のか。まだケンカだとか対立だとか、そんなレベルでしか見れてないの
でしょうか。

|しかし、大阪の人さん、あるいは日本共産党の主張は、中国共産党が日本
|共産党を攻撃する、非常に卑劣で感情的な理不尽な陰謀があったという
|ものです。そのようなことを公然と主張して、説得したければ、それを
|立証する根拠を示す必要があります。そのような根拠は、現在のところ、
|見ていません。

御自分が掲載した98年の両党合意をもっと御自分で検証なさい。そうそう
「ソ修の手先」な日本共産党の文献だけからこれを引用するのはあなたの
公平さから許されない事ではないかな。中国共産党側の発表ではこの98年
の両党合意はどのように報じられ、華僑の皆さんにはどのように周知され
たのでしょうか。「米帝とソ修の手先、宮本、不破下僕グループ」ですか
ら、まっかなウソかも知れませんよ。

ただし、ウソでないとするならば、こんどはしっかりご覧になって、一言
一句おろそかにせずに、あなたの血肉に活かして今後の活動に活学活用し
なければなりません。なにしろ毛首席の党の決定なんですからね(^_-)。

|> |3.話し合いがつかなければどうするべきだったのか
|> |同一の会館に意見の大きく異なる人たちがいたら、トラブルが起きます。
|> |その人たちと仲良くやっていくことができ
|> |ないといっても、そのビルにいようとするのならば、仲良くやっていくし
|> |かないのです。さもなくば、自分が出て行く
|> |か、相手を追い出すかです。
|>
|> なかよくやってないのは友好協会側であるとする証拠は何ですか。
|
|仲良くやっていけないというのと、どちらが悪いという話は、別の問題です。
|悪いもの同士で仲がいい場合もあります。
|変なたとえですが、夫婦が離婚する場合でも、どちらが悪いわけではないが、
|いっしょにやれないから別れるということもあります。

猛獣文士さん、あなたは、このたった一行の当方の問いに、全然答えて
いません。「仲良くやっていけないというのと、どちらが悪いという話は、
別の問題です。悪いもの同士で仲がいい場合もあります。」何の事ですか?
さっぱり意味がつかめません。「変なたとえですが、夫婦が離婚する場合
でも、どちらが悪いわけではないが、いっしょにやれないから別れるとい
うこともあります。」何の事ですか。たとえが外れているとかいう以前の
何がおっしゃりたいのか、当方は真剣に理解不能です。

|そのことの真偽は、分かりません。しかし、たとえば、そのような
|事情を、1967年に寮生に対して説明したのでしょうか。中国人は日
|中友好運動には関係ないから、説明しなかったのでしょうか。
|説明すれば、納得した寮生もいたかもしれません。

別項でも言及しましたが、壁新聞とか紅衛兵とか、それからおそらく
当時の寮生の人士の頭の中には、「毛首席の意を実現する」という事
意外にはなかったはずです。そんな現場で判断する、またその判断に
基づいて対立方針を解くことのできる思想的自由や規律のなさは当時
の寮生の人士にはなかったのではないかな。

|> ほう。中国の指導とはどのような事でしょうか。それは毛沢東主席
|> の中国共産党の指導ということでしょうか。
|>
|当然でしょう。中国共産党は中国の政権党です。

ほう。毛沢東首席の党、中国共産党からの指導が入っていたのですね。
そしたら中国共産党が当時「三、中国側は、六〇年代の国際環境と中
国の「文化大革命」などの影響を受け、両党関係において、党間関係
の四原則、とくに内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方を
とったことについて真剣な総括と是正をおこなった。」とされる、不
干渉の原則にあいいれないやり方、つまり干渉を行ったその方針が入
っていたということですな。そして党がそれを認め、それが原則にあ
いいれない事だと総括した、ということ、その是正の措置を、少なく
とも外交エスタブリッシュメントや党常務委員の総意として持っている
ということに関してはお認めになりますね。そうしますと、あなたが
「認めない、確認できない」とおっしゃるのは、もしかしたら江沢民
総書記兼国家主席の党の決定にたいして真っ向から反旗を翻す意志の
あらわれと見てよろしいか。

|日中友好運動の担い手が華僑だと誰が言ったのですか。日中関係の機関
|と、華僑機関が密接に関連していて、人的な構成もある程度重なってい
|たといったのです。

人的な構成はかさなっていません。いつの時点のおはなしでしょうか。

|重なっていたというのは、華僑機関が行なう事業と、
|日中関係の日本人の機関が行なう事業が作業の上で同じものになったり、
|共同作業になったりすることがあるということです。

ほうほう。だいぶ修正しましたね。この文ならほぼまちがいない。

|そのような共同作
|業を行なっていた日中友好協会で、共産党系の人が、突然いままでの活
|動形態を否定したから、混乱が生じたということです。

共同作業が否定されたから、といって、それを「反中国」かどうか規定
するのは政治判断が必要です。そんなに中国共産党の指導というのは自
由な個々の部署の判断を尊重するのでしょうかね。党として統一見解と
して「敵」か「味方」かという最終判断を下す前から、ゲリラ的、無原
則的にその指導を受けた下部機関が独自判断で「敵」なんて言ってしま
うのは民主集中制や何やの崩れでありまして、それこそ中国共産党の
指導が入るはずです。この指導が入らないのがなにより中国共産党の方
針の体現であった何よりの証拠だと指摘しています。

|大阪の人さんが、中国共産党の干渉があったからだというのは何度も読
|んでいるので、真偽の程は別にして、見解として尊重しています。

何度も繰り返し指摘するのに、未だに猛獣文士さんは当方の「見解」だ
等と言っている。党に対する干渉があったということに関しては当方の
「見解」ではなく中国共産党常務委員の総意として承認された両党文書
にも記載があります。なにが尊重か。尊重でなく当然の前提として議論
しないと前に進めません。

|しかし、そのようなことを当時の華僑機関の人が理解しているはずもな
|いのだから、突然の変化に驚いたはずだといっているのです。協会を批
|判する主張はそのようなところから出たのではないですか。

干渉なのか、正しい指令なのか、という判断を華僑機関の当時の人が判
断したり理解したりするはずない、という御意見には同意します。そして
それゆえ、猛獣文士さんの「はなしあいで解決できた、聞く耳があった」
とする説は空想的な理想論だと思います。

|「華僑は日中友好運動には関係ないから、口をはさむな」
|これでは、寮生も納得できないだろうな。

それが毛沢東氏の言葉、指令だとしても、寮生は納得しませんか。
毛沢東氏ではないけれど、周恩来氏の方針を受けて、廖承志氏は
50年代には繰り返しそのように華僑の人士に対してスピーチで
述べています。文革の時に、廖承志氏も、周恩来氏も、前言を翻し
て干渉行為にあなたがた華僑を碁の石のごとく利用したのです。

|別に外圧に従うかどうかは、日本人が決めることでしょう。

おっと。そんな事言っていいんですか?毛首席の一言一句が真理で
毛首席の指導は理解して実行し、理解できないでも実行するのが真
の毛沢東思想の紅い太陽を抱く中国人民の心構えなのでは?

|しかし、
|理不尽な話に抵抗する権利はあるという話です。日本に生活の基盤を
|置く外国人は、日本での国政に大きく自分の生活を左右されるのだか
|ら、それに対して切実な主張を持ち、従えない場合には、それなりの
|運動もするということです。そのような権利を、国籍ゆえに否定する
|としたら、日本における人権という概念は、どのようなものなので
|しょうか。人権は国権の下にあるのかな。

問題のすり替えです。民族団体と「日本と*の友好運動」という運動
との性格の違いを指摘し、日中友好運動に干渉してはならない、とい
う話をしています。何が抵抗権ですか。そもそも1950年の設立主旨に
そんな事どこに述べられていますか。

|> それから「それを否定するとしたら、ファシズムといってもいい」
|> とまで断定されました。本当にそれはファシズムとあなたは言うの
|> でしょうか。
|
|たとえば、ナチが合法的に国会で、ユダヤ人が生活するに必要な最低
|限の権利を剥奪したような例があります。ある特定の制約をつけて、
|社会のある集団の人権を否定するということは、結局は人権そのもの
|を否定するということだと思いませんか。

当方が「本当にそれはファシズムとあなたは言うのでしょうか」と聞い
た【それ】を意図的にぼやかして話を紛らせているのか。それとも理解
できないままに書いておられるのか。あなたが何をしてファシズムだ等
と決めつけのレッテルを張るのか、具体的事実をのべるべきでしたね。
一般的なファシズムに関する長談義は無意味です。

[107] Re^9: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/17(Tue) 20:14
> これは話が逆ねじです。寮生らが壁新聞を掲示し、その中で「ニセ日中」
> などと一方的に彼らの(中国共産党からの指示の鵜呑ですが)主張で相手
> を「敵」と規定しているのです。猛獣文士さんの御意見では、66年秋ごろ
> からの友好協会の変質という、まだあなたの論理立てた論証すらできない
> 筋書きにのみ由来しているだけです。

つまり、日中友好協会のかたがたは、華僑学生がお行儀が悪く、ニセ日中だなどと失礼なことを言うから、
話しても無駄だと思ったということでしょう。だから、腹を割って話し合おうとはしなかったということ、
ほとんど論証されています。

>
> |毛沢東の4つの敵論の講話の証明が提示されていません。
>
> 証明されています。本の題名、その本の発行年月日、論文の題名
> 論文の日付、全部あきらかです。あなたがそれにアクセスできて
> いないというだけです。それはあなた自身が自明の論理だとした
> 「4つの敵」という御自分の理論に対して、いかに根拠薄弱に盲
> 従していたかを証明するだけです。
>

その情報を、是非教えてください。そのような重大な書籍は、多少値段が張っても入手します。
日本で出版された本ならば、最低、国会図書館で、見ることはできます。
中国の文献であれば、中国に注文します。

ところで、同じ記事を二回書き込みするのは、やめてください(笑)。

[99] Re^7: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/15(Sun) 13:33
|翻訳での「毛議長」のはなしは事実です。それがどのようなシチュエ
|ーションであったかは詳しくしりません日中友好運動というか、中国
|関係の事業で、華僑がかなりの役割を占め、それなりの貢献をしてい
|たことは事実です。

まず、思うのですが、日本人はごくごく普通には外国人とのつきあい
は下手であるということ。中国人でも、華僑は別でしょうが、他民族
が混在しない地方で暮らす人ならやはりそうではないかと思います。
また、差別観とかものの見方というのは、時間をかけて個々人ごとに
洗練されないと、なかなか取れません。恥ずかしい話を一つしますと
当方には高校時代からの韓国人の友人がいるのですが、彼と話をする
時に「バカチョンカメラ」という語を使ったことがあります。意味を
知らなかった。障害者に対する蔑視だってなかなかなくなりません。
そして猛獣文士さんにしても民族自決権とか国家主権に対する感覚は
「毛議長」と書いたというその日本人を非難できるものではありません。

それゆえ、一定の外国との交渉とか、国際親善というものは、だいた
い外交なら外交のエスタブリッシュメントに、どこの国でも一定まか
せてやってきたのだと思います。

たとえば日中友好運動に於ても、たとえば個々の人は、最初から日本
人なら洗練された外交官のような言葉遣いを駆使する事はできません。
猛獣文士さんの言われるのが本当であるとして(当方は日本語訳など
の仕事は独自に中国党に日本語通訳する部門がしっかりあり、北京
放送や北京週報なども全部自力でしているので、わざわざチェックする
気にならない限り、そんなに日本人の友好協会の文書をどうこうする
必要はなかったと思いますが)それはいつの時点の事かということ
です。当方の見るところ、それは結成当初から、個々人を見れば毎度
かならず発生したんだろうと思います。言葉遣いがおかしい、それは
相手に対して不快な、侮辱的な表現である、等ということです。これ
は意図してされた事ではなくて、いわば「プチ反中国」です。そして
それは友好的に、お互いに話合いで解決されてきたのではないかと
いうことです。ずっとまえから。そして、これからも民間レベルで
普通に対話するときには、意図しないこのような「プチ反中国」は出
てくるでしょう。個々人として一つづつそれは対話して改善しないと
いけません。

それを殊更に、対立していると、「あいつらは前からこのような言葉
を使いやがった」と暴力を正当化するために相手方の非に数えあげる。
よくある衝突パターンです。

それと、無視できないのは、もしも組織が分裂した時期にそれが発生
したのだとしたら、組織を分裂させた結果だと言うこともできます。
業務に差し支えますから、急場をしのぐために補充した人が新人で
いるかもしれない。そうしますとよけい、洗練されぬ故の「毛議長」
がでてくるのでしょう。

それと、「毛議長」は、言い過ぎかも知れませんが、猛獣文士さん
の毛沢東信仰は日本人の普通の感覚では理解の範囲を越えています。
当方は誰がどんな人、もの、記号を尊敬しても自由だと思いますし
尊敬したい当人の気持ちの内心に立ち入って、それをバカにすると
いうのは相手の存在自体をバカにすることにもなると考えます。但
しその対象物が、現実の迷惑、現実の犯罪、現実の必要な生活の妨
げになるならば、遠慮会釈なく攻撃する権利も持っていたいと思い
ますし、相手からのそのような攻撃(理論的にですよ)に対して
聞く耳もたぬではダメではないでしょうか。

「壁新聞が破れた」という件にしても「毛議長」の件にしても、こ
れは対話や交渉の絶対的な拒否、相手を圧服して「自己批判」させ、
暴力で「たたきだす」だけという姿勢にしか思えません。

|それまでの運動には、北京放送、人民中国、北京週報、中国画報、な
|どの紹介、中国からの演劇団、曲技団などの公演の推進、日中の人的
|交流の推進、中国からのニュースの紹介などがあったはずです。その
|いずれもについても、日本共産党の人たちは消極的あるいは「妨害」
|的になったということです。

ただ消極的であることと、「禁止」することとは違いますよね。文書
で残る(正統)の側の主張では「禁止」とあります。また具体的な
「妨害行為」というのは何ですか。「禁止」するのが現実的に無理です。
政権党ではありませんし、政権に日本共産党が入っても、中国やソ連
のように専制政治、警察や軍による政治を発動しない限り日本ではムリ。
そしたら「妨害」とは何でしょう。具体的な妨害というのは、例えば
「長崎国旗事件」のように、南京の映画の右翼の妨害のように具体的な
妨害があるなら具体例を出せばいいではないですか。具体例なんてない
ので白を黒といい、猛獣文士さんらを騙すためにそういう話を捏造して
広めていたのではないですか。そして猛獣文士さんも御自分で確かめも
せずにそれを無批判で広めている。VBAにメール発信のマクロを仕込ん
だ悪性ウイルスのようなもんだ。

|とすれば、対立が発生するのは当然です。華僑だから、そのような
|対立について、自分の見解を述べてはならないなどというのならば、
|それこそ排外主義というものです。

”とすれば”の「前提」も間違っています。また見解を述べるにあ
たってはもっと確固とした事実に基づくべきです。ましてや当方は
「華僑だから、そのような対立について、自分の見解を述べてはな
らない」等と主張しておりません。あまり勝手に当方の主張をねじ
曲げないで頂きたい。

[100] Re^8: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/15(Sun) 15:04
> そして猛獣文士さんにしても民族自決権とか国家主権に対する感覚は
> 「毛議長」と書いたというその日本人を非難できるものではありません。

「毛議長」と訳したことで気分を害したのは、私に説明してくれた華僑機関の人です。
私は、このエピソードで、華僑機関と日中友好協会が密接な関連にあったこと、一方の
活動方針が昨日までのものと大きく変わったときには、華僑機関も大きな影響をうけた
ということを言ったのです。

>
> |それまでの運動には、北京放送、人民中国、北京週報、中国画報、な
> |どの紹介、中国からの演劇団、曲技団などの公演の推進、日中の人的
> |交流の推進、中国からのニュースの紹介などがあったはずです。その
> |いずれもについても、日本共産党の人たちは消極的あるいは「妨害」
> |的になったということです。
>
> ただ消極的であることと、「禁止」することとは違いますよね。文書
> で残る(正統)の側の主張では「禁止」とあります。また具体的な
> 「妨害行為」というのは何ですか。

日中友好協会ではこのような活動を当然すると思っていた華僑の人びと(寮生の一部も含め)は、
このような活動を突然しなくなった協会に対してさぞや驚いたでしょうね。

>
> |とすれば、対立が発生するのは当然です。華僑だから、そのような
> |対立について、自分の見解を述べてはならないなどというのならば、
> |それこそ排外主義というものです。
>
> ”とすれば”の「前提」も間違っています。また見解を述べるにあ
> たってはもっと確固とした事実に基づくべきです。ましてや当方は
> 「華僑だから、そのような対立について、自分の見解を述べてはな
> らない」等と主張しておりません。あまり勝手に当方の主張をねじ
> 曲げないで頂きたい。

華僑機関と日中友好関係組織は密接に関連していたということです。

[103] Re^9: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/17(Tue) 12:44
|「毛議長」と訳したことで気分を害したのは、私に説明してくれた
|華僑機関の人です。私は、このエピソードで、華僑機関と日中友好
|協会が密接な関連にあったこと、一方の活動方針が昨日までのもの
|と大きく変わったときには、華僑機関も大きな影響をうけたという
|ことを言ったのです。

私は「プチ反中国」なら、それ以前もあったろうし、それ以後、た
とえば98年両党会談後もあるだろうと言っているのです。そういう
個々人の誤りに関してどうとか目くじらが立ち始めるのは、そもそ
も相手を「敵」と前提とするからだと。猛獣文士さんと比較したの
もあなたの民族自決権や国家主権に関する認識に当方が疑うに足る
あやふやな点を感じたからです。あなたも外交のエスタブリッシュ
メントではない、当方もこれは同然です。そういうものだという事
です。それから、当時と違い、猛獣文士さんも相当日本共産党側の
文献をお読みでしょう。毛沢東一派というある意味正確な分析に基
づく規定はあるものの「毛議長」なんて文書は見たことないでしょ
う?そこが嘘っぽい「毛議長説」です。話をすりかえないで事実を
出しなさい。猛獣文士さんはその怒っていた人の話を「聞いた」だ
け、つまり口コミを信じただけではないかな?

|日中友好協会ではこのような活動を当然すると思っていた華僑の
|人びと(寮生の一部も含め)は、このような活動を突然しなくなった
|協会に対してさぞや驚いたでしょうね。

猛獣文士さんの御指摘は、ある種の歴史の修正、現在の認識から過
去の人の”意識”を推定するという誤りがあると当方は見ています。
俗な表現で申しましょう。66年、67年当時の華僑学生に、「あ
なたの”壁新聞”は毛首席の意見と同じですか?それとも毛首席の
意見に刃向かってでもあなたは壁新聞を掲示しますか?」と聞いた
らどう答えが帰ってくるでしょう。それは旧日本軍の兵士や将官に
対して、「あなたのその主張や行動は天皇陛下の御意志でしょうか
それとも天皇陛下の御意志に反したあなたの独自の判断でしょうか」
と聞くことに似ているかもしれません。当方の見方では、この両者
とも「それは絶対にありえない」と答えるんじゃないかなと。猛獣
文士さんは華僑の人々が何か”独自の判断”を、つまり毛沢東氏の
意志と独立した判断を下した可能性、その自由意志を前提にしてい
るということです。結論から申すとそれはありえないはずだと。毛
沢東氏に刃向かった者は「誰でもなぐってやる」というのが紅衛兵
の主旨ですから、そうした聞く耳のある人士は、むしろ身内に「な
ぐられ」てしまうのではないでしょうかね。

たとえば、猛獣文士さんが勘違いして、67年2月の北京の紅衛兵
の壁新聞と善隣学生会館内の壁新聞と取り違えたように、北京の壁
新聞にそっくりなものを掲示していました。ちなみに北京の壁新聞
は露骨で具体的です。

|それだけではない、すでに昨年秋以来、北京では、中国共産党の極
|左日和見主義・大国主義分子らが、日本共産党と自主性を守る日本
|の民主勢力に対し暴力による攻撃や干渉を公然とけしかけている。
|昨年(引用者注1966年)の十月3日、中日友好協会創立三周年のレ
|セプションが北京の人民大会堂でひらかれた際、廖承志中日友好協
|会会長は、「日中の非友好分子を足げにかけ、けとばしてしまえ」
|と、出席していた日本人を扇動した。また本年(引用者注1967年)
|二月十日には「北京航空学院紅旗戦闘隊」の新聞は、「毛首席に反
|対するものはだれでも打倒する、われわれは東京まで鉄拳をのばし
|てお前たちの犬の頭を殴ってやる」と書いて、東京でのわが党およ
|び日本の自覚的民主勢力に対する暴力行為を扇動している。
(「在日華僑学生らの襲撃事件について、北京放送などのわが党と日
中友好運動にたいする攻撃に反論する」67年3月15日)

この紅旗戦闘隊なる者と、寮生の壁新聞との符合は偶然でしょうか。
ただ真似しただけでしょうか。たとえば毛沢東氏みずから「この会談
はなかったことにしよう」と両党トップの秘密にされた会談の中身と
顛末を、(事実を手前勝手に歪めながらですが)67年1月の北京の壁
新聞では、党間の合意を踏みにじって公表しています。(「紅衛兵の
不当な批判にこたえる」67年1月24日)この経過や内容は党のトップ、
つまり毛沢東氏やその周辺の数人にしか知りえない情報でした。こう
して毛沢東氏の公認の下、毛沢東氏の考えを体現するという筆者らの
明白な意志の下、けして毛沢東氏の意見にそむく意見は述べずに書か
れ、掲示されたのが”壁新聞”なるものの本質であり、いわゆる大民
主なる立派な名前の下に進められた国内に於てはクーデター、国外に
対しては干渉でありました。ここでもう一度お聞きします「寮生たち
は(毛首席の意に背いてまで)友好協会の人の意見に聞く耳を持ち、
その説得に道理があると認めると、ホコを収めたでしょうか」と。

|華僑機関と日中友好関係組織は密接に関連していたということです。

あなたの認識は間違っています。「密接に」と華僑なり中国共産党な
りの「息のかかった活動」とは別個です。そのあたりの混乱はあなた
が干渉の時期の不明瞭な党間関係、中国の対外関係処理の方針の混乱
の影響をそのまま受け、またあなたが自己研鑽を怠り、そのまま脱し
得ていないということの証拠です。

[108] Re^10: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/17(Tue) 20:47
>
> 私は「プチ反中国」なら、それ以前もあったろうし、それ以後、た
> とえば98年両党会談後もあるだろうと言っているのです。そういう
> 個々人の誤りに関してどうとか目くじらが立ち始めるのは、そもそ
> も相手を「敵」と前提とするからだと。猛獣文士さんと比較したの
> もあなたの民族自決権や国家主権に関する認識に当方が疑うに足る
> あやふやな点を感じたからです。あなたも外交のエスタブリッシュ
> メントではない、当方もこれは同然です。そういうものだという事
> です。それから、当時と違い、猛獣文士さんも相当日本共産党側の
> 文献をお読みでしょう。毛沢東一派というある意味正確な分析に基
> づく規定はあるものの「毛議長」なんて文書は見たことないでしょ
> う?そこが嘘っぽい「毛議長説」です。話をすりかえないで事実を
> 出しなさい。猛獣文士さんはその怒っていた人の話を「聞いた」だ
> け、つまり口コミを信じただけではないかな?
>

「毛議長」の話は、私の記憶ですが、別にそのこと自体をどうこう言っているのでなく、華僑の青年と
日中関係の機関の人が、非常に密接に作業することがあったということを言っているのですが、
同じことを何回いえばいいのでしょうか。

これは、外電を翻訳するときの話だと覚えています。また、その翻訳をそのまま使ったかどうかは
不明です。

その話を聞いた人に、もう一度インタビューしてみれば、分かるかもしれません。また、その人も
忘れているかも知れませんね。

> 猛獣文士さんの御指摘は、ある種の歴史の修正、現在の認識から過
> 去の人の”意識”を推定するという誤りがあると当方は見ています。
> 俗な表現で申しましょう。66年、67年当時の華僑学生に、「あ
> なたの”壁新聞”は毛首席の意見と同じですか?それとも毛首席の
> 意見に刃向かってでもあなたは壁新聞を掲示しますか?」と聞いた
> らどう答えが帰ってくるでしょう。

毛沢東が、善隣学生会館のことなんか考えているとも思いませんが。もっと、忙しかったんじゃないですか。
ところで、毛主席です。首席ではありません。廖承志事務所の孫平化さんは、首席代表です。
ところで、華僑学生が、なんで、毛沢東に刃向かって壁新聞を出すのでしょうか。よく意味がわかりませんが。

> それは旧日本軍の兵士や将官に
> 対して、「あなたのその主張や行動は天皇陛下の御意志でしょうか
> それとも天皇陛下の御意志に反したあなたの独自の判断でしょうか」
> と聞くことに似ているかもしれません。当方の見方では、この両者
> とも「それは絶対にありえない」と答えるんじゃないかなと。猛獣
> 文士さんは華僑の人々が何か”独自の判断”を、つまり毛沢東氏の
> 意志と独立した判断を下した可能性、その自由意志を前提にしてい
> るということです。

華僑の人たちは、みな独自に判断していたんですよ。その当時、台湾派の運動もいまより活発だったし、
選択肢は沢山あったのですよ。政治的な運動にかかわらないで、お金儲けだけしているほうがいいという
人もいます。

中国共産党を支持するように、強制する人は誰もいません。自分で、中国の歴史を勉強し、大陸の政権を
選んだんじゃないでしょうか。指導をうけたというのは、後のことで、またロボットになったということ
でもありません。

> 結論から申すとそれはありえないはずだと。毛
> 沢東氏に刃向かった者は「誰でもなぐってやる」というのが紅衛兵
> の主旨ですから、そうした聞く耳のある人士は、むしろ身内に「な
> ぐられ」てしまうのではないでしょうかね。
>

わたしは、ずいぶん、毛沢東の悪口雑言を言っていましたけど、殴られはしませんでしたね。まあ、私の
頭はいかれていて、そのような記憶は何の信頼性もないと思うのならば、証拠にもなりませんが。

> この紅旗戦闘隊なる者と、寮生の壁新聞との符合は偶然でしょうか。
> ただ真似しただけでしょうか。たとえば毛沢東氏みずから「この会談
> はなかったことにしよう」と両党トップの秘密にされた会談の中身と
> 顛末を、(事実を手前勝手に歪めながらですが)67年1月の北京の壁
> 新聞では、党間の合意を踏みにじって公表しています。(「紅衛兵の
> 不当な批判にこたえる」67年1月24日)この経過や内容は党のトップ、
> つまり毛沢東氏やその周辺の数人にしか知りえない情報でした。

こういう情報というのは、どこからともなく漏れるものです。紅衛兵は、中国の公的機関でもないし、そのような
壁新聞の内容について、中国共産党に矛先を向けるのは間違いです。

> こう
> して毛沢東氏の公認の下、毛沢東氏の考えを体現するという筆者らの
> 明白な意志の下、けして毛沢東氏の意見にそむく意見は述べずに書か
> れ、掲示されたのが”壁新聞”なるものの本質であり、いわゆる大民
> 主なる立派な名前の下に進められた国内に於てはクーデター、国外に
> 対しては干渉でありました。

前段からの推論がこの段落でしょうが、論理的な推論としては、非常に薄弱な展開だと思います。
もう少し、厳密な立証が必要ですね。

> ここでもう一度お聞きします「寮生たち
> は(毛首席の意に背いてまで)友好協会の人の意見に聞く耳を持ち、
> その説得に道理があると認めると、ホコを収めたでしょうか」と。
>

それは、そのときになってみなければ分かりませんが、たとえば、お金を持ち逃げしたとかいうような、ことを聞けば、
感じ方(おまえらはうそつきだとか言う)は変わったんじゃないでしょうか。

ところで、持ち逃げの真偽については、私は知りません。

たとえば、宮本顕治氏の手記の最後に書いてあるように、「それぞれの国の人びとが、最善と思う道を探求しているが、
歴史の検証はゆっくり待とう。」などと言う態度で、自分らの立場を説明すれば、最終的に会館を退去するにしても、
後の感情はずいぶん違ったものだったんじゃないでしょうかね。

党の関係はどうしようもなくても、個人的には仲良くしようとか。

しかし、とにかく、そのような努力はしなかったんじゃないですか。

> |華僑機関と日中友好関係組織は密接に関連していたということです。
>
> あなたの認識は間違っています。「密接に」と華僑なり中国共産党な
> りの「息のかかった活動」とは別個です。そのあたりの混乱はあなた
> が干渉の時期の不明瞭な党間関係、中国の対外関係処理の方針の混乱
> の影響をそのまま受け、またあなたが自己研鑽を怠り、そのまま脱し
> 得ていないということの証拠です。

私が自己研鑽を怠っているというご批判は、そうかもしれませんね。その他の話は、乱暴な憶測でしかありません。

[86] Re^3: 人数、壁新聞、大民主 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/12(Thu) 15:13
|こうなると、「日本共産党」に対してなんらか
|の批判的な問題意識をもっている人は、あるいは、日本共産党にとって、
|目障りな人はなんでも理屈をつけて、反共だのなんたらキストだのと
|いって攻撃、排除できることになります。これは、困った議論です。
|ファシズムとまでは言いませんが。

いつぞや、猛獣文士さんは67年2月19日付けの「主張」や同年2月21日の
青柳中央委員会法規対策部長の「盲従分子の暴力には正当防衛を」を
とりだして日本共産党側の攻撃準備の号令であると根拠づけておられた
と思います。本文を照らして見ましょう。

|特定の外国の一部勢力のわが党への干渉、攻撃がいよいよはげしく
|なるなかで、この一部外国勢力に盲従するひとにぎりの反党分子は、
|最近ではますますひんぱんに直接暴力という方法にうったえて、わ
|が党員と民主勢力を攻撃するようになっています。
(2/19「主張」より)

これは、まさに直接暴力を振るう者に対抗する正当防衛に関する話
であるわけです。「犬の頭をなぐってやる」などと言うこととは、
同列に扱えるものではありません。

|反党対外盲従分子どもが、わが党と民主勢力にたいし、暴力をふるい
|はじめたことは、「赤旗」がしばしば報道しているとおりであって、
|その凶暴ぶりは目にあまるものがある。これにたいし、われわれが断
|固として反撃をくわえなければならないことは、「赤旗」の主張が述
|べているとおりである。
(2/21青柳論文より)

ここでも暴力を振るい始めた現実の行為を問題にしています。相手が
そのような無法者であれば、実力で正当防衛せよということでありま
す。寮生らの主張は、「ニセの日中友好協会、さっさと出てゆけ」と
か「日中両国人民の共同文化財産を返せ」とか、「修正主義の犬の頭
をたたきわれ」とか言う論には、情報が不足しているからその他の全
文は伺い知れないし、本人の人格を反映していて乏しい語彙と乏しい
内容の故理論的掘り下げもないのですけれども、それでも相手に対し
て急迫不正の場合には自らも対処する、というニュアンスではむしろ
なく、一方的に論断し、一方的に詰め寄り、自らの結論を押し付け、
その実現に「なぐる」という行為をちらつかせている事に注目する事
ができると思います。つまり自らの意志の実現に「なぐる」行為を用
いると宣言しているわけです。

また3/2日付中国留日学生後楽寮自治会声明では
上段では暴行があった旨の告発の形式をとって非難していますが、全
文4段になった文章構造の後段3段4段に於ては

| これは「日中友好協会」の看板をかかげた日中友好を破壊する反中国
|分子「日本共産党」がソ連修正主義と同じように、反中国のためには手
|段を選ばない裏切り者ファシストとしての正体を暴露したものである。

とその背景を「ファシストソ連修正主義と同じ反中国分子」だとか「裏切
り者ファシスト」だとかいう、かなり大きな前提、かなりの理論的操作を
経た上でなければ導き出されない結論的な「レッテル張り」をしています。
これが突然でてくるのに注目し、最後の4段目を見ますと

| 善隣学生会館はその名の如くわれわれ中国人学生のための施設である。
|この会館の中で中国7億人民およびわれわれの最も最も敬愛する指導者毛
|主席を敵視し、日中友好を破壊し、われわれに暴力をふるい、学生生活を
|破壊し、生命の安全をおびやかす暴力団「日本共産党」の暴力を許さない。
|われわれは真の中日友好を守り、われわれの生命を守るため「日本共産党」
|指導下にある暴力団を会館から排除するまで断固として闘う。中日両国人
|民の戦闘的友誼万歳!

「われわれに暴力をふるい、学生生活を破壊し、生命の安全をおびやかす
暴力団「日本共産党」の暴力を許さない。」という文言で足りるはずのこ
の文書に、どうして「その名の如くわれわれ中国人学生のための施設であ
る。」だとか「中国7億人民およびわれわれの最も最も敬愛する指導者毛
主席を敵視し」だとか「日中友好を破壊し」だとかの「罪状」が出てくる
のか?また、付け加えて「われわれは真の中日友好を守り、われわれの生
命を守る」と出てくるのは何故か? 寮生という身分、立場は日中友好を
守ると称して日本の日本人の団体に自らの意志を押し付ける立場なのか。
「われわれの生命を守る」だけなら不必要な数々の蛮行を一切合切合理化
するための論だてではないのか。「「日本共産党」指導下にある暴力団を
会館から排除するまで断固として闘う。中日両国人民の戦闘的友誼万歳!」
というのは、結局「会館から排除するまで」が究極の目的で、それを狙う
活動を今後続けるという宣言ではないのか。「生命を守る」だけなら暴力
をやめよという訴えでいいはずですね。

|不敗の毛沢東思想万歳!

ここに「不敗」と出てくるのは、中国国内で何千万人もの餓死者を出した
政策的あやまりや、無辜の民を「敵」として一方的に攻撃した事ではなく
(苦笑)正当にも日本帝国主義の侵略を打ち破り、中国人民の独立国家を
うちたてた独立戦争の毛沢東主席による指導の事ですよね。ところで、寮
と事務所が共にあるビルの中で内ゲバをしかけて「追いだす」のを独立戦
争をなぞらえているのは高貴な独立戦争の精神を傷つけてしまう言葉の濫
用、冒涜にならないかなと今思うわけです。また侵略者と契約を通じて間
借りしている同居人とを混同するのは大きな誤りであり、エモーションに
訴えて当時の中国人にはうけたかも知れませんが、論理の陥穽を情熱で埋
めている行為と言われても仕方ありません。

そして注目されるのは、やはり「でていけ」が先にあり、結論としても
「暴力やめ平和に共存して暮らそう」でなく「でていけ」だけがあり、こ
の実現のために戦争のようにたたかうという意志の表明なのだということ
です。先ほど見ました赤旗紙の「主張」なり青柳氏の論文なりと比較する
とそれは暴力に対する認識の、その合法性や適法性、民主主義との整合性
に寮生の主張が欠けていると言わざるを得ません。

|こうなると、「日本共産党」に対してなんらか
|の批判的な問題意識をもっている人は、あるいは、日本共産党にとって、
|目障りな人はなんでも理屈をつけて、反共だのなんたらキストだのと
|いって攻撃、排除できることになります。これは、困った議論です。
|ファシズムとまでは言いませんが。

うはは、「こうなると毛沢東に対してなんらかの批判的な問題意識を
もっている人は、あるいは寮生にとって目障りな人はなんでも理屈を
つけて、反中国だのなんたらシストだのといって攻撃し、排撃できる
こと」になりませんでしょうか? これは困った議論です。議論に留
まってればまだしもタワゴトですが、実力行使されたら急迫不正です
ね(^_-)。

[93] 2つの「50年史」 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/14(Sat) 04:21
[社]日中の50年史、大阪府立中央図書館で見つけました。
同じく東邦書店の、97年ぐらいにでた、「日本と中国」編集長
を元してた人と、中国の雑誌の編集長をしていた人との共著の
「*の50年」(題どわすれ)も見つけました。

それから「日中友好運動の半世紀 その歩みと写真」
発行:日本中国友好協会
発売:けやき出版
2000年10月
という本がでているようです。ほやほやですね。

[社]日中の本はさすがに今年でたものなのに例の98年両共産党
合意の件は年表に載せてなかった。

| (社)日中友好協会編「日中友好運動五十年」2000年、
|東方書店の第六章「潮流、暗転冬の時代へ――友好と反友好の闘い」
|の後の2節「友好協会日共系と訣別」「表面化した協会内部の対立・抗争」

ちょっと読んで見ましょう。

| 佐藤内閣が反中国政策をとりはじめたころ、すでに説明したように、
|べトナム問題をめぐりアジア情勢は極度に緊迫していた。北べトナム
|への軍事攻撃を拡大させる米国に対し、中国は、べトナムへの侵略は
|中国への侵略に通じるとみなし、断固として米国と対決し、国をあげ
|て北べトナムの抗米・民族独立闘争を支援する決意を固めた。一方、
|"中国脅威論"にとりつかれた米国は、いっそう中国封じ込め政策に方
|を入れ、そのいったんとして日韓両国政府に、国交正常化のための日
|韓交渉の早期妥結をうながす。そうすることにより、日・韓・台の連
|携を強化し、中国包囲網強化の要(かなめ)とすることができるから
|である。

ちょっと違う気もするが、まあこの段はよしとします。

| 他方でまさにそのころ、中ソ対立が公然化し、両国共産党間の論争
|・対立から、国家間の対立へとエスカレートしつつあった。中国が
|「社会帝国主義」と非難するソ連の大国主義的干渉が、このような事
|態を招いたのである。このため中国は、米国とソ連の二超大国から挟
|み撃ちされかねない情勢に追い込まれ、この危機を乗り切るためにも
|文化大革命を発動、国内体制の再編・強化と取り組みはじめたのである。

あれ?文革を余儀なくされた(必要な?)政策のように描いているゾ。

| このように中国が重大な局面に立っていたとき、長年「兄弟党」とし
|て親しい関係にあった日本共産党と中国共産党とのあいだで、国際共産
|主義運動の在り方をめぐって意見の対立が生じ、日共が反中国に転じる
|事件が起きるのである。

意見の対立は、当然で、対立点を除き一致点で共同コミュニケまで作成
して、乾杯した後、帰国前に毛沢東氏と会談し、コミュニケだけが流れ
ただけです。反中国に転じたというのは、いつの事か。ここは猛獣文士
さんもよく「反中国になった」と指摘されるのですが、どんな論文で
その反中国な証拠を指摘できるのか? [社]日中に聞いてみたいもん
だ。

| 一九六六年二月、当時書記長であった宮本顕治を団長とする日共代表
|団が中国を訪問、中国側と諸情勢について会談したが、意見が一致せず、
|共同声明に調印することなく帰国した。最大の原因は周知のように、北
|べトナムの抗米民族独立闘争に対する諸国共産党の支援の在り方につい
|ての問題にあった。ソ連との長年にわたる経験から、先に述べたような
|ソ連に対する不信感をつのらせていた中国側は、北べトナム支援にソ連
|を加えることに反対、ソ連を加えることを主張する日共とのあいだで、
|意見が一致しなかったのである。

ソ連を名指しして非難する反米反ソの方針でないとダメと中国側がいい
「名指しだけはしないでおくように」というのが日本側の提案のあらま
しでした。「ソ連を加える」というほどのニュアンスではないのだ。

| だが、日共のその後の動静をみると、問題は決して単純なものではな
|かったことがよくわかる。日共は、中国側との会談に臨めば、北べトナ
|ム支援問題と、これに関連してソ連の評価問題が、中心議題となること
|は百も承知していたはずだ。むろん、中共とソ共の延安時代からの関係
|と、六六年当時の実情も、十分に知っていた。だから宮本代表団は、ソ
|連に関する認識をめぐって、中共と見解が対立することも想定し、その
|場合には関係を絶つ方針を固めて訪中したことは明らか、と思われる。
|それというのも、日共はそのころ国内問題で、それまでの闘争を中心と
|する路線を転換しつつあったからである。その日共が、国際共産主義運
|動の路線でも、国際問題でも、さらには文化大革命という国内問題でも、
|中国のとる強硬な路線には賛成できない、とする方針のもとに臨んでい
|たことが十分に推測できる。宮本顕治が、党内で主導権を確立するため
|にとった手段であったかもしれない。

これは事実が違う。2月4日の論文が基本態度なので、よく読み直して
見てもらいたいです。何より大きなここに触れられていない点は、「3
国歴訪」だったということです。この2月4日の論文の線で、当の支援
相手ベトナム党とも合意し、コミュニケを発表しているし、朝鮮労働党
とも会談して、全く同じくこの線で合意し、コミュニケを発表している。
一番最初に公式協議したのはベトナム(ここでは合意)、次に中国(こ
の正式会談の相手は劉少奇氏で破談)、次に北朝鮮(合意)、その後で
船便の手配のために中国に戻ると「やはりコミュニケを締結しましょう」
と言われ周恩来氏らと作成、最終的に毛沢東氏が「なかった事にしよう」
と破談という結果です。「反中国」な路線なら、中国の援助も貰いたい
ベトナムや、ソ連とも中国とも一線を画してはいたが、日本党のいいなり
になる必要のない北朝鮮が、統一戦線の立場から「これはおかしい」とか
「中国をおもんばかるとこれではいかん」とか注文がついてもいいはず。
そういう注文がつく余地のない、つまりけして反中国な路線でない方針で
日本共産党代表団は臨んだし、以後もできることなら中国を名指しで対立
したり批判したりしないように66年のあいだは抑えていたぐらい。

あと「党内で主導権を」は特に噴飯物です。綱領確定以来そんな主導権あ
らそいは日本党内ではみあたりません。どこかの国のようにある日突然幹
部が三角帽子をかぶせられてジェット機式とか言って腕をねじりあげられ
るというような事はね。

| とはいえ、体制が異なり国情も異なれば、国際連帯を重視する共産党同
|士といえども、国際共産主義運動や国内問題をめぐって、意見の不一致と
|か対立の生じることもあるだろう。むしろ、矛盾のない方が不自然とさえ
|いえる。だから日中両国の共産党間に、意見の不一致や対立が起きたとし
|てもやむをえない。問題は、日共がその後にとった、中国との友好と交流
|すべてに反対する方針であり、とくに日中友好関係諸団体に日共の方針を
|もちこみ、中国との友好と交流に反対させようとしたことである。

ほうほう。柔軟姿勢じゃないですか。67年当時の「文革」礼賛はどこへ
いったのやら。「文革」を報じないのがニセ日中、反中国だと言ったのは
どこの誰だったやら。ここではほうかむりしていますが、この中国党内の
主導権争い、いや農業政策の失敗で言わば責任とらされて国家主席をおり
ざるを得なかった毛沢東氏が、クーデターを起こし、共産党組織を党員で
もない紅衛兵なる者に破壊させ、てうってでた武力革命唯一論の路線を
認めるか認めないかということで、いいなりにならなかった日本共産党を
打倒の対象として「我をもって一線を画するあやまり」をおかしたのがそ
もそもの発端でして、後に98年に日中両党合意において「三、中国側は、
六〇年代の国際環境と中国の「文化大革命」などの影響を受け、両党関係
において、党間関係の四原則、とくに内部問題相互不干渉の原則にあいい
れないやり方をとったことについて真剣な総括と是正をおこなった。日本
側は中国側の誠意ある態度を肯定的に評価した。」と調印した文書に残る
ほどの事でした。

| 宮本代表団が中国から帰国したのは六六年三月だが、そのころから、日
|共内で中国との関係に関し、それまでとはまったく異なる出来事が次々と
|起きてくる。例えば、六五年に実施された日中青年友好大交流の記録映画
|「団結こそカ」の上映禁止、中国発行の中国を紹介する日本語の雑誌であ
|る『人民中国』『北京周報』『中国画報』三誌の購読および普及の禁止、
|日共の機関紙『アカハタ』に掲載されていた「北京放送」の番組表の掲載
|取り止め、同放送を聴く運動の禁止……。どうしてこういう動きが起きて
|くるのか、当初は一般によくわからなかったが、日共中央が中国との関係
|を絶ち、交流をしない方針を決定したことから現れてきた現象であった。

上映禁止というのは、一体何の事か? 中国党のように、政権支配にあった
ならば禁止などという措置も取れるが、いくら見たくない、見せたくない
という態度でも、どこかで誰かが見るのを公的に禁止できるはずがない。
これは絶対にできない事です。

「雑誌普及の禁止」も同様におかしいですね。配付ルートを独自に持てない
中国とも思えない。日本共産党は税関じゃありません。ただし異常な個人の
崇拝や「文革」の暴力革命唯一論の持ち込みには警戒したでしょうね。それ
から公式に論争にはしてなかったものの、すでに66年5月ごろから中国党
ソックリの主張をして党を分裂させようとした人物が日本共産党内に何件か
同時に発生します。そんな相手のものを配付を手伝うなんてできるわけが
ない。「北京放送」も「選挙亡者」などと日本の国民の支持をかち得て活動
する日本共産党を公然と攻撃するばかりでなく、武装蜂起をそそのかすよう
では掲載できないでしょうね。「どうしてこういう動きがでてくるのか」そ
れは毛沢東氏の発動した「文革」の暴力革命唯一論が害悪だからです。

| 日共の反中国方針を内部にとどめておけばともかく、その方針を日中友好
|諸団体へもちこみ、活動や交流を妨害しはじめたことから、活動や組織に混
|乱をもたらすことになった。どうしてそういうことになるのかといえば、日
|共はいろんな団体に党員を送り込んで組織をつくり(一般に「細胞」と呼ば
|れている)、この組織を通してこれらの団体に日共の影響を及ぼそうとして
|いるからである。また、組織に属する党員たちは、党の命令に絶対に従うこ
|とが鉄則となっている。

だから「反中国」じゃないってば。それは個々の大衆団体が決めることであ
りますが1950年の日本中国友好協会結成主旨にあるとおり、「われわれが友
好の対象とする中国は、広はんな中国人民大衆であって、特定の政党政派に
限られるものではない。」というのがそもそもの日中友好協会の方針であり
まして、「文革」派とかそのようなセクトの方針を絶対化して、日本に於て
ナマの形でそれを持ち込み「武闘」だとか「謀反」だとか毛沢東崇拝の「忠
の字おどり」だとか言われたってね。突然そんなのを持ち込むから組織が混
乱するのでしょう。それは中国が持ち込んだのでした。それが証拠にその後
この(正統)が分裂騒ぎを起こすし、日中国交正常化前後には、(正統)が
まるで政党のように、日本を革命して、その革命政府日本として中国と国交
を結ぶのでなければ今の自民党政府と国交回復なんてニセ国交回復だ、等と
いいだす始末です。この分裂騒ぎも、友好協会革命党化も後から誤りだなど
と個別に言われてしまいますが、中国党の異常な方針をある意味で”正直”
に実行してみせた盲従分子の現実の社会とのズレの表面化の一端です。

| 日中友好協会をはじめ日中友好関係諸団体の中にも、それまで日共党員が
|多数所属していた。日共は、これらの団体に所属する党員たちを通して、そ
|の団体に対し日共のとりはじめた反中国方針を押しつけにかかったのである。

まず「反中国」は一度も方針にしてない。従いそれを押し付けるはずがない。

|だが、例えば日中友好協会の場合、たびたび説明してきたように、特定の政
|党に属する団体ではなく、日中友好の発展を願う各界各層の人たちによって
|結成されている大衆団体である。政党でいえば当時、社共両党から自民党に
|所属する人たちまで参加していた。そのような性格の団体に対して、日共の
|方針をもちこんだところに、根本的な問題があったのだ。

違います。社会党はこのとき、狡猾に立ち回りました。しかし狡兎死して走
狗煮らるを地でいくように、セクト主義な社会党系や(左派)系が用済みに
なると隅に追いやられ、最後に政権党である自民党の警察官僚あがりの人士
が主導権を摂るようになってゆきました。

|迷惑したのは社会
|党員や自民党員にとどまらない。友好協会に所属していた共産党員が、党の
|方針に従うか、日中友好を重視するか、板挟みの苦しい立場に追い込まれた
|のである。

