第二節  それに至る経過の真相

目 次
善隣学生会館は誰のものか?
「中国人は入るべからずの」にせビラ事件
壁新聞事件
小型「中国封じこめ」はじまる
不法監禁問題
バケツで用を足した事件

   (1)

 三月二日の流血事件に関する「赤旗」の記事は一から十まで嘘ばっかりですが、それのみならず、かれらは、ことここにいたるまでには、数々の中国人学生による暴行という長い長いいきさつがあったのだと纏々として述べつづげています。それを一応聞いてみましょう。

「同会館にすむ在日華僑学生らは昨年十一月いらい、会館の正面入口の廊下や日中友好協会の事務所の前にまで、日中友好協会への悪バを書きつらねた壁新聞を紅衛兵ばりにべタべタとはりだしてきました。

 それは「『妨害《日中友好》とっとと立ち去れ。反中国宮本集団の出先協会すぐ出ろ』とか、『汚ならしいウソつきの卑劣漢、人民の敵、偽《日中友好協会》さっさと出てゆけ!』とかいう、それこそ『きたならしい』中傷の悪罵の言葉を書きつらねたもので、日中友好協会の『追い出し』を公然と主張するものでした」(三月一二日「赤旗」日曜版) 「一方、日中友好協会からの脱走分子のなかに……『造反団』なる組織ができ……一ケ月も前から『在日華僑青年は同会館をとりもどすために立ち上がっている。きみたちはなにをしているか。大胆に奪還闘争の先頭に立て』……と事務所『奪還闘争』を煽動しています。

 これを見れば、ただ従来通り正常に仕事を続げたいという日中友好協会にたいして、在日華僑学生や脱走分子らが早くから『たたき出せ』と『奪還闘争』を準備していたことほ、一目りょう然です」(三月七日「赤旗」) 「かれらが昨年十一月から、協会にたいして壁新聞によるあくどい攻撃をつづけてぎたのに対して、協会は反論する当然の権利すらおさえて、事をあらだてないために、会館理事者側を通じて不当な壁新聞の撤去をもとめただげで、こちらが対抗してビラや壁新聞をはるというようなおとな気ない真似はしなかったのです」(日中友好協会発行「外部勢力による干渉と暴行は許せない)」

「かれらは、二月四日夜八時すぎ、こっそり『中国人入るべからず―― 日中友好協会』という日中人民の離間をはかる悪質きわまるビラを自分たちではりつけ、こうして『反中国』の汚名を日中友好協会にきせようとしました。幸い、日中友好協会の職員がこの現場を目撃し、ただちに追求したのでかれらもまたその場で謝罪せざるをえませんでした」(四月三日「赤旗」坂本弁護士の手記)

「二月二八日夜……三、四階に……住む在日華僑学生らと、日中友好協会を脱走した連中が、トロッキストもまじえて、会館一階にある日中友好協会本部におそいかかりました。

 かれらは、その後三日間にわたり、日中友好協会本部に鉄棒やこん棒などをふるって日中友好協会の事務局員たちをおそい、四〇時間以上も不法に監禁するなど、暴力で日中友好協会をおいだそうとしました。

 不法に監禁され食事もとれず、便所にもゆけなくなった事務局員や会員たちは、いのちと安全をまもり、正常な仕事をするために、やむをえずかれらのバリケードによる封鎖や襲撃を排除しました。これは正当防衛です」(日本共産党中央委員会宣伝部編「日中友好協会本部襲撃事件の真相」)

 こういわれると、誰しもが「なるほど、無理からぬいきさつがあったんだな」と思いかねません。「中国人学生も、本国の紅衛兵騒ぎにあおられて、相当滅茶苦茶をやりおったわい」と思いこんでしまいそうです。

 しかし、これらの一つ一つは、ことごとく嘘とでっちあげと事実の歪曲ばかりです。

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   (2)

 たしかに、中国人学生たちは、十一月いらい、日中友好協会に対する批判と非難を活発にくりひろげています。「ニセ日中は出て行け」と要求もしています。壁新聞も貼れば、集会も開き、抗議もつきつけています。日本人も加わってその闘争を支援もしています。これは公然たる事実です。

善隣学生会館は
誰のものか?

