Q7 「文革」収拾後、中国は「文革」のことをどのように国民に説明し内外政策をどのように改めたのでしょうか。干渉事件から30年経ちましたが問題は解決したのでしようか。また解決の展望はあるのでしょうか。

 Q3で述べたように中国共産党は1981年「建国以来の党の若干の歴史問題にづいての決議」で「文革」の国内面での誤りを総括しています。しかし、対外的な総括は―切されていません。

 昨年の文革30年にあたってもこれを回顧する出版や行事も行われていないだけでなく、中国国内では、「文革」を告発したべストセラーの『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著)の出版も、大きな反響を呼んだ山崎豊子作『大地の子』の出版もテレビ上映も禁止され中国国民の目に触れる機会が奪われています。したがって中国国民自身も「文革」の本質や全面的な実態などをきちんと理解しているとは言えないと思います。まして「文革」が他国に対してさまざまな形の干渉事件を引起こし今も未解決のままになっていることなどはほとんど知られていないのではないでしょうか。

 協会は干渉問題の正しい解決のためにいまから10年前の1985年の第34回大会の会長あいさつで二つの基準を明らかにしました。そして、この基本的な点さえ明確になれば過去のさまざまないきさつはあっても改善の方向に進むという態度を表明しています。その二つの基準とは、第1に中国当局の関係者が干渉の事実を認めること、第2は今後の友好関係を発展させるために自主・平等・内部問題不干渉の原則を順守することを認めるといぅものです。これは社会体制の異なる日本と中国との正しい友好関係を考えるうえで当然の原則であって特別に難しい問題をもちだしているわけではありません。

 しかし残念なことにこの最底限の提起さえ中国当局は無視し続けています。1994年に中国で刊行された『戦後中日関係史年表』(中国社会科学院などの監修)には、「―群の暴徒が深夜中国の管轄下にある善隣学生会館に居住する華僑青年を挑発した」(1967年2月28日の項)という趣旨のことが記録されています。これは「協会本部襲撃事件」のことですが、すでに歴史的に、明確になったこの事件に対して今も基本的にはその認識は誤ったままです。干渉問題の頂点ともなったこの事件に対するこぅした誤った評価がいまも中国当局の認識になっていることは干渉問題に対する総括や反省がないことのあらわれです。

京都・嵐山「日中不再戦碑」

 総括や反省がなぜされないのか、昨年7月に発表された中国共産党創立75周年の記念論文(李淑諍中国共産党対外連絡部長)にその考えが述べられています。この論文の主旨は、「中国共産党の対外路線の基本は、ケ小平外交思想に基づいて諸外国の各種の政党特に政権党とイデオロギーを超越して関係を結び、中国の改革開放政策に役立てることを基本にする」というものです。この立場から党の対外連絡部自体が「中国経済連絡センター」という付属の事業体を持ち「81の国・地域の企業や会社との経済交流を行なっている」と説明しています。要するに「改革開放政策に役立つところと関係を持つ」ということです。ここには実利第一主義の考えが明確に示されています。

 こうした中国の対外政策の立場は、自国の経済的利益だけを最重視するものであって、世界やアジアの平和や民主主義に関わる運動との連帯は念頭にないことを示しています。

 この考えと表裏―体のものとして中国国民の民主化に対する要求を徹底して抑圧する政策がとられています。現在の中国は、改革・開放政策が進む―方で都市と農村の極端な格差や貧富の差の拡大、党・政府幹部の汚職腐敗の問題などさまざまな矛盾がふき出し、国民の不満や要求が広がっています。このなかで民主化に対する要求は非常に大きいとみられます。干渉問題も、中国の政治に国民の声が正しく反映されることと無関係ではありません。

 しかし干渉問題の根本的な解決にとって最も大切なこは、このような不当な干渉の事実とその正しい解決のために活動している協会の原則的な活動を日本国民のなかに広げ共感の声を大きくしていくことです。

 私たちは、自主的な日中友好運動を進めている協会の力を大きくする努力と結んで問題の解決の展望を切り開くために努力しています。

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