インフォメーション・サービス10

公務員試験に役立つ「日本経済事情 概説」

2000年8月度経済学連続講座T


目次

近年の日本の経済動向

雇用情勢

財政政策

金融市場

日本の国際収支

海外直接投資

戦後の景気循環

1 近年の日本の経済動向

(1)平成景気とバブル崩壊

86年12月から91年2月までの平成景気(バブル景気)は、株式や土地等の資産価格の上昇を伴った景気拡大であった。86、87、89年には、株式と土地の上昇は、名目GDPを上回るほどであった。しかし、金利上昇により、資産価格が下落し始め、バブルは崩壊していった。株価は、90年10月には最高値の半分の約2万円近くまで下落した。地価も90年から下落し始め、2000年の現在まで下落を続けている。 91年2月から93年10月は、バブル崩壊といわれる景気後退となった。これは、資産価格の下落を伴う景気後退であった。特に、92年には、株式と土地の下落は、名目GDPの8割を超えていた。バブル崩壊は、家計(消費者)や企業が、リスクの高い株式や不動産に投資を行い増やした負債の削減の必要性を増した。いわゆる、リストラクチュアリング(経営の再構築)である。これは、家計や企業の消費・投資意欲を低下させた。こような要因と景気循環的な要因が重なり、景気の調整過程は、極めて厳しいものとなった。 このため、92年度から94年度まで実質GDP成長率は、0%台の成長であった。

(2)93年10月から97年3月までの景気拡大

93年10月から、30か月の景気後退局面を脱し、緩やかな景気回復となった。95年1月には阪神淡路大震災が発生し、3月以降はプラザ合意(85年9月の先進5か国による、ドル安への為替市場での国際的協調介入の合意)以降に匹敵する円高が襲った。このため、95年9月には15兆円の過去最大規模の公共投資を含む経済対策を策定した。また、公定歩合も過去最低の0.5%に引き下げられた。円高は、95年4月に1ドル=83.67円まで進んだが、為替市場への協調介入が行われ、夏には100円台にまで戻った。これらの財政金融政策や円高政策により、95年末から成長は加速した。

96年央から、景気は順調に推移した。在庫、設備の調整が進み、円安となり外需がプラス要因となったことや、雇用情勢が改善したことである。また、97年4月からの消費税の5%へのアップを控え、駆け込み需要が生じたことである。特に、民間住宅投資は、駆け込み需要により、96年度は前年比13.2%上昇した。その結果、96年度の実質GDP成長率は、4.4%という高成長であった。

(3)97年3月から99年4月までの景気後退

97年4月からの消費税率の3%から5%への引上げ、特別減税終了、そして予想を上回る駆け込み需要の反動減により、97年4ー6月期は消費支出や住宅需要は大幅に減少した。しかし、その後円安の下で輸出は伸び、企業収益、設備投資は堅調であり、緩やかに回復した。

しかし、バブルの後遺症は予想を超え、金融機関の不良債権や事業会社の負債は巨額なものであった。夏から秋にかけての大手企業の倒産、金融機関の破綻、株価の下落、加えてアジアの通貨・経済危機は、家計や企業のマインドを悪化させた。また、不良債権を抱えた金融機関の貸し渋りが強まり、設備投資や雇用が悪化して、プラス要因は外需のみとなった。その結果、景気後退となったのである。

98年4月以降は、消費税引上げ等の影響は弱くなったが、プラス要因であった輸出も伸びが鈍化し、企業収益は減益に転じ、設備投資も減少に転じている。そのため、雇用情勢は厳しく、完全失業率もかつてない水準を上昇し続けている。98年度の完全失業率は、既往最高の4.3%である。

以上の結果、実質GDP成長率は、97ー98年度と戦後初めて2年連続マイナス成長となった(表1ー1参照)。

このため、多様な財政金融政策がとられた。特に、98年4月の「総合経済対策」は、過去最大規模であった。また、同年11月の緊急経済対策、99年度当初予算、そして、99年度の2度の補正予算を通じ、公共投資は切れ目なく行われた。99年度の住宅減税は、住宅投資を増加させた。一方、99年3月の大手銀行への公的資本増強策等の金融安定化策により、金融システムの弱体感は大きく解消された。そして、貸し渋り対策のための信用保証制度の拡充により、中小企業の倒産件数は99年に大きく減少した。