そもそも、この善隣学生会館は、かつての偽「満州国」が留学生の寮として建てた(昭和一三年)もので、日中間の国交が回復すれば、当然、中国に返還されるべきものであり、本質的には中国人民の財産です。

 日中間の国交末回復の現状において管理者は、過渡的にさまざまな変転をしながら(「満州国留日学生輔導協会」→同清算人→連合軍最高司令部民間財産管理局「C・P・C」による中国財産との認定で外務省が委託管理→現「財団法人・善隣学生会館」)今日にいたっています。それはどこまでも外国(中国)財産であり、将来、国交回復のあかつきには当然、正式に中国に引渡されるべきものであり、それまでの過渡期を、財団法人善隣学生会館が管理し(「所有」しているのではない)、その理事会が運営の責任を負っているにすぎません。主たる目的は名前の示す通り在日中国人学生の寮であり、副次的に「日中友好と文化交流のために使用される」ことになっているのです。実質上の主人公は中国人学生であることほ疑いを入れる余地はありません。なみの貸ビルではありません。この会館が、本質的には中国人民の財産であり、実質上の主人公は中国人学生であるという政治的観点を見失ってはなりません。ましてや共産主義者なら、日本の法律上の制約がどうあろうと、その観点を貫ぬくべきであることはイロハのイの字です。

 一九五三年十二月の

「会館は、かつて日本軍国主義者の中国侵略を助長する政策の一環として設立されたものである。しかしながら、我々は、将来の日中関係を改善するためにも過去侵略の犠牲で出来たこの会館を本当の日中友好、並びに文化交流を促進する性格を帯びる会館として新発足させる必要性を痛感するものである」

 という、東京華僑総会の声明の立場を無条件に支持し、それを貫くために協力して闘うのが共産主義者のとるべきただ一つの道でありましょう。

 この会館の中に一九六三年以来、日中友好協会が事務所を置いていたことは、会館の本来の目的にそったものであり、きわめて妥当なことです。

 ところが、昨年から日本共産党の中央が反中国の政治的姿勢をとるようになって、その方針が日中友好協会に押しつけられるようになりました。その方針に反対の人々は、日中友好協会(正統)本部として、別に事務所を持ち、会館内には、日共中央の反中国方針に屈服迎合・盲従する人々だけが従来のままの看板を手にして残留し、反対者がいなくなっただけに前よりもいっそうあからさまな反中国活動をやるようになったのです。

 残留した日中友好協会が、口に友好を唱え、実際に反中国をやる非友好協会に変質してしまった以上、これが会館内にとどまっているのを非難するのは、会館の実際の主人公である中国人寮生としては当り前のことです。

 たとえば、アパートの一室に住んでいたある一家が、突然その部屋で騒がしい料飲店を開業し、その部屋が住居から営業所に変質してしまったら、アパートの主人公なり、囲りの人たちが「出て行ってくれ」と抗議し要求するのは当り前のことです。

 中国人寮生は当然のこととして、ニセ日中を激しく糾弾し、痛烈に非難し、「出て行け」と要求し大勢で押しかけもしました。こんなことは、脅迫でも妨害でもありません。武闘ではなく、文闘です。

 しかし、中国人寮生らの大衆行動や文闘に、多くのいぎすぎがあり、それが事態を刺戟したのではないかと想像する向きもありましょう。その一例とみられるものに、坂本弁護士があげている二月二四日の「にせビラ事件」があります。事実が坂本の言う通りとすれば、この中国人学生の行為は、悪質・陰険ないきすぎと言えるでしょう。ところが、事実は、坂本の言う所とは全くちがいます。

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「中国人は入るべからずの」
にせビラ事件

 真相は次のようなものです。

 その夜、日中友好協会主催の中国映画「農奴」の上映が、会館二階で行われました。

 それまでは、映画会があると必ず中国人学生を誘い、日本人観客と一緒に観たあとでは、そろって合評会をやり、感想を語り合い、日中交流・交歓をやるのが習慣になっていました。ですから中国人学生の方は、同じ映画を何回もみるようなこともあり、時には「またか」と思うことすらあったのですが、日中友好の一助になるのだからと思い直してつきあったことさえあるほどでした。

