他紙が三月二日午前までで取材を打ち切ったのに対して、日本経済新聞は午後四時すぎの衝突、つまり日本共産党側の「正当防衛権」の行使、あるいは、立場を変えれば、「掟破りの武装部隊による暴行」まで取材を継続し、ヘルメットをかぶった日共側の部隊の襲撃シーンを写真で紹介しています。この写真は、日中友好協会正統本部の「日本と中国」など、華僑青年側の主張に沿った出版物で、たびたび使用されています。
2000年12月24日 猛獣文士

またまた乱闘
“東京の紅
衛兵”騒ぎ
重軽傷十数人に


三回目の乱闘 中国人留学生(手前側)と日中友好協会支援の学生達=「善隣学生会館後楽寮」で

 在日中国人の寮である東京都文京区後楽一ノ五ノ三「善隣学生会館後楽寮」(守島伍郎理事長)で、同館一階を間借りしている日共系日中友好協会員と三、四階の寮に住む中共派の中国人学生の間で二日朝から対立、乱闘が繰り返されて双方合わせて十数人の重軽傷者を出し、にらみ合いは同日深夜まで続いた。この混乱を避けるため三日午後一時から協会、寮生両者と寮の管理にあたる理事会、警察側の四者会談が開かれる予定だが、その背景に日共と中共の対立があるだけに、双方の意見は全く平行線で話し合いのメドがつかず、紛争は長びくものとみられている。

 この騒ぎは二日午前七時ごろに第一回の衝突があり双方の数人がけが。続いて同午後一時半ごろ第二回の乱闘があり、さらに数人のけが人が出た。

 事態を心配した会館の理事者側と日中友好協会の役員が富坂署長の立ち会いで話し合い、「応援の学生を遠ざけると同時に、協会事務室には自由に出入りできるようにする」との妥協ができた。しかし妥協が伝えられる前に同午後四時十分すぎに三度目の衝突となり、またも数人が顔や頭、腹部をなぐられたりけられたりして倒れた。このため警視庁機動隊が両者に割ってはいり正面玄関のバリケードをとりはずして騒ぎを収めたが、同日深夜まで双方のにらみ合いが続いた。

 この乱闘騒ぎで、双方合わせて十数人の重軽傷者が出たが、このうち中国人学生の頭に大けがして慶応病院に収容されたほか、華僑総会勤務の劉道昌さん(20)も頭をなぐられたうえ腹をけられて失神、巣鴨の京北病院に収容されたが、二人とも生命に別状ない模様。


(「日経新聞」昭和42年3月3日朝刊15面)

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