1966年3月の毛・宮本会談の後、日中友好運動をめぐって、日本共産党がどのような行動を取り、どのようなトラブルが発生したのかというのは、私の大きな疑問点でした。日中友好協会の組織の分裂は1966年10月のことで、善隣学生会館の日中友好協会は、そのときまでは「反中国」の拠点ではなかったはずです。しかし、1966年10月の日中友好協会分裂の時には、すでにさまざまな方面で亀裂が表面化しており、そのようなトラブルは華僑の間でも周知の事実だったようです。

 ここで紹介する論文は、東京華僑総会の機関紙「華僑報」の1967年1月1日号に掲載された論文で、その掲載日付は善隣学生会館事件の約二ヶ月前です。この中で日本共産党と中国関係組織の間の初期のトラブルが、分かりやすく列記されています。この記事を読むと、党派としての路線の相違の正否は別にして、国交がない中国との関係を取り扱う、民間の日中関係の組織内で日本共産党がとった行動が、当時の組織の人間を大いに惑わせ、また組織の業務を非常に混乱させたことが推測されますが、このような感想を持つのは私のひいきめでしょうか。

 ところで、このホームページの掲示板で、大阪の人さんとの間で議論したときに話題となった「毛主席を毛議長と翻訳した」という、翻訳能力に欠ける日共派の翻訳者の事件は、亜細亜通信社での出来事であることが分かりました。亜細亜通信社は中国の新華社電を日本に紹介する華僑系の企業だったようです。

2001年6月7日 猛獣文士


中日友好の破壊者は誰か


 一九六六年は中日友好運動に大変動があった年である。友好を偽装して、実際には中日友好を破壊し、中国に反対する新しい勢力が現われた。彼らは米帝国主義や各種の反動派に呼応し、ソ連修正主義の恩賞目当に、身の程知らずにも中国反対、毛沢東思想反対の先兵を買って出た。彼らは中日友好運動の内部深くに巣食い、サボタージュ、分裂、妨害、脅迫、破壊など悪辣で陰険な手段を弄して、友好団体の組織を破壊し、両国人民の交流を阻止し、映画、歌舞団上演を妨げ、中国展を破壊しようと企んだ。しかし中日友好の旗を高く掲げる日本の真の友人達は、これら破壊者と真向から勇敢に闘い、ニセの友人達の仮面を次々と剥ぎとり、友好運動を一層広く深く前進させた。彼らが友好を破壊しようとすればする程彼らの醜い正体を一層さらけ出すだけである。毛主席は「友人には本物と偽者があり、実践を通して誰が真の友であり、ニセの友であるかを見きわめることが出来る」と指摘している。

 では、一体誰が中日友好を破壊しているのか?次に事実を列挙して、僑胞の皆さんがニセの友人の正体を見極める資料を提供しよう。

(編 集 部)


「ニセの友好」で反中国企む

 昨年の春、宮本書記長を団長とする日本共産党の代表団が中国訪問を終えて日本に帰ってきてから「赤旗」は連日のように「国際友好運動における自主独立」路線についての大論文を発表した。そして「赤旗」紙上からは、北京放送の番組や中国の雑誌「北京周報」「人民中国」「中国画報」や「毛沢東選集」の広告が一せいに消えた。そればかりではない。「赤旗」の紙上から中国に関する報道は完全に姿を消し、最近の中国のプロレタリア文化大革命に関する記事は一行も出ないという徹底ぶりである。

