残暑きびしい9月も、はや中旬になりました。ここに至り、8月度連続講座の第2弾をようやく公開にこぎつけることができました。「8月度連続講座」と銘打ったこのシリーズですが、執筆者の富永先生が多忙なため、第1弾が7月に発表された後、第2弾が9月の発表となりました。また、経済事情連続講座シリーズは、今回で最終回になります。やや、龍頭蛇尾に終わった感もある連続講座ですが、今後、経済学以外のさまざまな科目について、企画を立て、さらに実のある内容にしていきたいと考えていますので、ぜひご期待ください。

2000年9月11日 編集者


インフォーメーショーン・サービス11
公務員試験に役立つ「世界経済事情 概説」

目 次
1.世界経済の動向
2.近年の先進国経済
3.近年の発展途上国経済
4.市場経済移行諸国の経済
5.地域統合の動向

1 世界経済の動向

 世界経済は、概して94年以降拡大を続けてきたといえるが、98年に経済成長率が鈍化した。欧米経済は好調であったが、日本及び発展途上国の多くの国がマイナス成長であった(表1ー1参照)。

 98年の先進国経済は、欧米と日本では大きく明暗が分かれた。アメリカ経済は、強い内需を中心に景気拡大が持続し、98年も実質GDP成長率は3.9%と高成長であった。EU(15か国からなる欧州連合)も、2.8%と堅調な成長であった。一方、日本は、内需の落ち込みにより、−2.8%と2年連続マイナス成長であった。そのため、先進国の実質GDP成長率は、前年の3.2%から2.0%へ大きく低下した。

 発展途上国経済は、97ー98年のタイで始まったアジア経済・通貨危機を契機として、低迷した。アジア経済・通貨危機は、他の途上国にも波及し、景気を大きく減速させた。その結果、発展途上国の実質GDP成長率は、前年比で半減し2.8%成長となった。

表1−1 世界の実質GDP成長率(%)の推移
92年 93年 94年 95年 96年 97年 98年
世界全体 2.5 2.6 4.0 3.7 4.3 4.2 2.2
先進工業国 1.9 1.2 3.2 2.6 3.2 3.2 2.0
発展途上国 6.6 6.5 6.8 6.0 6.5 5.7 2.8
移行経済地域 −14.0 −7.3 −7.1 −1.5 −1.0 1.9 −0.8
(平成11年版「通商白書」より作成)

 さて、世界のGDP(名目)に占める各国の割合は、表1ー2のとおりである。概して、アメリカとEUが、各々4分の1強を占め、日本は7分の1強であり、東アジアは1割弱である。つまり、アメリカ、EU,日本、東アジアで、世界のGDPの約8割を占めている。

表1ー2 世界の名目GDPに占める
各国・地域のシェアの推移
89年 93年 97年
EU 25.3% 29.2% 28.4%
アメリカ 25.6% 26.8% 27.2%
日本 14.0% 18.0% 14.8%
東アジア 5.5% 6.5% 8.3%
中南米 4.0% 6.0% 6.6%
その他 29.6% 19.4% 21.3%

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2 近年の先進国経済

(1)10年目の景気拡大下のアメリカ経済

 アメリカ経済は、91年3月を谷として、それ以降の景気拡大は2000年で10年目に入っている。最近は、高成長が続き、97年の実質GDP成長率は3.8%である。98年も3.9%であった。

 最近の高成長は、個人消費と設備投資によるところが大きい。98年の個人消費は、4.9%の伸び率であり、設備投資も情報化投資を中心として11.8%の力強い伸び率であった。外需は、輸入増により、3年連続マイナスの伸び率であった。また、失業率は、4.5%と69年以来の低水準となった。

 アメリカ経済は、80年代から双子の赤字に悩まされてきた。財政赤字と経常収支赤字である。

 財政赤字は、98年度に、好景気による税収の大幅増と政府支出抑制により29年ぶりに692億ドルの黒字に転じた。99年度も黒字が見込まれている。

 経常収支赤字は、98年度に、前年比50.4%増の2334億ドルの赤字であった。経常収支赤字は、主に貿易収支赤字に依存している。90年代は、輸入が輸出以上に増加したため、貿易収支赤字が拡大した。

