原本は国会図書館の所蔵の「日本と中国」縮刷版より、3月27日号の2面を電子文書化しました。3月2日の善隣学生会館のしばらく後の会館を巡る状況を伝えています。なお、縮小版から作成したページなので、ところどころ読めない文字があります。とくに人名は、どうしても判読できないところがありますが、お許しください。間違っている部分のご指摘があれば、訂正いたします。
2000年9月23日 猛獣文士


1967年3月27日号第2面

善隣学生会館防衛闘争について
報告者 日中友好協会正統本部事務局長 三好 一

事件の経過について

 現に善隣学生会館内には、日中友好の看板をかかげて、事務室を不法占拠しているいわゆるニセの「日中友好協会」がいる。日共中央が公然と紅衛兵を非難して以来ニセ「日中友好協会」も、完全に日共の指導下に、挑発的に反中国活動を露骨にしてきた。善隣学生会館内に生活する中国人学生は、会館理事者の了解のもとに、その当然の自治活動の一つとして、会館内に壁新聞をはる文化活動を従来からつづけてきていた。これにたいし、日共の指導をうけたニセ日中事務局員ら(全員共産党員)は、会館内で反中国のビラをまいたり、中国人学生の壁新聞を破ったり、日共の紅衛兵非難に呼応して乱暴をはじめた。この壁新聞破りにたいし中国人学生が抗議すると、逆に殴りつけた。

 翌三月一日、夜六時すぎ、寮生たち(善隣学生会館を昔から中国人学生寮“後楽寮”とよび寮にすむ中国人学生を寮生という)が、会館の玄関で抗議集会をひらいたのは当然である。これに日中友好協会(正統)本部をはじめ日中友好を願う人びとが参加した。

 抗議集会の決議文をそれぞれ携えた後楽寮自治会代表邱獅君氏と、日中友好協会(正統)本部三好一事務局長が、ニセ「日中友好協会」の占拠するドアをノックしたとこと、かれらは、内側にバリケードを築いて(ガラス戸だから、内側のバリケードはよく見える)開けようとしない。(「赤旗」が監禁されたと書いているのは、彼らが、自分で自分を“監禁”したのである)そこで、寮学生自治会代表と三好事務局長はやむなく、抗議文を手渡すため中野区大和町に住むニセ「日中友好協会」会長笠原千鶴宅に届けに行き抗議集会は解散しようとした。

 ところが、人びとが帰ろうとしたとき、善隣学生会館の周辺は約四百名の日共中央が駆り出した党員、民青同盟員らの暴力団にとりかこまれていた。その指揮は松本膳明がとっていた(ニセ「日中」が素直に抗議文をうけとっており、日共が暴力団を動員しなかったならば何事もおこらなかったはずである)これは、日共中央の完全に計画した襲撃事件であった。かれらは、鉄カブトと兇器と、暴力人員を窓から、裏口からどんどん「ニセ日中」に運び込んだ。「二日間監禁され、女子はバケツで用を足した」という「ニセ日中」の宣伝はまっ赤なウソで、裏口から地下室の便所へ自由に通えた)これからかれらが、どんなに悪鬼のように、中国人学生と友好人士に兇器をふるって殴りかかったかは、事件の詳細な記録と現場写真(後楽寮自治会発行)を見れば明らかである。


宣伝戦について

 「日共」指導部の意図は、かれらが中国人学生と、正統会員を襲撃した事実をかくし、逆にかれらが襲撃された被害者であるという逆宣伝をおこなって、国民を反中国にまきこもうと、大々的に宣伝している。たとえば、まっ赤なウソを書いた「赤旗」「同日曜版」百万、新婦人十五万、民青新聞数十万、などなどをばらまいている。