 また昨年七月の原水爆禁止世界大会において今までと違った路線が打出され、修正主義者の世界民青連の代表を強引に参加させたために、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ等の十六ヶ国代表(外国代表の大多数)が大会から退場した。同じころに、日中青年大交流の参加をめぐって、各団体の中で日共党員による参加阻止の動きが活発になり、「民青」が不参加を正式に表明するに至って、妨害者に対する闘争が表面化した。そして「民青」を除く、日中友好協会を始め殆んどの友好団体、労組が参加を決定した。中日友好運動、貿易促進運動に対する妨害、破壊活動はこれで終わったわけではなく、むしろ益々熾烈になり、北九州−名古屋で開かれた中国経済貿易展覧会に飛火し、日共党員による、計画的で悪質な妨害、破壊活動が行われた。十月二十五日、日中友好協会が分裂したのをはじめ、日中貿易促進会、アジア、アフリカ連帯委員会、日本ジャーナリスト会議、ジャパンプレス、中国婦人をお招きする会、等々が次々と分裂した。

 一方華僑の文化事業の一つである「亜細亜通信社」に対する日共党員による、妨害、破壊活動が公然と行われ、十一月十四日遂にストを以て「亜細亜通信社」を徹底的に破壊しようと企んだ。しかし良心的な真に中日友好を願う日本人民と愛国華僑が一致団結して、これらの破壊分子を排除したが、かれらは一層狂気じみた卑劣な手段をつかって引続き外から破壊活動を行っている。

 この様な事態が起ったのは決して偶然ではない。中国共産党のソ連現代修正主義指導グループに対する一連の批判論文でも明らかな様に、米帝国主義のベトナム侵略に対するソ連の態度は、表面でベトナム人民の抗米救国の闘争を支持すると言いながら実質的には米帝国主義と結託して、欺瞞的「平和交渉」をもてあそんでいる。さらに、こともあろうに、ベトナム人民の強固なうしろだてとして、最大の民族的犠牲を払ってもベトナム人民を支援する七億中国人民に対し、ソ連修正主義はそのさまざまな新旧追随者を従え、米帝国主義と結託して反中国一大キャンペーンを展開しているのである。

毛沢東思想に照らされ
次々と化けの皮

 さらに彼らは、自らの革命に対する裏切りを押しかくし、世界人民の眼を誤麻化すため、ベトナム「支援」の「共同行動」を提唱している。革命を支持し、正義の闘いを支持する中国人民が真向からこれに反対するのは当然である。ところが日本共産党は、口ではソ連の修正主義に反対するといいながら、実際はこのように革命を裏切ったソ連の主張に同調、ソ連をも含めた「国際統一戦線」を提唱、自らの変質を隠すため、「共同行動」に断固反対する中国を陰に陽に避難し、さまざまな形で卑劣な非難を弄し、中日両国人民の交流と友好関係を破壊しようと企み、その反中国運動は益々露骨を極めている。

 このような中日友好運動における混乱と危機に際し、去る九月二十六日、黒田寿男、中嶋健蔵、太田薫、堀井利勝、岩井章、小林雄一、末川博、杉村春子、千田是也、佐々木更三、坂本徳松、土岐善麿ら各階著名人三二名が「再び日中友好の促進を国民に訴える」声明を発表したのである。声明はその中で「いま日中友好・交流の運動をさらに前進させるためには、日本の運動の内部に生れている障害をのりこえなければならない。われわれの運動の内部には、最近、さまざまな口実を設け、友好・交流の発展を極カ妨げようとする傾向が生れている。このような傾向は、米日反動勢力を喜ばせ,かれらの反中国政策に手をかすものにほかならない、この三十二氏の声明に対し、十月五日郭沫若、劉寧一、廖承志ら五十二名の中国各界の中国各界各大衆団体代表が支持声明を発表した。続いて、国慶節に参加した日中友好協会代表団、アジア、アフリカ連帯委員会代表団は十月十二日、中日友好協会代表団、中国亜非団結委員会代表団との間に共同声明が調印されたのである。

 これらの真に中日友好運動の基本方針を決めた諸声明が日本共産党の拒否する処となり、友好運動の分裂が形の上でも表面化したのである。

 今、日本全国で真の中日友好を勝ち取る為に中日友好を妨害し破壊する反動勢力に対する闘いが日増しに熾烈化し、真の中日友好を願う勢力が日増しに増大し、強化されつつある中で幾つかの具体的な例をあげてその実態を紹介しよう。