そんな美しい板挟みだなんて。(正統)に行った人は「真の革命党」に
いるつもりですから、葛藤もなく、どんな謀略でも平気でした。資金の
持ち逃げの話はどうなったのかな。32氏声明も35氏声明も、人間の
名前の集め方が杜撰だし、やることなすこと謀略体質だったよね。

| そのころ、日中友好活動の分野でどんな問題が起きたか、わかりやすい一、
|二の例をあげれば、まず中国との交流。六五年の成功に続いて六六年に、中
|国で第二回日中青年友好大交流が開催されることになり、中国から八百人に
|のぼる招待を受けた。日中友好協会や日本青年団協議会など関係諸団体で派
|遣準備活動をはじめたところ、日共が参加に反対する方針をとったばかりで
|なく、日共の指示に従った団体が、参加を阻止するためにいろいろと妨害工
|作を行った。佐藤内閣にとっては、もともと許可したくない大規模な青年代
|表団の派遣に関して、招待された関係団体の内部で対立が起きていることは、
|もっけの幸いであった。九月、いっさい旅券の発給を認めない方針を決定する。

|第二回日中青年友好大交流が開催
この問題では「真の国際友好とは何か、だれがこれを阻害しているか」
1966年10月24日 「日本共産党重要論文集4」収録を参照
また青年交流というのですから
「民主青年新聞」の「日中青年交流運動とわが同盟の態度」1966年9月27日
も参照して下さい。(9月29日付け「赤旗」にも掲載)
いずれにせよ「招待されたのに行かないのが反中国」というのは
なんだか親分の前にでてこいと呼ばれ、そのでてこいという呼びだしに
答えないのが親分に刃向かう態度だとする傾向に見えて仕方がないんだが。

|日本青年団協議会など関係諸団体で派遣準備活動をはじめたところ、日共
|が参加に反対する方針をとったばかりでなく、日共の指示に従った団体が、
|参加を阻止するためにいろいろと妨害工作を行った。

日本青年団協議会などが妨害されたならば、青年団協議会がそれを抗議した
りする立場なのでは。何かを証拠立てて、「それ反中国」と罪状にあげつら
うのが排除の論理でありまして、なおかつ青年団協議会になりかわってそれ
を認定し、攻撃するのはいかがなものか。いちど青年団協議会に聞いてみた
いものです「あのとき文革に対してどう対処したのか」ってね。

| この年一一月から一二月にかけて、日中双方の貿易関係諸団体の主催によ
|り、北九州市と名古屋市で中国経済貿易展覧会が開催されることになり、日
|本側では貿易関係諸団体と日中友好協会などで協力会を結成し、半年ほど前
|から準備活動をはじめた。ところが、日共中央が同展に協力しない方針をと
|るとともに、関係団体に所属している党員を通して、規模を大きくさせない
|とか、展覧会場で「毛沢東選集」をはじめ中国を宣伝する書籍の販売や展示
|をさせない、などの妨害工作を行った。党員たちの中には、日中友好協会や
|国際貿易促進協会など日中友好関係諸団体で、重要なポストについている人
|物もいるので、彼らの言動が関係者たちに与える影響も少なくはなく、この
|ため現地ではさまざまな混乱が起きた。

ここも「真の国際友好とは何か、だれがこれを阻害しているか」
1966年10月24日 「日本共産党重要論文集4」収録を参照。

[94] Re: 2つの「50年史」 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/14(Sat) 04:23
つづきです。大きすぎて入らなかった(^^;)

| 日中友好協会の中では、日共指導部のとる方針に疑問を抱く幹部たちが情
|勢を憂慮していたが、八月の段階では、まだ最悪の事態を避けようと努力し
|ていた。八月二〇日の『毎日新聞』が、日共の動向をもとに「日中友好協会、
|分裂へ」との見出しの記事を掲載したときも、宮崎世民理事長が二二日、会
|員の動揺をおさえるため「日中友好協会に対して、何の理由もなしに中国と
|の交流をやめろということは、豆腐屋に豆腐を売るなというのと同じであっ
|て、共産党がそんなバカな指令をするはずはありません。……どんな干渉も、
|圧力も、デマも、日中両国民間の友情を破壊することはできません」との趣
|旨の談話を発表した。

とる方針に疑問を抱く幹部、じゃなくて「日共指導部に疑問を抱く幹部たち」
つまりセクト的に動いた社会党の人士や反党活動で除名された人士が共謀し
ていたって事。

|さらに九月二六日には
|人びと三二人が

所謂「32氏声明」です。

|内外の諸情勢がきわめてきびしいときに、日中友好運動が分裂するような事
|態になってはことが重大だと考え、「内外の危機に際し、再び日中友好の促
|進を国民に訴える」との声明を発表、名指しは避けながらも日共指導部に対
|し、反省と自重を求めた。声明は、次のように訴えている

こないだ32氏声明の謀略性は指摘しました。どこが「内外の危機」か。
それと「分裂するような事態になっては事が重大だ」という立場から
ではなく、いかに日本共産党を排除するかという文言であります。

| 日中友好協会内で、日共中央のとりはじめた反中国方針に反対する勢力と、
|日共の方針を支持する勢力が決定的に対立し、反日共系が日共系と訣別する
|ことになったのが、一九六六年一〇月二五日に開催された第一三回常任理事
|会である。この会議の中心議題は、中国の第一七回国慶節に参加した日中友
|好協会代表団が、中日友好協会とのあいだで調印した共同声明の承認だった。

この項は日付と議題だけ正解。「とりはじめた反中国方針に賛成か反対か」
というのはねじ曲げでありまして、一度たりとも「反中国」方針なんか
とってないからその後関係修復が可能でした(98年)。また、直前に事務所
から新事務所建設資金を1千万円以上も盗み出して準備し、会議にでる前に
分裂しましたという記者会見のセッティングを終え、分裂後に移るビルの貸
し部屋も用意して、排除のセレモニーとしてだけ会議に臨むという排除が先
にありきの誠意のない態度を後に(正統)を形成する宮崎氏らはとったの
でした。

| 共同声明は、べトナム問題をめぐる国際情勢や、これに関連する日中関係な
|どについて検討したうえ、とくに次の三点の重要性について確認したものだった。

これはウソ。こんな事書いたら、墓から毛沢東氏が蘇ってきてこの本の著者を
文革流にリンチしちゃうかも。猛獣文士さんの尽力によりウェブに載る文言と
しては

| 中国の文化大革命と紅衛兵の革命行動は,アメリカ帝国主義とさまざまな反
|動派にたいする最も手痛い打撃であり,中国はソ連の指導グループを中心とす
|る現代修正主義のように堕落することが絶対にありえないことを保障した。日
|本中国友好協会代表団の各員は,滞在期間中かくべつの関心をもって,紅衛兵
|との座談会その他あらゆる機会を通じてこの真実の把握につとめた。その結果
|として,日本中国友好協会代表団は,中国の文化大革命は,中国人民が革命の
|正しい進路を保障するため,長期,わたる革命途上避けることのできない重要
|な―過程であり,すでに明瞭な成果をあげつつあること,ついて深い理解を表
|明した。

なんて重要な語句が欠落している\(^◇^)/。またこんな語句もありました。

| アメリカ帝国主義はいぜんとして中国を主要な目標とする侵略と戦争の政策
|をとりつづけ,世界各国人民の安全と平和を破壊し とりわけアジア,アフリ
|カ,ラテンアメリカ各国の主権と独立をおびやかし,侵犯しているが,まさに
|そのために,彼らはますます全世界人民によって非難され,包囲される立場に
|落ちこんでいる。いまアメリカ帝団主義に反対するたたかいの焦点はべトナム
|にある。英雄的なべトナム人民の断平たる抗米救国のたたかいは,敵に思つく
|暇もない打撃をあたえ,アメリカ帝国主義を日―日と窮地に追いこんでいる。
|しかし,アメリカ帝国主義は侵略戦争の焔をインドシナ全土と中国に拡大しよ
|うとたくらみながら,―方では欺瞞的な「平和交渉」をもてあそんでいる。べ
|トナム人民,日中両国人民と全世界の人民はこのような陰謀の成功を絶対に許
|すものではない。

こんな重要な語句を抜かしてよく歴史文書を概括できたもんだ。やはりアメリカ
帝国主義というような文言は、当のアメリカと北爆の最中に無原則に手を結んで
しまった中国としては差し障りがあるのか。

| この日の会議で、日共の指示に従う役員たちが、共同声明の承認に反対し、議
|事の進行を妨害した。

宮崎氏らの運営はあまり誠実な運営とは呼べませんが。詳しくは日中友好協会の
1966年10月26日付けの「団結と統一の決議 -全国理事会声明」等を参照の事。

| 結果をいえば、四三対一三で共同声明は承認されたのだが、日共系は採決その
|ものを認めず、議場は混乱し、収拾がつかなくなった。このため、一三人の反対
|派を除く四三人の常任理事会構成役員が、日共に従う勢カと訣別して引き続き日
|中友好運動を推進する決意を固め、翌一〇月二六日「日本中国友好協会(正統)
|本部」の設立に踏み切った。「正統」を付けたのは、日共系の団体と異なること
|を示すためであった。むろん、事務所も移転する。そしてただちに、全会員の再
|登録作業に着手するなど、組織の再編成を進めた。

その日のうちに記者会見、それから毎日とんとん拍子に事が進みます。
さすがに準備がいい。元から排除だけを狙った会議だったと。資金の
持ち逃げもできた事だし。

| 旗織を鮮明にした友好協会は、協会内外に対して「協会を本来の姿にとりもど
|し、広はんな国民各界各層の方々の日中友好の願いを基礎に、共同声明を柱とし
|て友好運動を大々的に発展させる」とする声明を発表したが、中日友好協会から
|すぐに、友好協会(正統)を支持するメッセージが寄せられた。日共系との抗争
|はそのあとも続き、この過程で「善隣会館事件」という暴カ事件も起きた(注6)
|が、ほぼ一年かかって組織の再建も進み(六八年七月に開催した第一七回全国大
|会の時点で、会員約九干、府県本部四二、地区本部三一、支部二二〇)、活動も
|軌道に乗ってくる。そして活動の重点は、日共中央および日共系に対抗するため
|か、いっそう政治闘争に置かれていくのである。

「旗色を鮮明に」するのは大衆団体のすることではありません。そのツケで
「そして活動の重点は、日共中央および日共系に対抗するためか、いっそう
政治闘争に置かれていくのである。」となります。「そのためか」なんて平
気で他人事のように言えるもんだ。やはり”走狗”の煮られた後に座った
現在の首脳の人士は、この当時の(正統)とはだいぶ性格が違うようですな。

| 日共と訣別したのちの友好協会のこの時期の活動について、一九七五年に
|出版した日中友好協会全国本部編の『日中友好運動史』では、執筆者が、協
|会の左傾化の原因について「『日本共産党』に絶望した少なからぬ青年たち
|が、わか協会に、階級政党がやるべき仕事の代行を求めることもしばしばで
|あった」として、米原子カ空母入港反対デモ、王子野戦病院反対デモ、板付
|基地撤去闘争、三里塚闘争などへの参加をあげている。そして「デモの先頭
|に、協会旗がひるがえることを求める空気が強かった」と述べ、あたかも友
|好協会が青年などから「求められ」てこれらの活動をしたかのようにいって
|いる。しかし、この記述は正しくない。
|
| 理事会や常任理事会で方針を決定し、これに基づいて推進した活動である
|からだ。

おりょりょ。「階級政党がやるべき仕事の代行が誤り」だとはしないのか?
誤りだとしちゃった方がいいと思うのだが。一応老婆心ながら。そしたら
今後も理事会や常任理事会が方針を決定し、これに基づいてであるならば
過激な運動に手を染めても構わないというのでしょうか。いつでも階級政
党に化ける萌芽をもったまま、機会をうかがうのだと? やはり中国が今
度再び「内乱の教唆」をし始めるのを待っているのでしょうか?

| 日共系と訣別し、混乱した組織を立て直して再出発したのもつかの間、
|こんどは友好協会内部で対立が起き、協会を二分する深刻な事態に陥った。

ほら、いわんこっちゃない。セクトの連中は組織を壊すだけ。

| ともあれ、両派の対立が六九年四月ごろから拡大していき、友好協会は
|この年の後半から、まともに機能しなくなってしまった。

友好協会は機能していたが、(正統)は機能しなくなった、が正解ですね。

|宮崎派は第一八回全国大会を開催して宮崎を会長に選出したが、黒田派は大
|会そのものを認めず、一時期、会長が二人存在する形になった。黒田派は大
|会と称する会議こそ開かなかったものの、黒田会長を支持する中央の役員や
|各地域協会代表の役員・会員らが集まって大会のような会議を開き、やがて
|機関紙『日中友好』を発行するなど、独白に活動を展開した。友好協会は完
|全に、分裂状態に陥った。

前回の分裂に関しては、日付も明確なのに、どうしてこの分裂に関しては日
付がないの?まだ明確なその分裂の総括ができない傷を残しているのかな。

| 日中友好協会の指導者たちが、六〇年代の後半から七〇年代はじめにかけ
|てとっていた行動を、どうみればよいのか。日共系と対決し、訣別したこと
|は正しかった。日共が反中国に転じ、日中友好にばけしはじめた以上、友好
|協会としてその道をとるほかなかった。

あれ?ここだけが反中国だなんてよく言えたものだ。

| けれども、そのあとの友好協会の対立・抗争は、どう考えても理解できな
|い。なぜならば、両派の運動方針も具体的な活動もほとんど同じであり、中
|国との友好を重視する点でも、文化大革命を支持する点でも、まったく同じ
|であったからだ。あえて違いをあげれば、黒田派は会辰が社会党左派に属し
|ていたところから、有カ者には社会党左派系が多く、宮崎派の有カ者には旧
|日共系が多かった、ということくらいである。

この分裂した双方も、互いに「ニセ日中」ぐらいの言い合いはしているのでは
ないかな?そして反中国になりさがったとか、ソ修の手先とか反動の下僕とか
そんな上品な言い合いはしているんじゃないかな。どちらが正解かは存じませ
んが、どちらかが言うことが正解のはず。そしたら、言われた方か、口汚い方
かどちらかが「ニセ日中」で「反中国」なんじゃないかな。

| このことからも、問題の所在は明らかに、協会の指導権をめぐる党派
|(セクト)の争いにあった。

むしろそういうセクト争いの好きな人ばかりを集め寄せて、幅広く粘り強く
団結を組織するという日本共産党や自覚的自主的な友好協会の人士を除いた
せいで、セクトの争いが先鋭化していったのではと思います。また「1が分
かれて2になる」とか「造反有理」とかいう毛沢東氏の一言一句を真理とし
て信奉するならば、どうあっても造反しちゃうのかも知れない。

|両派ともいずれも、日中友好のために努カし、それだけに相譲れない主張
|があったようだ。

これは分裂主義者への美化というもの。傷のなめあいですか。

|だが、それはあくまでも主観であって、客観的にみて両派ともに決定的に欠
|落していたのは、団体としての日中友好に対する責任感であり、一般社会に
|対する責任感であり、そして一般の会員に対する責任感である。日中友好を
|掲げる団体が、内部抗争を繰り広げることにより、一般社会の日中友好と中
|国に対するイメージを損ね、協会に対する信頼と評価を、どれだけ失墜させ
|たことか。のちに述べるように、誤りはそれだけではすまなかった。協会に
|党派の争いを持ち込んだ弊害は甚大であり、その弊害を完全に克服するのに
|二〇年近い歳月を要したといっても過言ではない。

おりょりょ。20年も弊害が続いたと。旗色鮮明にして、ますます精強で、
すがすがしくなったはずではなかったのかな。

| 友好協会の対立・抗争にいちばん気をもんでいたのが中国だった。

中国党が、でしょう。

|やがて明らかになるように、七〇年代に入り、日中関係をも含め中国をとり
|まく諸情勢が大きく変化しようとしていた。その重要な時期に、二〇年来一
|貫して日中友好運動を推進してきた日本の団体が、内部で対立・抗争を続け
|ていることは、座視できない問題であった。とりわけ、日本の友好的な人た
|ちや友好諸団体に、いつもきめ細かい心配りをしてきた周恩来が、このこと
|を重視していた。そこで周恩釆は、七〇年一〇月の国慶節をとらえ、黒田と
|宮崎の二人に中国を訪問する機会を巧みに設け、自ら一夜、二人に対して対
|立を解消し、団結するよう説得したのである。一国の首相がじきじき、民間
|の団体の代表たちに、わざわざ仲直りの労をとるなどということは、まった
|く異例のことである。さすがに二人とも、この重大さを悟り、これをきっか
|けに団結に向けて努力することを決意した。

70年の国慶節に対立を解消するように、と言われて、それでも20年かかる
ということは1990年ぐらいまで、この対立の溝は完全に埋まらなかったという
事でしょうか。

それから、ここにあるように、干渉の震源地が中国共産党ですから、中国党の
トップクラスが異例の介入をして、それで初めて関係修復の会談に持ち込める
わけですね。これが(正統)の親が誰かをよく示しています。やはり内部問題
に干渉して育成した日本の国民に何の責任も負わない対外盲従分子の徒党で
あったわけです。

|(6) 東京・飯田橋にあった「善隣学生会館」は中国人の学生寮だったが分裂
|前の日中友好協会は同会館内に事務所を設けていた。日共系と訣別し日中友好
|協会(正統)を旗上げした日中友好・中国支持派が混乱を避けるために事務所を
|移したのちも、日共系が引き続き同会館内に事務所を置いていたため、中国人
|学生たちが「会館は日中友好のために使用するものである」として、反中国・反
|日中友好に転じた日共系に対し、立ち退きを要求、紛争が生じていた。六七年
|二月二八日、日共系が民主青年同盟などの青年を動員して中国人学生を襲撃し、
|多数の負傷者を出す事件を引き起こした。これに対して日中友好協会(正統)
|や国際貿易促進協会など日中友好諸団体も、多数の人びとを動員して中国人学
|生を守る態勢をとったことから、この事件は日中友好と反中国・反友好の鋭い
|対立を象徴する出来事となった。やがて日共系は同会館から退去した。

28日にはそんな動員は双方になかったはず。
また襲撃してもウソ。
監禁というか、立てこもりというか、外部に通行もできないようになったのが
28日夜のことで、激突は2日。そして友好協会事務所側の安全を確保するた
めの仮処分がでて終息という経過なのは承知の通り。
しかし、この「事件を引き起こした。」という表現に注目。(正統)側も関与
して、激突に加わっているはずなのに、よくもこんな拱手傍観したような他人
事にできるもんだ。

|やがて日共系は同会館から退去した。

これを原因として退出したのではないですね。「やがて」の使い方が作為あり。
そもそも新事務所建設を計画していたのは、お金を持ち逃げした皆さんは当然
御承知のはずでしょうに。

[64] どこのツリーか忘れたんで新規 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/04(Wed) 16:19
写真は事実を語る事もありますが、事実の一部分を撮影者の意図どおりに
切り取って、トリミングする形で事実を錯覚させる道具にもなりうるもの
と言えます。また、理性に訴えるというより、感情に訴える道具として
さまざまに利用されてきた事も事実です。その点三好氏らは狡猾に
写真の特性を活かしています。

|これについては、現場写真が残っています。華僑学生側が歩いている後に、
|ヘルメットをかぶり棍棒を持った武装部隊がにらんでいるもの、その後、
|襲撃しているところなど。

猛獣文士さんは、写真で判断しているのですね。ところでその後
全国的にどのような反中国な暴力行為がありましたか。当時のあな
たがどんなに恐怖を抱いたか、扇動されたかは存じませんが、以後
ちっとも中国人が日本共産党に攻撃されたという事実はありません。
そして第一撃で負傷した者に既に日本人が寮生側にいる。このこと
に関してあなたは一度も言及してない。でもあなたが提示した寮生
側の報告の中で出したり引っ込めたりしているのはまさにこの日本
人の反党分子かトロツキストか存じませんが、日本人の事です。
そして暴力を正当化する中国側の言い分はちっとも見てない。
ここはもっとも欠けている所だと思います。一方で、最近は猛獣文士
さんは日本共産党の路線の中で反中国だという根拠になる論文が
でてこないということに気がつかれたようで、これは実証的でよい
方向です。どんどんお調べ下さい。そしてむしろ日本共産党がどの
ようにソ連とたたかっていたか、ベトナム支援をしていたか、いやさ
中国を僚友とてっきり思っていたかがわかると思います。

|日中友好協会の声明では、非常に断定的に「この日、壁新聞はすでに風
|にあふられて破れていたのであり、事務局員が破ったというのはまった
|くのいいがかりにすぎない。」といっています。このような断定をする
|根拠は、なんだったのか知りたいものです。

勝手に破れたんだろう、という意味じゃないでしょうか?
あなたの議論としては紙か布の壁新聞がやぶれた事を理由に
何日にもわたる激突、攻防をするのを正当化しているように
思えて仕方がありません。日本軍が、張作霖を爆殺しておいて
事実はどうか?などといいながら戦争を拡大していったとか
差別事象だといってトイレに落書きを発見して、それから
糾弾闘争を無茶苦茶にはたらくとかそういった事態をとりわけ
60年代には沢山みました。まさにそのとおりの進展であります。
「『壁新聞』が破れた。故に『ニセ日中』はでていけ」というのが
言いがかりというものの見本です。真骨頂です。
「壁新聞は知らない、従来どおり事務所に間借りしたい」という
のは発端に於ても結論に於てもどこにも謀略はありません。
だいたい物を大事にするというときに、たとえば「天皇の下賜」に
なる銃だとか何だとか、絶対に不可侵で傷つけたりそまつにするのを
許さない、なんていうのが日本軍の狂った特徴でした。紅衛兵を
気取った寮生もそういう思い上がりがあったと思いますね。

|北京放送でそのようなことをきいたのは覚えていません。しかし、その
|ころの放送はほとんど覚えていないから、なんともいえませんが。しか
|し、北京放送でそのような内容を語るとしても、流血事件の後ではないですか。

では「ニセ日中」というのは(正統)からでているか、直接
駐日中国党幹部からでているのでしょう。北京放送が2月の
事件の直前に「選挙亡者」などと「修正主義」をののしった
のはたしかに記録されています。統一した指令部の元に隠密
に指揮されているのか、そそのかされていたのか。

|動員をかけて、多数の人がいたことは事実だと思います。写真が残っている。

動員は1日以後でしょう。一応好意的に28日には寮生はヒステリー
状態だと書いたのですが。動員なんて誰もいない5人で夜を過ごした
とあります。もしも寮生の加勢がこないうちに、そんなに沢山の加勢
を入れていたら、それこそやる気があれば3階4階をも制圧できたと
思いますし、女性ぐらいは外に出せたと思いますが。それとも28日
に事件の発端から数百の軍勢をもって事務所に居たとでも。

|中国映画会になぜ寮生を入れなかったのでしょうか。「今日は中国
|人はいれない」などと、日中友好協会の事務局員が
|いったとされているのですが。その腹いせにニセビラをはったとも。

すでに「やつらは反中国だ」という思い込みがあって、その反中国
な罪状を作るために「入れさせろ」と言ってみたのではないかな?
紅衛兵は中国国内で、「人民の敵」を作るために、チャリンコで
集団で徘徊して、学校の先生なんかの家を見つけて、寒空でもその
家の住人を上着もきせずに外に待たせて、中を「捜索」し、中から
少しでも自分たちに理解できない本などがでてきたら、これをスパイ
とか走資派だとかの「証拠物件」にして、集団暴行を老人やその妻に
加えたという話しがあります。「証拠」はこうして作られてゆきました。
劉少奇でも「敵」なんですから、それは「ニセ日中」だと言われる
日本人を「敵」にしちゃうのはいとも簡単ですよね。腹いせに「ニセ
ビラ」というのも、だいぶキています。異常な状況です。そうは思い
ませんか。そして腹いせで「ニセびら」を出せるヤカラならば謀略
で「自己批判書」なるものを捏造するのも蓋然性のあることですね。
自作の壁新聞、それが破れたとイチャモン、自己批判書の捏造、それ
に対して捏造である旨の友好協会の張り紙にはまたイチャモン。
私が事務員なら長続きできず辞めさせてもらいます。幸い当時の中国
国内のように、どこにも逃げ場がないわけでないんですからね。それ
と自分やその近親の者がそのような暴虐を被ったら、なかなか忘れる
事はできないでしょうね。中世の獄卒というか、地獄の鬼のような責
め方ですな、紅衛兵は。これを直輸入でやられたら堪りません。

そもそもそういう手法は、あなたの好きなトロツキストたちが最も
嫌うスターリニスト的な弾圧手法のはずなんですがね。でも60年
代のトロツキストと言われた人たちの暴力と謀略、相手に対する
弾圧的な行動は、やはりスターリンやベリヤ流のものでありました。

|以降の書き込みについては、私には分かりかねるので、コメントできません。

中国高官が寮生やその支援者が友好協会の者を監禁し、事務所を壊し
負傷者をだした激突をしかけた事をを直後に褒め称えた文は残っています。
寮生たちはこのように顕彰されました。友好協会の人は傷ついたまま
だったんじゃないでしょうか。

[67] Re: どこのツリーか忘れたんで新規 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/04(Wed) 22:50
> 猛獣文士さんは、写真で判断しているのですね。ところでその後
> 全国的にどのような反中国な暴力行為がありましたか。当時のあな
> たがどんなに恐怖を抱いたか、扇動されたかは存じませんが、以後
> ちっとも中国人が日本共産党に攻撃されたという事実はありません。
> そして第一撃で負傷した者に既に日本人が寮生側にいる。このこと
> に関してあなたは一度も言及してない。でもあなたが提示した寮生
> 側の報告の中で出したり引っ込めたりしているのはまさにこの日本
> 人の反党分子かトロツキストか存じませんが、日本人の事です。

2月28日の夜、壁新聞を破ったかどうかということで、あるいはMKさんが
寮生のP君を殴ったということについて、小山慎平事務局員が寮生と話を
して、「謝罪文」を書いた。この謝罪状は写真が残っています。

ここまでは、いいでしょうか。

光岡玄の論文によると、寮生がこの謝罪状を壁新聞にして、いったん収まった
ところ、同日深夜(といってもはじまりが午後11時ですでに深夜に近いのですが)、
日共と民青の宣伝カーに分乗した6-70人の男たちが会館に入り込み、もみ合いに
なったあと、協会事務所に入った。翌未明3時ごろ、壁新聞の写真をとろうとした
日共側の人間に寮生が抗議したところ、協会事務所からでてきた5−60人の人間が
殴るけるの暴行。

3月1日午後6時、寮自治会主催でこれらに対する抗議集会を開いた。このとき
の人数が約150人。日本の友好団体も参加。

光岡論文では終了後すぐ解散したような書きかたをしているが、日本と中国の
三好一の報告では、協会に抗議文を渡しに行った所、中からバリケードをきずいて
応答しなかったため、寮生代表と二人で協会会長(笠原千鶴)の自宅にいって、
抗議文をわたしたそうです。このとき、気勢を上げたり、シュプレヒコールをしらり
したかもしれない。

このとき、日本人の支援者がはじめて会館に来たわけです。

> では「ニセ日中」というのは(正統)からでているか、直接
> 駐日中国党幹部からでているのでしょう。北京放送が2月の
> 事件の直前に「選挙亡者」などと「修正主義」をののしった
> のはたしかに記録されています。統一した指令部の元に隠密
> に指揮されているのか、そそのかされていたのか。
>

このころの選挙演説で、共産党の野坂参三が、中国は前近代的
だから、日本の社会主義はあんなのとは違うといっていた。両党の
路線が食い違ってきたのだから、言い合いになっていた。

> 動員は1日以後でしょう。一応好意的に28日には寮生はヒステリー
> 状態だと書いたのですが。動員なんて誰もいない5人で夜を過ごした
> とあります。もしも寮生の加勢がこないうちに、そんなに沢山の加勢
> を入れていたら、それこそやる気があれば3階4階をも制圧できたと
> 思いますし、女性ぐらいは外に出せたと思いますが。それとも28日
> に事件の発端から数百の軍勢をもって事務所に居たとでも。
>

光岡論文では、28日夜に6−70人を動員し、協会事務所に入った。
3月1日夜、500人動員したとなっている。

> すでに「やつらは反中国だ」という思い込みがあって、その反中国
> な罪状を作るために「入れさせろ」と言ってみたのではないかな?

寺尾の本では、そんな雰囲気ではなかったといっているよ。
紅衛兵の中国の逸話はこの際無関係。
赤旗でも、2月24日、悪質なニセビラ(中国人はいるべからず)を見つけて
寮生がわに抗議したら、一応非を認めたとある。そのくらいのコミュニケー
ションは可能な状態だったようです。

>
> そもそもそういう手法は、あなたの好きなトロツキストたちが最も
> 嫌うスターリニスト的な弾圧手法のはずなんですがね。でも60年
> 代のトロツキストと言われた人たちの暴力と謀略、相手に対する
> 弾圧的な行動は、やはりスターリンやベリヤ流のものでありました。
>

人物としてのトロツキーは、反革命ではないという評価ですか?
不破氏がソ連はレーニン死後、社会主義でも過渡期でもない抑圧社会に
なったと、言っているのは読みましたが。

> 中国高官が寮生やその支援者が友好協会の者を監禁し、事務所を壊し
> 負傷者をだした激突をしかけた事をを直後に褒め称えた文は残っています。
> 寮生たちはこのように顕彰されました。友好協会の人は傷ついたまま
> だったんじゃないでしょうか。

孫平化は高官かな?まいいけど。
寮生も傷ついたのでは。昨年まで信頼していた日本共産党に暴行されたのだから。

[65] どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/04(Wed) 20:55
|20歳前の青年というのは、大人から見ればとてもやっかいなものです。
|そのような青年が数十人も寮生として住んでいるのだから、会館側も扱い
|づらかったとは思います。

何を一般的な話しに解消しているのでしょうか?守島理事長さんは
べつに寄宿舎の舎監さんじゃありませんよ。こういうのは事態の
わい小化だと思いますね。

|色々厄介なことが起こったことについては、日本共産党に大きな責任があ
|ると思いますよ。「正当防衛」だから「権威のない連中をひとひねりにす
|る」などといって、武装部隊を動員して暴行されたら、そのような原因を
|作った人たちと平和的に暮らすことはできなくなるでしょう。

「ひとひねり」が盲従した日本人であることの解明は先にすませました。
誰が「中国人排斥」で「ひとひねり」だと申したのですか。ねじまげも
はなはだしい。しかもこの解明が67年2月頃であることは猛獣分子さんの
解明でもそれ以上遡ることができないわけで明確ですよね。だとすると
前年からの「でていけ」という挑発は一体どうなるんだろう?【時間と
空間を越えた辻褄合わせ】にそろそろお気づきになる必要があります。それ
とも「ひとひねり」という文言を寮生がみなで読んで、その文言に自分
が”ひねられる”と誤解したのが一切合切日本共産党の青柳氏らの文の
ニュアンスのせいだとでも?やはりあなたは北京周報や北京放送をまとも
に当時ごらんになってなかったということですな。それから、北京放送が
「修正主義者」だという攻撃はしかけて来るわけですが、もしも寮内で
あなたがご心配になる友好協会や日本共産党の側の非があるとするなら
なんで党間ルートや北京放送でもっと先に寮生の安全を邪魔しないでと
具体的に言わないのでしょうか?レッテル張りばかり先にきて、具体的
な交渉する気がないハナから敵対しようという姿勢の証拠じゃないですか。
そういう党としての毛沢東の側の謀略だったわけです。

|これについては、現場写真が残っています。華僑学生側が歩いている後に、
|ヘルメットをかぶり棍棒を持った武装部隊がにらんでいるもの、その後、
|襲撃しているところなど。

言葉をすりかえないで下さい。写真は写真です。全国でそのような事態が
発生したか?と前からあなたに聞いているのです。結局東京地裁もどこも
そんな事は確認しておりません。あなたも3階4階の事は聞いてないでしょう。
寮生が生存と生活を脅かされたら、仮処分でも何でも請求すればよかった
んです。結局それがでないのは寮生側が暴力団で、被害者が友好協会側
であったことの証明です。

何かというと中国人に弾圧だとか、やってみろだとかまともに話しを聞い
て受容する気がなければ、お話が暗礁にのりあげてしまいますね。当のご
本人、寮生も(正統)も(左派)もML派も組織した張本人である親玉
中国共産党が「我々に誤り」と総括と是正をなさったというのに。

|同じ出来事の説明が日を追って激しくなるのはなぜでしょう。

話しが突発的な事件だったからではないでしょうか? 真の張本人は
中国共産党であることは張香山氏も戴ケイ国氏も認めたとおりです。

|> ガラスを割られて困った、という話しが橋爪氏の本にありました。
|> 本になくても、その場をご覧のあなたには見えると思うのですが。
|>
|私はがこの会館にいくときは、いつもあまり協会側をみないようにして
|いたのかもしれません。ガラスが割れているのを見た覚えはありません。

えてして人間の記憶は自らを欺きます。
だが橋爪氏の指摘では、窓が限りなく割られるから、ガラスでケガした
後々の防衛の、寝ていた人もいたということです。これは具体的です。
またガラスではどうしようもないので、板を貼り付け、暗い地下室の
ような部屋になったとあります。これまた非常に具体的ですよね。

|しかし、3月2日に武装部隊に暴行され、重体になった人がいて、警察も
|相手にしてくれず、赤旗は嘘ばかり書いている、というような状況
|(これが寮生側の認識だったのでしょう)で、憎悪が集中していたとす
|れば、このようなことはなかったともいえません。

ほう。猛獣文士さんも具体の話がでてきました。ところで相手側には
つまり友好協会側には被害者はいないのでしょうか。一方的に攻撃を
しかけておきながら、反撃されると今度は一方的に被害者であるとし
て無制限の報復を合理化してしまう。このなんとも身勝手な寮生のご
意見でしょう。そしてそれを制御したり抑制したりする者がいない無
法状態。ぶつかり合いがあれば、それは跳ね上がりの者はでますよ。
その時に「まて、相手も人間だ」と無限エスカレーションしないのが
人間の知恵というものです。そういう文明的な知恵のタガが外れてし
まったのが文革であり紅衛兵であり、ポルポト派であり寮生や(左派)
であったのでしょうな。そしてホウ真や陶鋳、劉少奇や無数の人士も
「敵」として無残に打倒されてしまった。中国党は大損しました。

|大阪の人さんは、華僑を全国規模で迫害するなどというおぞましいことを
|二度も書き込みました。冗談でも、比喩でも、このような言葉は何度も聞
|きたくはないですね。発想自体が不愉快です。

あなたね。「華僑を」ではなくて「華僑も」被害にあうよ、という話を
したのです。第一の話はインドネシアでしたね。インドネシアで一義的
に狙われたのはインドネシア人のうちの共産党員や支持者と目された人
でした。でも華僑も甚大な被害に遭われました。華僑の圧倒的多数の人
は全く無辜の民で悲惨と言うほかはありません。これこそ中国政府の冒険
主義の最大の犠牲者と言えますね。この話はもしも日本共産党がこの
文革の方針、武力革命唯一論を受け入れて山に篭ったり武装闘争などと
いいだせばインドネシアのような状況になる、その時「華僑も」共産党
員とへだてなく、甚大な被害を被るという事でした。第二の話は、あなた
が「日本共産党は反中国だ」とかいうから、それならば30年の間に全国
に統一方針で動いている日本共産党が何十万といるし華僑も全国に居るの
にどうしてその間被害に遭わないのか?という疑問形、反語で聞いている
のです。ナチスのように民族差別排外主義の党であれば、もっといろいろ
事件があったはずだろう?ということです。そういえば、この第二の点で
あなたは事実を見るでなく、目をそむけたままでしたね。どうしてこう
言い逃ればかりするのか。

そうして「友好協会はきりえや中国語講座を今はしている」と書いたら
「きりえ教室に名前を変えろ」などとまた変ないいがかりを言い始めた。
それで「自分できりえでもやりに行ってみるとよい、話を紳士的に聞けば
いくらでも相手は応じてくれるはず」という肝心の当方の提案には
ダンマリを決め込んで、30年以上前の憎悪が集中して、という事に
話がすげかわっている。あなたご自身で何が「真の日中友好運動だったか」
というあなたの疑問を事実で検証すべきというのは、間違った指摘
適わぬ夢、タワゴトでしょうか。

ちなみに中国党や中日友好協会にゆけと派遣されたわけではないのに
日本にやってきた中国人がもうかなり人数友好協会で語学教師などで
勤めているそうです(別に反共の、たとえば台湾の国民党のバリバリ
の人士とかじゃありませんよ)。で、その人たちは、普通に賃金を
貰って、普通に生徒を教えているし、それ以外でも(別に日本共産党
の理論を洗脳するわけでもなく)旅行にいったりレクリエーションに
参加したりも本人の興味のままに参加しているそうです。まだあなた
にはそれを検証するのが怖い、と言われるのでしょうか。中国語の歌
をひと節歌ってくるとか、唐詩を作ってくるとか、きりえを習って
帰ってくると、あなたの純潔な毛沢東思想、世界の革命を照らす百科
全書たるプロレタリアの精神がケガれてしまう、修正主義に堕すのだ
とでもいうのでしょうか。

|私は、「日中友好協会」の会員と話をしたことはありません。もうそういう
|状態ではなくなっていたので。ただ、寺尾五郎の本は、華僑学生が「友好協
|会」を反中国であるとする根拠として、こんな談話を紹介しています。

そういうわけで、寺尾氏という日本人の本は信じるがあなたはご自身の
目でものを見てなかったわけだ。

|こんな風に思わせたら、日中友好などといえないのではないですか。

思わせたのは寺尾氏らと中国共産党、政府でしょうが。あなたは
そう「思った人」の意見を鵜呑に覚え込んだだけでしょうが。
そこがジャングルの中で一人で戦争している日本兵に似ていると。

ちなみに蛇足的ですが「文革礼賛者の節操」の中で、P86あたりの
一節で、この寺尾氏が、福田氏ら(左派)に加わるが、後に福田氏
らに「投機師」だとののしられて決別しているそうです。この投機師
というのが正しければ寺尾氏のいうことはあまり信用できません。
寺尾氏が人品間違いない立派な人だとするならば、(左派)である
福田氏らが人を中傷する悪い人だということになります。ところで
善隣学生会館には福田氏らがいて、寺尾氏は京都から見ていたとの
事です。どちらが真実なんでしょうかね。

[66] Re: どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/04(Wed) 22:10
> 「ひとひねり」が盲従した日本人であることの解明は先にすませました。
> 誰が「中国人排斥」で「ひとひねり」だと申したのですか。ねじまげも
> はなはだしい。しかもこの解明が67年2月頃であることは猛獣分子さんの
> 解明でもそれ以上遡ることができないわけで明確ですよね。だとすると
> 前年からの「でていけ」という挑発は一体どうなるんだろう?

出て行けの壁新聞の最初は1966年11月末

> ほう。猛獣文士さんも具体の話がでてきました。ところで相手側には
> つまり友好協会側には被害者はいないのでしょうか。

3月2日までの段階では、いないはずです。自分で転んで怪我をした森下さんという人
以外には。その後は知りません。

> 文革の方針、武力革命唯一論を受け入れて山に篭ったり武装闘争などと
> いいだせばインドネシアのような状況になる、その時「華僑も」共産党
> 員とへだてなく、甚大な被害を被るという事でした。第二の話は、あなた
> が「日本共産党は反中国だ」とかいうから、それならば30年の間に全国
> に統一方針で動いている日本共産党が何十万といるし華僑も全国に居るの
> にどうしてその間被害に遭わないのか?という疑問形、反語で聞いている
> のです。

日本の華僑は1960年代では5万人くらいです。在日朝鮮韓国人が60万人くらいでした。
今は、中国から大勢の人が(国交回復後)きているので、増えています。

> ナチスのように民族差別排外主義の党であれば、もっといろいろ
> 事件があったはずだろう?ということです。そういえば、この第二の点で
> あなたは事実を見るでなく、目をそむけたままでしたね。どうしてこう
> 言い逃ればかりするのか。
>

日本共産党はナチスのような民族排外主義の党ではない。あたりまえでしょ。
ナチスのような党がいまごろ、あったら困るよ。

> ちなみに中国党や中日友好協会にゆけと派遣されたわけではないのに
> 日本にやってきた中国人がもうかなり人数友好協会で語学教師などで
> 勤めているそうです(別に反共の、たとえば台湾の国民党のバリバリ
> の人士とかじゃありませんよ)。で、その人たちは、普通に賃金を
> 貰って、普通に生徒を教えているし、それ以外でも(別に日本共産党
> の理論を洗脳するわけでもなく)旅行にいったりレクリエーションに
> 参加したりも本人の興味のままに参加しているそうです。

それはよいことですね。

> そういうわけで、寺尾氏という日本人の本は信じるがあなたはご自身の
> 目でものを見てなかったわけだ。
>

話をする機会がなかったということを責められても仕方ない。

> 思わせたのは寺尾氏らと中国共産党、政府でしょうが。

寺尾氏はインタビュアーですよ。


>ちなみに蛇足的ですが「文革礼賛者の節操」の中で、P86あたりの
> 一節で、この寺尾氏が、福田氏ら(左派)に加わるが、後に福田氏
> らに「投機師」だとののしられて決別しているそうです。この投機師
> というのが正しければ寺尾氏のいうことはあまり信用できません。
> 寺尾氏が人品間違いない立派な人だとするならば、(左派)である
> 福田氏らが人を中傷する悪い人だということになります。ところで
> 善隣学生会館には福田氏らがいて、寺尾氏は京都から見ていたとの
> 事です。どちらが真実なんでしょうかね。

京都のグループとはなんだか分かりませんが、日共を批判した人がいたらしい。
善隣学生会館には福田氏はいなかったと思いますよ。山口県で長周新聞を
作っていたんじゃないかな。

確かに、左派の人たちはよく分裂したようです。

ところで、「文革礼賛者の節操」はもう絶版になっているようです。

大事なこと、毛主席の「4つの敵」の講話の典拠は分かったでしょうか。
分かったら知らせてください。

[70] Re^2: どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/07(Sat) 01:11
|出て行けの壁新聞の最初は1966年11月末

つまり「ひとひねり」と「赤旗」で見て、それを自分たちの事
かと誤解して、それから66年11月に戻って壁新聞を貼るわけに
はいかないということですよね。先に日本の国法では許されて
ない業務妨害を寮生らがしかけて来ているということです。
そしてそういう猛々しい行為をはたらきますと、えてして
自分の言葉や行為に酔ってしまい、ますます逆上して暴力的に
なるものです。群集心理と申しましょうか、「いじめ」なん
かもそういう心理の力学でエスカレーションするそうです。
「ニセ日中だからたたき出す」ということは本国政府や党
なにより尊敬する建国の父毛沢東主席からも是認され、あら
ゆる点で自分たちは「正義の守り手」だと増長する。誰も
「目を覚ませ」と制止するオトナはいません。

|3月2日までの段階では、いないはずです。自分で転んで怪我
|をした森下さんという人以外には。その後は知りません。

「自分で転んだ」はまだ確定的に言えるとは思えませんが
双方とも、他に後々言われる大けがは2日まではありませんね。

棒きれは2日には双方持っていたと思います。それ以外に鐘つ
き棒のような丸太棒を寮生らが扉を破るべく突いたとあります。
これでケガがでたということではないでしょう。ただ中に人
がいる部屋に鐘つき棒のようなもので扉を破ろうとして突く
というのはかなりキてます。尋常な神経ではない。静穏に暮らす
事を望んだ者のすることではありません。「正義」を本国から
激励され鼓舞され、思い上がった寮生側の異常な心理がよく
でています。中で居た人は生命の危険を感じたでしょうね。
これを紅衛兵きどりと言わずに何を紅衛兵というのか。

2月28日に衝突に至る。準備していた臭いのは寮生のように
思いますが、とにもかくにも28日には扉を隔ててにらみ合い。
寮生は「でていけ」事務員は「おいだされてなるものか」と。
電気が切られてストーブが点かないで2月末の東京で、水を
掛けられた服のままで夜を越す事務員さんら。悲惨ですね。
1日も壁をはさんで双方膠着。友好協会事務所は閉じこめられて
います。2日に大掛かりな激突。仮処分命令によって警察導入。
これによって一定の激突は終息。こんな流れなのかな。

|日本の華僑は1960年代では5万人くらいです。在日朝鮮韓国人が
|60万人くらいでした。今は、中国から大勢の人が(国交回復後)
|きているので、増えています。

この間に、「反中国」の路線に基づいて組織的になにか日本党が
しかけたという証拠はないということをお認めになりますね。い
つぞやは日本党が「反中国」だということを証拠立てるべく論を
進めておられたように見受けられましたが。また三好氏や光岡氏、
寺尾氏の論はそういう論だてだと思います。

|日本共産党はナチスのような民族排外主義の党ではない。あたり
|まえでしょ。ナチスのような党がいまごろ、あったら困るよ。

こういう当然の前提が土台にありますと、話はまた少し前に
ゆけます。いろんな手合がいますからね。
それと、ナチスばりの集団は結構いろいろ今も現にあります。
「SAPIO」誌の論調なんて、かなり偏執的に反中国なムード
をしきりにあおっています。ちなみに当方は友好協会の人のよう
に中国の文化に関心とか友人知人がいるわけではありませんが
反中国のデマゴーグには無性に腹が立ちます。軍事費が値上げ
されますと日本の福祉政策などが減り困ります。姜克實氏は
「現代中国を見る眼」において共産主義は「公」を押し付け「私」
を殺すという否定的認識のようですが当方に言わせますとこと日
本においてはそういうのは何より森首相のスローガンでして、
「公」がどうしたというと、その他に想起されるのは小林よしの
り氏なんかの方がよほど「公」なんじゃないかと思います。

|話をする機会がなかったということを責められても仕方ない。

今ボールは猛獣文士さんに渡りました。「真の日中友好運動とは」
という検証はご自分ですべきです。世の中には掲げた目標が良く
てもそれを実行してない所も沢山あります。理想と現実の差も
あるでしょう。それらを含めて自分で検証されればいいと。特に
例の(正統)のHPにあった50年の結成を呼びかける文に照らして
何が変質したのか、何が保持されているのか、何を今後(国交正常
化などは課題としては達成されましたね)追求すべきか。そうした
土台としてきっと50年のあの文は今も重みを持つ事でしょう。

|それはよいことですね。

気に入るかどうかは別として、検証すべきです。馬には乗って
みよ、人には添うて見ろと申します。

|寺尾氏はインタビュアーですよ。

寺尾氏は本の著者でしょう。そしてその後に福田氏らの
グループに加入し、短期間で「投機師」と言われて福田氏ら
と反目分裂してゆくそうです。その後の寺尾氏の消息は
よくわかりません。日本労働党にでも行ったのでしょうか。

|京都のグループとはなんだか分かりませんが、

猛獣文士さんの引いてこられた引用の中に、寺尾氏が曰く
「自分は京都から見ていたがそれでもわかる」というような
記述がありました。当方は寺尾氏に関してはこちらの
ホームページで読むまで知りませんでした。「節操」で
読んだときは読み飛ばしていて印象なかったし。

|善隣学生会館には福田氏はいなかったと思いますよ。
|山口県で長周新聞を作っていたんじゃないかな。

(正統)には、志田氏のグループ以外のほとんどの文革礼賛で
日本共産党を除名または脱走した者が加わってたそうです(「節操」
のP137〜)。「福田一派」「西沢一派」「安斎一派」「大塚一派」
いわばオールスターです。その他社会党の黒田氏、岡田氏、穂積氏
らも旗揚げに加わったと。したがって福田氏自身がでてこなくてもその
グループはいたと思います。三好氏なんかはそうじゃないかな。

そしてこの同床異夢は数年を待たず空中分解しているんですが。この
分裂の過程は宮崎世民氏の「回想録」が割と克明に書いているようで
「節操」でも多くこの本を引用していました。そういえば中国研究所
の光岡氏、岡村氏らはML派や「造反団」と共に「四.七」事件と言
われる襲撃を、せっかく作った(正統)の科野ビルの事務所にかけて
います。日大全共闘に資金カンパしろ、お前たちは中国からたんまり
貰っているだろうというのが光岡氏、岡村氏らの主張だったそうです。
(正統)の人たちはなんとこのとき、監禁脅迫されたんだそうです。
お金が裏できたなくからんでいますね。暴力団らしいふるまいです。

|「文革礼賛者の節操」はもう絶版になっているようです。

あらあら。売れなかったんだろうか。関心もって読めば結構おもしろい
本なんですけれども。

|毛主席の「4つの敵」の講話の典拠は分かったでしょうか。
|分かったら知らせてください。

こちらでわかったのは、講話の掲載された『教育革命』という本の名前、
その本がでた奥付が1967年8月11日だということです。そちらではこの本
は手がかりがありませんか。日中愛好協会(正統)にも、こういう理論的
な原典はなさそうです。