 これにたいして、われわれの側は、「日本と中国」緊急特報第一号は百万部をこえた。「東風」「国際新報」なども、十万部をこえ、チラシは、数十万にたっしている。ことに留日学生後楽寮自治会発行の「真相」パンフは十数枚の写真と、正確な記録で、「日共」側のデマを完全にうちくだくものだ。ともかく、写真を一見しただけで、鉄カブト、棍棒、竹槍、角材をもって、悪鬼のようにおそいかかっているのが、かれらであることは、明白である。だから、デマばかり書いている「赤旗」は、一枚の現場写真ものせることができないでいる。真実はわれわれの側にあるので、量の上で、もかれらを圧倒するならば、宣伝戦でも、かれらを完全にうちまかすことができる。人民の日中友好か、「日共」の反中国かが、食うか、食われるかのたたかいをしているいま、全国の日中友好の戦士たちは、早朝駅前でビラをくばったり、夜も昼も、各戸に「日本と中国」をくばったり、何百万という宣伝物を身体をはって配布している。

 この宣伝戦を勝たせるために、大口、小口のカンパが、ぞくぞくと寄せられている。


事件の特徴は

 「日共」指導部は、毛沢東思想に反対し、中国のプロレタリア文化大革命に反対し、「毛沢東は脳軟化症になった」「文化大革命は失敗する」「いまに劉少寄、ケ小平の路線が復活するから、もうひと辛抱だ」などという反中国、反毛沢東の思想教育を党内外にてっていしてやってきた。ところが、かれらの予想に反して、中国のプロレタリア文化大革命は、着々と成功し、七億人民が毛沢東思想で武装し、反革命路線はてっていてきに粉砕されつつある。そこで「日共」指導部はあせりだした。ソ連現代修正主義指導部もあせってモスクワのレーニン廟前で、中国の学生に暴行した。「日共」もこれに呼応して、日本国内で、中国人学生を襲撃したのである。しかも、公然と、数名の中央委員を現場指揮にあたらせている点で、「日共」の反中国へのふみ切りが、なみなみでないことがわかる。これは赤尾敏のような右翼でさえやらなかった襲撃の仕方である。「ちゃんころの一人や二人殺してもよい」とわめいて、ヘルメット、棍棒、角材で武装して、中国人学生におそいかかっている。反中国にふみ切った「日共」指導部は、ソ連修正主義指導部に呼応しているだけでなく、アメリカ帝国主義と佐藤政府に呼応して、日中関係の断絶をはかっている。たとえば廖承志弁事処駐東京事務所首席代表孫平化氏を攻撃し、あわよくば廖、高碕事務所の交換を破壊し、日中記者交換もぶっつぶし、日中間の文化、学術、経済の交流を中断させようとねらっている。

 これは「日共」指導部が、自分でつくりだした致命的な矛盾である。かれらは、「赤旗」紙上で「日中友好に反対したことはない」といいながら行動では、赤尾敏顔負けの反中国をやっている。この矛盾をごまかすために、かれらはウソ八百をならべる。「赤旗」がウソ旗といわれ、どんどん減紙していく。日本人民は馬鹿ではない。真実が勝利するときは、かれらの滅亡のときである。

 かれらは、日中友好をのぞむ人を「対外盲従分子」だとか「反党分子」だとかひぼうし、「粉砕する」とわめいている。しかし、かれらは、国民にはむかって、国民からみすてられる。現に、善隣学生会館の闘争本部や日中友好協会(正統)本部には、まだ会員でない広はんな人びとから激励電報やカンパがよせられている。


現地防衛体制について

 いま、善隣学生会館防衛闘争実行委員会は、日中友好協会(正統)本部を中心に、日中貿易界、文化界、政界、法曹界、など関係各界の代表者で構成し、政治法律対策部、宣伝部、財政部、現地指導部などを設けている。現地指導部には、正統本部常務会から、三好一、坂田■昭を派遣し、三好一が現地指導部の責任者を担当している。

 日共暴力団は、善隣学生会館内のニセ日中本部に常時百名ほどたむろしている。かれらが申請した仮処分の決定によって、警察が便所のところに立っており、かれらは、ニセ「日中本部(いまでは暴力団詰め所)」と便所(玄関正面の課下院事務所の右寄り)の間の廊下をうろうろしている。

