宮崎世民氏は日中友好協会正統本部の理事長を長く努めた人で、回想録は1984年に出版されました。宮森繁著「実録中国『文革』礼賛者たちの節操」(1986)をみて、この書物の存在を知った私は、すでに絶版になっていた本書を古本屋で見つけて入手することができました。ちなみに、「実録中国『文革』礼賛者たちの節操」自体も絶版になっていましたが、これも古本屋で購入しました。

 孫文の中国革命同盟会を援助した宮崎滔天は世民氏の叔父で、世民氏は幼少の頃、熊本の生家が孫文の訪問を受けたのを見たということです。この回想録は、最初、散漫な小文の寄せ集めのように見えましたが、よくよく読んでみると非常に興味深い内容であり、また、人生について語っている氏の述懐から、構えることなく日中友好協会の困難な経験を語り、中国の革命世代の元勲たちの追想や評価を語っています。善隣学生会館事件についての記述は多くはありませんが、同時代の日中友好協会(正統)を指導した氏の回想は、事情をよく知らなかった私をひきつけるものがあります。

 引用があまり長くなると、著作権の問題が発生するとも思えましたが、ついつい長い引用になってしまいました。

2001年4月30日 猛獣文士  


宮崎世民著「宮崎世民回想録」
第四章 日中友好協会時代――その二


目  次
(一)理事長としての十七年
仕事の数かず
左を向けば
右を向けば
(二)六〇年安保のころ
中断から再開へ
どちらが奇人か
(三)騒然たる文化大革命
「日共」との訣別
目的と手段
文革とわたし
文革と日中友好運動
一場の喜劇
(四)分裂そして団結
三・一五事件
成就した団結
(五)大転換の年代
日中国交回復す
『日中国交回復は人民の力で』
台湾は中国領土の不可分の一部
(六)新時代の日中友好
直接かつ具体的な友好?
毛沢東主席を憶う
「貿易白書」の顛末
残された生家
協会の私物化
和すればともに栄える

(宮崎世民著「宮崎世民回想録」第四章 日中友好協会時代――その二、青年出版社、1984年)

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