(2) 改善しつつあるドイツ経済

 94年の景気拡大の後、95年大幅に減速したが96年央以降緩やかに改善してきている。

 97年1月ー6月の実質GDP成長率を東西別にみると、旧西ドイツ地域では前期比2.2%増と順調であるが、旧東ドイツ地域では2.2%減と統合以来最大のマイナスとなっている。財政支援にもかかわらず、旧東ドイツ地域には、あまり投資が行われていない。

 97年に外需主導で2.2%成長となったが、98年には内需主導で2.3%成長となった。しかし、98年に、失業率は低下したが、依然として10%超である。

(3) 景気拡大のイギリス経済

 92年下期より、他の西欧諸国に先駆けて景気拡大に入った。97年の実質GDP成長率は、3.5%と好調であった。景気拡大によりインフレ抑止策として、96年末から金融引き締め策が採られポンド高となり輸出が減少し、内需も減退傾向となり、98年の実質GDP成長率は2.3%となった。そのため、98年10月以来、金利は引き下げられている。

 インフレ・ターゲット政策(金融政策により、消費者物価上昇率を1ー4%に抑えること)が成功し、インフレを高めることなく、景気拡大すなわち失業率の低下が達成されたのは、労働市場改革のためである。失業率は、98年には4.7%となり、かなりの低水準となった。

労働市場改革 イ 労働時間や賃金への規制の撤廃
ロ 労働組合の活動の抑制
ハ 失業保険給付の給付水準と受給資格の見直し

(4) 景気回復過程のフランス経済

 93年1ー3月期を底に回復に転じた。97年に、フラン安が進み、外需が好調となり、景気は回復している。98年には、内需主導の景気拡大となり、実質GDP成長率は3.2%となった。

 しかし、雇用情勢は過去最悪であり、失業率は12.5%(99年4月は11.3%)で、25歳未満の若年層の失業率は24.7%である。また、1年以上の長期失業者の割合は、失業者全体の35.8%となっている。これは、他国以上の手厚い最低賃金制度、失業保険制度、雇用者の重い社会保険料負担等が、要因となっているといえる。したがって、この種の制度改革が必要である。

(5) イタリア経済

 93年はマイナス成長であったが、93年末から回復軌道となり、その後徐々に拡大テンポを強めた。原動力は、リラ安による輸出であった。

 実質GDP成長率は、97年は、1.5%,98年は1.3%と低かったが、これはEUの通貨統合に参加するため厳しい緊縮財政を実施したこともあり、ドイツ、フランスほど景気拡大に力強さがない要因である。

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3 近年の発展途上国経済

(1)NIEs(新興工業経済群ー韓国、台湾、香港、シンガポール)

 NIEs各国・地域は、70年代までは関税や補助金により自国産業の保護政策を行っていたが、70年代からは外資を積極的に受け入れ、高成長を達成した。プラザ合意(85年度)によりドル安が進んだなかで、先進国の投資が労働力の安いNIEsへと向かった。しかし、80年代後半急速な経済成長のために、NIEs各国・地域の賃金は上昇し、また為替レートが切り上がり、NIEsは国際競争力を失っていった。そして、先進国の投資は、より安い労働力のASEAN(東南アジア諸国連合)諸国へ、80年代後半シフトした。また、NIEs自身も、ASEAN諸国へ投資した。その結果、NIESは資本集約型産業が中心となり、ASEANは労働集約型産業が中心となり、その後高成長を持続したのであった。

(2)ASEAN(東南アジア諸国連合ータイ、フィリピン、インドネシア、マレイ シア、シンガポール、ブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアの10か国)