このような措置により、97年3月からの景気後退は、99年4月に終了し、以降緩やかではあるが景気拡大となっている。99年の実質GDP成長率は、0.5%ではあるが、2年度連続マイナス成長を脱したのである。

表 1ー1 主要経済指標

 

96年度

97年度

98年度

99年度

名目GDP(兆円)

504

508

497

494

実質GDP成長率

4.4%

−0.1%

−1.9%

1.4%

鉱工業生産指数(前年比)

3.4%

1.2%

−7.1%

3.4%

総合卸売物価指数(前年比)

0.4%

1.2%

−2.5%

−2.4%

消費者物価指数(前年比)

0.4%

2.0%

0.2%

−0.5%

民間最終消費支出(前年比)

2.8%

−1.2%

0.1%

1.2%

民間住宅投資(前年比)

13.2%

−21.4%

−10.7%

5.6%

民間企業設備投資(前年比)

11.7%

2.1%

−12.4%

−2.5%

公的固定資本形成(前年比)

−1.0%

−7.1%

6.1%

国債流通利回り

2.50%

1.90%

1.68%

1.79%

マネ−サプライ(前年比)

3.2%

3.5%

3.7%

3.2%

有効求人倍率

0.72

0.69

0.50

0.49

完全失業率

3.3%

3.5%

4.3%

完全失業者数(万人)

225

236

294

320

経常収支(百億円)

717

1295

1517

1262

資本収支(百億円)

−800

−1534

−1683

−421

円相場(1ドル当たり) 113

123

128

112

 

日経平均株価(円)

19361

15259

13842

18934

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2 雇用情勢

(1)93年10月からの景気拡大の下での雇用情勢

93年10月からの緩やかな回復の下で、雇用情勢は厳しさが続いた。有効求人倍率は、91年2月のピ−クから95年6月の0.61倍まで低下を続け、完全失業率も上昇傾向にあった。雇用情勢が依然として厳しいのは、企業の雇用人員の過剰感が背景にある。特に、大企業の過剰感が強いといえる。

しかし、長引いた雇用調整(残業規制、中途採用の削減・廃止、出向等)は、96年後半には終了した。97年に入ると、雇用者数の増加幅が拡大するほど、雇用情勢は好転した。96年度の有効求人倍率は、0.72へと上昇した。また、所定外労働時間も96年度には前年度比10.2%増であった。

(2)97年4月からの景気後退下の雇用情勢

しかし、97年後半からの家計・企業マインドの悪化による景況観の落ち込みにより、雇用情勢は厳しくなった。新規求人数は、景気後退が明らかとなった97年第4四半期以降、前期比、前年比とも減少に転じた。雇用者数の伸びも鈍化し、98年2月以降は前年同月比で減少に転じた。

常用雇用者を一般労働者とパートタイム労働者に分けると、98年第1四半期に、一般労働者が前年比減少した一方、パートタイム労働者は増加している。これは、パートタイム労働者の人件費は安く、時間的または景況観に応じて弾力的な労働投入が可能なためである。

97年には、現金給与総額が前年比1.6%増と前年の伸びを上回ったが、98年には現金給与総額が戦後初めて下落した。これは、残業手当やボーナスが大幅に減少したためであり、パートタイム労働者の増加も平均賃金を低下させている。

(3)最近の労働市場の構造的変化

91ー93年にかけ、また95年末に、自営業種及び家族従業者が、依然に見られない規模で減少した。これは、流通構造の変革により中小零細商店が急減したことと、円高等による国際競争力の変化により、小規模な下請け企業が減少したためである。

