三十五氏の声明に対する反論は、3月15日付けの赤旗紙の論評もあり、このホームページで公開しています。こちらの論文は、日中友好協会分裂から善隣学生会館事件までの経過をのべています。その部分の記述が重要であると思います。

2002年4月16日 猛獣文士

日中友好協会襲撃に関する文化人
三十五氏の虚構の"声明"に反論する

(一)

 中島健蔵氏ら三十五氏の文化人が三月十五日「善隣学生会館事件についての声明」なるものを発表した。

 同声明の述べるところは、歪曲と虚構にみちており、およそ文化とは縁の遠い「デマ声明」とよばれるべき性質のものである。

 このような恥づべき文書に、かなり著名な文化人がその名前をつらねているが、この声明こそ、そのなかでのべている「日本人の品格を傷つける」ものでなくてなんであろうか。実際のところ、三十五氏のうち自らすすんで参加したのはごく僅かであり多くの人々は日本国民の立場を忘れて徒党的な政治集団に転落した日本の民主運動の分裂と破壊に狂奔している脱走分子の術策におちいり、彼らのデマ宣伝をウノミにした結果であろうと思われる。今日商業新聞の記者でも、ことあるごとに取材にくるのに、これだけの人たちが鳴物入りの声明をだすにあたって、誰一人として事件現場にきて、われわれに事情を聞いたこともないし、一本の電話をかけてきたこともない。これでどうして公正な判断ができるだろうか。

(二)

 今回の襲撃事件は、すべてわが協会の入口でおこったものであり、一回たりとも、華僑学生の住む三、四階でひきおこされたことはない。このことは、華僑学生らがわが協会に押しかけてきたことから事件が発生したことを証明するものである。

 それどころか、われわれが自ら家賃をおさめて借りている二階会議室、地階倉庫にも自由に出入りできない状況がつづいている。管理人は「乱暴な学生がいるから、申訳けないが執行吏に排除してもらわないと手に負えない」といっている。

 二月二十八日以降のすべての事件は、華僑学生と脱走分子が、わが協会本部の奪還を呼号して襲撃してきたことからおこったものである。彼らは、丸太コン棒、竹ヤリをもって、ついに協会本部の表と裏の鉄製トビラを破壊し、消防ホースで水をかけ、あげくのはて彼らは机と木材で協会事務所入口にバリケードを築いた。

 日本の首都で暴徒が白昼、深夜公然と他人の事務所を襲撃し電源をきり、電話を妨害、事務局員を二日間も不法監禁し、しかも十数名に重軽傷をおわせ、事務局員に食事もとらせず用便もさせないという言語に絶する迫害をおこなったのがこの事件の真相である。

 声明に署名した人びとは、この明白な事実に故意に目をふさいで、暴徒が流しているデマ宣伝とまったく同じことを公表している。

 これらの文化人は、恥づべき国際事件の共犯者として暴行傷害の公然たる下手人の共謀者としての立場を、みづから内外に宣言したものといわねばならない。

(三)

 いうまでもなく二月二十八日以後の一連の事件は偶然におこったものではない。それは、わが協会や、日中友好運動、貿易活動にたいする中国の一部の人々の不当な干渉と、これに盲従する脱走分子の策動にたいし、われわれがはっきりと、自主的な日本国民の立場をとり、両国国民の友好と交流は、思想・信条・政派の別をこえた自主的大衆組織としての協会の性格を尊重し、自主平等、相互不干渉の原則を堅持し、国際友好の基準をかたくなに守る立場にたってきたことからおこっている。彼らは「なにごとも無条件に中国の特定の政治思想に盲従することが日中友好である」として、自主平等の立場にたつわれわれを「非友好」「反中国」と中傷し、あげくのはて、昨年九月下旬三十二氏声明なるものをつくりあげこれを土台に日中共同声明をだし、協会の規約や性格に反する声明を支持するかしないかを、日中友好か否かの踏絵にし誠実な活動家の追放をはかり、わが協会の公然たる分裂にのりだしてきたのである。

 よく知られているようにわが協会は、日中友好と国交回復の要求で結束した組織であり、特定の革命運動を支持したり、それを行動にうつしたりすることのできる組織ではない。したがって文化大革命賛美、ソ連現代修正主義反対云々をもりこんだ共同声明を支持することは日中友好と国交回復の一致点で結集している協会の性格と規約に反するものであり、協会の統一と団結を分裂と混乱におとしいれるだけである。

 このようなわれわれの主張にたいし、昨年十月二十五日の常任理事会で、宮崎、黒田両氏ら幹部は、この共同声明に対する満場一致の支持が得られないとみるや、協会から脱走し、直ちに「彼らとタモトをわかち、新宿のみよしビルに新組織をつくる」ことを公表、これできれいさっぱりしたとまでいったのである。