 ASEAN各国は、以上のように、先進国からの直接投資により発展してきた。この直接投資の増加や工業品を中心とした輸出の拡大が、所得、消費、市場を拡大させ、高成長を達成させた。

 輸出は、欧米、日本、NIEs向けが多く、約8割を占めている(96年)。また、ASEAN4(タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン)同士の貿易も、近年拡大している。

(3)アジア通貨・経済危機

 タイは、アジア通貨・経済危機の震源であった。不動産への過剰融資による不動産の過剰供給により、タイの金融機関は多額の不良債権を抱えるようになった。このため、タイ経済への不信により、タイに投資されていた外国投資家の資金が、海外に流出した。経常収支赤字を相殺していた外国資金が流出したことが、一層の資金の流出を招いた。その結果、97年7月から半年でタイ・バーツは約50%下落した。実質GDP成長率も、それまでの高成長から、97年はー0.4%とマイナス成長となった。そのため、IMF(国際通貨基金)の支援を受け入れ、金融機関の不良債権の処理、増資による自己資本比率の引上げ等の金融改革を行ったが、98年もマイナス成長となり、経済の回復には時間がかかった。

 他のASEAN諸国も、経常収支赤字、外国資本の流入、通貨のドルとの連動という点で似ており、タイの通貨危機は即座に波及した。タイ以外のASEAN4の通貨は、97年末までに30ー40%下落した。ASEANのほとんどの国は、98年にはマイナス成長となった。

 インドネシアは、通貨ルピアが97年7月から7か月間で84%下落した。下落率は、タイよりも大きかった。失業、物価高騰、政治腐敗に国民の不満が高く、暴動が全国で発生し、スハルト大統領は辞任せざるをえなかった。その結果、98年はマイナス成長となった。

 マレーシアは、タイ・バーツの下落により98年に入っても下落を続けた。しかし、IMFの支援を受けず、資本規制を行い固定為替相場制をとり、独自路線をとっている。実質GDP成長率も、前年の高成長から98年はマイナス成長に転落した。

 韓国では、97年初めから、財閥企業が過剰投資により倒産が相次いだ。このため、金融機関が、多額の不良債権を抱えた。タイの通貨危機はすぐに波及し、97年10月末から12月までに、韓国ウオンは53%下落した。12月には、外貨準備不足のため、IMFから570億ドルという最大の支援を受けた。そのため、98年には、マイナス成長に転じた。

 香港は、香港ドルの下落を防ぐため、金利を大幅に引上げた。しかし、高金利は予想以上の不況をもたらし、失業率は倍以上になり、資産価格の下落となった。そのため、他の通貨危機となった諸国と同様に、98年はマイナス成長となった。

 台湾、フィリピン、シンガポールは、近隣諸国の低迷による輸出の減少はあったが、アジア通貨危機の影響は比較的少なく、98年もプラス成長であった。

(4)「社会主義市場経済」の中国

 93年3月の全国人民代表大会(国会に相当)で、憲法に社会主義市場経済が明記され、改革開放路線が一層推進された。そして、経済も高い成長が達成されてきた。 実質GDP成長率は、92年以降10%以上の成長を続けてきた。これは、直接投資の受け入れの増加、個人消費の増加による所が大きい。93年以降は、消費者物価上昇率が高くなったため、引き締め政策が採られた。そのため、消費者物価上昇率は、抑制された。成長率は、以前ほどではないが、依然として高い成長率である。96年は、実質GDP成長率が9.7%,消費者物価上昇率が、それまでの2桁の伸びから6.1%へと低下した。97年も、実質GDP成長率は8.8%と高く、消費者物価上昇率も0.8%へと低下した。98年は、実質GDP成長率が7.8%であった。

 さて、国有企業の抜本的改革は、重要課題となっている。国有企業の赤字総額は、年々増加し、96年には国有企業全体でみても、赤字となった。政府は、国有企業に株式会社化による経営の効率化を進めさせた。また、レイオフを行う国有企業に、基本生活費の支給や再就職先の支援を行うように命じた。