さて、近年の恒常的な完全失業率の上昇傾向は、供給面の事情にもよる。最近は、若年層(15ー24歳)の失業率上昇が顕著である。これは、学卒未就職者や自発的離職者の増加のためであり、適職を見つけられない若年層が多くなっているという構造的失業であり、ミスマッチの拡大である。一方、高年齢層(55ー64歳)の失業率も上昇している。これは、需要不足による非自発的離職者が過半を占める。厳しい雇用状況のなかで、離職した後も求職活動を行っているのである。若年層と高年齢層の高失業率が、失業率を引き上げており、景気が回復しても失業率が低下しない要因である。

また、近年、中高年のウェートが、労働者の年齢構成において高くなっている。中高年は、従来の年功序列型賃金では人件費負担が大きく、人員過剰となっている。一方、今後若年労働力の不足が予想され、若年者の賃金は引き上げられる傾向にある。このため、従来の年功賃金体系を維持することは、困難となりつつある。終身雇用制が崩れつつあるという形跡は見られないが、企業は、年功序列制に執着せず、能力や業績を中心に従業員を評価しようとする傾向が定着しつつある。

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3 財政政策

(1)長期債務残高の累積

バブル崩壊後の幾度かの経済対策が行われた結果、我が国の財政は急速に悪化した。98年度末の国と地方を合計した長期政府債務残高は、約529兆円であり(2000年現在約645兆円)、対GDP比で101.8%である。

そのため、97年11月に財政構造改革法が成立した。同法は、次のような財政構造改革の当面の目標を定めた。

第一に、2003年度までに、国及び地方の財政赤字の対GDP比を3%以下とする。

第二に、2003年度までに、特例公債の発行をゼロとする。

第三に、2003年度の公債依存度を、98年度に比べて引き下げる。

このように、財政構造改革の舵が切られたのであるが、97年秋の大型金融機関の破綻、アジア通貨・経済危機、金融機関の貸し渋り等が重なり、深刻な景気後退となった。景気後退から脱するため、98年度に2兆円の特別減税が行われ、次のような対策により、切れ目ない公共事業の施行が図られた。98年4月に総額16兆円の総合経済対策、11月に緊急経済対策、12月に景気対策優先の方針への転換である「財政構造改革停止法」が成立、そして98年度第三次補正予算、これと一体化した99年度当初予算(いわゆる15か月予算)、そして2度の99年度補正予算である。その結果、公共投資は景気の下支えをし、99年1ー3月期に、6四半期ぶりに実質GDP成長率は、プラスに転じたのであった。そして、99年4月に景気後退は終了し、緩やかではあるが景気拡大に転じたのであった(平成11年度一般会計予算については、インフォーメーション・サービスpart4 を参照)。

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4 金融市場

(1)金融緩和政策

91年7月以来、公定歩合は9回引き下げられ、95年9月には史上最低の0.5%まで引き下げられ、今日に至っている。これは、景気対策としての引下げである。当初は、生産設備の稼働率低下により、この金融緩和政策は有効に機能していなかったが、景気回復もあり、95年度の設備投資は7.8%増加し、金融緩和政策の効果が出てきたといえる。95ー96年度に、3ー4%の実質GDP成長率を達成し、景気は好調であった。しかし、97年4月以降景気後退期に入り、金融緩和政策が継続された。99年2月に、無担保コールレート(金融機関同士の極めて短期の資金貸借であるコールの金利のこと)が、実質ゼロとなる資金供給が続けられた(いわゆるゼロ金利)。

このような金融政策を反映して、90年代前半はマネーサプライの伸びは低迷していたが、95年度から98年度までは伸び率は上昇した。

99年1ー3月期の前年同期比のマネーサプライの伸び率は3.6%増であり、日銀券の伸び率は4.6%増、貸出が4.3%減となっている。日銀券の伸びほどマネーサプライが伸びないのは、低金利のため家計がタンス預金を増やし、企業が手元流動性を増やし、信用創造が働かなくなったためである。 一方、貸出の伸び率は、96年末からマイナスの伸びが続いているが、金融システムの不安から、企業がコマーシャルペーパー、社債、公的金融機関からの借り入れ等による資金調達を増やしたためである。