あと、日中友好協会の元々の50年の結成を呼びかける文を見つけて、思い
ついた事なんですが67年2月25日ぐらいに日中友好協会が大会をして、路
線を決議しているはずです。同じく(正統)も67年6月ぐらいに大会を開
いて、路線を決議(「大会宣言」「運動方針」)しているはずです。こう
した文もできれば集めたいですね。このどちらの派が原点の50年の路線に
沿う、路線を決めたか、変質したかということです。

[73] Re^3: どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/07(Sat) 22:53
> つまり「ひとひねり」と「赤旗」で見て、それを自分たちの事
> かと誤解して、それから66年11月に戻って壁新聞を貼るわけに
> はいかないということですよね。

松本善明さんは、善隣学生会館の事件が「急迫不正」の正当防衛の事例であったと
3月7日付け赤旗で述べています。(真実をつくりかえることはできない)

> 先に日本の国法では許されて
> ない業務妨害を寮生らがしかけて来ているということです。
> そしてそういう猛々しい行為をはたらきますと、えてして
> 自分の言葉や行為に酔ってしまい、ますます逆上して暴力的に
> なるものです。

壁新聞を会館の中に張るということは、日本の法律で特に犯罪になることではありません。
会館を管理する理事会との関係で、了承が得られれば、問題はないことです。

たとえば、外の電柱にステッカーを貼ったりすれば、一応取り締まりの対象になるで
しょうが。

> |日本の華僑は1960年代では5万人くらいです。在日朝鮮韓国人が
> |60万人くらいでした。今は、中国から大勢の人が(国交回復後)
> |きているので、増えています。
>
> この間に、「反中国」の路線に基づいて組織的になにか日本党が
> しかけたという証拠はないということをお認めになりますね。い
> つぞやは日本党が「反中国」だということを証拠立てるべく論を
> 進めておられたように見受けられましたが。また三好氏や光岡氏、
> 寺尾氏の論はそういう論だてだと思います。
>

反中国という用語の解釈の問題です。華僑を絶滅させようというような
思想だったら、なんというのでしょうか。ジェノサイドの思想でしょうか。

> こういう当然の前提が土台にありますと、話はまた少し前に
> ゆけます。いろんな手合がいますからね。
> それと、ナチスばりの集団は結構いろいろ今も現にあります。
> 「SAPIO」誌の論調なんて、かなり偏執的に反中国なムード
> をしきりにあおっています。ちなみに当方は友好協会の人のよう
> に中国の文化に関心とか友人知人がいるわけではありませんが
> 反中国のデマゴーグには無性に腹が立ちます。軍事費が値上げ
> されますと日本の福祉政策などが減り困ります。姜克實氏は
> 「現代中国を見る眼」において共産主義は「公」を押し付け「私」
> を殺すという否定的認識のようですが当方に言わせますとこと日
> 本においてはそういうのは何より森首相のスローガンでして、
> 「公」がどうしたというと、その他に想起されるのは小林よしの
> り氏なんかの方がよほど「公」なんじゃないかと思います。
>

同意します。

> 今ボールは猛獣文士さんに渡りました。「真の日中友好運動とは」
> という検証はご自分ですべきです。世の中には掲げた目標が良く
> てもそれを実行してない所も沢山あります。理想と現実の差も
> あるでしょう。それらを含めて自分で検証されればいいと。特に
> 例の(正統)のHPにあった50年の結成を呼びかける文に照らして
> 何が変質したのか、何が保持されているのか、何を今後(国交正常
> 化などは課題としては達成されましたね)追求すべきか。そうした
> 土台としてきっと50年のあの文は今も重みを持つ事でしょう。
>

[社]日中友好協会編「日中友好運動五十年」東方書店(2000年6月)

には、そのような事情の正統本部系の組織の末裔としての考え方が載って
いますね。1967年当時の説明は、大阪の人さんには、気に入らないでしょ
うが。これをホームページに追加するものか、考えています。

ところで、正統本部(最近では正統をとって単に日中友好協会と自称していますが)
のホームページの URL を教えてくれませんか。

> 寺尾氏は本の著者でしょう。そしてその後に福田氏らの
> グループに加入し、短期間で「投機師」と言われて福田氏ら
> と反目分裂してゆくそうです。その後の寺尾氏の消息は
> よくわかりません。日本労働党にでも行ったのでしょうか。
>

寺尾氏は1921年生れ、79歳になっているはずです。労働党に行くという
ような人だとは思いません。図書検索をすると、1992年くらいまで、著書があり
ます。吉田松陰とか、安藤昌益とか、日本の思想家に関する著書を出しています。
思想家で、文筆家といった人なのでしょうか。

「投機分子」とは、いやな言い方だと思います。


> |京都のグループとはなんだか分かりませんが、
>
> 猛獣文士さんの引いてこられた引用の中に、寺尾氏が曰く
> 「自分は京都から見ていたがそれでもわかる」というような
> 記述がありました。

ちがいます。寺尾氏が「京都中国史研究グループ」の文章を引用して、遠くから見ていても、
分かる人には分かるんだねと言っているのです。ホームページが読みにくくて、すいません。
直しておこう。

> そしてこの同床異夢は数年を待たず空中分解しているんですが。この
> 分裂の過程は宮崎世民氏の「回想録」

この本はもう入手困難でしょう。

> こちらでわかったのは、講話の掲載された『教育革命』という本の名前、
> その本がでた奥付が1967年8月11日だということです。そちらではこの本
> は手がかりがありませんか。日中愛好協会(正統)にも、こういう理論的
> な原典はなさそうです。
>

「教育革命」というのは、1966年5月7日に毛沢東が

  学生も同様で、学業を主体とするとともに、あわせて別のものを学ぶ、つまり、
  教養を身につけるだけでなく、工業を学び、農業を学び、軍事も学ばなければなら
  ない。また、ブルジョア階級に対する批判もおこなわなければならない。修業
  年限を短縮しなければならず、教育の革命をおこなわなければならない。ブル
  ジョア知識人がわれわれの学校を支配するような現象を、これ以上つづけさせて
  はならない。

という指示を行なったのをうけて、中国の学校制度の改革(改悪かもしれない)を
行なったことを指すようです。たとえば、勉強する時間と、労働する時間を混ぜた
カリキュラムにする。

考え様によれば、ベトナム戦争に備えた一種の国家的臨戦体制が、文化大革命であったと
もいえます。日本の研究者でも、このような見方をする人は多いようです。

> あと、日中友好協会の元々の50年の結成を呼びかける文を見つけて、思い
> ついた事なんですが67年2月25日ぐらいに日中友好協会が大会をして、路
> 線を決議しているはずです。

これは、善隣学生会館事件の数日前の大会ですね。

[75] Re^4: どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/08(Sun) 17:51
|松本善明さんは、善隣学生会館の事件が「急迫不正」の正当防衛の
|事例であったと3月7日付け赤旗で述べています。(真実をつくり
|かえることはできない)

まず、急迫不正であったことだけはたしかです。夜中も対置して
扉を鐘つきの丸太のようなものでゴンゴン壊して突破しようと
してみなはれ。「殺される」と思うのは理の当然です。もしも
警戒したかったら、3階の階段で見張りしていたらよろしい。
部屋の事務員が部屋に居るのを脅迫するのは急迫不正の典型でしょう。
それはそうと、寮生らは扉が鐘つき棒で突破できたら、中の
人間をどうしようという意図があったんでしょうね。話しあい
がしたいから扉を壊してでも押し入るというような流儀はあまり
日本にはそれまでなかったものですから。

それから負傷した3人の日本人の寮生側加勢は紛れもなく盲従の
日本人でしょう。8人のうち3人というのは少なくありません。
そして、たまたま8人のうち3人だったのか、正しい人数比を
表現しているのかよくわかりません。百人を越える軍勢が相互
に居たと思います。

|壁新聞を会館の中に張るということは、日本の法律で特に犯罪に
|なることではありません。
|会館を管理する理事会との関係で、了承が得られれば、問題は
|ないことです。
|たとえば、外の電柱にステッカーを貼ったりすれば、一応取り
|締まりの対象になるでしょうが。

同居するビル内の別の部屋の者に対してそしたら中国では
過去も、そして現在でも壁新聞で好きな事を貼りだしても
いいのでしょうか。そして貼りだした事を理由に寮生らを
攻撃したとか正当化しているのではありません。普通はし
ないであろうそういう行為に自ら寮生らは「正義」の実現
だと酔っていったのではないか、それが緊張感を醸成して
いったにちがいないと申しているわけです。

|> 今ボールは猛獣文士さんに渡りました。「真の日中友好運動とは」
|> という検証はご自分ですべきです。世の中には掲げた目標が良く
|> てもそれを実行してない所も沢山あります。理想と現実の差も
|> あるでしょう。それらを含めて自分で検証されればいいと。特に
|> 例の(正統)のHPにあった50年の結成を呼びかける文に照らして
|> 何が変質したのか、何が保持されているのか、何を今後(国交正常
|> 化などは課題としては達成されましたね)追求すべきか。そうした
|> 土台としてきっと50年のあの文は今も重みを持つ事でしょう。
|>
|[社]日中友好協会編「日中友好運動五十年」東方書店(2000年6月)
|には、そのような事情の正統本部系の組織の末裔としての考え方が載って
|いますね。1967年当時の説明は、大阪の人さんには、気に入らないでしょ
|うが。これをホームページに追加するものか、考えています。

うーむ。猛獣文士さん。とぼけておいでになるのか。
それとも当方をおちょくって時間をかせいで、ご自分が
最初にいわれた「彼らの言う真の日中友好運動とは
どのようなものか」という問いを、ご自分から言われた
ものを何が何だかわからないように紛れさそうというのか。
あなたが「知りたい」という疑問を提出されたのでした。
また「ジェノサイトの思想」ではなかろうというご判断の
ようですが、それでも「反中国」な態度ではないかという
疑いを今も持っているようなので、そこで提案したのです。
【ご自分で、検証のために(正統)側じゃない側の日中友好協会の
事務所に自ら出向いて、話をし、そこの本も買い求め、時間に
折り合いがつけばきりえか何かの講座にでもでて継続的に人と
接して、それが反中国かどうかを調べるべきだ】と。

それとも何ですか。67年以来、あなたは友好協会の方々に迷惑を
かける実行行為に加担しておられて、言わば「面がわれて」いて
行けば警察にでも通報されるぐらいの「ふだつき」の暴力漢だった
ということでしょうか。話しあいをするような状況でなかったのは
当時としては仕方がないでしょうが、その際でも自らが暴力行為を
はたらいたのだとしたら、何をかいわんやです。もしもそうなら
先に前非を悔いて、ちゃんと謝ってからでないと顔を出すことは
できないでしょうね。

それと、元(正統)[社]日中友好協会のどのような資料がでて
来てもそれはご勝手に。ただそれが50年の宣言の路線から
どのように継承しているのか、逸脱変質しているのか、という
面から、あなたはあなたでリアルに見る必要があります。

|ところで、正統本部(最近では正統をとって単に日中友好協会と自称
|していますが)のホームページの URL を教えてくれませんか。

あれ?猛獣文士さんのHPのリンクから行ったはずでしたが?
違ったかな? ヤフーやライコスからでも行けたはずだが。
それから日中友好協会の(正統)のつかない方もやっとこ最近
HPを立ち上げたようです。

|「投機分子」とは、いやな言い方だと思います。

宮森氏が本に引用していますが、元ねたは、(左派)のどこか
の文書がオリジナルであり、当方や宮森氏の言ではありません。
本当に「投機師」だった寺尾氏なのか、「投機師」などと
いやな言い方を(虚偽であるのに)投げつけた口ぎたない
攻撃する(左派)であったか、どちらかですね。
いずれにせよ寺尾氏も一時はその(左派)に居たのだし
(左派)は寮生と共にオールスターで友好協会に襲いかかった
のでした。

|「教育革命」というのは、1966年5月7日に毛沢東が
|  学生も同様で、学業を主体とするとともに、あわせて別のものを学ぶ、
|  つまり、教養を身につけるだけでなく、工業を学び、農業を学び、軍事
|  も学ばなければならない。また、ブルジョア階級に対する批判もおこな
|  わなければならない。修業年限を短縮しなければならず、教育の革命を
|  おこなわなければならない。ブルジョア知識人がわれわれの学校を支配
|  するような現象を、これ以上つづけさせてはならない。
|という指示を行なったのをうけて、中国の学校制度の改革(改悪かもしれな
|い)を行なったことを指すようです。たとえば、勉強する時間と、労働する
|時間を混ぜたカリキュラムにする。
|考え様によれば、ベトナム戦争に備えた一種の国家的臨戦体制が、文化大革
|命であったともいえます。日本の研究者でも、このような見方をする人は多
|いようです。

うー。このあたりは当方は詳しくありません。ただその趣旨の本で
あるのに、例の「4つの敵」という発言が、どこかに「講話」として
唐突にでてくるのではないでしょうか?そして本として上梓された
のはなぜか翌67年の夏の事だったそうです。不思議ですね。やはり
既にあった「4つの敵」という規定、それに基づいた日本共産党へ
の攻撃を党の路線の中では隠密にするという戦法をとり、大衆団体
や交流のあらゆる機会を通じて、いわば「大衆的に日本共産党が
日中交流を妨げていると言われている」とする既成事実を作り上げ
る事を目的として作戦を実行したのではないかな。共産党の内部に
反党の分派を作った事がばれるのが嫌だったとか。

|これは、善隣学生会館事件の数日前の大会ですね。

そうです。友好協会側は、大会の後始末で忙しい時期を狙って
攻撃してきたと述べています。
(正統)側のもあわせてお願いします。

[78] Re^5: どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/09(Mon) 12:28
> まず、急迫不正であったことだけはたしかです。夜中も対置して
> 扉を鐘つきの丸太のようなものでゴンゴン壊して突破しようと
> してみなはれ。

この丸太でゴンゴンやったというのは、何日のことでしょうか。

> 部屋の事務員が部屋に居るのを脅迫するのは急迫不正の典型でしょう。
> それはそうと、寮生らは扉が鐘つき棒で突破できたら、中の
> 人間をどうしようという意図があったんでしょうね。話しあい
> がしたいから扉を壊してでも押し入るというような流儀はあまり
> 日本にはそれまでなかったものですから。

ちゃんと証明してから、非難するべきだ。

>
> それから負傷した3人の日本人の寮生側加勢は紛れもなく盲従の
> 日本人でしょう。8人のうち3人というのは少なくありません。
> そして、たまたま8人のうち3人だったのか、正しい人数比を
> 表現しているのかよくわかりません。百人を越える軍勢が相互
> に居たと思います。
>

寮生は約30名です。計算を間違っていませんか。

> |壁新聞を会館の中に張るということは、日本の法律で特に犯罪に
> |なることではありません。
> |会館を管理する理事会との関係で、了承が得られれば、問題は
> |ないことです。
> |たとえば、外の電柱にステッカーを貼ったりすれば、一応取り
> |締まりの対象になるでしょうが。
>
> 同居するビル内の別の部屋の者に対してそしたら中国では
> 過去も、そして現在でも壁新聞で好きな事を貼りだしても
> いいのでしょうか。そして貼りだした事を理由に寮生らを
> 攻撃したとか正当化しているのではありません。普通はし
> ないであろうそういう行為に自ら寮生らは「正義」の実現
> だと酔っていったのではないか、それが緊張感を醸成して
> いったにちがいないと申しているわけです。
>

法律上の違法行為かどうかという話と思ったので、上記の書き込みをしたのですが、
道義上の話なのですか?

>
> うーむ。猛獣文士さん。とぼけておいでになるのか。
> それとも当方をおちょくって時間をかせいで、ご自分が

まだ、注文した日本共産党系の書籍が届かないので、時間は稼ぎたいですね。
重要論文集は10月12日、橋爪氏の本は10月18日に入荷予定だそうです。特に、
橋爪氏の本には興味がありますが。

私には、元からの事実認識があり、それをもとにして理解している基盤があります。
しかし、なるべく一方的にならず、憶測でものを言いたくないから、資料を収集して
いるのです。

> また「ジェノサイトの思想」ではなかろうというご判断の
> ようですが、それでも「反中国」な態度ではないかという
> 疑いを今も持っているようなので、そこで提案したのです。
> 【ご自分で、検証のために(正統)側じゃない側の日中友好協会の
> 事務所に自ら出向いて、話をし、そこの本も買い求め、時間に
> 折り合いがつけばきりえか何かの講座にでもでて継続的に人と
> 接して、それが反中国かどうかを調べるべきだ】と。
>

インタビューしたい人は沢山います。もちろん、日共側の日中友好協会の関係者も、その対象です。
しかし、インタビューは、資料収集よりも時間と労力のかかることです。あせって何もかもやろうと
しても、うまくいかないと思います。

> それとも何ですか。67年以来、あなたは友好協会の方々に迷惑を
> かける実行行為に加担しておられて、言わば「面がわれて」いて
> 行けば警察にでも通報されるぐらいの「ふだつき」の暴力漢だった
> ということでしょうか。話しあいをするような状況でなかったのは
> 当時としては仕方がないでしょうが、その際でも自らが暴力行為を
> はたらいたのだとしたら、何をかいわんやです。もしもそうなら
> 先に前非を悔いて、ちゃんと謝ってからでないと顔を出すことは
> できないでしょうね。
>

善悪について最初から先入観をもった議論には、お付き合いできません。

> それと、元(正統)[社]日中友好協会のどのような資料がでて
> 来てもそれはご勝手に。ただそれが50年の宣言の路線から
> どのように継承しているのか、逸脱変質しているのか、という
> 面から、あなたはあなたでリアルに見る必要があります。
>

本日、アップしました。私は、妥当な評価だと思いますが、立場の違う「大阪のひと」さんは
異なる感想を持つと思います。

> うー。このあたりは当方は詳しくありません。ただその趣旨の本で
> あるのに、例の「4つの敵」という発言が、どこかに「講話」として
> 唐突にでてくるのではないでしょうか?そして本として上梓された
> のはなぜか翌67年の夏の事だったそうです。不思議ですね。やはり
> 既にあった「4つの敵」という規定、それに基づいた日本共産党へ
> の攻撃を党の路線の中では隠密にするという戦法をとり、大衆団体
> や交流のあらゆる機会を通じて、いわば「大衆的に日本共産党が
> 日中交流を妨げていると言われている」とする既成事実を作り上げ
> る事を目的として作戦を実行したのではないかな。共産党の内部に
> 反党の分派を作った事がばれるのが嫌だったとか。
>

やはり、一国の主席の講話を引用するのならば、その出典を明らかにしておくのが、著者のマナーだと
思うのですが。これは、不破哲三氏や佐々木陸海氏へのアテツケととっていただいて結構です。

[80] Re^6: どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/10(Tue) 12:01
> > 部屋の事務員が部屋に居るのを脅迫するのは急迫不正の典型でしょう。
> > それはそうと、寮生らは扉が鐘つき棒で突破できたら、中の
> > 人間をどうしようという意図があったんでしょうね。話しあい
> > がしたいから扉を壊してでも押し入るというような流儀はあまり
> > 日本にはそれまでなかったものですから。
>
> ちゃんと証明してから、非難するべきだ。
>
ここは非難じゃありませんよ。どうするつもりだったか聞いているのです。
それから、なんでも一行でレスするのはいかがなものか。
ご自分の書くものより多い引用は冗長で迷惑です。

[79] Re^6: どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/10(Tue) 11:57
|やはり、一国の主席の講話を引用するのならば、その出典を明らか
|にしておくのが、著者のマナーだと思うのですが。

あまり事情は詳しくないのですが、たしか毛沢東氏は文革発動当時は党
首席ではありましたが、「国家主席」は打倒されてしまった「人民の敵」
劉少奇氏だったのではありませんか。そして虚偽のレッテルで「敵」と
され、ひどい暴行もうけ、党籍や政府の地位を剥奪され、いわば簒奪者
に迫害されて彼は死去しました。悲惨というほかありません(;_;)。後
になって、彼は「敵」ではなかったと公式に中国党内で名誉回復され、
政府もおそらくそれを承認したはずです。簒奪者に地位を不当に追われ
たということに関しては猛獣文士さんも異論はありますまい。

それから、「講話」というのはいつから公文書になったのでしょうか。
元から陰謀として計られたものですから、発言より先に干渉の攻撃は
日本共産党内にしかけられていましたし、5月の発言を日本共産党の
国際問題の専門チームでさえそれを知ったのは遥に後の事だったようで
す。言わば真珠湾攻撃以上のだまし討ちですね。また「講話」がそんな
に大事な公式発言だったら、もっと速く猛獣文士さんご自身が検索でき
てさっさと掲載できたはずでありまして、あなた自身がそれのでどころ
をご存じないということは、中国公民にさえ秘した陰謀文書、トップ
シークレットであった時期もあるいわく付きの発言と呼ぶことも可能で
はないかと当方思う次第です。それとも中国ではこのような発表の仕方
はごく普通なんでしょうか。後からおずおず出してきた「講話」なるも
のを「一国の首席」の発言だから特定できないのはマナーに反する、国
際的な儀礼に反すると決めつけ、非難の理由になさるのでしょうか。

|これは、不破哲三氏や佐々木陸海氏へのアテツケととっていただいて結構です。

当方が思うに、中国党自身がもっと両党会談の顛末を何かの機会に
公表すべきだったんじゃないかということ。とにかく意見の相違が
あったのは日本共産党側の資料でもはっきりわかりますが、それを
理由に関係断絶などとはどこにもでてきません。劉少奇や周恩来と
共同で作成したコミュニケを、それこそ乾杯して完成を祝った文書
を毛沢東が破棄し、流れたというだけのものです。その後毛沢東の
指示のもとに友好ムードは冷えていったらしいのですが、それでも
67年8月北京空港事件のようなこともなく、陶鋳氏らは毛沢東の指示
した日本共産党代表団への冷遇も拒否してきちんと国際儀礼、いや
当時の用語で言えば「プロレタリア国際主義」を立派に果たして厚遇
して暮れたとあります。この陶鋳氏も「敵」として中国党を追われ
不遇に死去しまして、死後に復権を果たしました。あなたは日本に
育成された日本人の日本共産党を脱走した反共分子から一方的に吹
きこまれたお話を議論の土台にされているということです。やはり
毛沢東氏が今の世に蘇ってきて、あなたに「あれは我々の作戦だった
んだよ」と説明しないと猛獣文士さんには理解されないのか。

|善悪について最初から先入観をもった議論には、お付き合いできません。

一行で返すのも結構ですが、鐘つき棒のような丸太の件はそちらでも
お調べ下さい。あったかなかったかです。「全くなかった、捏造」と
しか(正統)側文書にでてなくて、事実それがあるとすれば、またそ
の棒で突かれた結果として扉がへしゃげた実物があれば、あなたは
それを何と説明しますか。それから友好協会の当時の事務所へと通じ
る道を寮生らは自存自衛の生命線であり、絶対ひかないと事務所前で
頑張っていたらしいのですが、その割にそこの通路を当時の流儀で
北京のワンフーチンを呼び変えたのに習い「反修路」と呼んでいたと
いう話も本当かどうか調べて下さい。反修路だとするのは紅衛兵の
まね事なのは明白ですね。修正主義に反対する道だという意味かと
思いますが、実態としてはその道ぞいで骨董品店とかが焼き打ちに
あい、仏像が焼かれたり中国4千年の貴重な文化が無残に壊され、リ
ンチで無辜の中国人が紅衛兵に襲われて負傷したり生命を落とした
事件を想起させる名であります。

|本日、アップしました。私は、妥当な評価だと思いますが、立場の
|違う「大阪のひと」さんは異なる感想を持つと思います。

日本でお生まれになった在来の華僑である猛獣文士さんがこのように
一方の日中友好協会に深く関与されていた、という事実は当方にとり
一つの発見であり、ものごとを発見する喜びとしてそれを受け取る事
はできます。あなたの30年来の過ぎ来し方自体が中国党の干渉路線
のまさしく結果でありまして感慨もひとしおです。ただ猛獣文士さん
の両者を結論を急がずに事実をありのままに見るというこのホームペー
ジの主旨からすれば、あなたの取材に関しては未だ公平さという点で
当方に注文があります。たとえば、「友好協会の50年史」はもう一冊
あってもおかしくないでしょう。そうした文書を調べる労も公平にと
ってはじめて公平ですね。猛獣文士さんは以下のやりとりのように

|> 【ご自分で、検証のために(正統)側じゃない側の日中友好協会の
|> 事務所に自ら出向いて、話をし、そこの本も買い求め、時間に
|> 折り合いがつけばきりえか何かの講座にでもでて継続的に人と
|> 接して、それが反中国かどうかを調べるべきだ】と。
|>
|インタビューしたい人は沢山います。もちろん、日共側の日中友好協
|会の関係者も、その対象です。しかし、インタビューは、資料収集よ
|りも時間と労力のかかることです。あせって何もかもやろうとしても、
|うまくいかないと思います。

ほとんど当方の「ご自分の足で友好協会を訪問し、それが『反中国』
なのかどうかをご自分の眼で検証し、理想と現実、主張と実際の活動
を調べ、人には添うてみる必要がある」という提案に何のまともなご
返事もいただけない。当方の指摘する「ジャングルの中の一人で戦争
する日本兵同然だ」というのはあてつけというよりも正確な描写で
ありまして、敵意よりもむしろ憐愍からそれは発しています。あなた
が「真の日中友好運動とは何をいわんとしたのか」と問われた。その
回答がそこにあるというのに。

|まだ、注文した日本共産党系の書籍が届かないので、時間は稼ぎたい
|ですね。重要論文集は10月12日、橋爪氏の本は10月18日に入荷予定だ
|そうです。特に、橋爪氏の本には興味がありますが。
|私には、元からの事実認識があり、それをもとにして理解している基
|盤があります。しかし、なるべく一方的にならず、憶測でものを言い
|たくないから、資料を収集しているのです。

そうですか。そこへ行けば「反中国」な友好協会に暴行されると未だに
警戒されていると。でもこのご発言は注目しております。それ
から、東京の地理には当方あかるくないのですが、渋谷近辺に代々木
という場所があり、日本共産党本部の事務所が今は工事中ですが建って
いて、その向かいに地味な書店があると思います。ここなら結構揃うは
ずだと思います。

[84] Re^7: どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/11(Wed) 15:36
> あまり事情は詳しくないのですが、たしか毛沢東氏は文革発動当時は党
> 首席ではありましたが、「国家主席」は打倒されてしまった「人民の敵」
> 劉少奇氏だったのではありませんか。そして虚偽のレッテルで「敵」と
> され、ひどい暴行もうけ、党籍や政府の地位を剥奪され、いわば簒奪者
> に迫害されて彼は死去しました。

確かに、

1.毛沢東は、大躍進政策の失敗の責任をとり、国家主席を退き、劉少奇がその後任となった。
2.文化大革命で、劉少奇が「資本主義の道を歩む実権派」として失脚し、国家主席の地位も追われた。
3.劉少奇は、迫害のなかで悲惨に命を奪われ、そのなきがらの取扱も冷酷なものであった。
4.劉少奇の後、国家主席の地位は空席となった。
5.後に劉少奇は名誉回復された。

というような経過があると思います。一国の主席という言い方が、この歴史に反するものと取られる
可能性があるあいまいな言い方であるとすれば、訂正します。党の主席です。

> それから、「講話」というのはいつから公文書になったのでしょうか。
> 元から陰謀として計られたものですから、発言より先に干渉の攻撃は
> 日本共産党内にしかけられていましたし、5月の発言を日本共産党の
> 国際問題の専門チームでさえそれを知ったのは遥に後の事だったようで
> す。言わば真珠湾攻撃以上のだまし討ちですね。

私が見た少数の資料の範囲では、66年5月の教育革命の指示に関する文献で、日本共産党を4つの敵の一つとする
ような部分は、見つかっていません。7月21日の講話というのが、この5月の教育革命の支持と関係があるのか
どうかは不明です。

1966年の7月21日という早い時期に、毛沢東が日本共産党(宮本派?)を敵とと規定して、その攻撃計画を
練り始めていたというのが本当であったら、私の認識を大きく変更することになるので、その確証を見たい
と思っています。その参照方法を、はっきりさせないままに、毛沢東の講話を引用しているので、マナー違反
と述べたのですが、非難したわけではありません。今後、どこからか、資料を提示してくれる可能性も否定
していません。私は、それを望んでいます。

> また「講話」がそんな
> に大事な公式発言だったら、もっと速く猛獣文士さんご自身が検索でき
> てさっさと掲載できたはずでありまして、あなた自身がそれのでどころ
> をご存じないということは、中国公民にさえ秘した陰謀文書、トップ
> シークレットであった時期もあるいわく付きの発言と呼ぶことも可能で
> はないかと当方思う次第です。

このようなことは言いたくないのですが、日本共産党の研究者の思い違いという可能性も考えられます。
たとえば、このようなことではないかという推測と、事実認識が混乱したとか、そのような先入観を持って
資料を検索して、なにかの資料を読み違えたとか。

私には、真相はわかりません。はっきりするまでは、その件について明確な判断をすることはできません。

> やはり
> 毛沢東氏が今の世に蘇ってきて、あなたに「あれは我々の作戦だった
> んだよ」と説明しないと猛獣文士さんには理解されないのか。
>

信頼できる文献や、関係者の証言で、その時期に毛沢東がそのような発言を行ったことが確認されれば、
かなり納得できます。

> 一行で返すのも結構ですが、鐘つき棒のような丸太の件はそちらでも
> お調べ下さい。あったかなかったかです。「全くなかった、捏造」と
> しか(正統)側文書にでてなくて、事実それがあるとすれば、またそ
> の棒で突かれた結果として扉がへしゃげた実物があれば、あなたは
> それを何と説明しますか。

1967年当時に戻るタイムマシンがない以上、現在、利用できる文献、関係者の証言などを積み重ね、
合理的な推論を行って、事実に近いものを選別するしか方法はないと思います。時間がかかる作業です。

[82] Re^7: どこのツリーか忘れたんで新規3 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/10(Tue) 16:22
> 渋谷近辺に代々木
> という場所があり、日本共産党本部の事務所が今は工事中ですが建って
> いて、その向かいに地味な書店があると思います。ここなら結構揃うは
> ずだと思います。

代々木の日本共産党本部の向かいの地味な書店ですね。一度見に行ってみよう。
ひょっとすると、宮森繁著「文革礼賛者の節操」もあるかもしれませんね。

[38] 「朝日」みつけました 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/25(Mon) 20:59
|【・張香山のインタビュー】(朝日新聞)
|『日本共産党と中国共産党の新しい関係』にある1998年7月29日
|不破 記念講演「日中両党関係正常化と首脳会談について」の
|中で述べられている、朝日新聞が1997年8月頃おこなったという
|中国の党の60年代の中連部関係者張香山のインタビュー記事
|(不破が「あのときの<断絶の主な責任は中国側にある>という
|ことを<朝日>の記者に公然と語ったという話でした」と解説し
|「これは、中国側のその種の発言としては最初のものでした」と
|強調しているものです)。この張香山の朝日の記事が見たいです。

特定できました\(^◇^)/。
朝日新聞には、記事のデータベースのCDROMがあるらしく
その見出し検索で「張香山」とし、期間を95年から99年と
したところ、2件でてきました。97年9月25日とあります。
(あれ? 8月だったような・・8月に収録して9月にか)

朝日新聞の縮刷版の915号(1997年9月号)
P1214 12版 P18~19 「日中新交流への道」という記事で
司会の小島朋之という人と、3人のパネラ、くだんの張香山氏
の他に、肖向前氏、趙階*氏の3氏が発言して、6人の識者が
小さいコラムのような形で評していて、その他「質疑応答」
というところがあって、この「質疑応答」の箇所で、その発言
はされたようです。「質疑応答」の項の表題は、これは朝日が
つけているわけですが、パネラの答えの中から「日共との関係
我に誤り」「違い恐れず若者は議論を」「外国軍駐留いいと
思わぬ」という表題になっています。

ちなみに、この記事は特集でして、最近良くある見開きページ
で下に広告がありました。片方は出版社の「中国を知り、中国
と親しむ」という表題で10社が出稿しています。もう片側は
なぜか記事と関係なさげなノンバンクJACCSカードのもの
でした。

中身は、題の通りで、簡単に「日共との関係では我われの側に非」
という事をさらっと発言しているだけでした。
どうやら、猛獣文士さんは、この中国共産党の意図とか、党と
政府がこぞってしかけた干渉の工作であったというマクロな図
があまりご認識がないようで、どう理解したらいいか、おそらく
この文だけを読んでも、問題点が何かご理解頂けないのかな?
とも思うのですが、「毛沢東主席と宮本氏らがケンカ」という
ご認識はお持ちのようです。その「ケンカ」の主な原因が張香
山氏が述べているように「我々の側」という、そこだけの指摘
です。しかし当時の中国共産党の中連部の関係者の発言である、
という事では、これは重要な指摘です。

あとは、当時の中国共産党の指導ルートと寮生や、いち早く
その支援に加勢していた「社会主義学生同盟マルクスレーニン
主義派」ら、またその前年に先行して分裂脱走した日本共産党
(左派)とか日中友好協会(正統)本部とかが、どうここと
関連しているか、そのつながりが一切ないか。理論的にも資金
的にも関連があるか、ないか。「ケンカ」だとしたら、もち論
まさかというような仕掛けもあるでしょうが。

[40] Re: 「朝日」みつけました 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/26(Tue) 14:11
> 朝日新聞の縮刷版の915号(1997年9月号)
> P1214 12版 P18~19 「日中新交流への道」という記事で
> 司会の小島朋之という人と、3人のパネラ、くだんの張香山氏
> の他に、肖向前氏、趙階*氏の3氏が発言して、6人の識者が
> 小さいコラムのような形で評していて、その他「質疑応答」
> というところがあって、この「質疑応答」の箇所で、その発言
> はされたようです。「質疑応答」の項の表題は、これは朝日が
> つけているわけですが、パネラの答えの中から「日共との関係
> 我に誤り」「違い恐れず若者は議論を」「外国軍駐留いいと
> 思わぬ」という表題になっています。

大変,貴重な資料だと思います。コレクター的な興味から、
何とか入手したいと思います。

> 中身は、題の通りで、簡単に「日共との関係では我われの側に非」
> という事をさらっと発言しているだけでした。
> どうやら、猛獣文士さんは、この中国共産党の意図とか、党と
> 政府がこぞってしかけた干渉の工作であったというマクロな図
> があまりご認識がないようで、どう理解したらいいか、おそらく
> この文だけを読んでも、問題点が何かご理解頂けないのかな?
> とも思うのですが、「毛沢東主席と宮本氏らがケンカ」という
> ご認識はお持ちのようです。その「ケンカ」の主な原因が張香
> 山氏が述べているように「我々の側」という、そこだけの指摘
> です。しかし当時の中国共産党の中連部の関係者の発言である、
> という事では、これは重要な指摘です。
>

「けんか」というのは、比喩的な表現です。あれは、何だったのでしょう。
それが、テーマの大きな部分です。

>
> あとは、当時の中国共産党の指導ルートと寮生や、いち早く
> その支援に加勢していた「社会主義学生同盟マルクスレーニン
> 主義派」ら、またその前年に先行して分裂脱走した日本共産党
> (左派)とか日中友好協会(正統)本部とかが、どうここと
> 関連しているか、そのつながりが一切ないか。理論的にも資金
> 的にも関連があるか、ないか。「ケンカ」だとしたら、もち論
> まさかというような仕掛けもあるでしょうが。

中国(共産党)の工作員のような人はいたのではないでしょうか。日本は、
スパイ天国らしいです。アメリカのスパイだっているでしょう。詳細は
分かりません。

[72] Re^2: 「朝日」みつけました 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/07(Sat) 21:54
>
> 大変,貴重な資料だと思います。コレクター的な興味から、
> 何とか入手したいと思います。
>
> > 中身は、題の通りで、簡単に「日共との関係では我われの側に非」
> > という事をさらっと発言しているだけでした。
> > どうやら、猛獣文士さんは、この中国共産党の意図とか、党と
> > 政府がこぞってしかけた干渉の工作であったというマクロな図
> > があまりご認識がないようで、どう理解したらいいか、おそらく
> > この文だけを読んでも、問題点が何かご理解頂けないのかな?
> > とも思うのですが、「毛沢東主席と宮本氏らがケンカ」という
> > ご認識はお持ちのようです。その「ケンカ」の主な原因が張香
> > 山氏が述べているように「我々の側」という、そこだけの指摘
> > です。しかし当時の中国共産党の中連部の関係者の発言である、
> > という事では、これは重要な指摘です。
> >

朝日新聞も入手しました。ご協力有難う御座います。

内容は、本当にさらりと、張香山さんは「あの頃はわれわれは誤りが多かった」
といっています。解釈の幅は狭くないですね。

どの部分をホームページに使用できるか、やはり、質疑応答部分だけでしょうか。

[77] Re^3: 「朝日」みつけました 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/08(Sun) 19:49
|解釈の幅は狭くないですね。
|どの部分をホームページに使用できるか、
|やはり、質疑応答部分だけでしょうか。

これは、質疑応答の箇所だけで十分でしょう。紙面の
全体は一つの注目すべき論調があります。それはその頃の
日米防衛協力の指針(新ガイドライン)の適用範囲の問題で
ホットな時期でした。張香山氏らはこのガイドラインが
台湾に及ぶのは許せぬという事、また最近の事態として
軍拡に反対する野党勢力が少なくなってきた事を心配する
論調が読み取れました。彼らはそれこそ文革時に日本共産党
とたもとをわかっても、日本社会党や公明党が中国の政策に
一定理解を示し、自民党も一定の話相手になると考えて
いたようです。またト小平氏の有名な「ビンのふた論」で
日本軍国主義を封じ込めるのに日米安保条約や役にたつとか
ソ連を封じ込めるのには安保条約も意味があるとかいう妄言を
(日本人の基地被害や独立が損なわれている事態をよそに)
ふいていたのですが、そんな悠長な事を言っておれない
大変な事態だと気づき始めたのだと思います。そういった
ニュアンスが、特にこの日の朝日は全体から他のページの
記事も含めて読みようによってはリアリティがあるのですが、
いちいちそんな事を背景から描いても仕方ないですしね。

「新しい関係」の本にこの97年8月の張香山氏の発言に言及して
いる不破氏の発言があると思います。キャプションとしては
「この発言を不破氏が知り、急速に関係改善の方向に進んだ
らしい」というような事があれば読者に対して親切なんじゃ
ないでしょうかね。とにかく両党合意の核心部分、そして
党間関係の断絶の根本原因がこの「中国党の側の党間関係の
原則にあいいれないやり方」であったということです。

それと「両党合意」や張香山氏の発言は「その他」じゃない
でしょうね(^_^)。当方が見るには中国党の、つまり寮生の背後
に居た者の告白であると。この事件の真相を見るのに、やはり
「中国人留学生側 VS 日本共産党」 という図式がますます
崩れていく事でしょう。

[76] 結成主旨のページはここ 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/08(Sun) 18:40
|ところで、正統本部(最近では正統をとって単に日中友好協会と
|自称していますが)のホームページの URL を教えてくれませんか。

あらためて見ましたが、全国本部のHPはありませんでした。
そのかわり、といってはなんですが、そちらから2ホップで
リンクしていました。大阪府日中友好協会から「日本と中国」HP
にゆき、そのトップページから以下のURLで50年の「結成主旨」が
みつかりました。

http://webclub.kcom.ne.jp/ma/jcfa-ed/Histry.htm#shushi

[74] 逐条的な解説「32氏声明」 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/08(Sun) 16:49
|内外の危機に際し

この当時(1967年)少なくとも日本においては”危機”は別に
ありはしなかった。つまりおおげさで主観的な危機説。

|再び日中友好の促進を国民に訴える(32氏の声明)

「再び」とあるのは前年にだされた「25氏声明」の踏襲である
とする粉飾の体裁を整えるためでした。

|(一) 日本と中国の友好・交流をすすめ,両国人民の団結を強めることは,
|戦後の日本において,およそ物事をまじめに考え,真に国を愛するすべて
|の人にとって,―日もなおざりにできない重大事である。それはまた,か
|って日本軍国主義が歩んだ侵略から破滅への道を決してくりかえさないと
|心に誓う圧倒的多数の国民の願いを反映したものである。

前段と後段がつながっていません。国交回復と全面講和はたしかに課題
ではありましたが、そういう話ではないのに注目。「友好・交流をすすめ、
両国人民の団結を強める事」はそんなに焦眉の課題ではありません。どち
らかというとコツコツと積み上げる事ではないのか。しかも立場の違いを
乗り越えて一致点で。「およそ物事をまじめに考え」とか「―日もなおざ
り」というのは言い過ぎ。この課題に気がつかなかったり、意義を認め
ない者、何か異論がある者は全て「およそ物事をまじめに考えない者」と
”排除”することを正当化する特異な立場なわけだ。物事をまじめに考え
ない者なら「不まじめな奴」だということになるし、不まじめならば排除
されてもやむないということである。これらの事がこの32氏声明を認め
るかどうかに一身にかかっていると「踏み絵」にするやりかたですな。

|だからこそ,日中友好と国交回復をめざす国民運動は,あらゆる困難と妨
|害をのりこえて,輝かしい発展をとげてきた。一昨年2月には各界を代表
|する有志が「日中国交回復の呼びかけ」を発表し広く国民の支持をうけた。
|いま,この運動は,わが国のすべての民主的,愛国的勢力とその運動にと
|って,かけがえのないとりでとなっている。

前年の「国交回復の25氏声明」は、必要な、時宜を得た当然の声明でし
た。この「32氏」がしきりにこれをカサにきているのは、この32氏声
明の内容の悪さを粉飾する偽装です。あと運動の成果を自ら「輝かしい」
などというのも少しキています。

|解放闘争に勝利した中国人民は,日本軍国主義のおかした犯罪行為にもか
|かわらず,新しい平等互恵の基礎に立つ日中友好・交流と両国人民団結の
|ために,―貫して大きな努力をはらい,圧倒的多数の日本国民の願いにこ
|たえてきた。そして,日中両国人民の友好団結の勢力は,アジアの平和と
|アジアのすべての被圧迫民族の解放のたたかいにとって,きわめて大きな
|役割りを果している。

「日中両国人民の友好団結の勢力は,」「アジアの平和とアジアのすべて
の被圧迫民族の解放のたたかいにとって,きわめて大きな役割りを果して
いる。」これは「友好団結の勢力でない、邪魔をしている勢力」がいると
いう話の前ふりです。それから少し自らをも含む「友好団結の勢力」の力
と役割を過信し過ぎ、絶対化しすぎていないか?普通はもっと奥ゆかしく
それこそ「アジアの平和を希求するすべての諸国人民やアジアの被抑圧人
民の運動の一員、一部」と表現するものだが。

|(一) 今日,アジアの情勢は,きわめて緊迫したものになっている。アメ
|リカ帝国主義は南北べトナム人民の英雄的,献身的なたたかいによって
|日に日に苦しい立場に追いこまれているが,苦しい立場に立てば立つほ
|ど,ひたすら戦争を拡大する道をえらびつづけている。広大な国土と7
|億余の人民をもつ中国は,あくまでべトナム人民の側に立ち,両国人民
|が必要と認める―切の手段をとる用意があるとの態度を明らかにし,ア
|メリカ帝国主義との対決に―歩も退かない決意をみなぎらせている。

これは北爆などを意味するよりも、中国の特殊な世界観である第三次世界
大戦の端緒であるとする見方の反映です。事実は日本共産党が指摘した
ような「各個撃破政策」により、ベトナムなど弱い輪にむけた攻撃と
ソ連や中国への融和的な政策の使い分けによる分断政策が進んでいました。
従って「アジアの情勢は」とひとくくりにいうべきではありませんでした。
中国はベトナムの次には中国に攻め込まれる、その際ソ連も攻めてくる、
そのとき米ソで中国を南北に分断するだのという異様な危機感と誤った
世界観に凝り固まっていたので、それに無原則に追従した表現です。それ
と主語が「アジアの情勢」と「中国」で主題のはずのベトナム人民が主語
でないのはいかがなものか。また韓国朝鮮にだってフィリピン・タイにだ
ってベトナム人民に連帯した人民の草の根のたたかい、自主的民主的な
運動があったはず。そういう主人公たるベトナムや、それに連帯するアジア
各国の自主的運動全体の輪の中での日本の運動という観点の欠如、単に
最大貢献しているのが中国という中国への美化、賛美の表現に他なりません。

| このような情勢の発展によって,われわれの日中友好,交流,両国人
|民団結の運動は,これまでにもまして緊急で重要なときを迎えている。
|広範な日本国民が,日中友好のとりでを守りひろげていくならは,それ
|は,両国人民の利益にとどまらず,ぺトナム人民にたいする大きな支援
|となり,アジアの平和と解放にとっての重要な貢献となるにちがいない。

ベトナムと連帯しよう、という呼びかけにも読めますが、竜頭蛇尾。むし
ろ先の段の続きとしては「緊迫したもの」であるアジアの情勢の中で、中
国を助けて共に武力闘争に立ち上がれという呼びかけです。

|(一) 日中友好運動をとりまく環境は,こんご、これまで以上に厳しいもの
|となるてあろう。もっぱらアメリカ政府への追従をこととする勢力が,友好,
|交流にたいする妨害,圧迫をつよめてくることは疑いない。また,多種多
|様に装いをこらした「2つの中国」の陰謀も,いっそう活発になるであろう。

しかし内乱の教唆をナマで書くわけにいかないので、このような記述をして
いると言えます。「こんご、これまで以上に厳しい」かったのか? 実際は
この5年後にはピンポン外交の末米中国交正常化、その後の日中国交正常化
にもいきつきました。ただ「もっぱらアメリカ政府への追従をこととする勢
力が,友好,交流にたいする妨害,圧迫をつよめてくることは疑いない。」
と相手を特定してないが、あてこすりを始めている。実はこれこそ「ソ修と
米帝の手先、下僕」とする日本共産党への攻撃の表現でありました。また攻
撃されているとして(攻撃などしていないが)、無制限かつ手段を選ばない
「反撃」攻撃を正当化する宣言でもあります。

| それと同時に,いま日中友好・交流の運動をさらに前進させるためには,
|日本の運動の内部に生れている障害をのりこえなければならない。われわ
|れの運動の内部には,最近,さまざまな口実を設け、友好・交流の発展を
|極カ妨げようとする傾向が生れている。このような傾向は,米日反動勢力
|を喜ばせ,かれらの反中国政策に手をかすものにほかならない。

内部に「敵」がいると。米日反動を喜ばせる「敵」だと、「反中国に手を
かす」と。それがどのようにな根拠があるかを示すことさえなく、一方的
に「敵」だと。これが文革流の最たるものです。

| 日中友好運動はは,すでに,どのような圧力にも打ちかつだけのカ量を
|そなえており,どのような策謀にも欺かれないだけの経験をたくわえてい
|る。この国展運動は,それをさえぎるものがだれであろうとも,ますます
|ひろがり,深まり,発展していくだろう。これは何びともおしとどめるこ
|とのできない巨大な歴史の流れである。私たち,この声明に参加した者は,
|中国の第17回国慶節をまえにして,もっとも広範な国民のみなさん,各界
|各層の国を愛するすべての人に,確信をもって日中友好の大業をさらに前
|進させるよう訴えるものである。

「日中友好運動はは,すでに,どのような圧力にも打ちかつだけのカ量を
そなえ」は自らの力への慢心と彼我の力の差を認識しない空想・冒険主義
がどこまで来たかのあらわれ。また「敵そのもの」ではなく「敵に手をか
す者」への攻撃宣言でしかないののも注目。「どのような策謀にも欺かれ
ない」と具体的な事実の指摘もなく「策謀」があるという「いいがかり」
を既に忍ばせている事にも注目。友好の訴えという体裁に名を借りながら
も「友好運動に邪魔する者」を排除し、攻撃し、暴力をも行使するという
一方的な内ゲバ宣言である。

| 1966年9月26日
|岩井章,伊藤武雄,海野晋吉,太田薫,大谷瑩潤,大内兵衛,兼田富太郎,
|亀井勝一郎,河崎ナツ,木村伊兵衛,黒田寿男,金子二郎,小林義雄,
|小林雄―,佐々木更三,坂本徳松,白石凡,末川博,杉村春子,千田是也,
|高野実,田中寿美子,土岐善磨,中島健蔵,原彪,堀井利勝,深屋須磨子,
|牧之内武人,松岡洋子,宮崎世民,三島一,久布白落実。