 貿易は、輸出入とも、委託加工(材料と加工された製品の所有権が外国にあり、中国側は加工賃のみを受け取る貿易)と加工貿易(委託加工以外の加工製品の貿易)が、輸出入の約半分を占めている。97年は、経常収支が297億ドルの黒字であった。

 高成長を続けている中国であるが、開発が進む沿海部と内陸部では、所得格差が10倍という問題点がある。また、1人当たりGDPも低く、改革・開放路線の一層の推進が必要である。

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4 市場経済移行諸国の経済

(1) 混乱するロシア経済

 91年にソ連は崩壊し、各構成国は独立した。その代表国であるロシアは、市場経済化を目指し、価格の自由化、国有企業の民営化等の経済改革が始まった。

 しかし、ロシアの経済情勢は、深刻であり、90年から96年までマイナス成長であった。市場メカニズムが整わないうちに、価格の自由化が行われた。そのため、激しいインフレーションとなり、緊縮的政策が実施されたため、生産、投資の大幅な低下となったのである。物価は、引き締め政策により低下傾向にあるが、低水準とはいえない。また、失業率も上昇傾向にあり、10%に近く高水準である。このように、中・東欧の回復とは、対照的な状況である。

 しかし、97年には実質GDP成長率が、0.4%となり、市場経済化後初めてプラス成長となった。これは、以前から増加していた対内直接投資(アメリカ、イギリス等の欧米諸国が85%)が97年は1.6倍の約105億ドルとなり、工業生産の増加に寄与したためである。

 しかし、98年には、アジア通貨・経済危機をきっかけに、実質GDP成長率はー4.6%と再びマイナス成長となった。失業率も上昇し、消費者物価上昇率は、97年は11.0%に低下したが、98年にはルーブル安と国債引受による紙幣増発により、84.4%の大幅な上昇となった。これは、外資がロシアの構造的問題(注1)に懐疑的となり、国外に流出し、株価は急落し、短期国債の利子率は急上昇し、金融危機となったためである。IMFの226億ドルの支援が行われたが、ルーブル売りは止まらず、98年9月に変動相場制へ移行した。

   (注1) ロシアの構造的問題とは、次のとおりである。
            (1)構造的財政赤字と高利の短期国債等の大量発行
            (2)石油、天然ガス等の一次産品に過度に依存した貿易構造
            (3)地下経済(犯罪的経済活動、脱税等)の拡大や進む資本の国外流出

(2)経済改革の進む中・東欧

 中・東欧の市場経済化への経済改革は、価格の自由化から始まった。91年末には、価格の自由化は、各国でほぼ完了した。価格の自由化は、国内製品だけでなく、輸入品価格の自由化、為替レートの実勢レートへの切り下げにまで波及した。こうして、国内だけでなく、国際的な競争条件の整備が行われた。

 価格の自由化は、インフレーションをもたらすため、各国は緊縮的財政政策を余儀なくされ、インフレーションは抑制されたが、生産の大幅な減少、失業者の増加をもたらした。しかし、中・東欧経済は、輸出の増加、外国からの直接投資の増加等により、93年から平均的にプラス成長(表4ー1参照)となった。

中欧4か国(ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキア)は、市場経済への移行とともに、ドイツを始めとしてEU諸国やアメリカからの直接投資が盛んであり、これら進出企業による輸出の増加が、経済成長を促進している。また、輸出の増加は、対外債務の返済の原資ともなっている。東欧(ルーマニア、ブルガリア、旧ユーゴ、アルバニア)も、同様に、直接投資が盛んである。ただし、ルーマニア、ブルガリアは、経済状況が悪化しており、マイナス成長が続いている。

 概して、経済の回復した中・東欧諸国も、高水準の失業率、社会保障支出の拡大による財政赤字の拡大、対外累積債務等の問題を抱えている。ただ、中欧4か国の債務は返済可ス能な範囲であり、近年の経済成長により失業率も各国とも低下傾向である。