(2)企業の資金調達

80年代後半、増資、転換社債等のエクイテイファイナンス(企業の資金調達を自己資本の増加という形で行うもの)による資金調達が、大企業を中心に80年代後半急増した。しかし、バブル崩壊以降、株価の低迷により、エクイテイファイナンスによる資金調達は難しくなった。そのため、91年以降は、銀行の長期プライムレートより発行コストの低い普通社債の発行が増加した。

しかし、中小企業は、エクイテイファイナンスや社債のように、市場から直接資金を調達することは難しい。97年に、金融機関が自己資本比率規制(国際決済銀行BISが定めた国際業務を営む民間銀行の自己資本比率(=自己資本/総資産)が8%以上でなければなないとする規制)の下で、貸出が低迷したときに、大企業を中心に社債やエクイテイファイナンスの発行が増加した。中小企業は、このような資金調達は出来ず、中小企業への金融機関の貸し渋りの問題が生じたのであった。

(3)バブル崩壊における不良債権の発生

バブル景気の下で、地価が上昇すると、土地の担保価値が上昇する。そのため、金融機関は、貸出を増加させる。企業は、投資を増やしたり、土地取引を増加させる。景気拡大期は問題は少ないが、 景気がやがて後退し、企業収益が悪化してくると、中には元利金の返済が滞る企業も出てくる。さらに、バブル崩壊により地価が下落すると、金融機関の貸出債権は不良債権となるのである。

98年7月の金融監督庁の発表によると、貸出金(総与信額)のうち、回収に注意を要する第二分類債権(灰色債権)と回収に重大な懸念のある第三分類債権の合計は、信用金庫等を含む預金取り扱い金融機関全体で、87兆5270億円であった(第一分類債権は健全な債権、第四分類債権は回収不能な債権)。これは、貸出金(総与信額)の11%を占めている。このような状況下で、97年秋から大手を含む金融機関の破綻が続いた。そのため、98年10月に、金融再生法、金融機能早期健全化法等の法整備が行われた。こうして、金融システムの安定化が図られたのであった。実際に、99年3月に、大手銀行15行に7兆4,592億円の公的資本増強が行われたのであった。この公的資本増強は、我が国の金融システムの安定と信頼回復に大きな役割を果たしたのであった。

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5 日本の国際収支

(1)国際収支表

国際収支は、経常収支と資本収支の2つに大きく分けることができ、各収支項目は次表のとおりである。



 






   
  経常収支



        貿易・サービス収支



          貿易収支・・・財の収支



          サービス収支・・サービス(旅行・輸送等)の収支



       所得収支・・・投資収益の収支



       経常移転収支・・送金、消費財の援助等の収支



    資本収支



       投資収支



             直接投資・・・支店の設置・拡張、外国法人の株式の10%以上の取得



             証券投資・・・株式投資、債権投資



             その他投資・・貸付、借り入れ、送金、預金等



         その他資本収支 



             資本移転収支・・資本財の援助



     外貨準備増減     


日本の国際収支の特徴は、次のとおりである。経常収支は常に黒字である。98年度は、15兆8,608億円の黒字である。この経常収支の黒字は、我が国企業の国際競争力の強さを反映した、貿易収支の黒字による。98年度の貿易収支は、15兆9,932億円の黒字であった。サービス収支は、1,500万人の海外旅行者を反映して、常に赤字である。98年度は、6兆4,037億円の赤字である。所得収支は、巨額の海外直接投資や証券投資を反映して、常に黒字であり、98年度は7兆4,150億円の黒字であった。経常移転収支は、我が国の政府開発援助(ODA)を反映し、常に赤字であり、98年度は1兆1,437億円の赤字であった。

資本収支は、経常収支で得た外貨を海外に投資するという意味で、常に赤字である。98年度は、17兆1,355億円の赤字である。直接投資は、対内投資より対外投資の方が断然多く、常に赤字であり、98年度は2兆8,381億円の赤字である。証券投資やその他投資は、年度により赤字のときも黒字のときもある。その他資本収支または資本移転収支は、政府開発援助を反映し常に赤字であり、98年度は1兆9,315億円の赤字である。

