1967年3月6日に、都市センターホールで開かれた「日共反中国暴徒による中国人学生襲撃事件の真相報告会」での、井上清氏のあいさつです。
2000年9月 猛獣文士


怒りをもち日共に抗議
京都大学教授 井上清

 私は今度の事件を3月3日の朝自宅で新聞を通じてはじめて知りました。その時に、まっ先に頭に浮んだことは、日中友好運動の出発点、つまり日本の青年と中国の青年が再び戦場において相まみえるということのないように、日本人民と中国人民が再び戦争するというようなことのないようにしようということではないか、この国民的な念願が日中友好運動の基礎にあるのではないかということです。

 それが中国の人たちは、日本にいて絶えず日本の官憲に迫害され、また、心ない日本人民の一部から侮辱されたり圧迫されている。というようなことがあれば、われわれ日中友好を願うものは影になり、陽なたになり、どんな方法をつくしても絶えず守っていかねばならないはずであります。

 その日中友好を看板に掲げるものが、この日本において日本の青年を煽動して、中国の青年に襲いかからせるとは、何ということでしょうか。彼らは、日中戦争を日本においてはじめようとしているのではないか、私はこのような深い憤りと悲しみに襲われました。そして、幸いに東京に用があったので参りまして実情を知れば知るほど、今度の事件の醜くさというもの、これを組織し指導した者の醜くさ、卑劣さというものに対して怒りが燃えあがってくるのを押えることができないのであります。それで、今日の会議にも出席させていただいたのです。

今度の事件の本質については先ほど諸先生方があますところなく解明して下さいました。私はそれにつけ加える何ものもございませんけれども、学術思想方面の仕事にたずさわっている一人として、私がとくに感じたことを一点だけ申し上げたいと思います。

 それは、かの暴徒たちが「チャンコロ」と叫び、「ここは日本の領土だ、中国人は出ていけ」というようなことを叫んだということです。アジア通信の反中国分子が、労働争議と称してアジア通信社におしかける、彼らもしばしば「チャンコロ」ということを口にするということを聞いておりましたが、こういうようなことは、日本のかってのわれわれ帝国主義民族がどんなに深く情神的に腐敗、堕落しているかを示したものであり、その帝国主義民族としての、腐敗し堕落した根性を、なおかつ今日も清算しきれていないということのあらわれであると思います。私はそういう者が日本の一部分の中にまだ残存しておるということも、これはあるいはやむをえないこともあるかも知れないが、そういうような軍国主義的な帝国主義民族としての腐敗、堕落した思想を矯正し、あらためてゆくのが日中友好協会とか日中友好運動であり、あるいは日本共産党の責任でなければならないと考えております。その日本共産党なり、そして日中友好を掲げるものが先頭に立って中国に対して「チャンコロ」だとか何んだとかいうことは何ごとであるかと。これは明らかに、日本に今復活しつつあるところの軍国主義思想、排外主義の軍国主義思想を煽動し助長するものであって、この中国人の留学生に対して、日本の青年を襲いかかわせるということと全く同じというか、それと深く結びついたものといえます。彼らのいわは思想的な根底にはこういうような排外主義的な帝国主義民族思想があるということであります。これで一体軍国主義に反対するなどとか、帝国主義に反対するなどとよくいえたものだと私は思うのです。

 ここは日本の領土だから出てゆけ、というのは相手を間違っておるのじゃないか、アメリカ大使館へ行き米軍の基地へ行って、ここは日本の領土だ、お前たちは出て行け、というぺきであります。それを中国人に向っていうことは何ごとであるか、私はこういうことについて真剣に、まじめに反省し、国民に謝罪するということがなければ、あの徒輩を永久に信ずることはできません。また、これまで一生懸命支持してきましたけれども、この事件はついに私を教育してくれました。私がほんとうに支持すべきもの、ほんとうに手を結んで行くべきものは誰であるか、そして誰と闘わなければならないかということを私に教えてくれました。

 私はみなさんとともに真の日中友好のために、日本に軍国主義、帝国主義を再び跋扈させないために日本の青年が中国の青年と戦場で相まみえることを絶対に起こさないようにするために、みなさんとともに奮闘いたしたいと思います。

1967年3月6日 (善隣学生会館事件真相報告会での挨拶)

(中国研究月報1967年3月号より)

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