 多くの問題を抱えつつも、中・東欧諸国は、同様に市場経済化を進めるロシアと対照的に、改善傾向が顕著である。

表4ー1 中・東欧諸国の実質GDP成長率(%)
91年 92年 93年 94年 96年 97年
中・東欧諸国 −10.7 −5.2 0.2 3.3 3.7 3.2
ポーランド −7.6 1.5 3.8 5.2 6.1 7.0
ハンガリー −11.9 −3.0 −0.8 2.9 1.3 4.4
チェコ −14.2 −6.4 −0.9 2.6 3.9 1.0
スロバキア −3.7 4.9 6.5 6.5
ルーマニア −12.9 −13.6 1.3 3.5 6.9 −6.6
ブルガリア −11.7 −7.3 −1.5 1.8 2.1 −7.5

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5 地域統合の動向

(1)EU(欧州連合)

 80年代に、日米に対し欧州の先端技術の分野での遅れが顕著となり、また東アジアの発展への脅威もあり、市場統合によりEC(ヨーロッパ共同体)経済を活性化する必要に迫られていた。93年11月にマーストリヒト条約(欧州連合条約)の発効により、統合の推進のために、共通の外交・防衛政策を行い、通貨統合を目指すEU(欧州連合)が設立された(注1)。

 EU各国は、経済・通貨統合の基準達成への取り組みに迫られた。その基準は、第一に、財政赤字の対GDP比が3%以内であることである。第二に、債務残高の対GDP比が60%以下であることである。第三に、低い方から3か国平均の消費者物価上昇率+1.5%以内であること等である。

 98年5月の特別首脳会議と経済蔵相理事会で、イギリス、デンマ−ク、スウェーデン、そしてギリシアを除くEU11か国の通貨統合への移行が決定された。98年6月に、欧州中央銀行(ECB)が発足し、統合通貨のユーロの発行権は、ECBが持つことになっている。政策委員会のメンバーは、ECB役員と各国中央銀行の総裁である。

 98年12月に、参加11か国とユーロの交換比率が決定し、99年1月に単一通貨ユーロが誕生した。

      (注1)EUは、次の15か国からなる。
                ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルク
                センブルグ、デンマーク、アイルランド、ギリシア、スペイン、ポル
                トガル、フィンランド、オーストリア、スウェーデン

(2)北米自由貿易協定(NAFTA)

 94年11月に発効し、アメリカ、カナダ、メキシコの3か国の間で、互いに市場を開放するための協定である。この協定は、3国間の全品目の関税を15年以内に全廃し、2000年までに金融市場の完全自由化を達成し、ローカル・コンテスト(現地部品調達比率)を8年後に62.5%にする等の内容である。これにより、人口3億6000万人、GDP6兆ドル以上の世界最大の経済圏が生まれた。

(3)東南アジア諸国連合(ASEAN)

 67年に東南アジア5か国で結成された地域統合である。99年にカンボジアが加盟し、加盟国は10か国(注2)となり、拡大傾向にある。これは、ASEANの周辺の安定が重要であることや中国、インドの巨大市場が誕生しているため、拡大した方がメリットがあるためである。

      (注2)加盟10か国は、次のとおりである。
                タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、ブル
                ネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジア

(4)アジア太平洋経済協力会議(APEC)

 環太平洋地域の経済協力体制のために、日本やオーストラリアの提唱により設けられた。現在環太平洋地域の日本、アメリカ、中国等の23か国・地域が参加している。高い経済成長を達成している地域であるが、各国間の格差は大きく、今後の発展・成長を促進するのが目的である。先進国は2010年、途上国は2020年までには、貿易・投資の自由化を達成するというボゴール宣言の遂行が今後の主な目的である。

 99年9月のニュージーランドで開催されたAPEC首脳会議では、「競争と規制改革を促進するためのAPEC原則」を採択し、各国の市場機能の強化を図った。


この解説は6月30日付けの世界経済事情の問題に対応するものです。

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