(2)近年の経常収支

80年代前半は、アメリカの成長率が高く、円安・ドル高により、日本の対米輸出は増加し、経常収支黒字は大幅に拡大した。これは、アメリカ側から見れば、経常収支赤字の大幅な拡大である。この国際的不均衡の是正のため、85年9月のアメリカのプラザホテルでのG5(日本を含む先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)でのプラザ合意により、為替市場での国際的協調介入によルドル高是正が合意された。これにより、予想を越える円高が進行した。

その結果、86年度は、Jカーブ効果(円高が、短期的には調整時間の不足のため、輸出・輸入量を変えず、輸入価格の下落のために、貿易収支黒字または経常収支黒字を増加させること)により14.9兆円へと経常収支黒字は増加したが、その後経常収支黒字は減少し、90年度には5.6兆円にまで減少した(表5ー1参照)。

91年度以降は、経常収支黒字は再び増加し、92年度には過去最高の15.0兆円に達した。この頃、海外の景気は好調であり、輸出が伸び、国内の景気は低迷し、輸入が停滞していた。

93年度は、経常収支黒字は14.2兆円へと3年ぶりに減少した。93年度以降の黒字の減少は、円高によるものといえる。

94年度は、経常収支黒字が12.4兆円と2年連続減少した。これは貿易収支黒字が不変であったのに対し、サービス収支赤字が拡大したためである。95年度には、さらに経常収支黒字は減少し、9.5兆円である。この両年は、円高による輸入価格下落のため、、輸入数量が前年比10%以上増加している。また、円高による旅行費用の低下のため、出国日本人が増加し、サービス収支の赤字の拡大も黒字減少に寄与した。

96年度の経常収支黒字も、大幅に減少した。これは、円安によるJカーブ効果である。短期的には、輸出・輸入量とも不変であり、輸出額は変わらないが輸入額が円安により増加するため、貿易収支黒字が減少し、そして経常収支黒字の減少となったのである。しかし、長期的には、円安は輸出を増やし輸入を減らし、経常収支黒字を増加させる。このため、97、98年度とも黒字は増加した。この両年は、出国日本人の減少によりサービス収支の赤字が減少したことも、黒字増加に寄与した。

99年度は、円高により、経常収支黒字は前年度の15.2兆円から12.6兆円へお減少した。

表 5−1 近年の日本の経常収支(単位:兆円)

年度

85

86

87

88

89

90

経常収支黒字

12.6

14.9

11.3

10.0

8.8

5.6

年度

91

92

93

94

95

96

経常収支黒字

11.3

15.0

14.2

12.4

9.5

7.2

年度

97

98

99

 

 

 

経常収支黒字

12.9

15.2

12.6

 

 

 

(3)資本収支の動向

資本の国際的移動が自由な体制の下で、経常収支の黒字が拡大すると、資本は流出する傾向にあるといえる。

96年は、直接投資、証券投資の流出超過が拡大したが、その他投資が大幅な流入超となり、資本収支赤字は、前年の6.2兆円から3.3兆円に減少した。

97年は、経常収支黒字を反映して、資本収支の赤字が15.8兆円に増加した。直接投資は流出超を拡大した。しかし、97年第3四半期から証券投資は流入超に転じている。これは、自己資本比率規制の下で、銀行等が対外資産を処分し、財務体質の強化を図ったものであった。

98年も、経常収支黒字の増加を反映して、資本収支赤字は17.1兆円に増加した

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6 海外直接投資

(1)我が国の海外直接投資

貿易摩擦問題と85年秋以降の円高を避けるために、企業は海外へ進出し始め、80年代前半から海外直接投資は増加し、80年代後半からはさらに増加ペースを強めた。海外直接投資は、資本流出の2割弱を占める程度であるが、国内経済の空洞化につながるという懸念がある。

しかし、90年度以降、海外直接投資は、減少した。特に、アメリカ向けは、92年度に、ピークの89年度の約4割程度に減少した。しかし、アジア向けだけは、安い労働力を求めて、増加を続けている。この海外直接投資の減少は、国内収益力低下による親会社の業績不振が主な要因と見られている。