 これにたいして、防衛部隊は三方面から構成している。

 一つは学生諸君、二つは友好商社の人びと、三つは日中友好協会(正統)本部の東京都内および近県の会員から成っている。このほかにこれらの人びとの食事をまかなう仕事がある。

 日共暴力団がニセ日中事務所に泊まりこんでいるほか、付近のビル(「新婦人」れいめいビルや東方学会ビルその他)に襲撃アジトをもって、虎視たんたんと狙っている以上、こちらも毎夜泊まりこんで防衛しなければならない。学生、友好商社の人と、正統会員はみな手弁当で交替でまい夜泊まりこんでおり、婦人部隊がまい日炊き出しに交替できている。

 華僑の人びとの負担や奮闘も大へんなもので、共同の敵にたいする日中両国人民の戦闘的友誼の空気が、現場にみちみちている。


敵はだれで味方はだれか

 「日共」反中国グループの当面の攻撃目標は、日中友好運動の正統派(文化界、経済界をふくむ)であり、これを撃ちぬいて、打撃目標を毛沢東主席においている。そして日中関係の断絶をねらっている。そのために「日共」反中国集団は、台湾の蒋グループ、アメリカ帝国主義、日本反動勢力の願望と一致し、一致点で「共同行動」する。「赤旗」三月十五日付の「孫平化の大国主義干渉を許すことはできない」の論文は、賀屋興宣が書いても不思議はない。

 佐藤政府とその警察は、中立をよそおいながら、「日共」指導部の反中国活動が成功するよう、かれらを有利にする方針をとっている。三月二日、機動隊の目の前で「日共」の武装暴力団が、身に寸鉄をおびない中国人学生や正統派会員におそいかかって頭を割り、血まみれにするのを、手をこまねいて見ていたことは、何よりの証拠である。

 だから、相手は、「日共」反中国暴力団だけではない。かれらと、米日反動勢力のあいだには、十分な連けいがとられてりう。青柳盛男(日共中央法対部長)や松本善明らがつぎつぎにうってくる裁判所の仮処分の手も、その一つである。だから、新旧妨害勢力と合わせてたたかわなければならない。

 こちら側の主力軍は、日中友好日中不再戦をねがい、日中貿易の拡大をねがう広範な日本国民の団結である。相手の背後には、中国と毛沢東主席を敵視する米日反動がついているが、こちらの背後には毛思想で武装した七億の人民と、平和と独立と民主をねがう全世界の人民がいる。


たたかいの進め方

 たたかいは、いまや、局部から全国的にひろがっている。それはちょうど、芦溝橋の衝突がたちまち、全中国にひろがり、いくつかの戦役をへて、百団の包囲センメツ戦となり、日本帝国主義の降伏となったように「日共」反中国暴力団が消滅するまでつづくであろう。

 ニセ「日中」は、代々木に盲従する反中国暴力集団であり、反中国宣伝隊である。これは善隣学生会館の定款にしたがっても、この会館にいる資格のないものである。

 われわれは部屋が欲しいからたたかうのではない。あの建物の中に、反中国分子をおいておけないからたたかうのである。ところが、かれらは、たたかいの中で、みずから正体をバクロシ、「日共」反中国指導部が、公称三十万の組織と二百万の機関紙(日曜版百万、赤旗三十万、民青新聞二十万、新婦人十五万などなど)をあげて全国的にたたかいをいどんでいる。

 かれらが反中国「暴力団」である正体をばくろしたことによって、われわれはこの問題の主導権をとることができた。会館理事会はニセ「日中」の会館からの退去を要求している。これは道理にかなった要求である。「日共」反中国指導部が、何十人の日共弁護団をそろえて、法廷にもちこみ、黒を白といいくるめようと、われわれは断じて敗けることはない。かれらが百万の「赤旗」にものをいわせて、デマ宣伝するならばわれわれは、二百万の真実をつたえる「日本と中国」でこたえよう。かれらが鉄カブト、棍棒で、再襲撃してくるならば、われわれも鉄カブトをかぶって応戦する。