 ところが、前々から反中国行為を公然ととるようになっていた「協会」はその日の映画会に限って、中国人は一切入場させないと言い出したのです。四、五人の中国人学生が従来の習慣どおり映画会に参加しようとすると

 「今日は日本人だけの映画会だから中国人を入れるわけにはいかない」

 「だって、いつも一緒にやってるじやないか」

 「中国人は、入れないんだ」

 「あとで合評会やるんだろ」

 「お前らの関係したことじやない」

 「中国人が観たって、いいじやないか」

 「中国人が見たけりゃ『正統派』の映画会に行け」

 「なんだ、その言い方は」

 「とにかく中国人は入る必要はないから、帰れ、それに君は、この映画は前に一回見ているじやないか」

 ということで追っぱらわれ、不愉快な気持で三階の居室にもどったのです。そしてみんなに話をすると、

 二名の学生が、

 「僕はその映画まだみていないから、僕らが行ってみせてもらう」 と出かけたところ、事務局員小山慎平が入口に居てそこで再び

 「中国人は入れないんだ」

 の一点ばりになり、またしても「お前ら、みたけりや、正統派へでも行ってみせてもらえ」とからかわれたわけです。そこで二人は念を押すように

 「どうあっても、中国人は入れないというんだな」

 「ああそうだよ。しつこく言うな」

 「よし、わかった『中国人入るべからずだ』な」

 「ああそうとも、うるせエなア『中国人は入るべからず』だ」

 とのやりとりのあと二人が、その入口に

《中国人入るべからず――日中友好協会》

 のビラを貼りつげたというわげです。

 この種のビラを貼ったことが、在日中国人の行動として、戦術的に適切であったか分別ある熟達したやり方であったかなどという問題のはるか以前の問題であり、協会側の挑戦的な反感をあおる態度で「頭にきた」十八才の青年らしい稚気満々たる行為にしか過ぎません。

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   (3)

壁新聞事件

 二月二八日の「かれらの壁新聞が風に吹かれて破れていたのに、協会の事務局員が破ったといんねんをつげて……脅迫しました」(前・協会発行)というのも事実とちがいます。

 土台、その壁新聞の貼ってあるところは、風に吹かれて破れるような場所ではありません。

 しかも、四日前の二月二四日に、協会の事務局員が壁新聞を破いて協会事務室に逃げこんだという前例があります。二四日の深夜十二時頃、二人の日本人が壁新聞を破いて持ち去ろうとしているのを呉平安と林盛健の二人の中国人学生がみつけました。

 「コラッ」

 とどなると、一人は、破いた壁新聞を持って、すっとぶように協会事務室に逃げこみ、まごまごしていたもう一人は、二人につかまって、抗議され、

 「すみませんでした。今すぐ行って返しに持って来ます」

 と謝り、持って来るといぅから二人が放してやると、これも協会事務室に走りこみ、いつまでたっても出てこない。業をにやした二人が協会の扉をあげると、事務局員小山慎平が出てきて

「日中友好協会は一切関知しない。今、二人の人間が次々に飛びこんできたといぅ事実もない」

 と、白をきり、開き直ったわげです。

 こういう前例があること故、二八日の夜も六人で協会事務室に抗議に行ったわげです。

 すると、協会から小山慎平ともう一人の二人が出てきて、後手に扉をしめてしまい、廊下で立ち話……という恰好になったわけですが、その二人は、何を言っても、何を質間しても、ただ、へラへラ、二ヤ二ヤとせせら笑ぅだげで、全く口をききません。

 たまりかねて中国人学生が

 「お前はそれでも日中友好の人間ヵッ」

と、どなると、もう一人は

 「インネンをつげるのもいい加減にしろ」

と、いきなり彭忠道君の顎のあたりに一発ぶちかまし、扉の中に消えてしまいました。おこった中国人学生らは、扉を叩いて、「出て来い」「代表者を出せ」「事態をはっぎりさせろ」と抗議したというわげです。

 中国人学生たちの激しい抗議で、とうとう小山は、「日中友好協会の代表として、殴打の事実をみとめ」謝罪文に署名しています。(前頁写頁)