しかし、海外直接投資は、93年度から再び前年度比プラスの伸びに転じた。特に、95年度は、前年度比23.5%増の506億9,400万ドルであった。これは、過去のピークである89年度の約75%である。この増加は、95年度までの急速な円高が背景にあると見られる。

96年度に、海外直接投資は、5.3%減の480億1,900万ドルと、4年ぶりに減少に転じた。97年度上期も4.4%減であった。この減少は、95年度下期からの円安により、投資の削減につながったものといえる。

97年度の海外直接投資は、通期では前年度比12.4%増の539億7,200万ドルであったが、98年度は、前年度比24.5%減の407億4,700万ドルであった。この減少は、国内の未曾有の景気後退による国内収益要因が大きな影響を与えたといえる。

地域別には、97年度でも、第一位がアメリカであり、207億6,900万ドルである。第2位が、アジアであり、121億8,100万ドルである。東アジアは、このうち、110億9,400万ドルであった。

最近の海外直接投資の顕著な特徴は、東アジアへ投資の増加である。東アジアへは、製造業投資が主である。85ー87年までは、NIEs(シンガポール、韓国、台湾、香港の2か国、2地域のこと)が最大の投資地域であったが、88年度以降は、ASEAN4(タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン)が最大の投資地域となり、95年度には、中国が最大の投資地域となり、東アジア全体の45%を占めている。

97ー98年度は、アジア経済・通貨危機により、東アジアへの投資は、悲観的であるが、アジア経済の将来性は有望であり、長期的な投資の可能性は高いといえる。

さて、海外からの我が国への直接投資である、対内直接投資は、98年度に前年度比約2倍の1兆3,404億円と大幅に増加した。特に、金融・保険が前年度比3倍近く増加している。これは、経営破綻した我が国の金融機関を、外資系金融機関が買収したり、欧米系の金融機関が、我が国金融機関と提携したことによるためである。この増加のため、対内・対外直接投資比率は、97年度は約1:10であったが、98年度は約1:4となった。

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7 戦後の景気循環

(1)景気動向指数

景気動向指数は、景気の転換点を早くつかむために、経済企画庁が作成したものである。景気動向指数は、景気に先行して変化する先行系列(経済数字13本)、景気と一致して変化する一致系列(経済数字11本)、景気に遅れて変化する遅行系列(経済数字8本)の3つの系列がある(表7ー1参照)。各経済数字が、3か月前と比べ、好転すればプラス、悪化すればマイナスとし、各系列ごとにプラスの経済数字が占める割合を示したものが、景気動向指数である。この景気動向指数が、50%を超えると好況とし、50%を割ると不況とされる。



 






 






                        
表7ー1 景気動向指数の各系列




 






   先行系列   1 最終需要財在庫率指数[逆] 2 原材料在庫率指数(製造業)[逆]



              3 新規求人数(除学卒) 4 実質機械受注(船舶・電力を除く民需)



              5 建築着工床面積(商工業・サービス) 6 新設住宅着工床面積



              7 建設工事手持月数   8 耐久消費財出荷指数  9日経商品指数(総合)



            10 マネーサプライ(M2+CD) 11 収益環境指数(製造業)



            12 投資環境指数(製造業) 13 中小企業業況判断来期見通し(全産業)



 






   一致系列   1 生産指数(鉱工業) 2 原材料消費指数(製造業) 3電力使用量



              4 稼働率指数(製造業) 5 労働投入量指数(製造業) 



              6 投資財出荷指数(除輸送機械) 7 百貨店販売額



              8 商業販売額指数(卸売業) 9 経常利益(全産業)



            10 中小企業売上高(製造業) 11 有効求人倍率   




     




   遅行系列   1 最終需要財在庫指数  2 原材料在庫指数(製造業) 



              3 常用雇用指数(製造業) 4 実質法人企業設備投資



              5 家計消費支出(全国勤労者世帯) 6 法人税収入



              7 完全失業率[逆] 8 全銀貸出約定平均金利



         
               ( [逆]とあるのは、低下した方が、好転する経済数字)   