この32氏には、全く知らない間に名前を利用されたという人もいた。
川崎ナツ氏は、後から知り、抗議して公式に名前を取り消させたらしい。
すると公式に「31氏」ということになる。また、25氏声明の続きとし
て、内容を深く理解せずに加わった者もいたとのこと。また25氏声明に
名を連ねた人たちが十数人排除されていて、「連名」に関して伺いをた
てることもしてない人もいたとのこと。前回の「25氏」の続きだとする
ならば、まず最初にその方々に声を掛けるべきでした。最初から陰謀で作
られたでっち上げ文書と言われても仕方ない。これと「協会結成主旨」と
の乖離がかなり大きいのは必然です。

たとえば「主旨」では日中友好のさまたけとして「過去両国人民に不幸を
もたらした大きな要因の一つは、指導者階級によって誤らされた我々の誤
った中国観であった。」というように謳いますが、「この誤った中国観の
一掃に我々は最大の努力をはらうものである」と、主旨はいうだけで「最
近,さまざまな口実を設け、友好・交流の発展を極カ妨げようとする傾向
が生れている。このような傾向は,米日反動勢力を喜ばせ,かれらの反中
国政策に手をかすものにほかならない。」などという32氏声明の「排除
の論理」はどこにもない事に注目。やはり友好運動というのは、このよう
に手を広げてなるたけ多数の人を迎え入れる構えが必要です。この元々あ
った幅広い人士をその思想信条で区別せずに力を合わせようとする統一戦
線型の方針からの明確な逸脱が「32氏声明」でした。

ちなみに(正統)ホームページでは「結成主旨と同様、歴史的に古くなっ
ている部分もありますが」などといいつつ掲載しているが「運動の原則」に

|友好運動の原則
| われわれの友好運動は、中国と日本との国民的友好運動である。その意味
|は、それが国民的規模の友好運動であって、相互の国家機関を通じない人民
|的な友好運動であることである。両国の友好関係が、将来両国の国家機関を
|媒介して行われることは望ましい。しかし現在の実状はこれを困難にしてお
|り、われわれの友好運動は、国家や政府に依存しない自発的な国民運動とし
|て進められている。
| それは決して一党一派に偏したせまい範囲の国民に限られたものでなく、
|およそ過去の日本がおかした帝国主義的侵略のあやまちを深く反省した上、
|相互の敬愛と平等の立場のうえにおいて、はじめて両国人民がかたく手を握
|るべきであることに賛成する人びとは、その階級、職業、政治的信念の如何
|を問わず、各層各界にわたって、すべて本会の会員たり得るものでなければ
|ならぬ。またわれわれが友好の対象とする中国は、広はんな中国人民大衆で
|あって、特定の政党政派に限られるものではない。

とある。
「決して一党一派に偏したせまい範囲の国民に限られたものでなく」とい
うのは、まさに特定の立場を押し付けるのかどうか、ということにかかって
の正確な文言ですね。そして32氏声明はこの方針からの逸脱でした。

また「およそ過去の日本がおかした帝国主義的侵略のあやまちを深く反省し
た上、相互の敬愛と平等の立場のうえにおいて、はじめて両国人民がかたく
手を握るべきであることに賛成する人びとは、その階級、職業、政治的信念
の如何を問わず、各層各界にわたって、すべて本会の会員たり得るものでな
ければならぬ。」とあります。「足りえない者を排除」とはどこにも記述さ
れていません。ましてや特定の立場を押し付けるなどは論外です。
「刷新についての声明」で

| 昨日の常任理事会でも,かれらは日中友好協会代表団が,中日友好協会代表
|団と10月12日北京でおこなった共同声明の承認を拒否しました。日本と中国8
|億人民の団結と友好運動の指針ともいうべきこの共同声明を,承認しないとい
|うこれらの妨害者とどうして,いっしょに日中友好協会を運宮できるでしょう
|か。私どもが現執行部の絶対多数派であるにもかかわらず事務所を移したのは,
|妨害者たちの執拗な喰い下り戦術をうちやぶるためであります。

と述べています。ある方針、しかも組織の承認も得ないまま出先の者が国外で
勝手にしてきた共同声明なるものや、同じく承認を得てない32氏声明をもって
これを「承認(事実からいうと事後承認)するか、しないか」とせまり、異論
のあるものを排除する(事実からいうと資金を持ち逃げして脱走)するという
のは、また脱走後のアジトや記者会見のダンドリも先に目星をつけておいて
それから排除のセレモニーとして会議に臨むという態度。これが組織に役員と
して選出されたものの責任を果たしたと言えるでしょうか。

| 私どもは,こうして「日中友好協会(正統)本部」に結集し,協会を本来の
|姿にとりもどし,広範な国民各界各層の方がたの日中友好の願いを基礎に,
|日中共同声明を柱として友好運動を大々的に発展させる方針です。

それとはまた別に、ここで気になるのが、友好協会の責務と基本方針として
いつの間にかこの刷新声明では「日中共同声明を柱として友好運動を大々的
に発展させる方針」ということがすげかわっています。これは本末転倒では
ないのか? 「50年の結成主旨に正しく則り、その精神を活かして」とウソ
でも言うべきでしたね。その「50年結成主旨」に照らして日中共同声明を
守ることが正しいのだと主張されるべきはずですが、ここがすっぽりないの
は一体どうしたことでしょうかね。自らの団体の結成主旨よりも、中国側
からしろしめされた方針としての共同声明の方が重要だとなっているとする
そしりも免れますまい。

これまた、98年の「日中両党合意」で述べられた、党間関係の4原則
とりわけ内部問題相互不干渉の原則にあいいれない事でありまして、今の
中国党や中日友好協会はその非を「我々に誤り」と認めたのでありまして
張本人、震源地が先にこのように認めている中で見ますと、こんな共同
声明を錦の美旗として踏み絵にして組織分裂を正当化した者の姿はという
と実に滑稽な図式であります。

[21] 「読売」ありましたよ 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/21(Thu) 17:10
|  「赤旗」1967年5月4日付の文化欄に掲載された、記事二編。宮森繁著
|「実録中国『文革』礼賛者たちの節操」(1986)によれば、林健太郎氏が
|この記事を読んで、1967年5月15日付けの読売新聞「東風西風欄」に、
|「少なくとも一階の日中友好協会事務所前の乱闘事件については、中共
|側が攻撃者であったことはまちがいないようである。」と書いたという
|ことです。林氏ほどの方がそのような感想を持ったということで、この
|記事が非常に「説得力」のある文章であることは間違いないかもしれま
|せん。ちなみに、私はこの文章を読んで、林氏のような印象を持ちませ
|んでした。
|
| ところで、国会図書館の読売新聞の縮刷版の1967年5月15日の朝夕刊を
|探したのですが、林健太郎氏の「東風西風」欄は見つかりませんでした。
|日付が正しくないのか、探し方が悪かったのか、あるいは、読売新聞には
|いくつかの版があり、この欄の載っていないものもあるのでしょうか。

猛獣文士さんは当面宮森氏の本と格闘せねばなりませんね。さて、私も
この山下氏の手記を読んで格別感動したわけではありませんでしたが
林健太郎氏と井上清氏との関係では、まったく林氏の感想に同意するもの
です。井上氏といえば、当方も岩波の新書、たしかフランス革命の話の
書いてあったのを高校時代に手にしまして、「偉い先生だ」と素朴に感じた
記憶があります。学者の先生が発言するときには、それなりの自制と抑制
が感じられるものですが、この「枯れてなさ」。アブラぎっしゅな井上氏
の若々しい発言に

|『井上氏は客観的な態度も、また事実を尊重する態度も、なにもかも
|失っている』『こういう態度は歴史学者井上氏としていったいどうい
|うことなのか』」となかなか手きびしい」

(引用の引用で何が何だかわかりませんね。ご免なさい<(_ _)> )
という山下氏に同意する林氏のご意見、そのまた引用する宮森氏の
ご意見でもあるわけですが、これは、初めて読む当方にも
十分なリアルをもって同意できるものです。それから、林氏は別に
この山下氏の文だけを読んで、その限定された情報からこのコラムを
書いているわけではなかろうと読んだのですがいかがでしょうか?
むしろ井上氏が、この山下氏の「井上氏の中傷に答える」を読んで
再反論で何を言ったか、そちらも読んでみたい気もしました。

ところで猛獣文士さんが国会図書館で見つける事ができなかったという
読売新聞の林氏の該当のコラムですが、当方が本日行って参りました
大阪市立中央図書館の3階資料室の読売新聞縮刷版にはありました。

32554号という縮刷版の、P367 3版の7ページ。1967年5月15日の夕刊です。
ちなみに、同じページには
・平和の条件について
・中日の新しい空の下で
・「どっこいしょ」を終えて(遠藤周作)
・「どっこいしょ」最終回
・明日からの連載が「掌の中の卵」(源氏鶏太)である旨の告知
・展覧会案内
・デパート「大丸」の広告
が掲載されていました。宮森氏の引用は、別に捏造とかではありません。
もう一度、ご自身でお確かめになられることをお奨めします。

[24] Re: 「読売」ありましたよ 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/22(Fri) 13:34
> という山下氏に同意する林氏のご意見、そのまた引用する宮森氏の
> ご意見でもあるわけですが、これは、初めて読む当方にも
> 十分なリアルをもって同意できるものです。それから、林氏は別に
> この山下氏の文だけを読んで、その限定された情報からこのコラムを
> 書いているわけではなかろうと読んだのですがいかがでしょうか?
> むしろ井上氏が、この山下氏の「井上氏の中傷に答える」を読んで
> 再反論で何を言ったか、そちらも読んでみたい気もしました。
>

林健太郎「氏」(私ごときが「氏」などつけるのもおこがましいかなと)は、
かつて、共産党(つまり「アカ」)で、転向して、1968年ころの東大闘争の
ときは、東大の教官であったのですが、革マル派?に「監禁?」されたような
形でつるし上げられたが、毅然とした態度を崩さず、かえって尊敬された人
で、その後、東大総長や(保守系?)の参議院議員などつとめた人だという
ようなのが、私の大体の知識です。間違っていたら訂正してください。

私が、彼のことをかっているのは彼の著書「ワイマール共和国(中公新書)」
を読んでからです。最近は、歴史観で、いわゆる自由主義史観などという
人たちと論争して、まあまともなことを言っていると思います。

しかし、この赤旗の記事を読んだとき、「中共側が攻撃者」だと確信した
そうで、また、彼は両方の資料を目を通したといっているのですが、これ
は私には同意できない指摘です。

ところで、5月4日の赤旗の記事は、まあ、欲しくもない新聞を、かってに
井上氏の「自宅」に送りつづけていた山下氏が、お断りのはがきを受け取っ
て、それを新聞紙上で記事にして公表したのですから、ちょっとルール
違反じゃないかなと思います。私信のようなはがきと、公称数百万部の
新聞上の記事では意味が違うのではないでしょうか。

この記事は、本文では「井上氏」と一応敬称(氏というのは敬称なのでしょ
うか?)を付けているのですが、見出しで「井上清の中傷に答える」と
呼び捨てにしているので、台無しになっているのではないかなという
印象も持ちました。

> ところで猛獣文士さんが国会図書館で見つける事ができなかったという
> 読売新聞の林氏の該当のコラムですが、当方が本日行って参りました
> 大阪市立中央図書館の3階資料室の読売新聞縮刷版にはありました。
>
> 32554号という縮刷版の、P367 3版の7ページ。1967年5月15日の夕刊です。
> ちなみに、同じページには
> ・平和の条件について
> ・中日の新しい空の下で
> ・「どっこいしょ」を終えて(遠藤周作)
> ・「どっこいしょ」最終回
> ・明日からの連載が「掌の中の卵」(源氏鶏太)である旨の告知
> ・展覧会案内
> ・デパート「大丸」の広告
> が掲載されていました。宮森氏の引用は、別に捏造とかではありません。
> もう一度、ご自身でお確かめになられることをお奨めします。

私も、けっして捏造だとは思っていません。折をみて、もう一度探してみます。

[26] Re^2: 「読売」ありましたよ 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/22(Fri) 18:44
---敬称問題について
これは当方非常に耳の痛い事で、本人によびかける時に
「さん」づけぐらいはするものの、本来外向的国際的な
側面もあるこの関連の話にしては、敬称つけがぞんざい
すぎる気がしています。できれば無礼講で、ご本人に呼
びかける時以外は許して頂けないでしょうか?外国の
国家元首であるわけで、たとえば「毛沢東閣下」なんて
事になりますと、関係を示す時とかでもやりにくくて仕
方がありません。「AがBにどうした」は許可と。
できれば。

---|林健太郎「氏」
自民党の参議院議員であること、山川の高校教科書の
著者であることなどは知っています。そうでしたか
いわゆる自由主義史観派との論争もしていますか。
じゃあ「南京事件はなかった」などとは言わない立場
であると見ていいわけですね。

|しかし、この赤旗の記事を読んだとき、「中共側が攻撃者」
|だと確信したそうで、また、彼は両方の資料を目を通したと
|いっているのですが、これは私には同意できない指摘です。

見たのは見たんじゃないでしょうかね? それをどう受け止めた
かということで、井上氏の手紙は常軌を逸した感じがしますが
林氏のコラムは歴史学者らしい矜持は保ち続けていると言えます。
それと革マルに囲まれたというようなお話ですが、たとえば養老
という解剖学の先生が東大かどこかでやはり暴力学生に研究の
条件をメタメタにされたと何度も何度もプライオリティ高く
述べておられるのを読みます。おおよそまじめな学者、研究者に
とっては文革に影響されたり、暴力的妄動を正当化して「赤色
テロだ」等というヤカラは邪魔な存在でしかなかったのでしょうね。

中公の「ワイマール共和国」ですか。
一度読んでみるとしましょう。

---山下氏が、お断りのはがき
山下氏は、別にそんなに位の高い人ではなくて、文化戦線で
さまざまな人に接触していた、まさに共産党の事務員さんで
あったのではないかと思います。もちろんこんな論文は重要
論文集には載りません。ただし山下氏にして両者の記事論文
をどちらも取り寄せて見ている。よほど腹が立ったのでしょう
がそのことを一所懸命に書いています。本当に陰謀を企てた
人はカエルの面に水でしょうが、善良に悪意なく活動していた
人ほどこういう井上氏のような悪意や敵意に満ちた手紙を
受け取ると、逆上しちゃうのだと思います。しかしさすがに
赤旗にのるに際しては、多少の論立ての添削はされている
でしょうが、「井上」と呼び捨てにしているというのは、まだ
党として党外の人士に対してどのように敬称をつけるかと
いう所で、不慣れな所もあったのかも知れません。ただ
むやみに敬称を付けましても、中国共産党の幹部の発言だと
赤旗で反論していますが「先生は新たな発見をなさいました」
などというやり方でおちょくる戦法もあります。こういう
手口よりは呼び捨てで反論や告発している文の方が、素直な
気持ちが伝わってきます。東京華僑会の声明を一定評価する
のはそのためです。

|私も、けっして捏造だとは思っていません。折をみて、もう一度探してみます。

誠実な探求態度を事実でおしめしださい。あのままの
キャプションでは、前回の張り紙とチラシの指摘もそう
ですが、いかにも宮森氏が実態を見ずに書いた、とあてこすり
をしておられるかに見受けられます。南京事件はなかったと
する学問的体裁をとった論だてなどに、よくこのような部分で
全体を否定する小賢しい文献学的手口を見ます。

[71] Re^3: 「読売」ありましたよ 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/07(Sat) 21:50
> 誠実な探求態度を事実でおしめしださい。あのままの
> キャプションでは、前回の張り紙とチラシの指摘もそう
> ですが、いかにも宮森氏が実態を見ずに書いた、とあてこすり
> をしておられるかに見受けられます。南京事件はなかったと
> する学問的体裁をとった論だてなどに、よくこのような部分で
> 全体を否定する小賢しい文献学的手口を見ます。

ようやく、「東風西風」を入手しましたので、一応、キャプションなど
直しておきました。

井上清さんは林健太郎さんの大学の1年後輩で、昔の友人だが、戦後、共産党員
になった井上清さんは、林健太郎さんを激しく攻撃したんだそうですね。

ふうん。

[41] 体験的日中友好裏面史 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/27(Wed) 20:16
本日は、いい本を見つけてきました

・「体験的日中友好裏面史」
 橋爪利次著 日本機関誌出版センター刊 1996年

・「『文化大革命』および干渉問題と日中友好運動
  Questions and Answers」
 日本中国友好協会 1997年(パンフ)

特に橋爪氏の本の中心的な話題は善隣学生会館内の
日本中国友好協会本部への襲撃事件です。本一冊まるまる
これにあてられています。宮森氏の本では食い足りない
猛獣文士さんには好適かも。

[42] Re: 体験的日中友好裏面史 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/27(Wed) 21:17
> 本日は、いい本を見つけてきました
>
> ・「体験的日中友好裏面史」
>  橋爪利次著 日本機関誌出版センター刊 1996年
>
> ・「『文化大革命』および干渉問題と日中友好運動
>   Questions and Answers」
>  日本中国友好協会 1997年(パンフ)
>
> 特に橋爪氏の本の中心的な話題は善隣学生会館内の
> 日本中国友好協会本部への襲撃事件です。本一冊まるまる
> これにあてられています。宮森氏の本では食い足りない
> 猛獣文士さんには好適かも。

手数とスピードで圧倒されているようです。前に、3冊(日中共産党の新関係、3つの覇権主義、ブックレット)
をWEBで三省堂に注文を出しましたが、9月29日に入荷との事。現在それを待っているところですが、
他に、secret speeces of chairman Maoという本も注文しました。

上記の本も入手したいと思おもいますが、内容はどんなんでしょうか?

[44] Re^2: 体験的日中友好裏面史 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/28(Thu) 15:07
|> ・「体験的日中友好裏面史」
|内容はどんなんでしょうか?

徹頭徹尾、中国大好きだった人が不当な攻撃の中を
苦労して、身も心もボロボロに(自律神経失調)なり
現役をおりて、少しして書いた本です。
和歌山の地場の産業や文物がでてきて、そういう
ローカルな色もなごやかな本になっています。

そういうところ
・中国大好きで戦後の半生を過ごしてきた
・被害者の心の傷
がよくでています。

あと「反中国分子」というのが、どれだけ付け焼き刃な
いいかげんなレッテル、言いがかりか、よくわかる。
戦後すぐからコツコツと中国との友好運動を
続けてきた人ならではと言えるエピソード
が豊富です。だから大部分(善隣学生会館事件の項が
大きい)は猛獣文士さんのご意見と真っ向から
食い違うでしょうが、1中国人として読んで気分悪い本
ではないと思いますね。

|> ・「『文化大革命』および干渉問題と日中友好運動
|>   Questions and Answers」
|内容はどんなんでしょうか?

これは題名通り。ペラペラのパンフで、世間に知らせる
ために友好協会が出しているものです。猛獣文士さんは
まずこういう文書から、批判するなり、検討するなり
し始めるべきでした。最初に「中国人学生対日本共産党」と
いう図式がおかしいと申しましたが、今も強くそう思います。
そして、猛獣文士さんは、日本人の反日本共産党の活動や
日本人がすべき日中友好運動のありかたが問われた際に、
なぜか華僑中国人であるのにかりだされて、その目から見た
ためこの配置が見えてなかったのだと思います。

そして華僑中国人の人は、そもそもこの”戦い”に手出し
すべきではなかったという事を私は新たに感じました。
3つの誤りがからみあっています。

つまり、【第一の誤り】として中国共産党が日本に干渉した
(寮生の活動は、むしろ珍しいこの直輸入と見まえす)。
【第二の誤り】として日本人盲従分子が日本人内で分裂した
(干渉の手段として中国党がそそのかしたのですが)。
【第三の誤り】として在来の華僑がこの第二の誤りに、口を
はさみ、首だけでなく手も足も金も全部つぎ込んだ。

日中友好運動がどのように変質しようが、在来華僑が口を挟む
必要はないはずです。しかも華僑の皆さんは全員党員という
わけでもないのに、「修正主義の下僕」などという党間論争
で(こんな下品にはなりませんが)使われる用語を濫用して
いる。反中国の方針なんて、どこにもないので攻撃できずに
事の前後をすりかえて暴漢の留学生が負傷と、そこだけ強調
する。実質的な負傷は、激突が始ってからは両者にいますし、
同じ時に寮生側に加勢した反共の日本人も負傷している。
これを何もかも反中国だと一方的に言い立てている、と。

猛獣文士さんが、この【第一の誤り】に対して、さほど痛痒を
感じない、ご自分の事として受け止めてなさげな様子なのは
おそらくこのせいです。あなたは死者の毛沢東が再び蘇ってきて
「あれは我々が悪かった」というまで、ご自分の側の非は
永遠にお認めにならないのではないかな? それって
天皇が直々に「戦争は終わった」というまでと、ジャングルに
潜んで一人で戦争していた日本軍の某少尉とかと同然です。

友好協会事務員は、踏んだり蹴ったりですね。日本共産党も選挙
している間も中国からの資金で刷られた謀略チラシを撒かれて
さぞ迷惑したと思います。社会党はこれを喜んだでしょうね。
中国人民のためでなく、党利党略として目先に喜ぶ姿が目に
浮かびます。寮生はどうでしょうか?ケガはするわ、不寝番
なんかにはかりだされるわ、勉強どころではないですね。
「武闘でなく文闘」などというお話がありましたが、学生の
本文からの逸脱であることはどのように美化しても明らかです。
こんな「文闘」でお勉強しても、ちっとも研究や学問の実が
上がらない事だけはたしかです。この学生が、その後中国で
名を上げた研究者や技術者、歴史家、あるいは人柄で生徒の
人気を集めた教師になるとは思えませんね。中国では文革時
に学問の軽視があったと国内ではその後に痛恨の反省をした
ようです。

|secret speeces of chairman Maoという本も注文しました。

邦訳ではなく、英語ですか。
ところで、「ワイマール体制」を探していたが見つかりません。
かわりに中国革命の夢がついえたとき」だったかな?そんな本
がありました。あと日本社会党の党史に関する本とか。どれも
中公の新書です。買いませんでしたが。

「重要論文集3〜7」も驚くほど安い値段なんで押さえて
おくことをお奨めします。「中国共産党の対外路線の検証-
「文革」以後20年の混迷と矛盾」は、中国共産党の路線の
中身にかなり立ち入って書いています。たとえば、例の文言
で「内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとった
事に関して総括と是正」という事ですが、これは諸外国の
共産党との関係正常化のおりにはまったく含まれなかった
文言であり、中国共産党にとっては、見えにくい箇所ですが
画期的な一歩を踏み出した文言であることが、この「検証」
を読めばわかります。猛獣文士さんはこの【第一の誤り】に
関して、虚心坦懐に受け止めるべきです。そんな所で、言い返し
に「日本共産党も日本人だから」なんて言ってちゃダメ。

それから「文革礼賛者たちの節操」はまだ版が切れてないはず
で、発注すれば買えると思います。

[48] Re^3: 体験的日中友好裏面史 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/29(Fri) 16:40
> 徹頭徹尾、中国大好きだった人が不当な攻撃の中を苦労して、身も心もボロボロに(自律神経失調)なり
> 現役をおりて、少しして書いた本です。和歌山の地場の産業や文物がでてきて、そういう
> ローカルな色もなごやかな本になっています。
>
> そういうところ
> ・中国大好きで戦後の半生を過ごしてきた
> ・被害者の心の傷
> がよくでています。
>
> あと「反中国分子」というのが、どれだけ付け焼き刃ないいかげんなレッテル、言いがかりか、よくわかる。
> 戦後すぐからコツコツと中国との友好運動を続けてきた人ならではと言えるエピソード
> が豊富です。だから大部分(善隣学生会館事件の項が大きい)は猛獣文士さんのご意見と真っ向から
> 食い違うでしょうが、1中国人として読んで気分悪い本ではないと思いますね。
>

橋爪利次さんというのは、善隣会館事件当時、「日中友好協会」の事務局長で、1992年に出版された
「中国覇権主義とのたたかい」の善隣会館事件の章を書いているひとですね。たしかに、あのような
事件を処理しなければならない責任者となれば、嫌なことが多かったと思います。
正統本部に去った人たちでない日中友好協会の会員は、つんぼさじきにおかれたまま、いつの間にか
組織を割って、出て行った人たちに、「我々が正統で、あいつらはニセモノだ」などと言われ、華僑
の寮生からは、出て行けといわれ、精神衛生上最悪の環境におかれたかもしれません。

ところで、1966年から、日本共産党指導部の人たちは、配下の人たちに

1.北京放送を聞くなと言い、「北京周報」、「人民中国」、「中国画報」の拡大をしなくなった
  人民中国は、私もかつて購読していました、おもしろい雑誌でしたよ。少なくとも、全ページに
  「毛主席万歳」と書き込まれているようなものではありませんでした。
2.「団結こそ力」第一回日中青年大交流の記録映画上映を妨害した
3.第二回日中青年大交流を妨害した(民青が参加しなかったということでしょうが)
4.中国北京・天津歌舞団の日本公演を妨害した。
5.「東方紅」の映画の上映活動を妨害した。
6.文化大革命の内容を伝えない

など、中国の情報にふたをするようなことをしていたといわれています。これは本当でしょうか。彼ら
が文化大革命について、同意できない確信を持っていたのだとすれば、このようなことがあったとも思え、
また、当時の日本共産党の置かれていた状況や中国共産党との関係を考えれば、反対の意思を貫くには
だんまりを決め込むより他によい手がなかったのかもしれません。

しかし、この時期に、中国の文化大革命を100%礼賛しなくても、この運動をあえて否定もせずに、日中
友好運動を行った人々は沢山いると思います。

党としての路線が異なっても、中国の情報にふたをするようなことをせずに、日中友好運動を続けること
ができなかったのでしょうか。もし、上記のようなことを日中友好協会という組織に指令したとすれば、
これは、組織としての自殺行為になると思います。

また、そのようなことが難しかったのならば、日中友好協会という組織やその事務所の確保にこだわる
必要があったのでしょうか。

当時の赤旗などで「真の日中友好運動」などといっている記事がありますが、実際にはどのような運動を
考えていたのでしょうか。

>
> |> ・「『文化大革命』および干渉問題と日中友好運動
> |>   Questions and Answers」
> |内容はどんなんでしょうか?
>
> これは題名通り。ペラペラのパンフで、世間に知らせる
> ために友好協会が出しているものです。猛獣文士さんは
> まずこういう文書から、批判するなり、検討するなり
> し始めるべきでした。最初に「中国人学生対日本共産党」と
> いう図式がおかしいと申しましたが、今も強くそう思います。
> そして、猛獣文士さんは、日本人の反日本共産党の活動や
> 日本人がすべき日中友好運動のありかたが問われた際に、
> なぜか華僑中国人であるのにかりだされて、その目から見た
> ためこの配置が見えてなかったのだと思います。
>
> そして華僑中国人の人は、そもそもこの”戦い”に手出し
> すべきではなかったという事を私は新たに感じました。
> 3つの誤りがからみあっています。
>
> つまり、【第一の誤り】として中国共産党が日本に干渉した
> (寮生の活動は、むしろ珍しいこの直輸入と見まえす)。

干渉というか、日本共産党と中国共産党の関係は、元来、簡単に切り離せないような
ものであったのではないでしょうか。たとえば、徳田球一氏は北京で客死していますし、
野坂参三氏は、戦後、中国から帰ってきたようですし、宮本顕治氏の手記によれば、
1964年体が弱ったときに、海南島で保養していたということです。国交がないのに、
どうやって訪中したのでしょうか。密航かな?

日本というまったく離れた国に、こっそり中国が魔手を伸ばして、干渉したというの
とは意味が異なると思うのですが。

> 【第二の誤り】として日本人盲従分子が日本人内で分裂した
> (干渉の手段として中国党がそそのかしたのですが)。

たとえば、「ぬやまひろし」さんだって、中国になんどもいっていたようです。
中国共産党の方だって、自分と意見の合う人と付き合いたいというような自由はある
のではないでしょうか。

また、プロレタリア国際主義とか、プロレタリアートには祖国はないとかいうような
「理論」もあります。このような理窟によって、よくものが見えなくなることもあります。

> 【第三の誤り】として在来の華僑がこの第二の誤りに、口を
> はさみ、首だけでなく手も足も金も全部つぎ込んだ。
>

在日の華僑がそんなにいろいろはさんだとは思いません。本当に金をつぎ込んだのですか?
そんな海のものとも山のものとも知れぬ政治に金をつぎ込むような華僑は少ないと思いますが。

> 日中友好運動がどのように変質しようが、在来華僑が口を挟む
> 必要はないはずです。しかも華僑の皆さんは全員党員という
> わけでもないのに、「修正主義の下僕」などという党間論争
> で(こんな下品にはなりませんが)使われる用語を濫用して
> いる。反中国の方針なんて、どこにもないので攻撃できずに
> 事の前後をすりかえて暴漢の留学生が負傷と、そこだけ強調
> する。実質的な負傷は、激突が始ってからは両者にいますし、
> 同じ時に寮生側に加勢した反共の日本人も負傷している。
> これを何もかも反中国だと一方的に言い立てている、と。
>

日本共産党には、あのような流血事件を避ける選択肢がなかったのでしょうか。

> 猛獣文士さんが、この【第一の誤り】に対して、さほど痛痒を
> 感じない、ご自分の事として受け止めてなさげな様子なのは
> おそらくこのせいです。あなたは死者の毛沢東が再び蘇ってきて
> 「あれは我々が悪かった」というまで、ご自分の側の非は
> 永遠にお認めにならないのではないかな? それって
> 天皇が直々に「戦争は終わった」というまでと、ジャングルに
> 潜んで一人で戦争していた日本軍の某少尉とかと同然です。
>

一応、どちらが悪いという議論をしているのではないつもりです。

> 友好協会事務員は、踏んだり蹴ったりですね。日本共産党も選挙
> している間も中国からの資金で刷られた謀略チラシを撒かれて
> さぞ迷惑したと思います。社会党はこれを喜んだでしょうね。
> 中国人民のためでなく、党利党略として目先に喜ぶ姿が目に
> 浮かびます。寮生はどうでしょうか?ケガはするわ、不寝番
> なんかにはかりだされるわ、勉強どころではないですね。
> 「武闘でなく文闘」などというお話がありましたが、学生の
> 本文からの逸脱であることはどのように美化しても明らかです。
> こんな「文闘」でお勉強しても、ちっとも研究や学問の実が
> 上がらない事だけはたしかです。この学生が、その後中国で
> 名を上げた研究者や技術者、歴史家、あるいは人柄で生徒の
> 人気を集めた教師になるとは思えませんね。中国では文革時
> に学問の軽視があったと国内ではその後に痛恨の反省をした
> ようです。
>

パス。

> 「重要論文集3〜7」も驚くほど安い値段なんで押さえて
> おくことをお奨めします。「中国共産党の対外路線の検証-
> 「文革」以後20年の混迷と矛盾」は、中国共産党の路線の
> 中身にかなり立ち入って書いています。たとえば、例の文言
> で「内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとった
> 事に関して総括と是正」という事ですが、これは諸外国の
> 共産党との関係正常化のおりにはまったく含まれなかった
> 文言であり、中国共産党にとっては、見えにくい箇所ですが
> 画期的な一歩を踏み出した文言であることが、この「検証」
> を読めばわかります。猛獣文士さんはこの【第一の誤り】に
> 関して、虚心坦懐に受け止めるべきです。そんな所で、言い返し
> に「日本共産党も日本人だから」なんて言ってちゃダメ。
>
> それから「文革礼賛者たちの節操」はまだ版が切れてないはず
> で、発注すれば買えると思います。

本は注文しました。

[50] Re^4: 体験的日中友好裏面史 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/29(Fri) 19:35
|1.北京放送を聞くなと言い、「北京周報」、「人民中国」、「中国画報」
|の拡大をしなくなった

詳らかには存じません。しかし当然これはされたことだと。
但し北京放送自体を聴取する行為をまるでスパイの証拠として
内部的にどうにか処分したりはしてないはずです。

|少なくとも、全ページに
|「毛主席万歳」と書き込まれているようなものではありませんでした。

全ページに書くかどうかではありません。スハルトの話しは絵空事
ではありません。前にも触れましたが、教育関係の視察団への歓迎
の会の挨拶でも、暴力革命唯一論をぶつほどの異常な干渉ぶりで
あれば、これは仕方ない事でしょう。ただし、中国発行の雑誌を
配付(反共チラシは別)している者をそのことを理由で妨害したり
はしてないはずです。

|2.「団結こそ力」第一回日中青年大交流の記録映画上映を妨害した
|3.第二回日中青年大交流を妨害した(民青が参加しなかったということ
|でしょうが)
|4.中国北京・天津歌舞団の日本公演を妨害した。
|5.「東方紅」の映画の上映活動を妨害した。

個々の事情は当時の事は詳しくありません。しかし異常な持ち込み
は事実としてありまして、例えば音楽会、演劇公演と言えども
演目と無関係に毛沢東氏を天まで持ち上げ、暴力的衝突を美化して
表現してしまう無残な「文革化」があったということは、一般的に
聞いた事があります。京劇の女性役の人も、文革当時は批判された
とか。こんなものを文化芸術と言われてもね。

|6.文化大革命の内容を伝えない

これは伝えました。時期にもよりますが、おそらく66年のうちは
配慮して制限いたかと。でも67年には紅衛兵の蛮行や壁新聞、街の様子
などはつぶさに報じていて、それが一般マスコミのようにおっかな
びっくりではないので、邪魔になり、北京空港事件などという
おぞましい事件(67年8月)に至ったのです。それこそ猛獣文士
さんの手に取られた赤旗にあるとおりです。また、配慮した期間
に報じなかったのが、遠慮会釈なく報じたらいきなり妨害され
身の危険がでてきたので帰国しようとした日本共産党の幹部で
赤旗の記者でもある二人に暴行を加えた事件が8月で、息も
絶え絶えに(直で日本に寄れないほどの負傷でピョンヤンに経由)
帰国したわけで、その後の報道は共同通信配信とか、UPI他
の電があるぐらいで、報道の道を閉ざされた、とも言えます。
報道の自由があって、その上での報道ですよね。

|中国の情報にふたをするようなことをせ
|ずに、日中友好運動を続けることができなかったのでしょうか。

「ふた」はせずに、善悪ともどもリアリズムに則って報じた
のではないでしょうか? 一般マスコミは恫喝されて、萎縮
しちゃって、文革を天まで持ち上げる朝日だけが張りきった
という話しが後々にマスコミ内でもでてきたそうです。

|もし、上記のようなことを日中友好協会という組織に指令した
|とすれば、これは、組織としての自殺行為になると思います。

黒い猫でも白い猫でもネズミを獲るのがよい猫だという話しが
ありますが、友好協会がどのような活動をしても、それが直接
中国の政府・党の意図や貿易他の収益を上げるかどうか、という
視点にたつならば、「悪い猫」であった事でしょうね。
「体験的」にありましたが、きりえ活動とか、語学学校とか
灯籠流しなどは中国の党政府には実利がなかったわけです。
あと「友好商社」と称して、商社の営業マンに毛沢東の著作
とされる赤い表紙の本をかかげさせ、友好協会に対してどれだけ
敵対したかを踏み絵として、輸出の額を決めるなどというのも
確かに実利の伴う話しです。そういう自主性の放棄こそが
日中友好という原則の放棄ではないでしょうか。だからこそ
「文革」中の日本国内のその礼賛者たちはその後、言を左右に
して逃げ回り、四分五裂せねばなりませんでした。

|また、そのようなことが難しかったのならば、日中友好協会という
|組織やその事務所の確保にこだわる必要があったのでしょうか。

資金を持ち逃げするヤカラがいたら、そうそう急に退出して
別の事務所を立てる事もかなわなかったでしょうね。しかも
その資金は一千万ほどあったそうで、なんと新規の本部事務所
の建設資金だったと橋本氏は述べています。もう先方の事務所
の方で退出を考えていた時に、資金は持ち逃げする。暴力ざた
で追い立てる。理性的ではありませんが、日本共産党と日本の
自主的勢力への敵対という視点からは、まるまる理に適う戦法
であったと思います。それから、やはり壁新聞に負けて退出と
いう事は今後百年千年と友好を続ける立場からはできないので
はないかと。

|当時の赤旗などで「真の日中友好運動」などといっている記事が
|ありますが、実際にはどのような運動を考えていたのでしょうか。

これはあなたが目で見、話しをして確かめる必要があります。
暴力対決する立場でなく、どんな活動しているか聞くという
立場でたとえば友好協会の場所をご自分で訪ねてゆかれたら
どうでしょうか? そして時間の折り合いがつけば中国語講
座に出てみたり、きりえ講座にでて実際の行動を継続して観
察されて見たらいかがでしょうか。なんぼ”猛獣”さんでも
とって喰われたりオリに入れられる事はありますまい。
それから、日本共産党の路線は、直接は友好協会に行って
聞いても、立場として答えられない事もあると思います。
党の路線に関しては、共産党の事務所にいって、日刊の赤旗
でも購読を申し込めば、集金のおりにでも、いろいろ話しを
聞く事ができるでしょう。

いい思いつきです。猛獣文士さんの観察によって、それこそ
「ニセ日中」から復活した友好協会が、反中国のキバを隠した
陰謀団体、陰険な妖怪暴力団であるかどうか、レポートなさ
るのです。これこそ身をもっての生きた証言と言えます。

真の友好運動なるものが、どのような路線であるかは、その
体験をもって文献をお読みになれば、より真実味がでてきますね。

[51] Re^5: 体験的日中友好裏面史 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/29(Fri) 21:57
> |1.北京放送を聞くなと言い、「北京周報」、「人民中国」、「中国画報」
> |の拡大をしなくなった
>
> 詳らかには存じません。しかし当然これはされたことだと。
> 但し北京放送自体を聴取する行為をまるでスパイの証拠として
> 内部的にどうにか処分したりはしてないはずです。
>

「当然された」という意味がわかりません。このような中国関係の代表的な通信や雑誌を
拒絶して、どうやって日中友好運動をするつもりだったのでしょうか。また、このような
雑誌を普通に購読してよんでいた華僑の学生達に対して、日中友好協会の会員はこのこと
をなんと説明したのでしょうか。中国は危険な国になったから、中国人をやめろと?

> |少なくとも、全ページに
> |「毛主席万歳」と書き込まれているようなものではありませんでした。
>
> 全ページに書くかどうかではありません。スハルトの話しは絵空事
> ではありません。前にも触れましたが、教育関係の視察団への歓迎
> の会の挨拶でも、暴力革命唯一論をぶつほどの異常な干渉ぶりで
> あれば、これは仕方ない事でしょう。ただし、中国発行の雑誌を
> 配付(反共チラシは別)している者をそのことを理由で妨害したり
> はしてないはずです。
>

だから、中国と付き合うのが危険だと思うならば、無理をして中国と付き合わなければいいのではない
ですか。

>
> |2.「団結こそ力」第一回日中青年大交流の記録映画上映を妨害した
> |3.第二回日中青年大交流を妨害した(民青が参加しなかったということ
> |でしょうが)
> |4.中国北京・天津歌舞団の日本公演を妨害した。
> |5.「東方紅」の映画の上映活動を妨害した。
>
> 個々の事情は当時の事は詳しくありません。しかし異常な持ち込み
> は事実としてありまして、例えば音楽会、演劇公演と言えども
> 演目と無関係に毛沢東氏を天まで持ち上げ、暴力的衝突を美化して
> 表現してしまう無残な「文革化」があったということは、一般的に
> 聞いた事があります。京劇の女性役の人も、文革当時は批判された
> とか。こんなものを文化芸術と言われてもね。
>

同上

> |6.文化大革命の内容を伝えない
>
> これは伝えました。時期にもよりますが、おそらく66年のうちは
> 配慮して制限いたかと。でも67年には紅衛兵の蛮行や壁新聞、街の様子
> などはつぶさに報じていて、それが一般マスコミのようにおっかな
> びっくりではないので、邪魔になり、北京空港事件などという
> おぞましい事件(67年8月)に至ったのです。それこそ猛獣文士
> さんの手に取られた赤旗にあるとおりです。また、配慮した期間
> に報じなかったのが、遠慮会釈なく報じたらいきなり妨害され
> 身の危険がでてきたので帰国しようとした日本共産党の幹部で
> 赤旗の記者でもある二人に暴行を加えた事件が8月で、息も
> 絶え絶えに(直で日本に寄れないほどの負傷でピョンヤンに経由)
> 帰国したわけで、その後の報道は共同通信配信とか、UPI他
> の電があるぐらいで、報道の道を閉ざされた、とも言えます。
> 報道の自由があって、その上での報道ですよね。
>
> |中国の情報にふたをするようなことをせ
> |ずに、日中友好運動を続けることができなかったのでしょうか。
>
> 「ふた」はせずに、善悪ともどもリアリズムに則って報じた
> のではないでしょうか? 一般マスコミは恫喝されて、萎縮
> しちゃって、文革を天まで持ち上げる朝日だけが張りきった
> という話しが後々にマスコミ内でもでてきたそうです。
>
> |もし、上記のようなことを日中友好協会という組織に指令した
> |とすれば、これは、組織としての自殺行為になると思います。
>
> 黒い猫でも白い猫でもネズミを獲るのがよい猫だという話しが
> ありますが、友好協会がどのような活動をしても、それが直接
> 中国の政府・党の意図や貿易他の収益を上げるかどうか、という
> 視点にたつならば、「悪い猫」であった事でしょうね。
> 「体験的」にありましたが、きりえ活動とか、語学学校とか
> 灯籠流しなどは中国の党政府には実利がなかったわけです。

日中友好協会でなく、中国文化研究会とかいうように変えればよかった
のでは。

> あと「友好商社」と称して、商社の営業マンに毛沢東の著作
> とされる赤い表紙の本をかかげさせ、友好協会に対してどれだけ
> 敵対したかを踏み絵として、輸出の額を決めるなどというのも
> 確かに実利の伴う話しです。そういう自主性の放棄こそが
> 日中友好という原則の放棄ではないでしょうか。だからこそ
> 「文革」中の日本国内のその礼賛者たちはその後、言を左右に
> して逃げ回り、四分五裂せねばなりませんでした。
>

そのような事実があったかどうか、知りませんが、言っているのは
日本共産党系の出版物だけです。

> |また、そのようなことが難しかったのならば、日中友好協会という
> |組織やその事務所の確保にこだわる必要があったのでしょうか。
>
> 資金を持ち逃げするヤカラがいたら、そうそう急に退出して
> 別の事務所を立てる事もかなわなかったでしょうね。しかも
> その資金は一千万ほどあったそうで、なんと新規の本部事務所
> の建設資金だったと橋本氏は述べています。もう先方の事務所
> の方で退出を考えていた時に、資金は持ち逃げする。暴力ざた
> で追い立てる。理性的ではありませんが、日本共産党と日本の
> 自主的勢力への敵対という視点からは、まるまる理に適う戦法
> であったと思います。それから、やはり壁新聞に負けて退出と
> いう事は今後百年千年と友好を続ける立場からはできないので
> はないかと。

たしかに、当時の一千万円は大金です。今のいくら位に匹敵するでしょうか。
しかし、持ち逃げしたというのは、一方の言い分ですから、反対側の言い分も
聞く必要があると思います。

それは、別にして、事務所を守る理由は、お金の問題なのでしょうか。

>
> |当時の赤旗などで「真の日中友好運動」などといっている記事が
> |ありますが、実際にはどのような運動を考えていたのでしょうか。
>
> これはあなたが目で見、話しをして確かめる必要があります。
> 暴力対決する立場でなく、どんな活動しているか聞くという
> 立場でたとえば友好協会の場所をご自分で訪ねてゆかれたら
> どうでしょうか? そして時間の折り合いがつけば中国語講
> 座に出てみたり、きりえ講座にでて実際の行動を継続して観
> 察されて見たらいかがでしょうか。なんぼ”猛獣”さんでも
> とって喰われたりオリに入れられる事はありますまい。
> それから、日本共産党の路線は、直接は友好協会に行って
> 聞いても、立場として答えられない事もあると思います。
> 党の路線に関しては、共産党の事務所にいって、日刊の赤旗
> でも購読を申し込めば、集金のおりにでも、いろいろ話しを
> 聞く事ができるでしょう。
>
> いい思いつきです。猛獣文士さんの観察によって、それこそ
> 「ニセ日中」から復活した友好協会が、反中国のキバを隠した
> 陰謀団体、陰険な妖怪暴力団であるかどうか、レポートなさ
> るのです。これこそ身をもっての生きた証言と言えます。
>
> 真の友好運動なるものが、どのような路線であるかは、その
> 体験をもって文献をお読みになれば、より真実味がでてきますね。

もう一度いいますが、きりえ研究会とか、そんな名前にすれば
よかったのではないですか。

[54] Re^6: 体験的日中友好裏面史 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/30(Sat) 00:51
|「当然された」という意味がわかりません。

聞くな、読むなという事は、おそらく党内では言われた
事でしょうということです。通達の文書のようなものを
確認したわけではありません。また、「読むな」という
事を言われずにいた可能性もあります。たとえば山下氏は
ちゃんと読みながら批判している。敵の批判をためには
そのためだけにでも、それを読む必要があります。

|このような中国関係の代表的な通信や雑誌を拒絶して、どう
|やって日中友好運動をするつもりだったのでしょうか。また、
|このような雑誌を普通に購読してよんでいた華僑の学生達に
|対して、日中友好協会の会員はこのことをなんと説明したの
|でしょうか。中国は危険な国になったから、中国人をやめろと?