 これが、協会発行のパンフによると

「十数名の学生が協会事務所におしかけ……五人しかいない事務局負を脅迫しました」二一頁)とか、「最初の襲撃はじまる」(一六頁)とか書きたてられていることの実態です。

「赤旗」はこれを、三月三日付では中国人学生が小山を「とりかこんで脅迫しました」と書いていましたが、後に三月八日付になると、「とりかこみ、なぐる、げるの暴行を加え、メガネをたたきこわし、三階のかれらの部屋につれこもうとした」と、最大限の誇張と捏造をやっているわけです。

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小型「中国封じ
こめ」はじまる

 ところが、謝罪文を書いておきながら、日共中央は二八日夜から動員をかけ、多数をくり出し、謝罪文を書いてからものの十分もたたないうちに日共と民青の宣伝カーに乗った六、七十名の人間が窓から協会事務室にくりこみました。中国人学生たちを威圧しはじめたのです。これこそ「中国封じこめ」の小型版の活動といえるでしょう。動員された日本人の中に、中国に対する対抗意識と敵意をあおりだしたのです。

 動員に勢いづいて、協会事務所の中からさまざまの人間が、便所に行くとかなんとかにかこつけては廊下に出て来て、三々五々とたむろしている中国人学生に挑戦し、いやがらせをし、悪ふさげをし、摩擦がおきるようなことばかりしています。

 たとえば、顔をすりつげてきて

 「青くさい紅衛兵だなァ」「教条主義というのは、こういう顔をしているのか」「ここは日本だということを覚えておけ」「そんなに文化革命がうれしけりゃ、早く中国へ帰ってやったらどうかい」

 とかの悪罵や、あてこすりを、ツバがはきかかるほどの勢いでいい放っては出入りをしています。華僑青年聯誼会主席の林伯耀が

 「個人的な放言はやめろ,代表を出してわれわれと話し合え」 というと森下常任理事が出てきて

 「ジャリを相手に話ができるかッ」 とどなってひっこんでしまうという状態でした。

 こんな言い合いが二八日の夜も更げて、三月一日の朝三時頃まで夜中じゅうつづいたわげです。

 しかもその間に富坂署から五台のパトカーがくるほどのはげしい乱暴が中国人学生に加えられたのです。

 この夜中の騒動を「赤旗」がどんなにでたらめな報道をしているかを分析した次の文章は非常に興味深いものであります。

 ――「赤旗」三日付によれば、中国人学生ら「約十人は夜どおし会館玄関前にすわりこんで日中友好協会にたいする攻撃をおこない」、「この間、連絡をうけた会員約六十人が本部防衛かけつけ、中国人学生を圧倒し」たとのことである。これも、かれらが攻撃されたらしく見せかげる文章のトリックである。会館玄関に座りこんで協会に攻撃をかけることは絶対にできない。それほ、五日付以後「赤旗」自身、会館の見取り図を出して「証明」してくれるのだが、そのかわり、それ以後は「玄関にすわりこんで」「攻撃」するという記事はでなくなる。八日付になると、「急をきいてかけつけた事務局員や民主団体の人たちをかれらは正面玄関でとりかこみ、「修正主義者」とわめいたり、写真をとるなどの妨害を加えました」と変えられる。

……三日付では、約六十人の「かけつけた」ものが、約十人の中国人の学生を圧倒したことになっているのが、八日では逆に中国人学生が「とりかこみ」「妨害した」ことに変えられた。そして、その際、まさか「約十人」が「約六十人」を「とりかこむ」ことができるはずはないので、人数は注意深くもけずられたのである。

 では、中国人学生の「妨害」の内容はなにか、「わめいたり、写真をとるなど」のことである。しかも、「この現場を写真にとろうとした協会員を」中国人学生が襲ったという。「わめいたり」する妨害の現場を「写真にとろう」とはどういうことだろうか。「赤旗」記者は気分だげで記事を書いているのでないとしたら、声のうつる写真機でも持っているのだろうか。まさか!だから、実際には、二月二八日夜の中国人学生の「妨害」ないし

