1966年8月20日付けの毎日新聞に、ここで紹介するような記事が掲載されました。この記事の内容を読めば分かるとおり、なんと、警察庁の調査をうけたものです。日中友好協会の動向は、警察庁の調査対象になっていたというのも、今から考えれば、びっくりするような話です。
2000年10月14日 猛獣文士

日中友好協会分裂へ
共産党 本部決定否認の指令


 警察庁は二十日、日本共産党が党の各府県委員会に対し「中共から日本中国友好協会あて招待がきている日中青年大交流には参加しないよう、協会支部を通じて働きかけ、すでに派遣にふみきった協会本部の意思決定をくつがえせ」との指令を発し、二十日現在十数府県で“不参加”になっていることを確認した。


青年大交流に不参加

 二十五年に結成された日中友好協会は次第に日共の支配下にはいり、最近では本部、地方組織を通じ主要役員はほとんど日共党員で独占していた。ところが、ことしにはいって、日共が中共路線から離反するとともに、本部内で動揺が起こり、無党派の中共支持勢力と日共派に分裂、このため両派は日中青年大交流の派遣をめぐり鋭く対立していた。

 中共は、この無党派側を支持し、はじめは代表派遣のワクを十五人とし、東京―香港間の旅費は自弁となっていたのを、代表派遣のワクをさらに五人ふやし、旅費も中共側で負担すると申し出てきた。七月中旬常任理事会が行なわれた結果、中共支持勢力が勝ちをしめ、代表の中共への派遣が決定した。

 これに対し、日共は全国統一戦線部長会議を開き対策を協議した結果、日中友好協会を下から分裂させることを決め「青年大交流への派遣を決めた本部決定は、下部組織からくつがえすよう協会各支部に働きかけよ」と指示した。

 警察庁が二十日現在確認しているところでは、東北六県、福岡、富山など日共系でにぎっている十数府県の支部では、本部決定にそむいて代表を送らないことを決めている。

 このため、日中友好協会の本部決定は事実上くつがえされたことになり、協会自体が分裂の危機さえはらんでいる。

(「毎日新聞」昭和41年8月20日夕刊1面)

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