誰が中国人に何をいいました。冷静になって下さい<(_ _)>。
中国人は中国人でしょう。素朴な毛沢東主席の尊敬を持つのも
ご自由に。それから華僑の学生たちに何を会員の人が言ったの
でしょうか。このあたりの体験は猛獣文士さんのどうしても
おっしゃりたい事なのでしょうね。でも言葉が思いについて
いっていません。あなたも冷静でない状態で、何かを日本人に
言えば、相手も興奮して返ってくる言葉があるでしょう。

|だから、中国と付き合うのが危険だと思うならば、無理をして
|中国と付き合わなければいいのではないですか。

寮生はあなたのような売り言葉を吐いて挑発したのでしょうか。
大人の方のご発言とは思えません。危険は危険な中国共産党の
暴力革命唯一論でありましたし、その「押し付け」つまり党間
関係の原則である内部問題相互不干渉の原則にあいいれないや
り方をとったことについて、真剣な総括と是正をされたのでした。

|同上

このレスの付け方は一体? ヤケになっていませんか。
ご自分の発言自体より多い引用は冗長で迷惑だな。

|日中友好協会でなく、中国文化研究会とかいうように
|変えればよかったのでは。

ともかく「ニセ日中」と呼び辱めるよりは、この言い方の
方がまだしもです。役に立たないとただちにそのように呼び方
を変えろというのも古い友人にどうかなとは思いますが。
猛獣文士さんが気がつかないでいただけで、中国共産党や
中日友好協会は古い友人をちゃんと認識していましたが。

|そのような事実があったかどうか、知りませんが、
|言っているのは日本共産党系の出版物だけです。

なかった、ということも、書いているのは反共で日本共産党
を除名された者ばかりですが。いいじゃないですか、もう
時効なんだから。盗んだ人には幸運です。奪われた人たちは
自分の金以上に、管理運営する責任からも、心労がきつい
事だったでしょうけれど。あなたはその苦労を知らないし。

|しかし、持ち逃げしたというのは、一方の言い分ですから、
|反対側の言い分も聞く必要があると思います。それは、
|別にして、事務所を守る理由は、お金の問題なのでしょうか。

でていけ、というのに、資金を盗ませているのは一体
どういう了見の広さ、懐の深さ、慈愛に満ちた態度でしょう。
それから、こういう持ち逃げ犯まで猛獣文士さんはどうしてそ
んなにムキになって擁護するのでしょう。学生の立場のはずで
したよね。今ではよく見ると反共の日本人と脱走した
日本人の事ばかり。
それから百年千年という友誼を考えてという事が主のはずです。
「お金が理由か」というのは、また別の新手の呼び辱めですね。

|もう一度いいますが、きりえ研究会とか、そんな名前にすれば
|よかったのではないですか。

名前を変更するかどうかは、その団体の自由です。敵対して潰し
にこなければそれはそれでいいのでは?
それと、繰り返しになりますが、どうして華僑の猛獣文士さんが
この日本人の友好団体の分裂に、その分裂した側に力を入れるの
か、非常に不思議。またご自分で行って確かめて、と書けばこの
ようなレスが返ってくるのも不思議。現実を直視するのが怖い?
やはりジャングルの中の日本兵同然ですね。「勝ち組」とも
言いましたが。

[56] Re^7: 体験的日中友好裏面史 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/30(Sat) 16:36
> 誰が中国人に何をいいました。冷静になって下さい<(_ _)>。
> 中国人は中国人でしょう。素朴な毛沢東主席の尊敬を持つのも
> ご自由に。それから華僑の学生たちに何を会員の人が言ったの
> でしょうか。このあたりの体験は猛獣文士さんのどうしても
> おっしゃりたい事なのでしょうね。でも言葉が思いについて
> いっていません。あなたも冷静でない状態で、何かを日本人に
> 言えば、相手も興奮して返ってくる言葉があるでしょう。
>

私は、「日中友好協会」の会員と話をしたことはありません。もうそういう状態ではなくなっていたので。
ただ、寺尾五郎の本は、華僑学生が「友好協会」を反中国であるとする根拠として、こんな談話を紹介しています。

「友好すべき相手国の最大の問題を、評価は別として日本国民に知らせるのは友好の第一歩のばずだ。反対なら反対で
よい。反対の立場で知らせたらよい。それをなんだ。かたつむりみたいに黙りこくって、しかも、それについて質問し
たりすると、ただ二ヤニヤ笑ったり、フフンと鼻の先で笑ったり、侮蔑と敵意の固まりじやないか。それで友好といえ
るか。自民党の人たちは、きっぱりと、俺は共産主義にも紅衛兵運動にも反対だが、それでも日中友好はやる、とはっ
きり言っているが、この方がよっぱど男らしいや。友好協会の看板だけはかかげて、蔭では、「文化大革命は滅茶苦茶
だ、中国も大変なことになってしまった」とか、「三年待ちなさい、三年たてば毛沢東は死ぬ」などとしゃべり歩いて
いるじゃないか、これが二セの協会でなくてなんだ。 」

協会員に対して、日共の教育方針がしっかりしていたら、こんな風には思われなかったのではないかなと思ったわけ
です。こんな風に思わせたら、日中友好などといえないのではないですか。

[61] Re^8: 体験的日中友好裏面史 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/04(Wed) 14:03
|「友
|好すべき相手国の最大の問題を、評価は別として日本国民に知らせるのは友
|好の第一歩のばずだ。反対なら反対でよい。反対の立場で知らせたらよい。
|それをなんだ。かたつむりみたいに黙りこくって、しかも、それについて質
|問したりすると、ただ二ヤニヤ笑ったり、フフンと鼻の先で笑ったり、侮蔑
|と敵意の固まりじやないか。それで友好といえるか。自民党の人たちは、き
|っぱりと、俺は共産主義にも紅衛兵運動にも反対だが、それでも日中友好は
|やる、とはっきり言っているが、この方がよっぱど男らしいや。友好協会の
|看板だけはかかげて、蔭では、「文化大革命は滅茶苦茶だ、中国も大変なこ
|とになってしまった」とか、「三年待ちなさい、三年たてば毛沢東は死ぬ」
|などとしゃべり歩いているじゃないか、これが二セの協会でなくてなんだ。 」

寺尾氏は口汚い点で、他の盲従の者の中で抜きんでていますな。
でも、66年の事情として、
・内乱の教唆に乗る事は無謀である
・ベトナム支援の国際統一戦線への配慮
という方針があるかぎり気軽に議論もケンカもできなかったのでしょう。
こんな複雑で困難な路線によくもまあ十万も2十万もの党員が落ち
こぼれずに付いてこれたと逆に感心します。私にその当時そういう
議論をふっかけられたとして、やはり私もにやにやして何も言わず
いることぐらいしかできませんわ。人の心配(内乱なんて良く言うよ)
(ベトナムの支援に共に立ち上がろうというのに)を他所に勝手
な事をいうわとね。

この男は例の「不戦」の本の中でもベトナム関係の発言を協会や
その支持者、日本党側が口にするのを意味不明であるかのように
口汚く表現しています。それから「陰では」というのは、陰でこそ
こそと党破壊を画策する者にいうべき事で、陰も日なたもない統一
してたたかうという方針をかかげる日本党に対し裏で干渉と敵対に
悪用した側、その手先の醜い日本人の口からでるのは片腹痛いですね。
それと重要な点ですが、どうして反中国か、ということをどうし
て華僑の猛獣文士さんが日本人に語らせるのかというこの不思議。
まあ猛獣文士さんがまさにそのように、「我こそ親中国なり」と
自称する文革お先棒担ぎの連中に吹き込まれたのだ、という個人史
の中では、なるほどそうか、という気もします。

それと、日中友好協会が分裂する前の掲げた方針というのが、こないだ
見つけた(正統)側ホームページにありました。この方針は、どうも
当方の目からみて(正統)が当時かかげた「修正主義者打倒」という
ような過激な新方針とは、どうみても相いれない、ごくごくおだやか
でゆるやかな(いわば修正主義的な)統一戦線方針です。

引用はじまり
==日本中国友好協会結成主旨==

一九五〇年一〇月一日
 日本と中国とは、相互にアジアの隣邦として長い年代にわたり、政治、経済、文化などのあらゆる面において、きわめて密接な関係におかれてきた。両国の関係が友好と提携の上にうちたてられたとき、両国人民の生活には平和と繁栄と福祉が保証された。両国の関係がこの基礎の上にうちたてられなかったときには、両国人民の生活は破壊された。近代にいたり、長い期間にわたって中国人民が日本軍国主義の侵略政策により被った不幸は、もっとも顕著なものといわなければならない。しかもこの日本軍国主義の中国侵略は、ただに中国人民の生活を破壊したばかりでなく、日本人民の生活を破壊したことはきわめて明らかである。
 過ぐる第二次大戦の結果、日本軍国主義は打ち倒された。そして昨一九四九年十月一日中国においては、新たに中華人民共和国が成立した。今や両国の関係は全面的に改変されなければならない。即ち我々は両国の関係が両国人民の平和と繁栄と福祉を基礎として一新されなければならず、また一新され得る一転機に立ち至ったものと確信するものである。いまこそ我々は両国人民の正しい相互関係をうちたてなければならない。何故ならば、そうすることによって始めて両国の安全と平和とが保証されるのであり、また日本経済の平和的な再建が保証され、日本人民の繁栄と幸福が保証されるのであり、ひいては中国人民の繁栄と幸福の可能性も無限の保証を与えられるからである。これこそ我々が世界平和に貢献し得る唯一の前提条件であると確信するものである。
 このことを達成するためには、両国人民特に日本側における熱烈な努力がなければならない。過去両国人民に不幸をもたらした大きな要因の一つは、指導者階級によって誤らされた我々の誤った中国観であった。この誤った中国観の一掃に我々は最大の努力をはらうものであるが、正しい両国の関係を樹立するために、全中国の人民が我々に絶大の援助を与えられることを希望すると共に、我々は中国を含めた全連合国による対日講和が、一日も早く締結されることを切望するものである。
 我々は現在複雑な国際情勢に当面しており、ことに今後しばらくの国内情勢は我々の運動の前途に大小さまざまな困難を予想させる。我々はそれらの困難を勇敢に乗り越え、あくまで忍耐強くたたかわなければならない。
 日本中国友好協会は昨年十月十日準備会として発足し、以来一年にわたり広く各階層の人士によびかけて発起人をつのり、支部組織の準備に努力すると共に、両国文化の交流と貿易の促進に力をつくしてきたが、今や正式結成の機が熟したことを痛感し、ここに日本中国友好協会結成の主旨を明らかにするものである。
 われわれは左に掲げる綱領のもとに、全力をあげて本協会の目的の達成に努力することを誓う。
 一、本協会は、日本国民の誤った中国観を深く反省し、これが是正に努力する。
 二、本協会は、日中両国人民の相互理解と協力をうちたてるため、両国文化の交流に努力する。
 三、本協会は、日中両国の経済建設と人民生活の向上に資するため、日中貿易の促進に努力する。
 四、本協会は、日中両国人民の友好提携により、相互の安全と平和をはかり、もって世界平和に貢献する。

 *以上が結成主旨です。つづいて、同日の創立大会で決定された日中友好協会最初の活動方針から、冒頭の「友好運動の原則」を下に抄録しておきます。結成主旨と同様、歴史的に古くなっている部分もありますが、今日読んでもなお大切なものを含んでおり、原文のまま紹介します。

一 友好運動の原則
 われわれの友好運動は、中国と日本との国民的友好運動である。その意味は、それが国民的規模の友好運動であって、相互の国家機関を通じない人民的な友好運動であることである。両国の友好関係が、将来両国の国家機関を媒介して行われることは望ましい。しかし現在の実状はこれを困難にしており、われわれの友好運動は、国家や政府に依存しない自発的な国民運動として進められている。
 それは決して一党一派に偏したせまい範囲の国民に限られたものでなく、およそ過去の日本がおかした帝国主義的侵略のあやまちを深く反省した上、相互の敬愛と平等の立場のうえにおいて、はじめて両国人民がかたく手を握るべきであることに賛成する人びとは、その階級、職業、政治的信念の如何を問わず、各層各界にわたって、すべて本会の会員たり得るものでなければならぬ。またわれわれが友好の対象とする中国は、広はんな中国人民大衆であって、特定の政党政派に限られるものではない。
(引用おわり)

そして、(正統)側では見つけられなかったのですが、猛獣文士
さんが今後だすと言っている32氏声明と、後に(正統)となる
訪中代表団が66年に訪中したおり、友好協会内の正規の機関の承認を
経ずに勝手に発表した中国とのコミュニケ、結局その事後承認を迫る
議題が分裂の決裂の場でもあったのですが、この2つの文書を是非上
げてみてください。

特に1950年の結成時の方針では、寺尾氏がいうような、相手方の党や
政府とのパイプのような事が目的ではない、と書いてあります。もっと
民間の庶民の中国人と日本人が友達になること、また日中戦争の反省
とりわけ日本の再軍備や軍事同盟への加入に反対するたたかいというの
がそもそも50年の方針であり、寺尾氏があけすけに述べている「友好
すべき相手の事情」つまり毛沢東の中国党内クーデターとその中での
異常な対外方針の手先になりスピーカーになって、それを美化する事
や日本にあてはめ実行する事は日中友好協会の以前の方針から見てあ
きらかに逸脱だと思います。寺尾氏は自ら承認したそのような決まり
を一方的に破った事をここに正当化しているのでしょう。

たとえば89年の天安門事件があったときに、猛獣文士さん、あなたは
日本人で日中友好を真に目指して活動しているとして、学生の側の要
求を取り上げますか? それとも中国党の側の武力弾圧の正当化の声
明を取り上げますか?これに一方に加担して、スピーカーになるとし
たら、後にぎくしゃくしませんか? 相手の国の政府や党にいいなり
に紹介する事ができない事情というのはまさにここです。そして文革
も後に「災害」であったと中国は公式に宣言しました。もし文革を美
化して取り上げたとしたら、(まあ干渉して書けと言った側が中国で
あるなら筋違いでもありますが)それに被害を被った中国の人が政権
に入って、あの文革を美化した者は敵だと今度はいうと、ややこしい
でしょう。内政不干渉というのは、干渉して攻撃しないということと
内政の個々の政策を美化してチョウチン持ちをしない、日本には日本
の実情に発する自主的な運動をするということと、両面あります。

あと、(正統)日中のホームページは、日本の再軍備、軍事費値上げ
ガイドラインに台湾や中国を含むというような日中不再戦の方針を
いささか棚上げしていやしないでしょうかね?まだ工事中でこれから
打ち出すのかも知れませんが。

私はこうした歴史的文書が、猛獣文士さんのホームページにあること
がもしかしたら(正統)日中には一番痛い事だと思いますね。彼ら
はここを読んでいるのでしょうか。

[69] Re^9: 体験的日中友好裏面史 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/10/06(Fri) 13:31
> そして、(正統)側では見つけられなかったのですが、猛獣文士
> さんが今後だすと言っている32氏声明と、後に(正統)となる
> 訪中代表団が66年に訪中したおり、友好協会内の正規の機関の承認を
> 経ずに勝手に発表した中国とのコミュニケ、結局その事後承認を迫る
> 議題が分裂の決裂の場でもあったのですが、この2つの文書を是非上
> げてみてください。
>

9月26日:32氏の声明

10月5日:中国側各界人士の(52氏)の声明

10月12日:日中・中日友好協会共同声明

10月25日:常任理事会で声明の支持を採決して分裂

確かに、準備がいいですね。

日本側32氏には杉村春子、土岐善麿なんかの純粋文化人も入っている。

中国側52氏の中の許広平は魯迅の奥さん。先生だった魯迅を略奪愛したとも
いわれてますが。

そのころの文化人は、はげしかったのでしょうか。

[47] Re^3: 体験的日中友好裏面史 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/28(Thu) 22:56
> ところで、「ワイマール体制」を探していたが見つかりません。
> かわりに中国革命の夢がついえたとき」だったかな?そんな本
> がありました。あと日本社会党の党史に関する本とか。どれも
> 中公の新書です。買いませんでしたが。
>

「ワイマール共和国ヒトラーを出現させたもの」
林健太郎著
中公新書
1985年

ISBN 4121000277
660円

です。

[68] Re^4: 体験的日中友好裏面史 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/05(Thu) 22:51
|えてして人間の記憶は自らを欺きます。

(1)
すみません。まずはおわびから。
「ワイマル共和国」は見つけました。

(2)
しかし、高校時代に当方が「読んだ」と思っててっきり
思い込んでいた本ですが、井上氏の著書ではありませんで
著者違いでした(^^;)(^^;)。井上氏の本は読んだことない
ということです。

本屋でみていて気がついたのは日本の歴史に関する本が
岩波新書で井上氏がだしています。日本史の先生なんですね。
何かで読んだと思うんだけど、何の勘違いだか。

(3)
ところで本日買ったのは姜克實という石橋湛山の専門家
の人の書いた「現代中国を見る眼」(丸善新書)です。

こないだ紅衛兵のエピソードでチャリンコに乗った若者が
学校教師などの家を襲う話を書きましたが、あれはこの本
がねたです。それと、これまた当方の勘違いでしてP114の
前後ででてきた挿話では3人の教師を外にひざまずかせて
待たせ、英語教科書を見つけたら木の板で殴りつけた、と
あります。ここでは家人は巻き添えとはなっていません。
また、この本には元ねたがありまして、フォックス・バター
フィールド著『中国人』上下、時事通信社刊1991年だそう
です。

[62] 逐条的解説「正当防衛論」 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/04(Wed) 16:16
|この論文は、日本共産党が「対外盲従分子(あるいは彼らのいうトロツ
|キスト)」に対する「実力行使」つまりは暴力的な「反撃」を行う場合の
|理論的根拠である「正当防衛論」を法律の面から解説しているものと思います

猛獣文士さん自身がここで解説しているように。まさしく盲従した
日本人とトロツキストたる日本人に対処する話しです。

|反党対外盲従分子どもが

そういうことです。

|われわれが断固として反撃をくわえなければならない

反党盲従分子に向けて。

|かれらを「ひとひねり」にしてしまわなければならない。

反党盲従分子に向けて。
どこにも外国人をひとひねりとか「中国人を」とは書いてない。

|このような闘争では、怪我人は双方にでる

自陣にもでるし、相手にもでるがという意
外国人にでる等とは書いていません。

|しかし、対外盲従分子が

やはり外国人とか中国人とか寮生とは述べていません。
日本の対外盲従分子への対抗です。

|われわれは、トロツキストなどが、「革命的」な言動で、善意の大衆
|を敵にけしかけていること、それがけっして民主勢力をつよめること
|ではなく、逆に弱める効果をねらっているものであることを知ってい
|る。「挑発にのるな」というのは、そういう場合にも必要なことである。

トロツキストの日本人ですね。

|対外盲従分子が暴力で味方を襲ってきた場合、われわれが適時に
|適切な反撃をくわえるという実力行使にでたときに、弾圧機関も
|それを正当防衛として、弾圧できないし、またわれわれもそれを
|許さないであろう。

まさに盲従分子たる日本人ですね。
ここにあるのは、やはり寮生を使ってやってくる等という
先方の”作戦”は予想もつかない事であった事情が伺えます。

どうでしょう? 心はすっかり日本人のトロツキストに
同化しちゃった猛獣文士さんには「自分たちをひとひねり」と
言われているように読めるかも知れませんが、当方にはポグロム
よろしく外国人排外だとかのすすめには読めません。また
事実としてこの30数年そのような路線に基づく凶行は
なされなかったと断言できます。歴史は雄弁です。また
そういう排外主義を採っていたならば、そもそも「一つの
中国」とか「国交樹立」などという方針を堅持するわけが
ないではありませんか。

そもそも党と党との関係を国と国との関係にまで拡大しちゃった
のが政権党であった当時の中国共産党、その実態はまさしく毛沢東
にクーデターされて正規の指導機関がひっくりかえていますから
「毛沢東一派」というのは規定として間違ってないのですが、この
一派が海を越えて指導し、干渉し、事件を引き起こしたんですな。
むしろ日本共産党は党と党との関係を内部問題として、外に出す事
も憚ったばかりでなく、敵対関係としたくなかったニュアンスが
ありありです。

[63] 逐条的解説「正当防衛論」その2 投稿者:大阪の人 投稿日:00/10/04(Wed) 16:17
|特定の外国の一部勢力と、これに盲従する反党破壊分子のわが党にたい
|する干渉、ひぼう、中傷、攻撃は、最近ますますはげしくなっています。

ここでは外国勢力となっていて、「反中国」にならないように
むしろ相手をぼやかしている配慮さえ感じます。

|一部の外国勢力によるこれらの攻撃は、反党分子を公然と支持するだけ
|でなく、わが党をあからさまに非難する度数も多くなり、「北京航空学
|院紅旗戦闘隊」の新聞のようにその表現はますます口ぎたない悪口雑言、
|罵倒のたぐいになってきています。

これは北京の話。国内華僑とか寮生を相手にしていません。

|わが党は八十一ヶ国共産党・労働者党代表者会議の声明に定められた
|各党間の関係の基準をあくまでまもり、節度ある態度をとってきてい
|ますが、プロレタリア国際主義の原則を乱暴にじゅうりんして、わが
|党を中傷、非難し、反党破壊分子を支持、激励するという外部からの
|干渉、攻撃にたいしては、それがいかなる国、いかなる党からのもの
|であろうと、けっして黙過せず、断固としてこれにこたえ、反論をお
|こなうものです。

外国の党には「反論」をと主張しています。

|この一部外国勢力に盲従するひとにぎりの反党分子は、最近では
|ますますひんぱんに直接暴力という方法にうったえて、わが党員
|と民主勢力を攻撃するようになっています。

はじめて敵らしい相手がでてきました。盲従する反党分子は、と
限定している点に着目。猛獣文士さんが自分をこの一部だと思って
おられたのなら自分の身に危険となるでしょうが。これは党員で
あった過去のある日本人を主に想定しています。ML派もまだ
想定されてなさげです。

|たとえば、偽装解散、不当解雇に反対し、退職金を要求してたたかって
|いる日中貿易促進会労働組合にたいして、反党対外盲従分子は暴力的に
|その事務所に侵入して、組合員に圧力をかけるという暴挙をおこない、
|また不当解雇反対でたたかっている亜細亜通信社労働組合員にたいして
|も、階段からつきとばし、なぐるなどの暴行をはたらいています。さら
|に、「紅衛兵」と自称する「はぐるま座」関係の反党対外盲従分子は、
|「はぐるま座」争議団事務所を襲撃し、なぐる、けるの暴力をふるうよ
|うになっています。このように、すでに反党対外盲従分子は、文字どお
|り街(まち)のごろつきや暴力団にもひとしいものになってきているの
|です。反党対外盲従分子が直接暴力による攻撃という行為に出ているこ
|とは、かれらの反党、反革命、反人民の本質をみずからさらけだしてい
|るものです。さらに、「日共のなかの真の革命者」とともに、わが党の
|指導者を「鉄拳(てっけん)でなぐってやる」などと高言した「北京航
|空学院」の「紅旗戦闘隊」の新聞にみられるように、一部外部勢力は、
|日本の反党対外盲従分子の暴力、テロ行為をそそのかし、けしかけてい
|ます。

北京の学生と、あとは日本人ばかりがでてきます。寮生がどうとかは
でてきません。もちろん在来華僑が敵とか反中国とかではありません。

|わが党と自覚的な民主勢力は、狂信的な反党対外盲従分子の
|このようなテロ行為を絶対に黙認することはできません。

反党盲従というのは日本人の事です。

|当然、正当防衛の権利を行使することが必要であり、それ
|はまったく正しいものです。

外国人排外はどこにも主張していません。

|「挑発にのるな」ということで、かれらが思いのままに暴力をふるうの
|を野放しにしておく理由はどこにもありません。

ブルジョア法の範囲でもこれは当然という事ですね。

|外国の一部勢力とそれに盲従する反党破壊分子の不当な非難や攻撃に
|たいしては、道理と事実にもとづいて完膚なきまでにこれに反撃する
|とともに、とくにかれら対外盲従分子どもの暴力による攻撃にたいし
|ては、明確な正当防衛の立場から、個人としても、断固としてこれに
|対処しましょう。

寮生から攻撃されようとは思ってもいなかった、というのが
実際の所なんじゃないかな。それと、実質寮生側で負傷した者
の中にちゃんと日本人負傷者もいる。やはり日本人の盲従分子
とのたたかいで、あまりに暴力的な相手に対処するのに負けるな
ということが話しの筋で、反中国だとか「血の債務」にはあたらぬ
話だと思いますね。今読んでも。

[43] RE「つまみよみ」8 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/28(Thu) 12:25
|現実には、日中友好協会は数年後に、善隣学生会館を退去しています。

話しあいで退去させる事が必要でしたね。猛獣文士さんはどう思います
か? 壁新聞も暴力ざたも、糾弾集会も北京放送も不要ですね。北風と
太陽のたとえです。ちなみに「裏面史」によると、「建物明け渡し訴訟」
は2年続いたとの事です。その後(裁判に会館が勝ったのか?単に和解
勧告ぐらいがでたと思うけど)なぜか「会館内で起きた暴力事件について
管理者として遺憾である」という華僑学生と(正統)本部による日中友好
協会本部事務所への襲撃を会館側が認めて「協会の正常な業務の保証を
しなかった非を認め、協会に陳謝」の後に退室、転居したとあります。

|裁判の記録については、折をみて可能な限り入手したいと思います。

お願いします。ちなみに、「裏面史」だと
・3月2日「一階の日中友好協会事務所の占有使用妨害禁止」
・「公道から事務所、便所への通路である玄関、一階廊下への
  通行禁止」の排除勧告
だということです。これらが友好協会と日本共産党の側から
だされて通ったわけです。排除されてしまったのが寮生ですね。
なぜこのような事になったかというと、「妨害」したからです。
また3月13日には、「東京地裁は華僑学生と会館にたいし『日中
友好協会が二階の倉庫と会議室及び地下倉庫への通行と使用を
実力やバリケードで妨害してはならない』と仮処分命令」がでた
と「裏面史」は書いています。具体的ですね。猛獣文士さんは
こういうのは確かめることもなかったのですか。仮処分になる
ようなバリケードで友好協会の邪魔をしたのですか?

|誰かが破った壁新聞を日中友好協会が破ったと言いがかりをつけて、夜
|華僑学生が押しかけた。

「裏面史」はもっと具体的に、当時(28日夜)は大会後の残業を
していた、とあります。それから当夜は雨が降っていたとも。
自ら破ったとするならば、破いて何が悪いという破く事への正当化
宣言があってもいいと思いますが。

|とあり、また、同日の赤旗紙に掲載されている日中友好協会の声明文
|では、壁新聞は風で破れたものだったといっています。

雨風で破れたのだろう、と推論しているだけですよね。こういうのは
便所の落書きを「差別事象」なりとして糾弾したりする、当時の日本
社会党系、暴力学生系のやり方として、非常にポピュラーになって
いった無数の事件の一端です。それを一方的に日本共産党や、日中友
好協会事務局員になすりつけている。

ついでに酔漢が中国人学生を殴打とありますが、事務局員は残業を
続けているわけで、酒に酔うには未だ早いのでは? 元に友好協会が
反中国の暴力団ゴロツキに変質したとする【ドグマ】があるからこそ
なりたつ筋書きです。酔漢は誰だと特定していますか? この第一の
暴力事件が発端だというのですが、人数少ない事務局員の誰なのかも
特定がでてきませんよ。

|また、同日の赤旗紙に掲載された写真には、確かに十数人の華僑学生の
|写真が写っていますが、暴行とか襲撃とかを確かに立証するような写真
|ではありません。

同じことが友好協会事務局員側にも言えます。事務所を追いだそうと
する攻撃であることは、「被害者側」のはずの中国人寮生の声明にも
でています。写真が少ないのを三好氏が得意になって宣伝戦に関して
述べていますが、カメラマンを特に狙ってカメラを強奪破損させたり
するのは、咄嗟にできることではなく、さすがに前年に日本共産党を
脱走した者らしい知恵、赤旗以外の報道が正確に全国に流れない事を
読み切った謀略を計画した側の戦術的勝利と言えます。

|その後、3月2日までの経過について、赤旗紙の説明は、それぞれに食い
|違い、不一致点が目立ちます。悪く解釈すれば、話しのツジツマを合わ
|せるために、ところどころ調整しているのではないかというような部分
|も見られます。

逆に、筋書きがあるから、中国人学生と、その声のスピーカーを買って
出た日本人の「新聞」の間にまったく齟齬のない、整合性のある文言が
ならぶ可能性もあります。事実の指摘で、各人が述べる場合、それも
進行しつつある事態に関して述べる場合には細かい部分で食い違いが
あるのがむしろ当たり前です。

そういえば、日中友好協会を脱走したいきさつも「裏面史」にありました。
不思議な事に、脱走した人たちは、当日の会議で多数だったとのこと。
それでも無理な意見を押し付けようと道議をだし、議場が混乱したら
「一緒にやれない」と宣言してそのまま退席したのだそうです。その後
判った事には、友好協会の銀行預金の全財産を持ち逃げしていたそう
です。先に金を掴んだから、もうトンズラする事が最初から絵として
あったのですな。なかなか辻褄のあう話しじゃないですか。そして辻褄
は非常によくあいまして、分裂した(正統)本部は日もおかずにそそくさ
と出来てしまいます。普通は攻撃されたりして余儀なくされた場合に
追いだされた側とかならば、部屋さがしに苦慮してうろうろすると
思うのですが、謀略ならではの用意周到さですよね。会議の前に分裂
はすでに示し合わされ、預金もすでに抜き出され、部屋も用意され
「分裂」の記者会見までお膳立てできていたとのこと。

|しかし、全体に一致しているのは、日中友好協会側が「正当防衛権」を
|行使して、華僑学生とその支援者を排除したという主張です。

全体に一致しているのは「でていけ」という声明です。「でていけ」と
いう不当な要求を暴力を使って押し付けてくる者に「正当防衛」を行使
するのは青柳氏、また松本氏(両氏とも弁護士のようですな)が解明し
ているようにブルジョア法規の上でもなりたつ事です。むしろぶつかり
あいをしているにもかかわらず、「暴力は一切なかった」式のデマを
吹聴しているのは寮生側、いやさ(正統)本部なり(左派)共産党側
です。

|そのときの、ヘルメットをかぶり、棍棒をもった人たちの写真が、何枚
|も残っています。

あなたの言明にも、暴力学生社会主義学生同盟マルクスレーニン派の
日本人が会館に直後にはすでに居たとあるではないですか。この人たち
は赤軍派や日本赤軍と関係する、あなたのお好きな日本におけるトロツ
キストと呼ばれる人士です。それから、ヘルメットの持ち込みは事件の
さ中に「弁当と称して」というくだりがありました。協会事務局側が
しでかした暴力事件なら、もうちょっとダンドリより先に潜り込ませて
も良かったのではないかな?

|私は、これらの資料を見た範囲では、華僑学生側(+正統本部?)が
|一方的に陰謀家で、協会を襲撃したとは思えません。

ところで、あなたは会館で何をしました。善隣会館の中でガラスが
割れた部屋はあの友好協会の事務所だけだったのではないですか。
あなたはガラスを割る投石はなさいましたか?あなた自身が3月2日
直後にそこにいき、話しを聞いたということは、まだ続いていた騒動
の一方の当事者であったということです。あなたの見た寮生中国人
やその加勢の(正統)本部日本人、(左派)共産党の日本人らの行為に
一点も非がない、人道的かつ理性的に一貫した態度がありましたか?

私が読んで驚いたのは、「血の負債」という文言です。これは復讐を
呼号するときの言わばのろしですよね。まさしくデマに発するのです
が、中国人学生が殴打された、負傷したということを錦の美旗にして
暴力行為、無法行為を全て正当化する宣言なのではないでしょうか?
これにくらべて松本氏の声明のなんと適法的、合法的な、当然の言及か。
私にはそう読めました。

[46] Re: 続き 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/28(Thu) 22:43
> |また、同日の赤旗紙に掲載された写真には、確かに十数人の華僑学生の
> |写真が写っていますが、暴行とか襲撃とかを確かに立証するような写真
> |ではありません。
>
> 同じことが友好協会事務局員側にも言えます。事務所を追いだそうと
> する攻撃であることは、「被害者側」のはずの中国人寮生の声明にも
> でています。写真が少ないのを三好氏が得意になって宣伝戦に関して
> 述べていますが、カメラマンを特に狙ってカメラを強奪破損させたり
> するのは、咄嗟にできることではなく、さすがに前年に日本共産党を
> 脱走した者らしい知恵、赤旗以外の報道が正確に全国に流れない事を
> 読み切った謀略を計画した側の戦術的勝利と言えます。
>

出て行けと主張することと、暴力をふるうことは別の話です。出て行けといったのは、
華僑学生側にもそれなりの理由があったからです。しかし、華僑学生は、ただ、それを
主張する壁新聞を張っただけです。もちろん、その内容は、「日中友好協会」や日本
共産党(宮本派)の人から見れば、不愉快なものだったでしょうが、それと、襲撃とは
違います。

>
> |その後、3月2日までの経過について、赤旗紙の説明は、それぞれに食い
> |違い、不一致点が目立ちます。悪く解釈すれば、話しのツジツマを合わ
> |せるために、ところどころ調整しているのではないかというような部分
> |も見られます。
>
> 逆に、筋書きがあるから、中国人学生と、その声のスピーカーを買って
> 出た日本人の「新聞」の間にまったく齟齬のない、整合性のある文言が
> ならぶ可能性もあります。事実の指摘で、各人が述べる場合、それも
> 進行しつつある事態に関して述べる場合には細かい部分で食い違いが
> あるのがむしろ当たり前です。
>
> そういえば、日中友好協会を脱走したいきさつも「裏面史」にありました。
> 不思議な事に、脱走した人たちは、当日の会議で多数だったとのこと。
> それでも無理な意見を押し付けようと道議をだし、議場が混乱したら
> 「一緒にやれない」と宣言してそのまま退席したのだそうです。その後
> 判った事には、友好協会の銀行預金の全財産を持ち逃げしていたそう
> です。先に金を掴んだから、もうトンズラする事が最初から絵として
> あったのですな。なかなか辻褄のあう話しじゃないですか。そして辻褄
> は非常によくあいまして、分裂した(正統)本部は日もおかずにそそくさ
> と出来てしまいます。普通は攻撃されたりして余儀なくされた場合に
> 追いだされた側とかならば、部屋さがしに苦慮してうろうろすると
> 思うのですが、謀略ならではの用意周到さですよね。会議の前に分裂
> はすでに示し合わされ、預金もすでに抜き出され、部屋も用意され
> 「分裂」の記者会見までお膳立てできていたとのこと。
>

組織の分裂の話をしているのではありません。善隣会館での流血事件の記事で、
辻褄が合わない部分があるといっているのです。

> |しかし、全体に一致しているのは、日中友好協会側が「正当防衛権」を
> |行使して、華僑学生とその支援者を排除したという主張です。
>
> 全体に一致しているのは「でていけ」という声明です。「でていけ」と
> いう不当な要求を暴力を使って押し付けてくる者に「正当防衛」を行使
> するのは青柳氏、また松本氏(両氏とも弁護士のようですな)が解明し
> ているようにブルジョア法規の上でもなりたつ事です。むしろぶつかり
> あいをしているにもかかわらず、「暴力は一切なかった」式のデマを
> 吹聴しているのは寮生側、いやさ(正統)本部なり(左派)共産党側
> です。
>

正当防衛論は、2月19日、善隣学生会館の事件の10日前の赤旗紙で、主張されました。
この理屈は、その後、共産党のゲバルト部隊(68年東大闘争など)の暴力の理論的根拠
になりました。
最近も、不破氏が、いざというときには自衛隊を使用するといったときの「急迫なんたら」
のときは、相手を傷つけてもいいという議論。このころから、ずっと続いていますね。

> |そのときの、ヘルメットをかぶり、棍棒をもった人たちの写真が、何枚
> |も残っています。
>
> あなたの言明にも、暴力学生社会主義学生同盟マルクスレーニン派の
> 日本人が会館に直後にはすでに居たとあるではないですか。この人たち
> は赤軍派や日本赤軍と関係する、あなたのお好きな日本におけるトロツ
> キストと呼ばれる人士です。それから、ヘルメットの持ち込みは事件の
> さ中に「弁当と称して」というくだりがありました。協会事務局側が
> しでかした暴力事件なら、もうちょっとダンドリより先に潜り込ませて
> も良かったのではないかな?
>

MLと赤軍は遠い親戚ぐらいでしょうか。

> |私は、これらの資料を見た範囲では、華僑学生側(+正統本部?)が
> |一方的に陰謀家で、協会を襲撃したとは思えません。
>
> ところで、あなたは会館で何をしました。善隣会館の中でガラスが
> 割れた部屋はあの友好協会の事務所だけだったのではないですか。
> あなたはガラスを割る投石はなさいましたか?あなた自身が3月2日
> 直後にそこにいき、話しを聞いたということは、まだ続いていた騒動
> の一方の当事者であったということです。あなたの見た寮生中国人
> やその加勢の(正統)本部日本人、(左派)共産党の日本人らの行為に
> 一点も非がない、人道的かつ理性的に一貫した態度がありましたか?
>

会館内なので、投石は、なかったようです。そのような記述をしている文書
は知りません。皆、興奮していましたが、理性は持っていましたよ。
ところで、私は3月2日にはいませんでした。いたらもっと、事実経過について
自信をもって語れます。

> 私が読んで驚いたのは、「血の負債」という文言です。これは復讐を
> 呼号するときの言わばのろしですよね。まさしくデマに発するのです
> が、中国人学生が殴打された、負傷したということを錦の美旗にして
> 暴力行為、無法行為を全て正当化する宣言なのではないでしょうか?
> これにくらべて松本氏の声明のなんと適法的、合法的な、当然の言及か。
> 私にはそう読めました。


「血の債務」です。「血の負債」といっても同じ意味ですね。なかなか新鮮な言い方。

大阪の人さんのいうところによれば、中国共産党も、誤りについては認めた
そうです。日本共産党も、自分のことを正当化するだけでなく、認めるべき
ところは認めれば、もっと信頼できる党になると思うのですが。

大阪の人さんの嫌いな「トロツキスト」がヘルメットをかぶり、角材で武装
して、機動隊と最初に渡り合ったのは、善隣学生会館事件の7ヵ月後の1967年
10月8日、羽田で、当時の佐藤栄作首相のベトナム訪問を阻止しようとしたとき
でした。このとき、「大阪の人さん」の嫌いな「革共同中核派」の「トロツキ
スト」の一人の学生が、死にました。

日本共産党は、その7ヶ月も前に、武装した暴力を機動隊に対してではなく、
「正当防衛論」などというもので理屈をつけて、華僑学生に使用していたの
です。

とまあ、こんなことを書いていると、このホームページの趣旨を逸脱して、並みの
水掛け論になりそうです。

[49] Re^2: 続き 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/29(Fri) 17:09
【友好協会の窓ガラスは投石された】と
|会館内なので、投石は、なかったようです。そのような記述をしている文書
|は知りません。皆、興奮していましたが、理性は持っていましたよ。

これは何日の時点でしょうか? 結局猛獣文士さんも最近お知りになった
ようですが、2年ぐらいは小型の衝突事件が頻発しているようです。
衝突事件というよりも、正門からの出入りなどで、毛沢東氏の戦時の
指導に忠実に、日中友好協会側が少数であると見ると暴行する、という
事のようで、しかも会館敷地に限らず、周辺街路に於てもそれは繰り
返されたそうです。そのなかで、投石され、事務所の窓ガラスが破損し
仕方なく窓に板を打ち付けて防衛したとのことです。悲惨ですよね。
この間、3、4階の住人に窓への投石はあったのか、なかったのか。
もちろん日本共産党は日本全土にいますし、全国一律の
毎日の赤旗で指導されていますから、全土で華僑中国人に対して同じ
暴虐が繰り返されてもおかしくない。そういう件での事実は何か、告訴
されたりしているでしょうか? これこそ「血の債務」。何たる事か。

【首尾一貫して「でていけ」】
|出て行けと主張することと、暴力をふるうことは別の話です。出て
|行けといったのは、華僑学生側にもそれなりの理由があったからです。
|しかし、華僑学生は、ただ、それを主張する壁新聞を張っただけです。
|もちろん、その内容は、「日中友好協会」や日本共産党(宮本派)の
|人から見れば、不愉快なものだったでしょうが、それと、襲撃とは
|違います。

まさしく主張することと暴力を振るう事とは別にすべきでした。
それなりの理由って何ですか。それから主張することと、壁新聞
で張りだし「ニセ日中」「でていけ」と事務所のある建物に書く
のとは、これまた別ですよね。緊張関係が何により発生したと
思いますか。それとも、思った事は口にしてよい、口にするだけで
なくて張りだしてよい、それは時も場所もわきまえず、自らの
立場(学生という本文)もわきまえず、常に構わない。そして
それに対して相手がどのような感覚、気分でいるかは無関係と
いう事でしょうか。中国直輸入ですから、紅衛兵の圧倒的な暴力
にホウ真や陶鋳、劉少奇らが屈服したように、寮生の言動や行動に
事務所の者もただ頚をうなだれて従う方がよかったとあなたは主張
するわけです。気分がメゲて出ていく事を狙ったかも知れません
し、そうやって挑発しておいて、個々の人物が挑発に乗っちゃう
事を当て込んで、危険なカケをそそのかしていたかも知れません。

【辻褄があいすぎる】
|組織の分裂の話をしているのではありません。善隣会館での流血
|事件の記事で、辻褄が合わない部分があるといっているのです。

そういう形で組織を分裂させた人がその場に居たということです。
あなたの最初の図式、中国人学生対日本共産党というのは意図的
であって文献の語彙に便宜的に従ったというには問題が深刻です。
日本人の加勢した反共の人士が、最初の寮生側の発表では名前を
伏せられた形ですが、3人いたと。3人というのは半分近いわけ
ですよね。でも辻褄から言えば、ここでは犠牲の羊はどうあっても
無辜の学生、丸腰のマイノリティである必要がありましたよね。
結局この武闘、暴力行為は、始まりとしては2月28日。終結は
一端3月2日に区切りがありまして、ここで手を引いたのは日本
共産党側だけなんですが、中国人学生の負傷はなくなった。でも
その後も投石や狼藉は続くと。

【ゲバを肯定するか、しないか】
|正当防衛論は、2月19日、善隣学生会館の事件の10日前の赤旗紙で、主張
|されました。この理屈は、その後、共産党のゲバルト部隊(68年東大闘争
|など)の暴力の理論的根拠になりました。
|最近も、不破氏が、いざというときには自衛隊を使用するといったときの
|「急迫なんたら」のときは、相手を傷つけてもいいという議論。このころ
|から、ずっと続いていますね。

ゲバルトを「赤色テロ」だとか言って称揚したり、愛好したり暴力革命
唯一論の立場からそれを行使する、という方針は日本共産党にはないし
過去にもありません。暴力主義に関してはこれまで、さほど中国共産党
の幹部の言質を取り上げてきませんでしたが、いくらでもあります。喜々
として学生が事件を起こすたびに中国党は褒め上げる。正当防衛というの
はどこまで行っても正当防衛です。66年ごろの中国の理論をもっとよく
ご覧下さい。その立場から日本共産党の「正当防衛論」を「暴力主義」だ
として批判するのは、滑稽です。むしろ暴力主義がない、暴力主義を捨てた
ということを「修正主義」と中国党自身がその日本共産党非難の第一に
掲げています。猛獣文士さんもそう言われたではないか。そして立花氏の
本から引いてこられたのかも知れませんが、それが当然とする。ここに
猛獣文士さんの亀裂があります。暴力主義的闘争にシンパシーを持つ事と
暴力が知人に加えられたと(前後の事情ははぶいて)聞かされた時の発作
的な激情と。海の向こうで建国の父毛首席が言われた紅衛兵の活動なんか
は(事情もわからんし)そのままいいことだととるけれど、それが日本に
おいて直輸入で行われる事は想像の外にある。ましてや紅衛兵が紅衛兵と
して暴虐をするときには、たいがい一方的で相手はうなだれて従う姿しか
ない(それなりに平和です)けれど、日本の自主的自覚的な党派がいて
それに従わず、暴力主義に対して正当防衛だと反撃するなどということは
思いもかけない、ましてやその負傷者が知人だったりすると、身近に危険
がせまった気がして、その負傷者こそが暴力事件の当事者であり、紅衛兵
の現実の姿を日本で実演してみせているのだとは思いもしない、だいたい
こんな所でしょうか。

|> |そのときの、ヘルメットをかぶり、棍棒をもった人たちの
|> |写真が、何枚も残っています。
|>
|> あなたの言明にも、暴力学生社会主義学生同盟マルクスレーニン派の
|> 日本人が会館に直後にはすでに居たとあるではないですか。この人たち
|> は赤軍派や日本赤軍と関係する、あなたのお好きな日本におけるトロツ
|> キストと呼ばれる人士です。それから、ヘルメットの持ち込みは事件の
|> さ中に「弁当と称して」というくだりがありました。協会事務局側が
|> しでかした暴力事件なら、もうちょっとダンドリより先に潜り込ませて
|> も良かったのではないかな?
|>
|MLと赤軍は遠い親戚ぐらいでしょうか。
|
ここのレスはつながっていませんが、どう思います? ゲバ棒は室内で
日本共産党がでっち上げに作成した、などと言いますが、ヘルメットは
2月28日以前に持ち込まれた、組織的暴力が準備されていたとするの
でしょうか? 私がそれを見たら、襲ってきたのが寮生で、それこそ頭
部を狙われないように後から差し入れたんだなと思いますね。それから
MLと赤軍が何を指導原理にしていたかが問題です。彼らも毛沢東思想
を原理としていたと自ら称していますがいかが? そういう立場で浅間
山荘に立てこもり、「ソウカツ」と称して内部的にリンチ殺人をしたの
でした。猛獣文士さんのご意見は、このあたりになると当方には論旨が
掴みにくいです。それだけあなたの感情が集約されるのでしょうが。

|大阪の人さんのいうところによれば、中国共産党も、誤りについては認めた
|そうです。日本共産党も、自分のことを正当化するだけでなく、認めるべき
|ところは認めれば、もっと信頼できる党になると思うのですが。

中国共産党も認めた、ということは猛獣文士さんもお認めになる、と。
でも、中国共産党の指揮の下に、直輸入で暴れた寮生との関係では
あやふや。そして中国国内でホウ真や陶鋳、劉少奇を襲った暴漢は
悪人であったと後にされますが、寮生はマイノリティで無辜の学生
で徒手空拳、日本人の暴力団に一方的に暴行された被害者であると。
そして中国人が負傷したからには「血の債務」で「長崎国旗事件」
や日中戦争時の蝗軍の蛮行の繰り返しだと。だから在来の華僑人士
もこれを我が事として共に戦うと。当時の華僑の皆さんの緊張感は
ビンビン伝わってきます。正直な所でしょう。でも何が発端なのか
ということです。

私は「双方がぶつかりあった」と思うだけです。結果は歴然ですよ
ね。実力行使してぶつかりあえば負傷者もでます。しかもその緊張の
発端は66年秋ごろからの壁新聞であり、そのネタもとは北京放送、
その他の中国から来る情報で、もしかしたら在日中国党幹部の直接
の指揮であったということです。そして数百万枚まかれたという日
本人の分裂組織のチラシや分裂組織の事務所代の資金も中国から来
ている干渉と謀略の金(友好協会から持ち逃げした資金もあるか?)
だと言うことです。これ以上何を認めたらいいのかと。「日本共産党
は米帝やソ修や日本反動派の下僕として、マイノリティである中国人
留学生の平和的な活動と生活に一方的に攻撃をしかけ、一方的に負
傷者させた暴力団」と描き出そうとするところに無理があります。

一般的には日本共産党より、紅衛兵(のまね事をする寮生も含む)
やML派の方が誰が見ても暴力的な集団でしたし、見て暴力主義的
なだけでなく、理論でも実際の行動に於てもずっと暴力的でした。

だけど、東京華僑総会の文書は文言が激しいわりに、普通の人
なので、猛獣文士さんはどうか存じませんが、華僑の人々がこの
本国直輸入の蛮行を日本ではたらいた形跡はその後ありませんね。
胸のうち深く、一方的に吹き込まれた「日本共産党は鬼、妖怪」
という意識を持ち続けつつも、圧倒的多数の華僑の人は市民道徳
から反することなく普通に暮らしておられたのでしょうね。そして
本国からの「あれは我々の側に非」というちゃんとした声明や
告知がなされないので、それを保持し続けていると。でも中国
本土では大々的に「日本共産党と中国共産党との関係正常化に
ついての合意」は報じられました(向こうでは中国側が先に
来ている本文になるでしょう)。同時発表の予定を「一時間だけ
待ってくれ」と言われ、何かなと思ったら、中国全土にTVで
ニュースにして発表するのに、両党の合意責任者が握手する絵を
取り込むために「一時間」と言われたそうで、ニュース番組内で
全文をわざわざ読み上げ、翌日の「人民日報」「北京日報」「解
放軍報」「工人日報」などにも全文が掲載されたのだそうです。
中国共産党にしても、このニュースは外交努力の成果であるとい
うことなのでしょう。国民全体に周知徹底したのだと思います。
ついでに、日本労働党とかにはねたましいでしょうが不破氏は江
沢民党首と異例の長時間の会談をし、胡錦濤氏とももっと長い会
談をし、握手して帰ったそうです。
また、その後、この合意をうけて、「ニセ日中」とされていた友好
協会の人の中から代表団が訪中し、中日友好協会との関係も正式に
修復したそうです。「ニセ」は一体どうなっちゃったのでしょうか
ね? それとも「毛首席の遺訓に背き堕落した江沢民一派」などと
なるのでしょうか。そして友好協会は「ニセ日中」などという壁
新聞は今のあり方として市民道徳に合致する平和的、非敵対的な
行動で、まったく合法的、適法的な行為だと言われるか?

|大阪の人さんの嫌いな「トロツキスト」がヘルメットを

ヘルメットのかぶり始めが日本共産党や日中友好協会でありその後
にそれが流布したというように言うのはやめて下さい(^^;)。事実
が違います。彼らのように「赤色テロ」などと正当化するかどうか
です。青柳氏や松本氏の論を絶対視するものではありませんが、中核
や革マルのふざけた声明や論文と照らし合わせ、またその後70年
代80年代、90年代の全ての活動の中で、そういう暴力主義肯定
があるかどうかも見て下さい。市民道徳を日本共産党は将来に渡って
尊重するというのが新しい規約の中に新たに項目を設けて強調して
述べられている点でもあります。

|「トロツキスト」の一人の学生が、死にました。

この人も善隣学生会館で友好協会を壊す活動に加わったのですか?
中核や革マルは何人の殺人をしましたか? 彼らが殺人を正当化
する端緒になったのも、中国から輸入した毛沢東思想だとされ
ています。ま、日本人にも根が腐った分子がいますから、何もか
も悪は文革から、中国から来るということではありませんが。

それと「日中不戦の思想」だとか「善隣」だとか「友好(正統)」
だとかそういう名前がつくのに、内実は暴力と緊張の連続、とい
うのはいかにも悲惨です。

また、戦前戦後に日中の掛け橋となり、友好の運動を広めた者が
日本共産党を脱走した人士たち(その後ちりぢり)日本社会党の
黒田氏ら(社会党は改名後分裂)それから日本労働党などの人士
(まだ残存?)だけだとしたら、これまた悲惨です。

[52] Re^3: 続き 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/29(Fri) 22:45
> 【友好協会の窓ガラスは投石された】と
> |会館内なので、投石は、なかったようです。そのような記述をしている文書
> |は知りません。皆、興奮していましたが、理性は持っていましたよ。
>
> これは何日の時点でしょうか? 結局猛獣文士さんも最近お知りになった
> ようですが、2年ぐらいは小型の衝突事件が頻発しているようです。
> 衝突事件というよりも、正門からの出入りなどで、毛沢東氏の戦時の
> 指導に忠実に、日中友好協会側が少数であると見ると暴行する、という
> 事のようで、しかも会館敷地に限らず、周辺街路に於てもそれは繰り
> 返されたそうです。そのなかで、投石され、事務所の窓ガラスが破損し
> 仕方なく窓に板を打ち付けて防衛したとのことです。悲惨ですよね。

そのようなことはあったかもしれません。ないのかもしれません。文献が残っていません。
あるいは、橋爪氏の本にあるのでしょうか。

> この間、3、4階の住人に窓への投石はあったのか、なかったのか。
> もちろん日本共産党は日本全土にいますし、全国一律の
> 毎日の赤旗で指導されていますから、全土で華僑中国人に対して同じ
> 暴虐が繰り返されてもおかしくない。そういう件での事実は何か、告訴
> されたりしているでしょうか? これこそ「血の債務」。何たる事か。
>

そのようにしたいのならば、止めはしません。どうぞ、やってみればいいのでは
ないですか。

> 【首尾一貫して「でていけ」】
> |出て行けと主張することと、暴力をふるうことは別の話です。出て
> |行けといったのは、華僑学生側にもそれなりの理由があったからです。
> |しかし、華僑学生は、ただ、それを主張する壁新聞を張っただけです。
> |もちろん、その内容は、「日中友好協会」や日本共産党(宮本派)の
> |人から見れば、不愉快なものだったでしょうが、それと、襲撃とは
> |違います。
>
> まさしく主張することと暴力を振るう事とは別にすべきでした。
> それなりの理由って何ですか。それから主張することと、壁新聞
> で張りだし「ニセ日中」「でていけ」と事務所のある建物に書く
> のとは、これまた別ですよね。

壁新聞を張ったが暴力は振るっていないといっているのです。ちゃんと理解してください。
不愉快だから、正当防衛権の行使になるのでは、たまりません。理由というのは、別の書き込みで
明らかにしています。

> 緊張関係が何により発生したと
> 思いますか。それとも、思った事は口にしてよい、口にするだけで
> なくて張りだしてよい、それは時も場所もわきまえず、自らの
> 立場(学生という本文)もわきまえず、常に構わない。そして
> それに対して相手がどのような感覚、気分でいるかは無関係と
> いう事でしょうか。

気分が悪いとか言うのは、すべてお互い様だと思いませんか。その当時の話ですが。

> 中国直輸入ですから、紅衛兵の圧倒的な暴力
> にホウ真や陶鋳、劉少奇らが屈服したように、寮生の言動や行動に
> 事務所の者もただ頚をうなだれて従う方がよかったとあなたは主張
> するわけです。

うなだれて従うかどうか知りませんが、だから毅然として、正当防衛に立ち上がった?