「襲撃」の証拠として「赤旗」にのせられたものはただ一つ。「日中友好協会本部を襲撃した中国学生たち」との説明つきのもの三日付)があるだけなのである。しかも、これは、いかにも説明は「襲撃」とおそろしげであるが、写真そのものは、まったく「襲撃」とは緑も因りもない団交の場面をうつしているだけのものなのである。こういうデタラメな説明をつけて、中国人学生の「襲撃」をデッチあげるということは、自分らへの抗議、批判はすべて「襲撃」にしかみえない独善的・セクト的立場にいかに共産党がふかくはまりこんでしまったかを示すだげである――(京都・中国史研究グループ「いわゆる『善隣学生会館事件』を批評する」、傍点は原文)(傍点は太字に替えました、編集者)

 現場を遠くへだてる京都にあって、実際に立会っていなくても、真実を読みとる眼力さえあれば、三日付と八日付のくいちがいをはじめ「襲撃」とか「暴行」とか最大限の形容が氾濫しているだけで、中国人学生による「襲撃」は実在しなかったことな見ぬけるわけです。

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不法監禁問題

 三月一日の夜六時に、中国人学生たちは昨日の殴打事件についての抗議集会を開きましたが、協会側は入口の内側に自らバリケードをきずいて閉鎖し、抗議文をもっておとずれた中国人学生代表との会見を拒否しました。

 八時頃、会館の外側を日共や民青の中央の動員による約二〇〇名の群衆が包囲しはじめました。一〇時には四〇〇名位にふくれあがりました。その時かけつげてきた坂本弁護士は、たまたま顔見知りの東京華僑総会の陳焜旺副会長に話しかけています。

 坂本「陳さん、こんな処であなたに会おぅとは思わなかった。こぅいぅことをされては困るよ」

 陳 「なにが困るんですか」

 坂本「これじゃ不法監禁じゃないか」

 陳 「被害妄想みたいなことを言いなさんな。誰が監禁しているのだ?」

 坂本「それじや、協会事務所の中へ、私を入れてくれますか」

 陳 「入れてやるもへちまもないョ。自分で入ったらいいだろう」

 坂本「それぢゃ、いっしょに行って下さい」

 そこで、二人は廊下の方から協会の入口の扉をノックした。応答なし。扉のノップを廻してみると中から鍵がかかっていた。またノックをした。応答なし。

 坂本が扉のガラスごしに見えるのは、机やふとんを積みあげて、内側にバリケードがぎづかれていることでした。

 坂本「これじゃ、どうしようもないナ、なんとか通絡をとりたいな」

 陳 「そんなに連絡をしたいなら、中華書店から電話をしたらいいじゃないか」

 坂本「いや、ここからじゃまずい。やっぱり外からかけるよ」

この場合でも坂本弁護士は、

 (イ)最初っから、中国人学生らが、不法監禁しているにちがいないという予断をもって乗りこんでぎています。誰に注ぎこまれたかは明かですが、中国人が、日本の民主団体を襲っているという悪意にみちた先入観をもってかけつけています。

 (ロ)にもかかわらず、扉は、内側から密閉されていたことを確認せざるを得ないのであります。協会側が、自分が交通を遮断して内側に自分でバリケードをきずいていたことを認めています。

 (ハ)協会側との連絡を中国人のいる前で堂々と公然とはとれないことを告白しています。

「毎日新聞」(三月二日朝刊)は、協会側は「事務所にたてこもり、内側にバリケードを張って抗議をはねつげた」とほば事実どおりに報道しています。ところが、「赤旗」は、この事実を八日付で中国人学生らが「協会本部入口前にバリケードをつくり」「約六〇名を完全に監禁状態にし」と、あべこべに報道しています。これこそ、「ブルジョア・ジャーナリズムのデマ」よりさらに悪質なデマというべきでしょう。

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バケツで用を
足した事件

この坂本弁護士も確認している二月二八日から三月二日までの協会事務室の「遮断」状態について、「赤旗」は、毎号毎号「まる二日間の監禁」「四〇時間にわたる不法監禁」と書きたてています。