一、第一回日中青年大交流の記録映画「団結こそ力」の上映阻止

 日本から約四〇〇人の青年が中国各地の青年と楽しい交歓交流をしている場面や、この映画の圧巻である日本青年たちが、毛主席との感激の会見をする場面をとったこの映画は、中国から日中友好協会へ送られ、日本各地で奪い合いの大人気の映画であったが、突然あちこちで上映中止の申し入れが友好協会に来たので本部で調査した処、共産党の各県委員会から「あの映画を上映してはならぬ」と指令があったことが分かった。同じ頃共同映画が全国各地で長期上映計画を立てていた、三千人の舞台構成による中国革命史詩劇「東方紅」が同じく共産党の指令で上映が不可能になった。

二、中国青年代表団訪日を阻止

 日中友好協会中心に一昨年青年大交流に招待された日本の数十団体によって結成された「中国青年代表歓迎実行委員会」が中国青年代表団(銭大衛団長)を招いたが、日本政府の誓約書要求の為香港で五十日も待たされた揚句、祖国へ引き返したが、その直後社会党系の社青同の正体ですぐ日本に入国した。これは日中友好協会がしようとする手続方法に対し共産党系の「民青」が反対した為であることが後で分かった。

三、青年大交流に対する阻止

 昨年六月、中日友好協会、中華全国青年聯合会から日本の諸団体に招待状が送られた。これに対し日本共産党は各都道府県委員会は勿論、各友好大衆団体の党員に対し、阻止の指令を出し、招待された各団体の役員会で共産党は公然と反対を唱えた。

 今迄最も積極的であった「民青」はいち早く不参加の態度を「赤旗」紙上で表明した。各団体の役員会における共産党員の公然たる反対は勿論、すでに参加を決定した個人に対し、参加しないように説得が行われ、拒否されると強迫するようなことがしつように行われた。

四、日中友好協会に対する破壊活動

 昨年七月十一日、日中友好協会の第十一回常任理事会は青年交流が中心課題であった。共産党員を除く絶対多数の意見で代表選出が決定された。これに対し共産党は全国統一戦線部長会議を飛行機賃中央持ちで召集し党の全組織力を動員して、日中友好協会の決定をくつがえすため、同協会の下部組織に働きかけるよう号令した。続く八月二十九日、三十日の二日間の第十二回常任理事会で、再び共産党員による激しい妨害が行われたが、圧倒的多数で青年交流を促進することが決定され、共産党側の妨害は斥けられた。

 十月二十五日の第十三回常任理事会は、日中共同声明の承認が中心議題であった。ここでも共同声明を承認しないと言う共産党の悪意に満ちた妨害が行われた。五十数名の常任理事のうち共同声明に反対したのでわづか十三名にすぎない。ところがこの十三名は議長席をとりかこみ、採決反対を怒号し、議場は収拾つかない状態に陥入った。そのとき宮崎理事長は「もうこれ以上あなたがたと一緒にはやれません」とどなって退場した。十三名の反対派理事をのぞいて全常任理事がそれにつづいた。

 こうして日中友好協会の執行部ほとんど全員が日共系の反中国分子ときっぱりと袂を分つことになり、直ちに新宿に日中友好協会(正統)本部の事務所を設けた。翌二十六日、会長松本治一郎、副会長黒田寿男、伊藤武雄、三島一、吉田法晴、理事長宮崎世民、副理事長、大森真一郎、岩崎三千夫、事務局長三好一の各氏は「日中友好運動の刷新についての声明」を発表し日中友好協会<正統本部>に結集した。