> 気分がメゲて出ていく事を狙ったかも知れません
> し、そうやって挑発しておいて、個々の人物が挑発に乗っちゃう
> 事を当て込んで、危険なカケをそそのかしていたかも知れません。
>

赤旗は挑発にのるなとは言わず、権威のない連中を正当防衛権でひとひねりしようといっています。

> 【辻褄があいすぎる】
> |組織の分裂の話をしているのではありません。善隣会館での流血
> |事件の記事で、辻褄が合わない部分があるといっているのです。
>
> そういう形で組織を分裂させた人がその場に居たということです。
> あなたの最初の図式、中国人学生対日本共産党というのは意図的
> であって文献の語彙に便宜的に従ったというには問題が深刻です。
> 日本人の加勢した反共の人士が、最初の寮生側の発表では名前を
> 伏せられた形ですが、3人いたと。3人というのは半分近いわけ
> ですよね。でも辻褄から言えば、ここでは犠牲の羊はどうあっても
> 無辜の学生、丸腰のマイノリティである必要がありましたよね。
> 結局この武闘、暴力行為は、始まりとしては2月28日。終結は
> 一端3月2日に区切りがありまして、ここで手を引いたのは日本
> 共産党側だけなんですが、中国人学生の負傷はなくなった。でも
> その後も投石や狼藉は続くと。
>

重傷をおった人について、そのように政治的な駆け引きの道具としてしか見ることができないのですか?

> 【ゲバを肯定するか、しないか】
> |正当防衛論は、2月19日、善隣学生会館の事件の10日前の赤旗紙で、主張
> |されました。この理屈は、その後、共産党のゲバルト部隊(68年東大闘争
> |など)の暴力の理論的根拠になりました。
> |最近も、不破氏が、いざというときには自衛隊を使用するといったときの
> |「急迫なんたら」のときは、相手を傷つけてもいいという議論。このころ
> |から、ずっと続いていますね。
>
> ゲバルトを「赤色テロ」だとか言って称揚したり、愛好したり暴力革命
> 唯一論の立場からそれを行使する、という方針は日本共産党にはないし
> 過去にもありません。暴力主義に関してはこれまで、さほど中国共産党
> の幹部の言質を取り上げてきませんでしたが、いくらでもあります。喜々
> として学生が事件を起こすたびに中国党は褒め上げる。正当防衛というの
> はどこまで行っても正当防衛です。66年ごろの中国の理論をもっとよく
> ご覧下さい。その立場から日本共産党の「正当防衛論」を「暴力主義」だ
> として批判するのは、滑稽です。むしろ暴力主義がない、暴力主義を捨てた
> ということを「修正主義」と中国党自身がその日本共産党非難の第一に
> 掲げています。

暴力革命が必要であるという考え方を、なんでもかんでも暴力をふるう目茶目茶な
人という風にすりかえているのではありませんか。

これは、一般的な国家とか、ある時点の国の形態とかに対する分析的な観点の問題だと思います。
どのような国家も、あからさまであるか隠されているかは別にして、暴力的な力によって
統治されている。そして、そのような統治が、ある特定の「階級」のようなものの利益を
まもる為に使用されていて、そのような事実を隠蔽するために「議会制民主主義」のような
制度があるのだ。というような考え方です。これが正しいかどうかは別にして、特に階級という
ノッペリとした分析は問題があると思いますが、マルクス主義にはそのような視点があるのだと
思いますよ。

少なくともレーニンはそう考えていたらしいのですが、これは大阪の人さんのほうが詳しいかも
しれない。

> 猛獣文士さんもそう言われたではないか。そして立花氏の
> 本から引いてこられたのかも知れませんが、それが当然とする。ここに
> 猛獣文士さんの亀裂があります。暴力主義的闘争にシンパシーを持つ事と
> 暴力が知人に加えられたと(前後の事情ははぶいて)聞かされた時の発作
> 的な激情と。

発作はありませんでしたけど。

後半はまたにします。

[55] Re^4: 続き 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/30(Sat) 00:52
|そのようなことはあったかもしれません。ないのかもしれません。
|文献が残っていません。
|あるいは、橋爪氏の本にあるのでしょうか。

ガラスを割られて困った、という話しが橋爪氏の本にありました。
本になくても、その場をご覧のあなたには見えると思うのですが。

|そのようにしたいのならば、止めはしません。どうぞ、やってみ
|ればいいのではないですか。

言葉を弄ぶのは止めなさい。
事実として30年以上にわたって、こういう波及がなかったし
3階4階の住人の生活が脅かされた形跡がない、ということを
指摘しているのです。核心的な事実をはこうして歴史が証明す
るということを言っているのです。逆に(正統)な人たちの
中で四分五裂があって、しまいに自民党の議員さんに会長や
役員に座ってもらった今の(正統)友好協会になったのですね。
これまた歴史が何かを証明しています。

|壁新聞を張ったが暴力は振るっていないといっているのです。
|ちゃんと理解してください。不愉快だから、正当防衛権の行使
|になるのでは、たまりません。理由というのは、別の書き込みで
|明らかにしています。

寮生だけ、徒手空拳で、一方的に日中友好協会や日本共産党に
暴行された、という捏造された絵の中でしか、あなたの言われる
「不愉快だから正当防衛」というのはでてきません。中国共産党は
何と言っているか、不干渉の原則にあいいれないやり方と述べて
います。寮生はその手足になったのでした。

|赤旗は挑発にのるなとは言わず、権威のない連中を正当防衛権で
|ひとひねりしようといっています。

これは読み方が少しおかしい。当時の北京放送がどのように教唆
していたか。あなたは口をぬぐっているのか。見る勇気がないのか。

|重傷をおった人について、そのように政治的な駆け引きの道具
|としてしか見ることができないのですか?

反共の日本人たちは、そもそも共産党や友好協会への暴行は
一切なかったと主張しているようです。駆け引きの道具として
怪我人を出したり引っ込めたりしているのは、むしろこの側
ではないかな。いつぞやも、怪我人の身内の人は悲しむだろう
というようには当方も書きました。あなたはケガ人が友好協会
に居ないと思っておられたのでしょう。全部あなたにお返し
します。

|暴力革命が必要であるという考え方を、なんでもかんでも暴力をふるう
|目茶目茶な人という風にすりかえているのではありませんか。

廖承志はどういったか。それから、あなたご自身がもうすこし
本や資料をみつくろって、ちゃんと中国側の暴力革命唯一論を
承知してからこの話に言及された方がよろしいでしょう。
まだ、何か、暴力主義にシンパシーがありながら、一方で知人
が負傷したということへの怨恨との間に分裂があると思います。

それから、あなたの暴力革命論の部分は、付いていけませんから
割愛させてもらいます。一言で申して「空論」です。国民に納得
して貰いながら国民の財産を守るために活動する、という視点を
もう少し入れた方がいいと思います。自民党が難色を示して今度
は雲行きがあやしいですが、早晩地方自治参政権もあなたがたに
付与されます。そのときに、こんな空論で武装してても、何の
得もないし、住民自治の中で見放されてしまいますよ。

[57] Re^5: 続き 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/30(Sat) 16:45
> ガラスを割られて困った、という話しが橋爪氏の本にありました。
> 本になくても、その場をご覧のあなたには見えると思うのですが。
>

私はがこの会館にいくときは、いつもあまり協会側をみないようにしていたのかもしれません。
ガラスが割れているのを見た覚えはありません。しかし、3月2日に武装部隊に暴行され、重体に
なった人がいて、警察も相手にしてくれず、赤旗は嘘ばかり書いている、というような状況
(これが寮生側の認識だったのでしょう)で、憎悪が集中していたとすれば、このようなことは
なかったともいえません。

> 言葉を弄ぶのは止めなさい。
> 事実として30年以上にわたって、こういう波及がなかったし
> 3階4階の住人の生活が脅かされた形跡がない、ということを
> 指摘しているのです。核心的な事実をはこうして歴史が証明す
> るということを言っているのです。逆に(正統)な人たちの
> 中で四分五裂があって、しまいに自民党の議員さんに会長や
> 役員に座ってもらった今の(正統)友好協会になったのですね。
> これまた歴史が何かを証明しています。
>

大阪の人さんは、華僑を全国規模で迫害するなどというおぞましいことを二度も書き込みました。冗談でも、
比喩でも、このような言葉は何度も聞きたくはないですね。発想自体が不愉快です。

[45] Re: RE「つまみよみ」8 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/28(Thu) 17:46
> 話しあいで退去させる事が必要でしたね。猛獣文士さんはどう思います
> か? 壁新聞も暴力ざたも、糾弾集会も北京放送も不要ですね。北風と
> 太陽のたとえです。ちなみに「裏面史」によると、「建物明け渡し訴訟」
> は2年続いたとの事です。その後(裁判に会館が勝ったのか?単に和解
> 勧告ぐらいがでたと思うけど)なぜか「会館内で起きた暴力事件について
> 管理者として遺憾である」という華僑学生と(正統)本部による日中友好
> 協会本部事務所への襲撃を会館側が認めて「協会の正常な業務の保証を
> しなかった非を認め、協会に陳謝」の後に退室、転居したとあります。
>

ニセ「日中友好協会」が会館内にいるとトラブルが絶えないので、会館としては
出て行ってほしかったのではないでしょうか。出て行ってくれるときには、多少
リップサービスがあってもおかしくはありません。
暴力沙汰については、どんなに日共側にひいき目にみても、せいぜいのところ
お互い様というところです。

> お願いします。ちなみに、「裏面史」だと
> ・3月2日「一階の日中友好協会事務所の占有使用妨害禁止」
> ・「公道から事務所、便所への通路である玄関、一階廊下への
>   通行禁止」の排除勧告
> だということです。これらが友好協会と日本共産党の側から
> だされて通ったわけです。排除されてしまったのが寮生ですね。
> なぜこのような事になったかというと、「妨害」したからです。
> また3月13日には、「東京地裁は華僑学生と会館にたいし『日中
> 友好協会が二階の倉庫と会議室及び地下倉庫への通行と使用を
> 実力やバリケードで妨害してはならない』と仮処分命令」がでた
> と「裏面史」は書いています。具体的ですね。猛獣文士さんは
> こういうのは確かめることもなかったのですか。仮処分になる
> ようなバリケードで友好協会の邪魔をしたのですか?
>

2月28日以降、日本共産党が大量動員して、事務室の中には60人以上の人がいました。
その人たちが、事務室から出てきて、華僑学生たちを攻撃し、会館の周囲にも500人
もの動員部隊がいて、玄関から突入の機会をねらっていました。そこで、攻撃を防ぐ
ために、玄関前と、事務室の前にバリケードを築いたのです。
その後、警察がきて、「生命の保証をするから、バリケードを解いて、下がってくれ」
といわれ、その支持にしたがって下がったときに、日中友好協会事務所から出てきた
ヘルメットと棍棒や釘を打ちつけた角材で武装したゲバルト部隊が、襲いかかり、
多数の重傷者をだした。

ということのようです。

>
> |誰かが破った壁新聞を日中友好協会が破ったと言いがかりをつけて、夜
> |華僑学生が押しかけた。
>
> 「裏面史」はもっと具体的に、当時(28日夜)は大会後の残業を
> していた、とあります。それから当夜は雨が降っていたとも。
> 自ら破ったとするならば、破いて何が悪いという破く事への正当化
> 宣言があってもいいと思いますが。
>
> |とあり、また、同日の赤旗紙に掲載されている日中友好協会の声明文
> |では、壁新聞は風で破れたものだったといっています。
>
> 雨風で破れたのだろう、と推論しているだけですよね。こういうのは
> 便所の落書きを「差別事象」なりとして糾弾したりする、当時の日本
> 社会党系、暴力学生系のやり方として、非常にポピュラーになって
> いった無数の事件の一端です。それを一方的に日本共産党や、日中友
> 好協会事務局員になすりつけている。
>

とりあえず、壁新聞が破られたのは、事実です。これは、赤旗紙にも書いてある。
赤旗紙の記事は、「誰かが破った」といったり、「風で破れた(日中友好協会声明)」
といったり、言い訳がましいところがあります。壁新聞がはってあったところは、
玄関から奥に入ったところで、雨風があたる場所ではありません。これは、赤旗
の図解からも明らかです。

> ついでに酔漢が中国人学生を殴打とありますが、事務局員は残業を
> 続けているわけで、酒に酔うには未だ早いのでは? 元に友好協会が
> 反中国の暴力団ゴロツキに変質したとする【ドグマ】があるからこそ
> なりたつ筋書きです。酔漢は誰だと特定していますか? この第一の
> 暴力事件が発端だというのですが、人数少ない事務局員の誰なのかも
> 特定がでてきませんよ。
>

特定されています。ここで、名前を書くのはちょっと憚られますが、MKさんという
人です。「日本と中国」にも、「光岡論文」にも、「日中不戦の思想」にも書いて
あります。

もう疲れましたので、残りについては、あらためて書き込みます。

[53] Re^2: RE「つまみよみ」8 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/29(Fri) 23:10
|ニセ「日中友好協会」が会館内にいるとトラブルが絶えないので、会館
|としては出て行ってほしかったのではないでしょうか。出て行ってくれ
|るときには、多少リップサービスがあってもおかしくはありません。

会館が「ニセ」とまで規定したかどうかは別ですが、ほぼこの線で
当方も感じます。普通の人の感覚で、あの衝突というのは理解でき
ないし、とりあえず謝っておくというのが、日本人の習慣です。そ
れが収まるためには理非はともかく一方に退出させると。しかし
「裏面史」によれば、
「協会の武井勝常務理事らが、紅衛兵の暴力行為で会館に抗議に行
ったときに、守島理事長は武井さんに、こんなことを言っている。
『あなたがたは紳士的だが、華僑学生は困る・・・』」

|暴力沙汰については、どんなに日共側にひいき目にみても、
|せいぜいのところお互い様というところです。

時間を2月28日からに限り、寮生対日本共産党という図式だか
らそうなります。友好協会ってその本部を分裂させられる、資金
を持ち逃げされる、なんか悪者として北京放送その他で挑発され、
その影響を受けた寮生らが毎日つっかかって険悪で緊張した状態
がつづく、営業妨害は無論あるし、「中国人入るべからず」等と
いう偽の張り紙など無数に嫌がらせをされる。なんだか資金を持
ち逃げして分裂して出た者や、知らない日本人の粗暴な人士らが
有象無象に加勢してくる。酷い状態ですよね。なぜ猛獣文士さん
はこの中国共産党の干渉と攻撃の総指揮を見ないのですか。免罪
するのですか。この当事者である中国党の当時から責任ある地位
にいた人が、「我われに誤り」と言っているわけです。あなたに
とっては、コペルニクス的に考えを入れ替えないと、全く受け入
れられない事かも知れませんけれど。つまり「中国人が敵」とか
「反中国」なのではなくて「毛沢東思想のおしつけ」を拒否する
たたかいだったわけです。

|2月28日以降、日本共産党が大量動員して、事務室の中には60人
|以上の人がいました。

当方はその当時、その場に居合わせたものではありませんが、
友好協会の当面の目的と要求は「事務所の防衛」と「自由な
通行の確保」ですよね。逆に、寮生を先頭にたてた反共の日
本人らの連合は「事務所の明け渡し」を旗印に、通行の妨害
もするし時折攻撃して中に侵入しようと試みる。窓を投石す
る。少人数でいると見ると集団暴行で脅かす。なんでもアリ
じゃないですか。これの防衛にはむしろ攻撃するよりも人数
がいるでしょうね。

|その人たちが、事務室から出てきて、華僑学生たちを攻撃し、
|会館の周囲にも500人もの動員部隊がいて、玄関から突入の
|機会をねらっていました。そこで、攻撃を防ぐために、玄
|関前と、事務室の前にバリケードを築いたのです。

500人いて、もっと何か積極的な破壊や攻撃をしなかった、と
いう点をむしろ着目すべきでしょうね。それは「主敵が寮生」
じゃないからです。当初の猛獣文士さんの図式ではこの主敵
が寮生であるということになります。そんな子どもじみた。

自由な通行する権利がありますよね。それを妨害した。
それゆえ東京地裁が仮処分を下したわけです。寮生が自由に
通行できなければ、それこそ仮処分を申請して、これで事務所
を追いだすのにいい得点になるはずですが。

|その後、警察がきて、「生命の保証をするから、バリケード
|を解いて、下がってくれ」といわれ、その支持にしたがって
|下がったときに、日中友好協会事務所から出てきたヘルメッ
|トと棍棒や釘を打ちつけた角材で武装したゲバルト部隊が、
|襲いかかり、多数の重傷者をだした。

この「その後」がよくわかりません。
・やるきがあれば、もっと3階4階に攻めていけた
ということは、確かにあると思います。「でていけ」が不当
だと頑張っているだけでしょう。暴力を正当化する路線
に従ったわけでなかった事をむしろこれが証明します。

|とりあえず、壁新聞が破られたのは、事実です。これは、赤旗紙
|にも書いてある。赤旗紙の記事は、「誰かが破った」といったり、
|「風で破れた(日中友好協会声明)」といったり、言い訳がまし
|いところがあります。

党の路線として破る事を何も正当化してないから、感知しない
ということではないかな。それと、誰が破いたかを知らない
者は「風が」ということも「雨が」ということも「誰かが」という
ことも当然あるでしょう。ここの文言をその食い違いがどうこう
というのはやはり根本的な問題ではないと思いますね。知らない事を
確定的に申すことはできませんがMKという人がそれをした、また
寮生と口論になり一方的に殴打したというのが寮生側の主張ですね。
ただしこの2人は友好協会側の確認や指示の下にではなくて個人
で2人だけで壁新聞の所で争っていて、その確認が目撃者とか
があるわけではない。「殴られた」とした寮生は仲間に必死で
訴えたでしょうね。「俺は見たんだ、壁新聞がニセ日中の奴に
破られるのを、そんで俺が抗議したら殴ってきたんだよ」ってね。
当事者同士が何か衝突しただけです。青柳氏の論文を読んだ友好
協会員がそれに影響されしでかしたというのは無理があります。
逆に「ニセ日中」「反中国」だと北京放送から毎日吹き込まれて
いた寮生は、突発的に事件を引き起こすこともありうるでしょうね。

「これは反中国だ」絶対許せない。だから「でていけ」と尚更
自分で興奮して集団ヒステリーのようになって行ったのでしょう。
だからそれが押しかけての集団暴行になり(このときは武器はない)
また閉じこもったのを見たら相手がその扉の向こうにいるのを感じる
と嫌がらせをしたいと思ったり、逆に恐怖感もあったでしょうし
通常考えられないバリケード構築ということになったのでしょう。
この夜の寮生の行動を全体として謀略とは言えないかも知れない。
ただヒステリーではあります。毎日「日本の一部の修正主義者が」
というような文言を北京放送がしているのを耳にしていればね。

前に「中国人入るべからず」という偽張り紙をした件でも、入れろ
入れさせないと普通で考えられない緊張関係を感じさせる押し問答
があったとされています。もう一触即発、何があってもおかしくない
状態だったのでは? そしてね。それを黙認し、指導のもとに進めた
のが中国共産党だったのですよ。つまり干渉の道具、手先だった
わけです。ひどい話しです。前にも申しましたが、私がこうした時
の中国側党幹部でもし干渉の意図、党破壊や組織分裂の嫌がらせの
意図がなかったのだったら、まず寮生にたしなめます。学生の本文
はどうしたのかとね。それも、66年に壁新聞が張りだされた時点
ですでにこの措置をとったでしょうね。そして事件直後だったら、
自分で乗り込んで、話しあいで、そのMK氏の件で事実関係の確認を
してもし事実ならけん責や会員資格の剥奪などを相手に要求するで
しょうね。党の方針だったら、この”功績”を認められても良いで
しょうが、その後MK氏はこの功績で友好協会内で、または日本共産
党内で出世したでしょうか。そんな証拠はどこにもありません。
北京放送は、即座にこの学生の行動を称賛激励しました。どんな意
図があったのでしょうか。一体、本国党と政府は守るべき責任のあ
る寮生の学業を大切に思っていたのでしょうか。それとも「謀反に
は道理がある」とか指導者から言われると、もうどうしようもなく
て、ただただ寮生を応援したのではないか。

それと、社会主義学生同盟ML派だとか、(左派)だとか(正統)
だとかいう人士がどんどん結集してくる。電気も切られる、夜中
の間一睡もできずにおびえて夜を過ごしたでしょうね。トイレに出
たら暴行されたのを、まるで自分ですべったかのように言い出した
り、食堂から自由に出入りできた、とその夜(28日)の暴行を
まるでなかったかのように描き出したり、そのあたりのやり方が
日本人のこれらの人士の知恵が入って、ケタ違いに磨きがかかり
ますね。ただし、マイノリティな留学生だという点をどうしても
強調したいので、寮生はごく少数、まったく無防備で凶器もなし、
加勢した名うての反共人士もなるたけ伏せておく、暴力は一切日本
共産党側、という戦術をとる必要があったのでしょうね。そもそも
暴力を本国では正当化する中国共産党が、どうして一切の暴行を
しないマイノリティだなどとちょこざいな細工をする必要がある
のかというと、やはり日本共産党全体への打撃としてこうした宣伝
で使えるからではないかな。そうでなければ「勇敢な日本の紅衛兵」
ともっと称賛してもいいのですが。そこは日本的なローカライゼー
ションが添加された高等戦術ですね。日本共産党の正統防衛論を
陰謀の根源とする側が、正当防衛どころか無制限の「血の債務」を
呼号する。これは自己矛盾です。華僑総会はその点でも正直で、日
本の反共人士の筋書きに囚われず、むしろ思いのたけをストレート
に表現したのですな。

もし自分が事務局員だったら、彼らのとった行動そのままに事務所
に閉じこもるしか方法はなかった気がしますし、「閉じこめられた」
と知った共産党の幹部だったら、それは妨害を排除して正統防衛権
を行使しただろうと思います。特に亜細亜通信だとか国貿促だとか
で反共の日本人がやはり中国共産党の指示の下に暴力的な対決を
しかけてきて数日の間を置かない状態では。これはどんな雰囲気だ
と思いますか。

[58] Re^3: RE「つまみよみ」8 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/30(Sat) 17:21
> 「協会の武井勝常務理事らが、紅衛兵の暴力行為で会館に抗議に行
> ったときに、守島理事長は武井さんに、こんなことを言っている。
> 『あなたがたは紳士的だが、華僑学生は困る・・・』」
>

20歳前の青年というのは、大人から見ればとてもやっかいなものです。
そのような青年が数十人も寮生として住んでいるのだから、会館側も扱い
づらかったとは思います。

> 時間を2月28日からに限り、寮生対日本共産党という図式だか
> らそうなります。友好協会ってその本部を分裂させられる、資金
> を持ち逃げされる、なんか悪者として北京放送その他で挑発され、
> その影響を受けた寮生らが毎日つっかかって険悪で緊張した状態
> がつづく、営業妨害は無論あるし、「中国人入るべからず」等と
> いう偽の張り紙など無数に嫌がらせをされる。なんだか資金を持
> ち逃げして分裂して出た者や、知らない日本人の粗暴な人士らが
> 有象無象に加勢してくる。酷い状態ですよね。なぜ猛獣文士さん
> はこの中国共産党の干渉と攻撃の総指揮を見ないのですか。免罪
> するのですか。この当事者である中国党の当時から責任ある地位
> にいた人が、「我われに誤り」と言っているわけです。あなたに
> とっては、コペルニクス的に考えを入れ替えないと、全く受け入
> れられない事かも知れませんけれど。つまり「中国人が敵」とか
> 「反中国」なのではなくて「毛沢東思想のおしつけ」を拒否する
> たたかいだったわけです。
>

色々厄介なことが起こったことについては、日本共産党に大きな責任があると思いますよ。
「正当防衛」だから「権威のない連中をひとひねりにする」などといって、武装部隊を動員
して暴行されたら、そのような原因を作った人たちと平和的に暮らすことはできなくなるで
しょう。

> この「その後」がよくわかりません。
> ・やるきがあれば、もっと3階4階に攻めていけた
> ということは、確かにあると思います。「でていけ」が不当
> だと頑張っているだけでしょう。暴力を正当化する路線
> に従ったわけでなかった事をむしろこれが証明します。
>

これについては、現場写真が残っています。華僑学生側が歩いている後に、ヘルメットをかぶり
棍棒を持った武装部隊がにらんでいるもの、その後、襲撃しているところなど。

> |とりあえず、壁新聞が破られたのは、事実です。これは、赤旗紙
> |にも書いてある。赤旗紙の記事は、「誰かが破った」といったり、
> |「風で破れた(日中友好協会声明)」といったり、言い訳がまし
> |いところがあります。
>
> 党の路線として破る事を何も正当化してないから、感知しない
> ということではないかな。それと、誰が破いたかを知らない
> 者は「風が」ということも「雨が」ということも「誰かが」という
> ことも当然あるでしょう。ここの文言をその食い違いがどうこう
> というのはやはり根本的な問題ではないと思いますね。

日中友好協会の声明では、非常に断定的に「この日、壁新聞はすでに風にあふられて破れていたのであり、
事務局員が破ったというのはまったくのいいがかりにすぎない。」といっています。このような断定をする
根拠は、なんだったのか知りたいものです。


> 知らない事を
> 確定的に申すことはできませんがMKという人がそれをした、また
> 寮生と口論になり一方的に殴打したというのが寮生側の主張ですね。
> ただしこの2人は友好協会側の確認や指示の下にではなくて個人
> で2人だけで壁新聞の所で争っていて、その確認が目撃者とか
> があるわけではない。「殴られた」とした寮生は仲間に必死で
> 訴えたでしょうね。「俺は見たんだ、壁新聞がニセ日中の奴に
> 破られるのを、そんで俺が抗議したら殴ってきたんだよ」ってね。
> 当事者同士が何か衝突しただけです。青柳氏の論文を読んだ友好
> 協会員がそれに影響されしでかしたというのは無理があります。

殴打事件の後、寮生が複数の人数で協会に押しかけ、文句をいおうとしたところ、協会事務局員の小山慎平さんが出て
きて、結局、非を認め、謝罪文を書いたというのが光岡論文や不再戦の思想の論調。この謝罪文は写真が残っています。

赤旗側では、寮生がなんくせをつけにきたので、小山事務局員が「俺が話をつける」といって出て行ったところ、みんなで
囲んで暴行したと。しかし暴行の度合いは、赤旗紙の日付が新しくなるにつれて、どんどんエスカレートします。同じ
出来事の説明が日を追って激しくなるのはなぜでしょう。

> 逆に「ニセ日中」「反中国」だと北京放送から毎日吹き込まれて
> いた寮生は、突発的に事件を引き起こすこともありうるでしょうね。
>

北京放送でそのようなことをきいたのは覚えていません。しかし、そのころの放送はほとんど覚えていないから、
なんともいえませんが。しかし、北京放送でそのような内容を語るとしても、流血事件の後ではないですか。

> 「これは反中国だ」絶対許せない。だから「でていけ」と尚更
> 自分で興奮して集団ヒステリーのようになって行ったのでしょう。
> だからそれが押しかけての集団暴行になり(このときは武器はない)
> また閉じこもったのを見たら相手がその扉の向こうにいるのを感じる
> と嫌がらせをしたいと思ったり、逆に恐怖感もあったでしょうし
> 通常考えられないバリケード構築ということになったのでしょう。
> この夜の寮生の行動を全体として謀略とは言えないかも知れない。
> ただヒステリーではあります。毎日「日本の一部の修正主義者が」
> というような文言を北京放送がしているのを耳にしていればね。
>

動員をかけて、多数の人がいたことは事実だと思います。写真が残っている。

> 前に「中国人入るべからず」という偽張り紙をした件でも、入れろ
> 入れさせないと普通で考えられない緊張関係を感じさせる押し問答
> があったとされています。もう一触即発、何があってもおかしくない
> 状態だったのでは? そしてね。それを黙認し、指導のもとに進めた
> のが中国共産党だったのですよ。

中国映画会になぜ寮生を入れなかったのでしょうか。「今日は中国人はいれない」などと、日中友好協会の事務局員が
いったとされているのですが。その腹いせにニセビラをはったとも。

> つまり干渉の道具、手先だった
> わけです。ひどい話しです。前にも申しましたが、私がこうした時
> の中国側党幹部でもし干渉の意図、党破壊や組織分裂の嫌がらせの
> 意図がなかったのだったら、まず寮生にたしなめます。学生の本文
> はどうしたのかとね。それも、66年に壁新聞が張りだされた時点
> ですでにこの措置をとったでしょうね。そして事件直後だったら、
> 自分で乗り込んで、話しあいで、そのMK氏の件で事実関係の確認を
> してもし事実ならけん責や会員資格の剥奪などを相手に要求するで
> しょうね。党の方針だったら、この”功績”を認められても良いで
> しょうが、その後MK氏はこの功績で友好協会内で、または日本共産
> 党内で出世したでしょうか。

協会側の人たち、MK氏、小山慎平事務局員、NI子さん。皆、実名ででてきます。その人たちはその後どんな人生を
送ったのでしょうか。私も知りたいです。

以降の書き込みについては、私には分かりかねるので、コメントできません。

[36] 復讐史観? 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/25(Mon) 01:26
|また、日本共産党員といっても、その前に日本人です。日本が中国
|に対して行なったひどいことと無縁であり得るのか、疑問です。

なんだか、ガクっとしました。
あなたの尊敬する毛沢東主席が64年に日本共産党の第九回大会
にどのような祝電を寄せたか、ぜひご覧下さい。あなたの立場
は当然中国共産党の立場とは違うでしょうが、当時も、それから
関係修復後わかったことですが、抗日戦争を記念した展示館の
展示などでは関係断絶中もずっと、そして98年の両党合意後の
認識としても、あなたの見方と、故毛沢東首席やその後の中国
共産党の指導者の認識との違いはかなりあると見えますね。

それから日中戦争で日本がどうにかしたから、というような
文言を差し挟みますと、今度はたとえばスターリンが日本に
対して戦後行った北方領土の乱暴な占領などの時に彼が発言
した「日露戦争の復讐だ」という発言を想起してしまいます。
何を言っても復讐史観だと日本人には見られますよ。

それはそうと、前回、探求的な誠実な態度を期待したのですが
例の宮森氏の引用からきたキャプションですね。本日の時点
ではまだ改まっていません。キャプションだけでも、改めて
ご自分で確かたうえ、書き換えの文を検討するまで、掲載をみ
合わして置くというのも知恵かも。ほんにあなたのそもそも
のご趣旨を傷つける、それとも元からそんなに理想高くなか
ったのか?と疑わせるような損で不用意なキャプションであ
りました。

[39] Re: 復讐史観? 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/25(Mon) 21:26
> なんだか、ガクっとしました。
> あなたの尊敬する毛沢東主席が64年に日本共産党の第九回大会
> にどのような祝電を寄せたか、ぜひご覧下さい。あなたの立場
> は当然中国共産党の立場とは違うでしょうが、当時も、それから
> 関係修復後わかったことですが、抗日戦争を記念した展示館の
> 展示などでは関係断絶中もずっと、そして98年の両党合意後の
> 認識としても、あなたの見方と、故毛沢東首席やその後の中国
> 共産党の指導者の認識との違いはかなりあると見えますね。
>
> それから日中戦争で日本がどうにかしたから、というような
> 文言を差し挟みますと、今度はたとえばスターリンが日本に
> 対して戦後行った北方領土の乱暴な占領などの時に彼が発言
> した「日露戦争の復讐だ」という発言を想起してしまいます。
> 何を言っても復讐史観だと日本人には見られますよ。
>

先の戦争で日本は中国に対して、あるいはアジアにたいして、ひどいことをしたと思います。
このようなことは、大阪の人さんには、言うまでもないことだと思います。

それについての戦後処理は、現在でも本当にきちんと行なわれているのかどうか、私はよく
分かりませんが、少なくとも1967年の時点では、まったくきちんとは行なわれていなかったこと
は、否定できないはずです。私は、そのような日本と中国の根底的な関係から、日本共産党の
人びとだけが無縁であるかどうか、疑問であるといっただけです。大阪の人さんが、このような
私の疑問点をを理解した上で、復讐史観と呼ぶのならば、それは単に史観の命名の問題でしょう
か。私は、このような視点は、合理的な見方であると思います。

> それはそうと、前回、探求的な誠実な態度を期待したのですが
> 例の宮森氏の引用からきたキャプションですね。本日の時点
> ではまだ改まっていません。キャプションだけでも、改めて
> ご自分で確かたうえ、書き換えの文を検討するまで、掲載をみ
> 合わして置くというのも知恵かも。ほんにあなたのそもそも
> のご趣旨を傷つける、それとも元からそんなに理想高くなか
> ったのか?と疑わせるような損で不用意なキャプションであ
> りました。

国会図書館で「東風西風」をさがしたのですが、見つからなかったことは事実です。しかし、
そのことをもって、宮森氏が嘘をついているというようなことは、書いていません。大阪の人
さんが、大阪市立図書館で記事があることを確認してくれたので、それが探し方によっては
見つかるということは、認識しています。しかし、資料の収集は時間のかかることなので、
今日明日にすぐに資料を取り寄せるというような約束はできません。人的資源も時間的余裕
も、無制限にあるわけではないので、その範囲で、資料収集および、ページ作成をしていく
しかないのです。この点はご了承いただきたいと思います。

次に、宮森氏の本は、国会図書館でコピーしてきたのですが、国会図書館では一冊全部を
コピーするというようなことはできません(著作権の問題があるそうです)。そこで、
私が持っているコピーは、「文革礼賛者たちの節操」の150ページから155ページまで
だけです。それ以外の部分にも、面白そうな記述がありましたが、コピー枚数や回数が、
制限されているのです。他にも、必要なコピーが多数あったのです。

善隣学生会館事件を扱っているこの部分を見ると、はっきりいって不正確な記述が目立ちます。
まず、華僑学生が「中国人はいるべからず、日中友好協会」というビラを貼ったという事件に
ついてですが、この事件は、赤旗紙に多数記述されているほか、別の視点から、寺尾五郎の
「日中不戦の思想」にも記述されています。同一の事象について、両方の側から記録がある
事実は、事件全体の真相を解明する糸口を与えるものとして、重要だと思っています。この、
ニセビラの事件は、1967年2月24日に日中友好協会が本部事務所で中国映画会をひらい
たときに起こったという点では、両者の資料が一致しています。

ところが、宮森氏の著書では、ニセビラが貼られたのではなく配布されたという、原資料と
食い違う記述をしているだけでなく、華僑学生が壁新聞をはったこと、ニセビラ事件、さらに
日中友好協会が中国人を「チャンコロ」といったというような宣伝をしたという華僑学生・
正統本部側の「卑劣」な策動があったことを指摘したあと、

「1967年に入って、事件はついに暴力事件にまで発展し、……」

と続けています。この文を素直に読むと、ニセビラ事件は、1967年よりも前、つまり
1966年に発生したと読めます。また、中国人学生を「チャンコロ」と悪罵したという事実の
指摘についても、それが本当かどうかは別として、華僑学生側の資料でこのような事実があった
というのは、2月28日から3月2日までの間に、動員された共産党または民青同盟の人達とが
そのようなことをいったとなっています。

このような点から、私は、宮森氏のこの著作の善隣学生会館の事件についての記述は、基本的な
資料としては採用できないと判断したわけです。これは、宮森氏個人に対する特定の評価を表す
ものではありません。

[37] Re: 復讐史観? 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/25(Mon) 12:08
|毛沢東主席は現在でも中国で尊敬されています。天安門前には、
|彼の肖像画が飾られているのは、多分大阪の人さんも知っている
|と思います。中国の人間で、彼が性格異常の犯罪者だと思っている
|人は少ないのではないでしょうか。

-「尊敬」が誤った個人崇拝になって
「閻魔殿を打ち倒して、小鬼を開放しよう。私はこれで、一般に中央
諸機関が悪事をしでかしたら、地方に造反をよびかけ、中央に攻撃
をかけねばならぬと主張してきた。地方はうんと孫悟空を送りだし
天宮を騒がすべきだ(『毛沢東思想万歳』)。(抄)」

「歴史がすでにあきらかにしているように、『文化大革命』は、指
導者がまちがってひき起こし、それが反革命集団に利用されて、
党と国家と各民族に大きな災難をもたらした内乱である」「毛沢東
同士の左よりの誤った個人崇拝が熱狂的に鼓舞された」「『文化大
革命』で打倒された『走資派』は、党と、各級組織における指導的
幹部、つまり社会主義事業の中核的な力であった。党内には・・・
『ブルジョアジーの司令部』というものは、まったく存在しな
かった」(中国共産党第十一期第六中央委総会「建国以来の若干の
歴史問題についての決議(抄)」)

|また、日本共産党員といっても、その前に日本人です。日本が中国
|に対して行なったひどいことと無縁であり得るのか、疑問です。

-64年に毛沢東は
「中国共産党と日本共産党、および中国人民と日本人民は、共同の
敵に反対する長期の共同闘争の中で一貫して互いに支持し、互いに
はげましあってきました。日本共産党は、中日両国人民の友誼と団
結を強める事業の中で、すぐれた貢献をしています。日本共産党と
日本人民は、中国共産党と中国人民がけっしてかわることなくあな
たがたの側にたち、あなたがたの偉大な正義のたたかいを断固支持
することを確信することができます(日本共産党第9回大会によせ
た中国共産党中央委員会毛沢東主席名の祝辞)。」

-98年両党合意の首脳解題の席で
「時間が限られていますので、端的にいくつかの問題にしぼり、日中
両国関係の問題化から始めたいと思います。
新しい世紀を前にして、日本と中国との関係がよってたつべき原則的
な方向を整理して展望することが必要になってきていると思います。
日中国交回復と日中平和友好条約の締結以後、両国関係の大きな流れ
は前向きに発展していますが、なかには逆流もあります。そういうこ
とも考え、この機会に、日中関係を律すべき五原則を提起したいと考
えます。
第一に、日本は、過去の侵略戦争についてきびしく反省する。
第二に、日本は、国際関係の中で「一つの中国」の立場を堅持する。
第三に、日本と中国は、互いに侵さず、平和共存の関係を守り抜く。
第四に、日本と中国は、どんな問題も、平和的な話しあいによって
解決する。
第五に、日本と中国は、アジアと世界の平和のために協力しあう。
この五原則です。
私たちは、これらの原則を、現在の保守的政権のもとでも両国関係の
基本とすることを主張し、そのために活動するし、将来、民主的な政
権が生まれたときには、これを日本の国策として堅持するつもりです。
(江沢民総書記との会談の中で不破哲三幹部会委員長発言)(抄)」

|なお、私は、立花隆の「日本共産党の研究」をだいぶ参考にしています。

前回の「内部問題不干渉」の原則などの話は「デフォルト」でわかって
おられると思っていたのと、立花氏の本の話がでてきたのとをあわせて
猛獣文士さんが、中国共産党の路線の上からも、あまり正規の共産党の
理論にはお詳しくなく、どちらかというと日本で共産党や共産主義に反
対する立場を、ずっと参考にされてきたのだなという感慨があります。
それがあえて失礼を覚悟で言いますと、素朴で強烈な毛沢東氏への尊敬と
奇妙に同居しておられる。「日本共産党憎し」は日本人の職業的な反共
人士や日本人の”盲従分子”からうけつぎ、毛沢東崇拝は中国のものを
そのまま保持し、毛沢東自身がうちたて、その後毛沢東が乱暴に踏み破り、
毛沢東死去後にそれをまた再興してうちたててがんばっている中国共産
党の諸理論にはそれほどご関心がないという、(毛沢東自身が踏み破る
事態のさなかに参加されたのですから、当然ですな)一方的干渉の時期
の不幸な両国両党関係を一身に体現されたお立場だなと思いました。

当時の中国党は、干渉の手足にした者を、きちんと党の理論で教育
する余裕がなかった、「日本共産党は妖怪だ」というような憎悪を
大衆に植え付けていたのだなと思いました。

ちなみに、この頃の、日本共産党は、大会決定の読了とかでは、半分
ほどの人がきちんと読了もしないと党はそれを嘆いていますが、この
9大会決定や、ソ連中国の干渉とたたかった当時は、ほとんど全党が
党の生死にかかわる重大問題だと、きちんと理論を学習していたもの
です。従いまして「文革」礼賛者を「妖怪よばわり」するような必要
はありませんでしたし、いつぞやもご指摘でしたが、反中国なんて事
は党の創立以来堅持した方針への、無理解としか言いようがありませ
ん。日本の侵略戦争に反対した伝統と、日本の軍備拡張や日米安保
条約反対、また当面は台湾を安保の範囲に入れさせないたたかいなど
とはまっしぐらにつながっています。

|私は、善隣学生会館事件は非常にひどいことだったのではないかと
|思ってきたのであり、その点について、詳しく知りたいと思って
|いるのです。

単に「ひどいことだった」という観点からだけこれを見るのではない
とそもそも趣旨に述べられました。あの趣旨の観点は保持した上で、
事態の本質を曇りなく探求する立場を今も捨ててないのでしたら、私
は参考にさせてもらう所も多いので今後も立ち寄らせて頂きます。

ちなみに「日本と中国」紙や、当時の「文革」礼賛者の言動、「文革」
当時の日本共産党憎しの反共の人士がどのように「文革」にことよせて
日本共産党攻撃の言動を繰り返したか、ということは、収録するのに
一定の資料的価値があると思います。今この猛々しい言動を繰り返した
人々は何を思ってこれを読み返すのか、マジマジと聞いてみたい気も
します。

[10] リクエスト3編 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/13(Wed) 14:25
リクエストしたい3つの文書
【・張香山のインタビュー】(朝日新聞)
『日本共産党と中国共産党の新しい関係』にある1998年7月29日
不破 記念講演「日中両党関係正常化と首脳会談について」の
中で述べられている、朝日新聞が1997年8月頃おこなったという
中国の党の60年代の中連部関係者張香山のインタビュー記事
(不破が「あのときの<断絶の主な責任は中国側にある>という
ことを<朝日>の記者に公然と語ったという話でした」と解説し
「これは、中国側のその種の発言としては最初のものでした」と
強調しているものです)。この張香山の朝日の記事が見たいです。

ただし、つづけて、「中連部の一番古い人でも、干渉当時、こと
に関わったという人は(98年時点)一人もいないのです。この問
題の最大の権威者が、先ほど紹介した張香山という人なんです。
この人は当時の会談にはだいたいかかわっていて経過をよく知って
いるけれども、そのあとおきた干渉の全貌については、あまり詳
しく知らないようでした。」とも不破が述べているので、日本で
の事件の経過はこの発言などでは詳らかではないかも知れない。

しかし「断絶の主な責任」ということは、単にコミュニケ破棄とか
会談の経過だけでない中国党内の方針全般にかかわって述べている
可能性があると思います。つまり「従わない日本共産党は打倒だ」
と決めた毛沢東指導部の方針をナマで聞いた可能性ある関係者だと。

そもそも、66年の日中両党会談が何の合意も得られず、コミュニケも
破棄というような経過は、日本共産党の側からしか当方は耳にして
いないわけですが、北京の紅衛兵の壁新聞はともかく、中国党の側か
らのこの会談の一連の経過にかかわる「始末記」は読んだ事がない。
日本共産党が主張する内容だけだとしたら、「日本共産党側が、これ
を理由に昨年春から反中国に変った」という会館側主張はここだけで
その根拠を全面的に失う可能性があります。中国の党の当時の関係者
張の発言は不破ならずとも注目してしかるべきです。

これに関連して
【・毛沢東「講話」】1966年の会談の4月後?(毛沢東選集?)
最初に「中日両国人民の共通の4つの敵(の一つ)」と日本共産党を
規定したというもの。これの日本語訳が読みたい。またいつの時点で
「4つの敵(の一つ)」と規定したかという日付も見たい。この講話
を震源地として日本の騒動が動いている可能性が高い。どのような
行動、どのような主張をもって日本共産党を敵と規定したか。

【・東京地裁の「仮処分命令」の公文書】(東京地裁?)
これがおりて、一応3月2日ですか、大型の衝突事件は収束の方向に
向かったとあります。ここには、どのような文言が書かれているか。
これに双方が従ったとしたら、一定の根拠ある認識だったということ
になるし、これが事実が違うとしたら、仮処分だけに留めずに、一方
が、あるいは双方が仮処分の無効を言い立てて刑事事件や民事事件に
するということが考えられます。また、どちらが、どのような主張で
どのような決定を求めて仮処分を願い出たのかも重要です。