 わが協会は、このあと新役員を選出し、十七年の伝統をひきつぎ全国六万会員が団結し、運動方針と規約にもとづいて前進することを宣言した。脱走分子は「日中友好協会(正統)本部」というまぎらわしい名称を名乗ったが、バッジ、協会旗は伝統ある日中友好協会とは全然別なものをつくり、かれらがわが協会とは全然別の組織をつくったことをみずから証明した。

 脱走分子の会員数は、わが協会から脱走したごく一部のものと日中貿易への不当な干渉のため心ならずも入会した人びとのみで、僅かな数しか組織されていない。その実体は、中国の文化大革命や紅衛兵運動を日本におしつける宣伝普及機関化し、日本の民主団諸組織の破壊と分裂に狂ほんするひとにぎりの徒党的政治集団になっている。

 このような連中が、どうしてわが協会事務所にたいしてクチバシを入れる権利があるだろうか。ましてわが協会は財団法人善隣学生会館との契約にもとづき、所定の家賃をおさめた借家人であり、これは民法上においても、誰からも干渉されるべき筋合いがないのである。

(四)

 今回の事件の発生について、三十五氏声明が、あたかもわれわれが、華僑学生を襲ったり、支援の人々が、彼らを襲撃したようにのべているが、これはまさしく黒を白と言いくるめるものである。

 事件のみなもとから指摘しよう。昨年十一月から一部華僑学生がわが協会を「非友好分子、会館から出ていけ」「修正主義の犬の頭をたたき割れ」というような下劣な壁新聞をはりだした。

 われわれは、これにたいして、我慢づよく忍耐をかさね、会館管理者にその撤去を何回か申入れるにとどめてきたのである。

 ところが、二十八日の深夜十数名の華僑学生が突然協会事務局におしかけ、ビラをはがしたと言いがかりをつけ、応対に出た事務局員に「中国人を殴打した」と脅迫し、それを認める書名を強要した。

 これは、わが協会の第十六回大会が彼らの妨害を排除して大成功をおさめたために、彼らがあわてだし、大会による手ウスをねらっての悪質な計画的犯行であることは明白である。

 「壁新聞をはがした」「中国人殴打」中国人を「チャンコロ」と呼んだというがごときは、まったく許しがたいデッチ上げであり、日中友好運動のかく乱妨害と、日中両国人民の関係を悪化させる悪質な分裂策動といわざるを得ない。

 彼らのこのようなヒレツな手段を実証する一つの事例がある。それは、二月二十四日協会の一つの班が開催した中国映画界を妨害した華僑学生が、こともあろうに「中国人は入るべからず――日中友好協会」という偽造のビラをはり、われわれがあたかも、中国人を排外主義的に敵視しているようにデッチ上げた。これは協会員に現場を見られ、その人物はハッキリとその事実を認めたが、今回の彼らの一連の言いがかりは、みなこれと同じ手口である。

 よく知られているように、善隣学生会館三階、四階に住む在日華僑学生は、この会館で特別な権利をもつものでもなんでもない。したがって、われわれにたいし、出ていけというような資格はなにひとつない。今回の襲撃事件は、長期の計画にもとづくものであり、いまやっている彼らの宣伝は彼らのおこなった襲撃を正当化するデマ宣伝にほかならない。彼らのデマはきわめて悪質で、彼らの発行する新聞の写真をすら、一部偽造し、不当に修整しているほどである。

 彼らの目的はほかでもない暴力による日中友好協会事務所の奪取である。それは、かれらの壁新聞ものべていることであり彼らの演説は、そのことを公然とのべている。

 われわれが中国の文化大革命を賛美せず、毛沢東思想のおしつけに屈従しないということを唯一の理由として、暴力を用いてまでわれわれを攻撃するこのような無謀な大国主義的干渉や対外盲従の不法行為には、われわれは断じて屈服するわけにはいかない。

 なぜなら、そのようなことを認めるならそれは結局のところ真の日中友好運動と日中両国人民の団結を破壊する以外なにものでもないのである。

 わが協会の堅持している日中友好と国交回復の一致点で広範な人びとが団結するという方針こそ、幾百万、幾千万の人々を結集させる唯一の道であり、これこそ日中両国民の真の団結の道であり、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に打撃を与え、日中国交回復実現をかちとる道である。

 したがって今日引きおこされている在日華僑学生と脱走分子のわが協会にたいする襲撃行為は、まさに日中友好運動にたいする襲撃であり、日本の広範な人民にたいする野ばんな攻撃にほかならない。

 文化人の名においてこのような分裂と破壊の暴徒に公然と支持を表明し、そのうえデマをならべてわれわれを非難することは、日本文化人の品位と名誉に泥をぬること以外のなにを意味するであろうか。

 われわれは、このような声明の組織者を断固きゅう断する。しかし彼らのデマ宣伝をウノミにして参加した人々については、すみやかに国際的大犯罪の舞台から脱出し、広範な日本国民のもとに復帰し、真の日中友好・日中国交回復の運動に貢献するよう切に希望するものである。


(「日中友好新聞」一九六七年三月二十日)

(日中出版「1977年3・4月合併号中国研究80号」資料13)

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