 心理と正義は、われわれの側にある。国民の世論のわき上がるなかで中で、かれらを孤立させ、正義の声で、かれらを包囲し、センメツすることが勝利のカギである。かれら「日共」暴力団が、一日会館にとどまれば、抗議の声は一日ひろがる。そのように、われわれは、広く、ふかく、国民に真実をつたえ、国民の奮起に奉仕する。「日共」反中国指導部は、まさしく、ベトナムを侵略したアメリカ帝国主義のようなものである。アメリカ帝国主義は、侵略をエスカレートするたびに世界から孤立し、自らの首につけた縄はひきしまっていく。これに呼応して、「日共」反中国指導部が、反中国をふかめれば、ふかめるほど、八億日中両国人民の戦闘的友誼はふかまり団結はつよまっていく。かれらが赤旗でデマをひろげればひろげるほど、真実はひろがっていく。善隣学生会館襲撃事件は「日共」反中国指導部が責任をとって謝罪し、かれらのニセ「日中」を撤去し、かれらの反中国政策を改めないかぎり、かれらの墓場になることは疑いない。

 (これは、三月十二日の全国活動者会議でおこなわれた報告内容です)

(日本と中国1967年3月27日第2面)

[先頭][Home][華僑学生側資料目次]


日共暴徒がまたテロ
東京華僑総会に侵入
呉副会長に暴行

 東京華僑総会は三月二十三日、東京・麹町のダイヤモンドホテルで記者会見をおこない、二十二日東京華僑総会一階事務所に日本共産党が侵入、呉普文副会長に暴行をはたらいた事件について真相を説明した。

 呉普文氏によって明らかにされた事件の真相はつぎのとおりである。

 二十二日、東京華僑総会の六階会議室で午後二時から五時まで理事会がひらかれていた。このため一階の総会事務所には三人の女子従業員だけしかいなかった。四時十五分、日本共産党と名乗る四人がどかどかと侵入「抗議にきた」と騒いだので、一人の女子従業員が六階にいた博仁組織部長に通告、同部長は会議中のため他には伝えず一人で階下におりた。

 「日共から抗議にきたのだ」という男たちに博仁氏は「君たちはテロ行為をやって多数の華僑青年に重傷を負わせ、その生命の危険もいまだ不明の状態の中にあるにもかかわらず何が抗議だ、出ていきたまえ」といいたが、かれらは出ていかないばかりか、ますます横暴になる一方、暴力もふるいかねない状態にあった。

 約十分後、呉普文氏が戻ってこない博仁氏を心配して階下に下りたときも四人の日共党員は大声をあげて騒ぎたてていた。呉氏が「不法侵入である。出て行かなければ一一〇番をよぶ」といって女子従業員に電話させたところ、四名のうち一番背の高い男が、いきなり呉氏の肩を後からつき、ふりかえろうとしたところ、その男は呉氏の顔面に強い一打をくわえ、唇に裂傷を負わせた。そのとき、所用でたまたま事務所にはいってきた総会の会員江明発氏にも襲いかかり一撃を加え、他の三人とともに逃げ去った。

 間もなくパトカーがやってきたが、四人および華僑総会の建物の外に待機していた六十数人の日共党員はいちはやく逃走していた。

 同夜、かれら一味は会館の婦人管理人に数回にわたり電話をかけ「学生の責任者の名前をいえ」「日共が抗議にいったところ華僑に殴られたから、皆にそう伝えておけ」「華僑の責任者の住所と電話番号をおしえよ」と脅迫した。

 なお、二十三日付「赤旗」によって、前日東京華僑総会に押しかけた四人の暴徒は森山一(日共中部地区委員会中央区委員長)ほか中部地区委員会の指揮下にあるものと判明した。

(日本と中国1967年3月27日第2面)

[先頭][Home][華僑学生側資料目次]