[12] Re: リクエスト3編 投稿者:管理者 投稿日:00/09/13(Wed) 21:14
> リクエストしたい3つの文書
> 【・張香山のインタビュー】(朝日新聞)
> 『日本共産党と中国共産党の新しい関係』にある1998年7月29日
> 不破 記念講演「日中両党関係正常化と首脳会談について」の
> 中で述べられている、朝日新聞が1997年8月頃おこなったという
> 中国の党の60年代の中連部関係者張香山のインタビュー記事
> (不破が「あのときの<断絶の主な責任は中国側にある>という
> ことを<朝日>の記者に公然と語ったという話でした」と解説し
> 「これは、中国側のその種の発言としては最初のものでした」と
> 強調しているものです)。この張香山の朝日の記事が見たいです。
>
> ただし、つづけて、「中連部の一番古い人でも、干渉当時、こと
> に関わったという人は(98年時点)一人もいないのです。この問
> 題の最大の権威者が、先ほど紹介した張香山という人なんです。
> この人は当時の会談にはだいたいかかわっていて経過をよく知って
> いるけれども、そのあとおきた干渉の全貌については、あまり詳
> しく知らないようでした。」とも不破が述べているので、日本で
> の事件の経過はこの発言などでは詳らかではないかも知れない。
>
> しかし「断絶の主な責任」ということは、単にコミュニケ破棄とか
> 会談の経過だけでない中国党内の方針全般にかかわって述べている
> 可能性があると思います。つまり「従わない日本共産党は打倒だ」
> と決めた毛沢東指導部の方針をナマで聞いた可能性ある関係者だと。
>
> そもそも、66年の日中両党会談が何の合意も得られず、コミュニケも
> 破棄というような経過は、日本共産党の側からしか当方は耳にして
> いないわけですが、北京の紅衛兵の壁新聞はともかく、中国党の側か
> らのこの会談の一連の経過にかかわる「始末記」は読んだ事がない。
> 日本共産党が主張する内容だけだとしたら、「日本共産党側が、これ
> を理由に昨年春から反中国に変った」という会館側主張はここだけで
> その根拠を全面的に失う可能性があります。中国の党の当時の関係者
> 張の発言は不破ならずとも注目してしかるべきです。
>
> これに関連して
> 【・毛沢東「講話」】1966年の会談の4月後?(毛沢東選集?)
> 最初に「中日両国人民の共通の4つの敵(の一つ)」と日本共産党を
> 規定したというもの。これの日本語訳が読みたい。またいつの時点で
> 「4つの敵(の一つ)」と規定したかという日付も見たい。この講話
> を震源地として日本の騒動が動いている可能性が高い。どのような
> 行動、どのような主張をもって日本共産党を敵と規定したか。
>

中日両国人民の4つの敵という規定を、誰が何時頃おこなったのかという問題は
たしかに、興味深い問題です。

不破哲三氏によると、1966年7月21日の毛沢東の「講話」の中で、

「文化大革命に反対するものはだれか?アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、
日共修正主義、そして日本反動派である」

とのべたとしています「中国覇権主義とのたたかい」11ページ(1992年新日本出版社)。

しかし、そのような講話を実際に記録している文献を、私は知りません。前掲書でも
実際の引用先を示していないので、真偽の程は不明です。毛沢東選集1―4巻は、
日中共産党断絶以前には日本共産党系の出版社でも出版していたもので、
もちろん、上記のような驚くべき講話は収録されていません。第5巻は、かなり後から
出版されたものですが、その中にあるかどうかは不明です。

当HPに収録している宮本顕治氏の「毛沢東との最後の会談(1977年)」にも、そのような
記述はありません。

今後の研究に待つしかありません。

> 【・東京地裁の「仮処分命令」の公文書】(東京地裁?)
> これがおりて、一応3月2日ですか、大型の衝突事件は収束の方向に
> 向かったとあります。ここには、どのような文言が書かれているか。
> これに双方が従ったとしたら、一定の根拠ある認識だったということ
> になるし、これが事実が違うとしたら、仮処分だけに留めずに、一方
> が、あるいは双方が仮処分の無効を言い立てて刑事事件や民事事件に
> するということが考えられます。また、どちらが、どのような主張で
> どのような決定を求めて仮処分を願い出たのかも重要です。

裁判の資料の入手方法は、不明ですが。研究課題でしょうか。

ところで、裁判の主体は、(財)善隣学生会館理事会と日中友好協会
でしょうか。日中(正統)や後楽寮自治会や、いわゆる日本共産党の
いう「盲従分子」、「トロツキスト」などは、裁判闘争以外の方法でも
闘いを模索していたと思います。

ところで、善隣学生会館の流血事件の正確な事実関係を知るということも
大事だと思います。

[13] Re^2: リクエスト3編 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/14(Thu) 15:44
|不破哲三氏によると、1966年7月21日の毛沢東の「講話」の中で、
|「文化大革命に反対するものはだれか?アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、
|日共修正主義、そして日本反動派である」
|とのべたとしています「中国覇権主義とのたたかい」11ページ(1992年新日本出版社)。

うむー。猛獣文士さんと当方とは、ほとんど同じような資料を
モニタのこちらとそちらで読み合わせているようですな(^^;)

同じく不破哲三著『ソ連・中国・北朝鮮-三つの覇権主義』P88日本共産党を
「文革」の主敵と規定 の中でもう少し立ち入った紹介がありました。

「中央の責任者への講話」という題名のようです。出典はありません。

|しかし、そのような講話を実際に記録している文献を、私は知りません。
|前掲書でも実際の引用先を示していないので、真偽の程は不明です。
|毛沢東選集1―4巻は、日中共産党断絶以前には日本共産党系の出版社でも
|出版していたもので、もちろん、上記のような驚くべき講話は収録されていません。

なるほど。選集は断絶以前の本ですよね。収録の時期から言
っても、編集に入るわけがない。その後の毛沢東の発言として
収録されたまとまった著作は日本語出版はないのでしょうか?
しかし、猛獣文士さんにして「4つの敵」の原典はご存知ない
とのこと。皆さんどのようにして「4つの敵」という概念規定
を日本で受容されていったのか、非常に興味があります。「4つ
の敵」という言葉自体しごく当然のように用いられていたと
思いますが。

|裁判の資料の入手方法は、不明ですが。研究課題でしょうか。

判決は国民全体にしらしめる公文書ですから地裁に行って、判決文
を見ることは公開されているのではないでしょうか? 当方は大阪
におりますので、なかなか行きにくいのですが。事態がどのような
ものであったのか、かなり客観的な資料になると思います。たがいの
関係者の発言や宣伝だけで伺い知れない事実認定があるはずです。
まずこのような「事件」のあらましを解明するような場面では第一
にあたるべき原資料かと。あと、時期が一定特定できますので
もしかしたら破産などの宣告などと共に「官報」に記載されている
可能性もありますね。

それと、朝日の張香山インタビューもお願いします<(_ _)>。

|日中(正統)や後楽寮自治会や、いわゆる日本共産党の
|いう「盲従分子」、「トロツキスト」などは、裁判闘争以外の方法でも
|闘いを模索していたと思います。

どのような資料を集められるかはご自由です。但し地裁の仮処分と
いうのも重要な第一級の原資料であると私は思います。特に地裁の
仮命令がおりて以後収束に向かっている事に着目しています。何を
もって、どのような意図で、どの側から開始されたのか、その渦中
に何が争われたのか、どの時点で、何を契機に収束に向かったのか。
特に裁判所という権力機関に申し出る場合ですから、訴訟ごとの中
で突っ込まれるスキを与えないために、双方とも言葉を慎み、なる
たけ事実をもって語るようにしているはずです。その双方の告発や
それを当時の地裁がどのように調べて認定したかというのがこの資料
の重要な点です。

それから猛獣文士さんのペンネームの元になっている”盲従分子”
ですが、これは猛獣文士さんのような中国人に投げつけられたレッテル
ではありません。日本共産党に反対することを目的として活動して
いた外国党に影響を受けた日本人に第一義的には向けられた言葉であ
ると思います。これまで読んだどの日本共産党側資料でも、華僑中国人
に対しては、「中国人」としか書いていません。近親憎悪というもの
は近親に向けられます。日本人の中で日中友好運動をしていたのが
突然組織を割って出てゆくとか、毛沢東がこう言ったというような事を
日本人がトクトクと言うのをののしった言葉であると思います。

|ところで、善隣学生会館の流血事件の正確な事実関係を知るということも
|大事だと思います。

正確な事実関係は、ミクロにも、またマクロにも見る事ができると
思います。地裁の仮処分などはミクロの方。張香山はマクロの方から
のアプローチの一つかと。何しろ青柳氏の「正当防衛」論文とかは
取り上げられています。これも、言わばマクロな発言で、これを善隣
会館の序曲、自己正当化宣言とするのもマクロ流だと思いますが。

[14] Re^3: リクエスト3編 投稿者:管理者 投稿日:00/09/15(Fri) 09:39
>
> 同じく不破哲三著『ソ連・中国・北朝鮮-三つの覇権主義』P88日本共産党を
> 「文革」の主敵と規定 の中でもう少し立ち入った紹介がありました。
>
> 「中央の責任者への講話」という題名のようです。出典はありません。

この本は、注文しました。

>
> |裁判の資料の入手方法は、不明ですが。研究課題でしょうか。
>
> 判決は国民全体にしらしめる公文書ですから地裁に行って、判決文
> を見ることは公開されているのではないでしょうか? 当方は大阪
> におりますので、なかなか行きにくいのですが。事態がどのような
> ものであったのか、かなり客観的な資料になると思います。たがいの
> 関係者の発言や宣伝だけで伺い知れない事実認定があるはずです。
> まずこのような「事件」のあらましを解明するような場面では第一
> にあたるべき原資料かと。あと、時期が一定特定できますので
> もしかしたら破産などの宣告などと共に「官報」に記載されている
> 可能性もありますね。
>

閲覧はできるようですが、コピーは利害関係者でないとできないらしい
です。

> それと、朝日の張香山インタビューもお願いします<(_ _)>。
>

これは、国会図書館でしょうか。1997年8月ごろの朝日新聞。少し、あいまい
ですが。

>
> |ところで、善隣学生会館の流血事件の正確な事実関係を知るということも
> |大事だと思います。
>
> 正確な事実関係は、ミクロにも、またマクロにも見る事ができると
> 思います。地裁の仮処分などはミクロの方。張香山はマクロの方から
> のアプローチの一つかと。何しろ青柳氏の「正当防衛」論文とかは
> 取り上げられています。これも、言わばマクロな発言で、これを善隣
> 会館の序曲、自己正当化宣言とするのもマクロ流だと思いますが。

整理しますと、

1.朝日新聞の記事
2.毛沢東主席の講話
3.裁判所の記録

ということになります。どれも、なかなか難しい資料なのですが、入手できるよう
努力したいと思います。

[15] Re^4: リクエスト3編 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/15(Fri) 21:07
|1.朝日新聞の記事
|2.毛沢東主席の講話
|3.裁判所の記録

はい。2は「4つの敵」規定の発端が知りたいのです。もしか
したら誰か別の人物の発言や論文の中で「毛首席は」と間接話法
で述べられている可能性もありますが。不破氏も「らしい」と
いうようなニュアンスで書いています。

|1997年8月ごろの朝日新聞。少し、あいまいですが。

入手に困難なものが多いと思います。お世話さまです<(_ _)>。

|閲覧はできるようですが、コピーは利害関係者でないと
|できないらしいです。

役所ってこの式が多いですね。コピー機や写真撮影は不可でも
手で筆写は可というのもありますが(^^;)(^^;)ダメかな。
法廷も写真は開始前まで許されるけれど、開廷中は不許可で、
新聞記事などには似顔絵なんてのが登場する。
奇妙なしかけです。

|>不破哲三著『ソ連・中国・北朝鮮-三つの覇権主義』P88
|この本は、注文しました。

昨日、注文していた『日本共産党重要論文集5,同6』が届き
ました。これで3から7まで、事件の前後関係の日本共産党自身が
重要となす論文はほぼ揃った勘定になります。あとは小島優著の
「日中両党会談始末記」がない。あれは立ち読みで読み終えたが・・

ところで、収録文書なんですが、この「重要論文集」には
たとえば67年3月15日だと「在日華僑学生らの襲撃事件について、北
京放送などのわが党と日中友好運動にたいする攻撃に反論する」と
いうのが<重要論文>として収録されています。これと67年3月19日「
『人民日報』その他のわが党にたいする不当な攻撃と干渉を糾弾する」
がでてきます。重要論文集で3月に採られているのはこの2編だけです。

あと、発端としての66年会談の直前の日本共産党側の基本姿勢を示し
た2月4日「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を
強化するために」や、その元になった中国共産党の65年11月11日の
「人民日報」「紅旗」両編集部の共同論文「ソ連共産党新指導部のい
わゆる『共同行動』を反ばくする」なんかも重要論文ですね。特に
2月4日論文はまだ入手が比較的容易ですが、中国共産党の論文の方は
どうやって入手すればいいかよくわかりません。何と言っても日本
共産党をソ修や日本反動派と同列・目下の米帝の同盟者だとする論
だての(65年論文自体は日本共産党=敵の規定はもちろんない)基礎
となったものです。

テレビのニュースで中国に日本軍が放置していた毒ガス等の特殊爆弾
の処理が始ったとありました。それにしても第二次世界大戦、日中戦
争の処理の中で、こんな基本中の基本の問題がまだ解決してなかった。
トゲを抜くような作業ですね。

[35] Re^5: リクエスト3編 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/25(Mon) 00:53
リクエストしていたもののうち、毛沢東主席の講話の件ですが
「中国共産党の対外路線の検証-『文革』以後20年の混迷と矛盾」
佐々木陸海著 新日本新書の中で、

|「4つの敵から2つの敵」へ
|毛沢東は一九六六年七月二十一日の談話の中で、「文化大革命に
|反対するものは誰か? アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、日共
|修正主義、そして反動派である」と述べたとされている(『教育
|革命』一九六七年八月十一日付)。

という箇所がありました。この「教育革命」というのは独立した
本の題名なのか、日付が入っているのは、そういう名前の雑誌の
ようなものがあったのか、そこは未だ不明ですが。

しかし、この場合、反動派というのは「日本の反動派」というよう
な限定はないわけで、もしかしたら本命中の本命、日本ローカルな
指導とか理論ではなくて毛沢東の意図がまさにここにあったという
可能性もあります。

是非読んで見たいです。

[16] 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/17(Sun) 12:33
「日本共産党重要論文集6」
1967年5月24日「日中本部襲撃事件にたいする社会党の『通達』について」(抄)
「〜かれらは二月二十八日、日中友好協会本部にたいし数十名で最初の襲撃をくわ
え、三月一日、二日には二百名を動員して長時間の不法監禁をおこない、あまつさ
え日中友好協会役員などに重軽傷をおわせた。かれらが襲撃に使った凶器をはじめ
幾多の物的証拠品、写真類は保管されており、これをみればだれが襲撃したかは明
白なことである。
これにたいし、日中友好協会と支持団体の人びとはやむをえず協会入口で正当防衛
権を行使して、不法監禁を解き、出入りの自由と身の安全を確保したのである。こ
のさい、双方に負傷者が出たが、この責任が、不当な襲撃と監視をおこなった側に
あることは明白である。このことは、日中友好協会がその事務所の正当な占有権の
保全を要求して提出した仮処分申請を、東京地裁までもが、前後四回にわたって、
そのままみとめざるをえなかったという事実経過のなかにもあきらかにされている。」

これを見ますと、地裁の仮処分は「事務所の正当な占有権の保全」に関して日中友
好協会側から申請提出され、1回だけでなく、少なくともこの5月までに4回発せ
られていて、それは事実認定として、すべて間借り人日中友好協会と日本共産党の
側の主張をほぼ全面的に認めている結論になっているようです。

また続く箇所で(抄)
「『通達』はまた、会館理事会は『日中友好協会に対し、・・・契約を解除し、明
け渡しを決定し、口頭及び内容証明付き郵便で申し入れが行われている。更に仮処
分、明け渡し請求訴訟等の法的措置が準備されている』『このまま推移すれば・・
・この会館が・・・日中妨害運動の拠点になる恐れがある』などと言っているが、
これもまたでたらめきわまる主張でもある。
そもそも日中友好協会本部事務所は、昭和三十九年以来、また一部の分子が昨年十
月に脱走した以後も正式正式に名義を変更し、善隣会館理事会とのあいだに正規の
賃貸契約をむすび今日に至っている。
会館理事会が『契約を解除し、明け渡しを決定し』それを『口頭及び内容証明付き
郵便で申し入れ』たようにいっていることも、まったくのいつわりである。会館理
事会を代表する守島理事長は、日中友好協会に『善処方』を要望しているに過ぎ
ない。
『通達』内容が、このように現実を二重三重にねじまげるのは、なぜか。それが日
中友好協会本部を善隣学生会館から負いだそうとする華僑学生や日中友好協会脱走
分子の意図に呼応したものであり、かれらの不法不当な要求を正当化しようとする
意図から出たものであることは、明らかである。」

なんだか少なくとも5月時点までの理事会決定の上の退去要請というのも日本社会
党の線などが喧伝している事とはまったく別の事実が指摘されていて、本当に理事
会がそのような決定を出しているのか、理事会のメンバーの議決にかかわる正統性
とか日時まで含めて争点になってきました。猛獣文士さんがレス下さったように
会館理事会(家主)と3,4階の留学生自治会とは、完全に一致しているわけでは
ないというのがわかってきました。

「日本共産党重要論文集7」
1967年8月21日「撹乱者への断固とした回答-
毛沢東一派の極左日和見主義集団とかれらに盲従する反党裏切り分子の党破壊活動
を粉砕しよう」(抄)

「〜第二に、かれらは、わが党を「修正主義」とか「ソ連修正主義の新しい追随者」
とかののしるにとどまらず、アメリカ帝国主義や佐藤内閣と同列において「中日両
国人民の共同の敵」として公然と敵視の態度をとるにいたりました。前掲『人民日
報』の『国際評論』は、わが党を、「佐藤政府の中国敵視の共犯者」、「日本反動
派の従僕」とよびました。また、六月二十四日の北京放送が放送した中日友好協会
の日中友好協会脱走派の「大会」なるものに送ったメッセージは、わが党を「米帝
国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義指導集団」とならべて「中日両国人民の共
同の敵」と断定し、「4つの敵」の一つにかぞえいれました。」


67年6月16日付けの「人民日報」、24日付けの北京放送で日本共産党側は、はじめて
日本共産党が「4つの敵」のひとつに数えて規定されているのを知ったようです。


「〜第三に、かれらは、わが党にたいする破壊活動をおしすすめるにあたって、職業
的な反革命反党集団であるトロツキストと、公然と野合しはじめました。二月二十八
日以来の日中友好協会本部への暴力的襲撃が、「社会主義学生同盟マルクスレーニン
主義派」と名乗るトロツキスト暴力分子の参加のもとに実行されていることはすでに
周知の事実です。」


この「社会主義学生同盟マルクスレーニン主義派」の加勢という文言は、この8月の
論文だけでなく67年10月10日の「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」(有名な
10・10論文)でもでてきます。でも、その後の不破氏の「3つの覇権主義」や宮森
氏の「文革礼賛者の節操」では消えています。本質からはずれているので割愛した
という事なのか、事実究明の過程で日本共産党側が勘違いだったとして、取り下げ
ちゃったのか、そのあたりの経緯がわからないのですが。猛獣文士さんは、直後の
善隣会館に行ったことがあるとのことですが、この「ML派」の加勢というのは
その時(3月2日直後)にはあったのでしょうか。それともいなかったと確認でき
ますか。

[19] Re: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:管理者 投稿日:00/09/17(Sun) 16:52
> 「日本共産党重要論文集6」
>
> これを見ますと、地裁の仮処分は「事務所の正当な占有権の保全」に関して日中友
> 好協会側から申請提出され、1回だけでなく、少なくともこの5月までに4回発せ
> られていて、それは事実認定として、すべて間借り人日中友好協会と日本共産党の
> 側の主張をほぼ全面的に認めている結論になっているようです。
>

仮処分や、訴訟に関する資料が少し見つかりました。

[1967年]
・日共「日中本部の占有妨害排除」の仮処分申請(3.2)
・日共「二・三階の占有妨害排除」の仮処分申請(3.13)
・執行吏、日共の応援のもとに寮生側の横幕はずす(4.17)
・日共「通行傷害物撤去」の仮処分申請(5.19)
・日共、執行吏、警官の応援のもとに二回に突入(5.30)同(6.5)
・会館側、ニセ日中への「占有移転禁止」の仮処分申請(5.30)
・日共、寮生を「暴行罪」「家宅侵入罪」「脅迫罪」で告訴(11.2)
・日共「占有妨害禁止、障害物撤去」を本訴する(12.4)

[1968年]
・会館のニセ「日中」への「事務所明け渡し訴訟」第1回公判(3.1)
・ニセ「日中」、任光政ら50数人を「傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反、
住居侵入未遂、窃盗、器物毀棄」等で東京地検に告訴(3.3)
・富坂警察署、ニセ「日中」橋爪事務局長等の立ちあいで現場検証(3.3)
・ニセ「日中」、寮生らを東京地検に告訴(9.13)
「中国研究月報」1968年11月号

この告訴というのは、2月28日から3月2日の事件に関するものか、それとも
その後にまだ色々起きたのか。どうも、こぜりあいがずっと続いていたようです。

>
> また続く箇所で(抄)
> 「『通達』はまた、会館理事会は『日中友好協会に対し、・・・契約を解除し、明
> け渡しを決定し、口頭及び内容証明付き郵便で申し入れが行われている。更に仮処
> 分、明け渡し請求訴訟等の法的措置が準備されている』『このまま推移すれば・・
> ・この会館が・・・日中妨害運動の拠点になる恐れがある』などと言っているが、
> これもまたでたらめきわまる主張でもある。
> そもそも日中友好協会本部事務所は、昭和三十九年以来、また一部の分子が昨年十
> 月に脱走した以後も正式正式に名義を変更し、善隣会館理事会とのあいだに正規の
> 賃貸契約をむすび今日に至っている。
> 会館理事会が『契約を解除し、明け渡しを決定し』それを『口頭及び内容証明付き
> 郵便で申し入れ』たようにいっていることも、まったくのいつわりである。会館理
> 事会を代表する守島理事長は、日中友好協会に『善処方』を要望しているに過ぎ
> ない。
> 『通達』内容が、このように現実を二重三重にねじまげるのは、なぜか。それが日
> 中友好協会本部を善隣学生会館から負いだそうとする華僑学生や日中友好協会脱走
> 分子の意図に呼応したものであり、かれらの不法不当な要求を正当化しようとする
> 意図から出たものであることは、明らかである。」
>
> なんだか少なくとも5月時点までの理事会決定の上の退去要請というのも日本社会
> 党の線などが喧伝している事とはまったく別の事実が指摘されていて、本当に理事
> 会がそのような決定を出しているのか、理事会のメンバーの議決にかかわる正統性
> とか日時まで含めて争点になってきました。猛獣文士さんがレス下さったように
> 会館理事会(家主)と3,4階の留学生自治会とは、完全に一致しているわけでは
> ないというのがわかってきました。
>

会館は最後には、「日中友好協会」に立ち退きを要求する訴訟を行なったようです。

> 「日本共産党重要論文集7」
> 1967年8月21日「撹乱者への断固とした回答-
> 毛沢東一派の極左日和見主義集団とかれらに盲従する反党裏切り分子の党破壊活動
> を粉砕しよう」(抄)
>
> 「〜第二に、かれらは、わが党を「修正主義」とか「ソ連修正主義の新しい追随者」
> とかののしるにとどまらず、アメリカ帝国主義や佐藤内閣と同列において「中日両
> 国人民の共同の敵」として公然と敵視の態度をとるにいたりました。前掲『人民日
> 報』の『国際評論』は、わが党を、「佐藤政府の中国敵視の共犯者」、「日本反動
> 派の従僕」とよびました。また、六月二十四日の北京放送が放送した中日友好協会
> の日中友好協会脱走派の「大会」なるものに送ったメッセージは、わが党を「米帝
> 国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義指導集団」とならべて「中日両国人民の共
> 同の敵」と断定し、「4つの敵」の一つにかぞえいれました。」
>
>
> 67年6月16日付けの「人民日報」、24日付けの北京放送で日本共産党側は、はじめて
> 日本共産党が「4つの敵」のひとつに数えて規定されているのを知ったようです。
>

「4つの敵」というのは、日本向けのローカルな規定だと思います。毛沢東主席には
たくさん敵がいたと思いますが、上から数えて、日本共産党が4つ目になるとは思え
ません。

>
> 「〜第三に、かれらは、わが党にたいする破壊活動をおしすすめるにあたって、職業
> 的な反革命反党集団であるトロツキストと、公然と野合しはじめました。二月二十八
> 日以来の日中友好協会本部への暴力的襲撃が、「社会主義学生同盟マルクスレーニン
> 主義派」と名乗るトロツキスト暴力分子の参加のもとに実行されていることはすでに
> 周知の事実です。」
>
>
> この「社会主義学生同盟マルクスレーニン主義派」の加勢という文言は、この8月の
> 論文だけでなく67年10月10日の「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」(有名な
> 10・10論文)でもでてきます。でも、その後の不破氏の「3つの覇権主義」や宮森
> 氏の「文革礼賛者の節操」では消えています。本質からはずれているので割愛した
> という事なのか、事実究明の過程で日本共産党側が勘違いだったとして、取り下げ
> ちゃったのか、そのあたりの経緯がわからないのですが。猛獣文士さんは、直後の
> 善隣会館に行ったことがあるとのことですが、この「ML派」の加勢というのは
> その時(3月2日直後)にはあったのでしょうか。それともいなかったと確認でき
> ますか。

社学同ML派の人たちはいました。日中青年学生共闘会議という組織ができましたが、
そのトップはML派の人でした。

ML派といっても、社学同の統一に参加しなかった部分で、毛沢東思想をかかげるように
なった人たちです。

何人くらいいたかは、知りません。

[20] Re^2: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/21(Thu) 11:53
あれ?

|> 「〜第二に、かれらは、わが党を「修正主義」とか「ソ連修正主義の新しい追随者」
|> とかののしるにとどまらず、アメリカ帝国主義や佐藤内閣と同列において「中日両
|> 国人民の共同の敵」として公然と敵視の態度をとるにいたりました。前掲『人民日
|> 報』の『国際評論』は、わが党を、「佐藤政府の中国敵視の共犯者」、「日本反動
|> 派の従僕」とよびました。また、六月二十四日の北京放送が放送した中日友好協会
|> の日中友好協会脱走派の「大会」なるものに送ったメッセージは、わが党を「米帝
|> 国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義指導集団」とならべて「中日両国人民の共
|> 同の敵」と断定し、「4つの敵」の一つにかぞえいれました。」
|>
|> 67年6月16日付けの「人民日報」、24日付けの北京放送で日本共産党側は、はじめて
|> 日本共産党が「4つの敵」のひとつに数えて規定されているのを知ったようです。
|
|「4つの敵」というのは、日本向けのローカルな規定だと思います。毛沢東主席には
|たくさん敵がいたと思いますが、上から数えて、日本共産党が4つ目になるとは思え
|ません。

「思えない」のは、当方も最初同感でした(^^;)(^^;)。事実として「4つの敵」
という規定がある。「人民日報」が報じているかも知れません。そしてこれは
67年8月の論文にでてきた日本共産党側の指摘なんですけれども、これが67年に
はいって、それこそ善隣学生会館事件後に規定されたならば、まあまま仕方ない
気もします。しかし猛獣文士さんも言明されたように66年秋ごろから、そもそも
日中友好協会はその名の通りの友好に関する活動をしていたわけでそれ以前は
仲良くピンポンをしたりしていた日中友好協会に対してそれを「ニセ日中」と
呼び辱め始める、「でていけ」という壁新聞を張りだす。こういう事が、行わ
れてきたわけです。これは普通の学生が静穏に勉学に励む姿ではありません。

そして、それが、「中国人留学生 対 日本共産党」という図式そのままに
たとえば華僑会声明は「ニセ日中が」と主語を日中友好協会に置くという
よりも「宮本下僕グループが」と日本共産党を主語に置いて書いている。日中
友好協会は「宮本下僕グループ」「ソ連修正主義と同じように反中国のために
は手段を選ばない裏切り者ファシスト」の「追従者」であることを主な罪状と
して「ニセ日中」と呼び辱められているわけで、その逆ではないと思います。
主語が「ニセ日中」でそれに「宮本下僕グループが加勢した」とは言ってない。
つまりそんな「ニセ日中」「でていけ」の根拠がどこか誰かが言い出した「4
つの敵」という日本共産党を主敵とした理論規定に発している事は明確です。
そしてそれは寮生が発見したり発明したりした規定ではなくて、寮生は66年秋
ごろから「受け売り」していたというのが現在の私の認識です。猛獣文士さん
はどう思いますか?寮生が日々のピンポンやったりしていた相手を突然「善隣
学生会館を不当に占拠しているニセ「日中友好協会」会員と称する暴力団」と
呼ぶようになった原因は、どこにあると思いますか?

もしも留学生が自ら「ニセ日中」とか「でていけ」と言わざるを得ない行為
や理論を日中友好協会が66年秋までに掲げ実行していたというのならばその
事を非難する事が先で、それから何段かの局面があって「だから、ニセ日中」
「だから、でてゆけ」となるのではないかと。それとも2月28日までは、それ
らの「狼藉」や「許しがたい修正主義的裏切り」は日中友好協会側にあったけ
れども、そこはうちうちに収めて、対立を表面化させないようにと寮生が
”配慮”するなどと、高等な事をしたのでしょうか? ところで、普通はそう
いう配慮をする場合は、事実の指摘を先にして、「だから出ていけ」という価
値判断は後で、決定的に決別する時点で指摘するのではないでしょうか?

「でていけ」「ニセ日中」に至る前に「あなたがたの行為と理論はわれわれ寮生
ひいては中国人民に敵対することになります。長い友誼の歴史をもつあなたがた
がそのような行為に及ぶとは信じられません。ぜひ**をやめ、平和的に同居
してください。そうでなければ我々にも考えがあります」というような同志的
雰囲気での対話があったのか、なかったのかも知りたい所ですね。

現実には対立を煽り、自分たちこそは「4つの敵」の一角と正面からぶつかる
名誉ある部署を守る革命の前衛だと寮生たちはのぼせあがっていて、本国から
支援がくるわ、別ルートで中国共産党から育成された日本人のさまざまなグル
ープが加勢に加わるわ、いつ襲いかかって日中友好協会と衝突しようかと
待ちかまえていた「守備隊の一角」という自覚でしかなかったのではないかな?

[23] Re^3: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/21(Thu) 21:58
> 「思えない」のは、当方も最初同感でした(^^;)(^^;)。事実として「4つの敵」
> という規定がある。「人民日報」が報じているかも知れません。そしてこれは
> 67年8月の論文にでてきた日本共産党側の指摘なんですけれども、これが67年に
> はいって、それこそ善隣学生会館事件後に規定されたならば、まあまま仕方ない
> 気もします。しかし猛獣文士さんも言明されたように66年秋ごろから、そもそも
> 日中友好協会はその名の通りの友好に関する活動をしていたわけでそれ以前は
> 仲良くピンポンをしたりしていた日中友好協会に対してそれを「ニセ日中」と
> 呼び辱め始める、「でていけ」という壁新聞を張りだす。こういう事が、行わ
> れてきたわけです。これは普通の学生が静穏に勉学に励む姿ではありません。
>

1966年に10月25日に、日中友好協会が分裂しました。それまでにも、色々あった
ようです。たとえば、いずれ、電子文書化する予定ですが、32氏の声明というの
があり、日中・中日友好協会の共同声明があり、トラブルがつづいていたよう
です。国際貿促や亜細亜通信社のトラブルも、その前に起きています。
しかし、正統本部(日共側の用語では「脱走派」)が別事務所を構えるまでは、
善隣会館の事務所は両者を代表する事務所なので、華僑学生が「出て行け」と
いう理由はなかったわけです。

最初の壁新聞が張られたのは1967年11月ですから、分裂の直後です。自然な流れ
と思えます。

4つの敵という規定が善隣学生会館事件の前にひそかに決定されていた(たとえば
中共指導部内で)のか、善隣学生会館事件を含む多数の敵対事件を経て、そのように
規定されたのかというのは、大きな問題だと思います。前者であれば、本当に日共
にはあまり責任はないことになります。しかし、私は後者であると思います。しかし、
確証はありません。

中国人学生は、寮として善隣学生会館内に居住していたのだし、毎日、日中友好協会
の前を通るわけです。日中友好協会では、事務所として使用していたのだから、建物
に対する密着度ははるかに少ないわけです。

同じビルに、政治的に意見の異なる人びとがいたら、いろいろトラブルが起こるのも
当然でしょう。

日共が「文化大革命」を支持しなかったのは、結果論としては、当たりだったかも
知れませんが、指導部はそのことを、日本共産党の党員や、民青同盟の同盟員や、
日中友好協会の会員にきちんと説明し、内部での「民主的な」討論をやったのかと
いうと、やっていなかったようです。その辺は、今も昔も、この党の体質は変わって
いないみたいですが、どうでしょうか。

そのような討論を「民主的」に内部で行なわず、指令によって中国関係の催し物
や書籍や資料の配布などを禁止したり、非協力的になったために、対立が深まり、
また、内部での混乱が大きくなった。結局、そのような方針に従わなかった部分は、
党を去ったのですが、それに対しても「盲従分子」というようなレッテルをはって、
全面的な悪にしてしまった。

善隣会館の事務所を使用する正当性については、賃貸借契約があるからという、
貸しビルのトラブルにしてしまい、「満州国」の留学生会館であり、中国の
財産であるという善隣会館の性質をまったく無視している。というような批判が
あります。

たとえば、日本共産党は今でも、「トロツキスト」というレッテルを貼れば、無条件
に相手を貶めることができるかのように考えているように見えますが、欧米では、
トロツキーの評価はずっと高くなっています。トロツキストをまったくの悪玉として
安全に否定できるのは、スターリンが支配する国際共産党の日本支部であり、頭脳が
ロシアにあった時代だけだと思うのですが。日本共産党は、数日前も、驚くような
規約の変更を行なったとニュースで騒がれていますが、トロツキーの歴史的評価を
見直すような、初歩的な見直しをおこなう準備があるのでしょうか。

[27] Re^4: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/22(Fri) 23:17
重要論文集や、3つの覇権主義のつまみ読みの続きです

|1966年に10月25日に、日中友好協会が分裂しました。それまでにも、
|色々あったようです。たとえば、いずれ、電子文書化する予定です
|が、32氏の声明というのがあり、日中・中日友好協会の共同声明が
|あり、トラブルがつづいていたようです。国際貿促や亜細亜通信社
|のトラブルも、その前に起きています。しかし、正統本部(日共側
|の用語では「脱走派」)が別事務所を構えるまでは、善隣会館の事
|務所は両者を代表する事務所なので、華僑学生が「出て行け」とい
|う理由はなかったわけです。最初の壁新聞が張られたのは1967年11
|月ですから、分裂の直後です。自然な流れと思えます。

日本国内で、どのような「反中国」の活動が日本共産党側にあったか
ということは、当方存じませんが、一方、中国共産党側の日本共産党
やそればかりでなく、日本の選挙活動に対して、それこそ内乱を勧め
るという異常な立場から、今読んでも驚くべき干渉を行っています。
もしも、何か日本共産党や日中友好協会が反中国な活動をしていた
とするならば、組織を割ってでてゆく者を、党規約や友好協会規約に
反して組織する前に、そのような事実を指摘する同志的な働きかけ
からすべきであったと思います。たとえば「3つの覇権主義」に
ありましたが

「今回の選挙において、注目に値するものは、ソ連現代修正主義の新
旧追随者が、ブルジョアジーの議会選挙制度を極力美化した点である。
これらの議会亡者どもは、いたるところ、声をからして『今日の選挙
は日本の運命を決定するものだ』と演説をぶちまっくた。・・・彼ら
悪党は恥知らずにも、とっくの昔破産しているフルシチョフの修正主
義の代物をもちだし、『国会における安定多数を獲得する事によって、
国会をして支配階級に奉仕するための道具を、人民に奉仕する道具に
かえることができる』などと吹きまくった」67年2月2日新華社電、北京
放送(2月4日)「日本衆議院総選挙醜態を演じて終わる」

などと日本共産党が選挙闘争、議会闘争を重視している事を攻撃の目標
として悪罵をならべたてました。もう一度申しますが、悪罵はまさに
日本共産党の「反中国的態度」に向けられたり「中国人学生に迫害しな
いで」という事ではなくて、まさに議会主義的活動にまい進していた事
に向けられているのです。日付をご覧下さい。67年2月初旬です。事件の
直前です。寮生らはこういう新華社や北京放送を読み聞きして、ますます
「宮本下僕グループ」がブルジョア議会主義に陥った、と思ったでしょう
がどこをどのように読んでも、これを読んで、日本共産党の人は反中国
の活動を止めよとか、そういう抗議には取らないのではないでしょうか?

中国共産党はもっと何か具体的な、反中国の何か具体例を上げて、それを
止めるように指摘すべきだったと思いませんか? 何を奥歯にモノを挟ん
だような物言いをする必要があるのでしょうか? 実態は、そのような
反中国的な活動や、寮生への迫害ではなくて、大掛かりな中国共産党側の
干渉攻撃、それこそ日本共産党の議会制民主主義を尊重し、その中で日本
国民の支持をかち得る闘争にむけた攻撃が、あらゆる面で開始されていた
タケナワだったわけで、その一局面として善隣会館事件も中国党によって
利用されたのでした。日中友好協会も、同じ理由で干渉の結果として分裂
組織設立が先に始ったのでしょう。もう2月だと決定的に決裂した後で
何も同志的に対話できる相手ではない、と思ったかも知れません。しかし
それにしても議会闘争に対して、どうして悪罵を投げつけるのでしょうか?

しつこく、しつこく攻撃されたのは「修正主義」だということ、ちっとも
暴力的だという非難ではなくて、逆に暴力主義が足りない、真の共産主義
の勇ましい戦う姿勢を帝国主義に妥協して修正するものだという裏切り行
為の罪を指摘しているのです。これは何故でしょうね。日本共産党が猛々
しくなったら、余計に善隣会館で衝突したり、直接中国人に手を加えなく
ても、そもそも留学生が静穏に学生生活をおくれなくなる危険もあるわけ
で、そういう内乱を教唆し、それに従わない日本共産党だと攻撃していた
わけでもあります。これはポルポト派の姿を見ますと、一つの歴史のもしも
という謎を解く鍵がありそうに思えます。インドネシアの共産党が壊滅し
数百万とも言われる民主的人士が軍事クーデターの犠牲になり殺害された
1965年の9.30事件というのも、今もナゾが多い事件ですが、影に中国共産
党が関与し、それへの民族主義的反発があったとも言われています。つまり
世界中に毛沢東思想を広げよう、内乱をさせよう、暴力主義的革命によって
政府を転覆させる活動だけが革命党のありかただとする姿勢です。

今朝のしんぶん赤旗を読みまして、日本共産党との関係修復を成し遂げた
中連部の部長さんがインドネシアを訪問して、「中国はインドネシアの
内政に干渉しない」という言明をおこなっているのを見まして、なるほど
と思いました。

[29] Re^5: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/23(Sat) 16:51
> 重要論文集や、3つの覇権主義のつまみ読みの続きです
>
> 日本国内で、どのような「反中国」の活動が日本共産党側にあったか
> ということは、当方存じませんが、一方、中国共産党側の日本共産党
> やそればかりでなく、日本の選挙活動に対して、それこそ内乱を勧め
> るという異常な立場から、今読んでも驚くべき干渉を行っています。
> もしも、何か日本共産党や日中友好協会が反中国な活動をしていた
> とするならば、組織を割ってでてゆく者を、党規約や友好協会規約に
> 反して組織する前に、そのような事実を指摘する同志的な働きかけ
> からすべきであったと思います。たとえば「3つの覇権主義」に
> ありましたが
>
> 「今回の選挙において、注目に値するものは、ソ連現代修正主義の新
> 旧追随者が、ブルジョアジーの議会選挙制度を極力美化した点である。
> これらの議会亡者どもは、いたるところ、声をからして『今日の選挙
> は日本の運命を決定するものだ』と演説をぶちまっくた。・・・彼ら
> 悪党は恥知らずにも、とっくの昔破産しているフルシチョフの修正主
> 義の代物をもちだし、『国会における安定多数を獲得する事によって、
> 国会をして支配階級に奉仕するための道具を、人民に奉仕する道具に
> かえることができる』などと吹きまくった」67年2月2日新華社電、北京
> 放送(2月4日)「日本衆議院総選挙醜態を演じて終わる」
>
> などと日本共産党が選挙闘争、議会闘争を重視している事を攻撃の目標
> として悪罵をならべたてました。もう一度申しますが、悪罵はまさに
> 日本共産党の「反中国的態度」に向けられたり「中国人学生に迫害しな
> いで」という事ではなくて、まさに議会主義的活動にまい進していた事
> に向けられているのです。日付をご覧下さい。67年2月初旬です。事件の
> 直前です。寮生らはこういう新華社や北京放送を読み聞きして、ますます
> 「宮本下僕グループ」がブルジョア議会主義に陥った、と思ったでしょう
> がどこをどのように読んでも、これを読んで、日本共産党の人は反中国
> の活動を止めよとか、そういう抗議には取らないのではないでしょうか?
>
> 中国共産党はもっと何か具体的な、反中国の何か具体例を上げて、それを
> 止めるように指摘すべきだったと思いませんか? 何を奥歯にモノを挟ん
> だような物言いをする必要があるのでしょうか? 実態は、そのような
> 反中国的な活動や、寮生への迫害ではなくて、大掛かりな中国共産党側の
> 干渉攻撃、それこそ日本共産党の議会制民主主義を尊重し、その中で日本
> 国民の支持をかち得る闘争にむけた攻撃が、あらゆる面で開始されていた
> タケナワだったわけで、その一局面として善隣会館事件も中国党によって
> 利用されたのでした。日中友好協会も、同じ理由で干渉の結果として分裂
> 組織設立が先に始ったのでしょう。もう2月だと決定的に決裂した後で
> 何も同志的に対話できる相手ではない、と思ったかも知れません。しかし
> それにしても議会闘争に対して、どうして悪罵を投げつけるのでしょうか?
>
> しつこく、しつこく攻撃されたのは「修正主義」だということ、ちっとも
> 暴力的だという非難ではなくて、逆に暴力主義が足りない、真の共産主義
> の勇ましい戦う姿勢を帝国主義に妥協して修正するものだという裏切り行
> 為の罪を指摘しているのです。これは何故でしょうね。日本共産党が猛々
> しくなったら、余計に善隣会館で衝突したり、直接中国人に手を加えなく
> ても、そもそも留学生が静穏に学生生活をおくれなくなる危険もあるわけ
> で、そういう内乱を教唆し、それに従わない日本共産党だと攻撃していた
> わけでもあります。これはポルポト派の姿を見ますと、一つの歴史のもしも
> という謎を解く鍵がありそうに思えます。インドネシアの共産党が壊滅し
> 数百万とも言われる民主的人士が軍事クーデターの犠牲になり殺害された
> 1965年の9.30事件というのも、今もナゾが多い事件ですが、影に中国共産
> 党が関与し、それへの民族主義的反発があったとも言われています。つまり
> 世界中に毛沢東思想を広げよう、内乱をさせよう、暴力主義的革命によって
> 政府を転覆させる活動だけが革命党のありかただとする姿勢です。
>
> 今朝のしんぶん赤旗を読みまして、日本共産党との関係修復を成し遂げた
> 中連部の部長さんがインドネシアを訪問して、「中国はインドネシアの
> 内政に干渉しない」という言明をおこなっているのを見まして、なるほど
> と思いました。

 マルクス主義あるいはマルクスレーニン主義を普通に解釈すると、暴力革命によって、社会を変えなければなら
ないとなるというのが、当時の通説で、現在でも多くの人たちがこのように考えているようです。(立花隆「日本
共産党の研究第1巻15ページ」など参照)。当時、毛沢東も中国共産党の指導者も、日本共産党の多くの指導者も
党員も、理論的にはそのように考えていたはずです。そこで、暴力革命を放棄して、議会の選挙だけで「革命」を
行なうという方針を採用した日本共産党(宮本派?)を「修正主義」とよんだわけだと思います。当時、日本共産党
はまだマルクスレーニン主義という主義を党の指針にしていたと思います。

 つまり、もし、当時の日本共産党(宮本派)が「われわれは修正主義だが、修正主義が正しいからいいのだ!」
とかいっていたら、論争は存在しなかったはずです。しかし、日本共産党は、「われわれは修正主義じゃない」と
いっていたから、論争になったのです。

 なお、インドネシア共産党の壊滅を中国のせいにするというのは、暴論だと思います。

[30] Re^6: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/24(Sun) 06:04
| マルクス主義あるいはマルクスレーニン主義を普通に解釈す
|ると、暴力革命によって、社会を変えなければならないとなる
|というのが、当時の通説で、現在でも多くの人たちがこのよう
|に考えているようです。(立花隆「日本共産党の研究第1巻15
|ページ」など参照)。当時、毛沢東も中国共産党の指導者も、
|日本共産党の多くの指導者も党員も、理論的にはそのように考
|えていたはずです。そこで、暴力革命を放棄して、議会の選挙
|だけで「革命」を行なうという方針を採用した日本共産党(宮
|本派?)を「修正主義」とよんだわけだと思います。当時、日
|本共産党はまだマルクスレーニン主義という主義を党の指針に
|していたと思います。
| つまり、もし、当時の日本共産党(宮本派)が「われわれは
|修正主義だが、修正主義が正しいからいいのだ!」とかいって
|いたら、論争は存在しなかったはずです。しかし、日本共産党
|は、「われわれは修正主義じゃない」といっていたから、論争
|になったのです。

論争にしたければ、毛沢東は自分の意見を言えたはずです。会談
では意見は違いましたが、底意に敵対して打倒してやろうという
陰謀、野望を抱いたのは毛沢東ですが、論争にならずに別れた。
陶鋳や、劉少奇、ホウ真らを打倒する毛沢東の手法も、相手を
陥れる謀略的手法であったと不破氏は喝破しています。こうした
陰謀があったのです。陰謀ですから中国側と言えども、それは
全員の心を一つにするものではありません。騙されて手先にされ
る人もいるでしょうし、元は別の目的を持っている者同士でも
野望で面従腹背で結びつく事もあるでしょう。

また、論争というのは、武力でカタを付けるものではありません。
ソ連はそれこそ中国に論争しただけでなくひどい事をしている
けれど、日本共産党はしてないわけです。中ソ論争というのは
論争が理由で武力衝突に至ったわけではありません。中国はこ
のソ連のやり方を日本共産党を打倒するために「ものまね」し
て自分たちがされたように陰謀に応用したのでした。
そして、

「3、中国側は、六十年代の国際環境と、中国の「文化大革命」
などの影響を受け、両党関係において、党間関係の4原則、とく
に内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやりかたをとったこ
とについて、真剣な総括と是正をおこなった」

とこれまで何度か引用してきましたが、「党間関係」を律する4
原則というのがありました。これって、元はコミンテルン解散か、
81カ国会議か、それとも中印の関係正常化あたりに源を発する
のか、定かではないのですが、あります。これは日本側も中国側
も暗黙で承認しているんです。その中の肝心な点「内部問題不干
渉」、ここです。後から関係修復する際に、中国党は、これを真
剣に総括し、是正を行ったのです。これこそ共産党のやり方です。

立花隆氏の本がここに出てくるのは、なんだか滑稽ですな。
日本共産党の党規約改正にトロツキーが出てくる以上に不思議。

[33] Re^7: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/24(Sun) 22:20
> 論争にしたければ、毛沢東は自分の意見を言えたはずです。会談
> では意見は違いましたが、底意に敵対して打倒してやろうという
> 陰謀、野望を抱いたのは毛沢東ですが、論争にならずに別れた。
> 陶鋳や、劉少奇、ホウ真らを打倒する毛沢東の手法も、相手を
> 陥れる謀略的手法であったと不破氏は喝破しています。こうした
> 陰謀があったのです。陰謀ですから中国側と言えども、それは
> 全員の心を一つにするものではありません。騙されて手先にされ
> る人もいるでしょうし、元は別の目的を持っている者同士でも
> 野望で面従腹背で結びつく事もあるでしょう。
>

毛沢東主席は現在でも中国で尊敬されています。天安門前には、
彼の肖像画が飾られているのは、多分大阪の人さんも知っている
と思います。中国の人間で、彼が性格異常の犯罪者だと思っている
人は少ないのではないでしょうか。

>
> また、論争というのは、武力でカタを付けるものではありません。
> ソ連はそれこそ中国に論争しただけでなくひどい事をしている
> けれど、日本共産党はしてないわけです。

私は、善隣学生会館事件は非常にひどいことだったのではないかと
思ってきたのであり、その点について、詳しく知りたいと思って
いるのです。

また、日本共産党員といっても、その前に日本人です。日本が中国
に対して行なったひどいことと無縁であり得るのか、疑問です。

>
> 「3、中国側は、六十年代の国際環境と、中国の「文化大革命」
> などの影響を受け、両党関係において、党間関係の4原則、とく
> に内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやりかたをとったこ
> とについて、真剣な総括と是正をおこなった」
>
> とこれまで何度か引用してきましたが、「党間関係」を律する4
> 原則というのがありました。これって、元はコミンテルン解散か、
> 81カ国会議か、それとも中印の関係正常化あたりに源を発する
> のか、定かではないのですが、あります。これは日本側も中国側
> も暗黙で承認しているんです。その中の肝心な点「内部問題不干
> 渉」、ここです。後から関係修復する際に、中国党は、これを真
> 剣に総括し、是正を行ったのです。これこそ共産党のやり方です。
>

このような立場を踏まえて、日本共産党と中国共産党が関係を正常化
したことは、それでいいのではないでしょうか。

なお、私は、立花隆の「日本共産党の研究」をだいぶ参考にしています。

[25] Re^4: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/22(Fri) 17:54
|善隣会館の事務所を使用する正当性については、賃貸借契約が
|あるからという、貸しビルのトラブルにしてしまい、「満州国」
|の留学生会館であり、中国の財産であるという善隣会館の性質
|をまったく無視している。というような批判があります。

貸しビルは貸しビルなんじゃないでしょうか?大使館じゃない。
日本の国法に基づくならば賃貸契約の法律に基づき処理される
べき紛争だと思います。それと、どの法律に基づき処理すべき
だと寮生側は言っているのでしょうか?中国の法でしょうか?
それから「満州国」以来の経緯を、日本共産党が事実を隠ぺい
したりねじまげたりしている文書、発言がどこにありますか?
まずその根拠となる文書をどうぞお示し下さい。あなたにそれ
を示すことなく、一方的に「日共はこういった」という説明
を教え込んだあなたの先輩達の理論的な間違いなども、その
文書を探しながら、できれば一抹疑ってみてくださいね。

|日本共産党は、数日前も、驚くような
|規約の変更を行なったとニュースで騒がれていますが、

本文がどのように変更になったかウェブででもご覧下さい。

|トロツキーの歴史的評価を見直すような、
|初歩的な見直しをおこなう準備があるのでしょうか。

トロツキーの評価なんてのは大会決定や綱領、ましてや規約に
書き込むにはあまり日本の現実政治に関係ない気がしますね。
でも不破氏の「レーニンと資本論」なんかは、もしかしたら
猛獣文士さんもあっと驚くぐらい踏み込んだ記述をすでに
始めているかも知れませんよ。

それと、トロツキーの評価が原因で善隣学生会館の寮生が
日本共産党に対決したのでしょうか?えらく日本的な運動
の展開ですね。どこからこのへんの話がでてくるやら、私
には辻褄が理解できません。猛獣文士さんが日本語を流暢
にお使いになられるし、トロツキーがどうのと主張される
のを見て、現場にいた日本共産党のメンバーなどが「盲従
分子!」との言葉を(誤解して)投げつけたのは、ある種
猛獣文士さんのパーソナリティの独自さもあるかも。

日本共産党の規約というのは、本格的には42年間そのまま
来たものを今度改革しようか、どうしようかということです。
それだけ風雪に耐えて皆が守ってきたものであります。しかし
綱領確定前に先に決めたということがあります。これはパソコン
でいうとOSが出来るまえに、ファームウェアにBASICインタ
プリタが組み込まれているのに似ていると言えるでしょう。
実質、綱領やら積み重ねられた大会決定で路線は定まっており
まして、それを全部ご破算にするような改変はありえません。
つまりソフトウェア資産は豊富にあり、血肉に活用されている。
だから大幅な、マスコミが注目するほどの文言の変更をして
も路線になんの揺るぎもないわけですし、それは偽装とかとは
全然違います。またそれらの理論は言わばオープンソースであ
りまして、改変の責任は党の中央委員会にありますが、猛獣文
士さんが今まさにされているように赤旗を通じその理論的蓄積
に自由にアクセスできるのです。こうして国民に開かれた党と
して一歩一歩と日本社会を良くするために現実政治の中での
地歩を広げるべくまじめに努力しているわけです。

党大会は11月に開かれます。そのための準備として大会決議
や党規約改定の議案がありますので、それをこの中央委員会で
先に全党討議に公開しているのです。党員ならば一票もって
意見が表明できますし、広く国民からのご意見も反響がある
事を前提に公開しているわけです。これは毎回の事で、何も
驚くほどの事はありません。時には臨時の討論雑誌まで発行
したりして党内の民主主義をなるたけ発揮できるように努力
しているといえます。

そのため、規約の変更は議案の発表の状態でして、正式には
まだ決定しておりません、全党の意見を集約して正規のルート
で会議を積み重ねて党大会に持ち込まれます。ということは、
不破志井路線のこの方針が撤回されることもあるかもしれませ
ん。でも不破志井両氏がそのために失脚したとしても、三角帽
子をかぶせられ、ジェット機型とかいって両腕をねじり上げら
れ、看板を頚からぶらさげられて「人民裁判」にかけられるこ
とはますありますまい。このことは素直に歴史の進歩であると
思いますがいかが? それとも不破氏がそうやって打倒される
事があれば「おもしろい」というような期待を持っておられる
のでしょうか? そういうおもしろがりがどこか日本における
トロツキズムと言われた潮流に存在したように思います。それ
は人命とか人権とかを嘲笑する若者の残酷さの一つの現れでも
ありまして、ましてや猛獣文士さんのこのホームページの趣旨
である寮生の暴行があったかなかったか、などという問題点か
らは対極にある、許すべからざる観点だと思うがいかが?