(2)戦後の13回の景気循環

正式の景気基準日付は、データが十分にそろった時に、専門家の意見を参考にして決定される。

97年4月以降の景気後退は、99年4月に底をうち、以降景気拡張期にある。これは、戦後13回目の景気循環期にあたる。この13回の景気循環の基準日付は、表7ー2のとおりである。

表7ー2 景気循環の基準日付

 

拡張期間

後退期間

 

第1循環

26年 6月

26年10月

 

4か月

 

 

第2循環

26年10月

29年 1月

29年11月

27か月

10か月

 

第3循環

29年11月

32年 6月

33年 6月

31か月

12か月

 

第4循環

33年 6月

36年12月

37年10月

42か月

10か月

 

第5循環

37年10月

39年10月

40年10月

24か月

12か月

 

第6循環

40年10月

45年 7月

46年12月

57か月

17か月

 

第7循環

46年12月

48年11月

50年 3月

23か月

6か月

 

第8循環

50年 3月

52年 1月

52年10月

22か月

9か月

 

第9循環

52年10月

55年 2月

58年 2月

28か月

36か月

 

10循環

58年 2月

60年 6月

61年11月

28か月

17か月

 

11循環

61年11月

H3年 2月

H5年10月

51か月

32か月

 

12循環

H5年10月

H9年 5月

11年 1月

43か月

20か月

 

13循環

H11年1月

H12年10月

14年 1月

21か月

15か月

 

(Hは平成を示す。それ以外の年は、昭和である)

 

いわゆる通称のついたおなじみの拡張期を、見てみよう。第3循環の拡張期は、「神武景気」である。これは、インフレなき拡大といわれた「数量景気」(物価上昇を伴わず、生産が増加する景気)で、31か月続いた。第4循環の拡張期は、「岩戸景気」である。昭和35年の「国民所得倍増計画」の発表や耐久消費財を中心とする消費の伸びが「投資が投資を呼ぶ」景気であり、42か月続いた。第6循環の拡張期は、「いざなぎ景気」である。これは、消費、投資、輸出等の需要項目全体が成長を促進させ、57か月続いた戦後最長の景気拡大であった。第11循環の拡張期は、「平成景気」(バブル景気)であり、株・土地等の資産価格の上昇を伴う景気であった。また、内需中心の景気であり、いざなぎ景気に次ぐ51か月続いた長い景気拡大であった。

同じく、通称のついた後退期を見てみよう。第5循環の後退期にあたるのが、「昭和40年不況」である。東京オリンピック後の景気後退で、大企業の破綻が続いた。金融緩和政策は効果がなかったため、戦後初めて特例国債を発行し、景気の立て直しが図られた。

第7循環の景気後退は、「第一次石油危機」である。原油価格が短期間に4倍近く引上げられたため、石油依存度の高い日本経済は、未曾有の混乱に陥り、生産低下、物価の大幅な上昇、国際収支赤字となった。このため、実質GDP成長率も、昭和49年度に戦後初めてマイナス成長となった。第10循環の後退期にあたるのが、「円高不況」である。昭和60年9月のプラザ合意により、短期間に円の価値が対ドルで2倍以上になった。このため、輸出採算が悪化し、円高不況となった。このため、企業は内需の掘り起こしや海外進出により、円高対策を行った。第11循環の後退期にあたるのが、「バブル崩壊」である。これは、資産価格の下落を伴う景気後退であった。そのため、92ー94年度の実質GDP成長率は、3年連続0%台であった。第12循環の後退期は、いわゆる通称はないが、バブル崩壊の影響を強く受けている。担保である地価の下落による不良債権の発生に起因した大手金融期間の破綻が、97年秋に相次いだ。また、同時期にアジア経済・通貨危機が発生し、98年度は,戦後2回目のマイナス成長となった。

(以上の概説に関する問題は、「インフォーメーション・サービス2000年5月4日経済事情の問題」が該当します)

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