 正統本部の正義の闘争に対し趙安博中日友好協会秘書長、王暁雲副秘書長は黒田寿男日中友好協会副会長などに支持電を送り、その中で「現代修正主義と分裂分子に断固反対して日中友好を貫くあなたがたの行動に対し最大の信頼と断固たる支持を表明する」そして「われわれは友好の旗をうちふり友好に反対するさまざまな現代修正主義とあらゆる往来を断絶し、彼らの仮面を徹底的にはぎ取ることをあなた方に保証できる」と述べた。

五、中国経済貿易展覧会妨害破壊活動

(1)日本共産党の展覧会に対する妨害・破壊の事実

 昨年、七月二十九日、日中貿易促進会事務局の日共細胞総会で日共本部の某氏が出席し「中国展には積極的に協力しない、大動員もしない、これは党の一般方針として全国的に指示している」と述べてる。

 更に七月二十二日長野県松本で国際貿易促進議員連盟の総会が開かれたがその前夜共産党議員グループ会議で日共本部の先の某氏が出席し党中央の方針として「今回は党機関は細胞に至るまで直接には協力しない。わが党が動員その他に協力しなければ、みじめな失敗に終るだろう。これが党の方針である」と指示している。

 日共のいう「非協力」とは展覧会をみじめな失敗に終らせるようにすることであることは次の事実によってはっきり証明される。

(2)中国展全国協力会における日中貿易促進会の一部幹部の妨害活動

 協力会副会長隅井正典(日中貿易促進会常務理事)同協力会事務局長長岡三郎(同促進会常務理事)らは北九州会場の開幕を一ヵ月後に控えながら、九月末までに一枚のポスターもニュースも発行せず、大衆宣伝など一回も行わなかった。即売問題についても金額、数量、種類等を決定することを引延ばし、中国側のたびたびの催促に対しても日本側で自主的に決めることであって、中国側に相談する必要はない」と握りつぶす有様。

 また日中貿易促進会は事の重大さに数回会議を開いて彼らの責任を追及したが彼らは反省しようとしないので彼ら一派を排除するため十月二十六日の臨時総会で解散を決議し、十一月十五日、日中貿易会設立準備会が発足した。

(3)中国展北九州会場に対する妨害

 西日本協力会に日中友好協会福岡県連から警備接待部長法小沢和秋(共産党福岡県議員)や事務局次長(候補)の小林金光や宣伝動員部員が出されていたが彼らは九月中旬になっても動員宣伝をやらず開幕を二週間後にひかえて警備計画も立てないので社会党員、地評が独自の警備計画を立ててもって行くと「警備部長の指示に従え」と要求する始末、その為会場は中国の代表団員と華僑も夜警せざるを得ない破目になった。

 そればかりではない。中国側で雇った労働者やアルバイト学生に対しさぼるように扇動したり解任されるや記者会見をやったり、会場で反中国のビラをまいたりして「右翼」顔負けの妨害を行った。名古屋会場においても大橋満男(日中友好協会愛知県連事務局長)らは妨害の数々を尽くした。このような彼らの妨害・破壊活動を終始一貫弁護し激励しているのは、日共の機関紙「赤旗」である。

六、書店関係

 従来中国の図書、三誌(北京周報、人民中国、中国画報)毛沢東選集等を扱っていた、極東書店、大安書店、内山書店、ナウカ書店、采華書店は日共が三誌、毛選を読むな取り扱うなとの指令により、混乱を起こしていたが、遂にナウカ、采華は、日共に屈服し、極東は新たに東方書店を新設し、断固日中友好事業を続けることになった。そして北九州、名古屋の中国展で大きな成果を上げた。

 他の団体にも変動、分化が行われているが、帰する処、日共が中日友好を妨害すればするほど日本人民は益々勇気を出し、中日友好運動は一層発展していくのである。

(本文の資料は主として中国研究所、日中友好協会正統本部、各団体の資料、声明をもとにしてまとめたものである)

(中日友好の破壊者は誰か「華僑報1967年1月1日」)

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