[28] Re^5: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/23(Sat) 16:22
> 貸しビルは貸しビルなんじゃないでしょうか?大使館じゃない。
> 日本の国法に基づくならば賃貸契約の法律に基づき処理される
> べき紛争だと思います。それと、どの法律に基づき処理すべき
> だと寮生側は言っているのでしょうか?中国の法でしょうか?
> それから「満州国」以来の経緯を、日本共産党が事実を隠ぺい
> したりねじまげたりしている文書、発言がどこにありますか?
> まずその根拠となる文書をどうぞお示し下さい。あなたにそれ
> を示すことなく、一方的に「日共はこういった」という説明
> を教え込んだあなたの先輩達の理論的な間違いなども、その
> 文書を探しながら、できれば一抹疑ってみてくださいね。
>

光岡玄氏の「善隣学生会館事件の意味するもの(中国研究月報1967年3月号)」から引用します。

====引用はじめ

 1945年8月、日本の敗戦を迎えると同会館管理者側は戦犯指名を恐れて解散し、同会館は、「連合国財産」
として特殊管理下におかれたが実質的には疎開先から戻った中国人留学生たちの自主管理に当初ゆだねられた。
本来ならば当然同会館は中国人民に返還されるべきものだったが、サンフランシスコ条約成立のさい旧外務官僚が
主体になって設立された「財団法人善隣学生会館」(守島伍郎理事長)に所有権が引き渡されようとした。そのため
同会館が中国財産であるとする主張する中国人学生、在日華僑とのあいだに1952年から1961年(昭和31年
(ママ))まで所有権をめぐって紛争がつづいた。この間、警官隊が出動し、中国人学生とそれを支援する日中友好
協会、倉石語学講習会生・各労働組合員、日共文京区委員会などともみあいをおこし華僑学生が殴打された事件さえ
おきたのである。

 しかし、翌62年2月、細迫兼光、穂積七郎両代議士らの努力によって和解が成立し、外務省、日中友好協会の
立会いの下に、善隣学生会館理事会側と華僑総会側とのあいだに覚書が作られた。その覚書には、つぎの内容の項目
が含まれている。

 @同会館の所有権は日中国交回復まで未定とする。
 A同会館の管理権が善隣学生会館理事会にあることを認める。
 B同会館の3階と4階は中国人学生の宿舎とする。
 C同会館の1階、2階は日中友好の事業のために使用される。

 そのほか、日中友好に無関係な団体、企業は会館管理側が立退かせるようにすることなどが、とりきめられた。

 また同会館の暫定的解定の過程で、同会館理事会も改組され華僑総会の推選する穂積七郎、中島健蔵、谷川徹三、
倉石武四郎の各氏が同会館理事として加わり覚書き方針を進めやすい管理体制が作られた。

 この覚書きの趣旨にもとづいて、はじめて倉石語学講習会(1961年)日中文化センター(1964年)日中友好
協会本部(1965年)日中学院(1964年)などが同会館1階に移転または新設されたのである。

====引用終わり

このように、この会館の目的は日中友好を促進することなのですが、1966年2月に日本共産党の宮本書記長たちが訪中
して、「けんか」してきてから、日共は中国の文化大革命などの紹介を行なわず(無視した)、日中友好協会の機関紙
でも、それをとりあげないようにさせ、「反動支配層、商業マスコミの反中国宣伝を野放しにした」(光岡論文)そう
です。

1967年の衆院選のときには、赤旗に野坂参三日共議長(当時)が「中国でおこなっている“文化大革命”や“紅衛兵”」
について、「前近代的なやりかた」と語ったそうです(赤旗1月28日)。日共の指導部は、「毛沢東指導部はあと6ヶ月
もたない、そのあとの新指導部とはわれわれは協力しあえる」(光岡論文)といっていたらしいのですが、たしかに先
見の明はあったのかもしれません(??)。

しかし、このような態度は、後楽寮自治会の華僑学生や日共から正統本部に去った人たちには「反中国」にみえたので
しょう。また、多分、中国の在日機関の代表者も同じ見解だったでしょうから、文化大革命の評価は別にして、日共が
反中国だと考えたことを今の時点で責めることはできません。

普通に考えて、中国とのパイプを断った日共の配下の「日中友好協会」は、たとえ、反中国ではないとしても、「日中
友好に無関係な団体」ということになるのではないでしょうか。

そのような団体は、善隣学生会館の趣旨に合わないから、退去するべきであるというのが、後楽寮自治会の主張だった
と思います。

それに対する、日共側の対応が、「賃貸借契約があるし、家賃も払っている」というものだったわけです。

>
> |日本共産党は、数日前も、驚くような
> |規約の変更を行なったとニュースで騒がれていますが、
>
> 本文がどのように変更になったかウェブででもご覧下さい。
>

みましたよ。

>
> |トロツキーの歴史的評価を見直すような、
> |初歩的な見直しをおこなう準備があるのでしょうか。
>
> トロツキーの評価なんてのは大会決定や綱領、ましてや規約に
> 書き込むにはあまり日本の現実政治に関係ない気がしますね。
> でも不破氏の「レーニンと資本論」なんかは、もしかしたら
> 猛獣文士さんもあっと驚くぐらい踏み込んだ記述をすでに
> 始めているかも知れませんよ。
>
> それと、トロツキーの評価が原因で善隣学生会館の寮生が
> 日本共産党に対決したのでしょうか?えらく日本的な運動
> の展開ですね。どこからこのへんの話がでてくるやら、私
> には辻褄が理解できません。猛獣文士さんが日本語を流暢
> にお使いになられるし、トロツキーがどうのと主張される
> のを見て、現場にいた日本共産党のメンバーなどが「盲従
> 分子!」との言葉を(誤解して)投げつけたのは、ある種
> 猛獣文士さんのパーソナリティの独自さもあるかも。
>

赤旗紙では、善隣学生会館で、華僑学生の支援日本人を「トロツキスト」というレッテルを貼って、彼等を
非難している記事がたくさんあります。日本共産党は、暗黙的にであるか明示的にであるかは別にしろて、
一定のトロツキーの評価をもっているから、このような用語が使用されるはずです。その評価は、今も変わって
いないのでしょうか。あるいは、スターリン批判、日本共産党の自主独立路線、ソ連崩壊というような、「激動」
をへて、現在では、変わっているのでしょうか。その点が興味深いところです。

[31] Re^6: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/24(Sun) 06:05
|このように、この会館の目的は日中友好を促進することなのですが、
|1966年2月に日本共産党の宮本書記長たちが訪中して、「けんか」
|してきてから、日共は中国の文化大革命などの紹介を行なわず
|(無視した)、日中友好協会の機関紙でも、それをとりあげない
|ようにさせ、「反動支配層、商業マスコミの反中国宣伝を野放し
|にした」(光岡論文)そうです。

ふーむ。驚いた。光岡氏は、なかなか正直に告白していますね。

光岡氏が反中国だというのは、結局毛沢東の起こした、後の中国
で「十年の災害」だとされた異常事態の件ですね。そしてそれを
絶対化したり天まで持ち上げて日本に持ち込み、紹介し、宣伝
しなかった、ということを最大の【罪】だと。それじゃあ、どこ
にも寮生への迫害はありませんね。寮生は安全に暮らし、本人が
暴れなければ無傷で静穏にしていられたわけです。そうでしょ?

それと、反動支配層や商業マスコミがどのようにこれを悪宣伝した
というのでしょう。災害を災害と報じたのは「正しい報道」です。
でも、文革初期はどちらかというと美化した報道の方も多かった
のではないでしょうか? 日本共産党は、その初期に遭遇して
ものすごい事態に驚き、「これは日本に持ち込ませてなるものか」
と思ったのでした。不破氏はそれを、先見性だとしきりに自慢し
ています。でも、ゆめゆめ日本に向けてこの文革が発動されようと
までは予想してなかったとも述べています。

「けんか」したつもりも、無礼を働いた形跡も、宮本氏や不破氏
の手記論文からはでてきません。「残念だけど、まあそういう事も
あるわな」という感想で帰国しています。陶鋳らとは、毛沢東との
会談後もなかよく交流して帰ってきていますよね。帰国後に、何か
中国から来るらしい異常な事態が、さまざまな交流の機会を通じ
て察知され、どうやら敵にされている、と認識するのです。猛獣
文士さんは66年2月4日論文は読まれましたか? あのどこに中国を
敵と規定する、あるいは攻撃する内容がありますか?そもそも
敵だと思うなら、会談しに訪中しないでもいいじゃない。あの
66年の両党会談を今の時点で、まだ「ケンカ」としか見れませんか?

不破氏らは、ベトナム戦争に結束して反対する戦線に水を
ささないために自制して、67年に北京の壁新聞がでるまでは
何も名指ししていません。「紅衛兵の不当な非難に答える」が
最初です。それまでの論文の題名はというと
「志田一派の反党撹乱活動を粉砕するために」
「国際友好運動の正しい発展のために」
「東西貿易促進運動の正しい発展のために」
「真の国際友好とはなにか、だれがこれを阻害しているか」
「西沢隆二の『詩』と真実-反党盲従分子の低劣な党攻撃の正体」
どうです、日本人の盲従分子に向けているばかりでしょう。
既に手先が動きだしていた。

「紅衛兵」は部分的な批判です。67年8月の論文「撹乱者への断
固とした回答-毛沢東一派の極左日和見主義集団とかれらに盲従
する反党裏切り分子の党破壊活動を粉砕しよう」から全面的な反
論、つまり日本共産党の反撃が始りますが、実にこれは北京空港
事件の後の事でした。北京空港事件は、善隣会館事件のような
あっちがこっちがという言い訳のできない、重要な事件です。
日本の国法の及ばない所では、むき出しの文革式が、行われた。

この経過を見ますと、堅忍自重して事を荒立てずに、なるべく
オトナの解決をしようとする日本共産党側と、紅衛兵を使い
「犬の頭をなぐってやる」等としかけてきた中国共産党との
守るべきものの差を感じてしまいますね。

日本の反党活動をする人士を手先や加勢に加えてやるときには、
日本の世論を一定考慮して、自分で始めておきながら、さも日本
共産党や日中友好協会が反社会的な団体だと見せる偽装を、とり
どりにまぜて行っているわけです。反共活動家のゴロツキが
だいぶ知恵を入れているような気がします。「日本ではもっと
効果を狙ってコトを始めないとダメだよ」ってね。そういう特有
の嫌らしさが日本においての独特の一連の事件の経過にあります。
それは「謀略」の術策の臭いとでも申しましょうか。

|しかし、このような態度は、後楽寮自治会の華僑学生や日共から
|正統本部に去った人たちには「反中国」にみえたのでしょう。
|また、多分、中国の在日機関の代表者も同じ見解だったでしょう
|から、文化大革命の評価は別にして、日共が反中国だと考えたこ
|とを今の時点で責めることはできません。

頭の中で何を考えてもいいはずです。でもそれを実行に移す際には
やはり国法に則って行動しなければね。それから、反中国かどうか
を我をもって一線を画すのはどうかと。誰がどうみても反中国かどう
かということです。むしろありがた迷惑なぐらいに自分勝手な友好
運動を外国がしていても、その誤解も甘受して、でもそれが国境を
越えない範囲にするぐらいが本国のいわば懐深い立場かと。まして
日本にいる出先が、中国党の手先、手足、代官になって、「日本の
友好運動に敵対分子がいます。だから別れました」などというのは
変な話ですし、それを認めて一方だけを受け入れるというのも
度量のない態度ですよね。むしろ手先を影で操作して、敵対行動
を影から仕切っていた中国共産党が、本性を表した時期がこの67
年になってからの時期だったわけです。

ところで(正統)本部の方々が、残念ながら数年おかずに分裂して
いますね。この引用された光岡氏の側と、黒田氏の側でしたっけ?
猛獣文士さんは、反中国活動があったから、組織がわかれたと
前に指摘されたが、この場合、どちらがニセでどちらが真の日中
友好なのでしょうか? 善隣友好会館事件とは直接は関係ない事件
ですが、反中国行為があったから分裂も必然とおっしゃるにはこれ
も当然、関係ありますよね。

それから、分裂したから、別れた(正統)本部が正しい日中友好だ
というのは、分裂する前の活動の方針が、レーニン時代の社会民主
労働党のように、派閥があって、一方他方の意見の違いがある場合
を前提にした議論だと思うのです。だけど、日中友好協会は分裂し
て出ていった側も賛成した規約や目指す路線が以前からあったはず
です。それは一枚岩だったはずです。67年の日中友好協会の大会を
前にして、66年秋に黒田氏らが出ていったのは、少なくとも前大会
に賛成したものの責任放棄と言われても仕方ないのではないか?
あるいは前大会の方針に自ら賛成したのが間違っていたとする自己
批判の検討をご自分でなさった上での離脱だったのでしょうか?
そういう深刻さはなくて、中国から豊富に資金は貰えるし、気楽に
別れて行っただけなのでは?友好協会ですらこれです。いわんや
日本共産党を割ってでていく奴をや。

|普通に考えて、中国とのパイプを断った日共の配下の「日中友好
|協会」は、たとえ、反中国ではないとしても、「日中友好に無関
|係な団体」ということになるのではないでしょうか。
|そのような団体は、善隣学生会館の趣旨に合わないから、退去す
|るべきであるというのが、後楽寮自治会の主張だったと思います。
|それに対する、日共側の対応が、「賃貸借契約があるし、家賃も
|払っている」というものだったわけです。

中国からは干渉の手が、あらゆる機会をとらえてやってきました。

「一九六六年八月、日本から訪中した代表団に対して廖承志は、
『中国が日本人民に武装蜂起をすすめている』事実を認めた上で
『何が悪い』とひらきなおった形で、つぎのように述べました。
『日本の一部の人たちは、中国が日本人民に武装蜂起をおしつ
けるのでけしからんと言っている。日本人民に武装蜂起をすす
めるのは、米中戦争で中国を応援してもらうためではない。日本
人民にとって、武装蜂起の戦術が唯一の正しい戦術であると私
たちは確信しているからだ』(略)まことに幼稚な議論ですが、
これを中国の教育事情を視察にきた代表団に対して、歓迎レセ
プションの席でやったというのですから、まさに相手構わず、
『武装闘争をすすめる』状況でした」(「3つの覇権主義」より)

こういうパイプは切るしかありません。でなければ日本に於て
まともにこれを受け止めた人が内乱を始めます。これは【内乱
の教唆】です。日本共産党だから、比較的穏便にコトが進行した
のです。これがスハルトのような連中だったらどう受け止めた
でしょうね? いやさ、日本共産党がこれを真に受けなくても
敵対もせずに党の内外に広がるままにしていたら、その一点だけ
で日本共産党が、その支持者も含めて、スハルトのような勢力に
これを口実として、クーデターで虐殺されていたかも知れません。
そして嫌な想像ですが、そんな「歴史のもしも」の時には、おそら
くあなたがた在日華僑の皆さんも日本共産党と区別もなく、無茶
な目に遭う可能性があったと思いますね。冗談でなく、そういう
政変でいつもマイノリティが憎悪のマトにされています。こうした
悲劇を未然に防ぐのが政党の責任です。国民の生命や、暮らしや
福祉、自由や民主主義を守り育てる立場からは、そんな挑発、
冒険へのそそのかしは、誰が言おうと到底受け入れられません。

あるビルのある事務所が、入居時の規約を守らないから退出させ
たい、と思う事は、一般に家主や、住居としている同じビルの
入居者に、時にはあることです。それこそブルジョア法の範囲です。
その思惑や意図が正しく、退去させたいと思うなら、それはそれで
気長に、民事的な訴訟手順をしていたら良かったのではないかな?
どのような意見を表明して、戦わせてもよかったでしょう。違う?
先に壁新聞、次に暴力事件、糾弾集会して、北京放送が激励して
それから最後が訴訟合戦ですか。法を守るという土台がないから、
どうしてもそのような裁判の心証を悪くするマズい手順になる。

別に、3、4階に侵入したりしないわけで、生存が脅かされた
とする寮生の声明はウソと断言できます。下手に日中友好協会が
住居部分に侵入したら、それこそ、いい口実で、これを大看板に、
寮生側が民事訴訟でも勝訴できますよ。しかし性急に、どうしても
「でていけ」を実現させたくて、そういう市民道徳や日本の法規を
踏みにじっても構わないと思った側が、実力行使したのでしょう。
そういう性急さ、これを急進主義とか冒険主義とか一揆主義と
呼ぶのです。事件はそのような一揆主義、冒険主義、暴力革命
唯一論の立場から引き起こされました。しかもこの「でていけ」
は単に事務所退去だけでなく、もしかしたら激突時に中国人が
何人か負傷あわよくば死亡することも折り込み済みの、危険な
カケだった可能性も否定できません。そのぐらいの術策はみないと。
何しろ相手は陰謀家の連合ですから。

|赤旗紙では、善隣学生会館で、華僑学生の支援日本人を「トロツキスト」
|というレッテルを貼って、彼等を非難している記事がたくさんあります。
|日本共産党は、暗黙的にであるか明示的にであるかは別にしろて、一定
|のトロツキーの評価をもっているから、このような用語が使用されるは
|ずです。その評価は、今も変わっていないのでしょうか。あるいは、ス
|ターリン批判、日本共産党の自主独立路線、ソ連崩壊というような、
|「激動」をへて、現在では、変わっているのでしょうか。その点が興味
|深いところです。

専ら、日本共産党を打倒することを目的とし日本人民に何の責任も
負わずに、権力の別動隊として、法律を無視して、暴力行為を行う
恥知らずな人士を【仲間とすることはできません】。所謂日本にお
けるトロツキズムの人士と敵対したのは、何もソ連に従ったいわば
「うけうり」でではありません。言わば試されずみの、経験則です。

せめて国法に従い、暴力行為を真剣に悔い改め、ウソをつかず、国
民の切実な要求に基づいた、要求を掲げて、独特の空論的なイデオ
ロギーを前提に持ち込まずに行動の統一と市民道徳を守るならば、
個人としての誰が、どのような脳内の思想であろうと、我をもって
一線を画し、こちらから選別したり差別したりはしないでしょうね。
これは常識です。

華僑学生の加勢をした日本人は、職業的な反共活動家連中でしょう。
日本共産党憎しで、その実中国共産党の事も「こいつらもスターリニスト
に違いない」とか思いながらも、「利用して金をせしめてやれ」とばかり
に金につられて暴力活動に加勢しているのです。これって暴力団が傭う
用心棒やゴロツキと同じですね。その後、誠実に日中友好のために
ボランティアで働いたのでしょうか? それともなんだかんだと理由を
つけて、金が切れたら潮が引くように離れていったのでしょうか? 
実際、中連部の人は、もう今は(98年)そういう暴力主義者や「真の
革命党」との関係はない、と言明されました。それをうけて両党間の
関係が修復したのです。

とにかく、暴力主義者はいらんのです。
元にソ連の理論なんかこれっぽっちもありません。

[34] Re^7: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:猛獣文士 投稿日:00/09/24(Sun) 22:50
>
> あるビルのある事務所が、入居時の規約を守らないから退出させ
> たい、と思う事は、一般に家主や、住居としている同じビルの
> 入居者に、時にはあることです。それこそブルジョア法の範囲です。
> その思惑や意図が正しく、退去させたいと思うなら、それはそれで
> 気長に、民事的な訴訟手順をしていたら良かったのではないかな?
> どのような意見を表明して、戦わせてもよかったでしょう。違う?
> 先に壁新聞、次に暴力事件、糾弾集会して、北京放送が激励して
> それから最後が訴訟合戦ですか。法を守るという土台がないから、
> どうしてもそのような裁判の心証を悪くするマズい手順になる。
>

裁判の記録については、折をみて可能な限り入手したいと思います。
現実には、日中友好協会は数年後に、善隣学生会館を退去しています。

> 別に、3、4階に侵入したりしないわけで、生存が脅かされた
> とする寮生の声明はウソと断言できます。下手に日中友好協会が
> 住居部分に侵入したら、それこそ、いい口実で、これを大看板に、
> 寮生側が民事訴訟でも勝訴できますよ。しかし性急に、どうしても
> 「でていけ」を実現させたくて、そういう市民道徳や日本の法規を
> 踏みにじっても構わないと思った側が、実力行使したのでしょう。
> そういう性急さ、これを急進主義とか冒険主義とか一揆主義と
> 呼ぶのです。事件はそのような一揆主義、冒険主義、暴力革命
> 唯一論の立場から引き起こされました。しかもこの「でていけ」
> は単に事務所退去だけでなく、もしかしたら激突時に中国人が
> 何人か負傷あわよくば死亡することも折り込み済みの、危険な
> カケだった可能性も否定できません。そのぐらいの術策はみないと。
> 何しろ相手は陰謀家の連合ですから。
>

1967年2月28日の状況の華僑学生側の説明は以下のとおりです。

2月28日に壁新聞が破棄されているのを調べていたとき、それについて
日中友好協会の会員と華僑学生が話しをしていたときに、日中友好協会
の会員が華僑学生の一人を殴りつけて、事務所に入ってしまった。そこ
で、憤激した寮生たちが事務所に抗議に言って、「代表を出せ」と
つめよった。これに対して、日中友好協会の事務局員のKさんという人
が対応し、一応非を認め、謝罪文を書いた。そこで、事態が収まると
思われたが、日共側が動員を続け、騒ぎが大きくなった。

同じ事件について、1967年3月2日の赤旗紙の説明では、

誰かが破った壁新聞を日中友好協会が破ったと言いがかりをつけて、夜
華僑学生が押しかけた。とあり、また、同日の赤旗紙に掲載されている
日中友好協会の声明文では、壁新聞は風で破れたものだったといってい
ます。

また、同日の赤旗紙に掲載された写真には、確かに十数人の華僑学生の
写真が写っていますが、暴行とか襲撃とかを確かに立証するような写真
ではありません。

その後、3月2日までの経過について、赤旗紙の説明は、それぞれに食い
違い、不一致点が目立ちます。悪く解釈すれば、話しのツジツマを合わ
せるために、ところどころ調整しているのではないかというような部分
も見られます。

しかし、全体に一致しているのは、日中友好協会側が「正当防衛権」を
行使して、華僑学生とその支援者を排除したという主張です。

そのときの、ヘルメットをかぶり、棍棒をもった人たちの写真が、何枚
も残っています。

私は、これらの資料を見た範囲では、華僑学生側(+正統本部?)が
一方的に陰謀家で、協会を襲撃したとは思えません。

[17] Re: 「日本共産党重要論文集」をつまみ読み 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/17(Sun) 13:09
おおっと、また訂正(^^;)

|でも、その後の不破氏の「3つの覇権主義」や宮森
|氏の「文革礼賛者の節操」では消えています。

宮森氏の「節操」本では引用された文中で、すでに「ML派」が
でてきますな。 失礼。失礼。

[18] 飛び火する善隣会館事件 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/17(Sun) 15:28
「日本と中国4月3日」記事を見て
---「中国人を狙った」論が後景に
あの。4月3日付「日本と中国」紙は国貿促の件や、亜細亜通信の件も
巻き込みはじめています。私の見たところ、これらも衝突事件でありまして
これを子細に追及しはじめますと、だんだん華僑学生が主人公から後景に退
いてしまうばかりでなく、ますます

「問題は、中国共産党が、あの大変異常な時期に、『日本共産党指導部を打
倒する』という方針を出し、それを現実に実行したということです。その実
行の舞台となったのが日本の社会であり、日本の党の内部だったことです。
その時、政党の戦線、文化の戦線、貿易の戦線のすべてに、日本共産党打倒
の方針が持ち込まれました。「四つの敵」論は、日本政府、アメリカ帝国主
義、ソ連修正主義、日本共産党を指しますが、(略)中国と日本の国民の間
には、戦後、とくに革命成功後、いろいろな分野で友好と交流の網の目が双
方の努力で作られてきました。その友好と交流の網の目が、一夜にして日本
共産党打倒の舞台に変えられたのです。」

とする日本共産党のコメント(「日本共産党と中国共産党のあたらしい関係」
p62)を裏書きしているのではないでしょうか?その交流の網の目の一つで
ある善隣学生会館での衝突事件というのが、結局中国共産党の指示による作
戦であったとするならば、「3月2日声明」から後の寮生の生の声が日本国内
の資料が途切れて、「日本と中国」などの別の独立した日本側の勢力の機関
紙で扱われる、いわば犠牲の羊、象徴的価値しかなくなっていく経過なのを
感じます。もしも中国人に対する暴虐、暴力事件だとするならば国際的な大
きな事件にするべきで、外国の事件だからとかマイノリティだから忘れられ
るなどという問題じゃない事だと思います。中国党側は善隣会館寮生をほめ
たたえる事はあっても、国際問題として、政府ルートでこれをたとえば大使
館を空爆したアメリカ軍のように正式抗議したりしている形跡はありません。
ここに中国政府として、これを国際事件とするのにはばかられる後ろめたさ
があったのではないかと思います。つまり先制的にしかけたのが寮生側だと
いう認識が、中国共産党の側には、首謀者ですから当然あったと。

それで、1998年の日中両党合意の中にも「3,中国側は、六十年代の国際環
境と中国の「文化大革命」などの影響を受け、両党関係において、党間関係
の四原則、とくに内部問題不干渉の原則にあいいれないやり方をとったこと
について真剣な総括と是正をおこな」うという文言が挿入される必要がでて
きたのだと。

---留学生を中国政府は大切にしたか
どう、時系列をたどっても、66年の会談後、中国共産党中央から「日本共
産党は反毛反中国になったから打倒」という路線がでてきて、この上からの
指令に忠実に従って秋ごろから3、4階留学生から「でていけ」という壁新
聞などが張りだされ、その後に衝突事件になっています。衝突事件で負傷者
の中には、当然中国人が含まれます。みずからもどんな無法に暴れた者でも、
正当防衛権の行使とはいえ、たとえば家族にしてみれば、自分の息子身内が
ケガさせられたら怒ったり悲しんだりする事だと思います。それは身内に対
する者の普通の心情だと思います。しかしこの経過をたどるならば、たとえ
脱走「正統」本部の紙面や寮自治会の声明が正しい事を報じていても、やり
過ぎなのは、なにより中国人寮生の側であり、それを日本人や中国共産党が
そそのかしたり英雄視したりしているのであり、学生をこども扱いするよう
で申し訳ないんですが、周囲のオトナがいかにも悪い気がしますね。留学生
って国の宝じゃないですか。将来の国を背負って立つ。そんな学生が大ケガ
するような対立を党としての中国共産党が見過ごした(影で指揮した?)だ
けでなく政府として中国政府はケガをしないように回避する策がまったくと
られていない。碁の石のように寮生も戦いに組み込まれただけなのです。

---発端に「反中国」がでてこない
また、マクロな所で、未だに2月28日〜3月2日の経過を「暴力事件」と
してこれを「反中国」だとする事はでてくるけれども、66年以後、どうして
「日本共産党は反中国になった」とか「日中友好協会はニセ日中になった」
という根拠になる論文や事実の指摘がありません。一方的に言い立てている
だけなのもこれで浮き彫りです。中国共産党の(正規の機関の決定を経てない
らしいのですが)決定として攻撃が始った。しかもそれはドグマに由来する
ものであり、何一つ理由らしい理由を日本共産党の路線や行動の現実に則し
て論理的に証明していない、という事。この一点に尽きます。

---口ぎたない個人攻撃
それから、「日本と中国」の方はNIさんの手記を大きく取り上げて、その人
への個人攻撃をしていますね。見るに耐えない文面だと感じました。華僑会
の抗議声明なんかは、言葉は強烈ですが、スパっと竹を割ったような口調が
まだしも潔い。日本人同士の論争の部分は、60年代特有の、しかも日本人
が真似た場合の「中国流」の特徴が最悪の形ででている気がします。

[6] 両者をどのようにグループわけして見るか 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/11(Mon) 13:10
「華僑学生青年側の主張」は一方の規定として不正確ではないか?
同じく「日本共産党の主張」というのも、それだけに留めない方が
今後正確な記述になるのではないか?

[7] Re: 両者をどのようにグループわけして見るか 投稿者:管理者 投稿日:00/09/11(Mon) 15:45
> 「華僑学生青年側の主張」は一方の規定として不正確ではないか?
> 同じく「日本共産党の主張」というのも、それだけに留めない方が
> 今後正確な記述になるのではないか?

現在、とりあえず、集められる資料で重要と思われるものを、
なるべく多く収集し、分類は後からしようと思っています。

たしかに、分類自体に、事件の評価が含まれる点がありますので、
よく検討する必要はあると思います。

[8] Re^2: 両者をどのようにグループわけして見るか 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/12(Tue) 16:27
【いつの時点で「退去」という要求がでたか】
これが会館側の主張するように28日から3月2日までの
暴力ざたにより中国人学生が負傷した故にその後に初めて
登場したのか、それ以前からあったのかということ。

会館側にはそれ以前から動機はいくつもある
・中国共産党
中日両国人民の共通の4つの敵と日本共産党を規定、攻撃を開始
・日中友好協会(正統)本部
中国共産党の意を受けて「毛沢東思想に反対するものを排除」する
ために退去して別事務所を設けた。できることなら善隣会館に
事務所が欲しかった。
・3、4階の中国人学生
当時の本国の造反団、紅衛兵にあこがれ

歴史に「もしも」はないけれど
たとえば、日中友好協会が、その名や従来の方針を投げ捨てて
暴力団と化し、善隣会館の中で鼻つまみ、厄介者になっていた
として、その時に、会館側は会館の中だけで「退去要求」を
突きつけて現場で衝突事件にするか?ということ。

もしも私が会館運営者だとして、「厄介者」に対処するのに
たとえば日本共産党がその親分だとすると、日本共産党へ
「これこれという蛮行、不品行が何日、何日とあった、そのため
これこれという人がひどい目にあった、こんなケガをした
こんな風に会館施設を壊された。これは困る、と善処を要望
したり、中国共産党に連絡して、党間ルートでなんとかして
もらうように手だてを打つと思います。
それが、たとえば、会館側資料にあるように、酒に酔った
友好協会関係者が中国人学生にからんで暴行したとしても。
そういう会館側の「困った事態に対処する平和的な対応」の
形跡が、まだどこにもでてこない。本当にその不品行や
蛮行があったのか、疑わしい。

これが逆に、会館側が日中友好協会事務所を退去させる
あるいは暴力ざたを引き起こす事も含めて先に計画して
いたとするなら、現実にあった事態はこの意図にそって
まさしく進行したと言えます。

壁新聞などで、意図的に敵対と緊張をあおる「でていけ」「ニセ日中」
 →壁新聞が破れたとイチャモン。衝突
  →「ほれ、こんなに中国人学生が負傷」と騒ぎ立てる
   →応援を頼んで、力ずくで退去させようとする

【なぜ「中国人学生」対「日本共産党」なのか】
この対決図式にすでにおかしい事があります。私が中国共産党の
日本駐在幹部だったとして、たとえば暴力団と化した友好協会が
いたとして、それを学生や善隣会館だけに対処させるか?ということ
普通は「暴力ざたにするな。これは私が日本共産党にかけあって
話しあいで解決するから」と何か学生を抑える側に立つと思う。
そうした事を穏便に処置する力量、手腕は当然幹部に求められるはず。
それを手をこまねいて、黙って学生らに暴力的衝突が何日も続くのを
放置して見ていた。あまつさえ、暴力的衝突を続ける学生に頑張れと
励ましたりするのは、中国共産党の対外路線、対日路線の全般に渡って
すでに日本共産党と暴力的に対決する、という方針があった事を
感じさせる。とすると、対決図式はなによりも大きく
「中国共産党対日本共産党」でしょう。

もし、ミクロに見るならば、「中国人学生」だけが負傷した
わけでなく、会館側の負傷者を限っても日本人がいたわけ
ですから「会館側対協会側」あるいは「家主側対間借り人側」
という図式が当てはまると思います。

もし日本共産党に中国人敵対というような途方もない方針があった
とするならば、もっとその後全国各地で暴力ざたが発生したはずです。

[9] Re^3: 両者をどのようにグループわけして見るか 投稿者:管理者 投稿日:00/09/13(Wed) 10:31
大阪の人さん、
まじめな投稿ありがとうございます。

現在、連日のように、ごまのような縮刷版の文字をキー入力して
いて、すっかり疲れています。

あまり、決定的な話はできませんが、情報を少し整理します。

1.いつの時点で退去要求が出たか

日中友好協会が分裂したのは、1966年10月25日の常任理事会での
ことです。会館内の中国留日学生後楽寮自治会が最初の壁新聞を
はりだして、日中友好協会に退去を要求したのは、同年の11月が
最初です。

ところで「会館側」とは財団法人善隣学生会館理事会のことと
思いますが、理事会と後楽寮自治会は、最終的には理事会が
後楽寮自治会に同情的になったかもしれませんが、別の主体だと
思います。

2.なぜ、「日本共産党」と「中国人学生」なのか

二つの真相が宣伝されていて、両者の当事者の呼称を便宜的にきめた
くらいに解釈してください。

[5] 併読しております。(^^ゞ 投稿者:(^0_0^) 投稿日:00/09/09(Sat) 13:46
 はじめまして、(^0_0^)と言います。
中国派関係は、周りによくわからない人が
たくさん居りましたので、実のところ敬遠して
おりました。
 ところが葉寺師匠が日中愛好会(正統)を
開き、ありがたく当時の情況を教えてくれ
またこのたび「善隣会館事件HP」が管理人さん
のご尽力をもってたちあがりました。
 本当に学ぶところ大です。
これからもご教授の程よろしくお願いいたします。

[2] メモ 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/08(Fri) 16:05
善隣会館での事件について
・国交のないなかでの会館は中国人留学生の寮や貿易関係の事務所もあった
・日中友好の運動であった友好協会も間借りしていた
・黒田ら主導権とりに失敗して別組織→「日中(正統)本部」旗揚げ
・(正統)側は善隣会館1階の事務所を是非とも奪還したい
・「偽友好協会でていけ」という壁新聞を貼った、剥がしたで小競り合い
・でていけ、出ていかないで小競り合い
・双方に負傷者
・単純な日本人対中国人ではなく、会館側負傷者にも日本人数人がいる。

背景
1920年代から長く日中両共産党は仲良し
共同の敵は日本帝国主義侵略、軍国主義だった
戦後も仲良し、共産党政治支配の中国を日本が敵視して
政府が国交を樹立してなかった中で
国交正常化運動や平和運動でこつこつ交流

日本共産党
・「50年問題」を通じて日本共産党は綱領確定。自主独立路線に。
 50年の事件はソ連からの大国主義的干渉だったと後に規定
 それ以降(1960年ごろから)路線に大きな変更なく今日に至る

中国共産党
・66年のプロレタリア文化大革命によって大路線転換勃発。紅衛兵
 あばれる。党幹部虐殺多発。党の正規機関も機能しなくなる。
・数年後に失敗し、文化大革命を反省、再び軌道修正
 首謀者4人組らを逮捕、毛の後継者も失脚、虐殺された党幹部名誉回復
 「毛沢東が首謀で国にとっても災難だった」と規定

発生したのは1967年。
前年1966年に両党は会談、主題はベトナム支援を一緒にしよう、と。
中国はソ連をも敵と明示することに固執。日本共産党は反対。
「共同して反帝闘争を国際的に呼びかける必要がある」と宮本。
「これでは弱い」と毛。周恩来らと作成したコミュニケ破棄。

毛沢東は上海にいて、北京の指導部を打倒してクーデター
中国共産党の指導者が、次々「毛に刃向かった」と逮捕暴行
「鉄砲から政権が生まれる」と毛
「4つの敵」米帝、ソ修、日本反動、日本共産党と人民日報
「謀反には道理がある」と毛
謀反(暴力的な対決)を挑発する壁新聞を貼るのが中国で流行。
この「壁新聞」を「打倒すべき4つの敵」である日本共産党
と関係続ける現日中友好協会に向けて対決するように張り出す。

こうした路線から、従来の方針のままの会館内の日中友好協会は
「ニセ日中、ニセの友好運動」となり、「出ていけ」という
事が正当化される。

これに抗議、(関係緊張)剥がしたり、こぜりあい。
「毛沢東の中国の現方針(プロレタリア文化大革命)に反対な
日中友好運動はありえない、それはニセの日中友好だ。
だから友好善隣目的のこの会館からでていけ」
「中国人民との友好はするがそれはおかしい、従えない」

社会党の黒田はその前に日中友好協会を脱走、僭称して別の
日中友好協会(正統)本部を旗揚げ、責任者に就く
「正統本部」なのに、正統な善隣会館に本部がないのは悔しい
ので奪還を画策。
北京放送がこれを中国人への暴行と早速放送(手回しがいい)
日本社会党内の黒田らが社会党の機関決定で「日本共産党
や民青同盟が暴行」とさっそく規定(手回しがいい)
日本共産党の抗議も受け付けず、無回答。

世界の共産党で中ソ論争からソ連派、中国派の共産党に分裂
中国は(ソ連が先にそうした。反発する形で始めたのだが手法
は真似)いいなりになる党を各国に手先を使って作る。
日本共産党は50年問題の教訓もあり、ソ連と距離を置いていたが、
毛のいいなりにならなかった事を理由に打倒対象に。
これと一体に中国のいいなりの「党」を援助して旗揚げ、
「日本の真の革命党」と美化、支える活動を60年代、70年代、
80年代、と続ける。特に「文革は災難」と規定し、日本に
「謀反」を呼びかける事はしなくなったその後も、無原則に
ダラダラと日本の「真の革命党」に援助を続ける。だが期待
をよせた「大義ある真の革命党」は団結できず四分五裂に。
中国革命を成し遂げた中国共産党ではあるが、日本において
日本革命を担う気概と誠実さをそなえた日本人を
外部から援助してここに集める事はついにできなかった。

日本共産党は本当に「反中国」なら「台湾派」になるとか、いくら
でも選択肢はあるはずだがその後も一環して「1つの中国」を支持。
(国交正常化前も後も)
一環して安保条約破棄を主張、ベトナム支援を主張、日本反動の
軍拡に反対、憲法改悪に反対、日米の台湾干渉に反対。カンボジア
では反ポルポト側に、また中越紛争ではベトナム側に立った。
また、あやまった文革路線による干渉を清算せよと主張するが、
反中国路線は採らなかったし、対抗的に中国に干渉しなかった。
ただし関係修復前に無原則に中国を美化する文を載せた雑誌
編集者は除名したり、内部規律としては中国と反目を続ける。
また90年天安門事件では学生側にたって中国共産党に抗議。
このとき在日中国人学生の声明を赤旗で報じる。(この時「親中国」
なはずの公明党や自民党は天安門事件を日本共産党にあてこすって
「共産党が伸びればああなる」式の反共宣伝をまき散らしていた。
大義ない「親中国」、中日友好というのは、このようなものか?)

1972年毛死去
その後、70年代に「林彪4人組裁判」1980年に「文革は災難」と規定

ポルポト派敗北、中越紛争中国敗北。ポルポトは数百万を虐殺した
と国際的に後から発覚(ポルポトは中国に後押しされていた)

その後中国は「4つの敵」のうち、アメリカとは握手、日本
反動派の田中首相や中曽根首相とも握手、無原則に安保条約を美化。
ソ連とも国交正常化、その後ソ連は崩壊。そもそも主敵米帝と
言い出して戦争も辞さずと威勢が良かったのが、その米帝とは
握手し、「米帝の手先」としたソ連、日本反動派とも無原則に
握手したのが日本共産党とは関係なくずっと反目。日本共産党は
核兵器や第七艦隊もつ米帝よりも軍事的に中国に脅威なのか? 
中国のこの態度が80年代90年代とつづく。

1998年6月に日中両党会談11日付け
「日本共産党と中国共産党との関係正常化についての合意」発表
党首江沢民(国家主席でもある)が中国側で署名。党関係正常化。

「3、中国側は、六十年代の国際環境と中国の「文化大革命」などの
影響を受け、両党関係において、党関係の4原則、とくに内部問題
相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことについて真剣な
総括と是正をおこなった。日本側は中国側の誠意ある態度を肯定的に
評価した。4、双方は今回の会談により、両党間に存在した歴史問題
が基本的に解決された事を確認し(略)」

「2朱達成中央対外連絡部秘書長との懇談記録から」参考文献3 P61
「問題は〜」
「これは、はっきりいって、一つの政治的、社会的戦争でした」

参考文献:(このウェブを見てから、新たに買いました。)
『中国共産党対外路線の検証』新日本文庫 佐々木著
『ソ連・中国・北朝鮮-三つの覇権主義』新日本 不破哲三著
『日本共産党と中国共産党の新しい関係』同上
『ブックレット版日本共産党の歴史と綱領を語る』同上

[4] Re: メモ 投稿者:大阪の人 投稿日:00/09/08(Fri) 16:51
> 1972年毛死去
> その後、70年代に「林彪4人組裁判」1980年に「文革は災難」と規定


訂正です。毛沢東の死去の日付や80年代の記述でミスです。

|1976年9/9毛死去
|その後1980年に「文革は災難」と規定、81年に「林彪4人組裁判」


> 1998年6月に日中両党会談11日付け
> 「日本共産党と中国共産党との関係正常化についての合意」発表
> 党首江沢民(国家主席でもある)が中国側で署名。党関係正常化。

同じく訂正です。
「合意」の直接署名は中国党中央委員、中央対外連絡部長と
日本党国際部長とで交わされた事になっていて、後に江沢民
と不破との会談が用意され、両者が認める形になりました。
メモなんで、ご容赦<(_ _)>。

[1] お知らせ 投稿者:管理者 投稿日:00/09/01(Fri) 22:19
サーバー上のファイルの書き込み権限を設定するのを
忘れていました。

本日、修正しました。もし、今まで、書き込みを行おうとして、
できなかった人がいたら、ごめんなさい。

気楽に、書き込んでください。