 この不法監禁説がどんなにデタラメなデッチあげであるかは、次の写真と説明で充分でしょう。

 ――写真は、いずれも三月一日夜、うつしたもの。場所は、善隣学生会館の二セ「日中友好協会」事務所のすぐ脇にある入口。この入口は地下(食堂、理髪店、便所などがある)から一階の二セ「日中」事務所裏口に通じている近道である。二セ「日中」事務所に出入りするには正面玄関をまわるより、ずっと近く、もっぱら利用されている通路だ。「赤旗」の報道や主張、論文などで、くりかえし宣伝されているところによると二月二八日から丸二日間にわたって日中友好協会事務局員らは監禁され、このため事務局員らは便所にもいけず、婦人は「バケツで用をたした」そうだ。ということは、この一日夜は「監禁」のまっさい中であるわけ。ところが写真(次頁)には「監禁」されて「便所にもいけない」はずの金田英門(日共党員)と柳瀬宜久(日共党県事務局細胞キャップ)がのんびりと姿を見せている。写真(次頁)にもみられるように、彼らは一日夜、この通路から自由に二セ「日中」事務所に出入りしていた。

 彼らは内部にバリケードをきづき、自分で自分を監禁していた。この「監禁」は内部から「自主的」に行っているものであるから、自分たちの「仲間」の出入りは自由にできるわけ。

 さて、この奇妙な「丸二日間の監禁」で「便所にもいかれなかった」というウソについて。

 彼らは便所にいく気ならいつでもいけた。彼らが自由に出入りしている地下にはちゃんと便所がある。距離的には一階の便所よりずっと近い。一階の便所にしても、彼らが勝手に使わなかっただけである。入口内側にバリケードをきずき、自分で自分を勝手に「監禁」していた彼らが「便所にも行けず」とはあきれはてた論法である。

「便所にもいげず、バケッで用を足した」と「赤旗」や「日中友好新聞」などに「手記」をだし、ウソでぬりかためた「報告会「や「集会」で同じことを得意になってふれまわっている「悲劇のヒロイソ」西村郁子こそ恥知らずな道化役者である(西村は日共党員で事務局細胞のひとりとして、友好協会分裂以前から妨害活動を行っていた札つきの反中国分子)。西村がみずからPRするように、実さいにバケツで用をたした」かどうかは知らない。しかし、そうしなければならない条件は全くなかったのだから、もし、そうしたとしたら、それはあくまで「自主的」な行為であり、本人の「好み」の問題としかいいようがない(「日本と中国」四月三日号)

「日本と中国」のこの反駁にあって、「赤旗」紙は、顔をまっかにしてしまいました。そして、事実にもとづく再反駁は一切やらず、

 「……『本人の《好み》の問題だとしかいいようがない』などといって……婦人がたえがたい屈辱を受げたのにたいして、こういう《ひやかし》的ないい方をする――ここにこそ、かれらの下劣な品性がよくあらわれています」(「赤旗」四月一一日)

 などと上品ぶったことを言っています。

 よくもまあこうまでいけしゃあしゃあとでぎるものだと思います。自分たちがいままで、婦人のたえがたい屈辱を売りものに、さんざんぱらしゃべり散らし、本人の写真入りで書きまくり、あっちこっちで報告会と称しそのことを見せびらかし興業をぶって歩いていたことを、全く棚にあげているのですから、破廉恥ぶりも徹底しています。

 以上の経過が示すように、中国人学生らは、「中傷の悪罵」も「汚らしいウソ」も言っておらず「あくどい攻撃」もしておらず、離間策動も妨害もせず、いわんや「鉄棒やこん棒をふるっておそいかかり」もせず、「不法監禁」も、暴行もしていません。なんにもしていません。したがって、協会側に「いのちと安全」の危機など微塵もありません。

 かれらはただ、正当な要求をし、抗議をし、集会を開いているだけのことです。

 逆に、日共中央の指揮のもとに「協会」側が、「中国人は入るべからず」と罵り、壁新聞を破り、暴行をふるい、「汚らしいウソ」をふりまき、あげ句の果てに数百名を以て包囲し脅迫し威圧し、小型「中国封じこめ」をやっているのです。

 こうした経過の末に、前節で述べた大襲撃をやったのです。

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