日中友好協会と中日友好協会の共同声明は、日本側の32氏の声明と中国側の52氏の声明を受け、中国を訪問していた日中友好協会の代表団が中国側の協会とともに発表したものですが、日中友好協会の分裂の直接の原因となったものです。この声明に署名した日中友好協会側の橋本信一という人物が、この共同声明の調印は誤りであったとして発表した手記ですが、重要な資料と思いますのでここに掲載します。

 わたしの印象を述べさせてもらえば、手記の内容で、とくに驚かされるところがあるとは感じられません。

2002年4月16日 猛獣文士

共同声明の調印は誤り
第十三次協会代表団員橋本信一氏の手記

 わたしは第十三次訪中代表団の一員として昨年十月の「共同声明」に調印した一人ですが、その後の推移はわたしが調印当時考えていたこととは異なった方向に発展しつつあり、このような"分裂"の事態にまでたちいたることを予想し得なかったわたしの不明とあやまりを認め、このような方向にすすめた「正統派」の人たちと同調しえないこと、「共同声明」そのものの誤りとその発表が協会代表としての使命を逸脱した行為であったことを表明したいと思います。

 私たちが帰国したときは「共同声明」承認問題をきっかけにして協会はすでに"分裂"し「正統派」なる別組織が作られていました。「正統派」に走った岩村三千夫氏は「『共同声明』そのものの表現が実にゆとりのあるもの」であり「『三十二氏声明』の字句に若干の異議のある人たちでも、運動を前むきに前進させようとすれば『共同声明』を支持できたはずである」といっています。わたしも調印のときにはそう思っていたのですが、そういう『正統派』の人たちがねばり強く話しあうことをせず分裂行動に出てしまったのでした。

 「共同声明」は「三十二氏の声明」をもとにしていますが、問題となった"妨害"うんぬんについて代表団が確実な根拠をもっていたかというと決してそうではありませんでした。わたしたちがこの問題についていろいろ聞いたのは、北京へ着いて国慶節も終ってからのことです。一方的な意見をもちこまれたためわたしたちは、「妨害は克服されねばならない」と思いました。しかし、わたしたちはこのような重大な問題を扱うには、もっと正確に事実を知り、判断する機会が与えられるべきでした。

 しかるに、わたしたちは「三十二氏の声明」についてさえ、それが私たちの出発前に発表されているにもかかわらず、知らされてはいませんでした。このことは「共同声明」が代表団の十分な検討と準備のもとに作成されたものではないことを示しています。また「声明」の案文についても日本側・中国側両国代表が検討しあったのではなく、一部の人にまかされていましたし、そもそもわたしたちは、協会の運動方針の基礎となるような問題について中国側と話しあうことを協会から委任されて訪中したのではなく、国慶節慶祝と友好交流のための使節団としてであったこともはっきりしておかなければなりません。ですから、この「声明」は代表団の使命をはみ出したものであり「正統派」の人たちは私たちの使命をすりかえ、私たちをまき込んで代表団の名において「声明」を発表しましたが、これは出発前からのかれらの策謀であったのだとわたしは思います。

 岩村氏は、「反対者は友好協会十七年の慣例を破って承認を拒否した」といっていますが、代表団の声明であるから協会はなんでもかんでも承認せねばならないという論理はおかしなことです。わたしは「共同声明」発表の話しがもち出されたとき、「発表する資格が代表団にあるのか」という疑問を感じ、質問をかねた異議を提出したのでしたが、そのときもっと主張をつらぬいて発表を阻止しなかったのはわたしの誤りでした。「正統派」の人たちは、その後この「共同声明」をもとにして、一方では多くの人たちを、「友好の旗をかかげて友好に反対している」と非難することに熱中し、他方では、中国との友好を願う人は毛沢東思想を現代最高の思想と受け取らねばならぬかのような宣伝をしています。かれらの発行している新聞「日本と中国」には「毛沢東思想をまなぼう」という見出しの記事や、「学習の指針に――むずかしくない毛沢東著作」という記事さえあります。

 中国との友好を願うわたしたちは、毛沢東を中心とする中国共産党に導かれ、中国人民を外国の帝国主義と国内の資本家や軍閥、地主階級から解放し、現在の社会主義国家をきずきあげた中国に敬意をもち、それを導いた思想にも深い関心をもちますが、それを日中友好運動の指導理念とすることが正しいかどうかは、問題のあるところだと思います。中国の人たちが毛沢東を敬愛し、毛沢東の著作を学んで国家建設にいそしみ、文化革命をおこなっていることを理解することは別のことと思います。

 「共同声明」の中の交流の原則としてあげられている「相互支援」に、このようなことまで含まれていいるとはわたしは思いませんでしたが、「正統派」の人たちは「毛沢東思想」を日本に宣伝することこそ友好運動の基本でありそれ以外は「反中国であると考えているように見えます。しかし、これは思想・信条・党派をこえた国際友好運動が、特定の政治理論で導かれることを求めるものであり、これに参加しているさまざまな民主的な人たちや諸団体のあいだに混乱をひき起こすものであり、正しいこととは思えません。「共同声明」に書いているような「相互尊重」をうたう以上、日本の民主諸運動の立場や見解も尊重されるべきですし、それはまた運動の内部で尊重されるべきだと思います。「共同声明」を支持しているはずの「正統派」の人たちの行動自体が「共同声明」に反しているのではないでしょうか。

 このような行き方に反対した人びとを排除しようと声明は正しかったのでしょうか。

 「正統派」脱走後、中日友好協会は「正統派」支持を声明していますが、このようなことは日本の日中友好運動への干渉であり、日中友好運動の発展を破壊するものです。わたしは中国各地を訪問し、その期間中、中国側が払われたいたれりつくせりのお世話と友情あふれる歓待に深い感謝の念をもっており、両国人民のいっそうの友好を発展させたいと願っているだけに、「共同声明」が"分裂"のきっかけとなり、"踏み絵"とされたこと、そして中日友好協会が分裂組織を支持していることを遺憾に思います。

 「正統派」はあらゆるところで「共同声明」支持を求めていますが、わたしは以上のべたような点から、これを"踏み絵"として友好か非友好かをきめつけることは正しくないやり方であり「共同声明」も訂正すべき個所をもっていると考えます。あやまった立場での友好運動は決してよい実を結ばないでしょう。

 わたしは「共同声明」を調印したひとりとして、その後に生じた事態に責任を感じ、問題の所在について考えてきました。その結果わたしは以上のような結論に達し、正しい日中友好運動をすすめるために、これを公表します。このことが、正しい日中友好運動の発展に少しでも役に立つなら、さいわいであると思います。

 ――付記――

 もっと早くこの書類を協会に提出すべきでしたが、わたしにはともかくもここまで事態を整理し、決心を公表するのが精いっぱいでした。「共同声明」問題にたいする認識が浅かったばかりに、協会の運動に大きなつまずきをひき起こしてしまったことを心苦しく思っています。

 協会の運動はこれからもずいぶん困難な道を進むことと思いますが、わたしも地道に運動を続けてゆきたいと思っています。(一九六七年一月十日)

(「日中友好新聞」一九六七年一月三十日)

(日中出版「1977年3・4月合併号中国研究80号」資料7)

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